フェスタうえとみ2024参加団体募集!




フェスタうえとみ2024参加団体募集

2024年10月27日(日) 11時-15時
渋谷区立上原小学校 校庭~体育館
主催:青少年対策上原地区委員会

・参加費は無料です。
・団体での参加をお願いします。
・参加希望者には事前説明会を開催します。
・学校の机や椅子などの利用が可能です。
・雨天時は室内で実施。荒天の場合開催検討します。
応募期限:9月15日(金)
参加確定は締切後9月末までに実行委員会より連絡致します。
=申し込み= 
・フォーム _https://ws.formzu.net/dist/S48982510
リンク先の案内に従いご記入ください。

・mail_festauetomi@gmail.com ・FAX_03-5738-5562 担当_菱倉
*お名前、連絡を明記の上、件名「フェスタ参加希望」で送信ください。
*折り返し『参加申込書』を送付します。必要事項を記入しご返信ください。
*参加多数の場合は抽選により参加を拝辞することがあります。
予めご理解の上ご応募ください。


* 出展者会議を10月11日(金)午後6時~で予定しております。必ずご出席下さい。
* 出店場所は校庭を予定しております。(雨天は校舎内で調整予定)
* 使用什器等に関しては10月11日の説明会で確認してまいります。
* 机、椅子、電源等の数には限りがあります。調整をお願いする場合がございます。
* テントは各自でご準備をお願いいたします。
* 前日10月26日(土)午後に行う『校庭の養生等準備作業』に各団体2名の参加を必ずお願いします。
* 各ブースで発生したゴミ類は各出店者でお持ち帰りいただきますようお願いいたします。(ゴミ箱の設置必須)
* 当日の準備および終了後の片付けの分担をお願いします。

「フェスタうえとみ」は青少年対策上原地区委員会が中心となり、
上原・富ヶ谷エリアの子どもたちと地域を結びつけ行う、誰もが参加出来るフェスティバルです。
今年は上原小学校を舞台に、子どもたち、地域の方々が楽しく触れ合える内容を予定しております。
初めての方でもご応募できますので(団体に限る)、奮ってのご参加お願いいたします!


*青少年対策上原地区委員会とは。
渋谷区11エリアそれぞれに置かれた「青少年地区委員」は、
地域の子供達の健全育成を、地域の力で達成出来たらいいねと、
山田 肇会長の元ボランティアスタッフが、学校や保育園、PTAや町会、
民生委員や施設開放委員、青少年委員などなどをまたいで情報共有し、
子どもたちの力になるべく活動しています。


160ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,871日
695週6日
13年4ヶ月
160回目の11日です。

あれ?あの日からまだ160ヶ月しか経ってないんだと思った昨日は、
(「今日は」と綴りつつ、今は12日です、、)
朝4時半から湘南藤沢で撮影。

自分がとても大切に思っている音楽ユニットのミュージックビデオを、
「あの日」から経験してきたこと結集させたら、何か良いものが作れるんじゃないかとという確信の元、
ともかく撮影することにしました。

実際、映像の構図が一瞬で決まる感じは、これまで自分が出会ってきたものが教えてくれるなあ〜と。
この作業はAIで生成出来ないものだと思います。

あの日から160ヶ月後の自分は、本格的に自分の東日本での経験を社会と共有するフェーズに、
やっと、ほんとやっと、なってきたんだろうなと思いました。

うん、焦って安いこと、出来もしないことやらずに来て良かった。

撮影が終わったら藤沢から小田急線で渋谷区地元へ。


息子卒業小学校の今年の1年生のタブレット学習の最初の一歩で、
クラスの先生ひとりではての回らない「タブレットのオペレーション」を、
ご近所の大学生に来てもらってサポートしてもらう作戦のコーディネート。

学校運営協議会の会長という立場で、学校をサポートする役割として去年から提案。

この仕事、きっと自分がやっていることの中で最上位で有意義な取り組みなんじゃないかと。

半年後にはオペレーション方法が変わったいる確率の高いITガジェット。
大切なことはともかく触って楽しみこと。

なので「どこを押して立ち上げてどこにPW入れる」みたいなことを「学ぶ」が目的ではなくて、
ともかく使って学びの道具にしちゃおう!なわけです。

で、
先生のレクチャーを秒で理解し、「わからない」って子に素早くアプローチ出来る大学生たち。

未来の子どもたちの学びのスタートライン、明快に感じられる、朗らかなITの時間でした。


の直後に「学校運営協議会」
「コミュニティースクール」と訳され語られる、
学校と地域とで連携を図り、学校や教員だけでは厳しくなっている学校運営を助け、
学校を地域のハブになると共に、地域で子どもたちを育てるようなシステム。

これは全国的に進められているシステムですが、
その運営には地域差があり、
東京都渋谷区が日本でもかなり先進的に進めている中、
自分が長を務めるこの学校は、さらに活発にこのシステムを活用しています。

この日は夏休み明けのタイミングで、
夏休みで生活リズムが変わった子どもたちが、緩やかに朗らかに学校生活に戻れるよう、
学校を「楽しい居場所」として開放するという企画「ワックワックとみがや」の企画会議。

PTAから子どもたちが校庭でびしょ濡れになって遊べる、水風船や水鉄砲のバトル企画が浮上。
学校からは昨年に続き「夜の学校探検」が、今年は上級生を主催者として呼び込んで開催するかもと。
その他、学校の授業では考えられないコンテンツを、いい大人がみんなで笑顔で考え、
その適切なオペレーションを導き出したりしているわけです。

こうしたことこそ、震災以降の東日本で、ていうか、日本で必要とされていることだろうと確信し、
まずは息子卒業の小学校に居残って、学びと実践を続け、
実は、こうした活動がイラストレーターとしての仕事にも、ものすごくプラスな力を与えてくれているんよ。


で、夜は代官山蔦屋書店へ。
輪島の塗師、赤木明登さんがトークショーをされているとのこと。

赤木さんやその周りの人と出会ってちょうど1年。

そして、能登半島地震から半年ちょっとの今、
ぜひ会っておきたと思い、駆けつけました。

ともかく!
能登半島地震に真正面から向き合い、
輪島塗りの灯を消してなるものかと奔走する姿を魅せて下さる赤木さん。

そんなに頑張ったら死んでしまうのでは?と懸念さえしてしまう、その原動力は、
果てしない知への欲求なんだなあ〜と。

語らえるひと言ひと言が、その瞬間自分の血肉なるような感覚。

「人のため」と思われることも、結果「自分のため」に帰結し、
しかし、それは次なる「人」にフォーカスしてゆく。

伝統工芸の方ではあるけれど、
イラストレーターとして生きる自分が絶えず視野に入れておくべき背中が、
やっぱデカく見えたんよ。。

で、
幸せすぎた能登との出会いの中でも、とても確かな手応えの記憶を残してくれた、
赤木明登さんの美意識に惹かれ、赤木明登さん専属の編集者になるべく上海から能登にやってきた
イーウェンさんとの再会は、うれしかったなあ〜!

彼女との会話で確信出来たのは、
「人は美意識で生きていいんだ」
そんなこと。

能登は今だにとても大変な状況です。

ただ、そこに希望となる人が確かにいてくれる。

自分はそうした人の力になれる仕事を、
日々絶えず考えて生きる。

これは2011年3月11日から、何ら変わらず続けていることなんだけど、
美しき1人ひとりとの出会いは、自分に「自分らしさ」を教えてくれるし、
続けてきたことに確信を与えてくれる。

2024年7月7日都知事選用

東京都民のみなさまへ。
7月7日用のポスター作りましたよ〜
グーグルドライブにA4データー入れときましたので、
使い道ある方はご利用くださいませ。
グーグルドライブにA4データー入れときましたので、
使い道ある方はご利用くださいませ。
https://drive.google.com/file/d/1q4IT5tXxkouPZT8424jYKHmiuwP5MLfx/view?usp=sharing

こちらは1×1のインスタ用。
https://drive.google.com/file/d/1ZaBB2Tcoc90T9dsAd6xZmbpX0nFRpY0C/view?usp=sharing

昨日は近所のワインバーで普段会話にしずらい政治の話をしてみようという、オープンマイクな集まり。

自分は選挙権を得た時から貫き通してきた「筋金入りの無党派層」として、特定の候補者を推す発言はせず、憲法で保証されている「しあわせ」になる権利から話を始めました。

幸いにも地域の小学校から「福祉」に関するテーマを投げてもらったり、フリーランスの働き方の課題についての学びもあったので、渋谷区イケ散らかしてるエリアで、楽しい会話の運びがが出来たはずです。

政治は当たり前に生活や仕事と接続しているわけで、そうしたことに対して声の出しかた忘れちゃうと、息苦しくなっちゃうよ〜!という着地だったかな。

以下ひっかかりワード

「政治的発言」の「的」とはなんぞや?

よく耳にする「変えなきゃ」は何を変える?

仮に自分が都知事に立候補したとしたら公約は何?
・都内の寿司屋の寿司は江戸前で獲れた海産物に限るという条例を制定
・生産量日本一のウドを全ての家庭で栽培し、有事に備える。
・東京のヒートアイランド現象を嘆く報道をするマスコミ各社の湾岸部に建てられたビルを解体し、東京湾の海風を取り戻し、ヒートアイランド現象を緩和させる。

ユーモアが失われる社会は嫌だ!ってことですね。

「ぺんくんのダンスすいぞくかん」販売会

6月25日(火) 10~18時「ぺんくんのダンスすいぞくかん」販売会
渋谷区富ヶ谷の天然酵母パンのルヴァンのカフェ”ルシャレ”で開催します。

東京都渋谷区富ケ谷2-43-13
03-3468-9669

福音館書店こどものとも7月号「ぺんくんのダンスすいぞくかん」発売を記念し、
いつもお世話になっております街の皆さんへの絵本販売会を、
渋谷区富ヶ谷2丁目の天然酵母のパン屋 ルヴァンのカフェ”ルシャレ”で開催します。

同時にぺんくんの原画(?)も展示。
ルシャレ特典としまして、ペンくんポストカード3枚セットや、
子どもたちとのスケッチで作った「よよぎポスター 」をプレゼント。

いつもはお休み日での開催ですが、お茶や食事のついでにお運びくださいませ。
もしくは、満席の場合は立ち話だけになってしまうかもですが、
富ヶ谷愛に溢れた時間にしますので、ぜひお運びくださいね〜。

「ぺんくん」1冊460円です!

159ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,841日
691週と4日
13年3ヶ月
159回めの11日です。

今日はといいつつ、
数日すぎての投稿です。

ここのところずっとミーティングが続いています。

2018年あたりから仕事のあり方が変わったのだけど、
父が亡くなったことや、イラストレーター協会の大変な仕事も重なり、
見失っていたことはないだろうかなんて、
2ヶ月間くらいぼ〜っと過ごす中、次にやるべきことがちょっと見えてきた。

そんなタイミングで、福島県のこと、群馬県のこと、秋田のこと、直島のこと、
もしくは今暮らしている渋谷区代々木エリアのことど、
ともかく人と話し、向かうべき方向を明快にする作業が続いています。

別々の土地での別々のアクションは、
実は自分の中ではガッチリつながっていて、
そのつながりをそれぞれの土地の方と共有してゆけたらいいのだろうなと。

引き続き会話、会話、会話です。

ぺんくんのダンスすいぞくかん

「ぺんくんのダンスすいぞくかん」
ぺんくんが水族館の仲間にダンスを教えて、ダンスパーティーを開催する物語。

福音館書店の「こどものとも」年少版2024年7月号として、6月3日にリリースの新作絵本です。

新作と言っても9年弱かかってのリリース。
家族史と並走し作った絵本であります。

編集者から「アミイゴさんの段ボールクラフトで絵本を作りたい!」とお話をもらったのが、2015年10月。

2010年から11年にかけての1年間、福岡の水族館”マリンワールド”のビジュアルを担当したのですが、それを編集者が気にってくれたんです。

マリンワールドの仕事は息子の0歳から1歳の時で、仕事のついでにダンボールでおもちゃ作ってあげたりもしていました。

そんな人生の凪のような1年も、3011年3月11日の東日本大震災で一変。ボクは活動のベクトルを東北に向けてゆくのだけど、その時期、息子0歳から3歳までの間は、福音館書店から自身初めてのリリースとなる作画担当の絵本「ちいさいトラック」の制作期間と重なっていて、東北の風景を描きながらも、絵本制作はゼロから息子の成長と共に学んでいたような時期でもありました。


トラックくんの顔、赤ん坊の頃の息子の顔に似てるし、生活と創作がリンクした感じがありがたい仕事でした。

東北での作画と「ちいさいトラック」は、今の自分の礎となった絵本「とうだい」の仕事を呼び寄せてくれました。

2014年から16年にかけて制作した「とうだい」の絵。それは震災から5年の現在地を確認するような作業でもありました。またその期間は息子の保育園入園から卒園の3年間と重なり、自分も色々学んだなあ〜と。困難を乗り越え輝く「とうだい」の、はにかみながらも誇らしそうな表情は、保育園から帰ってきた卒園間近の息子の顔を参照しました。

で、今振り返れば自分のマインドが混沌としていた2015年10月に「ダンボールクラフトで絵本を作りましょう」なんて言われていたんだなあ〜と。なんだか人ごとのように感じるのは、「とうだい」の制作にエネルギーの多くを注いでいたからなのか、どうか。

ただ「息子に作ってやってるみたいに、ダンボールでペンギンを作って絵本にしたら、きっと子どもたちの良い友だちになってくれるはず」そんな確信だけはあったんよね。

で、当時5歳の息子に「とーちゃん、ダンボールのペンギンの絵本を作るんだけど、主人公の名前はなにがいいかな?」と尋ねたら「ぺんくんがいい」と。
「よっしゃ!」ポジティブなマインドで物語作りを始めた、
のだが、

当初、ぺんくんが迷子になった小さな魚を探すため、水族館の仲間に尋ねて回るという話だったのだが、まあ色んな意見を返してもらって、う〜ん、そうか、そうか?そうかなあ??なんて迷路にハマり、自分こそ迷子になった、、

その頃は子育ての実感を元にした絵本「かぜ、ひいた」をリリース。子どものためのワークショップも各地で開催したり、息子の小学校のPTAの仕事をしたり、地域活動に参加したりで、あらためて「子どもって面白いな〜」と再発見の日々。
「かぜ、ひいた」は保育士さんに喜んでもらえた絵本だけど、自分の子どもとの接し方も更新していた時期で、ひとつの子ども再発見で、ぺんくんの物語も更新しれ考えなくちゃならない。そんなことだったんだろうね。

あらためて「自分ならではの絵本」てなんだろう?
ぺんくんがどんな振る舞いをしたら、より子どもたちと友だちになれるか。
ぺんくんが物語の真ん中にしっかり存在するストーリーが湧き出した、
そんな折、父が病に倒れました。

2017年夏から2018年春まで東京と群馬を往復し看病を続け、その間家族というものを考え続け(あまり立派な家族関係ではなかった)、羽田空港の大きな仕事 取り組むことは出来たけど、ぺんくんの物語は完全にフリーズしてしまった。

それはどういうことだったのか、今でも言語化出来ないでいるんだけど、介護の合間に自分が生まれ育った群馬の土地を歩けるだけ歩いた数ヶ月間でもありました。

父が亡くなったタイミングでふたつの絵本の制作が始まり、
ひとつは宮城県の沿岸部を舞台とした「水曜日郵便局」というアートプロジェクトを足場に、震災から復興を裏テーマに瞬発的な力で創作した「うーこのてがみ」といった絵本リリース。

この絵本の主人公「うーこ」にはモデルとなる人がいました。
震災から家族の復興を目指し奮闘していた筆マメな女性。

過去形で書いているのは、この絵本がリリースされる数ヶ月前に頑張りすぎて急逝してしまったからです。

「子どものため」というより「人のため」に創作した絵本でしたが、人の喪失に向き合えば向き合うほど、「子どもにとって必要な居場所としての絵本」というものを考えざるを得ず、ぺんくんの活躍するのはもうちょっと先でも仕方無いと考えたはずです。

そしてもう一冊は「はるのひ」

震災後の子どもたちの課題を考えると、父と子の関係性を描く必要を感じていたのだけど、まさに父が亡くなるタイミングでこの物語の創作が始まって、完成までの3年は、苦しかったなあ〜。

制作は息子が小学校を卒業するまでの4~6年生の間で、息子と色んな詩を読んだりしながら、父と子の間にあるべき言葉を探り続け、それは「はるのひ」という美しい詩に昇華出来たのだが、それを子どものための絵本に落とし込む作業、言葉の風景が導き出してくれる音楽的表現としての絵とかね。今振り返っても自分がどんな思考で創作したのかよくわからない。

ただ、人は喪失といものを避けられないわけで、ならば一瞬一瞬の発見の喜びを重ねてゆかねば。
息子たちにもそんな生き方してもらいたいぜ。そんな考えではあったはず。

というわけで、「はるのひ」の2021年春のリリースまでぺんくんの物語はさらに1ミリも動くことなく、心の奥深いところに沈めておいたのです。

ありがたいのは、編集者が諦めなかったこと。

お話をくれてから6年。
「ぺんくんを再始動させよう!」という話を頂き、お互いの近況を語りあっていたら、歯車がガチッと噛み合って、ぺんくんが動く姿が想像出来てね。
自分も色々経験をして、彼女もお母さんになって、「ここは悩む必要ない!」みたいなことがスムースに共有出来るようになったのかも。

何より「自分らしい」もしくは「自分ならでは」というものが明快になって、昨年夏にぺんくん初号機を制作。

秋に住まいを引っ越したことで制作環境も改善され、絵本の素材となるダンボールクラフト丸っと2ヶ月くらいで制作。


ダンボールのカットは「潔い」「気持ち良い」それだけを頼りに、自由で思いがけない造形が生まれる喜びと、それを組み合わせで出来た造形の可笑しさとがハッピーでね〜。

このマインドを持てたのは、この作業の直前で取り組んでいた「ポストが ぽつん」という、ある意味荒唐無稽な物語の作画を「長新太さんならどうしだろう?」なんて考えることで、結果ずっと笑顔で描き上げた経験が、とてもデカかったです。

そう、自分を振り切って描いた、自分が想像出来なかった絵に出会えること。
これを子どもたちと共有したいし、子どもたちが必要なものはこういうものではないか!?なんて考えに至れたところで、ペンくんをダンボールから切り出すことが出来た。

だからぺんくんの仲間たちも朗らかな姿で目の前に現れてくれた。

そして、撮影はいつも自分の仕事の絵を撮影してくれる東京フォトアーガスの坂上くんにお願い。

ここまで8年かかって撮影に漕ぎ着けた仕事だけど、スタジオでの坂上くんとボクの仕事の早さに編集者はビックリ。

一瞬で風景を構築して、一瞬でその意図を共有して、課題があれば一瞬で解決し、悩むことは一切行わず、一瞬でシャッターが切られてゆく。
そうそう、こういう仕事のあり方も子どもたちに知ってもらいたいんよ。


ともかく気持ち良いもの作ろうぜ!と、撮影は12月と2月に2日間だけ。
その間、編集者がクオリティの部分でアイデア出してくれて。
最後に何度か重ねた推敲と色校正は、もしかしたら自分が1番プロらしく振る舞えたのではないかと。

ああ、気持ちの良い仕事だった!

ぺんくんのことを語ろうとしたら、これまでの絵本のことをこんなにも書くとは思っていなかったけど、こんなたった11見開きの絵本でも、扱っている1番のテーマは「命」であり、願うのは「子どもたちの幸せな居場所」であること。

今後もいくつか絵本の仕事が続くのだけど、それがどんなテーマであっても、芯に置くべきものがなんであるべきなのか、ぺんくんと一緒にその絵本の制作を振り返り、ぺんくんとボクとの共通言語にしておかなくちゃと思いました。

「ぺんくんのダンスすいぞくかん」こどものとも年少版1冊460円!
ぜひ手に取って楽しんでもらいたいです。

が、こんな映像も作ったので、一緒に踊っちゃって〜

香港イラストクリエイティブショー7レポート


5月4~5日は東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)のブース「日本美術館」の運営のため、
香港イラストクリエイティブショー7“(HKICS)の現場に立ちました。

前回まで九龍のコンベンションセンターで開催され、出店者やファンを拡大してきたHKICSですが、今回から香港最大のコンベンションセンター”香港会議展覧中心(Hong Kong Convention and Exhibition Centre)”に会場を移しての開催。
自分としては前回昨年11月に開催された第6回目に次ぐ2度目の現場です。

初日香港国際空港に着くとなかなかの強風を伴う土砂降り。
しかし、会場までまったく濡れることなく着けるのは、流石に高度にインフラ整備された香港。

(2日、香港会議展覧中心を対岸の九龍より望む)

主催はシリウスさんとエリスさん。

右がシリウスさんで、企画運営の統括をされています。
香港でITベンチャーを立ち上げ、現在は東京と香港での2拠点生活中。日本のイラストレーションに対して絶大なリスペクトを注いでくれる方です。

写真左の女性がエリスさんで、クリエイティブディレクターの役割を担いっています。
韓国でクリエイターと関わる仕事が長かったとのこと、香港語と英語とハングル、そして日本語も少し話せるマルチリンガルです。

HKICSは日本ではデザインフェスタに当たるコンベンションです。

TISは第4回目から「招待」して頂いています。

第4回参加時の記事
第5回参加時の記事
第6回参加時の記事

そうして回を重ねる中、今回シリウスさんからの要望は「グッズ販売」をメインにやってみないかというもの。
それに対して一度「kawaii」に振り切ったグッズ展開を出来ないだろうかと考えた今回です。

それは前回現場に立ち合い香港の方々と向き合って実感した、日本の「kawaii」の”世界共通語感”。
さらには、多くのお客様が「kawaii」だけでなく「yasashii (やさしい)」と発語し、日本のイラストレーターの作品に触れている姿に出会ったから。

デザインフェスタのようなコンベンションに、プロのイラストレーターの団体であるTISが参加することは、日本では発想されていなかったはずですが、このチャンスに突き詰めて検証する日本のイラストレーションというものがあるのではないかとと考えたのです。

そこで、壁面にはTISが主催するイラストレーションのコンペ「第18回TIS公募」での入選・入賞作で構成。
その手前に”TOKYO kawaii グッズ販売”のコーナーを設ける展示構成を考えました。

結果、12時のスタートを待たずに人が、、

初日は笑っちゃうくらい暴風雨の香港なのだが。

!奥と右の展示に段差があるのは、右の壁面が額の重さで落ちてしまったため、、

12時のオープンから19時の閉場時間まで、お客様の波が延々と続きました。

今回主催者から「壁面の展示は8点ほど、グッズは40種類くらいでお願いします」と言われていたのだけど、実際に集まった展示作品もグッズもその4倍ほど。主催者からの「減らせないか」との要望に対し、直感的に「全部受け入れてくれ」とお願いしました。

その直感は正解だったのですが、壁面構成などかなり苦心して考えてくれたことがわかり、ただただ「ありがとー!」


中華圏の展示は、原画にこだわることなくデーター出力でガンガン展開してしまうのがデフォルトです。
そんな中、公募受賞作品は額装で、入選作品は額的なデザインを施した見せ方というのを考えてくれました。


そして、TOKYO kawaii をアイコニックに感じてもらうために欠かせないのが、春からTISの理事長を務めて下さるサイトウユウスケさんのオリジナルキャラクター”チャック

これで万全!
のはずなんだが、初日の朝にグッズを開封したら、その物量に流石に途方にくれた自分です。

手前に100%ORANGEさんのグッズ。
そこから商品を流してゆき、締めの部分は壁面との関係でサイトウさんのグッズ。
その流れの真ん中にあえて『ド派手な大阪コーナー』いぬんこさんとタダユキヒロさんを中心に構成。
別テーブルにポストカードを展開。までは発スムースに想出来たが、そこからフリーズ。

そんな現場に救世主現る。

主催者が用意してくれた3名の販売スタッフ。
みなさん信じられないくらい真摯に取り組んでくれるのですが、その中でもひとり大天才が。

自分のようなイラストレーターに対する忖度は無しで、今のここにあると良いなと思えるグッズを選ぶと、適切なな位置におく。それを絶えず繰り返しお客様の求める「kawii」に対応させてゆく。zineなどは「このページ見て!」という感じで開いて見せるから、お客様も手を出しやすい。ものすごい種類のポストカードは、あえてランダムに並べて置いて、お客様がそこから掘り出し「わたしだけのkawaii」を見つける楽しさを演出。

なので、二日間ずっと販売スペースがキラキラ輝いて見えるんよ。


実は初日のかなり早い段階で目立つタイプのグッズや書籍が売れてしまって、2日目までもつのか心配したのだけど、そんなことない。東京から運んだグッズは全てキラキラ輝いていました。

なるほど、イラストレーションの周辺にはこういう人の存在が必要なんだね。
日本ではどうしても腕を組んで「お手並み拝見」みたいな態度の人が目についてしまうのだが、まだまだやるべきことはあるなあ〜。

以下、二日間通して象徴的だったトピックなど。

「kawii」を演出した今回ですが、エッジの立ったもの、いわゆる「アート」で語られるタイプのものもしっかり売れました。

この中ではぱっと見渋く見えてしまう濱愛子さんの画集もSOLD OUT!!
軽くガッツポーズっす。

「kawaii」と「edgy」が共存しダークなトウキョウをポジティブに見せる藤岡詩織さんの作風も、
「日本らしさ」として好まれた印象です。

タダさんのグッズだったり、

佐藤邦雄さんのグッズだったりに「kawaii」を発語して喜ぶ香港ピーポー。
大阪と香港、何かありうそうだ。

そして、本来の「kawaii」の語源である日本由来のアニメやコミックは世界言語になっているが、若干その鮮度が失われているのではと思えた、TISの作家さんの作品に向けられた新鮮な視線。
もちろんすべての作家さんがまんべんなく売れたとは言えず。しかし、すべての作家さんに可能性を感じた「kawaii」が更新された現場だと思いました。

壁面ではさらに面白い現象がありました。

アサバさんの作品は、今回の日本のイラストレーションを象徴するような存在として、多くの方が興味を持って見ていました。彼女の絵から視線が周りの絵に移動し、そして自分の「推し」を選ぶような。ある意味イラストレーションらしい絵の楽しみ方をしてもらえたはずです。

ということは、公募で彼女の作品に大賞を与えたTIS、ちょっとすごいぜと思ったのでした。

そして、自分に対して一番質問の多かったのは、
「くまじんさんのこの絵が買えるのか?」
「この絵のポストカードは無いのか?」
「この人のアイジー(インスタ)を教てくれ」
というものでした。

なんだろう?香港。
高層ビルが立ち並ぶ巨大な金融都市にあって、若い人たちは何を考える?

去年自分が自分の絵本を販売した際も、「やさしい」という言葉と共に「手で描いているのか?」という驚き顔の質問が多かったのだけど、その部分でアジア圏で語り合えることはありそうだ。

くまじんさんのこの絵は、とても象徴的な物語として今回のHKICSの記憶となったけど、他の絵全てが日本とは違った価値観でしっかり見てもらえたことは間違い無く。今後の日本のイラストレーターの活動のあり方を考える良い機会を得たんだと実感しました。

日本のイラストレーションにはまだまだ全く手がつけられていない可能性がある。
です。

その他、

韓国と台湾、それぞれでアジア最大規模のコンベンションを主催するオーガナイザーを紹介され、どちらからも「なぜ御会は韓国に来ない?」「なぜ台湾のコンベンションに参加しない?」みたいな質問をうけたり、「なぜ日本ではなく、東京のイラストレーターの協会を名乗るのか?」と質問。

う〜〜ん、と考え、
「まず、日本のイラストレーターは、イラストレーター1人ひとりがパワフルであることを目指していて、それを束ねる協会が主役になることは無く、会としての他国でのブース展開という発想にならないのだろう」

そして、
「TISは、過去にレジェンダリーなイラストレーターが集い結成された作家団体だったが、それは東京の街、特に渋谷、原宿、神宮前、青山といった限られたエリアに、イラストレーションに特化したギャラリーが集約して存在していたという、世界的に見てもレアな状況から、東京の街そのものがサロン化していたことが、ひとつ大きな原因ではないだろうか」と。

というわけで、
今度日本に来たらそうしたギャラリーを全部案内するから、覚悟して来てよ〜!と伝えました。

そんな発言をした自分が面白いと思えた台湾2days

あらためて、二日間ポストカードのようなものを売った売り上げとしてはどうだったんだろう?
清算は後ほどということで、主催者からは「おめでとうございます」だったり、「一緒にやれて勉強になりました」など声をかけてもらったけど、香港ドルのレート感がわからず、気がつけば自分はメシ食って現場とホテルを往復しただけなのに、お金けっこう無くなっているぜ、と。

ただ、そこに日本人が作ったイラストレーションだったり「kawaii」を求める、この場所にいることを幸せに思う2万人弱の人と顔を合わすことが出来た。それとても価値のあることだと思えたよ。

で、自分はTIS所属の作家さんからお預かりしたグッズを販売する責任があるので、自分のグッズを並べる隙間を見つけられず売らなかった。でも後で考えたら、香港の人1人ひとりとガッツリコミュニケーションとって、ポストカーでも絵本でも手渡したいと思ったんだろうね。

実は今回香港に行く前に、自分のSNSで「かわいいとはなんぞや?ちょっと香港に行って考えてくる」とポスト。

日本に帰ると、長年グッズ製作をしている作家の友人が

「かわいいとは「いのち」だと思います。」

とコメントくれてた。

そうなんだよ〜
今回香港のこの現場でやったのは、なんだか「いのちのやりとり」みたいなことだった。

世界とアジアと中国と香港と太平洋と日本と、自分たちが求める「幸せ」とは別に、手に負えない問題はある。
「手に負えない」「言葉に出来ない」なにかが、「kawaii」を介して共有され、共感を高め合った現場という実感。

何より、自分のようなHSP体質の者が、この人波の中に在ってもまったくストレスを感じなかっあたこと。

香港の人たちの熱は、他者を認め合おうとするマインドにギュッと抱きしめられて、熱々を保っているのだろう。

「kawaii」は「いのち」
「おしゃれ」は「POWER」
「やさしい」は「ある意味ファイティングポーズ」

香港はこんな言葉をボクの心に刻んでくれました。

シリウスさん、エリスさん、天才スタッフさん、香港のみなさん、
また元気で会いましょう!

アミイゴ
2024
0504
0505
PEACE!!

深圳の展覧会についての説明ページ

深圳イラストレーター協会が過去に開催した国際イラストレーション展の様子と、
今年7月に開催する展覧会の会場を紹介します。

まず過去の展覧会


多様性と没入感のをテーマに、マルチメディアの可能性など探っている感じです。

こちらは各年開催の公募の入選作品が展示されているスペース


展示風景


手描き作品もデジタルプリントされたものに置き換えられて展示されるのが中国流です。


テーマによってコーナーが作られています。


このコーナーを別角度で見ると↓

今年の会場の資料を紹介します。

北区:B10馆
地址:深圳南山区华侨城恩平街华侨城创意文化园北区B10栋

北地区:ホールB10
住所:深セン市南山区OCT恩平街OCTクリエイティブカルチャーパーク北区ビルB10

Jingxiu North Street No.2, Nanshan
Shenzhen
Guangdong China
Googleマップ

深圳の広大な展示場の並ぶエリアの中の”B10館”を使った展覧会です。

2023年より大きな会場に移行したようです。

展示室の写真、沢山送られてきた中から2点ほど。

158ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,810日
687週1日
13年2ヶ月
158回目の11日です。

4月21~22日は福島県飯舘村フィールドワーク。

一昨年の秋に始まったプロジェクトとして6回目のフィールドワークは、
3月17~18日に続いて今年2度目。

今回初めて福島県立博物館の学芸員チームと村内で一泊し、
村内在住者と多くを語り合う時を得ました。


6度目のフィールドワークで初めて、
「美しい春の風景だな〜」なんて心より思えた自分は、
原発事故以前の飯舘村も、原発事故から10年の飯舘村も知りません。

なのでしょうがない、
今見えるものがすべてであり、今見えるものは当たり前では無い。
そんな心持ちで風景に向き合います。

ということを飯館村だからではなく、
自分の場合どんな場所でもやっているんだろう。

そんな飯舘村に対して無責任な存在の自分だからこそ出来る表現があるのか。
それは誰かの助けになったり、生きる力になるのか。

その答えは先回りすることなく、
やはり「見る」「聞く」「感じる」といったことを優先ですね。


菅野宗夫さんはNPO法人ふくしま再生の会の副理事長を務める飯舘村の農家。

原発事故前は畜産も行うも、現在は農業に専従。
自宅敷地に地域再生のために村に入る学生などのベース基地を設けています。

奥様は「この春震災後年初めて集落で子供達の声を聞いた」と。

それは何かの企画で村外から集まった人たちの子どもだったけど、
それでも嬉しかった。

しかし、元々村で生まれた子どもは、もう高校生だったり成人になったりしているから、
もうここを故郷なんて思う記憶が無いよ。と…


でも、どうなんだろなあ〜〜、

自分は群馬県の長閑な養蚕地帯で生まれて、
5歳、6歳くらいまで、今振り返れば実に美しい人里の景色抱かれ育ちました。
が、高度経済成長が行き着いたあたりで、一気にその美しい風景が失われ、
いつも遊んでいた川から腐臭が漂うになった。

その喪失感と、忘れられない美しい記憶とで、
今こうした飯舘村を美しいと思って見ているし、
そうした風景が復活することを願って活動している。

だから、未就学で飯舘村を後にした子どもにだって、
飯舘に戻ってくるモチベーションはあるはず。

そんな話をしました。

そして、
これは飯舘の方に叱られてしまうかもしれませんが、
戦禍や原爆で失われたことも、高度経済成長やバブルで失われたことも、
実は飯舘と地続きのことであり、
だから自分はここまでやって来たんだろうと思ったのです。

ところで飯舘の民謡ってありますか?と質問。

宗夫さんが、お父さんが唄ってる動画があるはずだと調べてくれました。

2012年6月、飯舘村の田植えの後のサナブリ。菅野のおじいさん89歳が新 相馬節を披露しました。

157ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,780日
682週6日
13年1ヶ月
157回めの11日です。

アップした絵は昨年7月に能登里山で見た昼顔の花。

能登里山の緑は、関東の緑とはちょっと違って見えて、
濃くも優しい緑、そんな印象でした。

この日は雨がパラパラ振ったりの曇り空でもあったので、
余計緑の優しがが印象に残ったように思います。

が、まだまだ描ききれないなあ〜、能登の緑。

この日はその後輪島塗の塗師の赤木明登さんの工房を尋ね、
その仕事の奥深さに触れたこともあり、
自分の絵の「まだまださ」に呆れてしまったのもありますね。

その時のことはこちら↓「まどをあけて」をごらんください。
https://www.daihatsu.co.jp/lyu_action/book/no07/madowoakete07/

そんな能登が大きな地震で苦しんでいる今、
赤木さんは輪島塗を絶やさぬようにと、木地屋さんやご自身の著作の編集室や、
昨年大きな感動を頂いたオーベルジュ「杣道」の再建に向けて活躍されています。

今年の3月11日は、そんな赤木さんが工房を一時避難させている金沢へ。
そして夜は、やはり仮店舗で営業中の「杣道」で食事。


自分が今までいただいてきた食事の中でも、最高に肌の合うごはんを作らてれいる北崎さん、
そしてホールを担当されているこいとさんの健在を確認。

ともかく美味しくて豊かな時間で、
食後3人で話したことは「aikoのライブ、最高でしたよ〜!」みたいな他愛もないものだったけど、
まずは、ほんとこうして会えたことが嬉しかった。

で、次は能登で会いましょうと約束し、
次の日は土砂降り。

無理なく電車で行けるところまで行ってみようと、能登七尾へ。

七尾も変わらず土砂降りで、
輪島湾を見て、靴をずぶ濡らせて、美味しいうどんを食って帰ってきました。

視線を転じれば大変な風景が目に飛び込んできますが、
今自分に出来ることは少なく、無力を感じるばかり。

ただ、今後自分がやるべきことは確認出来たかなと。
少なくとも能登の緑を描けるようにはなりたいです。

そして次の週は宮城の塩釜>気仙沼~唐桑>福島~飯舘>会津~喜多方と巡り

13年前の春から、1人、1人と知り合ってきた方とお会いし、
お互いの健在を確認し、喪失を慰め合い、また元気で会おうと約束し、
津波被害から新たな再建を図ったお店では、開店10周年を祝いました。

能登でもそんな1人との出会いが続いてゆくことを願っています。