140か月め_塩釜での壁画制作

今日は2011年3月11日から4,263日
609週
11年8ヶ月
140回めの11日です。

10月31日から11月4日まで、
宮城県塩竈市の塩釜水産物仲卸市場の北側の扉への壁画制作を行いました。


震災の津波被害の遭った場所で、長年稼働してきた仲卸市場ですが、
老朽化と世代交代のタイミングで、若手と呼ばれる人たちがこの場所の更新を担うことに。
これまで4つに別れていた運営をグループを1つにまとめ、
課題解決に向けたコミュニケーションのよりオープン化させ、
新たな試みも加えて、10月15日にリニューアルオープンさせた場所。

ボクが懇意にさせてもらっている塩釜のアートシーンの中心人物 高田彩さんが、
この春ここの南口に作家さんと地元の若者たちを結びつけた壁画制作をしていることを知り、
とても良い試みだな〜などと思っていたところ、
次年度予算で北側の入り口にボクを呼び込んでくれました。


その際にオーダーがあったのが、
ボクが過去に同じ構図で2度描いた塩釜の海、「千賀の浦」を飛ぶ鳥たちの絵、
それをこの場所に施してもらいたいとのこと。

ああ、うれしいな〜。

この絵は、ボクが2013年の5月に塩釜で見た風景です。

この年の1月、ボクは震災後の何度めかのフィールドワークで東北を巡り、
旅先で見た「マリンゲートという港の機能が一部再開」のニュースから塩釜に行ってみようと思いました。

そこにはプレハブ建ての復興市場があって、
ボクは共栄丸水産で働く水間さわ子さんと出会います。

とても溌剌としていて気持ちよくて、自分では嫌だなと思っていた
「逆に被災者に元気もらっちゃいました」みたいなことが起きてしまったのです。

そこでラブラブだというご主人を紹介され、
ボクは手持ちのシロツメクサを描いたポストカードを手渡し、
東京にもどりました。

しばらくするとさわ子さんから手紙が届きます。

そこには、保育士となった二十歳の時、不安な気持ちで通学バスに乗る際、足元に咲いたシロツメクサを見て、なんだか励まされたような気持ちになったこと。
震災の直後、何もかも流されてしまった養殖場ある海に出て呆然と空を見上げていると、呑気に飛んでるカモメ(ウミネコか?)の姿が見えて、やはりなんだか大丈夫と思えたこと。
そして、ご自身の今のことと相変わらずラブラブなご主人自慢。そんな自慢のご主人が働く海と5月に塩竈神社に咲く塩竈桜を見に来て、いつか絵にしてくれと。

ボクは彼女と会えたことで、被災ということ、復興の意味、もしくは、被災地と呼ばれる場所にひとりでも友人が出来たら、それはとても豊かなことなんじゃないかという直感を得ました。

で5月、東京から弾き飛ばされるようにして向かった塩釜。

復興市場でさわ子さんを見つけ「ご主人の仕事場を見てくるね〜!」と声かかけて、遊覧船に乗って松島湾へ。
古くは「千賀の浦」と呼ばれた場所で、ボクはかっぱえびせんに群がるウミネコを見ます。

被災と日常が千賀の浦の上で交わって感じられた瞬間。
ボクはこれを描き続ければいいのだろうと確信しました。

彼女はその絵をとても喜んでくれて、
この絵を使ってご家族で営む共栄丸だけでなく、塩竈の復興に役立てたいと考えを持ってくれました。

いくつか具体的なアイデアもあったのですが、
2018年の夏、彼女は急逝してしまいます。

家族のため、地域のためと、ものすごい笑顔と共に頑張っていたんだよね。


今回の壁画制作にあたり、
高田綾さんに共栄丸さんにご挨拶に行きたい旨を伝えたら、
一緒にゆきましょうと。

美人すぎる元気すぎる共栄丸シスターズの洗礼を受けていましたね。

コロナでしばらく来れなかった塩釜で、ボクもお互いの元気を確かめ合い、
さわ子さんが愛してくれた絵を、いわばライバルと言えるような場所に投下する旨を伝えたら、
逆に喜んでくれて快諾をいただきました。

ああ、こういうマインドなんだよね〜、今日本中で必要とされていることは。
(オリンピックの金の流れとか見ちゃうと、特に、、)

で、シスターズ、
「お父さんがアミイゴさんの影響で絵を描き始めちゃって、」なんて言って見せてくれた絵。


きゃーー!
素晴らしい。

お父さん、俺にはこんなん描けないです。

海を愛し海に生きた人だからこそ描けるリアリズム。

近年見た絵の中で一番愛しいかも。

そして、自分がやってきたことでこんな絵が生まれたことに感謝。

都会のなにやら立派な場所で輝くものでは無い、

自分のアートとは、こんな絵が生まれることなんだと、
またまた塩釜で教えられてしまったのです。


共栄丸さん、いつまでも元気で!
また塩釜で会いましょう。

仲卸市場での壁画制作は、
主に市場の閉まる13時から日のかげる16時半くらいの3時間半が勝負。


それまでは扉が開いていて、少なからずの方がここを通ります。

そんなお一人お一人が気持ち良い言葉をボクにかけてくれて、
この作業が行われることに関して、市場で働く多くの人のコンセンサスが取られている事を感じます。


ボクがここで制作することで生まれるコミュニケーションも、
こな市場を再生して行く上での重要な要素なんだと思います。


「被災地」と呼ばれる場所で生きる人の多くは、
あの日からずっと考えるのやめなかった人。
(あらゆる事情で考えることを足踏みする人のことへの想像も忘れずに、)

個人的には東京の(中央の)発想のずっと先を走っているイメージさえあります。

そんな方々が大切にされていることのほとんどは、
風通しの良いコミュニケーションの現場作りではないかと。


若いアイデアが結集され生まれた市場内のフードコートの風通しの良さは、
コンサルタントや代理店の発想では生まれ得ない気持ちよさがあります。

現状はリニューアル・ブーストがかかった状態で、多くのお客様が足を運んでいる状況かと思い、
これを維持してゆくのは大変さも想像出来てしまうのだけど、
だからこそ高田 彩さんはこのタイミングでボクを呼び込んでくれたんだよね。きっと。

いやー、この壁の前でほんと色々な人と会話をしたな〜
その1つ1つが愛しくて仕方ねえぜ、塩竈、宮城、三陸、東日本。


大切な友人も駆けつけてくれたし、ここで友人になれた人もいるし、
さわ子さんとのご家族とは「今でもその辺にさわちゃんがいるよね」と。
この壁がある限り、そして少なくとも自分が生きている限り、
これからも続いてゆくものばかりです。


塩釜を良い方に更新しようと奮闘するみなさん。


そこでアートを翼に軽やかに舞う高田 彩さん。

この場所への導きをありがとう。

綾さんが運営するアートの拠点「ビルド・フルーガス」は、
エスペラント語で「ほら、鳥が飛んでいる…」という意味だそうです。

あらためて、
2011年の春に千賀の浦でさわ子さんが見上げた空を想い、
塩釜で出会った人たちに感謝を深めた壁画制作。

この空、東京へ、日本中へ、世界へと広げてゆきたいです。

 

山陽堂書店で「いくつもの空の下で」の展覧会開催。

エッセー澤田康彦 × イラストレーション小池アミイゴ 展
「いくつもの空の下で」刊行記念の展覧会です。

「いくつもの空の下で」
2022|10.19(水)-10.29(土)
GALLERY SANYODO
山陽堂書店ギャラリー
東京都港区北青山3-5-22山陽堂書店2F
平日11-19時/土11-17時/日休
●表参道駅A3出口より徒歩30秒

京都新聞で連載された澤田康彦(『暮しの手帖』前編集長/京都在住)のエッセーと、それを毎日曜日彩った小池アミイゴのさし絵をすべて展示します。
春夏秋冬、二十四節気、過去現在未来、京都滋賀東京に思いを寄せる全47点に加え、新刊『いくつもの空の下で』のカバー画、サワダの秘蔵青春コレクション(!)等々をどっさり見せる意欲企画。
「作文vsさし絵」の面白さをご堪能ください。
*著者、各日午後は「わりかし」在廊予定です。(サワダ)

「いくつもの空の下で」京都新聞出版刊_1870円(税込)

コロナ禍の京都新聞で連載された”暮しの手帖”元編集長 澤田康彦さんのエッセーとボクのイラストレーションのコラボ展「いつもの空の下で」

これまで京都新聞本社、澤田さんの故郷滋賀県能登川町で開際してきたのが楽し過ぎて、「これ、やっぱ東京の人にも見てもらいたいよね〜!」ってね。

今時ただ見てもらうだけの展示を、青山通りの”山陽堂書店”2Fギャラリーで開際します。

連載時の新聞の切り抜きと原画に、澤田さんとボクとのひと言コメントを添えて、活字好きなら2時間は楽しめる内容になっております。

山陽堂ということで、この連載がフルカラーで一冊にまとめられた美しい本も販売しまが、これを澤田さんとボクとの自腹で行うのです。

それくらい澤田さんとボクにとって幸せな連載。
幸せのお裾分け展であります。

毎週毎週澤田さんから届く言葉に、画材や描き方を変えての連載セッションは、コロナの重苦しい空気をなんとかフワッと軽やかなものにしたい、そんな2人の文系男子の奮闘記でもあります。

東京並びに関東甲信越地方、東日本や知床の皆様におかれましては、秋の青山で「フフッ」と楽しんで頂けたら幸いであります。

というわけで、人様案件ばかりに携わり、全く準備が出来ていね〜〜!
であります。

助けて〜〜

アミイゴ

139ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,232日
604週4日
11年7ヶ月
139回めの11日です。

今は北海道の知床斜里駅の待合室でPCをタイプしています。

5年ぶり2度目の知床では、前回と変わらず生きると死ぬについてい考え続けています。
そのことについては後ほど、心を落ち着けて言葉にしてみますね。


先日は福島県へ。

今回は震災後に企業された再生可能エネルギーの電力会社と「何かできないか」そんなオーダー。

福島県飯舘村-喜多方市-福島市、飯舘電力、会津電力と電力会社を巡って行くと、
最後は美しい田んぼの風景に出会った取材旅でした。

ほぼ白紙の状態から1年間かけて、福島が必要とするであろう「目指すべき新たな幸せの風景」を掘り起こし、アートやイラストレーションやデザインというものをハードワークさせ人々と共有させる、なんてことが自分に出来るかどうか。


ただ、今回お世話になった皆さんの「福島をなんとか良い場所にしたい」というマインドの熱量すごくて、「これは引き続きハードワークしなきゃならないぞ!」であります。

皆さんの福島県を再エネ先進地に育て、サスティナブルなライフスタイルを実現しようとするマインドの熱を、美味しい料理を作るのに使うのか、煮湯にして誰かにぶっかけるのか、デザインやアートなんでもものの働かせ方はそんなところにあるんだろうと、皆さんとのディスカッションの中から感じました。

今回「デザイン」というワードで2つ。
地元の再生可能エネルギー電力のソーラーパネルが、自然や人の生活と調和させるよう建てられいるのに対し、
(写真は会津電力のもの)
首都圏のマネーで建てられているものはどうしても暴力的に見えてしまうなあ。
震災後のニュースで何度も何度も耳にしてきた飯舘村だけど、
その形は「福島第一原子力発電所から北西に流れる風(雲)の形で覚えていたのだが、
実際はジャガイモのような形だったぜ。


これは、熊本の水俣をモノクロでしか知らなかった関東者の自分が、実際に水俣に行ってみたら、とても美しく場所だったことを知った時と同じく、「ごめんね」という気持ちと共に、知らないことの罪を感じました。

今回のフィールドワークを通してガツッと言えることは、
「福島は東京なんかのずっと未来を生きてる」ということ。

なんつったって皆さん、あれから絶えず考え続けている。

飯舘電力と会津電力は別の会社だけど、協働のような関係にあるんだろうか。
関わる皆さん同士がとてもオープンに語り合っているのが気持ちよかった。

会津電力の母体は北方市の大和川酒造。
酒造りは人と米と水が必要で、それを会津の土地の力で賄っているということで、

サスティナブルな試みの先駆者と言えるのだろうね。

そんな酒と似た味わいの電力なんて観念が生まれた楽しいだろうな〜

酒造りと電気作りがどちらも幸せなものであるよう、
され自分は何が作れるのだろうか?


今回、良いものを見ただけじゃなくて、
震災後に被災地と呼ばれる場所に投下された大きな力で歪んで見えるものも出会いました。

ただ、自分はそうしたものに抗うより、そうしたものを乗り越えちゃう、
なんなら地面に穴掘ってすり抜けるとか、そんな楽しい力が湧き出すようなことをしたいね。


ともかく目の前には「白紙」

自分の仕事のあり方も創造するようなチャレンジを、今までやってきたどんな仕事より楽しくやれたら、
息子たち世代が笑顔で歩ける獣道の一本も描けるのではないかと、自分に期待しています。

138ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,202日
600週2日
11年6ヶ月
138回目の11日です。

ん?まだ138か月か、という印象の11年半。

先日は地元の落書き消しを、街の仲間と行いました。

2年前の9月5日にやはり落書き消しをした壁面。

2年後の8月16日に落書きをされたので、

区役所、警察署に必要な申請をして、SNSで呼びかけた街の仲間と消しました。

2年前の経験から、区役所担当者とのコミュニケーションや申請はスムースに出来たはずです。

が、やはり矛盾を感じるのは、
落書きは勝手にされるのに、落書き消しにはいくつもの申請がいること。

この壁で言うと、持ち主は東京都で、環境管理は渋谷区、道路使用は代々木警察署と、
それぞれの許可が必要になります。

東京都の道路管理部には渋谷区の担当部署が申請を代行してくれましたが、
これを個人でやろうとすると、かなり面倒な話になります。

あらためて、今回の落書き消しのモチベーションを語ってみると。

まずここは通学路であること。

コロナでマスクをした2年数ヶ月の子どもたちのマインドを考えると、この場所は綺麗にしておきたい。

夏休み前、ネットで全国的に女児誘拐をほのめかす発信があり、この通学路を利用する小学校でも対策に追われた。

大通りに直結する裏路地であるこの場所は、犯罪が起きやすい場所である。
(犯罪者は逃走出来ることを前提に犯行場所を選ぶ)

夏休み中、ここから近くの渋谷の繁華街の裏道で、中学三年生の女子が母娘を刺す事件が起きたが、彼女は新宿から渋谷まで裏通りを歩きながら、犯行場所を探していたとのこと。街に落書きが溢れる渋谷の繁華街で「ここは人を刺していい場所だ」と判断した中学三年生。落書きがされたこの場所でも同じことが行われてもおかしく無いという考え。

そんなこんなで、出来たら夏休みが明ける8月30日までに落書きを消したかったが、しかしそこには実行に至るプロセスがある。

渋谷区には落書きを消す専門チームと契約した「先進的な落書き消しシステム」があります。

しかし、渋谷区は落書きに溢れ、申請してから実行まで時間がかかる?
ともかく、このエリアの学校周辺の落書きに対して、落書き消し申請から消されるまで時間がかかりすぎる。

その間子供たちが「落書き怖い」とか言ってるんだよね。。

自分は地域の壁画制作に関わっていたりするので、今回の落書きに対しても「壁画にしちゃえば」なんて意見ももらうのだけど、自分の考えは「子供のたちの恐怖を消す」ことに尽き、「落書きを消す」ことや「壁画制作」が目的では無く、ただすぐ消し、できれば以前より良い環境を子供たちと(大人たちとも)共有することを優先して考えています。

そうしたことに、いくつもの申請が必要なことは、これからの社会作りの必然として改善してゆかねばだなということを、ボクは2011年3月11日以降の「被災地」と呼ばれる場所で感じてきました。

行政の行うことを見ていると「新たな社会システムを構築するアイデアを持つ人」にスポットが当たり、またシステム構築の達成が目標のように見えてしまうことがあります。

しかし、本当の目的はそこでは無いのは当然ですよね。

今回の落書き消しで一番苦戦したのは、劣化し汚く見える行政の張った落書き禁止ポスターだったりします。


いやいや、そんなもの貼るまでも無く、勝手に書かれた落書きは、気がついた者が勝手に消しちまえたらいいよなと。

まあ、消すのもテクニックいるのだけど、集まったみんなで「こんなやり方どう?」とか話し合って行う作業が、実はとても楽しかったのです。
参加者のひとりが「慈善活動は苦手だが」なんて語っていたけど、一番楽しそうに活躍してたぜ!

仕上げは「行動としての安全担保」に「目に優しい生活のゆらぎ」も演出した自分の塗りの技術を投下しときましたよ。

というわけで、みなさんお疲れ様でした〜

137ヶ月4日もしくは 77年め


今日は2011年3月11日から4,175日
596週3日
11年5ヶ月4日
137回めの11日から4日経った8月15日。
太平洋戦争が終わった日から77年です。

7月31日に展覧会を開催している長崎県諫早へ。
生活雑貨とカフェを営むオレンジスパイスのみなさんと久々の再会。
開業から28年の底力ある現場は相変わらず素晴らしく、
この場所を維持してこれた力というものをあらためて考えてみました。

次の日は福岡へ。
出会った、絡み始めて16年。
相変わらずぶっ飛んでアート作品を産み続けているアトリエブラヴォへ。
以前からスタッフが更新された中、次世代の福祉の風景を見せてくれてるのが嬉しくて、
予定よりずっと長居して、商品開発のブレインストーミング。
「障害を持っている」と呼ばれる人たちと当たり前に触れ合い、当たり前に16年の時を重ねてこれたこと、これは未来だなあ〜。

その後薬院のカフェsonesへ移動。
現在ケータリングに力を入れている店とは、
0年代の多くで心通う現場作りをしてきた仲間。
そのケータリングカーにペイントの依頼を頂きました。

オーダーされた絵柄から、ボクなりに魂の逸脱。
福岡の街のこの店じゃなきゃ描けないものを提供できたはずです。

夜は、やはり多くの現場を共にしてきた仲間のライブ。
小さくても軽やかに深い表現の現場は福岡ならではだな〜

浜田真理子さんなどという憧れの存在とも出会え、
福岡の底力を感じながらカミさんの実家のある北九州へ。

先に来ていた中一の息子と合流し、
大変なおもてなしを頂き、人のありがたさを感じ…

自分がこうして善き人に恵まれている意味とは?

善きものに恵まれたら、その逆にも視線を向けた方がいいねと。
ほんとギリギリまで悩んでいたけど、息子を連れて広島に行くことにしました。


もともと息子を広島や長崎、沖縄に連れてゆくことだけは自分の責任として行うつもりだったのだけど、
中1になって自我が急激に芽生えたように思えたので、このタイミングだろうと、1ヶ月半前に自分ひとりで来たばかりだけどね、広島平和公園を目指しました。


ボクが震災後の東北を目指した大きな目的のひとつは「息子に自分の言葉で震災を語れる大人でありたい」と思ったから。
そう思った背景には、中越地震でのボランティア参加や、福岡西方沖地震後の活動などと共に、広島や長崎、沖縄で戦争の記憶を探る旅を続けてきた経験があります。

そうした経験で得たことは「ひとりが語る言葉の重大さ」
もしくは「ひとりを失うことの重大さ」

個人的に3度めとなる広島平和記念館は、数年前の改修でより「ひとり」というものにフォーカスされた展示になっているイメージで(以前は「原爆資料館」的なニュアンスも強かった印象)、12歳男子はそこでどんな言葉に出会うのか、受け止めきれぬこともあるだろうけど、まあ俺がついてるぜと、彼の背中を追うように展示室を巡ってゆきました。

もともと文章を読む能力の高い息子ですが、展示されているほとんどの言葉をインプットしているようで、ゆっくり時間をかけ、たまに椅子に座り込みながら、広島であったことに向き合っていました。

その後ろ姿を見ている自分は、多くの思いが心の中で交差していたんだろう、ある意味感情が真っ白な感じしていました。

息子が来館者用のノートに刻んだ言葉を見ると「この戦争で人は人でなくなったのだ」という言葉。
ボクはあらためて真っ白な心にこの言葉を書き込み、残りの人生を歩んでゆくことになるんだろう。

そして、広島向き合ったことに対して12歳はこれからどう生きてゆくのだろうか?

正義感の強さが脆さに思えてしまうことのある12歳だけど、この日のことがひとりでも人を救うことに繋がるよう見守り、ただ暴力の芽が見えたら、その根を断ち切ることは大人の責任をしてやって行かねばだなあ。

そんなことを考えていたら、旅の最後に鹿児島の知覧に行ってみようと思いました。

北九州-広島の後、熊本で楽しい仕事を頂き、そのクライアントさんである高橋酒造さんが米焼酎を醸す人吉の多良木町まで連れていってもらい、長年の酒造りが人と自然とが共生した美しさの中で行われてきたこと、2年前の豪雨被害からの復旧状況など確認。(復興ではなく復旧だなあ)

明治維新というものがあり、
主権がちょっと「民主」というものに振れつつ、
西洋列強の植民地支配は相変わらず脅威で、
いくつかの戦争で成果を残すも、
農村や漁村といった日本を支えてきた人々は貧しさの中にあり、
軍事国家を維持することを、さてどうしよう。

ボクなんかが簡単に語れる判断なり思い込みなり勘違いも重なったりしたんだろう。

ただ、今めにしている多良木の風景はなんて美しいんだろう。

人がなんとか生きようとして力合わせ工夫し生まれた景観、そこで酒を造り続けることの豊かさ美しさ。

こんな人と自然との風景を心にインプットして知覧へ。

自分の中でモノクロの映像であった知覧は、緑豊かな台地の上にありました。

島津藩の出城としての城下町として栄えた歴史ある街並み擁する土地で、戦争遂行のための合理的な判断で戦闘機乗りの訓練場として整備された知覧が、戦争末期には沖縄戦での特攻の出撃基地と変化したこと。

本来エリートである若者が武器にされること。
その作戦立案した者、指示した者など、そうか、今の自分より若い人だったんだ。

そして12歳の息子もあと5年、17歳で特攻に加わった人がいたこと。

青年の「純粋」を戦争遂行に利用したことについて、答えを求めずあれこれ考えてみたが、無感情という状況になったのは、初めて東日本大震災の被災地である福島県の豊間に行った時、広島に行った時、沖縄の摩文仁に行った時と同じ。

ただ、豊間で出会った少年との会話、
ボクが「あの辺は被害が少なかったんだね」という質問に、
「少なんくなんか無いよ!2人も死んだんだ」という言葉が心のなかでループして響いていた。

こうしている間も、世界のどこかで戦争が行われている。

東京にもどった8月6日。
広島の平和祈念式典を見ていると、子供たちが「平和の誓い」で「多様性を尊重することが平和に繋がる」と語っていた。
戦後77年の今、多様性から平和を語れる世代が生まれて来ている。

自分が社会に向ける視線もさらに豊かに磨き、ついつい見落とされがちな身の回りの小さな美しさに気づき、大切にしてゆく人生を歩まねばならないと考えている。

自分の中で色のついた知覧という場所が、若者の純粋を未来に繋ぐ場所であるよう願いながら、鹿児島中央駅行まで1時間ちょっとのバスに揺られた俺です。

136ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,140日
591週3日
11年4ヶ月
136回めの11日です。

昨日は第26回参議院議員通常選挙がありました。

1947年4月2日に第一回の選挙が行われて26回め。

それが多いのか少ないのか?個人的には「まだ26回なんだ」という印象と共に、日本はまだ民主主義の試行錯誤の途上なんだろうなと思っています。

その選挙運動期間の後半で安倍元首相を暗殺されるという「あってはならないこと」の先で、投票日を迎えたわけですが、自分は引き続き「震災復興」と「行政改革」を目指す候補者を選ぼうと考えていました。

ボクにとって「震災復興」とは、人が生きやすい社会を考え続けることで達成するもので、まだ明快な答えは手に出来ていません。「共に考え続けよう」と語りかけてくれる候補者を探すことが自分の選挙行動だと言えます。
たとえば、1945年の夏に太平洋戦争が終結したとして、1956年の夏は、まだ日本の社会には戦争の硝煙が匂ってはいなかったでしょうか。
震災と戦争を同列に語るには無理もあります。しかし、多くの人が犠牲になった日からまだ11年しか経っていないんだという驚きが自分の中には確かにあるのです。

「行政改革」に関しては、『いかに民間が元気になるか、行政判断をシンプルにスムースに行うことで後押する』そんな願いも込めて考えています。
「民間」とは「人に良かれと思う志を持った人が、人を助けるものを作る」本来日本が得意としていた”ものづくり”の復活の願いがあり、”ものづくり”には音楽やデザインやアートなど、クリエイティブな行為を含み考えています。

もしくは、息子が通っていた小学校の正門前の壁にヒドイ落書きをされました。
コロナでお互いの顔が見えぬ今、全国の学校に少女誘拐を仄めかす予告が届くという、子どもたちを不安に陥れる事が起きているのに、この勝手に描かれた落書きを消すためには、いくつもの手続きを行う必要がある。
勝手に描かれた落書きを勝手に消すと「けしからん」と言われてしまう。

しかもこの壁、半年前にも落書きされたのを、行政がペンキで塗ったばかりなんよね。

この壁の反対側、学校を囲む塀はに子どもたちとペイントしたのは去年の秋。

薄暗かった坂道が明るくなって、落書きもされず。

問題はシンプルで、落書きを消すこと。

方やついでに子どもたちの絵が描かれ街が明るくなった。

方や行政が納得する結果を正当なプロセスで行うことが、目的になっていないか?

ということを、参議院議員選挙選挙でも考えてしまうんです。

しかし、ウクライナ戦争、中国や北朝鮮の脅威、物価高騰、エネルギー問題が目の前の脅威として語られた今回。その先の未来を明快に言葉で語った候補者がいたのかどうか。

「政治的」という言葉があって、
「一般人が政治的な発言をするのはけしからん」とか「アーティストこそ政治的な発言をすつべき!」などなどの強い言葉に出会うことがありますが。
その「的」ってなんだろう?

ボクには「政治のことは政治のプロに任せておけ」「その他発言は所詮政治的なものでしか無く、耳を傾けるに値しない」そんな考えの「プロ」なオジサン政治家さんの姿を想像してしまうんよね。

が、生活、仕事。子育てや介護、平和とか夢でもいいや、そして何より自分のことより息子たち世代の未来!そうしたものには政治がコミットしていて当たり前で、そうしたものを大切にしたいと願う自分の1票は、政治へのコミットであるわけで、それを「的」とかの言葉でぼやかしてはいけないと思っているのです。

そうした課題解決のために求められるのは、旧来のイデオロギー対立などぶっちぎって、建設的でオープンな会話が出来る場所創りなんだろう。ということを、この11年「被災地」と呼ばれる土地で感じて取ってきて、今は「オープンなアイデアの共有と大まかな合意」で社会を動かして行ける資質の人を探すのが、選挙と呼ばれる現場でのボクの社会参加なんだがな〜〜、、

なかなか難しい第26回参議院議員通常選挙でありました。

「妊娠、出産、子育て支援」などというワードがオジサンの口で語られるようになったのは、半歩くらいの世の中の前進を感じたりもするのだけど、それにしたって女性候補が少な過ぎて気持ち悪い。

あらためて、人の命が不当に奪われて良いはずが無く、
安倍さんのご冥福を祈ると共に、ひとりの政治家への想像力を働かせている自分です。

それと同時に、
41歳の男性が自暴自棄に追い詰められてしまった社会について、
そこに分断があるのだとしたら、その原因について考え倒さなければと考えています。

社会に分断があるとして、
ならばすぐにでもやらなければならないのは人の居場所作り。

2011年3月11日からの大きなテーマで、自分が描く1枚の絵だって、だれかがこさえる小さな唄ひとつだって、そんな居場所のひとつに出来ないかと考え続けているのです。

暴力で変えて良いものは無い。

テロ!?
こんなん絶対に受け入れちゃいけない。
同じ土俵に乗っちゃいけない。
全力で冷静でいなければならない。
暴力で変えて良いものは無い。
息子が帰ったらとことん語り合う。
これから会うであろう人たちととことん語り合う。

今回のことは、メディアに触れることでPTSDになる人がいるはず。
なので、まずは「怖い」のアウトプットが出来る会話が必要だと思います。

 

135か月め


今日は2011年3月11日から4,110日
587週1日
11年3ヶ月
135回めの11日です。

現在滋賀県の東近江市能登川町立図書館で「暮しの手帖」元編集長の澤田康彦さんとの展覧会「いくつもの空の下で」を開催中のボクのことを、京都新聞ジュニアタイムスが取材してくれました。

子どもたちに向けて、悩める子ども時代を過ごして、悩める今を生きるボクの話を、噛み砕いで編集してくれた記事に感謝。

過去を振り返ることより、今を生きることに精一杯な自分にとって、人との会話から自分を確認出来ることは、ありがたいことです。

じゃあこれが子どもたちの役にたつのかどうか、、
引き続き「わかった顔」しない生き方を続け、自分に興味持つ子どもがいたら、その時の全力で答えられたらいいな。ちょっとくらい間違ったこと言うかもしれないが、ともかく全力で。

ところで、
京都新聞と同様のインタビューを雑誌 SWITCH で受け、
6月20日発売号の記事となっています。

SWITCH-Vol-40-No-7

今の自分を形成している子どものころのことから、
セツモードセミナーで長澤節から受けた啓示など、
京都新聞とほぼ同じ内容で語っているはずですが、
こちらではトンガった大人に向けてグサグサ刺さる編集。

自分を振り返り、ひでえやつだな〜と嘆くも、
すんません、これが俺なのか、、
です。


そして、やはり同様のことをネットメディアでたっぷり語りました。
IMAGINEZ大学 with Discovery

https://www.discoveryjapan.jp/program/imaginez-univ/

こちら配信開始は7月になるかと思いますので、詳細あらためますね。

が、なんでこのタイミングでこれだけ発言を求められるのだろうか?

今日台湾よりオードリー・タンさんに関する近藤弥生子さんの著作が送られてきました。

台湾の天才的なハッカーで、日本で言うところのデジタル庁の大臣に就任したオードリー・タンさん。
彼女が社会にもたらしたことについて、ボクに日本からの視点でコメントを寄せてくれとのオーダーを頂き、東日本大震災後の社会を思い短文を寄せたので、紹介してみます。

2011年3月11日、日本は未曾有の大震災を経験します。
あれから10年。被災地では人々の「対話と共有」の痕跡を感じる、優れたデザインの社会的インフラに出会うことが出来ます。
困難を解決するため、1人ひとりの中に埋まる答えと対話し、共有することで導き出す最適解。
それはきっちり10年未来の発想であり、オードリー・タンさんはそれに輪郭と名前を与え、1人ひとりが使える道具に変えてくれているように思います。

以上。

ボクが3月11日以降出会ってきたことには、良いことも残念なこともあります。
そんな中で、困難の中にあるからこそ、他者を思い関わる人たちにとって最善の解決を導き出す努力とアイデアに出会うたび、深い共感と感動を感じてきました。

そうした「被災地」の発想は、日本の社会をより良いものにする力があると直感し、自分で暮らす街や触れる人と共有することを続けてきたはずです。

が、共有するための言葉は足りていなかったかなと。

オードリー・タンさんが社会の課題解決のために実践され、オープンソースとして社会共有されていることには、自分が見たり感じたりしてきたことが、明快な言葉で語られています。

「あの日」から11年3か月の今、
あらためて自分の言葉で震災や被災を語り、社会の生きづらさや息苦しさにちょっとでも風穴が空けられるよう。自分が身に付けた社会の課題解決に至る方法を実践してゆかねばなと。
それは何気なく描く1枚の絵にも反映させてゆこうと考えています。

台湾からもう一冊。
自著「台湾客家スケッチブック」が紹介されている政府系(?)の雑誌を届けていただきました。

この雑誌の特集は「女性」

世界第6位
アジア圏では第1位を誇る女性の社会での活躍が進む台湾。

そんな台湾のそれぞれの現場で活躍中の女性が、
台湾語と英語のテキストで紹介されています。

気象アナリストやフードコーディネーター(で語りきれないが)など、サスティナブルな世界を目指す社会の課題解決の最前線で活躍される女性たち。いい顔してる。

この辺、日本でやるとルッキズム(外見至上主義)に陥ったものになりやしないか?

もちろん、台湾の社会だった問題はあるのだけど、でも台湾の社会や人から学び日本の社会に投下するべきことは沢山あるな。という実感。

話はちょっと飛躍しちゃうかもだけで、
クラスの一番すみっこで静かに小さくなっている女の子が、実はすごいこと考えていたなんてことは、当たり前にあることで、ボクのようなものは絶えず小さな声に耳を澄ませてゆかねばならないのだ。

 

絵本「はるのひ」日本絵本賞受賞


2021年2月に発表した絵本「はるのひ」が、
2022年5月、第27回日本絵本賞を受賞しました。

父が亡くなった2018年の春の日から、3年の制作期間で生まれた1冊。

絵本はボクひとりで作れるものでは無く、この1冊は特に、編集担当のTさんの27歳から30歳までの青春の一冊と言っても良いくらい、莫大なエネルギーを注いでくださったことで、生まれたものです。

また、ブックデザインの城所 潤さん、舘林三恵さんから頂いたアイデアにより、より美しい本として、この物語を必要とされる方へ届けることができます。

さらに、たいていの印刷屋さんが顔をしかめるボクの”印刷しずらい絵”に真っ向立ち向かってくれ、発刊直後に「特にp30〜31の見開きで震え上がれ」とTwitterでつぶやいてくださった、東京印書館様のサイコーの印刷無くしてこの本は語れません。

この賞はそんなみなさんに対してのものだと考えています。


森の向こうに煙をみつけた”ことくん”が、走って煙を見にゆくだけの物語ですが、
その舞台の参考にしているのは、ボクがこれまでお世話になってきた土地です。

まず、生まれ故郷の群馬県南部、赤城山の麓の田園風景。
おばあちゃんの家の田んぼや畑で遊んだ経験と共に、1970年あたりを境に徐々に失われていった里山の美しさなんてものも、思い出しながら筆を走らせました。

そして、子どもたちとのワークショップセッションを重ねて5年目となる、福島県奥会津エリアの柳津町や昭和村の風景や光、土地の高低差の面白さ。
なにより元気な子どもたちの姿!
彼らがこの絵本を好きだと思ってくれたら、それが一番うれしい!

もしくは、やはりワークショップでお世話になっている、喜多方市で完全有機農法を実践する大江ファームの、夕日に溶けてゆく美しい畑。

夕日と言えば、東北の太平洋沿岸部で出会ってきた色彩。
この絵本は山間の物語だけど、海沿いの町で見た色彩を盛り込むことで、「どこか知らないけどステキな場所」の演出が出来たはずです。

物語の大切な装置となる森は、大分県杵築市山香町の森の中でカテリイナ古楽器研究所を営み、ものづくりと音楽と反農の暮らしを実践する松本家とのお付き合いから、体を持って覚えた喜びを絵にしています。

さらには、2016年の初夏に花の絵の展覧会を開催させてもらった、栃木県那須塩原市黒磯のSHOZO COFFEE。
展覧会を前にした2月と3月に、SHOZOに宿泊しスタッフとワークショップしたり、那須野の山を自分の足で走って感じた土地や人との距離感。

やはり展覧会を開催させてもらった熊本県津奈木町の”つなぎ美術館”
そのきっかけとなったアートプロジェクト”赤崎水曜日美術館”に関わったことで得た、土地と人との関係性。これはその対岸、天草でも経験させてもらいました。

色彩に決定的な力を与えてくれたのは、2019年の夏に3週間かけて取材旅をした台三線エリアの濃厚な風景。
それ以上に、そこに暮らす客家の皆さんから与えていただいた人情が、色に強さと優しさを与えてくれています。

ボクが当初考えた絵本のタイトルは「とーちゃん おーい」で、
主人公の名前は「ととくん」でした。

「おーい」の原風景は、カミさんの九州の実家のお父さんが、2歳の息子に向かって「おーい」と声をかけて遊んでくれていた風景。

自分は父親とそんな経験あっただろうか?と記憶を辿るも、1枚の写真に辿り着けただけだったけど、それでもなんて安心感のある風景なんだろと、自分が家族を取り戻したような気持ちで見ていました。

その後作画を担当する絵本「とうだい」でも印象的に使われていた「おーい」という言葉。
嵐の中で灯台が光と共に叫ぶ「おーい あらしにまけるな とうだいはここにいるぞ 」という声!
それに答え「トットットット」とエンジンをふかし舵を切る小さな船。

斉藤 倫さんの物語に、ボクこそ見守られていたように思います。

そして、「おーい」という言葉に向かって「とっとっとっと」と近づいてゆく子どもの風景を想像すると、逆に「おーい」という安心感に背中を押され「とっとっとっと」と駆けてゆく子どもを想像。

震災後、多くの言葉を駆使して相手の言葉に蓋をするような事がネット上で見られるも、被災地と呼ばれる場所では、そんなもの何も役に立たないでいるのを知ったボクは、子どもたちに「おーい」とただただ大らかな声をかけられる「とーちゃん」でありたいと願いました。

そう願うことで、「おーい」と大らかな声で語れる人にたくさん出会えたはずで、その声はこだまして、さらに次の大らかなる人の発見に繋がってゆきした。

そうすることで、ボクもボクの家族も生かされてきたような10年ちょっとの歳月。

残念ながらこの本が完成する前に亡くなってしまった方もいます。
しかし、大切なことはこの物語の背景に塗り込んであります。

今回頂いた賞が、そんな1人ひとりをこの物語と共に生かし続ける裏付けになってくれたらいいなと、
心より願っております。

2022年5月
小池アミイゴ

追記。
代々木あたりのみなさまへ。

「はるのひ」小さすぎる原画展
2022年5月26日(木)~6月5日(日)
at 渋谷区富ヶ谷2丁目のパン屋”ルヴァン”のカフェ”ルシャレ”
〒151-0063 東京都渋谷区富ケ谷2丁目43−13 GSハイム代々木八幡

へっぽこな自分を生かしてくれている代々木の街みなさまへ。
みなさまの支えがあってこそ作れた絵本が、なにやら立派な賞をいただきました。

つきましては、みなさまが愛してやまない街の誇りとも言える場所で、小さな原画展を開催させていただきたく存じます。

通常は店休日である月曜日、5月30日は1日書店として「はるのひ」限定20冊の販売をします。

11時から17時くらいまで、ボクが店内でうだうだしていますので、茶などご注文の上、お声かけいただけましたら、絵本の背景に塗り込んだお話などさせていただきますね。

小さな店ですので、おひとり、おひとり、バラバラとお運びいただけたら幸い。

小さくとも風通しの良い会話の現場になればいいなと願っております。

!)この日以外は人気店ゆえ、
いわゆる一般のお客様で入店出来ない可能性があります。
わざわざお越しになられるようであれば、ボクにご一報くださいませ。

「いくつもの空の下で」展 at 滋賀の能登川図書館


京都新聞の連載で大好評をいただいた「暮しの手帖」元編集長の澤田康彦さんのエッセイと、それに添えたボクのイラストレーションの展覧会が、澤田さんのご地元である滋賀県の東近江市立能登川図書館の展示室で開催しています。

いくつもの空の下で
小池アミイゴ イラストレーション展 + 澤田康彦“青春”コレクション

 会期:2022m年5月18日(水) ~  7月3日(日)

【会期中の休館日】月曜日、火曜日、5月27日(金)、6月24日(金)
会場:能登川図書館・博物館ギャラリー
〒521-1225 滋賀県東近江市山路町2225
TEL:0748-42-7007

「いくつもの空の下で」京都新聞出版センター刊(1700円+税)でなんと!
連載に使用した47点の絵、すべてカラーで掲載されています!

そもそも編集長さんとの本作り。
濃厚な言葉の交換で、本の体裁が変化してゆき大変面白かった!

ブックデザインの佐々木暁さん、
編集者とイラストレーター、それぞれクセの強いおじさん相手に、
さらに斜めゆくアイデアを投下してくださり、
とても美しく若々しい一冊に育ちましたよ〜!

表紙の絵は何枚か描いたのですが、
ともかく心も体も気持ち良いものを提供したいと、
レイアウトのサイズを何度も無視して描いてごめんない、、

でも、うん、気持ち良いのが描けたです!

2020年5月より11ヶ月に渡り連載された澤田さんの歳時記と週刊のエッセイがまとめられた一冊は、京都新聞が読まれる京都滋賀エリアでは大好評を頂き、写真は5月15日に京都新聞のホールで開催された対談(漫談?)後のもの。

その後滋賀に移動し、思いがけず大展覧会になった会場設営2DAYS

当初想定していたイラストレーション展は、
いつしか「ふたりのオジサンの青春グラフィティ」へ!

地元出身の澤田さんが持ち込む大量の「あの頃のボク」が、
今の俺のイラストレーションを駆逐するが勢いで会場を席巻!
負けじと俺も、看板は急遽手描きに。

さらに、会場の防災装置を我が作品のごとく魅せる、二百戦錬磨の展示スキルを披露!

図書館スタッフのみなさまの愛に溢れたお手伝いもたっぷり浴びて、
人情7割~オシャレ3割という、実に今っぽい展示に育ちましたよ〜!

てか、編集者とイラストレーターのガチンコの展示って、みなさん想像つきますか?
俺は想像つかなかったです。

しかし、

おもしれ〜〜〜!

澤田さん、自分の中学や高校の頃の日記までさらして、、
これじゃ生前葬だね、だって。。

というわけで、
次回は6月18日_子どもワークショップ
そして19日_澤田さんとのトークショー

みなさん、
滋賀県琵琶湖の辺り、東近江市の能登川図書館でお会いしましょう!

詳細は能登川図書館のHPをチェックしてください。
押忍。
で、能登川図書館の場所や開館時間など。