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前橋市役所セッション

2025 年 7 月 19 日 土曜日


7月14日群馬の前橋市役所の職員とのセッション。

6月29日まで前橋の敷島のフリッツアートセンターで開催していた展覧会「まえばしスケッチ」で、ボクからの『この絵を前橋市のシティプロモーションに使ってみませんか』という偉そうな提案を、市のスタッフがキャッチしてくれ意見交換。

そもそもこんなプロジェクトが実現可能なのか?
『コアグループになる得る人を募って探ってみよう!』というセッション One

集まってくださったのは15名。
まだ実現可能か分からない案件のため、就業時間外、仕事の終わった直後の1時間をいただき、ボクも経費含めギャラは辞退し、フラットな関係で膝突き合わせました。


前橋で一番高いビルは県庁の建物で、前橋市役所の庁舎はそれに続く高さです。
都内まで100km、関越道と東北道とのアクセスはスムースですが、上越新幹線の駅は隣の高崎市にあります。
北に赤城山を仰ぎ、西は榛名山、その間に轟々と利根川が流れ、人々の足元から南に向かって関東平野が広がる前橋市。
海はありませんが、”まちなか”を流れる広瀬川や、桃の木川などなどの河川も多く、「水と緑の街」をアイデンティにしています。郊外では米や野菜作り、養豚などが盛んです。

過去日本の一大養蚕地帯であった群馬に在って、前橋は生糸の集積地として栄えましたが、1945年8月5日の空襲により市街地のほとんどが灰燼に帰した過去を過去を持ちます。
戦後復興を果たし商都として発展するも、日本の社会構造の変化と、国内有数の車社会の影響、そもそも失われた30年の波を受け、1990年以降”まちなか”は衰退。
しかし、”めぶく“を合言葉に、ここ数年起きている「新たなまちづくり」の動きが、全国的に注目を浴びていたます。

人の気質は、「荒っぽい」と言われる群馬の中では穏やかな方で、文化的な嗜好を持つ方が多い印象でいます。

ボクがザクっと認識している前橋はこんな。

ちなみに、平成の大合併でボクが生まれ育った勢多郡粕川村も前橋市粕川町になりました。
それによって、自分も「前橋出身」と語られることになるのですが、今だに慣れません、、

その魅力はなんだろうか?
まずは対面で1人ひとりに聞いてみました。

すると、ほぼ自分の認識と重なった回答がありました。

ならば紙とペンを配って、
「ともかく思いつくだけの前橋の魅力を書いてみて〜」とブレインストーミング。

以下、

田んぼ
金色の稲
赤城
おいしい水
山、山、山、平地!!
ぜいたくな広さの駐車場

雷、そして ひょう
グリーンドームの道から見る花火大会
誰もいない児童館
工科大でやるトランポリン大会
るなぱあく の木馬
前橋公園の夜桜
すきま がある
朔太郎がいた
夕焼けがきれい
朝日もきれい
夜景もきれい
雷が多くて停電にドキッ
広瀬川は用水路 でもきれい
義理人情
ネコがいる街
人なつっこい
自転車で遊べる
おいしいものが多い
赤城山には龍がいる
景色が四季折々で楽しめる
自然とたわむれる街
るなぱあく の親子
雪に埋もれた小沼周り
敷島公園沿いの桜並木を写真撮影している人たち
敷島公園で野生化した猫の大群
馬場川通りの若者
焼きまんじゅう(原嶋屋)
中央児童公園
ばら園
赤城の旧料金所
中央通りの入り口
敷島公園のボート
利根川の河川敷
中央病院
広瀬川の柳
赤城山
上電
田園風景
臨江閣
豚が名産
るなぱあく
利根川
広瀬川
白井屋ホテル
ブルーボトルコーヒー
敷島公演(バラ)
GRASSA
自然豊か
医療機関が充実
野菜がもらえる
木馬
八幡山 たか
空気、水が美味しい
暑い
風が強い
女子高生 立ち漕ぎ
人情
るなぱあく
かけっこ
おばちゃんトーク
赤城山からの風
北を探す時は赤城山
いちご
「なっから」という言葉が好き

欅並木の緑
るなぱあく の木馬
原嶋屋の焼きまんじゅう
空っ風に自転車で向かう女子高生
裾野が長い赤城山
まちなかがしゃれてる
めしがうまい
ほどよく田舎
晴れが多い
自然がいっぱい
温泉が多い
夏の広瀬川
夕方の県立図書館
田植えの後の田んぼ(湖みたい)
カエルの鳴き声(大合唱)
新緑の柳(広瀬川)
おせっかい(良い意味で)
空っ風
かかあ天下(働き者)
県庁からの眺め
おいしい野菜
前橋ウイッチチーズ
職員は真面目
まちなかと山エリアの差
スローシティ
赤城山
広瀬川
アート
古い街並みと新しさ
空っ風
ウエルカム感
人の近さ
太陽の光を感じる
色の豊かさ(茶色)
欅並木

「前」と「橋」という陽時ティブな漢字
海に憧れてるのは共通
利根川の「ゴー」という音
利根川の石の大きさ
平野パノラマ
水田
水田のカエルの声

以上。

これをテキストマイニングすると。

 

面白いなあ〜

ここに上がったワードは、全部絵にしてみますよ!

が、
ボクが風景を描く際に大切にしているのは『そこに人の気配を感じられるか?』

ある土地を訪れて、素晴らしい風景に出会っても、その記録は写真でいいじゃん。
なんだけど、
だれかひとりでもいい、「愛しきひとり」に出会うことで、風景はボクにとって描くべき意味を持ちます。

今回のフリッツアートセンターでの展覧会も、
当初オーナーの小見さんと出会うことで、描くモチベーションをいただくも、
展覧会を通して出会った1人ひとりへの愛しい気持ちが、また自分に前橋を描かせ、
それまで描いたものを超えた愛しい絵が生まれ、展覧会を成長させました。

市の職員がボクをキャッチしてくれたのも、そこを感じてくれたからのはず。

なのであと一歩、今回の参加者に近づいてみるワークショップ。
「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋を教えてください」

これはずっと続けてきた一本の線を描くワークショップの形式で行いました。

以下。

次男の子守りで”さちの池”に遊びに行った時。
子どもの顔と景色が今でも鮮明に思い起こすことができ、幸せな時間だった。


仕事が終わった後に同級生と集まって、マックでMサイズのドリンクとポテトをつまみながら、
今日あった事やこれからなにをしたいか話して、夜の11時ぐらいに帰宅する。


私は中学生の時に、田んぼの道を部活の友達と赤い車に追いかけられながら走ったことが、
苦しくて楽しかった。


私は赤城山へ友達と登山に行きました。山の頂上から見た大沼と緑色の山々が本当にきれいでした。
沼から吹き上がる涼しいん風が、登山後の汗をかいた体に心地よかったです。


私は、入職した年に初めてみこしに参加した時が楽しかった。


私は県外出身で、大学生の頃から前橋に住んでいますが、最近まで赤城山に登ったことがありませんでした。
職場の仲間5〜6人で初めて登山してみた景色。道中のコーヒー、滝のようにうかいた汗が忘れられず、
その後登山の楽しさに触れ、色々な山に行くきっかけになりました。

私は、小学校の時に学校のマラソン大会で田んぼに落ちたけど、巻き返して一位を取れて嬉しかったです。

私は前橋市民文化会館で宝塚の公演をみて、客席降りてハイタッチしてもらって幸せでした。


小学生の頃、地域のまつまり(子ども会)でのお祭り(太鼓の練習を3ヶ月前くらいからして山車に乗る)や、
上毛かるた大会に出場するため必死に練習したり、幼馴染と過ごしたのが良い思い出です。


小学校の頃、先生に促されるまで放課後友達と校庭であそんだ帰り道、友達と用水路の葉っぱレースを初めて、
石爆弾を葉っぱに投げ合って、水の流れに沿って走っていたとき楽しかった!


雪の降り積もる中、「カーン」と竹の割れる音を布団の中で母と姉とじっとして聞く。
次はいつ割れるのであろうか?耳を澄まして待っている時。

部活の帰りに上り坂しかない道を「やいのやいの」他愛もないことを話しながら、
夕陽を浴びて歩いていた時。自然とだれかと過ごした時。


4月末ごろ近所を散歩していた時に、何も知らずに入ったら美味しくて、
お気に入りの居酒屋を発見した時。


同期と飲みに行ってふざけてる瞬間


子供の頃、自分の部屋から見える赤城山の、それはそれは深い緑の雄大な姿を、今でも強く思い出します。
その赤城山の色が、どんどん開発され、変化してしまったことを寂しく想います。


高校生の時の真冬、友人と2人で赤城山に向かって自転車をこいでいたら、
友人が風に煽られて田んぼに落ちた。


私が小学生の頃、前橋七夕まつりで七夕飾りをかきわけながら進んだこと。
妹と「キャーキャー」言いながら笑ったこと。


小さな頃に父と母と手をつないで夜の中央通り商店街を歩いた時、
人混みの中で何度もジャンプさせてもらい、街の灯りが揺れて見えたのが楽しかった。
(これはボクの思い出)

以上。

面白いね〜!
そして美しい。
色が紛れもなく前橋!

なにより、
市の職員15名から「楽しかった思い出」を聞いたら、
2人が「田んぼに落ちたこと」が楽しかったって!

このセッションの前日、
ボクは眼鏡のJINSを興した田中 仁さんからのお誘いを受け、
JINSの前橋サテライトオフィスに施設されたオブジェ「ばばっかわ男」のお披露目式に参加しました。

田中 仁さんは私財を投じ、民間主導で(もちろん官民連携で)アートによる前橋の再興を進めていて、
今回のオブジェをどのように考え製作設置したのか、作者の尾花賢一さんのお話と共に聞けることは、
とても貴重と思いました。

そんなお話の中で気になったのは、
「ばばっかわ男」に対し「気持ち悪い」という意見が少なからずあるとのこと。

自分から見ると、このオブジェは街の絶妙なポイントに置かれていて、
街に「気持ち良い不協和音」を与えてくれるなと。(JAZZ的な快感!)
そもそも造形自体「きもちわるカワイイ」(今の東アジア圏に通底する何か!)

スクエアに整備されがちな街に、山から転げ落ちてきた岩のような造形が加わることで、
街を歩く人が間接視野で捉える街が優しい印象に変わる効果があるだろうなと。
この作品とこの設置方法をポジティブに捉えました。

自分はビジュアルアートや音楽に関わってきたので、こうした捉え方の出来るアート脳が育っているから、
こうした捉え方が出来るんだろうと思います。

なので、前橋の街を利用する人が、こうした感覚を持てれば、街はもっとポジティブに発展するんだろう。
しかし、放っておいたら多くの人を取りこぼしてしまうのが「アートを使った〇〇」のようなプロジェクトだなと。

さて、どうしたらいいのか?なんて考え始めた次の日、この市役所のセッション。

集まったみなさんから掘り起こされた「楽しさ」と「ばばっかわ男の」造形が、
ボクの中では思いっきり重なったんよね。

ということは、
実は前橋に暮らす人の中に答えは埋まっているんだろうということ。

うん、もっと多くの「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋」に出会ってみたい。

それを元に、必要なら取材して、絵にしたら、
それは今の前橋の、そして前橋に暮らす人の合わせ鏡のようなものになってくれるはず。

そこからボトムアップ的動きで、じゃあ何を誇りに思い、何を改善し、何を創造したらいいのか。
そんなエクスキューズを多くの人にシェアしやすい簡潔でリアル言葉で語ることが出来るんじゃないかと。

ちょっと壮大な話ではあるけれど、引き続き市のスタッフのコアグループの話し合い、
次にやるべきをことを導き出せたらいいなと考えています。

ところで、今回たくさん吐き出された言葉の中で、
「立ちこぎ」というワードに、何か前橋らしさを感じている自分です。

172ヶ月め

2025 年 7 月 11 日 金曜日


今日は2021年3月11日から5,236日
748週
14年4ヶ月
172回目の11日です。

参議院議員選挙投票日が近づき、
あらゆる方向からなんやかやの言葉が飛び交っていますが、
東北各県の候補者の公約を眺めてみると、
「震災復興」のようなワードはあまり語られなくなっているんですね。
ならば石川県は?と調べてみると、
なるほど、今回の参議院議委員選挙の争点は「物価対策」

「生活者の暮らしをいかに守るのか?」という問いに対し、
それを争点とすることで「票」が集まるという思惑の元、
各党各候補施策案を公約にしているのが2025年7月の日本の風景なんでしょう。

そんな今の「雰囲気」に呑まれることなく、しかし引いた位置では見守り、
自分は引き続き能登や東北や、群馬だったり地元のシブヤだったりに思いを寄せ、
政治では出来ない手法で、社会の幸せみたいなものにコミットした活動を重ねようと思います。


昨日は渋谷区地元小学校の5年生ひとクラスと1時間、そして6年生全生徒と1時間、
それぞれ自主性を持った探求学習のマインドにに火を着けるセッションに呼ばれました。

これは渋谷区が先進的に進める探求的学びのカリキュラム「シブヤ未来科」の時間を利用したもの。

5年生は、初夏から初めているバケツを使った米の栽培、から、収穫した米をどうするのか?
経営、商品開発、広報、出版などの視点から考えるというもの。

6年生は、地域の課題にコミットした学びを導き出すための、ごく初期段階のセッション。

旧来の『与えられた課題をひたすら覚え、応用力を高める』という学びでは、
社会に益をもたらすイノベーションは生まれないだろう。そんな危機感から、
『自分で課題を見つけ、自分で考え、自分で解決する道を探る』
そんな人材が育ってくれたらいいなという願いの元に考えられた教育プログラムです。

課題に対して当事者意識を持つことで、自主的な学びの意識が高まる。
そこに旧来の記憶&繰り返し&応用学習も必要に応じて組み込むことで、
バランスのとれた”ぶっ飛んだパーソナリティ”が育つことは、ポジティブなことです。

ボクは、震災以降被災地と呼ばれる場所のデカすぎる課題を前に、
絶えず考続けている人たちに出会いました。

当事者意識を持って絶えず考え、しかし被災された仲間同士の考えを否定することなく、
聞く耳を持ってさらに考えることで、いつかその場所に新鮮な発想を纏った何かが生まれる。

そんなことをたくさん見てきたので、
今を生きている子どもたちにも、ぜひそうあってもらいたいと思うのです。

もちろん、大震災や原発事故のようなものは起こってもらっては困るわけで、
そうした経験が必要というわけでな無いです。

未曾有と言われるような事態に直面しなくても、
たとえば、身の回りの他愛もないと思えることでも、ある人にとっては重大事だったりするので、
やはり日常で聞く耳を持った”ひとり”であることが重要だなあと。

聞く耳を持てるためには、まずは自信が表現することを恐れぬ”ひとり”であるべきです。
(そもそもなんでこんなにも表現を恐れなきゃならないのだ?日本の社会。)

子どもたちとのセッションも、ひとつのテーマに対し、思い浮かぶことなんでもいいからアウトプットしてみる、
ブレインストーミングを内包した簡単なアートセッションを行うところから始めます。

ボクが答えを先回りすることなく、ごく簡単な表現を利用し子どもたちのアウトプットを促すと、
出る、出る。

良きも悪しきも混在した子どもたちの言葉や発想は、
すべて愛しくて楽しくて、アウトプットし尽くした子どもたちの顔はみな湯上がりのように良い顔している。

良い顔出来てることは、心のゆとりをもたらし、
「じゃあ他の人はどんなこと語ったんだろう?」
なんて興味心に火をつけます。

そうして出会う「自分と同じ」だとか、「思いもよらぬ」だとか、
他者への興味が、実は自主性の発火点になることは、
ボクが呼吸をしてきたすべての現場で起こったことです。

今回の5年生も6年生も、大人の求める回答、もしくは「子どもらしい自主性」なんてものに答えようとして、
結果、エクセルやワード、キャンバといった道具を使うことが目的の学びに陥る可能性を感じてしまいました。

が!

そんな容易く「自主性」は芽生えなですよね。
そもそもオトナで自主的な探求が出来てる人って、ほとんど見たことないのにね、、
子どもには安易に求めちゃっていないだろうか?

目的は「自主的な探求的な学びを引き寄せる力を持った人の育成」で良いのだけど、
子どもたちの発想を一度更地に戻してやったり、
1人ひとりまったく別の「自主性の着火口」を一緒に見つける作業こそ、
オトナがコミットする部分じゃないだろうか。

というわけで、この学校で過去にトライしてきた通り、
見晴らしの良い発想の荒野に立つためのブレインストーミング。
そこで大量に吐き出した大量のワードをタイプし、
chatジピティ子ちゃんに食わせてパワーワードを生成。

さあ子どもたち!
AIが考えた凡庸な言葉をなぎ倒し
2025年のこの仲間だからこそ吐けるワードを導き出してくれ!!

アップした絵は、
1人ひとりが思う米の魅力を気持ち良い一本の線で表現したもの。
と、一部自分とのコラボ。 

ネットに転がっている素材を使ってアプリで小綺麗にデザインするより、
おめーら1人ひとりの破壊力は素晴らしいのだ!!

 

「まえばしスケッチ」謝辞

2025 年 7 月 2 日 水曜日


小池アミイゴ・イラストレーション展「まえばしスケッチ」
群馬の前橋の敷島のフリッツ_アートセンターでの5月10日から6月29日まで、50日間の会期を終えました。

まず、設営の際にお手伝い下さった群馬在住のイラストレーター丸山一葉さんと、今回のご縁の元となった2年前の前橋”まちなか”の陶器店「石渡」での展覧会を実現させてくれた石渡さんに感謝申し上げます。

アップした絵は、99枚のスケッチの中で唯一左手で描いた水仙の花の絵。

思い入れ深い前橋を描くことは、気になる風景に出会っては立ち止まり、自分を見つめるような作業。
ファイル名に「50」とある水仙の絵は、制作の折り返しで自分が抱えている「何か」を下すような作業だったかもしれません。

80年前の空襲で失われ、今は「平和町」と呼ばれる場所の、主を失った家の前で咲いていた水仙の花は、自分がこれから向かうべき方を向いてくれていたように思います。

あとの2枚は、
最後から4番目に描いた「県庁前でひとつ咲いていたコスモスの花」

そして最後に描いた「帰りの両毛線の中から見た前橋の街」

どちらも「あ、描きたい絵が描けた!」と思えた2枚です。

「こんな儚さが自分の前橋なのか」という発見と、
「この余白こそボクの愛する前橋なんだ」という確信を得られたことは、これから動き出す前橋での仕事に生かしてゆかねばです。

今回の展覧会では25点の絵がどなた様かの元に旅立ちました。
が、ここにアップした3枚は手元に残っています。

この価値観の余白を埋めるのか、色付けるのか、さらに広げるのか?
答えを急ぐことなく、さらに描く先で答えに出会えたらいいなと思っています。

思いがけず多くの方と出会え、多くの会話が生まれた展覧会。
久しぶりに会うことが出来た友人からは「小池は物静かだった」とか「何を考えているかわからなかった」とか「だいじょうぶかな?と心配していた」とか『あの頃の自』を教えてもらえて、19歳で後ろ足で砂をかけるようにして群馬を離れ、何者でも無い自分を振り回して生きた自分が、何者なのかちょっと確認出来たように思います。(てか、昔の友人が来てくれるんだ〜!)

などという展覧会。
この場と多くの出会いを与えてくださり、お互いの美意識のすり合わせから熱を起こしてくれた、フリッツ_アートセンターの小見さん、ならびにスタッフの皆さんに感謝申し上げます。

自分にとってフリッツでの展覧会は、展覧会というより、みんなで創ったLIVE。
本の森、baobab、エリ・リャオ&ファルコン、水と青、ドロップス、公園のおはなし会などなど、
ご一緒出来て、うれしかったぜ!

そのLIVEのアイをオーに変え LOVEへと育てて下さった、ここで出会ったすべてのみなさん。
愛してます。
ありがとう。

これは始まりの挨拶です。

20250510
20250629
アミイゴPEACE!!

171ヶ月め_前橋のこと

2025 年 6 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,206日
743週5日
14年3ヶ月
171回目の11日です。

アップした絵は、
現在群馬の前橋のフリッツアートセンターで開催中の展覧会「まえばしスケッチ」に追加展示した絵。

展覧会が始まって1週間後の5月17日、フリッツアートセンターでbaobabのコンサート
「かぜつちうた」を開催しました。

過去に何度かやってきたように音響を自分が担当し、
baobabが積み重ねてきたたことを大切に、お互い尊重し合いアイデアを出し合い、
この場所にアジャストさせたことで、フリッツという場所ならではのコンサートを目指します。

本番前には土砂降りだったの雨も上がり、リハーサルで高まった心の熱をちょっと冷ましておこうと、
マジックアワーの光に包まれた敷島を歩いてみました。

ああ、綺麗だなあ〜

池に浮かぶ白鳥ボートの可愛らしさ。
水道タンクとヒマラヤ杉が生む光と影の構図。
松林に斜めに差し込む光の帯の鮮烈さ。

人と志を共にし、ひとつの現場を創る作業は、
ボクに「美しいものをただ美しい」と思わせてくれる目を与えてくれるようです。

積もった松葉を踏んで歩く時の体が浮くような優しい感覚。
自分は今前橋を描いた展覧会を開催しているが、
その目の前に広がる風景を何一つとして描けていないと思う刹那。

直後に始まったbaobabのコンサートは、
やはりこの日この場所でしか生まれ得ぬ作品へと昇華しました。

あとは東京に戻り見たものを描くだけです。

baobabとは2008年に東京の渋谷で出会いました。

彼らの暮らしのある大分から車で移動しながらコンサートを続け、
最後に渋谷で開催していたボクのイベントに出てくれた。

その音楽に「若い兄妹が生きてきた時間だけがきっちり鳴っている」と直感し、
1ヶ月後に彼らの暮らす大分県、現在の杵築市山香という町まで足を運び、
森の中の古民家で半農の生活と、楽器作りや音楽活動を両立させる彼らの生き方に出会いました。

今振り返ると、その後に起きた東日本大震災に対しわずかでも正気を保ち向かってゆけたのは、
そんな彼らの暮らしに出会っていたことで、人間に対する希望を窒息させずにいられたからなんだと思います。

あの日から14年めの初夏、baobabと前橋でひとつの作品を創るような作業を出来て、
何かひとつ前進させることが出来たのではと思っています。


「まえばしスケッチ」という展覧会は5月10日から始まり6月29日が最終日で、
ちょうど1ヶ月が経ったところです。

baobabのコンサート以外でも在廊を繰り返し、来場される方と言葉を交わすことで、
自分のやっていることの意味がわかってきます。(自分はコンセプトを立てる前に体が動いてしまう)

より明快になったことは、
自分は前橋という街を喪失した心の痛みに対し、セルフケアのような作品制作をしている。
ということです。

子どもの頃に憧れたキラキラした街前橋は、バブル経済が弾けた頃から急速に寂れてゆく。
日本一の車社会と言われる群馬にあって前橋の市街地は、求心力を持つ観光スポットを持たず、
またその周辺に郊外型の大規模商業施設が出来たことや、人々の画一的な消費行動が進んだことで、
2000年代初頭には学校の教科書に「典型的なシャッター商店街」として掲載されるほどに凋落してしまう。

こうしたことは日本の各地で同時進行的に起きたことだけど、
それでも前橋の風景は、東京に出て「よそ者」となった自分でも心に傷のつくほどの凋落です。

これはボクの勝手な印象でしかないのですが、
『前橋という街は経済の津波にさらされ大切なものを流されてしまった』と。
実際、東日本で津波被害に遭った場所に立って「前橋みたいだ」と思ってしまったこともあります。

それでも「いつかボクの前橋を描かねば」と考え続けてきて、今回。

数年前より前橋をアートの力で更新させてゆこうという動きが生まれ、
多くの人が前橋に力を注ぐようになりました。
薄汚れて見えてた場所にやわらかな光が当たって見えるようにもなっています。

方や前橋の郊外である敷島では、
フリッツアートセンターという場所がオーナーの小見さんの美意識を保つ形で40年、
「敷島らしい」空気を模索しながらも醸成を続けています。

自分はそのふたつのエリア、前橋駅から街中を抜け広瀬川沿いに敷島までの5kmを歩いて、
目に止まるものを描くことで展覧会を作ってみようと考えました。

その5kmの途中に「平和町」と名付けられた街があります。
それは日本各地で、特に空襲による被害を受けた場所に対し与えられている町名です。

前橋では、現在の中心地の周辺部、街の賑わいの途切れたのどかな住宅街エリアが「平和町」です。

子どもの頃父から何度か前橋空襲の話は聞いていましたが、
こんなのんびりした場所まで爆弾を落とされたのか?という疑問から、
空襲被害に遭ったエリアを調べてみました。

ちょっと古い資料なので、
Googleマップに消失エリアを被せてみると、

なんと!
自分がボケ〜っと歩いている場所の半分は火の海だったのか、、

1945年8月5日の夜から6日の朝にかけて、
535名の命が失われ、6万人以上の人が焼き出された。
(その数時間後には広島で原爆が投下され、9日後には無条件降伏が国民に知らされる…)

自分が子どもの頃に憧れたあのキラキラした前橋は、
完全な焦土の上に再建された街だったんだと、あらためて…

わかっていたつもりだったけど、
自分は今回あらためてこの街を歩き、この街を自分の身体に刻み込むことで、
この街に暮らす人の視線に寄り添い、この街の何か美しきものを見つけようとしているんだろう。
それは自分の喪失感を癒す作業でもあるわけです。


人は焼け野原にボクが憧れたキラキラした街を造り、
焼け出されてしまったあるエリアを「平和町」と名付けた。

そんな街も経済の大津波に晒され、
ボク個人の感覚では喪失してしまった。

それでも視線をちょっと振ると、
どなたかの家の塀の脇に刈られずに残された小さな花と目があったりする。

そんなふうにして描いてきた絵を間に置いて、展覧会に来られた方と言葉を交わすと、
色々と気がつくことがあります。

まず、人が穏やかで優しいなあ〜ということ。
これは東京に出る前までに感じていたガラッパチさと随分印象が違います。
それはどうしたことか、さらに会話を重ねてみて、自分なりに考察してみました。

前橋は全国亭に有名で求心力のある観光スポットを持たない街、それも県庁所在地です。

過去には養蚕業から製糸業の核として、日本の経済を牽引する街でしたが、
昭和に入るあたりで失速し、戦争で街ごと焼かれてしまいます。

そんな歴史を振り返ってみると、
今回のスケッチは空襲に耐えて遺ったものを自然と街の象徴として描いてることに気づきます。

ともかく前橋は「何も無い」状態から、
ボクのような子どもが憧れるキラキラの街を再建させた。

そうした街を造るには、とてつもないパワーが必要とされるんだけど、
でも自分が憧れたキラキラ前橋はパワフルなだけでなく、優しかったように思い出されるんよね。

その優しさとは?
ともかく街を歩き続け、疲れた身体が気がついてくれたのは「余白」

過去の前橋には「誰でも居て良いと思わせる余白」あ、物理的にも心の領域にもあった。

メインの商店街を歩くと誰かと肩が触れちゃうくらいの人出でも、余白があった。

「誰でも」なので、ある意味清濁呑み込む街の懐の深さがあり、それは場合によっては危険も含むのだが、、

あれはもしかしたら、戦争で焼かれた街の人の心に宿り続けた刹那なる思いが、
他者に対しても「居ても良い場所」を与えていたのではなかっただろうか?

また、戦争による喪失は、街に暮らす人たちに文化に対する強い憧憬を生んだはず。
言葉に出来ぬ理不尽な出来事に無力を叩きつけられた人は、文学や芸術からその回答を得ようとします。

それはとてもパーソナルで静かな行いであり、そうしたものが徐々に束になってひとつの運動のように育っても、
大声で何か訴えるようなことでは無く、やはり静かに粘り強く続けられるようなものです。

ただ、ボクはそこから漂うほのかな香りのようなものに気がつき、
そこはかとない文化的に香りこそ前橋の魅力であると、幼いながらに気がついていたはずです。

父に連れて行かれたクラシックのコンサートや、母に連れられていった演劇などなど、
今振り返ればなんて凄い表現者たちを前橋は呼んでいたんだと思う。

 

そうしたものを高度経済成長期の最後の方にキャッチし、良きものと捉えるも、
世の中のほとんどの人が「中流」を意識し始めた80年代、
バブル前夜の前橋がどんどんと漂白され、表向きオシャレな装いを見せ始めたのには違和感を感じ、
ふと気づくと自分の居て良い場所が見えづらくなっていなかっただろうか。

古く使い勝手が悪いから「しょうがない」取り壊された前橋駅の駅舎のことを、
自分は事あるごとに個人的喪失として思い出したりしています。

もちろん「誰も」が住みやすい街づくりに、自分の憐憫の情など関係無いのだと思うのだけどね。
でもそも「誰も」がなんだか生きづらさを感じているのはなんでだろう?

そうして前述するように個人的な喪失を感じるほど衰退してしまった前橋の街ですが、
ここ数年で新たな魅力的な顔を見せるようになっています。

そこには、たとえば成功を収めたJINSの田中仁さんのような民間の力が投下したお金や発想、
そこに集う人の力、そこから育つ人の力、そして行政との噛み合わせの妙があります。

では、それはなぜ実現出来たのか考えてみると、
極論だけど前橋にお城が無かったことではないかななんて思うんよ。

立派なお城がある街の人は、その力を活かそうとする街づくりをするんだけど、
前橋には城が無い。

力強くアイデンテティとして語れる産業も、そもそも街そのものを空襲やバブルで失っている。

遺されたものは「危機意識」だけってくらいなんだけど、
しかし、お城のようなもの、極論すれば富士山のような象徴が無い分、
前橋の人は危機意識をエネルギーに、あとは何物にも囚われぬ軽やかな発想とマインドで、
新しい街作りに取り組めたんじゃないかな。

新しい街の姿がちょっとでも見えてきたら、
もともとの人の優しさが「あなたの居て良い場所」を可視化させる力を発揮させてくれる。

あれ?
もしかして前橋は「軽い」という言葉を今の日本に必要なポジティブなものに更新させ、
なんなら社会の価値観も良い方に変えてしまう力を持っているんじゃないか?
なんて思い始めています。


求心力のある観光スポットは持たぬが、街が余白だけになりかけてしまったが、
人の気持ちに覆い被さる余計なことは、街を流れる利根川や広瀬川の豊かな水が、
そして上州名物赤城降ろしの空っ風がどこかに流してすっ飛ばしてくれる軽やかな街。

それが魅力だと思うと、
前橋には希望しか感じられないぜ!と思うのはボクだけだろうか。

ところでこの感じ、
ボクは福島県の福島市の街中で起きていることと似ているかも。

震災と原発事故を経験した福島。
それはある意味「何も無い」というくらいの場所まで人のマインドを落とし込むも、
その危機感があるからこそ、人は考え続け、人と人のつながり大切に育て、
人と人の間に生まれる発想を生かして、今。
「誰でも居て良い場所」があちこちに感じられる優しい街に変わってるイメージ。

これからの前橋が、東京を頂点とする中央の価値観に追従するとは考えられず、
しかし、福島の街の人たちと繋がることには、価値を感じるなあ〜。
もしくは、大分の山間の町baobabの暮らす山香とかね。

そんなことを思えるのは、日本の社会が画一的に漂白されてゆく時代に争い、
人の弱さを慈しみ美しく生きることを良しとし、ツッパらかって本屋なども営み40年、
前橋の優しい文化の生命維持装置のような敷島のフリッツアートセンターという場所が、
前橋の過去と今をパラレルに見せてくれるからなんだろう。

フリッツアートセンターでの展覧会「まえばしスケッチ」はあと2週間ちょっと、
6月29日が最終日です。

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

ボクの在廊予定は
6月15日(日)、16日(月)
6月27日(金)、28日(土)、29日(日)

最終日イヴの28日には、エリリャオとファルコンをお呼びして、
架空の絵本の世界を唄で表現する試みを行います。

ライブ + ワークショップ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
フリッツ・アートセンター


15日午後と29日午後にはそれぞれお話会が行われ、
15日はガザと渋谷の子どもたちを絵で繋いで作った絵本「みんなで見た こどものえ」で、
ボクが子どもたちに行ったセッションを再現して体験してもらえます。

などなど、
もはや終わってしまうことの喪失感が込み上げてくる展覧会に育っています。

 

 

169カ月め

2025 年 4 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から5,145日
735週
14年1ヶ月
169回目の11日です。

3月に開催したボクの個展「東日本」能登の杣径に合わせて行った能登半島地震へのチャリティ、
輪島塗レスキュー「ぬりだくみ」にたくさんのご賛同を頂けたことに感謝します。

輪島の木地屋さん田谷漆器店 桐本拓ニさんが尽力されて来られた輪島塗レスキュー活動を、
3月15日、個展最終日の青山yuiで、
そして16日と17日は地元のパン屋ルヴァンのご協力の元、三日間開催。

16日は「お座敷演芸会」と称し、小唄、落語、紙芝居を楽しみながら、
能登や輪島塗の今を「楽しく」知ることの時間が作れました。

こうしたことは一時的なアクションで終わらすでなく、愚直に続けてゆくことが、
被災の対岸にある者に求められます。

1人ひとり出来ることには限りがある。
しかし、1人ひとり出来る範囲のことを無理なく、可能であれば楽しく続けることは、
ほんと力になるんだから〜!

ということを自分は東日本で学んできました。

もちろん、それで誰も彼も救えるはずは無く、
自身の無力を絶えず自覚し続けなければです。

その自覚の上で、せめて困難な立場にある人への想像力だけは絶やさず、
なんなら想像力の尻を蹴り上げ前に進めさせるようなことは必要と思います。

今回のチャリティを持ちかけてくれた澤村愛さんは、
能を舞い、特別支援学校で紙芝居を上演する方。

先日、今回のチャリティでの輪島塗りの売り上げを報告くださりましたが、
え!?
1,225,000円の売り上げがあり、
被災された職人さんや木地屋さんそれぞれ、

新屋さん68万円

余門さん165000円

田谷さん38万円

と分配されたそうです。

すげーーー!


今回輪島から輪島塗を運んで売ってくれた桐本拓ニさん、
東京に来る直前で右手を骨折。

輪島で長年暮らしてきた家が地震の被害に遭い、
東京に来られる直前に取り壊しになった。
そのの様子を写真に撮りながら色々考えていたらフラッとして倒れ、
腕をつき、、

痛みを我慢しながら東京へ。
「どうやって代々木八幡駅行ったら良いのか」と、
超絶人混みの新宿駅からSOSを投げてきた。

そういや人ってこういうことなんだよなと。
東京の生活に慣れ、いかに東京で颯爽と振る舞えば良いのか実践しちゃっていないか?俺。
なんてことを振り返って考えた、人との出会い。

今回ボクたちは仲間を募り、能登力になれるようにとチャリティを企画し、
想像を超える多くの方のご賛同を得た。

そのこととと同じくらい、
ボクは能登輪島に拓二さんというひとりの友人を得たこと、
これも重要だし、能登をはじめボクたちがこれから生きる社会の希望だと思いました。

2025
0315
0317
PEACE!

ところで展覧会情報をふたつ。


小池アミイゴ個展「まどをあけて」
2025年3月29日(土) – 4月20日(日)

3/29(土)・30(日)・4/20(日) 作家在廊予定
デジタルマガジン「まどをあけて」(ダイハツ)で連載のイラストエッセイ「日本各地、コトづくり旅」に寄せた作品。
旅先で見つけた場所や、そこであたりまえに日常を営む人々の姿をお愉しみください。
古本屋「かえりみち」
〒484-0083 愛知県犬山市犬山東古券661
Tel:090-9749-9895
かえりみちへの推薦経路


絵本「はるのひ」原画展

3月22日(土)〜4月19日(土)
メルヘンハウス2階ギャラリー
10:00~17:00

*お休み_3/28~30、4/6.7.14

アミイゴのアートセッション
◯子どもセッション「覚王山で、はるの美しさを探して、美しいはるの絵を描こう!」】
日時:4月19日(土)10:00~12:00(9:45集合)※雨天決行
メルヘンハウス集合→日泰寺→揚輝荘→メルヘンハウス
参加費:1,000円
小学生〜中学生の子ども10名(大人付き添いウエルカム)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より
題名に「子どもセッション」と記載
メッセージ本文に
①参加するお子さんのお名前
②連絡先電話番号
③参加人数(兄弟、友達など複数の場合)を明記の上、
お申し込みください。なお、お申し込みは先着順となります。
◯トークショー「美しさとはなにか?」
日時:4月19日(土)13:30~15:00
場所:メルヘンハウス2階ギャラリー
参加費:1,000円
参加人数:大人15名(先着順)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より、
題名に「トークショー」と記載
メッセージ本文に
①お名前 ②連絡先電話番号 ③参加人数(友人など複数の場合)を明記の上、お申し込みください。
◯サイン会
日時:4月19日(土)15:00~17:00
場所
メルヘンハウス2階ギャラリー
※サインにつきましては今回の原画展会期中にメルヘンハウスにてご購入された本に限ります。
メルヘンハウス
〒464-0064 愛知県名古屋市千種区山門町1丁目11 1階3号
TEL:052-887-2566

 

167ヶ月め_個展東日本「能登の杣径」

2025 年 2 月 11 日 火曜日

今日は2011年3月11日から5,086日
726週4日
13年11ヶ月
167回目の11日です。

14日から弦巻のPOPPYでの花の絵の展示が始まる前ですが、
東日本大震災発災後8回目の開催となる個展「東日本」の告知をいたします。

小池アミイゴ個展 東日本「能登の杣径」@青山space yui
 2025年3月6日(木) – 15日(土) *休_9日(日)

12:00~19:00 *最終日~17:00マデ

space yui
〒107-0062 東京都 港区 南青山 3-4-11ハヤカワビル1階
TEL : 03-3479-5889

「杣径」(そまみち)は山で働く者の日々の足跡から生まれる道。
2023年7月、ボクは輪島の塗師 赤木明登さんを尋ね能登へ。
「杣径」という言葉と共に、豊かな人のあり方に出会いました。

*15日(土)_ぬりだくみ
能登半島地震と豪雨被害で被災した輪島塗を廉価で販売し、
輪島塗の職人に還元するチャリティも行います。
 販売協力:田谷漆器店 桐本拓ニさん

2023年7月、ボクは初めて石川県へ、能登へ行きました。
目指したのは輪島の塗師、赤木明登さんのアトリエ。

それは2005年まえ雑誌Hanakoの誌上で渡辺満里奈さんと連載していた食のコラムで、
赤木さんのアトリエや漆器が描かれていたこと。
(この連載で挿絵を担当する自分は、原稿を頂いて描く前に実際に食べに行った)

また、彼女の結婚式の引出物として手にした「ぬりもののパン皿」が美しくて、
いつか赤木さんの元に行かねばと思ったことに始まる旅でした。

この旅に関しては、ダイハツのネットマガジン「まどをあけて」をご覧ください。
https://www.daihatsu.co.jp/lyu_action/book/no07/madowoakete07/

こちらではあらためて「東日本」というこれまで続けてきたテーマの中で開催する意味を。

2011年3月11日に発災した東日本大震災ですが、
ボクはそれ以前に東北太平洋沿岸部で知り合った人はなく、
また、それ以前の風景も知らなかったのです。

もっとも東京では沿岸部の出身者と知り合っていて、
彼らたちからの発信はリアルなものとして受け止めることが出来ていました。

なので、次は自分が当事者になるために行ってみなくちゃと思い、
しかし特別な目的も持たずにフィールドワークを続け、
そうして東北の沿岸部でひとり、またひとりと知り合いが生まれ、
友情が芽生え、お互い生きる力を知恵を分け合うような関係が育まれ、
今に至っています。

ボクはそんな関係性の中に、自分の考える「復興」もあるように思うのです。


しかし、2024年1月1日に発災した能登半島地震では、
その半年前に会ったばかりの人たちの顔が、その暮らしや仕事から感じる心の豊かさが、
美しい風景と共に思い出されてしまいます。

もしくは、能登の美しく保存された港町の景観は、
震災後初めて行った東北の太平洋沿岸部では失われてしまったものであり、
ボクは能登に行ったことによって、東北を解像度高く想像することが出来るようになったのだが、
今度は能登で大切なものが失われていることをリアルに実感する者として、震災と向き合っている。

なので、今回絵を一枚描くのであっても、
震災後の東北沿岸部を描いたのとマインドの違いはあるよなと。

その違いがなんであるのかは、絵を描きながら気がついてゆけば良いことなんだけど、
自分には東北を歩いてきた13年の年月で、自分の足で踏み固めた「杣径」は確かにあって、
そこを歩いて能登に近づけばいいのだと考え、今回の個展を開催します。

今年1月22日に中公文庫の新装版として刊行され、大変多くの方に手に取ってもらっている、
森崎和江 さん1984年著作の「能登早春紀行」の原画も展示します。

この仕事で「ああ、こんな綺麗なものが描けた〜」と思えたのは、
間違いなく能登で出会った人たちから頂いた美しいマインドのおかげです。

この仕事の制作ノート的なものやラフスケッチ何点かを
こちら↓に掲載しました。


初めての能登では、赤木明登さんに誘われ1時間ほど山歩きをしました。
そこには、自分たちが当たり前と考えている日常とは別の、
しかしものすごく密接に絡み合った時が流れていて、
それは自分の子供の頃の古い記憶と繋がっていたように思います。

「杣径」とは、単に物理的に踏み固められた道なだけで無く、
自身の過去と未来を結ぶ、
思いがけない起伏の中でなんとか人ひとりが通れるくらいの道なのだろうなと。

その経験により、自分が創るものもちょっと変化したように思います。

今回の展覧会でそこまで見てもらえるかどうか、
頑張らないとだな〜。

 

 

小池アミイゴ×POPPY「花」

2025 年 2 月 6 日 木曜日


2月14日より3月4日まで
弦巻のPOPPYで花の絵の小さな展覧会を行います。

「花」小池アミイゴ×POPPY
2月14日(金) – 3月4日(火)

open_11:00 – 17:00(水~木定休日)

POPPY coffee and bakery
154-0016 東京都世田谷区弦巻2-8-17
03-6413-0208
会期中小池アミイゴオリジナルデザインのドリップパックも販売。
SHOZO焙煎のマンデリン深煎りのオラウータンドリップパックです。
花の絵は購入可能ですが、
作品のお渡しは3/6~3/15に青山のyuiで開催の個展終了後になります。

(こちら店頭でご案内を配布いたします)

POPPYの店名はボクが描いたポピーの花の絵から店名が導かれています。

青山でSHOZO COFFEE 東京店を企画運営してきた松本海央さんが、
ご自身の経験と美意識、共に働いてこられたスタッフへの愛が注がれ生まれたお店です。
ボクが花の絵を描くきっかけにとなったのは、黒磯のSHOZOに行ってその美意識に惹かれたこと。
その後何度もクリエイティブな試みをさせてもらったSHOZOですが、
今回、あらためてその美意識の中で何が示せるのか、
とても高いモチベーションを持ってなんちゃあーない花の絵を描きなおしております。
展覧会タイトルは、海央さんが何度も繰り返し聞いてきた藤井風の曲に由来します。
で、POPPY、
先日食べたレモンマドレーヌが、
レモンマドレーヌがぁ、
美味かったー!
こうしたものの価値に対して、
じゃあ自分の絵ってなんなの?という自問を繰り返してるわけです。

このオシャレの芯を食った包装紙に対するボクからのアンサー。
ぜひ店頭で手にされてみてくださいませ。

都立墨東特別支援学校でのアートプロジェクト

2025 年 2 月 3 日 月曜日


東京都立墨東特別支援学校に在籍する小学1年生から高校3年生まで、
通学している子どもから、病院・施設、 自宅での訪問教育を受ける子どもまで全員、
300名以上のみんなとアートセッションを重ね生まれた作品を、ひとつにまとめデザインし、
学校の表玄関(送迎バスが並ぶ大屋根)を飾る25メートルのウエルカムフラッグを制作しました。

こちらは、東京都が進める「笑顔と学びの体験活動プロジェクト」に、
墨東の校長先生、田村康二朗先生が綿密な企画書を作成、参画できたものです。


田村先生とは、前任の光明特別支援学校でのアートプロジェクトからのお付き合い。

しかし、お互いゼロから企画を進めてゆこうということで、
必要なプロセスを踏んで実行しました。

今回は2023年末にオファーをいただき、
まずウエルカムフラッグ中央部分を自分の絵を使ったデザインで先行制作。
春に現場に設置しました。

墨東の生徒とのアートセッションは9月。
その直前で、まず墨東の全先生向けのワークショップを開催。
自分がどのような価値観と視線を大切に子どもたちと向き合うのかを共有。

子どもたちの介助と指導に尽力される先生たちとのオープンなコミュニケーションの構築は、
この企画の中でも最重要なプロセスです。

そして7メートルの画用紙2本をキャンバスに、小学1年から高校生まで9クラスの子どもたちと
「1人ひとり出来ることを楽しく気持ちよく精一杯表現する」アートセッション。


現場では「じょうず」という言葉を禁句に。
「楽しい」「きもちいい」を子どもたちも、それを見守り介助する人も自分も共有し進めます。

強烈な残暑の残る9月に、次から次へと「思いがけず」な表現の喜びが連なった9セッションでした。

さらに、学校に通えず病院や自宅で医療介護を受けながら学ぶ子どもたちとリーモーでのセッション。
画用紙に1本の線を描き次の子どもが着彩。そこに自分がさらに花を加筆し素材作成。


全部て58点のコラボ作品を作り出す作業、
とてつもなく孤独で、しかし、子どもたち1人ひとりとの魂の語り合いのような、
他では得難い貴重な体験となりました。

そうして出来上がった作品すべてをデーター化。
大きな作品の撮影は東京フォトアーガスの坂上さんにお願い、その他は自分でスキャン。

1つひとつ熱量の高い作品をPC上でレイアウトする作業に正解というものは無く、
永遠のような時間を費やしたなあ。

それもこれもどれも子どもたち1人ひとりの命を預かるような作業で、その1つひとつをいかに尊重し、しかし感動ポルノに陥ることなく、品よくパワフルな作品とし昇華させたらいいのかを考え続けた半年でした。

自分が描いた部分は1割程度ですが、自分のイラストレーション史上最も意味のある、そしてセクシーなものが出来たはずです。

ちなみにボクは「セクシー」を「生きてることの美しさ」みたいな意味で使っています。

自分が向き合った限りの実感だけど、
肢体不自由であっても子どもたちには可能性がある。

そりゃいろいろ大変なこと、辛いこともあるのだけど、
でも1人の指先から生まれたその人ならではの筆致はすべて価値があって、美しい。

それを信じ、1人ひとりに対し感動し続けたことだけで、こんなものが作れるんだ〜


そして、
最後は創業安政年間の老舗「さら文」さんにプリントして頂き、現場に設置。

が、すんません、この凄さは自分ごときのスマホ撮影ではまったく伝わりません。

なのでぜひ都営半蔵門線住吉駅徒歩5分の東京都立墨東特別支援学校まで見にってみてください!

ここではふたつの文章を紹介します。

まず墨東特別支援学校でのこのフラッグの制作報告の展示に寄せた言葉

++

「今やれることを楽しもう!」

ボクがこのプロジェクトを通し伝えたことは、これ以上でも以下でもありません。

ただ、これを実現するためには生徒さん1人ひとりと、さらに指導や介助の役割の担う先生方へのリスペクトとコミュニケーションが必要となります。

残暑厳しい2024年9月、ボクたちは「楽しい」ということについて言葉や身体や絵の具を使って語り合い、たとえば指先で塗られたひとつの「点」にも美しさを見つけ、表現の喜びを分け合うことが出来たはずです。

そんなみなの「楽しい」が集まっって生まれたフラッグは、ボクの想像を遥かに超えた「言葉にならぬ何か美しいもの」として、墨東正面玄関で「ここで美しい人たちが学んでいるよ!」と、街に向かってキラキラ語りかけているように見えるのです。

写真は7メートルの絵の制作風景。
「立っていられない」人が床いに下ろされる。
それが苦痛ではないか1人ひとりの様子を確認してセッションを進めます。

自分は勝手に「だいじょうぶかな?」なんて心配して、1人ひとりと同じ高さの目線を交わせる位置まで下りてゆくのだけど、そうして目を合わせると、ほとんどの子どもが自分の心配など吹き飛ばすめちゃくちゃ楽しそう表情を返してくれる。

それでも乗り切れないでいる子には「無理してやることないよ」と声かけ。
そうするとひとつ安心してくれるのかな?結局いい顔して画面にアプローチしてくれる。

そんなことの連続でした。

大切なのはアートのエゴではなく、
1人ひとりの幸せ。

そんなことを繰り返し考え、進めたセッションでした。

そして、社会福祉法人 日本肢体不自由児協会発行の冊子「はげみ」の「災害に備える」という特集号に、
墨東でのセッション中に寄せたテキスト。

ちょっと長いけど読んでみてください。

ひとりが描くひとつの点
小池アミイゴ

イラストレーターの小池アミイゴと申します。ボクは1988年よりフリーのイラストレーターとして活動を続けています。同時に、音楽の世界で現場作りをしたり、ローカルで活動をされている方や障害者アートのサポートをしたり、東日本大震災発災後の東北でフィールドワークを重ねたりもしています。そんな活動に触れた人から「子どもたちと一緒に絵を描いてくれ」という声が届くようになり、「子どもたちの表現の最初の一歩が幸せなものであること」を目的としたワークショップを日本各地で開催しています。最近は渋谷区の区立小中学校で先端的に進められている探求学習“シブヤ未来科”の授業にコミットし、子どもたちの自主的な学びのサポートもしています。

そんな自分がこのような場所に招かれ言葉を綴る理由を考えると、絵と生き方を学んだアートスクール“セツモード·セミナー”に行き当たります。主催は日本のファッションイラストレーターの第一人者である長澤節先生。戦前の日本のマッチョな気質を嫌い、人の弱さを愛しみ、自由と美意識で生きた方。「人の才能は試験では計れない」という考えのもと、無試験で入学出来た多様性の学校では、長澤先生からの技術指導は無く、1番の学びは「人の描いた絵を見ること」でした。生徒が描いたたくさんの絵が貼られたアトリエで、長澤先生は「この絵いいね~!」みたいに語ってゆきます。それは生徒の気づきを促すガイドのようなものであり、本当の学びは自分が好きだと思える絵を見つけること。さらにそれを描いた人に興味を持ち、なんなら話しかけてみること。そこで生まれるおしゃべりの中にこそ「その人ならではの学び」があるというわけです。この考えは、世の中の「普通」に馴染めず、自分をふり回すことを個性と勘違いしていたボクを救い、今まで生きてこれた力を与えてくれました。


今回は「災害に備える」というテーマを頂いての執筆ですが、もう少し遠回りにお付き合いください。

ボクが障害者アートに興味を持ったのは1990年代前半。群馬の実家を火事で失い、家族のケアの必要から東京と群馬を往復していた時でした。地元の電車の中に展示された子どもたちの絵を眺めていたら、力強い黒いクレヨンの線が紙一杯にグリグリ描かれた1枚で目が止まりました。近づいて見ると「ジャングルマウス」とタイトルが書かれています。その隣に作者名、さらに「〇〇盲学校」と。絵描きのボクはこの絵を美しいと思うと共に、盲学校というものがこれまでより身近なものに思うようになりました。

(その時、この盲学校に行ってジャングルマウスを描いた子に会ってみようと考えたのだけど、
自分の毎日がかなり厳しくて、行けなかったんだよね。)

2000年代のボクは福岡のローカルカルチャーに憧れ、現地の若い人と共にイベントや展覧会開催を繰り返しました。拠点となったのは、福岡で1番オシャレと言われていたカフェです。ある日テーブルの隅に置かれた植木鉢にセンスの良いオブジェが植えてあるのに気づきました。見ると「野草くん」と書かれています。「これ誰の作品?」と店主に尋ねると、「本田さんという人です」と教えてくれました。さらに「今度ご紹介しますね」と。後日ボクが連れて行かれたのはJOY倶楽部という知的障害者のための福祉施設で、本田さんとはそこのアート部門”アトリエブラヴォ(以下アトブラ)”のメンバー。そこでボクは初めて彼が障害者であることを知りました。しかし、それ以上にこの場所で生まれる作品(当時在籍していた7名のメンバーによるもの)、その全てがすごくオシャレなことに嫉妬するほど驚き、また「福祉」と呼ばれる現場で「オシャレ」を感じている自分をとても面白く感じました。

このグループを束ねるスタッフさんがそもそもオシャレな人で、通所するメンバーさんにもオシャレをすることと薦めていました。そんな環境がオシャレな作品を生み、福岡の街のオシャレな店がアトブラの作品が広まり、そんな店にはアトブラのメンバーが「普通に」お客さんとして訪れるなんてことが実現していました。
また、福岡の街ではアトブラ制作の壁画にも出会えます。個人や企業、行政などからオファーを受け、ボランティアスタッフを募って制作が進められる壁画は、関わる人がやはりみんなオシャレで、メンバーとの作業を心より楽しんでる風景がとってもハッピーです。そんな壁画ですから「関わるみんなで作ったものはみんなで大切にしていこーぜ!」というマインドが、美しさとして滲み出て見えます。ある壁画は犯罪が多発していた繁華街に描かれたのですが、その直後からそのエリアの犯罪が激減したそうです。それは「この街にはこの街を愛する人の目が注がれているぞ!」というメッセージになっているということです。

ボクは「こんな壁画を自分が暮らしている東京の街にも創りたい」と思い、自分の創作や活動を福祉や地域と接続出来る側面を見せながら発信するようになりました。

そして2018年、渋谷区代々木八幡エリアでの子どもたちとの壁画制作が生まれました。小田急線の踏切を挟んだガード下の落書きされた壁2面、合わせて約50メートルの壁画は、当初自分に対する制作のオファーでした。しかし「子どもたちが描いた方が地域の力になるはず」と、息子の通っていた渋谷区立富谷小学校や地域、企業などとの協働プロジェクトに変更してもらいました。子どもたちに「この壁画の主役はこの前を歩く街の人たちだよ」と伝え、3年半をかけ8度に渡り絵を塗り重ねた壁は、ただ美しいものへと再生されました。これにより街は子どもたちの存在を認知し、この街をより安全で良いものに育てようというマインドが高まり、今は落書きのような犯罪も激減しています。

防犯防災には守るべき者の「認知」はマストです。そんな社会の必然に「アート」と呼ばれるものが利用出来るという確信を持てた2020年元旦、ついに澤村愛さんと出会います。
代々木八幡の壁画のことを知ってくれていた澤村さんは、PTA会長を務めている東京都立光明学園でも何か出来ないかと相談くださいました。

ボクは肢体不自由というハンディを持つ人と何が出来るのかわかりません。それでも飛び込んだ現場では、当時の校長田村康二郎先生が全力でサポート下さり、『在校生全員が関わった美しい壁画』というテーマを掲げてくれました。取り壊しの決まった校舎で大きなキャンバスに見立て、街を行く人に「ここには美しいものがある」ということを知ってもらおう。そんなプロジェクトです。

実際に制作が始まり気づくのは、当たり前ですが「1人ひとり違う」ということです。そして「1人ひとりそれぞれ出来ないことがある」です。ボクは1人と向き合う度に戸惑います。それでも「絵を描いてみないとわからないな」と、1人ひとりそれぞれがキャンバスに向かうのと同じ高さに自分の目線を揃え、1人が「出来ること」を見守ります。すると1人ひとりそれぞれ何に喜びを見つけているのか、絵描きだからこそ気がつくことがあるのです。
こうしたセッションの際ずっと口にしていたのは「待ちましょう」という言葉です。指導や介助の立場にある先生方に失礼にならないか気にかけながらも、1人ひとりが見つけた喜びをキャッチし、それをアクションに変えるのを『ともかく待つ』のがボクの仕事だということです。

その日は屋外の大きな壁へののペインティングでした。ほとんどの生徒たちがグイグイ描き進める中、ひとり制作に加われない女子がいました。見かねた先生が「そこ空いてるから好きなもの描いて」と声をかけました。ボクはすかさず「待ってください、空いてる部分にも意味はあります」「描きたくなったら描きたい場所に描けばいいです」と言いました。すると彼女は少し安心した表情を見せてくれました。しばらくすると、彼女は筆先に黄色い絵の具を着け、大きな画面の「ここしか無い!」というポイントにひとつの点を描きました。その黄色い点ひとつが置かれたことで、 大きな絵の構図がバチっと決まり、壁が呼吸を始めたんです。そんな点を見たのは初めてです。彼女に「やったねー!」と声をかけると、「まあ」みたいなことを呟きはにかむ姿が、キラキラしてたなあ~!そうして1人ひとりのキラキラしたものが集まったの壁画は、生命力に溢れた美しいものとして完成しました。

1人が出来ることを精一杯やってみせることは、とても美しいことです。ボクらは障害や健常という区別をしちゃう以前に、1人ひとりが描く「その人だからこそ描けるひとつの点」を愛するマインドを持てたら良いなと願います。「そこに愛しき人がいるよ」と直感的に認知出来るアートのあり方は、例えば災害が起きた際、助け合う人々を導く灯台のように働いてくれるでしょう。

さて、ボクは現在東京都立墨東特別支援学校で、今回もまた田村康二郎先生の導きで全在校生とのアートセッションを行なっています。生まれた作品は「ここには美しき表現をする人がいること」を感じてもらえるよう、学園のエントランスに25メートルに渡って張り出される横断幕にデザインします。今はボクがプロフェッショナルとして制作した横断幕だけが掲示されていますが、その両翼が新たに生まれた作品で繋がった時、それが真に豊かな社会の誕生を想像出来るものであるよう、引き続き1人ひとりと向き合ってまいります。

輪島塗レスキュー「ぬりだくみ」

2025 年 1 月 23 日 木曜日

輪島塗レスキュー
ぬりだくみ

能登半島地震と豪雨被害で被災した輪島塗の漆器を救出。
通常より廉価でご購入いただき、被災された職人さんに還元するプロジェクトです。

3月15日(土) 小池アミイゴ個展東日本「能登の杣径」最終日特別販売会
場所:青山space yui
時間:12:00~17:00
展覧会詳細> https://yakuin-records.com/amigos/?p=16434

3月16日(日) 輪島塗の漆器販売と富ヶ谷ぬりだくみ演芸会
場所:ルヴァン富ヶ谷店奥座敷
東京都渋谷区富ケ谷2-43-13
時間:11:00~18:00
*演芸会は13時~14時を予定

輪島の漆器を手に取り購入頂ける販売会と漆器に関する相談会を開催。
うえとみ在住で一芸に秀でた面々が、ぬりものに合う演芸を披露いたします。
輪島のリアルな話も聞ける貴重の時間、ぜひご参加くださいませ。

輪島塗販売とぬりもの相談:田谷漆器店 桐本拓ニ
江戸小唄:千紫巳恵佳
落語:上富亭夜楽
紙芝居:睦
おもてなし:さんさん祐子
賑やかし:小池アミイゴ

・参加費:おひねり(お気持ちを頂けたら幸いであります)
・おひねりは輪島塗復興のためのチャリティに充てます。

3月17日(月)  輪島漆器販売

場所:cafe ル・シァレ
11:00~17:00
店休日のルシャレをお借りして、
輪島の漆器販売と漆器に関する相談会を開催。

輪島塗販売とぬりもの相談:田谷漆器店 桐本拓ニ

主催:ぬりだくみ
協力:天然酵母パンのルヴァン富ヶ谷店  cafe ル・シァレ

ルシャレではサンプルの展示が始まっています。

以下サンプル画像(内容は変更や追加があります)
(さらに…)

165ヶ月め_3年生セッション

2024 年 12 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から
5,024日
717週5日
13年9ヶ月
165回目の11日です。

今日は渋谷区地元小学校の3年生3クラスで45分ずつのセ3ッション。

最先端の探究学習「シブヤ未来科」の時間を使い、
3年生が夏休み明けから続けてきたベトナムの留学生との交流学習。
それをさらに探究的に加速させるため、3年生のマインドを揉むほぐしてくれ。

そんなオファーの元、
これまでのベトナムを巡る体験と学びの何が面白かったのか?
1人ひとり違って当たり前のハッピーな経験をブレインストーミングでアウトプット。

「自分が楽しいと思ったこと」という、正解も間違いも無く誰に否定されないことを、
言葉にして文字で書いて、それを一本の線で描いて、自分の好きな色で気持ちよく塗る。
以上を無記名で行います。

「自分の好きな色」と言っても、
一度言葉としてアウトプットしているし、そもそも探究学習のテーマとして触れてきたものもあるので、
過度に悩むことなく「私の感じたベトナム色」がナチュラルに塗られてゆきました。

3年生。

入学時はコロナ禍でマスクの登校でした。
昨年コロナが五類に移行して1年半。

その影響だけでは無いでしょうが、
8歳9歳の子どもたちにのマインドには鍵のようなものが掛かっていることに気づくことがあります。

パンデミックが始まった頃3~4歳の子どもたちは、
どうしようもなく強いられるモラルの中で、子供としての人格形成が行われます。

なので、なんちゃー無い線1本を描く際、
「これどうしたらいいの?」なんて質問をする子どもも見受けられます。

もしくは、なんちゃーないことでも表現することを恐れる子もいるように見受けられます。

自分自身その傾向を感じることもあるのですが、
自閉のスペクトラムのどこかに佇んでる子どももいるはずです。

なので、
「楽しいことのアウトプット」が出来ない、もしくはしたく無いという子どもはいます。
これは東日本大震災発災から数年間の子どもワークショップで強く印象に残った傾向でもあります。

「楽しいと思えない」「それが楽しいことか判断出来ない」「楽しいことを表現したくない」
そうしたことがあるとしたら、
無理して「楽しさ」を装う必要は無く、
「描かない」という選択もOKなのがボクのセッションです。

そうしたことを子どもたち伝えてゆくと、
ちょっとホッとした表情をしてくれる子どもが、
自分の実感だと20%くらいいるかなあ。

ただ、そうした子どもたちに対してネガティブな印象を受けるかと言えばそうでは無く、
どちらかと言えば人としての魅力を強く感じたりするんよね。

というマインドで進めてゆくと、
ほんと思いがけない作品に出会えちゃうから、
やっぱ、こういう依頼を熱い気持ちで受けちゃうんよね。

なんだろ、
ベトナムに対する学びの中で印象に残った楽しいことや美味しそうなもの、
綺麗なものや驚きに溢れたものの出会いを、誰でも出来る簡単な方法で表現してみよう!
で生まれた絵たちの抱きしめたくなるような魅力。

広大の白い画面に小さな線と黄色。
これだけの表現からボクはものすごく多くのものを受け取ることが出来ます。

この表現を出来たこと、
一生忘れないでいてもらいたいぜ。

自分はたまにこうして現れたカッコいいこと言うだけの無責任な存在。
なので、先生や親御さんはじめ子どもたちを見守る全ての大人が、
この絵を好きになってくれたらいいな。

それは未来を創ってゆく子どもたちを助けることに繋がりますね!

今日100名くらいの子供たちが描いた絵はみんな素晴らしい。
その全部を紹介出来なくて残念だけど、
ぜひ子どもたちを見守る大人は、子どもたちの自己肯定感を温めるような声掛けをして、
みなさんの身の回りを、
子どもたちが生む可愛らしくしなやかでセクシーでさえある何か美しいもので満たしてみてください、

そんなちょっと未来のお話しでした。

ところで何より、
自分のこんな現場を与えてくれる渋谷区の小学校、素晴らしい!