‘3月11日からの備忘録’ カテゴリーのアーカイブ

146ヶ月め

2023 年 5 月 11 日 木曜日

今日は2011年3月11日から4,444日
634週と6日
12年2ヶ月
146回めの11日です。

今日は都営新宿線菊川駅まで。
先日、恵比寿の影丘の家がSNSで発信していた、「元水曜日のカンパネルラのコムアイさんが企画した太陽光パネルと一緒に寝そべる子どもワークショップ」が気になって問い合わせ。

協賛されていた太陽光パネルなどを扱う株式会社アイジャストをご紹介頂き、

代表の辻さんとマーケティングなど担当する早川さんに活動の詳細を伺ってきました。

いや、ものすごく面白かったな〜!

それを語る前に、
菊川の駅に着くまでの車内でタイプした「今日のブログ用のテキスト」を、まずは。

ボクは8月から9月にかけて、福島県の福島市を拠点に、飯舘村や喜多方市で展覧会開催を目指しています。

これは、これまでボクを福島の奥会津での子どもアートセッションを企画し続けてくれた、福島県立博物館のバックアップの元、自然エネルギーの飯舘電力とのコラボとしてカタチにしてゆくものです。

テーマとして「もっと再生可能エネルギーを知ってもらいたい!」は当たり前として、よりフォーカスしたいのは「自分たちが生きる社会はどんなのが良いだろうね?」と考えることの出来る場所創り。

綺麗な絵があって、世代関係なくなにか楽しいことが行われ、出来れば美味しいものもあればいいな。
そんな場所でオープンに語り合うことで、みんなが望む世の中の姿に自然エネルギーというものが自然と噛み合ってくれたらいいのだろうと。

そうした場所作り(展覧会作り)に向けて、これまで「電力」を語る際の「国を発展を支える基幹産業」「水力、火力、原子力」といったマッチョな枕詞だけでは無く、「生活を共にする気のおけぬパートナー」くらいの言葉で語れる裏付けを見つけ出さなければだな〜。

もちろんそんなこと自分1人で出来るわけは無く、自分は自分が得意とする絵や、それを描くための目とか駆使し、やはり人がオープンに語り会える場所創りを、地道にやってゆかねばなんだよね。

+++

さて菊川のアイジャスト到着。


代表の辻さんが語る電力の話、
自分が電車の中で整理つけようとしていたことを片っ端から端的に言語化してくれてビックリ!

日本の場合、電力は大企業のために作られているようなものだが、
電力の多くは家庭で使われているので、女性に向けた言葉で語られなければおかしい。

そんな自分に足りないところを、女性スタッフの早川さんがフォローしてくれ、
「だれでも電気を作って使える使い勝手の良いシステム」を開発。

家の片隅にポンと置けるキャリーケースの中に、
太陽光電力を溜め込み使えるためのオフグリットシステムを収納。
太陽光パネルとの組み合わせで、ゴハン15杯は炊けちゃう電力が手作り出来るだって。


で、充電が切れたら自然と家庭用コンセントと切り替えられるシステムも搭載。

とうことは、このシステムを複数縦列させることで、
ひとつのシステムの電気を使っている間に、他のシステムが充電可能。

ということは、日の光がある限り電力供給が途絶えることが無いということだと。

このシステムと現在ある再生可能エネルギー電力会社の電気を併用したら、
かなり気持ちの良い世の中になるんじゃないか。
みたいな話。

面白いなあ〜

現在50万円ほどで販売可能なこのシステムだけど、
とりあえず日本の全ての家庭に無償で配布した上で、
日本のエネルギーのことをあらためて考えるなんてことしたら、
いいんじゃないかな〜。

そんな予算が国にあるかどうかは置いといて、
それくらいの発想をする政治なり経済の、ほんとに偉い人出てこないか〜!

なんていう、思いっきり飛躍した会話ができたのがうれしい。

そうなんだよ。

頭がとても良い人が一生懸命考えて、
言葉や数字を並べて「これやるべき」とか言うのと、

こんなシステム考えたんだけど、みんなどう思う?
とか、
こんな絵を描いたけど、みんな勝手なこと話して〜

みたいな合意形成のあり方、
どっちが面白いかな〜?

きっとどっちも必要だと思うのだけど、
なんだか前者の方が偉そうにしてるし、
人のこと気にする事無くやれちゃうから、
言葉や数字で人を殴るような合意の現場が氾濫しちゃっていたのだろう。

が、もう変えなくちゃだ。

その他面白いお話を、知恵熱出るほどたくさん伺ったけど、
その辺は追って整理して言葉にしてゆくけど、
本日早川さんが放ったキラーワードを。

「電気ってだれでも作れるって知ってもらいたいですねっ!」

なんだか地面から生えてきた言葉のようだぜ。


飯舘村や飯舘電力に関しては、
昨年9月をキックオフに、今年の3月と4月もフィールドワークを重ね、
関わるみなさんともミーティングを行い、
今後どんなことをしたらいいのか朧げながら見えて来たところで、
今回の取材。

やはり人との出会いは大きな財産であり、
自分の絵やイラストレーションは、そうしたご縁の背中に必死で喰らいつき、
必要あれば関わるみなさんを温めるものであればいいなと願っています。

というわけで、
この話はまたあらためて。

 

 

直島子どもアートセッション 4 days

2023 年 4 月 26 日 水曜日


2023年4月16日~19日
香川県瀬戸内の直島での”子どもアートセッション4DAYS”
笑顔のフィニッシュを迎えました。

子どもたちとの現場となったのは、
NAOSHIMA SAILERS CLUB

町立直島小学校や直島幼児学園(認定子ども園)に隣接する高台に新設され、
今年の4月から運用が始まったばかりの放課後クラブです。

その空間は子育て中の親の誰もが「わ〜!」と声を上げ、
「ここで子供を預かってもらえること、うれしい!」と思えるだろう場所。

この運営は “なおしまキッズポート
それぞれお子さんを持つおかーちゃんたちが、
直島で生きる上で必要なことを自分たちで創ってしまおう!
もしくは「しまわねば。」という必然で組織し実行に移した、
子供たちの居場所と未来にコミットしたグループです。


今回、この企画のコーディネーターの方にキッズポートを紹介いただき、
オンラインで「はじめまして」のミーティング。
その瞬間「ああ、この人たちとなら新鮮な何かを創れるな!」と直感。

その後のアイデアのキャッチボールもスムースに、
当初の「子どもたちとのワークショップを4月19日水曜日にやってください」というオーダーに対して、
週末を加えた複数日のセッションを行うべきと判断。
しかし事前情報はできるだけ遮断し、直島の「はじめまして」の場所を目指しました。


直島子どもアートセッションDAY 1 は、4月16日(日)

子どもたちと「アートの理屈」を蹴散らして、
身体が喜ぶワイルドなアート体験を、子どもの親もスタッフも自分も共有しよう!
という試み。

だけど、
実際は「なんのこっちゃ?」と感じて終わってしまった親御さんもいたはず。

なんだけど、
自分はものすごい量の「この場所に集った子どもたちの情報」を得て、
残り3日間のセッションでの振る舞いのイメージを高めることが出来ました。


一応この日のおさらい。

・「学校や家でやったら怒られるようなことやるよー!」

・なので、子どもたちに指導はしない。

・というわけでセッション中は「じょうず」という言葉は禁句。

・自分がやることのほとんど全ては、子どもたちが行うクリエイティブなアクションに対する共感。
「いいね〜!」「かっこいいねー!」「おっしゃれ〜!!」みたいな声かけに終始。

・子どもたちの「見て!見て!」にただ「見て」うなずく。

・それだけでも子どもたちは「よっしゃー!」とさらにクリエイティブを加速させ前進。

・その姿は「子どもたちが自分から自由を獲得している」ということであり、
 大人はその自由のフィールドを暴力や事故から守る。

・そして子どもたちはさらに安心し、さらにクリエイティブを加速させる。

・で、子どもがクリエイティブなテーマを掴んで、その実現に対するアドバイスを求めてきたら、
(たいていは「ねえ、これやって〜」みたいな話だけどね、、)
クオリティを高めるためのアドバイスを(べらんめいな職人言葉で)行う。
「じょうず」という言葉の使い所があるとしたらここだけど、自分はやはり使わなかったかな。。

これらひっくるめて言ってしまえば、
子どもたちととことんガチで向き合い楽しみ尽くす。

自分は子どもたちに「寄り添う」では無く「背中を追い」、
子どもたちが魅せる一瞬一瞬のアクションをキャッチし続けているのだけど、
子供たちの先回りは決してしないし、子どもたちが創ったものに対してジャッジもしない。

なぜなら、そうした方が楽しいから。

で、
大暴れでやり切った子どもたち、意外と視野の広い落ち着いた人格を獲得するぜ!
という余談で初日終了。

参加者多くて2部制になって、魂抜かれるほど疲れたが、
その疲れはただただ喜びだ。

直島子どもアートセッション DAY2 – DAY4 の三日間 は、
放課後クラブであるNAOSHIMA SAILRS CLUB の一部を自分の仕事用のアトリエとして使い、
学校から帰ってきたこの施設を利用する子どもたちとの自然なアートセッション。


自分が持ち込んだ画材は全てプロユースのもので、
しかも服に着いたら落ちないアクリル絵の具だったりで、
で、想定外だったのは、小学生も制服着用なんだ〜〜、、
という「親御さん、もしもの場合はごめんなさい、」な状況で、
子どもたちが自分から興味を持ったアートアクション(絵の具遊び)を、
プロの自分とのコミュニケーションを持って実践。


これは福島県奥会津の昭和村で確立した現場作りなんだけど、
直島では SAILERS CLUB があるので、安心して投下出来ました。

五月雨式にセーラーズクラブにやってくる子どもたちと、
マンツーマンのような形でコミュニケートするセッションでは、
「クオリティ」という言葉が飛び交って、

いや〜〜、作って、創って、造りまくったね〜!

それが何であるのかなんてことより、
作って、創って、造りまくることにこそ意味があったような、
そんな、ワイルドでクールで、ある意味セクシーでさえあった創造の事件現場。
(「セクシー」は「生きる」と訳して読んでもらえたらいいな)

そもそもこのセッションはなんであるのかなんだけど、
まずこの企画に対してお金を出してくれる人の存在があります。

アメリカとイギリスの慈善活動家たちが日本各地の文化に触れる旅を楽しむ。
その行程の中には震災被害に遭った福島と神戸、
そしてアートの島として海外でも有名な直島が組み込まれていて、
それぞれの地域や子どもたちの未来に対する投資を行う。
欧米では美術館などが主催し行われれているパトロンツアーを、
日本で実験的に行ったという事みたい。

で、直島でのドネーションの使い方として、
子どもたちとガチで取っ組み合っている自分が使命され、子どもたちとセッション。セッションの最終日にお金を出して下さった皆さんをお客様として迎え、
子どもたちが創った作品の除幕式。

ツアー参加者それぞれが寄付したお金の価値を子どもたちの笑顔で確認し、
やはり笑顔で帰国するという旅。

で、いいのかな。

自分はその意味を確認することなく直島に向かい、
この場所で子どもたちたその親御さんと過ごすことで、
意味が後から喜びと共について来たという感じだろうか。


アメリカ、イギリス、日本のエージェントもガッツリ噛んで作り上げた実験現場は、
海外アートに詳しい友人に言わせると、とても意義ある事みたい。社会の格差が広がる中、資産を持つ人が持たざる者への支援に人生の幸福を感じる生き方。

もちろん格差なんか無くなればいいのだけど、
だけど、7歳、8歳、9歳くらいのワイルドな絵の具遊びと、
海外からのお客様との喜びに溢れたコミュニケーションを経験した子どもたちの未来は、
彼らなりの幸せの形を生んでくれるんじゃないかと。

アートが目的で無く、人と人が繋がること。

繋がって良かったねでは無く、子どもたちの未来にコミットする発想を生まなくちゃなんだよね。

そうしたことに少なからずの確信を込めた希望を持って、
自分はハードワークをこの現場に投下。

それは海外からのパトロンさんにガッツリ伝わったはず。

楽しかったね!
また会おう、イエイ。

そんなこんなで自分にとって2度目の直島は、
素泊まりの民宿とセーラーズクラブとコンビニを結ぶ一本道の往復に明け暮れ、
(夜は民宿で東京の仕事やら連絡後とやらで、、)
有名な美術館やアート作品に触れることの無い、きっと自分らしい時間を過ごしました。
(昨年この件のミーティングで初めて来た直島は滞在5時間、、)


それでも、直島は30年ちょっと前から始まった島の再生、
そしてアートを生かした地域作りの力で、
なにげない風景の中にも、愛ある人の手が施された景観に出会い、
ボ〜ッと歩いている時間がとても幸せでした。


なんだけど、
ではこれはいつまで続くんだろう?
そんなことを なおしまキッズポートのみんなと語り合った日々でもありました。

直島、ちょうど町会議員選挙が始まり、しかし立候補者が少なく無投票で当選とのこと。

大きな精錬所とベネッセを有し「アートの島」として憧憬の眼差しを向けられる場所は、
住民からしたら今の所勝手に潤っていて変わる必要は無くイメージなんだろう。

だけど、だからこその課題を感じたおかーちゃんたちは、
直島再生の30年の歴史の先に、子どもたちの港 なおしまキッズポートを発想し、
さらに子どもたちやおかーちゃんたち、さらには地域の方々のための「とうだい」のような場所、
NAOSHIMA SAILERS CLUB を建てた。

除幕式の最後の方で、自分が作画を担当した絵本「とうだい」を読み語りする時間を頂きました。

「おーい、おーい、あらしにまけるな!」
「とうだいは ここにいるぞ!」

とうだいにできることはひかること。

くるくるなみを つきぬけろ!

ぴかぴか かぜをこえてゆけ!

くるくる ぴかぴか

子どもまみれの4日間。

海外からのお客様に綺麗な発音で自己紹介出来る島の暴れん坊たちは、
自分たちが自己紹介するならみんなもするべきだと言い寄るタフさを持っている。
その多くが島を出るのがこれまでの直島だったのが、さてどんな未来が彼らの幸せなんだろう。
まずは選挙の選択肢を増やしておく必要はあるんだろうな。
で、俺はかーちやんたちに呼ばれたら「直島また行くよー!」であります。

 

 

145ヶ月目_直島へ

2023 年 4 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から4,414日
630週と4日
12年1ヶ月
145回目の11日です。

週末から香川県の直島に行き、
16日から19日まで子どもたちとのアートセッションを行います。

舞台となるのはNAOSHIMA SAILORS CLUB
一般社団法人キッズポートが運営する立派な学童保育の施設です。
https://youtu.be/C7A-eQUvh-k

ワークショップのメインのひとつは16日の日曜日、
子どもたちといつものワイルドな絵の具遊び。

そして19日に海外のお客様をお迎えし作品の発表会。

その間SAILORS CLUBの一部を自分のアトリエに見立て仕事の絵を描いていると、

学校が終わって学童保育を利用する子どもたちがやってきて、
自然とアートセッションが生まれる。といいな〜
という目論見。

これは福島県奥会津の昭和村でやってきたことの直島バージョンです。

NAOSHIMA SAILORS CLUB、もしくはキッズポートは、
2人の女性が主となり運営しているそうです。

今回のセッションに向け、何度かオンラインでお話してきましたが、
とても話がしやすい方々。

いわゆる息があうって感じで、
彼女たちが気づいている直島の課題や子どもたちの問題に対して、
自分にどんな働きが出来るのか、とても新鮮な気持ちで臨めそうです。

フライヤーに掲載されている”対象”が”0歳~150歳”と自分の軽口のままになっているとかね、
わかってる〜!なのです。

そして4月19日。

事の始まりは去年の秋。

知人からの「子どものためのアートスクール開催について直島に来てミーティング出来ませんか?」とのオファーに答え、初めての直島へ。

ところがミーティングにズラッと参加したのは欧米から来られら方々。

それは、
アメリカの慈善活動家が日本の直島など数カ所で、アートによる子どもたちの育成と地域振興に投資したい。
とのことで、
アミイゴ、ともかく一度何が出来るか直島で見せてくれ。
ということのようです。

というわけで、
今回19日にその投資家グループを迎えて発表会を行うというミッションなんですが、
その現場としてコーディネーターさんが繋いでくれたキッズポートの2人と出会えたことが、
まずはラッキー。


アートの島ともてはやされる直島も、
子どもたちが抱える課題は他の土地と変わらず存在し、
ではここで何が必要なのか。
ここで出来ていることはどんな事なのか。
それは他の土地に置き換えて考えられるのか。
などなど、大きな学びの時間になるイメージでいます。

明日12日は日帰りですが福島の飯舘村へ、
この半年で3度目のフィールドワークを行い、
ここで何が出来るのか、
それは自分1人で導き出すのでは無く、
その後足を運ぶ直島から得るものもあるんだろうなと思っています。

ちなみに、
去年秋の直島から徳島の神山町への漂泊したフィールドワークについては、
以前のこちらの記事 > https://yakuin-records.com/amigos/?p=15508 と、
ダイハツの運営するサイト「まどをあけて」no.6 で読んで頂けます。


表紙には徳島県神山町で珈琲の焙煎を行う「豆ちよ」さんを描きました。

地方ローカルで奮闘する方から学びを得る日々であります。

 

144ヶ月め

2023 年 3 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,383日。
626週と1日
12年
144回目の11日です。

この12年で7回目の開際となる個展「東日本」
本日3月11日が最終日。17時に閉廊になります。

写真の真ん中の大きな絵は、
震災から10年後の2021年夏に福島県浪江町で自生を始めた絶滅が危惧されている”水葵”の群生。
報道に出会い、常磐線に飛び乗り見にゆきました。

それを見ているのは、福島市の食堂「ヒトト」の立ち上げに尽力された大橋さん。

栃木のSHOZO COFFE のスタッフで会った時知り合い、
震災後「福島の力になりたい」とUターン。
3月11日以降の福島の等身大の情報を共有してくれる仲間のひとりです。

「あの日から12年」と語られる今日。
そんな友人の存在を日本の各地に感じられることを、とても豊かなことだと思っています。

そして、やれること、やるべきことはまだまだあるな〜と。

少なからずの絵が売れている今回の展覧会。

その売り上げは、
たとえば明日福島に移動し行う飯舘村のフィールドワークに充てます。

昨年9月に再生可能エネルギーの “飯舘電力”の案内で巡った飯舘村

震災後色々な土地を巡ってきましたが、
飯舘には他の場所にある何かが欠けているように感じました。

その欠落をボクが埋めることは出来ないはずですが、
飯舘にあるものを「アート」と呼ばれるものを働かせて埋めることは出来るのではと。

現状「なにかやる」としか言えない状況ですが、
そこには自分のお金と時間を注ぐ意義があることは直感できています。

それは、2011年3月11日の夜の暗闇の中で感じた直感と似たものであり、
それは自分だけでなく、
自分の息子の未来なんてものにもコミットするものであると思います。


そんなこんなの会話を、北海道、岩手、福島、栃木、群馬、長野、大阪、愛媛などなど、
わざわざ遠方からお運びくださる方と思いっきり出来ている展覧会。

今日の5時間、大切にしますね!

「東日本」season7小池アミイゴ2011年3月11日からの展覧会
2023年3月2日(木) – 3月11日(土)
open 12:00 – 19:00 最終日~17:00マデ
SPACE YUI
〒107-0062 港区南青山3-4-11 ハヤカワビル1F
TEL.03-3479-5889

ところで3月15日は地域の落書き消し。
自分が「被災地」と呼ばれた場所で掴み自分の暮らす地域に投下したことを、
地元小学校の6年生がキャッチしてくれ、自主的な取り組みに変えてくれたので、
当たり前のオトナとして当たり前に熱烈応援。
東京代々木は「被災地」と呼ばれる場所と地続きであります。

 

143ヶ月め

2023 年 2 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,355日
622週1日
11年11ヶ月
143回めの11日です。

1月27-29日、群馬県前橋市の「陶舗石渡」での「はるのひの展覧会」にお運びくださったみなさま、
「記録的寒波襲来」と言われたタイミングで足を運んでくださったこと、大変有り難く感じています。

あらためて、
ありがとうございました。

アップした絵は、群馬円伊勢崎市の安堀町あたりかたら見た赤城山の風景。
この絵の左手方向に行った所に、亡父がお世話になっていた施設があり、
車を運転しないボクは、駅から30分くらいの道を歩いて父に会いに行っていたのでした。

前橋で展覧会を開際したことに関して、
ちょっと振り返っておこうと思います。

群馬県の赤城山南麓の関東平野が始まるあたりで生まれ育ったボクは、
子どもの頃遊んだ美しい田畑や小川が、農薬の使用や社会の効率化で失われてゆくのに出会いました。

田舎で育った自分にとって、電車で25分の街「前橋」はキラキラした夢の街であました。
その活気が失われてゆくのは、80年代の半ばくらいだったでしょうか。

80年代、そんな群馬の田舎を後にし東京の大学に進学。
暮らすために選んだ街は、昔ながらのコミュニティが生きている文京区の静かなエリアでした。
そこから他の東京の美しい場所、人が人のスピードで生んだような街を、やはり自分の足で歩き、
絵を描くようになったら、そんな街にイーゼルと立てるようになりました。

そんな街はバブルが発生した1986年以降、一気に破壊されてゆきます。

ボクはそれに抗うように絵を描き続けました、最後は無理をし過ぎてダウン。
それは1989年、昭和が終わった時でした。

夏の間1ヶ月を病院で過ごしたボクは、
あらためて自分にとって大切なものは何であるのかを、じっくり考えることが出来ました。

それは子どもの頃に駆け回った、なんでも無い当たり前の故郷の風景だったように思います。

あらためて自分が何者であるのか考えたことで、何を描けば良いのかもあらためた先、
1993年3月に群馬の実家が消失しました。

バブルが弾けて仕事が減っていたタイミングで、それはかなり厳しいことでした。

ただ、家族をケアするために一時的に住所を群馬に戻したことで、
子どもの頃に失われてしまったと思っていて故郷の風景にとことん向き合うチャンスを得、
時間が許す限り絵を描き続けました。

自分の色に個性を感じてもらえるとしたら、その経験が大きいのではは思います。

ではそれをイラストレーションに落とし込むには?
そんなことを考え始めたところで、1995年1月に阪神淡路大震災が起きます。

「ああ、絵描きは無力だな」と感じつつ、
次に何か起きた時は無力では無い自分でありたいと願い、
そのためには、大きなところを目指す前に、とことんローカルを知ろうと考えました。

その頃「夢の街前橋」はかなり痛々しい状況になっていて、
仕事で群馬と東京を往復する際歩く前橋の街の姿に、いつも悲しい気持ちになっていました。

前橋がこんなであれば、他の街はどうなんだろう?
人は幸せで生きているのだろうか?
みんなそれぞれの街でうたえる歌を持っているのだろうか?
そんなことを知りたくて、その後日本各地を巡ることを始めました。

そうして巡る土地は、どこも美しく、どこも課題を抱えていました。
そして、好き人に必ず出会うことが出来ました。

自分が失ってしまったと思っていた里や街は、
好き人がある限り死にはしないのだろうと確信を持ち、
いつか群馬の力になれることが出来たらいいなと願うようになる。

そんな考えをやっと持てるようになった2011年3月11日、
日本のどこにでも存在する「好き人」が失われた震災が起きました。

ボクはやはり大きな無力感に叩き落とされるも、
これまでの経験を活かして、自分の足で歩くことは続けられました。

そうして歩く先で出会うのは、その価値に気づかずにいた「さらなる好き人」の存在。

そんな人々や風景との出会いを背景にに塗りこんだのが、
2021年に発表した「はるのひ」という絵本です。

間も無く「あれから12年」と語られる3月11日がやってきますが、
その12年のほとんどは学びの時であったように、今振り返って実感しています。

ただ、その学びが生かされた現場を、2023年1月27-29日の三日間、
自分が勝手に「失われた」と思っていた前橋の街で、
街の再生を図る人たちの存在に助けられ、創ることが出来た。

2011年3月11日以降、日々行う事にはなんらかのスタートラインを引いている印象があったのだけど、
2023年1月の前橋では、新たな太いスタートラインを、皆さんの力もお借りして引くことが出来た。
そんな実感を手にしました。

75年続いた「陶舗石渡」は、展覧会が終えたら改装され、
前橋市民が緩やかに関わることの出来る餡子屋「あんこもん」として生まれ変わります。

餡子で街の再生

気持ち良すぎる発想だぜ!

群馬、前橋、ありがとう。
一緒に未来の方に向かって爆走して行きますね!

 

 

 

 

個展「東日本」season7

2023 年 1 月 20 日 金曜日



小池アミイゴ2011年3月11日からの展覧会

「東日本」season7

会期:2023年3月2日(木) – 3月11日(土) 日曜休

open 12:00 – 19:00 最終日~17:00マデ

スペース ユイ SPACE YUI 
〒107-0062
港区南青山3-4-11 ハヤカワビル1F
TEL.03-3479-5889
http://spaceyui.com/

2011年3月11日の東日本大震災発災後、「被災地」と呼ばれる場所を歩き絵を描くことは、自分の足元を見つめ直すことに繋がり、自分の日常がある東京代々木の街での「見る目」や「振る舞い」を更新させてくれました。
そうしたローカルでの発見は、自分の活動範囲を、北海道の知床から台湾の山間の町にまで広げる力になっています。

ただ、活動エリアがどれだけ広がっても、自分の視線はまずは「ひとり」に注ぐものであり、その「ひとり」とは自分の足で歩いた先で出会うものであることは、「あの日」から変わっておらず、yuiで7回目の開際となる展覧会も、過去の6回と同じく「東日本」という名前で開催することにしました。

世界を見渡せば悲しい出来事だらけの今ですが、この「はるのひ」の展覧会から世界がちょっとでも良いもに変わるよう、小さな会話がたくさん生まれる場所であることを願っております。

また、
この展覧会は年内に開催予定の福島市での展覧会にリンクさせて行く予定でいます。

震災後の福島県でボクと子どもたちとのセッションを企画運営してくださった、
福島県立博物館の学芸員チームからあらたに投げられたテーマは、
「福島県内で興った再生可能エネルギーの事業を次の世代に手渡すために、
絵やイラストレーションを使った『なにか』をやってくれ」というもの。

そのコアとなる飯舘電力と会津電力の視察を行い、ミーティングも重ね、
おぼろげながらも自分が何をやれば良いのか見えてきたように思います。

飯舘電力では再生可能エネルギーの今を知ってもらうためのフィールドワークを、
フィジカルでもオンラインでも重ねています。
https://ene-tour.site/

こうした活動に、さらにパーソナルな物語を織り込んでゆくような仕事を、
絵やイラストレーションというものが出来るのではないかと。

福島は足を運べば運ぶほどその美しさに魅せられる場所です。

しかし飯舘村は震災による原発事故によって現在も帰宅困難地域を擁したままです。

そこで興った飯舘電力は、単に再生可能エネルギーを生み出すだけでなく、
これから人はどう生きるべきかを考える、社会実験的な役目も持っているはずです。

ボクは飯舘村に限らず、人はどう生きたら幸せなのかを、
息子たち世代の未来を想像しながら、自分の出来ることを考えてゆく。

福島から離れた東京青山での展覧会を、そんな考える現場にもしたいと考えています。

 

142か月め

2023 年 1 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から4,324日
617週5日
11年10ヶ月
142回めの11日です。

昨日、そして昨年の12月と、息子が卒業した小学校の生徒に向けた「街の落書き消しと壁画制作に関するレクチャー」を行いました。

12月は80名ほどの4年生全員に向けて、そもそも街に書かれている落書きとはなんであるのかを、 1970年台にアメリカのニューヨークで芽生えたHip-Hopカルチャーの事など交え、沢山の画像を写し落書きとストリートアートの違いを説明したり、1つの落書きが多くの落書きを呼び込みさらには街が荒廃してしまう「割れ窓効果」について語ったり。
そんな話の1つ1つに対する4年生のリアクションがデカくて、いただいた45分をフルに語り倒してしまいました。

息子も過去に担任としてお世話になった、オープンマインド爆発なH先生と日常を共にする子どもたちは、自分をアウトプットすることを恐れぬ子が多いイメージで、このポジティブなエネルギーが、街を朗らかなものに変えてゆく力になればいいなと思いました。

そして昨日の6年生とは、レクチャーと言うよりセッションと言ったイメージ。

元々街の環境美化に興味を持つ子どもたちの2つのグループ25名くらいを相手に、まずは2つのグループが研究してきた落書きや落書き消し、そして壁画やアートのあり方についての発表から始まりました。

これは渋谷区が推進する地域学習「渋谷課」の授業の一環で、地域のおもしろいおっちゃんとして自分は呼ばれた感じです。

子どもたちの真摯な発表は心打たれるものでした。
ただ「街の落書きを消した方がいいのは、、法律で禁止されているから」「落書きがされなくなるには、罰則を厳しくすればいい」的な考えが、発想の大きな部分占めていたことや、「アートっぽい」という曖昧なもに課題解決を託していたりが気になりました。

そこでやはり「落書きとはなんぞや」ということを、Hip-Hopカルチャーやストリートでの犯罪、アートやコロナ禍などなど、社会の多様な事象から紐解き。また、落書き解消の具体的な先例として、福岡の街でアトリエブラヴォが行った壁画制作のこと、自分発想はそうしたストリートカルチャーから学び、たとえば自分の暮らす街での壁画制作の発想が生まれたことなどを伝えました。

そして、
そうしたプロセスを踏んで実行した落書き消しは意外と「楽しかった!」

この「楽しい」を伝えられたことがデカかったんじゃなかと思います。

子どもたちは本来「禁止」が嫌いで、この6年生は「禁止」の多い公園の問題なんかもディスカッションしてきたそうです。

が、自分達が社会の課題解決に動こうとする際「禁止」を動力にしちゃっているよね〜。

でももっと色んな発想、あらゆる感情を出し合って、みんなで「やろうぜ!」と思えるポジティブなマインドを確認しあうことを楽しめたらいいね。
落書きを消すことが目的では無く、自分たちが望む街の姿はどんなものであるのか、めちゃくちゃ楽しく考え、喜びを共有するようなところから遡り、「じゃあ落書をどうしたらいい?」という考えを、やはり「楽しく」考えられたら、それはその後も続けていける活動になるんじゃないか?

なんていうことをレクチャーの後の質疑応答で語ってみました。


ところで検索でボクのことを調べて女の子が、
「アミイゴさんはよくワルダクミという言葉を使っているようですが、それはなぜですか?」という、ヤッホー!!な最高の気付きの質問が投げてきたわけですよ。

それに対する回答を要約すると、
「落書き対策会議」みたいな名前で「議論」を始めてしまうと、みんな「良い答え」を出そうとしてしまい、滅菌された言葉が並ぶ「良い答え」にさらに「良い答え」を掛け続けて続けてゆくと、最後は何も無くなったり、全く動きのとれなくなるアイデアになってしまうことに良く出くわすんよね。
でも始めから「ワルダクミするよ!」と語って始めると、みんなリラックスして思うことを語れる、なんなら間違っているかもしれない事も、「こんなことあり得ない」なんてことさえアウトプット出来る。そういった言わば雑菌だらけの言葉の束からみんなで選び抜いたアイデアこそ、課題解決にパワーを発揮するんだぜ!

こんな話しをしたところで、やっと6年生の表情に輝き生まれたように思えました。

で、さらに「アートとは」という質問まで飛び出てきてね。
それについてはまず「自分が作ったもので、自分の存在は消えてしまった方がいい」ということ、そして「アートが目的では無く、アートも手段として利用し、みんながハッピーになれることを考え続けている」という自分のスタンスを語る。
しかし、そうしたある意味引き算の表現は簡単に手に入るものでは無いので、6年生のみんながやるべきことは「たくさんの美しいものに出会うこと」だぜと。

素晴らしいと言われる美術品でも、田舎のなんでもない風景の中にも、美しさは潜んでいるから、そうしたものをたくさん自分の中に蓄え、もし街角で落書きを見つけた時に、落書きを消す以上に、そこがどうすれば美しくなるのかを考えられるようになったらいいね!
なんてことを話しました。

この6年生を束ねたS先生は、ファシリテーターとしての能力がものすごく高い方で、以前見学させてもらった授業でも、子どもたちに「教える」では無く、「発想を共有させ」「考えさせる」ことを実に大らかな空気感で行っていました。

そんな方が、議論から企画発案までは辿り着くも、実行まで辿り着けぬ子どもたち、もしくは子どもたちを取り囲む社会をなんとかしたいと、自分を呼び込んでくれたようです。

ということで、時間を大幅にオーバーして行われた6年生とのセッションは次のフェーズへ。

6年生が企画案作ってくれたら、実行に向けてはハードワークさせてもらうぜ!

 

2022-2023

2022 年 12 月 31 日 土曜日

2023年あけまして、あらためてよろしくお願いいたします。

絵を描くことで出来ることはなんだろう?
2022年はそんなことを考えてばかりいました。

1本の線とは?
ひとつの色とは?

どうにも息苦しさを感じてしまう今。
自分が何をやったって戦争が終わるわけでも無く、
それでも争い、ちょっとでも美しいものを作り、
せめてひとりにでも伝えることが出来たら、何が生まれるんだろう?

今中学一年の息子が生きる未来の世界がちょっとでも良いものであるよう、
やれることはやってゆこうと思うし、
絵やイラストレーションというものが目的では無く手段として、
思いっきりハードワークさせる2023年であろうと考えています。

と共に、
自分ならではの視線で捉えた愛しきものを大切に、
世界のどんな価値観に振り回されること無く、
自分で答えを先回りさせることも無く、ただただ描き、
生まれてきたものに驚く1年でありたいと思っています。

そんなことを続けている中、
青と黄色の構図が「戦争」では無く「平和」語る色になればいいなと、
心より思っています。

2022の虎ちゃん、12年後は笑顔でいられますように〜!

2022の最初の頃に出会ったイランの絵本「ボクサー」について。
日本の制作の現場では真っ先にマスキングされてしまうであろう「生きるの必要なこと」が真っ先に描かれていると思いました。日本の社会の中で表現をすると、なぜかは孤独を感じてしまう自分ですが、世界を見渡せば併走者がいるんだと気づくことが出来た「自分こそこんなものを作らなければならない」と思った1冊です。

2022の最後の方で出会えた絵本「世界はこんなに美しい」は、1973 年にバイクで世界一周したフランスの女性の物語。「美しく生きる」ということがこんなに強いことなのかって思ったし、なんなら美しさでしか殴れない強大な力ってあるなと思いました。日本の社会に無言で絡みついているリミッターみたいなものが、たとえばサッカーワールドカップでの日本代表の躍進で、たとえばNetflixの「今際の国のアリス」や藤井風の「死ぬのがいいわ」で緩んだように見えた今、自分が目指す世界を再確認できた一冊です。

振り返れば2022はあっと言う間も無く、
ほんとに始まったのかもわからぬまま終わってしまったように感じています。

2023年、3月11日が12年と語られる年にあって、
自分の小さな一歩一歩を確かに繋ぐことでなにか美しきものを創り、
それを必要とする人に届けてゆこうと考えています。

みなさんまずは元気で。
もし会いすることがあれば、その時が幸せなものでありますよう、
自分は自分らしくやって行きますね〜

141か月め_直島から神山町へ

2022 年 12 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から4,293日め。
613週2日
11年9ヶ月
141回めの11日です。

今日は自分の暮らす代々木エリアの落書き消しを、町会、学校の子どもたちや先生、親御さん、街の仲間たちの協力のもと行いました。


その仕上がりは、子供たちと3年間セッションを続けてきた壁画からの流れも美しく、まずは良い仕事できたかなと。ご協力のみなさん、お疲れ様。ありがとー!

ところで、
許可無しで犯される落書きに対して、落書きを消すには行政機関3~4ヶ所からの許可を得る必要があります。

「それって変だよな」と思いつつ、ならば「自分から動いて落書き消しをしてみよう!」なんてね。目的は街の美化以上に、落書きを消す事で人々が語らうチャンスを創り、なんだか矛盾を感じる社会システムを街のみなさんと共有し、改善に向けたアクションにつなげる。なんていう裏テーマが大きいのです。

昨日は、地域の落書き消しや壁画制作に興味を持ち始めている小学生たちから、ボクの取り組みに興味を持ち、レクチャーしてくれとの要望が上がっているという連絡をもらいました。それに対して「うん、やるぜ!」と答えると共に、矛盾を感じてしまう世の中のシステムを良いものへと更新させてゆくことも、一緒になって考えられたらいいなと思っています。

さらに、『アートや芸術はなにかやら素敵そうだから』という漠然とした思いのまま、壁画を地域に投下するでは無く、社会の課題を解決するための手段としてアートや芸術、デザインやイラストレーションというものを使う。そんな発想を子供たちと共有してゆきたいです。

そんな発想の裏付けになる旅を先日行いました。

まずは香川県の直島。

今は瀬戸内芸術祭の中心地として多くの人を集めるアートの島として有名になっていますが、元々は100年続く製錬場の島として栄えた場所です。ただ、製錬所の活況は深刻な環境破壊をエリアに与え、島の大部分がハゲ山になってしまうという事態が起きました。


そうしたことに対し、戦後以降は植林などの取り組みが重ねられます。

そして今から30年ほど前、1990年前後からベネッセがここをアートの島として育ててゆこうという取り組みを始めます。

2010年には「瀬戸内芸術祭」が始まり、3年に一度の開際の際は、国内外から多くの人を集める拠点となり、今は「直島っていいよね〜」「直島に住んでみたい」なんて言葉が当たり前のように聞かれるまでになっています。


今回「子どものためのアートスクールのようなものが出来ないか」という問いに答え、初めて行った直島。

岡山からの船で20分ほどで着いた現在人口3,000名ほどの直島町は、足を踏み入れた瞬間に「あ、いい空気が流れているな」と直感出来る場所でした。

30年をかけて重ねてきたアートの取り組みの中で、10年前に元々暮らしていた住民を置き去りにする事なくアートが日常に変わり、それを目指す人によってさらなる価値が与えられて今があるんだろうなと。

ごく短い滞在でしたが、出会った人とたくさん語り、この場所だからこそ整理出来た自分の表現、もしくは自分というもの。ではここで実際に何が出来るのかは、この島が30年かけてやって来たことをリスペクトし、焦らず確かなものにしてゆけたらいいなと思いました。

直島から香川へ。

高松の町が意外やデカくてキラキラしていることに驚き、今は「東京に暮らす」というより「代々木ローカルで暮らす」というアイデンティの強い自分は、地方で生きるってこと考えるスイッチが入ったように思います。。

高松が物語の重要な舞台となる、村上春樹の「海辺のカフカ」を読みながらの旅だったことも、風景の見え方を変えてくれてたかもだけどね。

次の日には徳島市に移動。

高松よりずっとのんびりしたイメージの街からバスで1時間。
山間の町、神山町を目指します。

車窓から見える風景はのどかであると共に、「末長く」重ねられて来た人の暮らしの確かさがあります。
そしてバスが神山町に入ると空気が一気に変わったように感じました。それは「人の愛のある手で整えられた場所」特有の凛とした空気です。


3年前に神山に移住した友人の編集者と、10年ほど前に移住し、今は珈琲の焙煎を行なっている友人と合流。
神山の良いところを紹介してもらいました。

たとえば設立5年めの食堂「かま屋」
フードハブプロジェクトというひとつの会社が、新規就農者を育成しながら本格的な農業を営み、そのアウトプットの場所としての食堂。うちの近所のパン屋”ルヴァン”が監修に入ったパン屋や地域の加工品の製造販売所を併設し、町の人たちの農と食に関わる場にしてゆくという考えが、美しく、なにより美味しく結実していました。

1食1,850円のランチを求め、町の外からも多くのお客様が集まっています。
ボクも実際にいただいてみると、有機や無農薬で育てられた地元産の食材に、適切な調理が施されたごはんは実に美味しく、「対価」としての1,850円を気持ちよく預けた「The 食い物」でした。

また、卓上には季節ごとの「地山地食」の達成度が書かれたファイルが置かれているのですが、そのグラフィカルな見せ方がとても上手で、「体にやさしい」現場で有り勝ちな「理屈」を食わされている感じがまったくしないのが素晴らしい!

で、次の日、今度はひとりでランチをとってみたら、周りの人たち(多くはボクより若い人たち)がそれぞれ数名にグループで食事を楽しんでいるのだけど、聞こえてくる会話が「町作りについての真剣にデスカッション」であることにビックリ。いいな〜、神山!

町内には東京や大阪のITベンチャーを中心としたサテライトオフィスがいくつも、古民家などをリノベーションして置かれていて、町全体が新たな働き方の実験場のようになっています。

これは、20年ほど前に町内全域に光ファイバーを張り巡らせた施策が実った風景と言えるようです。
そうして若い人たちがこの町に入ってくるようになると、その生活を充実させる仕事の可能性が生まれ、10年前に移住してきた家族のお母さんは「珈琲の焙煎をやってみよう」という発想が、この町だからこそ湧いてきたんだと思います。

もしくは、この街で靴職人として生きてゆこうと考える人とか。

30年ほど前、町から海外に出て戻って来られた方が、過疎化するエリアを生かすため、アメリカのシリコンバレーに習って”グリーンバレー”という組織を立ち上げ、まずは町の元々の産業、林業や農業に負荷をかけぬアートを手段と考え、アーティスト・イン・レジデンスの取り組みを行う。ある日「海外から来たアーティストが町内を歩く姿」に町民は出くわすわけです。で、それは「奇異なもの」として捉えられちゃうのだけど、しかし、丁寧に続けることで「外人が街を歩く姿」は地域の当たり前となり、なんならちょっとした英会話が日常になってゆく。その先、10年後辺りで街に光ファイバーを張り巡らせ、外からの人を本格的に受け入れることを始めと、地域住民にとって奇異だと思えた風景の広がりは、地域の可能性の広がりを想像させるものとなる。そうなると、廃校も危ぶまれた既存の高校が、地域作りと食に特化する2学科で復活を図り、今は地域の枠を超えて学生を集めるようになる。そうして集まった学生も町作りに参画する。来年には新たに高専が設立される!?などなど。
おもしろいな〜、神山。

この日の宿は”WEEK

目の前の鮎食川を借景を空間装置として生かす大きなガラス戸と清潔でミニマムな空間で、日常と違った働き方が出来る宿。

この施設の目の前には、グリーン・バレーが運営するコワーキングスペース”神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス”が置かれていて、

ボクは滞在中に2回のオンラインミーティングを行うことが出来ました。

そして、サッカーワールドカップ・カタール大会の日本代表とドイツとの歴史的一戦もこの宿の部屋で!

神山町、印象よすぎです!!

その他新鮮な出会いがいくつもあったのだけど、神山の最新情報だけ浴びすぎるのも違うだろうと、ただただ街を歩いてみたら、やはりその美しさばかりが心に染みてくる。

それはやはり、豊かな自然との共生を先鋭的に重ねているからこその景観なんだろうな。


この町のことを簡単にわかったふりはしたくないなと、さらに歩き続けると山の中。



雨乞いの滝まで汗だくになって着いたら、早く東京の代々木の家に戻り自分の暮らす街をもっと良いものに出来るよう、町の仲間と話をしたくなりました。

直島も神山町も、30年続けてきたことが日本の社会が今まで気が付かないで来た豊さを手にしている。

そう出来るためにも20年の積み重ねはマストで必要だよな。

自分が今の街で暮らすようになって24年。
震災後東北を巡り始めて11年半。
ちょっと歳をとってしまった自分に出来ることは限られてきてはいるが、それでもやるべきことはあるよね。

その前に、豆ちよさんの働く姿を目に焼き付け、こんな姿を自分の新たな発想のスタートラインにしておきたいと思いました。

そして今日、ボクは自分の暮らす街にされた落書きを、街の仲間と一緒に消すセッションを行なった。

神山さん。また元気で会いましょう!
PEACE!!

140か月め_塩釜での壁画制作

2022 年 11 月 11 日 金曜日

今日は2011年3月11日から4,263日
609週
11年8ヶ月
140回めの11日です。

10月31日から11月4日まで、
宮城県塩竈市の塩釜水産物仲卸市場の北側の扉への壁画制作を行いました。


震災の津波被害の遭った場所で、長年稼働してきた仲卸市場ですが、
老朽化と世代交代のタイミングで、若手と呼ばれる人たちがこの場所の更新を担うことに。
これまで4つに別れていた運営をグループを1つにまとめ、
課題解決に向けたコミュニケーションのよりオープン化させ、
新たな試みも加えて、10月15日にリニューアルオープンさせた場所。

ボクが懇意にさせてもらっている塩釜のアートシーンの中心人物 高田彩さんが、
この春ここの南口に作家さんと地元の若者たちを結びつけた壁画制作をしていることを知り、
とても良い試みだな〜などと思っていたところ、
次年度予算で北側の入り口にボクを呼び込んでくれました。


その際にオーダーがあったのが、
ボクが過去に同じ構図で2度描いた塩釜の海、「千賀の浦」を飛ぶ鳥たちの絵、
それをこの場所に施してもらいたいとのこと。

ああ、うれしいな〜。

この絵は、ボクが2013年の5月に塩釜で見た風景です。

この年の1月、ボクは震災後の何度めかのフィールドワークで東北を巡り、
旅先で見た「マリンゲートという港の機能が一部再開」のニュースから塩釜に行ってみようと思いました。

そこにはプレハブ建ての復興市場があって、
ボクは共栄丸水産で働く水間さわ子さんと出会います。

とても溌剌としていて気持ちよくて、自分では嫌だなと思っていた
「逆に被災者に元気もらっちゃいました」みたいなことが起きてしまったのです。

そこでラブラブだというご主人を紹介され、
ボクは手持ちのシロツメクサを描いたポストカードを手渡し、
東京にもどりました。

しばらくするとさわ子さんから手紙が届きます。

そこには、保育士となった二十歳の時、不安な気持ちで通学バスに乗る際、足元に咲いたシロツメクサを見て、なんだか励まされたような気持ちになったこと。
震災の直後、何もかも流されてしまった養殖場ある海に出て呆然と空を見上げていると、呑気に飛んでるカモメ(ウミネコか?)の姿が見えて、やはりなんだか大丈夫と思えたこと。
そして、ご自身の今のことと相変わらずラブラブなご主人自慢。そんな自慢のご主人が働く海と5月に塩竈神社に咲く塩竈桜を見に来て、いつか絵にしてくれと。

ボクは彼女と会えたことで、被災ということ、復興の意味、もしくは、被災地と呼ばれる場所にひとりでも友人が出来たら、それはとても豊かなことなんじゃないかという直感を得ました。

で5月、東京から弾き飛ばされるようにして向かった塩釜。

復興市場でさわ子さんを見つけ「ご主人の仕事場を見てくるね〜!」と声かかけて、遊覧船に乗って松島湾へ。
古くは「千賀の浦」と呼ばれた場所で、ボクはかっぱえびせんに群がるウミネコを見ます。

被災と日常が千賀の浦の上で交わって感じられた瞬間。
ボクはこれを描き続ければいいのだろうと確信しました。

彼女はその絵をとても喜んでくれて、
この絵を使ってご家族で営む共栄丸だけでなく、塩竈の復興に役立てたいと考えを持ってくれました。

いくつか具体的なアイデアもあったのですが、
2018年の夏、彼女は急逝してしまいます。

家族のため、地域のためと、ものすごい笑顔と共に頑張っていたんだよね。


今回の壁画制作にあたり、
高田綾さんに共栄丸さんにご挨拶に行きたい旨を伝えたら、
一緒にゆきましょうと。

美人すぎる元気すぎる共栄丸シスターズの洗礼を受けていましたね。

コロナでしばらく来れなかった塩釜で、ボクもお互いの元気を確かめ合い、
さわ子さんが愛してくれた絵を、いわばライバルと言えるような場所に投下する旨を伝えたら、
逆に喜んでくれて快諾をいただきました。

ああ、こういうマインドなんだよね〜、今日本中で必要とされていることは。
(オリンピックの金の流れとか見ちゃうと、特に、、)

で、シスターズ、
「お父さんがアミイゴさんの影響で絵を描き始めちゃって、」なんて言って見せてくれた絵。


きゃーー!
素晴らしい。

お父さん、俺にはこんなん描けないです。

海を愛し海に生きた人だからこそ描けるリアリズム。

近年見た絵の中で一番愛しいかも。

そして、自分がやってきたことでこんな絵が生まれたことに感謝。

都会のなにやら立派な場所で輝くものでは無い、

自分のアートとは、こんな絵が生まれることなんだと、
またまた塩釜で教えられてしまったのです。


共栄丸さん、いつまでも元気で!
また塩釜で会いましょう。

仲卸市場での壁画制作は、
主に市場の閉まる13時から日のかげる16時半くらいの3時間半が勝負。


それまでは扉が開いていて、少なからずの方がここを通ります。

そんなお一人お一人が気持ち良い言葉をボクにかけてくれて、
この作業が行われることに関して、市場で働く多くの人のコンセンサスが取られている事を感じます。


ボクがここで制作することで生まれるコミュニケーションも、
こな市場を再生して行く上での重要な要素なんだと思います。


「被災地」と呼ばれる場所で生きる人の多くは、
あの日からずっと考えるのやめなかった人。
(あらゆる事情で考えることを足踏みする人のことへの想像も忘れずに、)

個人的には東京の(中央の)発想のずっと先を走っているイメージさえあります。

そんな方々が大切にされていることのほとんどは、
風通しの良いコミュニケーションの現場作りではないかと。


若いアイデアが結集され生まれた市場内のフードコートの風通しの良さは、
コンサルタントや代理店の発想では生まれ得ない気持ちよさがあります。

現状はリニューアル・ブーストがかかった状態で、多くのお客様が足を運んでいる状況かと思い、
これを維持してゆくのは大変さも想像出来てしまうのだけど、
だからこそ高田 彩さんはこのタイミングでボクを呼び込んでくれたんだよね。きっと。

いやー、この壁の前でほんと色々な人と会話をしたな〜
その1つ1つが愛しくて仕方ねえぜ、塩竈、宮城、三陸、東日本。


大切な友人も駆けつけてくれたし、ここで友人になれた人もいるし、
さわ子さんとのご家族とは「今でもその辺にさわちゃんがいるよね」と。
この壁がある限り、そして少なくとも自分が生きている限り、
これからも続いてゆくものばかりです。


塩釜を良い方に更新しようと奮闘するみなさん。


そこでアートを翼に軽やかに舞う高田 彩さん。

この場所への導きをありがとう。

綾さんが運営するアートの拠点「ビルド・フルーガス」は、
エスペラント語で「ほら、鳥が飛んでいる…」という意味だそうです。

あらためて、
2011年の春に千賀の浦でさわ子さんが見上げた空を想い、
塩釜で出会った人たちに感謝を深めた壁画制作。

この空、東京へ、日本中へ、世界へと広げてゆきたいです。