‘絵本’ カテゴリーのアーカイブ

「まえばしスケッチ」謝辞

2025 年 7 月 2 日 水曜日


小池アミイゴ・イラストレーション展「まえばしスケッチ」
群馬の前橋の敷島のフリッツ_アートセンターでの5月10日から6月29日まで、50日間の会期を終えました。

まず、設営の際にお手伝い下さった群馬在住のイラストレーター丸山一葉さんと、今回のご縁の元となった2年前の前橋”まちなか”の陶器店「石渡」での展覧会を実現させてくれた石渡さんに感謝申し上げます。

アップした絵は、99枚のスケッチの中で唯一左手で描いた水仙の花の絵。

思い入れ深い前橋を描くことは、気になる風景に出会っては立ち止まり、自分を見つめるような作業。
ファイル名に「50」とある水仙の絵は、制作の折り返しで自分が抱えている「何か」を下すような作業だったかもしれません。

80年前の空襲で失われ、今は「平和町」と呼ばれる場所の、主を失った家の前で咲いていた水仙の花は、自分がこれから向かうべき方を向いてくれていたように思います。

あとの2枚は、
最後から4番目に描いた「県庁前でひとつ咲いていたコスモスの花」

そして最後に描いた「帰りの両毛線の中から見た前橋の街」

どちらも「あ、描きたい絵が描けた!」と思えた2枚です。

「こんな儚さが自分の前橋なのか」という発見と、
「この余白こそボクの愛する前橋なんだ」という確信を得られたことは、これから動き出す前橋での仕事に生かしてゆかねばです。

今回の展覧会では25点の絵がどなた様かの元に旅立ちました。
が、ここにアップした3枚は手元に残っています。

この価値観の余白を埋めるのか、色付けるのか、さらに広げるのか?
答えを急ぐことなく、さらに描く先で答えに出会えたらいいなと思っています。

思いがけず多くの方と出会え、多くの会話が生まれた展覧会。
久しぶりに会うことが出来た友人からは「小池は物静かだった」とか「何を考えているかわからなかった」とか「だいじょうぶかな?と心配していた」とか『あの頃の自』を教えてもらえて、19歳で後ろ足で砂をかけるようにして群馬を離れ、何者でも無い自分を振り回して生きた自分が、何者なのかちょっと確認出来たように思います。(てか、昔の友人が来てくれるんだ〜!)

などという展覧会。
この場と多くの出会いを与えてくださり、お互いの美意識のすり合わせから熱を起こしてくれた、フリッツ_アートセンターの小見さん、ならびにスタッフの皆さんに感謝申し上げます。

自分にとってフリッツでの展覧会は、展覧会というより、みんなで創ったLIVE。
本の森、baobab、エリ・リャオ&ファルコン、水と青、ドロップス、公園のおはなし会などなど、
ご一緒出来て、うれしかったぜ!

そのLIVEのアイをオーに変え LOVEへと育てて下さった、ここで出会ったすべてのみなさん。
愛してます。
ありがとう。

これは始まりの挨拶です。

20250510
20250629
アミイゴPEACE!!

171ヶ月め_前橋のこと

2025 年 6 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,206日
743週5日
14年3ヶ月
171回目の11日です。

アップした絵は、
現在群馬の前橋のフリッツアートセンターで開催中の展覧会「まえばしスケッチ」に追加展示した絵。

展覧会が始まって1週間後の5月17日、フリッツアートセンターでbaobabのコンサート
「かぜつちうた」を開催しました。

過去に何度かやってきたように音響を自分が担当し、
baobabが積み重ねてきたたことを大切に、お互い尊重し合いアイデアを出し合い、
この場所にアジャストさせたことで、フリッツという場所ならではのコンサートを目指します。

本番前には土砂降りだったの雨も上がり、リハーサルで高まった心の熱をちょっと冷ましておこうと、
マジックアワーの光に包まれた敷島を歩いてみました。

ああ、綺麗だなあ〜

池に浮かぶ白鳥ボートの可愛らしさ。
水道タンクとヒマラヤ杉が生む光と影の構図。
松林に斜めに差し込む光の帯の鮮烈さ。

人と志を共にし、ひとつの現場を創る作業は、
ボクに「美しいものをただ美しい」と思わせてくれる目を与えてくれるようです。

積もった松葉を踏んで歩く時の体が浮くような優しい感覚。
自分は今前橋を描いた展覧会を開催しているが、
その目の前に広がる風景を何一つとして描けていないと思う刹那。

直後に始まったbaobabのコンサートは、
やはりこの日この場所でしか生まれ得ぬ作品へと昇華しました。

あとは東京に戻り見たものを描くだけです。

baobabとは2008年に東京の渋谷で出会いました。

彼らの暮らしのある大分から車で移動しながらコンサートを続け、
最後に渋谷で開催していたボクのイベントに出てくれた。

その音楽に「若い兄妹が生きてきた時間だけがきっちり鳴っている」と直感し、
1ヶ月後に彼らの暮らす大分県、現在の杵築市山香という町まで足を運び、
森の中の古民家で半農の生活と、楽器作りや音楽活動を両立させる彼らの生き方に出会いました。

今振り返ると、その後に起きた東日本大震災に対しわずかでも正気を保ち向かってゆけたのは、
そんな彼らの暮らしに出会っていたことで、人間に対する希望を窒息させずにいられたからなんだと思います。

あの日から14年めの初夏、baobabと前橋でひとつの作品を創るような作業を出来て、
何かひとつ前進させることが出来たのではと思っています。


「まえばしスケッチ」という展覧会は5月10日から始まり6月29日が最終日で、
ちょうど1ヶ月が経ったところです。

baobabのコンサート以外でも在廊を繰り返し、来場される方と言葉を交わすことで、
自分のやっていることの意味がわかってきます。(自分はコンセプトを立てる前に体が動いてしまう)

より明快になったことは、
自分は前橋という街を喪失した心の痛みに対し、セルフケアのような作品制作をしている。
ということです。

子どもの頃に憧れたキラキラした街前橋は、バブル経済が弾けた頃から急速に寂れてゆく。
日本一の車社会と言われる群馬にあって前橋の市街地は、求心力を持つ観光スポットを持たず、
またその周辺に郊外型の大規模商業施設が出来たことや、人々の画一的な消費行動が進んだことで、
2000年代初頭には学校の教科書に「典型的なシャッター商店街」として掲載されるほどに凋落してしまう。

こうしたことは日本の各地で同時進行的に起きたことだけど、
それでも前橋の風景は、東京に出て「よそ者」となった自分でも心に傷のつくほどの凋落です。

これはボクの勝手な印象でしかないのですが、
『前橋という街は経済の津波にさらされ大切なものを流されてしまった』と。
実際、東日本で津波被害に遭った場所に立って「前橋みたいだ」と思ってしまったこともあります。

それでも「いつかボクの前橋を描かねば」と考え続けてきて、今回。

数年前より前橋をアートの力で更新させてゆこうという動きが生まれ、
多くの人が前橋に力を注ぐようになりました。
薄汚れて見えてた場所にやわらかな光が当たって見えるようにもなっています。

方や前橋の郊外である敷島では、
フリッツアートセンターという場所がオーナーの小見さんの美意識を保つ形で40年、
「敷島らしい」空気を模索しながらも醸成を続けています。

自分はそのふたつのエリア、前橋駅から街中を抜け広瀬川沿いに敷島までの5kmを歩いて、
目に止まるものを描くことで展覧会を作ってみようと考えました。

その5kmの途中に「平和町」と名付けられた街があります。
それは日本各地で、特に空襲による被害を受けた場所に対し与えられている町名です。

前橋では、現在の中心地の周辺部、街の賑わいの途切れたのどかな住宅街エリアが「平和町」です。

子どもの頃父から何度か前橋空襲の話は聞いていましたが、
こんなのんびりした場所まで爆弾を落とされたのか?という疑問から、
空襲被害に遭ったエリアを調べてみました。

ちょっと古い資料なので、
Googleマップに消失エリアを被せてみると、

なんと!
自分がボケ〜っと歩いている場所の半分は火の海だったのか、、

1945年8月5日の夜から6日の朝にかけて、
535名の命が失われ、6万人以上の人が焼き出された。
(その数時間後には広島で原爆が投下され、9日後には無条件降伏が国民に知らされる…)

自分が子どもの頃に憧れたあのキラキラした前橋は、
完全な焦土の上に再建された街だったんだと、あらためて…

わかっていたつもりだったけど、
自分は今回あらためてこの街を歩き、この街を自分の身体に刻み込むことで、
この街に暮らす人の視線に寄り添い、この街の何か美しきものを見つけようとしているんだろう。
それは自分の喪失感を癒す作業でもあるわけです。


人は焼け野原にボクが憧れたキラキラした街を造り、
焼け出されてしまったあるエリアを「平和町」と名付けた。

そんな街も経済の大津波に晒され、
ボク個人の感覚では喪失してしまった。

それでも視線をちょっと振ると、
どなたかの家の塀の脇に刈られずに残された小さな花と目があったりする。

そんなふうにして描いてきた絵を間に置いて、展覧会に来られた方と言葉を交わすと、
色々と気がつくことがあります。

まず、人が穏やかで優しいなあ〜ということ。
これは東京に出る前までに感じていたガラッパチさと随分印象が違います。
それはどうしたことか、さらに会話を重ねてみて、自分なりに考察してみました。

前橋は全国亭に有名で求心力のある観光スポットを持たない街、それも県庁所在地です。

過去には養蚕業から製糸業の核として、日本の経済を牽引する街でしたが、
昭和に入るあたりで失速し、戦争で街ごと焼かれてしまいます。

そんな歴史を振り返ってみると、
今回のスケッチは空襲に耐えて遺ったものを自然と街の象徴として描いてることに気づきます。

ともかく前橋は「何も無い」状態から、
ボクのような子どもが憧れるキラキラの街を再建させた。

そうした街を造るには、とてつもないパワーが必要とされるんだけど、
でも自分が憧れたキラキラ前橋はパワフルなだけでなく、優しかったように思い出されるんよね。

その優しさとは?
ともかく街を歩き続け、疲れた身体が気がついてくれたのは「余白」

過去の前橋には「誰でも居て良いと思わせる余白」あ、物理的にも心の領域にもあった。

メインの商店街を歩くと誰かと肩が触れちゃうくらいの人出でも、余白があった。

「誰でも」なので、ある意味清濁呑み込む街の懐の深さがあり、それは場合によっては危険も含むのだが、、

あれはもしかしたら、戦争で焼かれた街の人の心に宿り続けた刹那なる思いが、
他者に対しても「居ても良い場所」を与えていたのではなかっただろうか?

また、戦争による喪失は、街に暮らす人たちに文化に対する強い憧憬を生んだはず。
言葉に出来ぬ理不尽な出来事に無力を叩きつけられた人は、文学や芸術からその回答を得ようとします。

それはとてもパーソナルで静かな行いであり、そうしたものが徐々に束になってひとつの運動のように育っても、
大声で何か訴えるようなことでは無く、やはり静かに粘り強く続けられるようなものです。

ただ、ボクはそこから漂うほのかな香りのようなものに気がつき、
そこはかとない文化的に香りこそ前橋の魅力であると、幼いながらに気がついていたはずです。

父に連れて行かれたクラシックのコンサートや、母に連れられていった演劇などなど、
今振り返ればなんて凄い表現者たちを前橋は呼んでいたんだと思う。

 

そうしたものを高度経済成長期の最後の方にキャッチし、良きものと捉えるも、
世の中のほとんどの人が「中流」を意識し始めた80年代、
バブル前夜の前橋がどんどんと漂白され、表向きオシャレな装いを見せ始めたのには違和感を感じ、
ふと気づくと自分の居て良い場所が見えづらくなっていなかっただろうか。

古く使い勝手が悪いから「しょうがない」取り壊された前橋駅の駅舎のことを、
自分は事あるごとに個人的喪失として思い出したりしています。

もちろん「誰も」が住みやすい街づくりに、自分の憐憫の情など関係無いのだと思うのだけどね。
でもそも「誰も」がなんだか生きづらさを感じているのはなんでだろう?

そうして前述するように個人的な喪失を感じるほど衰退してしまった前橋の街ですが、
ここ数年で新たな魅力的な顔を見せるようになっています。

そこには、たとえば成功を収めたJINSの田中仁さんのような民間の力が投下したお金や発想、
そこに集う人の力、そこから育つ人の力、そして行政との噛み合わせの妙があります。

では、それはなぜ実現出来たのか考えてみると、
極論だけど前橋にお城が無かったことではないかななんて思うんよ。

立派なお城がある街の人は、その力を活かそうとする街づくりをするんだけど、
前橋には城が無い。

力強くアイデンテティとして語れる産業も、そもそも街そのものを空襲やバブルで失っている。

遺されたものは「危機意識」だけってくらいなんだけど、
しかし、お城のようなもの、極論すれば富士山のような象徴が無い分、
前橋の人は危機意識をエネルギーに、あとは何物にも囚われぬ軽やかな発想とマインドで、
新しい街作りに取り組めたんじゃないかな。

新しい街の姿がちょっとでも見えてきたら、
もともとの人の優しさが「あなたの居て良い場所」を可視化させる力を発揮させてくれる。

あれ?
もしかして前橋は「軽い」という言葉を今の日本に必要なポジティブなものに更新させ、
なんなら社会の価値観も良い方に変えてしまう力を持っているんじゃないか?
なんて思い始めています。


求心力のある観光スポットは持たぬが、街が余白だけになりかけてしまったが、
人の気持ちに覆い被さる余計なことは、街を流れる利根川や広瀬川の豊かな水が、
そして上州名物赤城降ろしの空っ風がどこかに流してすっ飛ばしてくれる軽やかな街。

それが魅力だと思うと、
前橋には希望しか感じられないぜ!と思うのはボクだけだろうか。

ところでこの感じ、
ボクは福島県の福島市の街中で起きていることと似ているかも。

震災と原発事故を経験した福島。
それはある意味「何も無い」というくらいの場所まで人のマインドを落とし込むも、
その危機感があるからこそ、人は考え続け、人と人のつながり大切に育て、
人と人の間に生まれる発想を生かして、今。
「誰でも居て良い場所」があちこちに感じられる優しい街に変わってるイメージ。

これからの前橋が、東京を頂点とする中央の価値観に追従するとは考えられず、
しかし、福島の街の人たちと繋がることには、価値を感じるなあ〜。
もしくは、大分の山間の町baobabの暮らす山香とかね。

そんなことを思えるのは、日本の社会が画一的に漂白されてゆく時代に争い、
人の弱さを慈しみ美しく生きることを良しとし、ツッパらかって本屋なども営み40年、
前橋の優しい文化の生命維持装置のような敷島のフリッツアートセンターという場所が、
前橋の過去と今をパラレルに見せてくれるからなんだろう。

フリッツアートセンターでの展覧会「まえばしスケッチ」はあと2週間ちょっと、
6月29日が最終日です。

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

ボクの在廊予定は
6月15日(日)、16日(月)
6月27日(金)、28日(土)、29日(日)

最終日イヴの28日には、エリリャオとファルコンをお呼びして、
架空の絵本の世界を唄で表現する試みを行います。

ライブ + ワークショップ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
フリッツ・アートセンター


15日午後と29日午後にはそれぞれお話会が行われ、
15日はガザと渋谷の子どもたちを絵で繋いで作った絵本「みんなで見た こどものえ」で、
ボクが子どもたちに行ったセッションを再現して体験してもらえます。

などなど、
もはや終わってしまうことの喪失感が込み上げてくる展覧会に育っています。

 

 

169カ月め

2025 年 4 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から5,145日
735週
14年1ヶ月
169回目の11日です。

3月に開催したボクの個展「東日本」能登の杣径に合わせて行った能登半島地震へのチャリティ、
輪島塗レスキュー「ぬりだくみ」にたくさんのご賛同を頂けたことに感謝します。

輪島の木地屋さん田谷漆器店 桐本拓ニさんが尽力されて来られた輪島塗レスキュー活動を、
3月15日、個展最終日の青山yuiで、
そして16日と17日は地元のパン屋ルヴァンのご協力の元、三日間開催。

16日は「お座敷演芸会」と称し、小唄、落語、紙芝居を楽しみながら、
能登や輪島塗の今を「楽しく」知ることの時間が作れました。

こうしたことは一時的なアクションで終わらすでなく、愚直に続けてゆくことが、
被災の対岸にある者に求められます。

1人ひとり出来ることには限りがある。
しかし、1人ひとり出来る範囲のことを無理なく、可能であれば楽しく続けることは、
ほんと力になるんだから〜!

ということを自分は東日本で学んできました。

もちろん、それで誰も彼も救えるはずは無く、
自身の無力を絶えず自覚し続けなければです。

その自覚の上で、せめて困難な立場にある人への想像力だけは絶やさず、
なんなら想像力の尻を蹴り上げ前に進めさせるようなことは必要と思います。

今回のチャリティを持ちかけてくれた澤村愛さんは、
能を舞い、特別支援学校で紙芝居を上演する方。

先日、今回のチャリティでの輪島塗りの売り上げを報告くださりましたが、
え!?
1,225,000円の売り上げがあり、
被災された職人さんや木地屋さんそれぞれ、

新屋さん68万円

余門さん165000円

田谷さん38万円

と分配されたそうです。

すげーーー!


今回輪島から輪島塗を運んで売ってくれた桐本拓ニさん、
東京に来る直前で右手を骨折。

輪島で長年暮らしてきた家が地震の被害に遭い、
東京に来られる直前に取り壊しになった。
そのの様子を写真に撮りながら色々考えていたらフラッとして倒れ、
腕をつき、、

痛みを我慢しながら東京へ。
「どうやって代々木八幡駅行ったら良いのか」と、
超絶人混みの新宿駅からSOSを投げてきた。

そういや人ってこういうことなんだよなと。
東京の生活に慣れ、いかに東京で颯爽と振る舞えば良いのか実践しちゃっていないか?俺。
なんてことを振り返って考えた、人との出会い。

今回ボクたちは仲間を募り、能登力になれるようにとチャリティを企画し、
想像を超える多くの方のご賛同を得た。

そのこととと同じくらい、
ボクは能登輪島に拓二さんというひとりの友人を得たこと、
これも重要だし、能登をはじめボクたちがこれから生きる社会の希望だと思いました。

2025
0315
0317
PEACE!

ところで展覧会情報をふたつ。


小池アミイゴ個展「まどをあけて」
2025年3月29日(土) – 4月20日(日)

3/29(土)・30(日)・4/20(日) 作家在廊予定
デジタルマガジン「まどをあけて」(ダイハツ)で連載のイラストエッセイ「日本各地、コトづくり旅」に寄せた作品。
旅先で見つけた場所や、そこであたりまえに日常を営む人々の姿をお愉しみください。
古本屋「かえりみち」
〒484-0083 愛知県犬山市犬山東古券661
Tel:090-9749-9895
かえりみちへの推薦経路


絵本「はるのひ」原画展

3月22日(土)〜4月19日(土)
メルヘンハウス2階ギャラリー
10:00~17:00

*お休み_3/28~30、4/6.7.14

アミイゴのアートセッション
◯子どもセッション「覚王山で、はるの美しさを探して、美しいはるの絵を描こう!」】
日時:4月19日(土)10:00~12:00(9:45集合)※雨天決行
メルヘンハウス集合→日泰寺→揚輝荘→メルヘンハウス
参加費:1,000円
小学生〜中学生の子ども10名(大人付き添いウエルカム)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より
題名に「子どもセッション」と記載
メッセージ本文に
①参加するお子さんのお名前
②連絡先電話番号
③参加人数(兄弟、友達など複数の場合)を明記の上、
お申し込みください。なお、お申し込みは先着順となります。
◯トークショー「美しさとはなにか?」
日時:4月19日(土)13:30~15:00
場所:メルヘンハウス2階ギャラリー
参加費:1,000円
参加人数:大人15名(先着順)
申し込み方法
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より、
題名に「トークショー」と記載
メッセージ本文に
①お名前 ②連絡先電話番号 ③参加人数(友人など複数の場合)を明記の上、お申し込みください。
◯サイン会
日時:4月19日(土)15:00~17:00
場所
メルヘンハウス2階ギャラリー
※サインにつきましては今回の原画展会期中にメルヘンハウスにてご購入された本に限ります。
メルヘンハウス
〒464-0064 愛知県名古屋市千種区山門町1丁目11 1階3号
TEL:052-887-2566

 

167ヶ月め_個展東日本「能登の杣径」

2025 年 2 月 11 日 火曜日

今日は2011年3月11日から5,086日
726週4日
13年11ヶ月
167回目の11日です。

14日から弦巻のPOPPYでの花の絵の展示が始まる前ですが、
東日本大震災発災後8回目の開催となる個展「東日本」の告知をいたします。

小池アミイゴ個展 東日本「能登の杣径」@青山space yui
 2025年3月6日(木) – 15日(土) *休_9日(日)

12:00~19:00 *最終日~17:00マデ

space yui
〒107-0062 東京都 港区 南青山 3-4-11ハヤカワビル1階
TEL : 03-3479-5889

「杣径」(そまみち)は山で働く者の日々の足跡から生まれる道。
2023年7月、ボクは輪島の塗師 赤木明登さんを尋ね能登へ。
「杣径」という言葉と共に、豊かな人のあり方に出会いました。

*15日(土)_ぬりだくみ
能登半島地震と豪雨被害で被災した輪島塗を廉価で販売し、
輪島塗の職人に還元するチャリティも行います。
 販売協力:田谷漆器店 桐本拓ニさん

2023年7月、ボクは初めて石川県へ、能登へ行きました。
目指したのは輪島の塗師、赤木明登さんのアトリエ。

それは2005年まえ雑誌Hanakoの誌上で渡辺満里奈さんと連載していた食のコラムで、
赤木さんのアトリエや漆器が描かれていたこと。
(この連載で挿絵を担当する自分は、原稿を頂いて描く前に実際に食べに行った)

また、彼女の結婚式の引出物として手にした「ぬりもののパン皿」が美しくて、
いつか赤木さんの元に行かねばと思ったことに始まる旅でした。

この旅に関しては、ダイハツのネットマガジン「まどをあけて」をご覧ください。
https://www.daihatsu.co.jp/lyu_action/book/no07/madowoakete07/

こちらではあらためて「東日本」というこれまで続けてきたテーマの中で開催する意味を。

2011年3月11日に発災した東日本大震災ですが、
ボクはそれ以前に東北太平洋沿岸部で知り合った人はなく、
また、それ以前の風景も知らなかったのです。

もっとも東京では沿岸部の出身者と知り合っていて、
彼らたちからの発信はリアルなものとして受け止めることが出来ていました。

なので、次は自分が当事者になるために行ってみなくちゃと思い、
しかし特別な目的も持たずにフィールドワークを続け、
そうして東北の沿岸部でひとり、またひとりと知り合いが生まれ、
友情が芽生え、お互い生きる力を知恵を分け合うような関係が育まれ、
今に至っています。

ボクはそんな関係性の中に、自分の考える「復興」もあるように思うのです。


しかし、2024年1月1日に発災した能登半島地震では、
その半年前に会ったばかりの人たちの顔が、その暮らしや仕事から感じる心の豊かさが、
美しい風景と共に思い出されてしまいます。

もしくは、能登の美しく保存された港町の景観は、
震災後初めて行った東北の太平洋沿岸部では失われてしまったものであり、
ボクは能登に行ったことによって、東北を解像度高く想像することが出来るようになったのだが、
今度は能登で大切なものが失われていることをリアルに実感する者として、震災と向き合っている。

なので、今回絵を一枚描くのであっても、
震災後の東北沿岸部を描いたのとマインドの違いはあるよなと。

その違いがなんであるのかは、絵を描きながら気がついてゆけば良いことなんだけど、
自分には東北を歩いてきた13年の年月で、自分の足で踏み固めた「杣径」は確かにあって、
そこを歩いて能登に近づけばいいのだと考え、今回の個展を開催します。

今年1月22日に中公文庫の新装版として刊行され、大変多くの方に手に取ってもらっている、
森崎和江 さん1984年著作の「能登早春紀行」の原画も展示します。

この仕事で「ああ、こんな綺麗なものが描けた〜」と思えたのは、
間違いなく能登で出会った人たちから頂いた美しいマインドのおかげです。

この仕事の制作ノート的なものやラフスケッチ何点かを
こちら↓に掲載しました。


初めての能登では、赤木明登さんに誘われ1時間ほど山歩きをしました。
そこには、自分たちが当たり前と考えている日常とは別の、
しかしものすごく密接に絡み合った時が流れていて、
それは自分の子供の頃の古い記憶と繋がっていたように思います。

「杣径」とは、単に物理的に踏み固められた道なだけで無く、
自身の過去と未来を結ぶ、
思いがけない起伏の中でなんとか人ひとりが通れるくらいの道なのだろうなと。

その経験により、自分が創るものもちょっと変化したように思います。

今回の展覧会でそこまで見てもらえるかどうか、
頑張らないとだな〜。

 

 

「ぺんくんのダンスすいぞくかん」販売会

2024 年 6 月 24 日 月曜日

6月25日(火) 10~18時「ぺんくんのダンスすいぞくかん」販売会
渋谷区富ヶ谷の天然酵母パンのルヴァンのカフェ”ルシャレ”で開催します。

東京都渋谷区富ケ谷2-43-13
03-3468-9669

福音館書店こどものとも7月号「ぺんくんのダンスすいぞくかん」発売を記念し、
いつもお世話になっております街の皆さんへの絵本販売会を、
渋谷区富ヶ谷2丁目の天然酵母のパン屋 ルヴァンのカフェ”ルシャレ”で開催します。

同時にぺんくんの原画(?)も展示。
ルシャレ特典としまして、ペンくんポストカード3枚セットや、
子どもたちとのスケッチで作った「よよぎポスター 」をプレゼント。

いつもはお休み日での開催ですが、お茶や食事のついでにお運びくださいませ。
もしくは、満席の場合は立ち話だけになってしまうかもですが、
富ヶ谷愛に溢れた時間にしますので、ぜひお運びくださいね〜。

「ぺんくん」1冊460円です!

ぺんくんのダンスすいぞくかん

2024 年 5 月 31 日 金曜日

「ぺんくんのダンスすいぞくかん」
ぺんくんが水族館の仲間にダンスを教えて、ダンスパーティーを開催する物語。

福音館書店の「こどものとも」年少版2024年7月号として、6月3日にリリースの新作絵本です。

新作と言っても9年弱かかってのリリース。
家族史と並走し作った絵本であります。

編集者から「アミイゴさんの段ボールクラフトで絵本を作りたい!」とお話をもらったのが、2015年10月。

2010年から11年にかけての1年間、福岡の水族館”マリンワールド”のビジュアルを担当したのですが、それを編集者が気にってくれたんです。

マリンワールドの仕事は息子の0歳から1歳の時で、仕事のついでにダンボールでおもちゃ作ってあげたりもしていました。

そんな人生の凪のような1年も、3011年3月11日の東日本大震災で一変。ボクは活動のベクトルを東北に向けてゆくのだけど、その時期、息子0歳から3歳までの間は、福音館書店から自身初めてのリリースとなる作画担当の絵本「ちいさいトラック」の制作期間と重なっていて、東北の風景を描きながらも、絵本制作はゼロから息子の成長と共に学んでいたような時期でもありました。


トラックくんの顔、赤ん坊の頃の息子の顔に似てるし、生活と創作がリンクした感じがありがたい仕事でした。

東北での作画と「ちいさいトラック」は、今の自分の礎となった絵本「とうだい」の仕事を呼び寄せてくれました。

2014年から16年にかけて制作した「とうだい」の絵。それは震災から5年の現在地を確認するような作業でもありました。またその期間は息子の保育園入園から卒園の3年間と重なり、自分も色々学んだなあ〜と。困難を乗り越え輝く「とうだい」の、はにかみながらも誇らしそうな表情は、保育園から帰ってきた卒園間近の息子の顔を参照しました。

で、今振り返れば自分のマインドが混沌としていた2015年10月に「ダンボールクラフトで絵本を作りましょう」なんて言われていたんだなあ〜と。なんだか人ごとのように感じるのは、「とうだい」の制作にエネルギーの多くを注いでいたからなのか、どうか。

ただ「息子に作ってやってるみたいに、ダンボールでペンギンを作って絵本にしたら、きっと子どもたちの良い友だちになってくれるはず」そんな確信だけはあったんよね。

で、当時5歳の息子に「とーちゃん、ダンボールのペンギンの絵本を作るんだけど、主人公の名前はなにがいいかな?」と尋ねたら「ぺんくんがいい」と。
「よっしゃ!」ポジティブなマインドで物語作りを始めた、
のだが、

当初、ぺんくんが迷子になった小さな魚を探すため、水族館の仲間に尋ねて回るという話だったのだが、まあ色んな意見を返してもらって、う〜ん、そうか、そうか?そうかなあ??なんて迷路にハマり、自分こそ迷子になった、、

その頃は子育ての実感を元にした絵本「かぜ、ひいた」をリリース。子どものためのワークショップも各地で開催したり、息子の小学校のPTAの仕事をしたり、地域活動に参加したりで、あらためて「子どもって面白いな〜」と再発見の日々。
「かぜ、ひいた」は保育士さんに喜んでもらえた絵本だけど、自分の子どもとの接し方も更新していた時期で、ひとつの子ども再発見で、ぺんくんの物語も更新しれ考えなくちゃならない。そんなことだったんだろうね。

あらためて「自分ならではの絵本」てなんだろう?
ぺんくんがどんな振る舞いをしたら、より子どもたちと友だちになれるか。
ぺんくんが物語の真ん中にしっかり存在するストーリーが湧き出した、
そんな折、父が病に倒れました。

2017年夏から2018年春まで東京と群馬を往復し看病を続け、その間家族というものを考え続け(あまり立派な家族関係ではなかった)、羽田空港の大きな仕事 取り組むことは出来たけど、ぺんくんの物語は完全にフリーズしてしまった。

それはどういうことだったのか、今でも言語化出来ないでいるんだけど、介護の合間に自分が生まれ育った群馬の土地を歩けるだけ歩いた数ヶ月間でもありました。

父が亡くなったタイミングでふたつの絵本の制作が始まり、
ひとつは宮城県の沿岸部を舞台とした「水曜日郵便局」というアートプロジェクトを足場に、震災から復興を裏テーマに瞬発的な力で創作した「うーこのてがみ」といった絵本リリース。

この絵本の主人公「うーこ」にはモデルとなる人がいました。
震災から家族の復興を目指し奮闘していた筆マメな女性。

過去形で書いているのは、この絵本がリリースされる数ヶ月前に頑張りすぎて急逝してしまったからです。

「子どものため」というより「人のため」に創作した絵本でしたが、人の喪失に向き合えば向き合うほど、「子どもにとって必要な居場所としての絵本」というものを考えざるを得ず、ぺんくんの活躍するのはもうちょっと先でも仕方無いと考えたはずです。

そしてもう一冊は「はるのひ」

震災後の子どもたちの課題を考えると、父と子の関係性を描く必要を感じていたのだけど、まさに父が亡くなるタイミングでこの物語の創作が始まって、完成までの3年は、苦しかったなあ〜。

制作は息子が小学校を卒業するまでの4~6年生の間で、息子と色んな詩を読んだりしながら、父と子の間にあるべき言葉を探り続け、それは「はるのひ」という美しい詩に昇華出来たのだが、それを子どものための絵本に落とし込む作業、言葉の風景が導き出してくれる音楽的表現としての絵とかね。今振り返っても自分がどんな思考で創作したのかよくわからない。

ただ、人は喪失といものを避けられないわけで、ならば一瞬一瞬の発見の喜びを重ねてゆかねば。
息子たちにもそんな生き方してもらいたいぜ。そんな考えではあったはず。

というわけで、「はるのひ」の2021年春のリリースまでぺんくんの物語はさらに1ミリも動くことなく、心の奥深いところに沈めておいたのです。

ありがたいのは、編集者が諦めなかったこと。

お話をくれてから6年。
「ぺんくんを再始動させよう!」という話を頂き、お互いの近況を語りあっていたら、歯車がガチッと噛み合って、ぺんくんが動く姿が想像出来てね。
自分も色々経験をして、彼女もお母さんになって、「ここは悩む必要ない!」みたいなことがスムースに共有出来るようになったのかも。

何より「自分らしい」もしくは「自分ならでは」というものが明快になって、昨年夏にぺんくん初号機を制作。

秋に住まいを引っ越したことで制作環境も改善され、絵本の素材となるダンボールクラフト丸っと2ヶ月くらいで制作。


ダンボールのカットは「潔い」「気持ち良い」それだけを頼りに、自由で思いがけない造形が生まれる喜びと、それを組み合わせで出来た造形の可笑しさとがハッピーでね〜。

このマインドを持てたのは、この作業の直前で取り組んでいた「ポストが ぽつん」という、ある意味荒唐無稽な物語の作画を「長新太さんならどうしだろう?」なんて考えることで、結果ずっと笑顔で描き上げた経験が、とてもデカかったです。

そう、自分を振り切って描いた、自分が想像出来なかった絵に出会えること。
これを子どもたちと共有したいし、子どもたちが必要なものはこういうものではないか!?なんて考えに至れたところで、ペンくんをダンボールから切り出すことが出来た。

だからぺんくんの仲間たちも朗らかな姿で目の前に現れてくれた。

そして、撮影はいつも自分の仕事の絵を撮影してくれる東京フォトアーガスの坂上くんにお願い。

ここまで8年かかって撮影に漕ぎ着けた仕事だけど、スタジオでの坂上くんとボクの仕事の早さに編集者はビックリ。

一瞬で風景を構築して、一瞬でその意図を共有して、課題があれば一瞬で解決し、悩むことは一切行わず、一瞬でシャッターが切られてゆく。
そうそう、こういう仕事のあり方も子どもたちに知ってもらいたいんよ。


ともかく気持ち良いもの作ろうぜ!と、撮影は12月と2月に2日間だけ。
その間、編集者がクオリティの部分でアイデア出してくれて。
最後に何度か重ねた推敲と色校正は、もしかしたら自分が1番プロらしく振る舞えたのではないかと。

ああ、気持ちの良い仕事だった!

ぺんくんのことを語ろうとしたら、これまでの絵本のことをこんなにも書くとは思っていなかったけど、こんなたった11見開きの絵本でも、扱っている1番のテーマは「命」であり、願うのは「子どもたちの幸せな居場所」であること。

今後もいくつか絵本の仕事が続くのだけど、それがどんなテーマであっても、芯に置くべきものがなんであるべきなのか、ぺんくんと一緒にその絵本の制作を振り返り、ぺんくんとボクとの共通言語にしておかなくちゃと思いました。

「ぺんくんのダンスすいぞくかん」こどものとも年少版1冊460円!
ぜひ手に取って楽しんでもらいたいです。

が、こんな映像も作ったので、一緒に踊っちゃって〜

156ヶ月め

2024 年 3 月 10 日 日曜日


今日は2011年3月11日から4,749日
678週と3日
13年め
156回めの11日です。

先日、渋谷区うちの近所のパン屋のカフェに居合わせた仙台在住の方と話し込むことがありました。

震災直後から東北に行くようになったこと。
そんな中で、まだ小さかった息子に初めて寿司を食わせたのが仙台だったこと。
その際、お店の常連さんにとても良くしてもらったことなどなど。

共通の知人の名前も数名上がり、話は絵本「うーこのてがみ」について。

この絵本は、アートプロジェクト「鮫ヶ浦 水曜日郵便局」と連携し創作したこと。

プロジェクトの舞台は津波被害の大きかった宮城県東松島市の宮戸島であり、
絵本を制作する際に取材に行ったこと。

うーこのモデルは、宮戸島と松島湾の挟んだ対岸の塩釜で、
わかめの生産をされているご家族の長女であること。

彼女とは震災から1年10ヶ月後の塩釜港の復興市場で出会ったこと。
その際に白詰草を描いたポストカードを手渡したこと。

家に帰って間もなく、彼女から手紙が届いたんだけど、
そこには彼女の白詰草にまつわるパーソナルな思い出と、
震災直後ご主人の仕事場である松島湾の海から見上げた空に、
カモメが何事も無いよう飛んでいる姿に希望を感じた話が書かれていて、
自分はそこで「被災」と「復興」の意味を自分なりに言語化出来たこと。

自分はすぐに塩釜に行き、彼女に会って、
「ご主人さんの仕事場見てくるね!」と松島湾へ。
そこで見たカモメの姿を描いた絵がきっかけで、

「とうだい」という絵本の作画担当が決まり、
熊本でのアートプロジェクト「赤崎水曜日郵便局」の書籍の表紙を担当し、
そのプロジェクトの母体である「つなぎ美術館」での展覧会、
さらには「鮫ヶ浦水曜日郵便局」に紐ついた「うーこのてがみ」の制作に繋がったこと。

「うーこのてがみ」はうーこが友人との手紙のやりとりを重ねることで、
今自分が生きている場所の魅力に気がつくというファンタジー。
ボクは彼女から手渡され『人ひとりが生きるに必要な大切なこと』を
リアリズムを持ってこの物語にこめています。

さらに、同じ絵柄で塩釜の市場の壁画も作成したこと。

しかし、その壁画も「うーこのてがみ」も、彼女には見てもらえなかったこと。

震災直後から家族の力になろうと奮闘してきた彼女は、
ボクに家族が営む海産物のブランディングの仕事を投げてくれたり、
塩釜でのボクの展覧会も計画してくれていたんだけど、

頑張りすぎたんだろう、
2018年夏に急逝されてしまった。

こんなお話を初めて会った人に夢中になって語っているのは、
2024年3月11日の自分は、昨夏能登で出会った人たちと会う約束をしているからだろう。

2011年3月11日以降に出会ったことは、
自分に多くのことを与えてくれた。

それをどのようの形で次に手渡してゆくのか。

あらためて見つめ直す、
あれから13年の11日です。

群馬の太田で「はるのひ」原画展

2024 年 1 月 28 日 日曜日

絵本「はるのひ」のふるさと群馬で原画展と絵本の販売を行います。
初日2月4日は在廊しますので、みなさんぜひお運びくださいませ。
小池アミイゴ「はるのひ絵本原画展」   
2024年2月4日(日)-27日(火)
14:00-20:00
休_水・木・2月16日              
アトリエみちのそら
群馬県太田市新田木崎町596
東武伊勢崎線木崎駅より徒歩12分
tel : 080-3414-0013
昨年の前橋に続き、今年も群馬県で「はるのひ」の原画を見て頂けるチャンスを得ました。
今回お世話になる「みちのそら」さんは、優れた絵本の紹介を地道にされている場所です。
まだまだ寒い日が続きますが、立春から本格的な春の日まで、みなさんと駆けて行けたら幸いであります。

展覧会「ハルカラ」会津巡回

2023 年 9 月 2 日 土曜日


福島市の飯舘電力のギャラリーオフグリッドでの展覧会「ハルカラ」は、
昨日無事に会期を終えました。

暑い中お運び下さった皆様、ありがとうございました。
そして展覧会は会津へ!
オフグリッドの作品と食堂ヒトトで展示の絵本の原画を3箇所、
福島会津の良心と呼びたい場所にに分けて展示します。
「ハルカラ_」小池アミイゴ 展覧会
飯舘・喜多方、春から秋へと巡った絵による記録。
at“カフェ天空回廊”
・9/8(金)〜10/23(月)
・10:00〜15:00
*定休日_火・水・木
*臨時休業:9/16(土)
〒966-0861 福島県喜多方市字寺町4761
大和川酒蔵北方風土館 天空回廊2階 カフェ天空回廊
昨年9月の飯舘村~喜多方の取材旅から春、夏と描いてきた福島の風景や花の絵を展示します。

「ハルカラ」小池アミイゴ 花の絵展  at“紺と種”
・食堂 9/14(木)〜10/23(月)
・蔵gallery 9/14(木)〜17(日)
・11:00〜17:00
*定休日_火・水
〒965-0042 福島県会津若松市大町1丁目3−19
TEL 0242-93-5820
日常なにげなくめにする花に思いを寄せた絵を展示すます。
作品にちなんだ期間限定のスイーツや、ワークショップの開催も予定しています。

「ハルカラ」絵本の原画展
“食堂つきとおひさま”
・9/7(木)〜10/23(月)_(休_火・水)
・11:00〜18:00
*定休日_火・水
※10/9(月祝)は都合によりお休み
〒966-0871 福島県喜多方市字寺町南5006番地
TEL 0241-23-5188
Mail info@tukitoohisama.com
福島の風景にインスパイアされた絵本「はるのひ」の原画を中心に、花の絵なども添えて展示します。
期間限定で作品にちなんだごはんとおやつが登場。ワークショップも開際予定です。
アップした絵は喜多方の秋の景色。
大和川酒造の佐藤彌右衛門さんにご案内いただいた「豊かな会津」に圧倒され、車からぼ〜っ眺めた琴平山。
自分の絵のメンターである長沢節出身の会津は光が綺麗で、自分の筆がまったく追いつかず、、
2枚めは只見の花の絵。
自分の会津は2016年の奥会津取材から始まりました。
山深い町只見の光が強烈に美しくて、なんでも無い路肩の花も特別なものに見えました。3枚めは絵本「はるのひ」から。
自分の生まれ故郷の群馬の風景をベースに、大分や台湾での経験を生きた絵の世界ですが、
子どもワークショップを続けた奥会津エリアの柳津町や昭和村の、ローカルなスケール感や、
季節ごとの色彩や光からも大きな影響を得ています。

特に喜多方の大江ファームでワークショップをさせて頂いた時の経験は、
「はるのひ」のいくつかの重要な場面に反映されています。

ご縁をいただいてまだ7年ほどの福島の会津ですが、
ボクの人生をとても豊かな色で塗り直してくれた場所へ、
今回ちょっとだけお礼を伝えるチャンスを頂きました。

「ポストがぽつん」富ヶ谷で販売

2023 年 7 月 7 日 金曜日

作画を担当した新作絵本「ポストがぽつん」
作:北川チハル・絵:小池アミイゴ・アリス館・定価:1,650円

https://www.alicekan.com/books/7912/

まずは自分が暮らす街のみなさんに手に取ってもらいたいなと、
渋谷区富ヶ谷2丁目の天然酵母パンのルヴァンのカフェ、
ルシャレで販売会を行います。

2023年7月12日(水)と13日(木)の2日間、
15時から18時までの間でルシャレにお越しくださいませ。

絵本の原画も展示してありますんで、
ルシャレのお茶と共に絵本の制作秘話も楽しんでもらえたらいいなと。

「ポストがぽつん」ご購入の方で、もしイヤじゃなかったら、
ボクのサインもちょいちょいと描がきますよ〜

・ルヴァンとルシャレのある場所
〒151-0063 東京都渋谷区富ケ谷2丁目43−13
最寄駅:千代田線代々木公園駅
小田急線代々木八幡駅か代々木上原駅
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