‘SOUL’ カテゴリーのアーカイブ

176ヶ月め_都城

2025 年 11 月 10 日 月曜日

今日は2011年3月11日から5,359日
765週と4日
14年8ヶ月
176回めの11日です。

宮崎県都城市のS.A.Lgalleryでの花の絵の展覧会「花さくところ」
11月9日で会期を終えました。

思いがけずとても美しい展覧会が創れ、
思いがけずこれまで描いてきた花の絵に新たな命を吹き込まれたような、
ほんとありがたい時間になりました。


あと、なんだろう。
絵を見てくださる方々の姿も、とても美しく思えたギャラリー。

それは、
ギャラリーのオーナーでこの場所をスタジオとして版画制作を続ける黒木 周さんやそのご家族、
ここを愛する方々のマインドが、この場所を美しく磨いているのではないかと思うのです。

展示設営が終え、当日開場までの時間を使ってご挨拶文を考えていたら、
東日本大震災前に花の絵を描こうと考えたこと、あれこれ思い出したので、
なるべく飾らず言葉にして、ギャラリーの隅っこに貼っておいてみました。

「花さくところ」について

はじめまして、小池アミイゴです。

この度S.A.L galleryからご縁をいただき「花さくところ」という名の展覧会を開催するこになりました。

ボクは普段東京の渋谷区の富ヶ谷という静かな街で、イラストレーションの制作やデザインの仕事をして、時間に余裕あれば好きな絵を描く生活をしています。

花の絵は2009年の1月、食べるために買っておいた菜の花が台所で花を咲かせているのが可笑しくて、描いてみたら「自分らしい」絵に出会えたことから、今も描き続けています。

その年の暮れには息子が生まれたことで、街や人、花への視線に変化が生まれ、「花を描かなくちゃ」って思うことが増えて行きました。

自分にとって花を描くことは人を描くことであり、それは命を扱うようなことでもあるのだろう。そんなことを思い始めた2011年3月11日東日本大震災発災。多くの人が表現することをフリーズさせた中、自分は被災地を歩き、風景や花の絵を描き続けました。それが出来たのは、やはり自分が花の絵を描いていたからだと思います。

2020年、新型コロナで休校となった小学5年の息子との100日間では、息子に「勉強しなさい」と言わねばならぬ自分に対し、『毎日花の絵を描きSNSにポスト』することを義務付けてみました。

交通量が極端に減った東京の街の、春から初夏にかけての息子との濃密な時間。光も空気も美しい街では、やはり花が美しく輝いて見えました。コロナは大変なことだったけど、でも、何が幸せであるか深く考えられた時間を、今は懐かしく思います。

時を遡って2008年12月末。ボクは初めて都城を訪れました。

セツモードセミナーで一緒に絵を学んだ仲間、玉利くんがこの街で亡くなったと聞いたからです。

福岡から高速バスで都城まで。そこから歩いて西都城駅、さらに川を土手沿いに遡って、S.A.Lに程近い玉利さんのご実家まで。

初めましての風景を眺め、冷たい空気を吸って吐いて、色んなことを考えながら辿り着いた彼のアトリエで、玉利くんが描いた懐かしいチューリップの花の絵に再会しました。

2009年1月、福岡に滞在していたボクは、東京でお世話になっていた友人が末期の癌であるとの連絡をもらいました。「どうしたものか」と思いながら東京に戻ると、食べようとして買っておいた菜の花が咲いていて、ボクは2枚の菜の花の絵を描き、1枚を友人の家族に贈りました。


こんな文章を書き終えて、
ああそうだったなと思って。

いろんな人の顔が浮かんで。

そうか、今自分はここにいるんだと。


2008年12月の都城は、
いつか沈んでしまうのではと感じた場所でした。

今回そんな話をすると、
ある方は「大変だった」と、
ある方は「そんなことない、ずっと元気だったよ」と。

2008年はリーマンショックの年ですね。
自分の故郷、群馬県の前橋の街が寂れて沈没しそうだったことに心痛めていた目は、
自然とネガティブなものをキャッチしていたのかもしれません。

それでもボクが乗ったバスが到着したあたり、
バブル期前後の都城がドンと打ち出した「あらたな街」の20年後の姿は、
道に迷い続け、疲れ、ただ立ち尽くすしかない人のようでした。

今回、まさにそのエリアがあらたな力を得て再起している姿に出会うことが出来て、
これは日本の社会の希望だなあ〜と。

2008年に寂れてなんの建物かも想像できなかった、元ショッピングモールは、
立派な図書館として再生され、若者やお年寄りの第三の居場所として活躍していました。

いや、すごい図書館だなあ〜〜
一言では語れない魅力が詰まった場所だけど、ともかく本に手が伸びる場所。
そして居心地が良い場所。

館長さんに伺うと、
この図書館ができてから8年、子どもたちの様子が明らかにポジティブなものに変わったって。

いや、箱を作っただけではそんなことは叶わない。
やっぱ関わる人の在り方がこの図書館なんだろうなと、ここに関わる方と交わす朗らかな会話から実感。


そういや都城市、ここしばらくふるさと納税で得た寄付額日本1位だったんだって。。

2008年、ボクが寂しいと感じてしまった都城だけど、
そこで危機感を持って行動に移した人は確かにあって、今の都城がある。

これは、日本の他のエリアでも頑張ってやれることだろうけど、
「こっちを見て!」と人を振り返らせるアピール力は九州ならでは、
都城ならではなんだろうなと。

東日本の被災エリアの方々や、故郷群馬のあり方など振り返って思ったりもします。

でも、その違いがこそが日本の社会の多様な魅力であると感じるボクは、
それぞれのエリアらしさが発揮される場所創りを地道に取り組んでいるような人を、
たはり地道に応援してゆきたいぜ。

今回は展覧会だけでなく、S.AL.galleryでの大人ワークショップを開催。
さらには昨年知り合った宮崎市在住で図書館司書や絵本専門士を務める佐藤さんの計らいで、
都城を中心に宮崎市や熊本の益城町まで赴き、
子どもワークショップや大人ワークショップ、学校会での講演会や地域のお話会、
イオンモールでのぬり絵似顔絵なんてことまでビッシリと組み込んでもらいました。

おかげさまで、自分の勝手な見た目では得られる宮崎や都城や益城町の魅力を、
子どもたちと接するからこそののリアルさで感じられました。
また、子どもたちを見守る方々との会話から、今の社会で必要とされるこに気づくことも多く、
とても意義のある、絵の具まみれのハードワークの11日間になりました。

うん。これは良い未来を創れそうだ!

しかし、絵の具を何度買い足しては、絞り切られてしまったことか…
しょうがない、みんなまた元気で会おう!

 

175ヶ月め

2025 年 10 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から5,328日
761週と1日
14年7ヶ月
175回目の11日です。

アップした絵は、9月23~26日で初めて滞在した韓国ソウルの仁徳大学での、イラストレーターで長岡造形大学の准教授でもある御法川哲郎さんのワークショップで作成したもの。

日韓国交正常化60周年にあたり仁徳大学が協働しソウル市庁が主催の『SDGs がテーマとした韓日のコンテンツアート交流展覧会』にお声かけいただき作品出品。
日本から招聘された4組の作家のひとりとして、現場でのスピーチを求められての訪韓となりました。


SDGsをテーマとしたポストターを作成する御法川さんのワークショップ。
シンプルで余白のある投げかけに、集まった学生が真摯に答える姿が美しくて、
じゃあ自分は何が出来るのだろうか?と考え、

ともするとデカい話になってしまいがちなSDGsだけど、
自分はここに集まっているみんなに向けたビジュアルを作ってみることに。

じゃあSDGsの17の目標の中から何を選ぶか?
ということで10番「人や国の不平等をなくそう」をチョイス。

ここに集まっているみんなに向けたビジュアル作成だとまずは「韓日」だなと。

スマホでGoogleマップを見てみたら、
あれ?韓国はこれくらいの大きさなんだ〜。と、
あらたねて確認した韓国のサイズが、日本の国土と比べて思ってた以上に小さいことに驚く。

が、自分はここに集まっている学生をリスペクトしてるなあ〜。
人に対するリスペクトは、国土のサイズに比例しないなあ〜。
なんていう中学生くらいの思考を働かせていたら、
「韓国の日本を同じくらいのサイズで描いてみたら面白いだろう」と思いついたのです。

で、まずは構図を意識しながら左手のフリーハンドで二つの国を描いて。

次にその絵を右手でトレースし構図や線を整える。
(教室の窓ガラスが丈夫だったので、窓ガラストレースしたです)

その線が教室内や窓からの風景にマッチするまでその作業を繰り返す。

というのが楽しかったんですよ〜〜〜

この楽しさはどこから来てるんだろ?


今回日本から招聘されたのは、
イラストレーターで日本側学芸員チーフとしての三浦 均さん。
御法川 哲郎、デザイナーでアートディレクターでもある小熊千佳子さんと、
穏やかに熱い方々で、気持ちよく同行させていただいた感じ。

何より、キム・グァンマン仁徳大学総長と、サン・ビョンイル教授のご厚意のもと、
通訳に奔走してくださったチャン・ファソプさん始め多くのサポートを頂いての、
快適なソウルの4日間でした。


そんなソウルは、高度に、そして高密度に都市化されていて圧巻でした。

通訳の方々がボクの韓国の今に対する質問に実にオープンに答えてくれたことで、
『東京のパラレルワールドとしての東アジアの都市』みたいなことじゃなく、
大陸であり半島でもある韓国の首都ソウルというものを、言語化と肌感同時で感じられました。


もちろん心地よさだけでなく、
ソウルとしての、もしくは国としての課題なんてものにも気づきます。

その気づきは、あらためて日本の社会を考えるきっかけになります。


東京羽田から福岡に行くくらいの時間で行けるソウル。

ありゃ〜、こりゃなんで今まで来たことなかったんだろう?と。

4日でインプットされた情報が多すぎて、今はまだうまくまとめられないけれど、
明確に言えることは「思ってたん以上に愛しいなあ〜〜!!」です。

猛烈に働いて、猛烈に学んで、高度なコンテンツ産業を育て、でも子供っぽくなく、
アート対する造詣が深く、ガッツリメシを食ってまた働くソウルの人たち。
格差や孤独、高齢化なんて課題も含めて、これからさらに会話を深めるべき隣人と思います。

滞在4日目、フライトまで時間があったので、
通訳の女性が力説していた「ソウルにはこの川の余白があるから、ソウルの人たちはおかしくならずにいられるんだ」という川、「漢江」を見にゆこうと、御法川さんと江南エリアのホテルから歩き出しました。


広い歩道と街路樹の多さがうれしいです。
車はヒョンデとキアがほとんどで、メルセデスとBMW、たまにレクサス。
全部セダンで、軽自動車は走っていないんだ〜〜〜、、


企業が行政が効果的に設置しているパブリックアートが気持ち良い。


御法川さんが目指した本屋は、とんでもねえ映えスポットでした。


美味いコーヒーにも出会えました。

そしておじさん2人、
具合悪くなるまで歩いて、
ついにソウルの美しい余白と出会う。

ああ、これは人が生かされる景色だなあ〜〜


ボクはこの余白を描かねばならないし、
この川にまた会いにこなければならない。

 

 

 

 

まえばしセッション3

2025 年 9 月 21 日 日曜日


群馬県前橋市のシティープロモーションにまつわるプロジェクトのためのセッション。
前回のセッション2から間をおかず、9月13~15日の連休を使い前橋市全域を取材。

「連休を使い」ということは、引き続き市のコアスタッフもボクも手弁当で活動です。

アップした写真は取材最終日、スタッフとの別れ際のスナップ。

自分が関わるものでこんな笑顔の風景が生まれるんだ〜!と気づいた、
そんの取材ができたんだと思います。

この取材を通してキャッチ出来た群馬県前橋市の魅力は「やさしい余白」

19歳の自分が後ろ脚で砂かけるようにして出た群馬。

それでも当時の前橋は美しく活気に満ちた街でした。
それが経済の波に呑まれ、この街のすべての美しさが失われてしまったような、
そんな喪失感ばかりを感じてしまっていた前橋。

でもそこに暮らす人たちと丁寧に向き合うと、
笑顔のスナップと共に、自分が居ても良いと思えるやさしい余白が見えてきた。

ボクはこれからそれを絵にしてゆくんだけど、
先回りして1枚描いてみました。

取材を共にしてきた人たちとのコミュニケーションが見せてくれる風景。

引き続き大切に描いてゆきます。

取材3DAYsの次の日は別件で2つの取材。

その後、あらためて前橋市のスタッフと振り返り。

そして
セッション3

多様性を抱える前橋の風景、自然や街や人から感じる色というものがありますが、
もっと踏み込んだパーソナルな色に出会いたく、

「忘れられない前橋のたべもの」というテーマでワークショップ。

9名の体に刻まれた色の記憶をお楽しみください。

亡くなった祖母が作ったきんぴらごぼうが忘れられない味です。辛めの味付けと、ごぼうがやわらかくなるまで煮てあったのを覚えています。再現しようと自分でも作ってみましたが、なかなかうまくいきません。
(注_おばあちゃんのキンピラが手の届かないところに行ってしまっているのを表現したそうです)

子供の頃地域のかるた大会や祭りに行くと、必ず登利平のお弁当が出てきて、あの味を食べるたびに懐かしい思い出を感じることができる。魂にきざみ込まれたお弁当です。

「焼肉」=「カルビ」だった若い頃、先輩に連れられて入ったホルモン焼屋で食べたホルモンが、衝撃的だった。

義母の作ったお赤飯が忘れられません。義母はとても料理が上手で、手ぎわ良く、たくさんの種類のご飯を作ってくれました。特に赤飯は実の母もべたぼめするほど!レシピを聞くと「てきとうだから」と言っていました。ですので作り方は不明です。亡くなった今はどう作ったのかもわかりませんが、また食べたいなあと、ふと義母を懐かしく思い出す時があります。義母の笑顔と、ほっこりふんわりもっちり赤飯。美味しい香り、楽しい食卓。

子どもの頃ばあちゃんが、おやつににぎってくれた塩むすび。
米を炊く水の味の記憶。

なかやで食べた「かつむすび・かつ丼」。食べる前はどんな味だか想像できなかったが、食べるとめちゃくちゃおいしかった。

オリオン通りの裏通りにあった小さなやきそば屋。おばあちゃんの焼くこうばしいソースににおい。季節に関係なく出される温かいおばん茶。柱時計の音。テレビもラジオもなく、ただおばあちゃんのやきそばを焼くヘラと鉄板の音だけ、空間も味も最高のごちそうだった。

シノザキの冷やしラーメン。混むから仕事を早く切り上げていく。寡黙なご主人と愛想の良い奥さん。店主の気分で「暑い」と思うと始まる。「涼しくなった」と思うと終わり。6年間で2年間は行った前日に終わっていた。異動しても食べたくなり、行ってみると看板がおろされていた。ネットで検索すると、バイク好きの店主が北海道のツーリング中に交通事故で亡くなっていた。もう2度と味わえない生姜入りの冷やしラーメン。

幼い頃、おばあちゃんが手打ちで打ったうどんが忘れられない味です。生地を踏むのを手伝ったり、機械に入れて麺にしたりする工程も良い思い出です。汁の味はけんちん汁です。

なんか鼻の奥の方がツンとする物語。
そして美味しそうな色した余白がキレイな絵だね〜。

そんなこんなの経験が見せてくれた風景をもうひとつ先回りシェア。

取材を終えた次の日の朝、ボクの前を駆け抜けた学生は自転車を思いっきり立ち漕ぎしていました。

上り坂でもなく向かい風もない街を、自転車立ち漕ぎ。

これは前橋でよく見かける風景です。(他の街ではあまり見かけないってことですね。)

思うに、
前橋の人たちの心にはいつも空っ風が吹いていて、それに向かって「エイ」と立ち漕ぐのだろうかね〜。

++

そんなこんなの言葉や絵のやり取りをしていたら、
取材を共にしたくれた前橋市役所スタッフ(名刺プロジェクトチーム)から
『俺様にも語らせてくれー!まえばし』が届けられたので、
自分が撮影した写真を返歌として添え、ここに掲載してみます。

しゃかりきM.K.さん
市内の取材を通じ、改めて前橋の歴史や景色、魅力を再発見することができました。
職員のみなさんの「とっておきの前橋」エピソードにはどれもその人オンリーの物語があり、あったかい気持ちになりました。アミイゴさんは単に絵を描くのではなく、人やモノの背景を大切に描いているのがわかりました。
より多くの人に伝わるといいなと思っています。

T.O.さん
前橋ってやっぱりおもしろい!というのが率直な感想です。それぞれの思いを感じながらの散策も非常に刺激的なものでした。この土地を離れて過ごしたこともあり、赤城山の雄大さに慰められたことを思い出して、愛おしい気持ちが更に強くなりました。みなさんも*ブラ・ミンゴしませんか?

*ブラ・ミンゴ_高低差好きのアミイゴの取材中の発言が”ブラタモリ的”であったことによる、空想TVプログラム。
Y.F.さん
今回の取材では、久しぶりに赤城山を訪れました。
市役所から見える「いつもの赤城山」も素敵ですが、実際に足を運び、いつもとは違う場所や視点から眺める赤城山、そして前橋の風景には、また違った魅力があることを改めて実感しました。
M.I.さん
2日間、取材に同行させていただきありがとうございました!
アミイゴさんとメンバーの皆さんとご一緒することで新しい発見がたくさんあり、今後の展開がますます楽しみになりました。
FBに載せていただいたねぎ畑の向こうに写る我が家の写真も美し過ぎて息を飲みました。
普段から見慣れた風景ですが、「これぞ故郷!」といった感じでとても新鮮でした。
今回の素敵な御縁に感謝しています。
M.H.さん
前橋の魅力とは何だろうと改めて考えさせられました。
普段の生活すぎて気にも止めていなかった前橋の風景が、
アミイゴさんの画角から見るとこんなにも素敵な場所だったのかと思う体験をさせていただきました。
I.I.さん
今回の取材で、生まれてから結婚するまでずっと前橋で暮らしていても、知らなかった前橋があること、新しい前橋ができていることが感じられてとても嬉しかったです。
特にマチナカは私のイメージと変わっていました。取材途中で出会ったカフェや商店の方々からは、この場所が「大好き」という気持ちが伝わってきて、明るい気持ちになりました。どんなイラストが出来上がるのか本当に楽しみです!

M.K.さん
今回の前橋探しで気づいたのは、探しきれないということ。車から降りて歩いてみるとどんどん新しい顔を見せてくれる。
微動だにしない静けさ、くたびれたような素朴な無表情、飛び跳ねるような躍動。
掴みきれない気まぐれさが、言葉わかんないけどなんだか深い。前橋の楽しみ方を、とうとう知ってしまいました。
M.H.さん
プロジェクトに参加したことで、こどものころからの前橋での思い出が走馬灯のように溢れてきて、特別な感情を味わうことができました。アミイゴさんと食べた「珍さん館」での味わいも一生忘れません!住んでいる高崎も好きだけど、子どものころから訪れている前橋も好きよ。
A.H.さん
この度ふとしたキッカケでプロジェクトに参加してみましたが、まず驚いたのはアミイゴさんのきさくなお人柄でした♪
初回から妙な親近感を覚え、みんなが一気にリラックスして楽しい雰囲気になったのを覚えています。
みんなの思い出の風景を巡るツアーでは、アミイゴさんの繊細な感性にも触れることが出来ました。
この体験から創作される一人ひとりに響く作品になることでしょう。今から完成が待ち遠しいです。

T.Y.さん
アミイゴさんと訪れた各所は懐かしくもありつつ、今の姿を見せてくれました。
よく通る道をほんの少し入るだけで、こんな姿が見れたんだと感心。
アミイゴさんの視点で語られる言葉・みんなから発する言葉と過ごしたその場は楽しかったです。
三日間参加したかったと思ったほど。

今まで見られなかった、見てこなかった景色を見ることができました。

絶対的に誇れるのが自然の多さ、空気の良さ。
高校を卒業して2度と戻らないと誓って上京した時もそれは誇れる好きなところでした。

結局は三年数ヶ月離れただけで、人生の半分以上をどっぷりつかっている前橋。

距離感が絶妙だなと。
人と人、自然と人、繁華街と住環境とか。
東京に行くと疲れてしまう。
適度な距離感、余白があるのだ。
余白はのりしろで伸びしろでもあるかと。
お互いののりしろを繋ぎ合わせて
広がっていける。

そんな余白があるのが前橋かと。
ふっと緩められる余裕があるのがここの良さかと。

それに気付かせてくださったアミイゴさんに感謝です。
私の名刺はあと7枚。
次はアミイゴさんの名刺を使う気満々です!完成を楽しみにしております!!

イケおじT.Y.さん

9月半ばの三連休。
前橋のすみずみを歩き、語り、見つめ続けた三日間は、あまりに濃く、あまりに深く、ひとつの小さな旅のようでした。
いや、旅というより、まるで日本中を巡ったかのような広がりを感じたのです。

生まれ育ち、暮らし続けてきたこの町が、角度を変えればこれほどまでに違う表情を魅せるとは。
その発見は、アミイゴさんと共に歩んでくれた仲間の声や笑顔の積み重ねによるもの。
そのひとつひとつに心から感謝しています。
前橋の「らしさ」に触れられたのは、まさに皆さんのおかげでした。

そして耳に残るのは、《まえばしプレイリスト by 小池ソウル》。
その旋律は、この三日間の記憶をやさしく呼び覚まし、未来の自分へと届けてくれるでしょう――。

なんだよ、みんな、、
俺を泣かせたって世界はちっともよくならんぜ…
この優しく温かな言葉たち、前橋のみなさんに届けてゆこう!

最後に、
この取材を通して「ふと聞きたくなった曲」
Apple Musicで「まえばしプレイリスト」としてシェアしています。

「夏なんです」はっぴいえんど

「生まれた街で」荒井由美

「花」藤井 風

「大空で抱きしめて」宇多田ヒカル

「So In Love」カーティス・メイフィールド

「ジェシカ」オールマン・ブラザース・バンド

「Two of Us」ビートルズ

「レット・イット・ブリード」ザ・ローリングストーンズ

「桜の時」aiko

「坂道」折坂悠太

「空も飛べるはず」スピッツ

「硝子の林檎」松田聖子

「愛し愛されて生きるのさ」小沢健二

「甘い運命」UA

「For What It’s Worth」バッファロー・スプリングフィールド

「My Little Town」ポール・サイモン(with アート・ガーファンクル)

「Snow」レッド・ホット・チリペッパーズ

「Sun It Rise」Fleet Foxes

「荒野」baobab

「River」ジョニ・ミッチェル

「365日の紙飛行機」AKB48

「The Final View」Nujabes

「夏の影」Mrs. Green Apple

「Sunday Morning」マルーン5

「オワリのはじまり」かりゆし58

「Summer」久石 譲

2025、暑い夏だったぜ…
そしてボクのハートは熱々のままだ。

などと遠くを見つめてる場合では無く、
ともかく作画、作画、作画っ!
引き続き尽力してまいります。

2025
アミイゴ
Peace!!!

 

174ヶ月め_まえばしセッション2

2025 年 9 月 10 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,298日
756週6日
14年6ヶ月
174回めの11日です。

あの日から14年半後のボクは、
自分が生まれ育った群馬の前橋で、
前橋市役所の職員で構成された15名ほどのチームと、
「まえばし」についてあれこれ考えています。

前回の7月14日のセッション後、
市の職員が描いた『わたしのまえばし』の絵を一枚のポストカードにして、
市役所2,700名の職員に配布しました。

その裏面では、
より多くの「わたしのまえばし」の情報を集めたい考えを伝えています。

そうして集まったアンケートは110件ほど。

『2,700分の110かあ〜』という思いもありつつ、
それは自分の無名性によるものだから仕方ないと。

そもそも大学やコンサルなどの権威の裏付けの無い自分が、
行政とプロジェクトに関われるだけで有難いことであり、
自分のような者は関わる人と膝突き合わせ地道にやってゆくしかないのです。

なんですが!
このアンケートで伝えられた「わたしのまえばし」の1人ひとりの濃厚さ!
観念的に考えられた「良い街」からは感じられない温かな血の流れ、などなど。
これは大変なものを受け取ってしまったぞ!と。

1人ひとりの言葉を自分の体に落とし込もうとメモしていったら、
こんなんなっちゃいました。

これを市の職員のコアグループと解析。
取材のスケジュールを組んだところです。

以前にも書きましたが、
前橋市は2000年代の社会の教科書に「日本の典型的なシャッター商店街」として紹介されました。

郊外の養蚕地帯で育ったボクにとって、憧れの街だった活気ある前橋。
その喪失感は、東日本の津波被害に遭った土地に立った時と似たもので、
失われた30年の中での経済という大津波は、自分に恐怖に似た感情湧き起こすものでした。

そんな時代を生きてこられた100名ほどの「わたしのまえばし」は、設問の投げ方も影響したはずですが、
(ボクはドライな言葉を選んだけど、コアグループはエモーショナルな言葉をチョイスした)
フィジカルな記憶の残る少し過去の前橋を、焦点を定めずふわっと眺めるような視線で捉えた、
やさしい言葉使いで表現されていました。

そこには、自分が感じている喪失感のようなものは無く、
ただ誠実に生きてこられた人の営みが、前橋のあちらこちらに当たり前のように漂っているイメージ。

うん、そりゃそうだよ、
前橋で生きてこられた方には、自分のようにたまに東京から来て嘆いてる場合じゃ無い日常があり、
街のリアリズムに対しやさしさを鎧に前進するしかなかったはず。

もちろん、こんなアンケートに答えてくれる方はそもそも意識の高い方であるわけで、
人としてのしなやかな強さをより感じられるアンケート結果にはなっているはずです。

そんなこんなを踏まえてコアグループでディスカッション。

メンバーからはやはり
「後ろ向き(過去向)の回答が多く、今後のシティープロモーションにどう反映させたらいいか?」
「ふわっとした視点で、お店や建物を特定するものが少ない」
などの懸念が出たんだけど。

その『やさしくふわっとした視線』を、過去方向から未来方向に変えて見たら、
そこにはとても良い社会の風景が見えてこないだろうか?

過去をやさしく捉えた視線が、未来で捉えたくなる店や建物のデザインはどんなだろう?
そんなディスカッションから生まれる街っていいよね〜

前橋という街が、そんな1人ひとりの視線の先で再生される街であったら、
それは世界のトップランナーになりうるんじゃないだろうか。

などなど。

前橋は眼鏡のJINSを創業された田中仁さんが尽力され、
アートを核とした街(まちなかエリア)の再建が進められています。

そのエネルギーに、自分が市の職員と進めているやさしい視線が交差したり並走したり、
そんなことから生まれる街に、とても興味があります。

さらにその視線はアートもまちなかも超え郊外にも、前橋を抱く赤城山エリアにも、
利根川の流れに沿って広大な関東平野にも向かうものです。

その視線が何を捉えられるのか、何を捉えようとするのか。

その解像度をより高くするために、
自分がやることは、これまで取り組んできたイラストレーションやアートというものの発想を活かし、
可能であれば、自分が接するすべての人がアーティストである社会を目指したいぜ。

それは都会的な価値観を身に纏いスノッブな振る舞いを見せるようなことでは無く、
東北の沿岸部で出会ってきた漁師さんの生きる術を言語化してゆくようなことかも。

そして、美しいものを美しいと語れる社会になればいいな思うのです。

さて、
そうしたことを実現させるために、自分は何かしらの絵を描くことを求められるプロジェクトです。

ではどんな視点で見てどんな絵を描けばいいのか?

その責任を重く感じつつ、楽しく見て、多くを語り合い、考え、表現出来るよう、
ああ、やっぱ必要なのはコミュニケーションの現場作り。
引き続き尽力してまいります。

173ヶ月め_花まんごー

2025 年 8 月 12 日 火曜日


今日は2011年3月11日から5,267日
752週3日
14年5ヶ月後
173回めの11日です。

先日沖縄の友人よりマンゴーが届けられ、
そのお礼をFacebookのメッセンジャーを使って伝えようとし、
「まんごー」とタイプしたところで何かを押してしまい、
「まんごー」という名前のFacebookグループが出来てしまったようで、
多くの方から「招待ありがとうございます」とメッセージを頂き、
そしてきっと、それ以上の方にご迷惑をかけてしまったはずです。

まずはお騒がせしてしまったこと、ここにお詫び申し上げます。

そうした私の過ちに対し、
「招待ありがとうございます」と伝えて下さった方の多くが
「何が始まるんでしょうか?」「いっそ何かやってください」などなどのコメントを下さりました。

タイミングが7月20日投票日の参議院議員選挙の直後だったこともあって、
ボクが「まんごー」という名を使って何か考えているんだと期待されたのかもしれません。

そこで、
『みなさんが見たその辺で咲いている花の写真を、なぜその花を見たのかの簡単な説明と一緒にアップしてください』
『それに対してその花の絵を描いて返信します』
という企画を立ててみました。

ここに掲載されている60点の花の絵はこの企画で描いたものです。
(その後ポストされた写真1点はまだ描けていない、、)

ここで1人ひとりの花物語に触れることは避けます。

ただ、日本で「戦争」が語られる季節に、
今年はさらに「80年」というワードが添えられるタイミングで、
見渡せば1945年8月15日以前に生まれた方、戦争体験を語れる方がわずかになっている今、
ボクは花物語を伝えて下さった1人ひとり、その尊さを強く感じ、
こうした1人ひとりの物語が不当に失われてしまわぬためにはどうするべきか?
日々繰り返して考えています。

2011年3月11日から14年半。
自分が生まれたのは1945年8月15日からわずか17年3ヶ月後。
2025年8月から17年3ヶ月前のこと、
昨日のことのように思い出すことの出来るボクです。
(さらに…)

172ヶ月め

2025 年 7 月 11 日 金曜日


今日は2021年3月11日から5,236日
748週
14年4ヶ月
172回目の11日です。

参議院議員選挙投票日が近づき、
あらゆる方向からなんやかやの言葉が飛び交っていますが、
東北各県の候補者の公約を眺めてみると、
「震災復興」のようなワードはあまり語られなくなっているんですね。
ならば石川県は?と調べてみると、
なるほど、今回の参議院議委員選挙の争点は「物価対策」

「生活者の暮らしをいかに守るのか?」という問いに対し、
それを争点とすることで「票」が集まるという思惑の元、
各党各候補施策案を公約にしているのが2025年7月の日本の風景なんでしょう。

そんな今の「雰囲気」に呑まれることなく、しかし引いた位置では見守り、
自分は引き続き能登や東北や、群馬だったり地元のシブヤだったりに思いを寄せ、
政治では出来ない手法で、社会の幸せみたいなものにコミットした活動を重ねようと思います。


昨日は渋谷区地元小学校の5年生ひとクラスと1時間、そして6年生全生徒と1時間、
それぞれ自主性を持った探求学習のマインドにに火を着けるセッションに呼ばれました。

これは渋谷区が先進的に進める探求的学びのカリキュラム「シブヤ未来科」の時間を利用したもの。

5年生は、初夏から初めているバケツを使った米の栽培、から、収穫した米をどうするのか?
経営、商品開発、広報、出版などの視点から考えるというもの。

6年生は、地域の課題にコミットした学びを導き出すための、ごく初期段階のセッション。

旧来の『与えられた課題をひたすら覚え、応用力を高める』という学びでは、
社会に益をもたらすイノベーションは生まれないだろう。そんな危機感から、
『自分で課題を見つけ、自分で考え、自分で解決する道を探る』
そんな人材が育ってくれたらいいなという願いの元に考えられた教育プログラムです。

課題に対して当事者意識を持つことで、自主的な学びの意識が高まる。
そこに旧来の記憶&繰り返し&応用学習も必要に応じて組み込むことで、
バランスのとれた”ぶっ飛んだパーソナリティ”が育つことは、ポジティブなことです。

ボクは、震災以降被災地と呼ばれる場所のデカすぎる課題を前に、
絶えず考続けている人たちに出会いました。

当事者意識を持って絶えず考え、しかし被災された仲間同士の考えを否定することなく、
聞く耳を持ってさらに考えることで、いつかその場所に新鮮な発想を纏った何かが生まれる。

そんなことをたくさん見てきたので、
今を生きている子どもたちにも、ぜひそうあってもらいたいと思うのです。

もちろん、大震災や原発事故のようなものは起こってもらっては困るわけで、
そうした経験が必要というわけでな無いです。

未曾有と言われるような事態に直面しなくても、
たとえば、身の回りの他愛もないと思えることでも、ある人にとっては重大事だったりするので、
やはり日常で聞く耳を持った”ひとり”であることが重要だなあと。

聞く耳を持てるためには、まずは自信が表現することを恐れぬ”ひとり”であるべきです。
(そもそもなんでこんなにも表現を恐れなきゃならないのだ?日本の社会。)

子どもたちとのセッションも、ひとつのテーマに対し、思い浮かぶことなんでもいいからアウトプットしてみる、
ブレインストーミングを内包した簡単なアートセッションを行うところから始めます。

ボクが答えを先回りすることなく、ごく簡単な表現を利用し子どもたちのアウトプットを促すと、
出る、出る。

良きも悪しきも混在した子どもたちの言葉や発想は、
すべて愛しくて楽しくて、アウトプットし尽くした子どもたちの顔はみな湯上がりのように良い顔している。

良い顔出来てることは、心のゆとりをもたらし、
「じゃあ他の人はどんなこと語ったんだろう?」
なんて興味心に火をつけます。

そうして出会う「自分と同じ」だとか、「思いもよらぬ」だとか、
他者への興味が、実は自主性の発火点になることは、
ボクが呼吸をしてきたすべての現場で起こったことです。

今回の5年生も6年生も、大人の求める回答、もしくは「子どもらしい自主性」なんてものに答えようとして、
結果、エクセルやワード、キャンバといった道具を使うことが目的の学びに陥る可能性を感じてしまいました。

が!

そんな容易く「自主性」は芽生えなですよね。
そもそもオトナで自主的な探求が出来てる人って、ほとんど見たことないのにね、、
子どもには安易に求めちゃっていないだろうか?

目的は「自主的な探求的な学びを引き寄せる力を持った人の育成」で良いのだけど、
子どもたちの発想を一度更地に戻してやったり、
1人ひとりまったく別の「自主性の着火口」を一緒に見つける作業こそ、
オトナがコミットする部分じゃないだろうか。

というわけで、この学校で過去にトライしてきた通り、
見晴らしの良い発想の荒野に立つためのブレインストーミング。
そこで大量に吐き出した大量のワードをタイプし、
chatジピティ子ちゃんに食わせてパワーワードを生成。

さあ子どもたち!
AIが考えた凡庸な言葉をなぎ倒し
2025年のこの仲間だからこそ吐けるワードを導き出してくれ!!

アップした絵は、
1人ひとりが思う米の魅力を気持ち良い一本の線で表現したもの。
と、一部自分とのコラボ。 

ネットに転がっている素材を使ってアプリで小綺麗にデザインするより、
おめーら1人ひとりの破壊力は素晴らしいのだ!!

 

「まえばしスケッチ」謝辞

2025 年 7 月 2 日 水曜日


小池アミイゴ・イラストレーション展「まえばしスケッチ」
群馬の前橋の敷島のフリッツ_アートセンターでの5月10日から6月29日まで、50日間の会期を終えました。

まず、設営の際にお手伝い下さった群馬在住のイラストレーター丸山一葉さんと、今回のご縁の元となった2年前の前橋”まちなか”の陶器店「石渡」での展覧会を実現させてくれた石渡さんに感謝申し上げます。

アップした絵は、99枚のスケッチの中で唯一左手で描いた水仙の花の絵。

思い入れ深い前橋を描くことは、気になる風景に出会っては立ち止まり、自分を見つめるような作業。
ファイル名に「50」とある水仙の絵は、制作の折り返しで自分が抱えている「何か」を下すような作業だったかもしれません。

80年前の空襲で失われ、今は「平和町」と呼ばれる場所の、主を失った家の前で咲いていた水仙の花は、自分がこれから向かうべき方を向いてくれていたように思います。

あとの2枚は、
最後から4番目に描いた「県庁前でひとつ咲いていたコスモスの花」

そして最後に描いた「帰りの両毛線の中から見た前橋の街」

どちらも「あ、描きたい絵が描けた!」と思えた2枚です。

「こんな儚さが自分の前橋なのか」という発見と、
「この余白こそボクの愛する前橋なんだ」という確信を得られたことは、これから動き出す前橋での仕事に生かしてゆかねばです。

今回の展覧会では25点の絵がどなた様かの元に旅立ちました。
が、ここにアップした3枚は手元に残っています。

この価値観の余白を埋めるのか、色付けるのか、さらに広げるのか?
答えを急ぐことなく、さらに描く先で答えに出会えたらいいなと思っています。

思いがけず多くの方と出会え、多くの会話が生まれた展覧会。
久しぶりに会うことが出来た友人からは「小池は物静かだった」とか「何を考えているかわからなかった」とか「だいじょうぶかな?と心配していた」とか『あの頃の自』を教えてもらえて、19歳で後ろ足で砂をかけるようにして群馬を離れ、何者でも無い自分を振り回して生きた自分が、何者なのかちょっと確認出来たように思います。(てか、昔の友人が来てくれるんだ〜!)

などという展覧会。
この場と多くの出会いを与えてくださり、お互いの美意識のすり合わせから熱を起こしてくれた、フリッツ_アートセンターの小見さん、ならびにスタッフの皆さんに感謝申し上げます。

自分にとってフリッツでの展覧会は、展覧会というより、みんなで創ったLIVE。
本の森、baobab、エリ・リャオ&ファルコン、水と青、ドロップス、公園のおはなし会などなど、
ご一緒出来て、うれしかったぜ!

そのLIVEのアイをオーに変え LOVEへと育てて下さった、ここで出会ったすべてのみなさん。
愛してます。
ありがとう。

これは始まりの挨拶です。

20250510
20250629
アミイゴPEACE!!

170ヶ月め

2025 年 5 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から5,175日
739週と2日
14年と2ヶ月
170回目の11日です。

今日5月10日から、群馬の前橋の敷島にあるフリッツ・アートセンターでの個展「まえばしスケッチ」が始まりました。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=16456

初日は敷島薔薇園と敷島本の森のお客様が重なり、地方での展覧会にこんなにも人が来てくれるんだ〜!という驚きの1日。
テーマが地元前橋を描いた作品群なので、老若男女多くの方が絵の前で立ち止まり語り合い、さらにはボクに前橋愛を伝えてくれました。

夕方には地元新聞の取材が入ったのですが、
記者とボクとで話が弾み、自分がやっていることはどんなことなのか?を探る会話が4時間。。

それだけ語り合えるだけ、今の前橋は新しく生まれ変わろうとしている。
しかしその前は個人的に「喪失」を感じるほどに寂れてしまっていました。

インタビューの中で、自分が東日本大震災発災直後に東北に弾き飛ばされるようにして向かった理由の中には、前橋という美しき憧憬の街の喪失と東北の太平洋沿岸部の喪失とで何が同じで何が違うのか?そんな探究心もあったのだろうと気がつきました。

震災後の東北を歩いて育った目で、今あらためて見る前橋の街。

そこから生まれた絵に向き合って下さったみなさん1人ひとりが、それぞれの前橋を語ってくれた。

こんなアウトプットがあって、はじめて「より好ましい街」についてのアイデアが生まれるんじゃないかなと。
今回シャカリキになって前橋を描いた意味にあらためて気がついた展覧会初日でした。

「まえばしスケッチ」は6月29日まで。
この期間で前橋に対し貢献出来るとこと探り実践できるよう、
この展覧会をさらなるコミュニケーション場へと育ててゆこうと考えています。

という自分の思惑や理屈は関係なく、
みなさんがこの展覧会を楽しんで頂けることを願っております。

4月17日は能登でのフィールドワーク。

2年前の夏に「なんて見事な田んぼだ!」と感激し、田んぼ仕事してたおじさんにその理由を尋ねた場所は、川になってしまってた。

昨年元旦の地震で土地の隆起と陥没が重なり、川の流れが変わってしまい、田んぼだったところに川が入ってしまったとのこと。

2年前のことはこちらに綴ってあります。
しかし、おじさんが大切に育てた田んぼの土が流された今、田んぼの復活は可能なのだろうか?

この日はこの近所に暮らしている別のおじさんと立ち話。

震災後、一旦はここを離れたが、やっぱり生まれ育ったここがいいから帰ってきた。

「ここはね、きれいなところなんだよ」
「ここ歩いて花を見て、今は飛行機雲が見えてるけど『あれは晴れてるから見えてるんだ』と思うのがね、いいんだよ」
「気持ちが沈んだ時は、ここから海岸線グルっと回ってくると、気持ちが晴れてな」
なんて語ってくれるもんだから、ついハグしちまったぜ。
「でも自然というオバケがきちゃったんだ」
「こんなことは考えたこともなかった」と。
そうか、、
「また元気で会いましょう!」と声かけあって別れました。
その後チャリティ企画のお手伝いをした輪島塗の田谷木地店のたくじさんと合流し、
能登を巡りながら輪島塗の今を伺いました。

農業も輪島塗も自然との共生と人の絆で育まれ保たれてきたこと。
しかし今まさに危機に瀕していることの確認。
それでも希望を感じさせる人の存在があること。
引き続き応援は続けるのは当然として、
じゃあ自分は何を描けば良いのか?
想像力のケツを蹴り上げつつ、 大切なのは理解じゃなくて、まずは認知。
まずは人として当たり前の目を持つこと。
では当たり前とは?
ともかく続けます!

169カ月め

2025 年 4 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から5,145日
735週
14年1ヶ月
169回目の11日です。

3月に開催したボクの個展「東日本」能登の杣径に合わせて行った能登半島地震へのチャリティ、
輪島塗レスキュー「ぬりだくみ」にたくさんのご賛同を頂けたことに感謝します。

輪島の木地屋さん田谷漆器店 桐本拓ニさんが尽力されて来られた輪島塗レスキュー活動を、
3月15日、個展最終日の青山yuiで、
そして16日と17日は地元のパン屋ルヴァンのご協力の元、三日間開催。

16日は「お座敷演芸会」と称し、小唄、落語、紙芝居を楽しみながら、
能登や輪島塗の今を「楽しく」知ることの時間が作れました。

こうしたことは一時的なアクションで終わらすでなく、愚直に続けてゆくことが、
被災の対岸にある者に求められます。

1人ひとり出来ることには限りがある。
しかし、1人ひとり出来る範囲のことを無理なく、可能であれば楽しく続けることは、
ほんと力になるんだから〜!

ということを自分は東日本で学んできました。

もちろん、それで誰も彼も救えるはずは無く、
自身の無力を絶えず自覚し続けなければです。

その自覚の上で、せめて困難な立場にある人への想像力だけは絶やさず、
なんなら想像力の尻を蹴り上げ前に進めさせるようなことは必要と思います。

今回のチャリティを持ちかけてくれた澤村愛さんは、
能を舞い、特別支援学校で紙芝居を上演する方。

先日、今回のチャリティでの輪島塗りの売り上げを報告くださりましたが、
え!?
1,225,000円の売り上げがあり、
被災された職人さんや木地屋さんそれぞれ、

新屋さん68万円

余門さん165000円

田谷さん38万円

と分配されたそうです。

すげーーー!


今回輪島から輪島塗を運んで売ってくれた桐本拓ニさん、
東京に来る直前で右手を骨折。

輪島で長年暮らしてきた家が地震の被害に遭い、
東京に来られる直前に取り壊しになった。
そのの様子を写真に撮りながら色々考えていたらフラッとして倒れ、
腕をつき、、

痛みを我慢しながら東京へ。
「どうやって代々木八幡駅行ったら良いのか」と、
超絶人混みの新宿駅からSOSを投げてきた。

そういや人ってこういうことなんだよなと。
東京の生活に慣れ、いかに東京で颯爽と振る舞えば良いのか実践しちゃっていないか?俺。
なんてことを振り返って考えた、人との出会い。

今回ボクたちは仲間を募り、能登力になれるようにとチャリティを企画し、
想像を超える多くの方のご賛同を得た。

そのこととと同じくらい、
ボクは能登輪島に拓二さんというひとりの友人を得たこと、
これも重要だし、能登をはじめボクたちがこれから生きる社会の希望だと思いました。

2025
0315
0317
PEACE!

ところで展覧会情報をふたつ。


小池アミイゴ個展「まどをあけて」
2025年3月29日(土) – 4月20日(日)

3/29(土)・30(日)・4/20(日) 作家在廊予定
デジタルマガジン「まどをあけて」(ダイハツ)で連載のイラストエッセイ「日本各地、コトづくり旅」に寄せた作品。
旅先で見つけた場所や、そこであたりまえに日常を営む人々の姿をお愉しみください。
古本屋「かえりみち」
〒484-0083 愛知県犬山市犬山東古券661
Tel:090-9749-9895
かえりみちへの推薦経路


絵本「はるのひ」原画展

3月22日(土)〜4月19日(土)
メルヘンハウス2階ギャラリー
10:00~17:00

*お休み_3/28~30、4/6.7.14

アミイゴのアートセッション
◯子どもセッション「覚王山で、はるの美しさを探して、美しいはるの絵を描こう!」】
日時:4月19日(土)10:00~12:00(9:45集合)※雨天決行
メルヘンハウス集合→日泰寺→揚輝荘→メルヘンハウス
参加費:1,000円
小学生〜中学生の子ども10名(大人付き添いウエルカム)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より
題名に「子どもセッション」と記載
メッセージ本文に
①参加するお子さんのお名前
②連絡先電話番号
③参加人数(兄弟、友達など複数の場合)を明記の上、
お申し込みください。なお、お申し込みは先着順となります。
◯トークショー「美しさとはなにか?」
日時:4月19日(土)13:30~15:00
場所:メルヘンハウス2階ギャラリー
参加費:1,000円
参加人数:大人15名(先着順)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より、
題名に「トークショー」と記載
メッセージ本文に
①お名前 ②連絡先電話番号 ③参加人数(友人など複数の場合)を明記の上、お申し込みください。
◯サイン会
日時:4月19日(土)15:00~17:00
場所
メルヘンハウス2階ギャラリー
※サインにつきましては今回の原画展会期中にメルヘンハウスにてご購入された本に限ります。
メルヘンハウス
〒464-0064 愛知県名古屋市千種区山門町1丁目11 1階3号
TEL:052-887-2566

 

168ヶ月め_大船渡へ、能登へ。

2025 年 3 月 11 日 火曜日

今日は2011年3月11日から5,114日
730週4日
14年
168回目の11日です。

あの日から14年を振り返るどころではなく、
大船渡の山林火災で大変な思いをされている方への想像力を働かせる今です。

自分が東京で出会った大船渡出身の友人は、東日本大震災の津波でご実家が被害に遭い、いつか大船渡の力になれることを願い東京で働き、満を持して故郷にUターン。その後ご結婚されお子さんが生まれて今回の山林火災。
高台移転された家から小さなお子さんを連れて避難所に避難しているところで連絡が付きました。

避難解除が出て帰ってみるとご実家は無事だったとのことですが、沿岸部で被災され高台に移転された方の少なからずが大きな被害に遭っていることに、行き場の無い悲しみを感じてしまっているとのこと。

被災の対岸に暮らす自分ですが、あの日から14年経ってもまだまだやれること、やるべきことばかりだなと。
引き続き東北に心寄せてまいります。

アップした絵は2021年にフィールドワークした大船渡の風景。
「高台」と言われる場所にお家が何軒か並び、そこから見えるリアスの海では牡蠣の養殖の筏が並び、ボクの足元ではたくさんのフランスギクの白い花が太平洋からの風に揺れていました。
*その時のことはこちらに記しています> https://www.daihatsu.co.jp/lyu_action/book/no03/madowoakete03/

この美しい場所は被害に遭っていないだろうか?
時を見て、また足を運んでみるつもりでいます。

大船渡のみなさま、まずはご健康であられますよう心よりお祈り申し上げます。

自分は今「東日本_能登の杣径」と名付けた個展を開催中です。

昨年の元旦に発生した能登半島地震と9月の豪雨、その被害の深刻さに触れ、無力感に首まで浸かるも。それ以前に出会った豊かな能登への恋心のようなものにフォーカスし、描いた絵を展示しています。

連日足を運んで下さる方と能登にまつわる会話を重ね、描いた絵を指差し「この場所にはこんな思い出がある」とか、「ここにはこんな花が咲いていた」とか、「ここで会った人と見たものは」などなど、それは拙い経験でしかないのだけど、自分なりの「能登物語」をシェアする展覧会になっています。

言葉で伝えきれぬ能登の魅力を人に伝えられる、もしくは、言葉にしづらかったことを一枚の絵があるからこそ言葉できる、それは結局とてもイラストレーション的なことなんだろうな。

そんな絵1枚1枚をなぜ自分は描いたのか?

風景でも、花の絵でも、人の姿でも、自分の中の何かが共鳴して「描きたい!」と思うわけなんだけど、その「自分の中の何か」とはなんだろう?

何かを見るということは、実はそのほとんどすべては「自分に都合の良いものだけ」を選んで見ていたりするんだろうなと。
私たちは日々「見ているようで見ていない」と「見るとも無く見ている」繰り返して生きているはずで、そんな「見る」が「描きたい!」になる瞬間、自分の中の何と共鳴しているんだろう?

「都合の良いものだけ」を「生きるに足るものだけ」と置き換えると、より自分のやっていることに近づいた表現になるはずだけど、自分の場合は「描きたい!」から行き先を決めず描き始め、描きながら自分の中に埋まっているものと会話し、ある瞬間自分の中の何かと接続した瞬間、絵が完成するって感じです。

じゃあ「自分の中の何か」とはなんだろう?
それは子供の頃の穏やかな記憶だったり、ある時受けた心の痛みだったり、人を傷つけてしまった後悔だったり、息子が生まれてからしばらくの凪のような日々の記憶だったり、、
今なら、東日本大震災の被災地で出会ったことも、たとえば能登の風景をボクに見せてくれるスイッチになっているはず。

ただ、自分が描いた1枚の絵が、実際は自分の中のどんな記憶と接続しているのかは分からず。
なんだけど、でも確かに過去の何かとは接続している実感のある絵は、「分からない」からこそ答えを出すことの無い揺らぎを抱えたまま、自分と絵に向き合って下さる方との間に、優しく誠実な会話が出来る余白を作ってくれ、ボクはお客様と能登について、大船渡について、東日本について、時間が許す限り会話を続けられています。

このことは、自分の命が続く限り止まることはないだろうし、止めるつもりのないのです。

2枚目にアップした絵は、2017年5月に会津で出会った風景。

会津は自分が知る限り日本でも最も美しい光に出会える場所。
それを描くのはとても大変なことで、この風景を自分は何度も描いてきました。

東日本大震災の痛ましい被害の現場を歩き、そのリアルを自分の中に刻み込む作業の隣には、
描くべき美しいものとの出会いもあり、そのポジティブなマインドこそ、息子たち世代に渡してゆきたいものだと考える今です。

小池アミイゴ個展 東日本「能登の杣径」@青山space yui
2025年3月6日(木) – 15日(土) *休_9日(日)
12:00~19:00 *最終日~17:00マデ
space yui
〒107-0062 東京都 港区 南青山 3-4-11ハヤカワビル1階
TEL : 03-3479-5889