‘SOUL’ カテゴリーのアーカイブ

185ヶ月め_LOVE KUMAMOTO

2026 年 8 月 11 日 火曜日

今日は2011年3月11日から5,632日
804週4日
15年5ヶ月
185回目の11日です。

そして7月28日に発災した熊本地震から13日目

熊本地震により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今困難な状況にあられる方々、どうぞご無事でありますよう。
何人も顔が浮かぶ熊本の友人のみなさん、元気で再会できることを願っています。

自分はこれまでそうだったように、ただ熊本に心寄せて参ります。

地震発災直後にSNSにアップした”LOVE KUMAMOTO”の画像を
こちらにも掲載しました。

使い道がある方はご自由にお使いください。

この画像を使って印刷したポストカード2000枚は、
希望される方に配布を終え、あと500枚ほど手元に残っています。

こちら必要とされる方があれば発送しますので、
コメント欄にご希望を伝えてください。

15年前に起きた東日本大震災からこのような活動を続けていますが、
こうした活動が自己表現のようにならぬよう気をつけています。

なので、この画像の使い方に意見することはいたしません。
(自分が主催する現場で使用する際は、デザイン的クオリティを求めますが、、)

以下、
10年前の熊本地震発災から3ヶ月後に熊本で開催した子どもたちに向けてのワークショップで気がついたこと。

10年前の7月30日、熊本地震発災から3ヶ月半後の写真。
震災を経験した子どもたちが何を考え思うのか気がついたワークショップの時のものです。
東日本大震災のご縁活動で知り合った熊本のコミュニティーから、「熊本地震へのチャリティーバザーを行うので、そこで子どもたちが心を解放できるワークショップを開催してくれ」との依頼がありました。
市内の商業施設のワンフロアーでチャリティーバザー、そこから壁を隔てた一室で子どもたちと大きな絵を描くワークショップ。
そこに参加してくれた1人の女の子(小二くらいで、やはり小学生のお姉ちゃんと参加)が、ボクのワークショップ史上サイコーに反抗。
キャンバスの上での反抗は大好物なので、がっつり向き合うのですが、そもそも自分の言葉も受け付けない感じで、その暴力的に絵筆をぶん回す振る舞いが、周りの子どもたちにとっても危険な感じになっていた。
だけど、震災直後で爆発させたい気持ちもあるんだろうと、安全を担保しながらも、彼女のやりたい放題に付き合った。
キャンバスの上での破壊行動がひと息した?と思ったら、鷲掴みしたチューブから絵の具をドバドバとパレットへ。すかさず「いいねー!」とボク。
するとキッ!とボクを睨み、絵の具ドバドバのパレットをキャンバスに叩きつけ、足で踏みつけグリグリとやりだした。
うわ、すげー!と思いながらも、負けてられないと思って「もっとやらなきゃ!」と。
で、ついにパレットが破れ始めて、、そこまでやるとパレットをキャンバスから外す。
そこにはめちゃくちゃ鮮烈な色彩の絵の具のシミができてて、つい「おめーの踏んだあと、キレイだなー!」と。
すると、一瞬ニッと笑い、お母さんたちがバザーをやってる方に走っていってしまった。
すげー子だったなあ〜。なんて思いつつ、参加した子どもたちの少なからずが、家が倒壊したような環境から来ていたことを後から知る。
で、その夜。
バザー主催の方々は歌のコミュニティでもあったので、チャリティーコンサートを開催。
その現場でチャリティー募金のカゴを持って満面の笑みを振り撒きお客様にドネーションを求めていたのがその女の子。
「これはどういうことか?」と思い、小学生女子の気持ちになって考え「そうか」と。
3ヶ月前に大きな地震があって、わたしは怖い思いをした。
だけど、お父さんもお母さんもわたしを守ってくれた。
今日は地震で苦しんでいる人を助けるため、お母さんたちがチャリティーを開く。
(お母さんもお父さんもみんなも、まだ大変なのに)
そうしたら、私たち子どもはとなりで絵を描いてくれと言われた。
わたしもお母さんたちを手伝ってみんなの力になりたいのに、、
隣の部屋に行くと変なおじさんがいて、イヤだなと思った。
わたしは絵を描いて遊んでる場合じゃないんだ!

東日本大震災発災から1年後の気仙沼で、大漁旗に絵を描こう!というワークショップを頼まれた。
そこに参加した姉妹が、それはそれは美しい絵を描いて、キミたちすごいねー!なんて声をかけたら、それまで穏やかな顔でキラキラした絵を描いていた小学生が、急に怒ったような表情になり、絵の具をドバドバ出して、ブッ太い筆で「復興するぞ!」と殴り書きした。
そうか、彼女たちはキラキラ心を解放することと、大人たちが頑張っていることの間で揺れているんだ。
ボクがワークショップを頼まれるのは、子どもたちの心を揉みほぐし解放させてあげたいという親御さんの気持ちによることが大きいです。
しかし、子どもたちは保護者である親の姿を見つめ、今自分はどんな振る舞いをしたら良いのか、必死で考えているんだな〜と。
あらためて5年前の熊本。
ひとつ正解があるとしたら、振り向くと親御さんの姿が見える状況で絵を描ける現場にすればよかった。
子どもたちも必死で震災と闘っている。
そんな中、みんなで絵を描くことになった。
そんな遊んでる場合じゃない、イヤだなと思うが、絵を描き始めて振り返ると、お母さんが笑顔を返してくれた。
お母さんの笑顔にちょっと救われた気がする。

もう一枚の写真は、この前日に熊本市内の友人のレストランで行ったワークショップのもの。
こちらは親御さんが見守る環境で行った。
熊本の素晴らしい仲間のおかげで子どもたちから得た学びは、その後の活動で生かし続けています。
熊本、時が来たらまた子どもたちと思いっきり遊べる時間を作りましょう!!
ボクの経験では、日本で最も子どもたちからキラキラした色彩が溢れる土地なんです。

184ヶ月め_8月15日「台湾-猪苗代 山岳音楽会」開催

2026 年 7 月 8 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,601日
800週と1日
15年4ヶ月
184回めの11日です。

2026年8月15日に、福島県の猪苗代にある「はじまりの美術館」で音楽会を開催します。

ボクは日本各地で音楽のイベントやワークショップや展覧会を創ってきましたが、
東日本大震災発災後の東北で音楽イベントを開催するのは初めて。

ボクには福島に、東北に、届けたい唄があるんだけど、
それを届けるために必要なことを重ねていったら15年経ってしまいました。

15年経ってしまったけれど、自分の思いをぶん回すことなく、主役はここに集まる全ての人と考え、
緩やかだけど、熱い時間を創ります。

*エリ・リャオが歌うハルカストリングス「常磐炭坑節」
https://youtu.be/Tb8s1fMlLek?si=dkOGKdVH1bDLsHfj
福島のみなさんに聞いて聞いてもらわねばっ!


唄とお話しで綴る音楽旅 

台湾-猪苗代山岳音楽会
2026年8月15日(土)
17:00〜19:30に磐梯山の花火が上がるまで。
■出演

・エリ・リャオ
・ファルコン
・小池アミイゴ

 

■料金
・大人 3,000円(別途 展覧会観覧料800円
 ※お得な年間パスポート1,500円もございます。)
・高校生以下 1,000円
・未就学児 無料 泣き放題

■定員 30名(要予約)

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*同時開催:
 小池アミイゴのギャラリートークと絵本読み語り

2026年8月15日(土)16:00〜17:00(展覧会観覧料のみで参加可能)

展示中の作品についての質問に答えたり、
発刊から10年の絵本「とうだい」や、日本絵本賞受賞の「はるのひ」など、
福島をはじめ東北の風景をモチーフとした作品を読み語ります。
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主催:小池アミイゴ、社会福祉法人安積愛育園はじまりの美術館
企画:小池アミイゴ
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■出演者紹介


エリ・リャオ Eri Liao(唄)
台湾の原住民族タイヤル族であり、小池アミイゴが「宇多田ヒカルかエリ・リャオだろ!」と推しまくる凄いシンガー。
幼少の頃に台湾から日本へ。東京大学からアメリカのコロンビア大学と遊学する過程でJAZZを歌うことを始めます。
日本に帰ると、国境もジャンル飛び越えた唄、台湾、沖縄、日本、欧米などなど、ポップスから民謡まで、自身のアイデンティティを探るように歌い、その活動の幅を広げています。
今回、彼女が「ハルカストリングス」のシンガーとして録音した「常磐炭坑節」が凄すぎて、「これは福島に届けなくちゃ!」と、はじまりの美術館にお呼びすることにしました。
ファルコン Falcon (guitar)
アコースティックギターの素朴な響きから、エフェクトを駆使した幻想的なサウンドスケープまでを自在に行き来するギタリスト・作曲家。自然や風景をテーマにした楽曲制作、音が風景を映し出すような繊細なアンサンブル、そして即興性を重視した柔軟なスタイルが特徴。
ソロ活動では、オープンチューニングを活かしたオリジナル曲でギターの可能性を追求したアルバム『美しき様々の夢』をリリース。その延長として、自身が作詞・作曲・弦編曲を手がける室内楽プロジェクト「ハルカストリングス」を始動。シンガーのEri Liao、そして飛鳥ストリングス(マレー飛鳥、吉田篤貴、西谷牧人)を迎え、多言語の歌と弦楽器が織りなすフォークロアな世界観を表現したアルバム『風の中の夢』を発表している。
活動の幅は広く、多様なジャンルのミュージシャンとのセッションにとどまらず、民謡、朗読、ダンスといった他ジャンルの表現とも深く関わる。舞台作品では、越後妻有大地の芸術祭「Fil de Cocon〜夏の夜をつむぐ糸」、KAAT神奈川芸術劇場「銀河鉄道の夜」、日生劇場「ひなたと月の姫」に音楽で参加。さらに、Eri Liao+残歌での韓国・台湾ツアー、花鳥風月(カルメン・マキ、佐藤正治とのトリオ)での上海公演、KOKIA中国ツアーなど、アジア各地での公演にも多数参加し、国内外でジャンルを越えた幅広い音楽活動を展開している。
小池アミイゴ
昨年群馬の前橋のフリッツアートセンターでエリ・リャオ&ファルコンと披露した、唄にまつわる絵本の原作「うたうーさん」を再現上演します。観覧される方は心のヤケドに注意です。
※イベントに参加ご希望の方
電話( 0242-62-3454 )またはメール( otoiawase@hajimari-ac.com )にてはじまりの美術館までお申し込みください。
・メールの場合
1、お名前(よみがな)
2、メールアドレス
3、携帯電話番号(当日連絡先)
4、参加される方の人数(お子様が参加される際は、年齢をご記入ください。)
5、参加希望のイベント日時とイベント名
6、お住まいの都道府県
※定員になり次第、締め切らせていただきます。
※申し込み時にご記入いただいた個人情報はイベント実施のために使用し、それ以外の目的で使用することはありません。

*小池アミイゴの飯館村スケッチとエリ・リャオが歌うハルカストリングスの「美しき様々の夢」
https://youtu.be/6M5KravBN4w?si=lzzm_U7dl1LkUtPh

 

*小池アミイゴiPhone撮影編集の「夢は止み 過ぎゆく 春のかけら 」のMV
https://youtu.be/HGDDPFEMFcQ
 
◯はじまりの美術館で開催中の展覧会
「コトコトジャーニー」
2026年4月25日(土)〜8月31日(月)
※火曜休館
※8月11日(火)は祝日のため開館、8月12日(水)は振替休館
開館時間:10:00〜18:00
出展作家:
小池アミイゴ、齋藤勝利、高橋彩子、西澤彰、横溝さやか、若木くるみ
主催:社会福祉法人安積愛育園 はじまりの美術館

 

観覧料:一般800 円、高校生以下無料、
障がい者手帳をお持ちの方および付添いの方(1名まで) 無料
※お得な年間パスポートは1500円で販売

はじまりの美術館
〒969-3122福島県耶麻郡猪苗代町新町4873
TEL_ 0242-62-3454(火曜休館)
E-mail_ otoiawase@hajimari-ac.com
 http://www.hajimari-ac.com/
アクセス:
猪苗代駅より徒歩25分、タクシーで5分。
JR猪苗代駅前の観光案内所にてレンタサイクル「いなちゃり」貸し出し中。
猪苗代磐梯高原ICより車で一般道12分。
駐車場は美術館西側に15台。手打ちそば「しおや蔵」共用。
バス_JR猪苗代駅バス乗り場より、裏磐梯方面行きまたは中ノ沢方面行きの会津バスに乗車
→「バスセンター」下車(徒歩3分)。
はじまりの美術館にはじめてお越しいただく方は、こちらもご覧ください
https://hajimari-ac.com/news/detail/13327/

183ヶ月め_福島_群馬_東京でのワークショップ

2026 年 6 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から5,571日
795週6日
15年3ヶ月
183回めの11日です。

ここ1ヶ月は多くの方と一緒に絵を描きました。

5月16日は群馬の前橋の「敷島。本の森」でのスケッチーワークショップ。

前橋市と行う子どもアートプロジェクトを進める上で、ちょっとでも賛同してくれる仲間がみつかればいいなと願いつつ、
そもそも前橋のみなさんはどんな色を持っているのか?という興味の元、オープンな語らいと表現の場作りをしました。

どんな進め方をしたかは、テキストにしちゃうと野暮になるので割愛しますが、1人ひとりのマインドを揉みほぐし、1人ひとりの「その人らしさ」を手がかりに描かれた絵はみんな美しかったです。


ひとり何枚も描く小学1年生がいましたが、
最初強い色彩で描いていたのを、後から白い絵の具で修正した絵が、まさに前橋の色!

強い日差しと強い北風の土地で、ハレーションを起こしたような色彩。
それをこんなにもポジティブなものだと思わせてくれるなんて…

ボクのアートセッションは、
人になにか与えるでなく、共に気づき、学ぶ場なんだと思います。

そして、ボクは子どもからも多くを学ぶのです。

こんな1日の中で、自分も自分で「すきだな」と思える絵が描けたのもうれしい。

今後前橋市で何をやれば良いのか、かなり解像度の上がったセッションとなりました。
やること多すぎでみなさんの写真撮ってる暇なかったが。


何より、
この余白だらけの「敷島。本の森」という企画の素晴らしさ!

地域作りは足し算より引き算が重要なんだと実感しました。

5月23日は今「トコトコジャーニー」という企画展に参加している、福島の猪苗代のはじまりの美術館で「まえばしスケッチワークショップ」

おもいがけず多くの参加をいただき、
「じゃあみんなが求めているものはなんだろう?」なんて興味からセッションを始めたら、
街を歩くより、1人ひとりが気持ち良いと思える絵を描くことに終始。


子どもからシルバー世代まで、福島の会津地方を中心に他県など遠くからの参加者も多かったセッションでは、やはり多様性のある絵に出会うことが出来ました。

そしてやはり、会津の方は会津の色をもっているなあ〜と。

今回もやること多くて個別に写真を撮る暇なかったが、、
ともかく、光あふれる場所会津、そこから人がえるものの豊かさを感じたセッション。

震災から15年めの初夏、さらに福島から学ぶことは増えているなあ〜。

穏やかにセッションを終えた後、
はじまりの美術館のボクの絵が展示されているスペースでは、参加者の男の子が思いっきりくつろぐ姿。

「美術館でくつろぐ」
こんな風景に出会えるのもまた、震災と原発事故を受け「人間にとって必要なことはなんだろう?」と考え続けた福島の人たちの知恵の姿なんだと思います。

障がいを持つ人の表現に対してのリスペクトを、人間同士の当たり前に更新させている場所で、ボクは障がいを持つ作家さんと対等にみなされ、この場所に絵を展示し豊かな時間を得た。

2011年3月11日の夜の暗闇の中でぼんやり思い描いた風景が、ここで実現している。

初めて会津に来たのが2016年3月。
まだまだ緊迫した気持ちのままでいたボクは、凍てつくようにそこに立つ磐梯山を見て、凍てつくような色で描いた。

あれから10年、ボクは優しい色彩の磐梯山を見ることが出来ている。

次の日ははじまりの美術館の学芸員さんに案内していただき田んぼ見学。


農業法人を起こしたグループが、猪苗代一帯の田植え代行を行っていました。

ともかく広い田んぼに対し、大型の田植え機でテキパキと植えられる苗。
超高齢化の米作りの現実に対し、若い人たちの発想と行動力、なにより米に対する思いに出会えたこと。
これは絵でお返してしてゆかねばです。

そして帰りがけに見た猪苗代湖の穏やかな水面。

人はどう生きるべきなのか。
山を見て、水を見て、雪に覆われた冬に熟考し、雪溶けと共に動き出す。
そんな会津の知恵に触れた時間でした。

はじまりの美術館での「コトコトジャーニー」は8月31日まで。
会期中もう一度なにか出来たらいいな。

5月31日には、青山のSHOZO COFFEE TOKYO で絵の部活が、
「美しいってなんだろう?」というテーマの元始まりました。


始まったと言いつつ、実は応募者がちょっと多くて、2部に分けた簡易版の体験会。

なんだけど、人の表現に向き合うことを2セット連続でやると、ドカンと疲れ…
家に戻ったら寝倒れました。

にしても、土曜か日曜の朝9時からのセッション。
新鮮だったなあ〜。


この日もまったく写真を撮影する余裕なく、、
しかし、コーヒーの香りのする美しく整った場所での小さなセッションの可能性はとても大きく。

まずは半年間、向き合う1人ひとりに対するリスペクトを基本に、できる限りオープンな会話の元、美しいとはどんなことか?
「美しい」に関しては、ひとつSHOZOが答えを出してくれているので、では1人ひとりの創造の矢印をどこに向け、何を見て、何を捉え、どんなアウトプットするのか。
みんなと探ってゆけたらです。

6月6日は群馬の前橋の敷島の新しい場所。JINS PARK で、県内の福祉施設が集まったマルシェで「なにかやって」と。
会場にフィットするワークショップとして「ぬり絵似顔絵」をやりました。

ボクが似顔絵を描き、描かれた人が自分で色を塗るワークショップ。

だけど、希望される方はボクが色を塗っちゃいます。

で、何十人描いただろうか。
この日はほぼ写真を撮れたのだけど、一部ご紹介。

自分んで色を塗った子どもたち、
やはり群馬らしい色彩を持っていると実感しました。

この「その土地らしさ」は、AIの時代に生きる上でとても重要な資質になると考えます。

こうやって心の蓋を開けるお手伝いをする限り、子どもたちは素晴らしい表現を見せてくれる。

ただ、
ボクの故郷群馬、「それ」をあとちょっとだけ更新させたら、子どもたちの可能性をもっと広げられるはず。
という「それ」の課題も感じたセッションでした。


「それ」を今ここで言語化して伝えても何も変わらず。
今後前橋市で重ねてゆく子どもたちとのアートプロジェクトで、まずは目に見えるものを作り、共感を広げた上でl、確かな言語化に繋げるようやってみます。

だって、この子どもたちの色を見せられたら、大人だって我慢できないぜ!

ところで、
JINS PARKでは、2月14日に道の駅まえばし赤城のQuで開催したワークショップで生まれた10メートルの絵を展示してもらいました。(6月15日くらいまで展示予定)


自分のワークショップ史上最高にHipな絵。

群馬の可能性、これ見たら実感出来るはず。

ということで、秋には国際芸術祭が投下される前橋で、自分の役割は地面から生えてくるようなものをしっかりと育ててゆくことだぜ。

で、6月7日は現在の地元、渋谷区富ヶ谷上原エリアの子どもたちを対象としてスケッチ教室。
渋谷区の組織である青少年対策上原地区委員会(物々しい名称だけど、地域の子供好きのおっちゃんおばちゃんの組織だね)主催で、やはり渋谷区が進めているフランスのパリの「隣人祭」を真似たイベント「おとなりサンデー」の時間を使って、地域の学校や町会も連携し開催しました。

スケッチ会の募集はA4白黒のフライヤーを学校で配布。
定員40名が秒でいっぱいになる、このエリアならではのコンテンツに育っています。

2時間のセッションでキラキラした絵が150点くらい生まれ、その中から選んだ絵をデーター化し、最近では子どもたちのプライバシーを守ろうというバナーに落とし込んだりして、地域に還元する仕組みを構築しています。

「〇〇禁止!」と叫ぶでなく「〇〇を愛そう」というメッセージを、子どもたちと発信する感じ。

それにしたって、このエリアの子どもたちのアウトプットするものの素晴らしさ!


多様な職種の方が暮らすエリアで、子どもたちは小さな時から美しいものに触れている。

だけだと、こうしたアウトプットにはつながらない。


日常の親子での会話はもちろん、学校や地域でどんな言葉が交わされているか。
それがちゃんと子どもファーストの上で、責任ある言葉の交換になっているか。


子どもたちが絵を描く姿を俯瞰的に見ていると、
子どもたちが表現することに対し、親御さんや地域の人みなさんとても良い立ち位置を選んで見守っているのがわかる。


「子どもたちの幸せ」ということを考えると、ひとつ理想的な風景が自分の暮らす街にはあるなあと。

それがどういうことかも、ここで急いで語ってしまわずにおくけれど、
それは地政学的違いだったり経済的な格差などに関わらず実現できることなので、
まずは前橋で実践できるよう、確かな仲間を見つけ、力を合わせ実現させてゆこうと思います。

その実現に近道は無いので、ともかく地道に。
震災から15年で福島が出来たこと、自分が暮らす街で時間をかけて醸成させたもの、先例はボクの体に染み込んでいるので、なんとか。

最後にちょっと。

新学年が始まった4月から、朝のちょっとした時間、不登校を選んでいる子どもたちが学校内で一旦いられる部屋に行って、小さなセッションを行なっています。

これもまた丁寧な積み重ねの上で言語化しなければなんだけど、絵を描く者として、ものすごく学びの多い時間になってるんよ。

人の弱さ儚さを愛でるような語り合い、
安易な映えの対極にある静かな時。

絵を描くことを生業としてきた自分が、これからどんな表現をするべきなのか、
目的は子どもたちの幸せであるけれど、自分も一緒に成長してゆけたらいいなと願っています。

182ヶ月め

2026 年 5 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から5,540日
791週3日
15年2ヶ月
182回目の11日です。

写真は今日の群馬の前橋の敷島。
昨年も同じ時期に、それはそれは美しい光の風景に出会えた場所です。

昨日、5月10日は群馬のみどり市の山間の東町エリアの花輪で開催していた、みんなで花輪の街を歩いてスケッチして気持ち良い色で塗るワークショップで生まれた絵の展覧会「はなもも展」最終日として、旧花輪小学校記念館のギャラリースペースで、ワークショップに参加してくれたみなさんとお話ししたり、似顔絵間バッチを作ったりしていました。

地元で生まれ育って土木の仕事を通しみどり市に貢献されてこられたおやっさんがすごい絵を描いたワークショップ。
今回のおやっさんが来てくれて、色々差し入れてくれて、「花輪をもっと盛り上げるには」というテーマでわちゃわちゃ語り合って深夜まで強烈オヤジ呑み。

その土地をどうしたらいいのか、その答えはその土地の人の心の中にちゃんと埋まっている。
震災後の東北のあちこちでやってきたこと、気がついたことが、今故郷群馬で生かすチャンスを得ていること、とてもありがたく思います。

にしても、その土地で生きてきた方が素直にアウトプットした表現に敵わないなあ〜。
そして、なんだよ?この少年のような表情は。。

こんな表現が日本中で当たり前になった上で、自分のようなものがプロとしてやるべき仕事を見極め形にする。
ちょっと遠回りだけど、これからも焦ることなく実現してゆきたい社会のあり方、そして自分の仕事のあり方です。

諸岡のおやっさん、そしてこの日この場所でご一緒してくれたみなさん、
みなさんの心の中に埋まっている「こんな生き方をしたい」「こんな場所で行きたい」という答えを出し合い、みんなが共有出来る価値を言葉にしてゆけたら、きっと花輪という場所は「花輪ならでは」という価値において日本のトップランナーになると思うんよ。

そんなことが出来るよう、自分は自分がやってきたことを駆使し尽力してゆきますんで、これからもよろしくお願いします!

そして今日は冒頭の写真を撮影した前橋で、今後の企画ワルダクミ会議と街のフイールドワークを自転車と徒歩で。
アートを起爆剤としたまちなかの再開発が注目される「まえばし」という場所ですが、この季節車で5分も走れば美しい光が溢れる爽やかな風景に出会えます。

こうしたことがどれだけすごいことなのか?
長い時間かかってしまったけど、やっと気がつくことの出来たボクは、以前よりちょっとだけ解像度高く街を見ることが出来るようになっているはずです。
そうすると、街を歩くことがほんとに楽しくなる。

この楽しい感覚を、アートや芸術、絵やデザインといわれるものを手段とし、前橋に暮らす人たちにシェアし、叶うなら前橋に暮らす人たちの「幸せ」を更新させたい。

なんだけど、
今回みどり市の花輪と前橋と2DAYSでフィールドワークしてみると、人口が少なく不便と言われる花輪の方が、そこに暮らす人が確かな言葉で地域の魅力を語れているなと気が付きます。


もちろん、みどり市の山間のエリアのひとつの集落というサイズの花輪と、昔からの市街地に加えいくつもの町村が合併した前橋市を比べての話なので、前橋の多様性を誰もが共有出来る端的な言葉で語るのは難しいことです。

それでも明日に向かって進むための推進力にあなるような言葉は見つからないものか?と、昨年の夏から市の職員のチームと重ねてきたセッションと、そこから浮上した前橋の魅力を語る「やさしい余白」という曖昧な言葉を足場に、今日も同チームとブレインストーミング。
行政でこれだけ砕けたワードが浮上するミーティングは無いだろう!というセッションを行いました。

で、こうしたセッションで大切なのは、どれだけ『ひっくり返しても良いちゃぶ台みたいな言葉』を出し合えるかってこと。

思わず苦笑してしまうような突拍子も無い言葉に対し、危機感を伴った飛躍みたいな対案が出される。
そんな飛躍を振り戻そうとする言葉が投げられるも、「普通」や「無難」をひっくり返すちゃぶ台がぶん投げられる。
そこで生まれる変な笑いの隙間から突如ポンと体に響く言葉は浮上する。

良い言葉に良い言葉を掛け合わせてゆくようなことやっていると、途中で何も無くなっちゃうこと多いです。
なので、あえてひっくり返しても良い言葉を交換するようなミーティングのあり方は、これからもっと重要になるはず。

まあ、こうしたミーティングのことを人は「雑談」と呼ぶのだけどね、、

「雑」なるものの身体性や免疫力が救うものは少なくないです。

というわけで、雑なるものからフィジカルに響くシンプルな言葉を導き出せた今回。
この言葉を関わるみんなで共有し、今後出会う人たちに埋まっている答えを引き出し、より強くしなやかな言葉で語れる前橋に出会えるよう、引き続きみなさんよろしくお願いいたします。

 

 

前橋市アートコミュニケーションディレクター

2026 年 4 月 29 日 水曜日


今年度より前橋市副業型地域活性化企業人(アートコミュニケーションディレクター)として、まずは1年間の契約を交わし、主に子どもたちとのアートプロジェクトを企画運営し、子どもたちが願う街の姿をビジュアル化したり、子どもたちが自己肯定感を持ち探求的な学びを進められるような活動を行います。

4月28日は前橋市役所でアートコミュニケーションディレクターとしての委嘱式。

委嘱状を託してくれた小川市長に、市長が思う市の課題をうかがうと、「市から流出してしまう女性が多い」だからこそ「子育てによい前橋にしたい」とのこと。

これは自分が渋谷区で重ねてきた活動の経験やスキルを投下出来ることだぜ。

ただ、何か良きものを天から降らすようなことではなく、地面から生えてくるものを地道に育てるような活動にしてゆかなくちゃと、昨年からタッグを組む広報ブランド戦略課の優秀すぎるスタッフと共に、主語は「子どもたち」で、前橋で生きる幸せを良いものに更新させるため、絵やデザインやアートやアミイゴをハードワークさせようぜ!というチーム再編成。

まずは5月16日「敷島。本の森」でスケッチワークショップを個人企画として開催。
自分が目指す活動の姿を知ってもらい、ちょっとでも仲間が増えるような場にします。


そんなこんなの作戦をボ〜ッと考えながら、この日は朝から前橋フィールドワーク4時間。

チャリで20kmくらい走り、学校や子どものための施設など確認。その環境や高低差など体に刻んで、ちょいと日焼けもしました。

これまでやって来たことを手掛かりに前橋のリアルに出会い、しかし、これまでやってきたことを一旦忘れ、子どもたちと向き合い、子どもたちと語り、考え、なんなら子どもたちから学べるようなプロジェクトを作ってゆきますね。

ところで、

前橋市の移植式と同時刻、自分が企画制作に関わった絵本「みんなで見た こどものえ」が部門最高賞を受賞したiF Design Award のベルリンでの授賞式の様子が届きました。

著作&デザインののしほさん、アートによる地道な救援活動を重ねているミツキさん、おめでとう!
俺は前橋でふたりと同じく、子どもたちの幸せを考えていたよ〜〜

181ヶ月め_はじまりの美術館で

2026 年 4 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から5,510日
787週と1日
15年1ヶ月
181回めの11日です。

「あれから15年」が語られていた今年の3月。
福島の会津地方、猪苗代の「はじまりの美術館」より『旅』にまつわる展覧会への参加のオファーを頂きました。

はじまりの美術館は、主に知的にハンディを持つ人たちの支援をされてこられら安積愛育園が母体となり、2014年に開館した美術館です。

2011年以降東北を巡るフィールドワークをつ続けてきたボクは、ある頃から、少なからずの方に「はじまりの美術館に行ってみてください」と言われるようになり、しかしなかなかタイミングが合わず、昨年初めてうかがうことが出来た場所です。

そんな浅い縁のボクを誘ってくれた今回の企画は、障がいや健常に関係なく「この人の旅が面白い」という直感で選ばれたようなラインナップ。
ここに名前を連ねさせていただくこと、うれしいなあ〜〜。

が!作品ピックアップが4月10日。設営が今日11日!!

旅にまつわる作品や素材は、そりゃたくさんありますよ。
だけど、それをまとめあげて見せられるのか!?
いや、まとめることは無理だろう…

ということで、
結果、どうしようもなく自分らしい、目的を決めず列車に飛び乗るような展示になりそうです。

いや、頑張ります!

コトコトジャーニー

2026年4月25日 – 2026年8月31日

※火曜休館
※5/5(火)・8/11(火)は祝日のため開館、5/7(木)・8/12は振替休館

開館時間:10:00〜18:00

はじまりの美術館
〒969-3122 福島県耶麻郡猪苗代町新町4873

観覧料:
一般800 円、高校生以下無料、
障がい者手帳をお持ちの方および付添いの方(1名まで) 無料
※お得な年間パスポートは1500円で販売

出展作家:
小池アミイゴ、齋藤勝利、高橋彩子、西澤彰、横溝さやか、若木くるみ

主催:社会福祉法人安積愛育園 はじまりの美術館
協力:嬉々‼︎CREATIVE、社会福祉法人館邑会 陽光園、福島県立博物館、最上町中央公民館
後援:福島県、福島県教育委員会、猪苗代町、猪苗代町教育委員会、あさかホスピタルグループ(申請中含む)

・小池アミイゴのスケッチ散歩ワークショップ

2026年5月23日(土)13:30〜15:30
参加費:1,500円(高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方 500円)
定員:10名 ※要予約
出展作家・小池アミイゴさんと猪苗代の町をのんびり歩きながら、心に留まった景色をスケッチします。
「絵を描くのは久しぶり」「ちょっと苦手かも…」という方にこそ、体験してほしい時間です。ぜひご参加ください!


1ヶ月前はこんな天気だったが、
今はどうだろう?
5月はどんなだろうか?
8月は?
いなわしろ。

180ヶ月め_会津から飯舘村へ

2026 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,479日
782週と5日
15年
180回目の11日です。

15年前の3月11日の夜の闇の中でボ〜ッと光を放つテレビやPCのディスプレイを凝視し、
「これは10年、20年かかるぞ」と直感したことは、間違っていなかったと思う今です。
今朝は論調に違いのある新聞2紙を買って読み比べしてみましたが、
震災から15年の記事の隣で、イラクで起きている戦争を伝える記事が辛いです。

15年前、自然の中で人はどんな存在であるのか、私たちは強烈な痛みと共に学んだはずです。
が、東日本から視線を広げて眺めてゆくと、人の死こそが目的のような行為が行われている。

あらためて、私たちは15年前の東日本の春に何を見て、何を感じ、誰と何を語りあったのか、
ひとつ大きな深呼吸をした上で振り返り、思い出す必要があると感じた、
気がつけばまだ180回目の11日です。

先日は福島県の奥会津から福島市、飯舘村と巡ってきました。」

福島県立博物館のご縁で2017年よりアートプロジェクトとして関わってきた奥会津の柳津町。
その公民館で開催された、奥会津エリアの伝統的な食文化に出会えるイベント「ままんま博」に参加。


雪深く冬の長い山間の土地で工夫を重ねられてきた、乾物、塩蔵、発酵などの技術で「生かされる」奥会津で採れる食材やはるばる海沿いの土地から運ばれる食材が、それを美味しくいただくために必要な手間をかけられ、おご馳走に変わる、当たり前にしてもはや貴重な知恵が、やはり美味しい。
美味しいだけじゃなく、この季節にこれを食べたからこその体調の良さが実感されちゃうのです。


今回提供された山菜などは、昨年の春のシーズンに山で採られたものだけど、
昨年はその採集に、福島県の都市部の子どもたちと参加するイベントに参加させてもらって、
生活圏である「その辺の山に生える食材」を採取するお母さん方の姿を、めちゃくちゃかっこ良く思ったんよね。

ボクは群馬県の赤城山の南麓、関東平野が始まるあたりで生まれ育ったんだけど、こんなお母さん方の姿は良く見てたし、実際に婆ちゃんの後について山歩きなんかもしていた。
が、高度経済成長が行き着いた先で、里山の知恵の多くは失われてしまったなあと。
自分史の中の最初の喪失として捉えています。

こうした喪失の裏には、残すべき良き文化を言語化出来ていなかったことはあるだろうなと。
確かに「良きもの」とは手間のかかる仕事で成り立っていて、しかしその多くが人ひとりを生かすような価値観のもので、決して大きな収益があるわけではなかったりします。

それでも、その不合理性の中に光る美しさは、やはり人を生かす力になるな〜ということは、この15年のフィールドワークから学んできたことです。


今回の「ままんま博」では、お二人の先生の講演会がありました。

登壇されたのは、ジャーナリストの森枝卓士さんと山形大学農学部の江頭宏昌教授。
どちらも食の研究のスペシャリストで、楽しい話ばかりであっという間の時間でした。最後に質問コーナーがあったので、ボクもひとつ質問。
「森枝さんは熊本の水俣出身で、江頭さんは福岡の北九州市出身。そのお二人が東北で食の研究をされ、今奥会津の柳津でこの地の伝統的な食について語られているのが面白い」みたいなこと。九州も東北も足繁く通った群馬県生まれのボクは、九州の方が「これ美味しいよ〜」などと言葉にしていろいろなものを食べさせてくれたのに対して、東北の方は「まあ食べてみてくれ」のような奥ゆかしい振る舞いをされる方が多いなと。群馬に至っては「うまいもんなんにもねえけんどな」みたいなひと言から食を勧められることばかりだったなと。

森枝さんも江頭さんも、東北とは長いお付き合いだけど、それでも食を楽しそうに語る姿が、やはりボクの知る九州人だなあ〜と。

こうした異文化の交流の中で、『私たちの日常』にはどんな価値があるのか、これからさらに加速させ言語化してゆく意味を感じた、美味しい、おいしい、ままんま博でした。

会津からの帰り道に猪苗代駅で途中下車、「はじまりの美術館」へ。

この日から始まった『日本各地の福祉作業所で生まれたグッズの展覧会』福祉とアートの手しごと市「ぐつぐつグッズ わくわくアイデア」がとても楽しい内容で、自分が関わることの多いジャンルでもあり、多くの学びを得ました。


自分が障害を持つ作家さんと本格的に何かやるようになったのは、福岡のアトリエブラヴォに勤めていた原田さんと出会ってから。
「インクルーシブ」なんて言葉が世の中に無かった時からそのオープンなマインドをフル回転させ、インもアウトもごっちゃ煮させた状況創りをしていて、自分も自然と巻き込まれた感じ。

あの頃すごいなと思ったアトリエブラヴォの「当たり前」は(それ以前から活躍されていた”たんぽぽの家”や”工房まる”などなども含む当たり前)が、20年経ってかなり日本の当たり前になり、10数年前に設立された「はじまりの美術館」を飾っている。

グローバルの意味がかなり変わって聞こえるようになった今、自分は引き続き日本ローカルを歩き、必要とされることを仕事にしてゆきたいなと思いました。

で、ふと、飯舘村に行っておけたらいいなと。
調べてみると「路線バスで行けるんだ〜〜!」これまで数度訪れた飯舘村へは、すべてどなたかの車に同乗させてもらっていたので、今回初めて自分の力で行って歩いてみることにしました。ということで、福島駅前で一泊。

2026年3月7日土曜日の夜の福島市街、人がたくさんで多くの店が賑わっていました。

ボクの初めての福島市は2012年1月。
息を潜めるように雪に覆われていた街の印象は、福島に知り合いが出来る度に更新されて行ったのだけど、それでもコロナ前辺りまでは、知り合った人たちの姿しか見えてなかったはずです。

が、ここ数年で「福島ってこんな活気ある街だったんだね〜」と気がつく、名前を知らぬ多くの人の姿に目が行くようになって、今回。

この賑わいの先、飯舘村で何を見るのだろうか?答えを先回りせず歩けたらいいなと思いました。


福島駅から飯舘村中心地へはバスで1時間10分ほど。
1日6往復のバスが、福島-飯舘-南相馬を結んでいます。
途中福島市内の翁病院を経由しているので、かなり重要なライフラインとしての路線バスなんだろうね。

で、飯舘村までは体感すぐ着いてしまったという印象。

車で送ってもらっていた時も同じなはずだけど、路線バスでストレスなく着いてしまうということは、このエリアの通行量がまだまだ少ないってこともあるんだろう。
なんだけど、途中の山間の道から見える風景は美しく豊かで、若くて初めて来る人にとっては15年前にあったことを想像するのが難しいのではないだろうか。


阿武隈の山並みを縫って、「水境」という地名を超えると飯舘村。

フッと空気が変わる感じがするのは、この土地に生きてきた人たちが地域に与え続けてきた愛の力によるものだろう。


この日はかなり強く冷たい北風が吹いていて、よそ者の自分は「いい加減な気持ちで見てまわるなよ〜」と言われているようです。


農業用にまっすぐに掘られた川面に北風が起こす波紋がキラキラと。
やはり歩かなければ知れないものはあるね〜

歩いてゆくと、健康のために歩いているお年寄りとすれ違うことが数度。


ガス燈のようなデザインの街灯が、山を縫うように走る道沿いに連なって建てられているが、これはいつ設置されたものだろうか?検索してみると震災後のようだけど、後でも前でも、この土地にこのデザインのものを設置した方が良いと考えた人がいたってことなんだよな。歩いてゆくと、お地蔵さんや何かの石碑に多く出会う。

役場前はアート作品が多く設置されていて、設置年を見ると1993年あたり、役場が新築されたのと同時期に設置されたのが多いみたい。
公民館のような施設だろうかには、やはり1993年に故郷創生事業として制作されたレリーフなどが設置されたいた。
竹下内閣の故郷創生事業は1988~9年あたりだったが、そのお金で作られたのかは不明。
アニメキャラを堂々と描いたモニュメントに著作権の問題はあるだろうけど、けど、誰かが「ここにこんなんあったら子どもがたちが喜ぶだろうな」などと願い設置した。なんて想像すると、泣けるぜ。

これまでは車でサッと通り過ぎていた街を歩くと、なるほど、空き家はあるなあ〜。
最近まで帰宅困難エリアが残り、現在も村人の多くが帰村できていない飯舘のリアル。

なんだけど、
点で見るから引いて眺めるまで、どこをどう見てもここが美しい場所であることがわかる。
そしてその美しさは、この土地を愛した人たちの手が入っているからこそ保たれれ来たことがわかる。
その愛の手は、2011年の原発事故後も、可能な限りこの土地に入れられ、この村を保ってきたってことが、痛いほどよくわかる美しなんだ。

村にはやはりあちこちに石碑があって、それは「ここに石段を造った」とか、「ここに灌漑施設を造ったとか」「ここに学校があった」とか、「ここで唄が生まれた」とかが記されている。


阿武隈の山間の土地に可能性を感じた人が入植し、灌木の林やごろごろ転がる大きな岩を排除し、田畑を切り開いて生まれた美しい村、飯舘。

今の都会の暮らしと比べて不合理に見えてしまう暮らしの細部に「ここで生きる」というプライドが宿っていたのが、やはり切実に伝わってくる。

ここでは、昨日会津の柳津のお母さんたちが作っていたような『この場所だからこそ』の食べ物があったんだろうか。
15年より前の飯舘を知らぬ自分です。

が、そうした人が大切にしてきたことを、札束なのか便利さなのかの定規で計り、いわばバカにするような振る舞いでやってきてしまったことがあった。

そして、そこで生まれた電力を使って生きていたのも自分なんだよな。

15年前に気づいたはずのことを、あらためて自分の足の裏と、強烈な北風に教えてもらった飯舘フィールドワーク。

それは自分がまだ子供の頃に失ってしまったと思った故郷のことをあらためて考えるきっかけにもなるし、きっかけにしなくちゃ人間としてどうかしているってことだぜ。

うん。まだたかが15年。たかが5,479日。
やること、やれること、やるべきことばかりだ。

昼メシはこれまで何度か行ったうどん屋で。

日曜の午後。
工事で飯舘に入っているおっちゃんグループが、帰り際に「ここのは日本一うまいうどんだ」と言って金を払っていたけど、自分の心の中で「そーだ、そーだ!」とエールの交換。

このうどんが食えるなら、次は花の季節か草萌える頃かにまた来ます、飯舘村。


今日は強い北風の中、健気に咲くオオイヌフグリの花がまぶしかったぜ。

179ヶ月め_会津から豊間へ

2026 年 2 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,451日
778週5日
14年11ヶ月
179回目の11日です。


先日は福島の郡山から会津若松、そして奥会津の柳津と巡り、県立博物館の学芸員チームとこの1年の『会津の食にまつわるプロジェクト』の振り返り。
関わったみなさんと再会し、そこで何があったのかを思い出しながら語り合いました。
子どもたちに関わることの多いプロジェクトだったので、やはりそ『の後の子どもたちはどんなか?』それぞれ責任を感じながらもオープンに話すことが出来てよかったです。

今の小学生は『物心ついたり』『自我が芽生えたり』のタイミングでコロナ。
社会に触れるほとんどの場面で、マスクで顔を覆われた大人からモラルを守ることが求められることを経験してきた人たち。

そんな子どもたちに対し自分がやるべきことは、アートを手段とした気持ちの良い体験から自己肯定感を得てもらうこと。絵を描く紙の上では、無理して良いことを語る必要も無く、好きな色を気持ちよく塗るようなことで心を開いてもらえたらいいなと。大切な話があるならその後で良い。


気がつけば、今向き合う子どもたちば2011年3月以降に生まれた子どもたちなんだなと、、
時が過ぎる速さに慄きつつも、それでも「まだ15年」との思いもあり、今回。

会津から浜通りまで移動、震災後にボランティアで入り、その後定点観測的に足を運び続けてきたいわき市の太平洋岸のビーチ、豊間を目指しました。

しかし豊間、定点観測的に足を運んだと言うも、いつぶりか?と振り返ってみると、コロナ禍突入直前の2020年1月11日ぶり?6年ぶりになるんだ…

「この6年間に何があった?」と振り返るも、2020年コロナ初年に小学5年生だった息子が今は高校1年生になったという時間軸に、自身の仕事や社会的活動の記憶の断片が、時系列を無視する形でランダムに置かれ捻じ曲がり、メビウスの輪のような無限ループになってるのを想像しちゃうのだが…


『東日本大震災からの復興』というテーマで歩み出しように見えた社会は、自分が思ってたほど真っ直ぐな道を選ばなかったんだろう。そこに「いつでも個人的記憶を取り出せる」ネットにシフトしたメディアのあり方が掛け合わさり、時間という概念がネジれ、自分の時間の圧縮や記憶の混乱なんてことが起こっているんじゃないか?

ただ、豊間エリアにある塩屋崎灯台を参照し描いた絵本「とうだい」が今年で発刊10年。
そんな確かな時間軸もあり、今回個人的な検証として、ボランティアから個人的のフィールドワークにシフトし歩いた塩屋崎や豊間で、自分は何を見て、何を見落としていたのかの確認はしておきたいぜ。

会津若松から磐越西線、磐越東線と乗り継いで夜に着いたいわき。急遽とった宿はJRいわき駅に隣接したビルに新設されたもので、そういやこんなホテルも無かったなあ〜。

晩めしを求め街に出てみると、以前はこんなにも見せなかったよな〜。この日は火曜日だったけど、こんな駅前の明け透け場所でキャッチに捕まること無かったよな〜。キャッチをやりすごすした背後から「今夜はダメだな〜」と世界を恨む声が聞こえた。火曜の夜に欲張りすぎ違うか?と思うも、いやいや、みんなそれぞれの事情があるんよ。


明けて朝早くのバスに乗り太平洋岸へ。
途中の真冬の田園風景は、以前よりずっと休耕地が減った印象で、農家のみなさんの努力の跡が美しく広がっている。

初めてボランティアで入った2011年6月。その時の暴力的に破壊された風景に出会い、「これは自分の足で歩いて見なくちゃ」と思い、2ヶ月後には徒歩とランニングを交えて海を目指した。その時の破壊され、ある意味遺棄されたように見えた悲しい風景は、さすがに15年分、きっと良い方に更新されているんだと思った。


これはバスに乗ってる場合じゃないなと、予定よりかなり手前のバス停で降りて、海岸線に沿った道を歩いてみる。

津波被害から7~8年後(?)に整備された運動公園では、多くのお年寄りがゲートボールに興じていて、そこから目を転ずると、以前には無かった立派な老人ホームの建物が見える。
15年前に悲劇に晒された土地で健やかに生きるという選択肢が整えられたんだね。

朝の光に包まれたビーチが美しくて、いつかまた大きな地震や津波があるかもしれないけれど、人間がこの土地を選んで暮らすという選択はごく自然なことと思えた。
ただ原発事故は人が作り出してしまったとても不自然なことなんだ」とも思ったよ。


波打ち際から丘の方に目を転じると、6年前には完成していた高い堤防が白く輝き、その向こうには復興のための造成の必要から切り崩され、稜線を変化させた山の姿が見える。

火曜日の朝、ここまでですれ違った人は無く、遠くに堤防の上を歩く人の姿が見える。

以前は立ち入って良い雰囲気の無かった岬に出てみると、立春の陽の光に包まれた灯台のある塩屋崎の岬が、太平洋にグイッと突き出て見えたのが、実にカッコよかった。


津波による多くの被害者を出した薄磯エリアの整備は進み、被害の爪痕が生々しく残された頃、造成による盛り土で月面のような風景に思えた頃の記憶が更新されてゆく。
6年前、海岸線に沿って何キロも渡り『防災緑地』として整備され始め、松の苗木などが植えられていた場所は、自分の背丈より高い木々に覆われた緑のベルトに育っていた。

↑ 6年前の写真
6年後の写真 ↓

これからさらに何年も時をかけて立派な緑地に育ってゆくのだろうけど、自分はそんな風景を確かめられるまで生きているのか?


6年前には無かった『いわき震災伝承みらい館』に入ってみる。
まず「入場無料」ということが多くを語っているなあ〜。

展示を見ると、知っていたことが少し。あとはほとんど知らなかったことばかりか…

なんだけど、自分の記憶の多くは15年前の春でフリーズさせているなあ。

東京に暮らす自分がそんなであれば、ここでの生活があった人の今はどんなだろう?

自分は想像するしかないんだけど、でも今ここにいることは間違いじゃないように思う。

さらに歩いて塩屋崎へ。
干潮のタイミングで、岬は穏やかに見える。

灯台の立っているのは、岬の先端じゃなく、ちょっと奥まった場所だったっか。
上書きされた記憶を修正する。

昼が近づき腹減ったなと思い、以前は開いていなかった土産物屋や食堂を覗き、でも思い直して塩屋崎の向こう側、豊間のビーチを目指して走る。なんでか走りたくなった。

豊間。

ああ、こんなに美しかったっけかな。

ビーチに出てみると、強い風に煽られた白い砂が川のように流れ海に注いでいる。

石英を多く含む砂は、踏みしめると「キュ」と音を立てる鳴き砂。
よく見ると多くの貝殻が打ち上げられていて、これも時間をかけて白い砂に変わってゆくんだね。

震災から3ヶ月後のボランティ活動の際、このエリアの町会長さんは「震災で砂浜が失われることがとても悲しい」と語っておられたけど、もし今もご健在であれば、この風景をどう思うのだろう?

自分はよそ者として勝手に「美しい」なんて思っちゃっているんだけど、でも人に対する想像力は失わずにいなくちゃだ。

後で調べたら、やはりこのビーチの景観を守ろうとゴミ拾いに尽力されているグループはあって、なるほど、今日これまで極端なプラごみに出会っていないのは、そうしたこともあるんだね。


太平洋、というか地球、というか、宇宙の力で押し寄せる波。
それに抗うように吹く陸からの風と低く舞い上がり流れる白い砂、
そうした力の拮抗から生まれる描くことの出来ぬ紋様を魅せる砂浜。

この世界には人間が我が物顔で居て良い場所はどこにも無いと思ってしまったんだけど、みんなはどう思うのだろう?
先回りせず、1人ひとり確かめてゆけたらいいな。


堤防を超え集落に入る。
真新しい住宅が並んでいる。

「復興」という言葉ではなく「再興」という言葉が浮かぶ風景。
それをより良いものに変えてゆくためには、何が必要なんだろうか、「ここでは無い場所」に暮らしている自分も考え続けなければならない。

震災直後から根性で営業再開したコンビニは、以前の場所から数百メートル移転して営業していて、それは前回と変わらず。ただ、周りの木が育ち、初めて来た場所のように思えた。

Googleで検索すると営業している食堂がいくつかあった。
ひとつめ、営業してなかった。
ふたつめ、駐車場に多くの車があって、よしここで食事しよう!と。
しかし、現金しか使えないとのこと、財布の中の3,000円で食べられるのはエビフライ定食くらいで、名物の鰻重は、今度だな…


しょうがない、3,000円ちょどくらいになるようビールの中瓶を一本頼むと「お車ではないですか?」と当たり前の質問。
「いや、歩きできました」と答えると、しょうがない、そりゃ怪訝な顔されるわな、、

10km以上歩いたからなんてこと関係なく、ほんと美味しいエビフライ定食を食べることが出来た!
こんなん15年前には考えられなかったことだよ。

お店の方にうかがいことが山のようにあったんだけど、でもそのほとんどはこのエビフライが語ってくれたはずなので、「また来ますね」とだけ伝えてお店を出た。

うん、やっは次はぜひ鰻重を食べたいぜ、豊間。

 

 

178ヶ月め_香港レポート

2026 年 1 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から5,420日
774週2日
14年10ヶ月
178回目の11日です。

震災から3年目の能登。
東日本の経験から、被災された方の疲れはピークを超えているんじゃないかと想像します。
皆様どうぞうご健康であられますよう、心よりお祈り申し上げます。

東日本は今年の3月11日に「15年」「節目」などと言われるかもしれませんが、
この15年でボクが出会ったきたのは「1人ひとり」というものなので、
引き続きただただ寄り添い並走する気持ちでいたいです。

復興の途上で失われてしまった方も少なからずおります。
そうした方々の意思を、被災の対岸で暮らす自分も大切にし、
これからの社会に活かして行かなければならないと、あらためて強く思う今年の年初でした。

みなさま、引き続きよろしくお願いいたします。


昨年12月20,21日、香港で開催された香港イラストクリエイティブショー10に参加しました。

イラストレーターズ協会のご縁で主催者と知り合い、現地に立ち会うのはこれで3回目。

これまでは協会のバックアップも受けて参加していましたが、
より自由に、より責任を持ったブース運営をしたくて、今回から個人でのエントリー。
ですが、アジア圏でイラストレーションの可能性を探りたい仲間を募って、
主に日本の年賀状にフォーカスしたグッズ販売を行いました。

今回何より、高校1年で16歳の息子を同伴させたことで、多くの気づきを得られました。

そんな息子とブース前で記念撮影。

背景のイラストレーションは、やはり今回お誘いしブースをシェアした京都在住のイラストレーターcacoさんの手によるもの。

過去にも積極的に香港の企画に参加くださって、現地でじわり人気が出ている彼女。
「こんなブースだったらいいな」という要望に、短期間でめちゃくちゃ頑張って応えてくれて嬉しいです。


おかげさまでブースは大盛況。
英語も広東語もまるっきりダメな自分を、英語が得意な息子が現地スタッフとの連携しフォローしてくれたこと、ありがたかったな〜。

今回グッズ提供をお願いしたイラストレーターの仲間には、香港の方に手に取ってもらえるちょっとしたアドバイスをしました。それもまずまずハマったんじゃないかな。


ボクが初めて香港に行ったのは2019年8月。民主化デモが行われていた時です。
日本の報道やネットの情報からその激しさを知るも、現地に行ってみると活気のある香港と出会うばかり。
香港の多くの方はネットでデモの情報を得て、自身の仕事や生活を優先した行動をとっていた。

あれから6年。
個人的に1年半ぶりの香港は、眼に見える部分では変わらず、ダイナミックで朗らかで優しい、そんのイメージ。
飛び込みで入る街の飲食店でも「ああ、日本人か」みたいな感じで、言葉の壁を超えた対応を頂きました。

何より「kawaii」を必要とする香港の若い人たちの存在が、うれしいんよね〜。

渡航する前は「なんで今ゆくのか?」などの危惧もされたけど、いや、そこに絵やイラストレーション、かわいいものを必要とするから行くんだよと。

で、実際に行って絵やイラストレーションを間に置いて人と向き合うと、簡単に飛び越えることの出来る国や政治体制、民族の違いがある。

日本でも香港でも、どこでも、自分が向き合うのは「ひとり」というものであり、その基本の上で『なぜ香港の方が「kawaii」を必要とするのか』を想像することで得られる、クリエイティブなモチベーションが尊い。

そうしたことを、16歳の息子はよりフラットな視線で見てるわけで、食事をしながら「どうだった?」なんて会話が出来たことも大きな財産になりました。


巨大なコンベンションセンターの中のひとつのホールで開催されている香港イラストクリエイティブショー。
その階下ではポケモンの発表会に多くの人が集まっている。
その隣ではAIを使ったアートやデザインの展覧会に、また多くの人が集まっている。
(AIに関して、韓国も中国も日本よりかなり先を走っているイメージ、、)

日本の16歳、何を思う?

で、今回。
主催者がボクのためのライブペインティングのブースも用意してくれたので、ならば自分の勝手な絵を描くんじゃなくて、会場に来られた1人ひとりを描いてみることにしました。

ひとりに対しスケッチして着彩まで5分ほどで行うのを、2日で約4時間半、54名描いたのですが、
疲れた〜〜…
が、それ以上に楽しかったなあー


この画像は描き終えた絵をスマホで撮影した荒い写真を、Photoshopでブラッシュアップしたものだけど、なかなかの雑な絵ばかり。。
なんだけど、現場で向き合い描いたからこそのリアリズムがあって、やっぱ愛しい。

にしても、モデルになってくださった方に申し訳ないぜと、この絵をさらにスケッチする感じで1人ひとり描き直しをしています。


なんでこんな作業をしているのか?描きながら気がつくのは、香港で向き合う人の「キャラ設定されてなさ」。
いわゆる「〇〇系」に自身を押し込んでいない。だからか「キメ顔」が無い。その人なりの「キメ顔」があったとしても、それは「憧れの何者か」になるためでなく、「その人が背負っている何か」が滲んで見える表情だなと(これは台湾でも感じたことだね)。なので「描かなくちゃ」って強く思うんだろう。

香港では二人組、特に女性の二人組をたくさん描きました。
そんな二人組が纏う幸せそうな空気が愛しくてね、この2人の風景は描かなくちゃ!と、ついつい必死になってしまう。


日本でもこんな二人組に出会うけど、纏っているものがちょっと違う。
その違いが面白いのだけど、香港ではより自由なるものを感じるのはなんでだろう?

そんな話も息子と出来てよかった。

スケッチの最後の方でお母さんと娘さんの二人連れを描いたんだけど、2人がギュッと手を握り合ってる姿に、なんだろ、非常にドキドキした自分です。

という感じで、強烈な筋肉痛に襲われたライブペインティングも終了。

ああ、良い出会いばかりだった。

この経験からさらに自分は、自分が描くべきものと人が必要とするものをしっかり噛み合わせて、なんなら人ひとりを救えるくらいの「kawaii」を創ってみたいぜ。

香港のみなさん、また元気で会えましょう!

 

177ヶ月め

2025 年 12 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から5,389日
769週6日
14年9ヶ月
177回めの11日です。

今日は近所の小学校6年生と地域の壁画制作。
2018年から9回に渡って制作してきた壁画、子どもたちと学校と親と地域と自分とが連携し、街にとって幸せな壁画を制作してきたプロジェクト「とみがやモデル」の発展版。


渋谷区が先進的に取り組んできた子どもたちの探究的な学びの教育プログラム「シブヤ未来科」をフルに活用し、地域の課題を探究的に調べてきた6年生グループと、学校長の挑戦的なアイデアがうまいこと噛み合い、現在ある壁画から学校に続く道沿いに設置された小田急線線路の防音壁に、落書き防止と地域美化を両立される壁画を制作することに。


これを実現させるため、小田急の担当部署と折衝を行ったり、道路使用許可の申請を行ったり。
また、子どもたちが地域の課題に当事者として向き合えるよう、地域の落書き消しを一緒に行ったり。
その他、デザインやイラストレーションを使い地域に貢献するためのセッションを行ったり。


趣味は「火中の栗を拾う」、特技は「矢面に立つ」な自分ですが、

現在高校1年生の息子が大人になった時、どんな人が社会の仲間であったらいいんだろう?
そんなエクスキューズのもと、ともかく子どもたちと一緒に出来ることを重ねてきての今回です。


さて今の6年生。
小学校入学のタイミングでコロナ元年。

「それやっちゃだめ」「それ人の迷惑になるでしょう」
すべての会話がそんな枕詞から始まったような時代に1年生になった彼ら。

自分との関係で言えば、彼らが4年生の時に初めてセッションを行った世代。
その印象は、めちゃくちゃ頭良くてクレバー。
なんだけど、すべてのアクションの頭に「これやっていいの?」のひと言が入るような世代。

コロナの影響は侮れないです。


そんな彼らに対し、どこか何かのきっかけで1人ひとりのマインドにブレークスルーを起こしてあげたい。

自分のようなものが学校に呼ばれて子どもたちと向き合う意義はそこにあるわけです。
が、答えを先回りせず向き合って1年半。

「そろそろブレークするか!?」と思わせる事象がちらほら見え始めると、これまで押さえてきたものがボンと音を立てて吹き出るような瞬間が何度かあって今回。
壁画制作のタイミングとして最高!と真実実行しました。

そのタイミングがベストであったかどうか、1時間15分の制作時間で描いた50センチ幅で50メートルの壁画を見ていただけたらうれしいです。


今回のプロジェクトに利用した「シブヤ未来科」は、文科省が進めている探究的な学びのカリキュラムのシブヤモデルですが、こうした探究的な学びはこれらからの日本に絶対必要なことと考えています。

しかし、子どもたち1人ひとりが探求脳を獲得するには、自分の中にあるものを気持ちよく出し切り、その気持ちよさを誰かと共有できるようなことが必要だなと。それは自分が多くの現場で子どもたちとのセッションを繰り返してきた経験から実感しています。

子どもとの共感の共有のようなきっかけを創れたら、探究的思考が働き出すまで「待つ」といことが保護的立場にある大人には必要とされます。

そうして探究的思考が働き出しても、安易に成果を先回りして求めず、子どもたちの成長と楽しく並走するようなことも必要です。
自分が子どもたちと向き合った感じだと、子どもたちと出会って1年半は「待つ」ことの必要を感じています。

が、そうして子どもたちと付き合ってみた1年半後、子どもたちは自分と対等の立場で話しかけ、質問し、一緒に考えるようになってくれます。

そうなれば、自分のような者はただ子どもたちの背中を見守るばかり。
いや、ほんとみんないい顔した「人」に育ってくれるなあ〜と。

こうした子どもたちの成長が求められる時代ではありますが、それをすべて学校や先生に任せてしまうと、学校の現場はパンクしてしまうので、保護者や地域や企業や自分のような専門家も学校の力になり、理想的な子どもたちの学びと成長をバックアップする必要があります。

自分の場合は、週に1時間とか2時間の時間を子どもたちのために使うだけですが、それでもそこでの子どもたちの成長は絶大なわけで、その成長は自分の人生の喜びであるなあと。

その喜びは自分の「幸せ」の価値観を思いっきり良い方に更新させてくれるのです。

今回の壁画実現のために、子どもたちや担任とのミーティングから、PTAk、地域、行政、企業などなど、多くの方と語り合い、お力添えをいただいてきました。

そして本番。見守りや片付けを手伝ってくださった子どもたちのお母ちゃんたちと交わすひと言ふた言がオープンで、豊かで。。子どもたちを主語で語ることで、自分たちはこんなにも豊かな会話を持つことができるんよね〜。


にしても、絵を描くことを「アート」や「芸術」という枠に押し込め、何か特別なことのように語ってしまうのは、もったいない。

身の回りの課題を解決するための整理や、人とのスムースなコミュニケーション、ディスカッションの大まかな方向性を共有する手段として。さらには、この課題解決にはどんな学びが必要なのかを導き出すため(従来の国語算数理科社会の学びを受け身では無く能動的に学んでゆくきっかけとか)、絵を描けばいいのにな〜と思うのです。

そうした経験を持った人なら、AIに独創的で適切で社会に有益なプロンプトを打ち込む力を身につけるはずだしね!

さて、子どもたち。
次はなにをやろうか!?