‘3月11日からの備忘録’ カテゴリーのアーカイブ

138ヶ月め

2022 年 9 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から4,202日
600週2日
11年6ヶ月
138回目の11日です。

ん?まだ138か月か、という印象の11年半。

先日は地元の落書き消しを、街の仲間と行いました。

2年前の9月5日にやはり落書き消しをした壁面。

2年後の8月16日に落書きをされたので、

区役所、警察署に必要な申請をして、SNSで呼びかけた街の仲間と消しました。

2年前の経験から、区役所担当者とのコミュニケーションや申請はスムースに出来たはずです。

が、やはり矛盾を感じるのは、
落書きは勝手にされるのに、落書き消しにはいくつもの申請がいること。

この壁で言うと、持ち主は東京都で、環境管理は渋谷区、道路使用は代々木警察署と、
それぞれの許可が必要になります。

東京都の道路管理部には渋谷区の担当部署が申請を代行してくれましたが、
これを個人でやろうとすると、かなり面倒な話になります。

あらためて、今回の落書き消しのモチベーションを語ってみると。

まずここは通学路であること。

コロナでマスクをした2年数ヶ月の子どもたちのマインドを考えると、この場所は綺麗にしておきたい。

夏休み前、ネットで全国的に女児誘拐をほのめかす発信があり、この通学路を利用する小学校でも対策に追われた。

大通りに直結する裏路地であるこの場所は、犯罪が起きやすい場所である。
(犯罪者は逃走出来ることを前提に犯行場所を選ぶ)

夏休み中、ここから近くの渋谷の繁華街の裏道で、中学三年生の女子が母娘を刺す事件が起きたが、彼女は新宿から渋谷まで裏通りを歩きながら、犯行場所を探していたとのこと。街に落書きが溢れる渋谷の繁華街で「ここは人を刺していい場所だ」と判断した中学三年生。落書きがされたこの場所でも同じことが行われてもおかしく無いという考え。

そんなこんなで、出来たら夏休みが明ける8月30日までに落書きを消したかったが、しかしそこには実行に至るプロセスがある。

渋谷区には落書きを消す専門チームと契約した「先進的な落書き消しシステム」があります。

しかし、渋谷区は落書きに溢れ、申請してから実行まで時間がかかる?
ともかく、このエリアの学校周辺の落書きに対して、落書き消し申請から消されるまで時間がかかりすぎる。

その間子供たちが「落書き怖い」とか言ってるんだよね。。

自分は地域の壁画制作に関わっていたりするので、今回の落書きに対しても「壁画にしちゃえば」なんて意見ももらうのだけど、自分の考えは「子供のたちの恐怖を消す」ことに尽き、「落書きを消す」ことや「壁画制作」が目的では無く、ただすぐ消し、できれば以前より良い環境を子供たちと(大人たちとも)共有することを優先して考えています。

そうしたことに、いくつもの申請が必要なことは、これからの社会作りの必然として改善してゆかねばだなということを、ボクは2011年3月11日以降の「被災地」と呼ばれる場所で感じてきました。

行政の行うことを見ていると「新たな社会システムを構築するアイデアを持つ人」にスポットが当たり、またシステム構築の達成が目標のように見えてしまうことがあります。

しかし、本当の目的はそこでは無いのは当然ですよね。

今回の落書き消しで一番苦戦したのは、劣化し汚く見える行政の張った落書き禁止ポスターだったりします。


いやいや、そんなもの貼るまでも無く、勝手に書かれた落書きは、気がついた者が勝手に消しちまえたらいいよなと。

まあ、消すのもテクニックいるのだけど、集まったみんなで「こんなやり方どう?」とか話し合って行う作業が、実はとても楽しかったのです。
参加者のひとりが「慈善活動は苦手だが」なんて語っていたけど、一番楽しそうに活躍してたぜ!

仕上げは「行動としての安全担保」に「目に優しい生活のゆらぎ」も演出した自分の塗りの技術を投下しときましたよ。

というわけで、みなさんお疲れ様でした〜

137ヶ月4日もしくは 77年め

2022 年 8 月 15 日 月曜日


今日は2011年3月11日から4,175日
596週3日
11年5ヶ月4日
137回めの11日から4日経った8月15日。
太平洋戦争が終わった日から77年です。

7月31日に展覧会を開催している長崎県諫早へ。
生活雑貨とカフェを営むオレンジスパイスのみなさんと久々の再会。
開業から28年の底力ある現場は相変わらず素晴らしく、
この場所を維持してこれた力というものをあらためて考えてみました。

次の日は福岡へ。
出会った、絡み始めて16年。
相変わらずぶっ飛んでアート作品を産み続けているアトリエブラヴォへ。
以前からスタッフが更新された中、次世代の福祉の風景を見せてくれてるのが嬉しくて、
予定よりずっと長居して、商品開発のブレインストーミング。
「障害を持っている」と呼ばれる人たちと当たり前に触れ合い、当たり前に16年の時を重ねてこれたこと、これは未来だなあ〜。

その後薬院のカフェsonesへ移動。
現在ケータリングに力を入れている店とは、
0年代の多くで心通う現場作りをしてきた仲間。
そのケータリングカーにペイントの依頼を頂きました。

オーダーされた絵柄から、ボクなりに魂の逸脱。
福岡の街のこの店じゃなきゃ描けないものを提供できたはずです。

夜は、やはり多くの現場を共にしてきた仲間のライブ。
小さくても軽やかに深い表現の現場は福岡ならではだな〜

浜田真理子さんなどという憧れの存在とも出会え、
福岡の底力を感じながらカミさんの実家のある北九州へ。

先に来ていた中一の息子と合流し、
大変なおもてなしを頂き、人のありがたさを感じ…

自分がこうして善き人に恵まれている意味とは?

善きものに恵まれたら、その逆にも視線を向けた方がいいねと。
ほんとギリギリまで悩んでいたけど、息子を連れて広島に行くことにしました。


もともと息子を広島や長崎、沖縄に連れてゆくことだけは自分の責任として行うつもりだったのだけど、
中1になって自我が急激に芽生えたように思えたので、このタイミングだろうと、1ヶ月半前に自分ひとりで来たばかりだけどね、広島平和公園を目指しました。


ボクが震災後の東北を目指した大きな目的のひとつは「息子に自分の言葉で震災を語れる大人でありたい」と思ったから。
そう思った背景には、中越地震でのボランティア参加や、福岡西方沖地震後の活動などと共に、広島や長崎、沖縄で戦争の記憶を探る旅を続けてきた経験があります。

そうした経験で得たことは「ひとりが語る言葉の重大さ」
もしくは「ひとりを失うことの重大さ」

個人的に3度めとなる広島平和記念館は、数年前の改修でより「ひとり」というものにフォーカスされた展示になっているイメージで(以前は「原爆資料館」的なニュアンスも強かった印象)、12歳男子はそこでどんな言葉に出会うのか、受け止めきれぬこともあるだろうけど、まあ俺がついてるぜと、彼の背中を追うように展示室を巡ってゆきました。

もともと文章を読む能力の高い息子ですが、展示されているほとんどの言葉をインプットしているようで、ゆっくり時間をかけ、たまに椅子に座り込みながら、広島であったことに向き合っていました。

その後ろ姿を見ている自分は、多くの思いが心の中で交差していたんだろう、ある意味感情が真っ白な感じしていました。

息子が来館者用のノートに刻んだ言葉を見ると「この戦争で人は人でなくなったのだ」という言葉。
ボクはあらためて真っ白な心にこの言葉を書き込み、残りの人生を歩んでゆくことになるんだろう。

そして、広島向き合ったことに対して12歳はこれからどう生きてゆくのだろうか?

正義感の強さが脆さに思えてしまうことのある12歳だけど、この日のことがひとりでも人を救うことに繋がるよう見守り、ただ暴力の芽が見えたら、その根を断ち切ることは大人の責任をしてやって行かねばだなあ。

そんなことを考えていたら、旅の最後に鹿児島の知覧に行ってみようと思いました。

北九州-広島の後、熊本で楽しい仕事を頂き、そのクライアントさんである高橋酒造さんが米焼酎を醸す人吉の多良木町まで連れていってもらい、長年の酒造りが人と自然とが共生した美しさの中で行われてきたこと、2年前の豪雨被害からの復旧状況など確認。(復興ではなく復旧だなあ)

明治維新というものがあり、
主権がちょっと「民主」というものに振れつつ、
西洋列強の植民地支配は相変わらず脅威で、
いくつかの戦争で成果を残すも、
農村や漁村といった日本を支えてきた人々は貧しさの中にあり、
軍事国家を維持することを、さてどうしよう。

ボクなんかが簡単に語れる判断なり思い込みなり勘違いも重なったりしたんだろう。

ただ、今めにしている多良木の風景はなんて美しいんだろう。

人がなんとか生きようとして力合わせ工夫し生まれた景観、そこで酒を造り続けることの豊かさ美しさ。

こんな人と自然との風景を心にインプットして知覧へ。

自分の中でモノクロの映像であった知覧は、緑豊かな台地の上にありました。

島津藩の出城としての城下町として栄えた歴史ある街並み擁する土地で、戦争遂行のための合理的な判断で戦闘機乗りの訓練場として整備された知覧が、戦争末期には沖縄戦での特攻の出撃基地と変化したこと。

本来エリートである若者が武器にされること。
その作戦立案した者、指示した者など、そうか、今の自分より若い人だったんだ。

そして12歳の息子もあと5年、17歳で特攻に加わった人がいたこと。

青年の「純粋」を戦争遂行に利用したことについて、答えを求めずあれこれ考えてみたが、無感情という状況になったのは、初めて東日本大震災の被災地である福島県の豊間に行った時、広島に行った時、沖縄の摩文仁に行った時と同じ。

ただ、豊間で出会った少年との会話、
ボクが「あの辺は被害が少なかったんだね」という質問に、
「少なんくなんか無いよ!2人も死んだんだ」という言葉が心のなかでループして響いていた。

こうしている間も、世界のどこかで戦争が行われている。

東京にもどった8月6日。
広島の平和祈念式典を見ていると、子供たちが「平和の誓い」で「多様性を尊重することが平和に繋がる」と語っていた。
戦後77年の今、多様性から平和を語れる世代が生まれて来ている。

自分が社会に向ける視線もさらに豊かに磨き、ついつい見落とされがちな身の回りの小さな美しさに気づき、大切にしてゆく人生を歩まねばならないと考えている。

自分の中で色のついた知覧という場所が、若者の純粋を未来に繋ぐ場所であるよう願いながら、鹿児島中央駅行まで1時間ちょっとのバスに揺られた俺です。

136ヶ月め

2022 年 7 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から4,140日
591週3日
11年4ヶ月
136回めの11日です。

昨日は第26回参議院議員通常選挙がありました。

1947年4月2日に第一回の選挙が行われて26回め。

それが多いのか少ないのか?個人的には「まだ26回なんだ」という印象と共に、日本はまだ民主主義の試行錯誤の途上なんだろうなと思っています。

その選挙運動期間の後半で安倍元首相を暗殺されるという「あってはならないこと」の先で、投票日を迎えたわけですが、自分は引き続き「震災復興」と「行政改革」を目指す候補者を選ぼうと考えていました。

ボクにとって「震災復興」とは、人が生きやすい社会を考え続けることで達成するもので、まだ明快な答えは手に出来ていません。「共に考え続けよう」と語りかけてくれる候補者を探すことが自分の選挙行動だと言えます。
たとえば、1945年の夏に太平洋戦争が終結したとして、1956年の夏は、まだ日本の社会には戦争の硝煙が匂ってはいなかったでしょうか。
震災と戦争を同列に語るには無理もあります。しかし、多くの人が犠牲になった日からまだ11年しか経っていないんだという驚きが自分の中には確かにあるのです。

「行政改革」に関しては、『いかに民間が元気になるか、行政判断をシンプルにスムースに行うことで後押する』そんな願いも込めて考えています。
「民間」とは「人に良かれと思う志を持った人が、人を助けるものを作る」本来日本が得意としていた”ものづくり”の復活の願いがあり、”ものづくり”には音楽やデザインやアートなど、クリエイティブな行為を含み考えています。

もしくは、息子が通っていた小学校の正門前の壁にヒドイ落書きをされました。
コロナでお互いの顔が見えぬ今、全国の学校に少女誘拐を仄めかす予告が届くという、子どもたちを不安に陥れる事が起きているのに、この勝手に描かれた落書きを消すためには、いくつもの手続きを行う必要がある。
勝手に描かれた落書きを勝手に消すと「けしからん」と言われてしまう。

しかもこの壁、半年前にも落書きされたのを、行政がペンキで塗ったばかりなんよね。

この壁の反対側、学校を囲む塀はに子どもたちとペイントしたのは去年の秋。

薄暗かった坂道が明るくなって、落書きもされず。

問題はシンプルで、落書きを消すこと。

方やついでに子どもたちの絵が描かれ街が明るくなった。

方や行政が納得する結果を正当なプロセスで行うことが、目的になっていないか?

ということを、参議院議員選挙選挙でも考えてしまうんです。

しかし、ウクライナ戦争、中国や北朝鮮の脅威、物価高騰、エネルギー問題が目の前の脅威として語られた今回。その先の未来を明快に言葉で語った候補者がいたのかどうか。

「政治的」という言葉があって、
「一般人が政治的な発言をするのはけしからん」とか「アーティストこそ政治的な発言をすつべき!」などなどの強い言葉に出会うことがありますが。
その「的」ってなんだろう?

ボクには「政治のことは政治のプロに任せておけ」「その他発言は所詮政治的なものでしか無く、耳を傾けるに値しない」そんな考えの「プロ」なオジサン政治家さんの姿を想像してしまうんよね。

が、生活、仕事。子育てや介護、平和とか夢でもいいや、そして何より自分のことより息子たち世代の未来!そうしたものには政治がコミットしていて当たり前で、そうしたものを大切にしたいと願う自分の1票は、政治へのコミットであるわけで、それを「的」とかの言葉でぼやかしてはいけないと思っているのです。

そうした課題解決のために求められるのは、旧来のイデオロギー対立などぶっちぎって、建設的でオープンな会話が出来る場所創りなんだろう。ということを、この11年「被災地」と呼ばれる土地で感じて取ってきて、今は「オープンなアイデアの共有と大まかな合意」で社会を動かして行ける資質の人を探すのが、選挙と呼ばれる現場でのボクの社会参加なんだがな〜〜、、

なかなか難しい第26回参議院議員通常選挙でありました。

「妊娠、出産、子育て支援」などというワードがオジサンの口で語られるようになったのは、半歩くらいの世の中の前進を感じたりもするのだけど、それにしたって女性候補が少な過ぎて気持ち悪い。

あらためて、人の命が不当に奪われて良いはずが無く、
安倍さんのご冥福を祈ると共に、ひとりの政治家への想像力を働かせている自分です。

それと同時に、
41歳の男性が自暴自棄に追い詰められてしまった社会について、
そこに分断があるのだとしたら、その原因について考え倒さなければと考えています。

社会に分断があるとして、
ならばすぐにでもやらなければならないのは人の居場所作り。

2011年3月11日からの大きなテーマで、自分が描く1枚の絵だって、だれかがこさえる小さな唄ひとつだって、そんな居場所のひとつに出来ないかと考え続けているのです。

135か月め

2022 年 6 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,110日
587週1日
11年3ヶ月
135回めの11日です。

現在滋賀県の東近江市能登川町立図書館で「暮しの手帖」元編集長の澤田康彦さんとの展覧会「いくつもの空の下で」を開催中のボクのことを、京都新聞ジュニアタイムスが取材してくれました。

子どもたちに向けて、悩める子ども時代を過ごして、悩める今を生きるボクの話を、噛み砕いで編集してくれた記事に感謝。

過去を振り返ることより、今を生きることに精一杯な自分にとって、人との会話から自分を確認出来ることは、ありがたいことです。

じゃあこれが子どもたちの役にたつのかどうか、、
引き続き「わかった顔」しない生き方を続け、自分に興味持つ子どもがいたら、その時の全力で答えられたらいいな。ちょっとくらい間違ったこと言うかもしれないが、ともかく全力で。

ところで、
京都新聞と同様のインタビューを雑誌 SWITCH で受け、
6月20日発売号の記事となっています。

SWITCH-Vol-40-No-7

今の自分を形成している子どものころのことから、
セツモードセミナーで長澤節から受けた啓示など、
京都新聞とほぼ同じ内容で語っているはずですが、
こちらではトンガった大人に向けてグサグサ刺さる編集。

自分を振り返り、ひでえやつだな〜と嘆くも、
すんません、これが俺なのか、、
です。


そして、やはり同様のことをネットメディアでたっぷり語りました。
IMAGINEZ大学 with Discovery

https://www.discoveryjapan.jp/program/imaginez-univ/

こちら配信開始は7月になるかと思いますので、詳細あらためますね。

が、なんでこのタイミングでこれだけ発言を求められるのだろうか?

今日台湾よりオードリー・タンさんに関する近藤弥生子さんの著作が送られてきました。

台湾の天才的なハッカーで、日本で言うところのデジタル庁の大臣に就任したオードリー・タンさん。
彼女が社会にもたらしたことについて、ボクに日本からの視点でコメントを寄せてくれとのオーダーを頂き、東日本大震災後の社会を思い短文を寄せたので、紹介してみます。

2011年3月11日、日本は未曾有の大震災を経験します。
あれから10年。被災地では人々の「対話と共有」の痕跡を感じる、優れたデザインの社会的インフラに出会うことが出来ます。
困難を解決するため、1人ひとりの中に埋まる答えと対話し、共有することで導き出す最適解。
それはきっちり10年未来の発想であり、オードリー・タンさんはそれに輪郭と名前を与え、1人ひとりが使える道具に変えてくれているように思います。

以上。

ボクが3月11日以降出会ってきたことには、良いことも残念なこともあります。
そんな中で、困難の中にあるからこそ、他者を思い関わる人たちにとって最善の解決を導き出す努力とアイデアに出会うたび、深い共感と感動を感じてきました。

そうした「被災地」の発想は、日本の社会をより良いものにする力があると直感し、自分で暮らす街や触れる人と共有することを続けてきたはずです。

が、共有するための言葉は足りていなかったかなと。

オードリー・タンさんが社会の課題解決のために実践され、オープンソースとして社会共有されていることには、自分が見たり感じたりしてきたことが、明快な言葉で語られています。

「あの日」から11年3か月の今、
あらためて自分の言葉で震災や被災を語り、社会の生きづらさや息苦しさにちょっとでも風穴が空けられるよう。自分が身に付けた社会の課題解決に至る方法を実践してゆかねばなと。
それは何気なく描く1枚の絵にも反映させてゆこうと考えています。

台湾からもう一冊。
自著「台湾客家スケッチブック」が紹介されている政府系(?)の雑誌を届けていただきました。

この雑誌の特集は「女性」

世界第6位
アジア圏では第1位を誇る女性の社会での活躍が進む台湾。

そんな台湾のそれぞれの現場で活躍中の女性が、
台湾語と英語のテキストで紹介されています。

気象アナリストやフードコーディネーター(で語りきれないが)など、サスティナブルな世界を目指す社会の課題解決の最前線で活躍される女性たち。いい顔してる。

この辺、日本でやるとルッキズム(外見至上主義)に陥ったものになりやしないか?

もちろん、台湾の社会だった問題はあるのだけど、でも台湾の社会や人から学び日本の社会に投下するべきことは沢山あるな。という実感。

話はちょっと飛躍しちゃうかもだけで、
クラスの一番すみっこで静かに小さくなっている女の子が、実はすごいこと考えていたなんてことは、当たり前にあることで、ボクのようなものは絶えず小さな声に耳を澄ませてゆかねばならないのだ。

 

絵本「はるのひ」日本絵本賞受賞

2022 年 5 月 23 日 月曜日


2021年2月に発表した絵本「はるのひ」が、
2022年5月、第27回日本絵本賞を受賞しました。

父が亡くなった2018年の春の日から、3年の制作期間で生まれた1冊。

絵本はボクひとりで作れるものでは無く、この1冊は特に、編集担当のTさんの27歳から30歳までの青春の一冊と言っても良いくらい、莫大なエネルギーを注いでくださったことで、生まれたものです。

また、ブックデザインの城所 潤さん、舘林三恵さんから頂いたアイデアにより、より美しい本として、この物語を必要とされる方へ届けることができます。

さらに、たいていの印刷屋さんが顔をしかめるボクの”印刷しずらい絵”に真っ向立ち向かってくれ、発刊直後に「特にp30〜31の見開きで震え上がれ」とTwitterでつぶやいてくださった、東京印書館様のサイコーの印刷無くしてこの本は語れません。

この賞はそんなみなさんに対してのものだと考えています。


森の向こうに煙をみつけた”ことくん”が、走って煙を見にゆくだけの物語ですが、
その舞台の参考にしているのは、ボクがこれまでお世話になってきた土地です。

まず、生まれ故郷の群馬県南部、赤城山の麓の田園風景。
おばあちゃんの家の田んぼや畑で遊んだ経験と共に、1970年あたりを境に徐々に失われていった里山の美しさなんてものも、思い出しながら筆を走らせました。

そして、子どもたちとのワークショップセッションを重ねて5年目となる、福島県奥会津エリアの柳津町や昭和村の風景や光、土地の高低差の面白さ。
なにより元気な子どもたちの姿!
彼らがこの絵本を好きだと思ってくれたら、それが一番うれしい!

もしくは、やはりワークショップでお世話になっている、喜多方市で完全有機農法を実践する大江ファームの、夕日に溶けてゆく美しい畑。

夕日と言えば、東北の太平洋沿岸部で出会ってきた色彩。
この絵本は山間の物語だけど、海沿いの町で見た色彩を盛り込むことで、「どこか知らないけどステキな場所」の演出が出来たはずです。

物語の大切な装置となる森は、大分県杵築市山香町の森の中でカテリイナ古楽器研究所を営み、ものづくりと音楽と反農の暮らしを実践する松本家とのお付き合いから、体を持って覚えた喜びを絵にしています。

さらには、2016年の初夏に花の絵の展覧会を開催させてもらった、栃木県那須塩原市黒磯のSHOZO COFFEE。
展覧会を前にした2月と3月に、SHOZOに宿泊しスタッフとワークショップしたり、那須野の山を自分の足で走って感じた土地や人との距離感。

やはり展覧会を開催させてもらった熊本県津奈木町の”つなぎ美術館”
そのきっかけとなったアートプロジェクト”赤崎水曜日美術館”に関わったことで得た、土地と人との関係性。これはその対岸、天草でも経験させてもらいました。

色彩に決定的な力を与えてくれたのは、2019年の夏に3週間かけて取材旅をした台三線エリアの濃厚な風景。
それ以上に、そこに暮らす客家の皆さんから与えていただいた人情が、色に強さと優しさを与えてくれています。

ボクが当初考えた絵本のタイトルは「とーちゃん おーい」で、
主人公の名前は「ととくん」でした。

「おーい」の原風景は、カミさんの九州の実家のお父さんが、2歳の息子に向かって「おーい」と声をかけて遊んでくれていた風景。

自分は父親とそんな経験あっただろうか?と記憶を辿るも、1枚の写真に辿り着けただけだったけど、それでもなんて安心感のある風景なんだろと、自分が家族を取り戻したような気持ちで見ていました。

その後作画を担当する絵本「とうだい」でも印象的に使われていた「おーい」という言葉。
嵐の中で灯台が光と共に叫ぶ「おーい あらしにまけるな とうだいはここにいるぞ 」という声!
それに答え「トットットット」とエンジンをふかし舵を切る小さな船。

斉藤 倫さんの物語に、ボクこそ見守られていたように思います。

そして、「おーい」という言葉に向かって「とっとっとっと」と近づいてゆく子どもの風景を想像すると、逆に「おーい」という安心感に背中を押され「とっとっとっと」と駆けてゆく子どもを想像。

震災後、多くの言葉を駆使して相手の言葉に蓋をするような事がネット上で見られるも、被災地と呼ばれる場所では、そんなもの何も役に立たないでいるのを知ったボクは、子どもたちに「おーい」とただただ大らかな声をかけられる「とーちゃん」でありたいと願いました。

そう願うことで、「おーい」と大らかな声で語れる人にたくさん出会えたはずで、その声はこだまして、さらに次の大らかなる人の発見に繋がってゆきした。

そうすることで、ボクもボクの家族も生かされてきたような10年ちょっとの歳月。

残念ながらこの本が完成する前に亡くなってしまった方もいます。
しかし、大切なことはこの物語の背景に塗り込んであります。

今回頂いた賞が、そんな1人ひとりをこの物語と共に生かし続ける裏付けになってくれたらいいなと、
心より願っております。

2022年5月
小池アミイゴ

追記。
代々木あたりのみなさまへ。

「はるのひ」小さすぎる原画展
2022年5月26日(木)~6月5日(日)
at 渋谷区富ヶ谷2丁目のパン屋”ルヴァン”のカフェ”ルシャレ”
〒151-0063 東京都渋谷区富ケ谷2丁目43−13 GSハイム代々木八幡

へっぽこな自分を生かしてくれている代々木の街みなさまへ。
みなさまの支えがあってこそ作れた絵本が、なにやら立派な賞をいただきました。

つきましては、みなさまが愛してやまない街の誇りとも言える場所で、小さな原画展を開催させていただきたく存じます。

通常は店休日である月曜日、5月30日は1日書店として「はるのひ」限定20冊の販売をします。

11時から17時くらいまで、ボクが店内でうだうだしていますので、茶などご注文の上、お声かけいただけましたら、絵本の背景に塗り込んだお話などさせていただきますね。

小さな店ですので、おひとり、おひとり、バラバラとお運びいただけたら幸い。

小さくとも風通しの良い会話の現場になればいいなと願っております。

!)この日以外は人気店ゆえ、
いわゆる一般のお客様で入店出来ない可能性があります。
わざわざお越しになられるようであれば、ボクにご一報くださいませ。

134ヶ月め

2022 年 5 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から4,079日、
582週5日
11年2ヶ月
134回めの11日です。

今年のゴールデンウィークは、PCR検査をした上で東北へ。

昨年から秋田市から北に20kmの井川町の桜まつりで、
子供たち向けの絵を描くワークショップを開催しました。


井川町のアイデンティティ、桜の名所”井川国花苑”を中心とした地域ブランディング、

井川町に暮らす架空の「いかわさくら」というキャラクターが井川町を紹介して行くサイト、
いかわさんといっしょ” のビジュアルを担当したことでご縁をいただいた町に対して、
ギャラの一部を子どものために還元するという意味や、
イラストレーションだけじゃなくて、絵を使った喜びをもっと知ってもらえたら、
これからさらに濃密なお付き合いが出来るのではないかと考え、
総合プロデューサーの成田洋一さんに「勝手にゆくよー!」と提案した次第。


結果、行ってよかった〜!な子どもたちとの出会い。
さらには、子どもたちを見守る親御さんたちとの語らいは、
井川町での次のアクションにつなげてゆけたらいいな。

ちなみに、
昨年HPや町を紹介する絵本に使った絵は、
町が買い上げる形で、今後も色々なメディアに載せてゆくことになっています。

その1つ1つのクオリティを、成田さんやボクなど、関わるみんなで見てゆくことで、
町にとって効果的な使われ方を担保してゆこうという作戦。

継続的な街づくりに緩やかに紐ついていられる、絵があるからこその関係性。
他の土地でもやって行けたらいいなと思っています。


しかし、春の秋田はのどかだな〜

井川町では、そののどかな風景を表現するために、
HPに反映させた絵のほとんどは和紙に水彩絵の具で描いたのだけど、
これは、他の土地では違ってくるのだろうなと。

今会っておくべき人いるので、
秋田から岩手県の太平洋沿岸部を目指しました。


新幹線が岩手に入ると、やはり空気が変わる印象。

盛岡では、新幹線から山田線の乗り換え時間があったので、
ちょっと街を歩いてみました。

以前、真冬に歩いた北上川沿いの遊歩道。
対岸に作られたカフェスタンドを利用する人たちの穏やかな姿。

震災直後の緊迫した風景から11年。
この風景もこれからの自分の基本とのひとつとして、
発想を進めてゆこうと思いました。


そして山田線で太平洋岸の宮古まで。

大概はバス移動なんだけど、
10年前の真冬に乗ってからの二度目ましての山田線。


秋田より険しさを感じる景観の中、約100kmの旅。
思うのは、この地に鉄道を轢いた人たちの執念だったり苦労。

が、真冬の時と違い、自然と向き合う喜びもあったんだろうなという気づきの春です。

去年の6月ぶりの宮古の街では、震災直後には想像できなかったデザインに出会いました。


このパン屋、うまそううだな〜!

とか、

ここで何が起きているんだろう?
という楽しい想像とか。


大津波を被害が撮影された旧市庁舎は取り壊され、
インクルーシブな遊具の並ぶ公園になり、子どもたちの歓声がこだましてたり。

震災から10年経って、コンクリートの復興から、
デザインやイラストレーションてものが活躍する復興にシフトしなければと語ってきましたが、
やはり同じ考えの人がいてくれたことがうれしい。

さらに人の救いになるような質の高いデザインを被災エリアに投下してゆくことで、
被災地と呼ばれる土地が、ある意味日本の最先端エリアとなればいいなと思うのだが。

まあ、自分でやれることを重ねてゆくしかないね。


宮古のフィールドワークは、10年前の真冬と同じコースを、やはり徒歩で。


もはや当たり前の風景になった、漁港をグルッと巡る巨大防潮堤。

この「当たり前」からなにか美しきものが見つけられるか?
ともかく歩いて。歩いてい。


海の景観が失われることに対して開けられた窓。
海側から見る風景に「復興とはなんだろう?」とあらためて考える。


景勝地「浄土ヶ浜」に向かう道を逸れ、トレッキングコースへ。

岩手には岩手ならではの光と色彩が演出する美しさがあるね〜

これまでボクは「なぜ人はこんなに厳しい環境の土地で生きようとしたのか?」という想像で、
三陸のリアスの地のことを考えてきたのだけど、
これからは「こんなに豊かな土地を見つけた人の喜び」なんてことも考えてみなくちゃだね!

そして浄土ヶ浜。

10年前は息を止めるようだと思った風景には、ゴールデンウィークの人が溢れ、
自分の凍てつく記憶も、溶けて消えそうな感じさえする。


これからは、朗らかにさえ思えるこんな風景を描くべきなんだろうと思い、
来た道を戻る。

10年前の冬は、持っていたペットボトルのお茶がシャーベットになっていたなあ〜。

来た道を戻ると先ほどの防潮堤のエリア。

震災後の瓦礫の土地を背に見た、漁港を包む柔らかな光が忘れられず、
防潮堤の向こうへ。


ああ、やっぱりこの光だ。

10年前の真冬はもっと違う色をしていたけれど、
この柔らかさ、優しさ。

自然に人が調和して生きているからこその凪な光。

土地の人がきっと「何も無い」と語るであろう風景に向き合い、
ただただ灰色のグラデーションの変化を追い続けた数十分の時。


人が生かされる風景、もしくは色彩って、
こんな風に曖昧で絶えず変化するようなものなんだろう。

そんな10年たっても変わらぬ実感と、
10年分確かになった言語。

まずは絵にしなくちゃだ。


次の日は朝早くから、三陸鉄道北リアス線で大船渡を目指す。


大船渡には、東京の青山のカフェで働いていたSさんが、
地域の力になりたいって、1月からUターンしている。


彼女が語る故郷や家族への愛。

それは、そんな人が1人いるだけで、その地域には希望が生まれるんだろうという想像に繋がり、
今このタイミングで会っておきたかったのです。


実にぼんやりとした日常の場所を、ただただ歩きながら今の心情を交換。

昨年6月に初めて行って歩き倒した大船渡だけど、
それでもぼんやりとしかわからなかった街の魅力ってものが、
ぼんやり散歩で明快なフォルムを見せてくるのだから、
人って面白いなあ〜!


震災直後は受験生だった彼女が、学習机代りに使ったという図書館。

その立派さに、土地の人々が子どもたちに託した未来というものを感じた。

漁業から工場の街へと変わっていった町が、本当に大切にしたもの。
震災もコロナも超えて、ボクの知る限りは彼女ひとりだけど、
帰ってきたんだね〜

そんな「大船渡のおかえりモネ」さんが、もう1人のおかえりモネさんを紹介してくれた。

なにやら迫力ある空間。

人と空間に出会い、即ワルダクミ発令。

この場所で交わした言葉、今人に必要とされる表現についてなど、
間違いなく東京の発想のトラック4分3分周先を走っているはず。

出会ったからには形にしなければ!
ということで、大船渡、またねー!

の前に、盛駅で友人と待ち合わせ。

駅の待合室で、生きること、人との共生、コミュニティ創りなどなど、
2時間語り合った狂気の人々。

愛しすぎるぜ。

Sさん、まずは元気で!

そして気仙沼。


ゴールデンウィークは3年ぶりに人で賑わったと。

ということは、整備された港湾部では震災後初なイメージなのかもね。


ボクが泊まったホテルは、津波被害が激しかったところで、
そんな場所で眠れることに驚きと喜びと、ちょっとの怖さとを感じつつ、
夜の早い気仙沼で、晩飯難民になり、夜の気仙沼を駆けたのでした。


次の日は海産物の販売のされ方をリサーチし、

マグロの競りも眺め。

「マグロ、この一本にかけた」って高笑いの人たちの姿に、
やっぱ漁師最強だぜ!と思い。

唐桑へ。
いつもお世話になっている”家族カフェ” プランタンへ。

しっかし初夏の唐桑も、美しいね〜!

何度か訪れた、太平洋に突き出た細長く小さな半島なんだが、
「ここに住みたい!」と思った人たちの気持ちが、今回一番感じられたかも。

海からの急斜面、そこに点在する集落、それを縫うようにし走る曲がりくねった道、
豊かな木々のシルエットなどなどが構成する構図の向こうに、太平洋。
やませが運んでくる深い海霧が神秘さを演出している。

そして目を足下に転ずると花。

名も無き花が、草刈りのついでに刈り取られることなく咲いている。


大自然に、人の手の入った小さな自然が含まれる優しさ、安心感。


このなんでも無い美しさは、
この土地を愛している人々が守っているからこその景観。


現在「みちのく潮風トレイル」だったり、
宮城オルレ」のコースに選ばれていること、
わかる〜!

なんつーか、歩いているだけで幸せになれる、なんなら健康にもなってしまう。

これまでの「思い出獲得型」のレジャーでは無く、
自分の中での「幸せ自己発電型」レジャーという未来が、ここにはあるなあ〜。

で、あらためてプランタンへ。
https://www.instagram.com/printemps_non.no/


細々と家族で出来ることをやっているって語るノリちゃん。
実はすごいことやっているんだと思うぜ!

ご家族で取り組む精一杯は、
間違いの無い一杯。

土地へも人へも愛を感じる一杯のうどん。

この一杯のために唐桑に行く者はいる。

いや美味かった〜!


自分が商品開発でお手伝いした逸品。

マスターにどうですか?と尋ねると、
「お陰様でけっこう出ました」との笑顔の一言。

自分の手がけた仕事、
それがどんなに小さなものでも、
そこに確かな人間関係があれば、
1200kmの移動も厭わず確認しに行く。

こんな仕事や生き方を学んだ、
東京と地続きの東北という場所。

またね〜!


peace!!

133ヶ月め

2022 年 4 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から4,049日、
578週3日、
11年1ヶ月、
133回めの11日です。

11年前の3月11日の大震災発災後目にした「人の命が不当に失われてしまうこと」について、今も考え続けています。

自分が物心ついた頃、ニュースではベトナムで戦争が行われていることを伝えていました。
日本や、1972年5月15日までアメリカの占領下にあった米軍基地から、多くのアメリカ兵がベトナムの戦場に送り込まれ、
日本もこの戦争の最前線基地のような役割をしていました。
1975年4月30日は、南ベトナムの首都サイゴン(元ホーチミン市)が北ベトナムに接収され、ベトナム戦争が終息に向かうのですが、こうしたことはボクの小学生から中学生時代と重なるも、学校では「今何が起きているのか」を教えられることは無く、ただ目にするニュース映像から、「今戦争が行われている」という曖昧な不安を抱えるだけなのが、ボクたちの世代だったのではと想像します。

ただ、ボクの家には報道写真家の石川文洋さんの、ベトナムの戦場や戦時下の庶民を撮影した写真集があり、戦争の不条理さ、出口の無さなんてものを感じることは出来ていたはずです。
(その割に、プラモデルの戦車を作るのが趣味だったり、仮面ライダーが悪い奴らを根こそぎぶっ倒してゆく姿に溜飲を下げたりなのだが、、)

そして、その後も世界では戦争が起き続けます。
もしくは「紛争」という名前に置き換えられたものも無数に起きます。

世界は冷戦という東西の大国間でのチキンレースのような状況にあり、上京し大学に入学したばかりの頃は、出来立ての友人との異性や音楽にまつわる話と共に、「今戦争が起きたら戦場に行くのか?」なんて会話をしてたな〜。(自分は、侵略されたら闘わねばならないだろう。そんなこと言っていたはず。)

それでも「文明国」を語り、国連でも重要なポストにあるような国は、戦争を避けるために尽力するものだと思っていたら、ソ連がアフガニスタンに侵攻し(実際は大学入学前だが)、イギリスはフォークランドで「紛争」を起こし、アメリカは湾岸戦争の当事者になります。

そうしたニュースを耳にし目にする度に、石川文洋さんのカメラの先で起きたことを振り返り、思い出していたボクです。
日本はバブル景気という狂気に踊り続けているのだけど、この瞬間に不当に失われている人の命がある。

そんな居心地の悪さを感じ、ちょっと自分を追い込むような生活もしてしまい長期の入院を経験し、1993年3月には「群馬の実家を火事で失った」なんて先で、1995年1月に阪神・淡路大震災、そして3月に地下鉄サリン事件という、命について真剣に「これまでの価値観をひっくり返しても考えなければならない」事件に、きっと「被害者では無いけれど当事者である」とう認識で向き合ったはずです。

今振り返り、その後自分がやったことは、もしもの際に真剣に語り合える仲間を創ることではなかったかと。
CLUBやCafeで創るイベントの背景には、かならずそうしたテーマを滑り込ませておき、語り合える仲間を可視化させていった。

そして、ニューヨーク2001年9月11日
さらに、新潟の中越地震や福岡の西方沖地震と、共に考え行動する共を得て、それは小さな力でしか無いけれど、愛しき何かを生かすだけの力にはなるアクションが起こせた。

そんなアクションを重ねる中で「人ひとりの命が失われる重大性」というものを心や身体に染み込ませ、思いがけず自分が人の親になることにもなった。

が、2011年3月11日に起きたことは、そうした経験も一気のどこかに流されてしまったように思えた。

この未曾有と呼ばれメディアで共有されまくった悲劇に対し、ボクは圧倒的な当事者となったはずだが、それを語る言葉を持っていないことに気がつきました。
これはまずいぞ!当時1歳だった息子が物心ついた時、せめて自分の言葉として語れるようにしておかなければならないと確信し、北の方に弾け飛んでゆき、それは11年後の今も続いている。


今日は何を書こうか決めずにタイプを始めてしまったら、こんな振り返りになっています。

人は生きているだけで不条理に巻き込まれるものだ。

自然災害が頻発する日本で暮らしていると、そうした刹那な考えが身に染みて、可能な限り人間同士争いは無くさねばという考えに至ると、希望や願いも込めて思います。

しかし、世界のパワーバランスの中では、そんな甘っちょろいこと語っている場合では無く、必要であれば他者に対し不条理な死を与えていいのか?

文明とは100歩譲って戦争を起こすものであるとして、文化とはなんだろう?

今ウクライナで起きていることは、まったく起きるべきことでは無いと強く思う。

が、ウクライナもロシアも心の中では地続きであるという意識は、さらに強く思い、
自分の足元で出来ること、やるべきことを考えねば。

でなければ、3月11日に失われたものに対して申し訳ない。

2022
0411
PEACE!!

132ヶ月め

2022 年 3 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から4,018日め、
574週
11年
132回目の11日です。

77年前に東京大空襲があった3月10日。
2022年の今はウクライナで戦争が行われていて、
引き続きコロナ禍ではあるけれど、

2018年から始まった、
渋谷区立富谷小学校に通う生徒と、子どもたちの親と、
学校と、街の人とが、力を出し合い助け合い描く、
代々木八幡ガード下壁画プロジェクト「とみがやモデル」の
一応のフィニッシュの作業を、
2022年の春に卒業する6年生との制作を行いました。


これまでに重ねてセッションは5回。

最後は2年前のコロナ蔓延が深刻化した3月。

この年の卒業生で完成させるイメージでやってきて、
しかし、子どもたちの作業は中止。

それまで子供達がのびのびと、しかしラフに描いたものが宙ぶらりんになっているのがかわいそうで、
大人のボランティアを集めて、子どもたちの描いた22メートル2面の壁面に額縁を与えるようなペイントを施しておきました。

そして2年後の3月10日。

それまでカラフルであったペイントに、
街で暮らす人たちのリズムに合った大らかなタッチを与えよう!
色彩で言えば、色んな色が混じり合ったグレーな壁にしよう!
そして、描かれる絵からなるべく意味を削り落とし、
この壁の前を歩く人にこそ意味があるような壁を目指そう!

そんなことを小学6年生に投げかけてみたら、

すごい壁面が生まれました。


ボクはこの壁画のコンセプトを、
被災した太平洋沿岸部を歩くことで得たはずです。

意味があるとすれば、人の命が不当に失われること無く、
ただそこにあること。

自分の作るものは、そうした人に対して出しゃばること無く、

ただその生を称え、意味もなく美しく存在する、

なにか得体の知れぬ力を宿したもの。

主役は人であり続ければよく、
そのためのより良い手段が見つけられるなら、自分の表現を引っ込めてもいいやって。

自分の子供が産まれ、
1年後に震災が起きて、
自分に何が出来るのかを考え続け、
ひとつは東北に足を向け、
ひとつは今暮らす街で生きることを考え、
自然と地域や学校でやれることにアプローチしていったら、
代々木八幡のガード下の22メートル×2面の壁面に、
子供たちと絵を描く必然にたどり着いた。

関わってくれた何人もの顔が思い浮かぶ壁は、
ここに色を落としていってくれた子供たちが、
将来何か困難に向き合うことがあっても、
12歳の春の日の大きな壁に思いっきり向かってゆけた記憶が、
困難の壁を乗り越える力になるものと信じているし、
自分の命が続く限り、12歳のその後を見守ってゆく約束の壁なんだと考えます。

そして、
東京都渋谷区富ヶ谷の代々木八幡周辺で出来たことは、
他の場所でも出来ることです。

そのため、この壁の名前は『作品名』では無く、
『この壁画作成に関わった人たちはオープンに語り合い最善の喜びを共有出来た』という願いを込めて、
「#とみがやモデル」と名付けました。

ある街に子どもたちが言葉の意味を超えた気持ち良さで描いた絵がある。

街の人は意味無き何か美しきものを前に、心を開き、語るべき言葉を目の前のひとりに手渡す。

自分の思う「復興」のひとつの雛形を、渋谷ローカルで形にしてありますので、
余裕があれば見にこられてみてください。

最後に、

小学6年生だって、きっちりオープンにコミュニケートしたら、
こんな感動の絵のタッチで返事をしてくれる。

そんな人の生む1つのタッチが、いとも簡単に無きものにされてしまうのが、
津波や震災というものであり、戦争というものなんだと、

あれから11年の3月11日に考えています。

そんなことを考え、ちょっと一休みしようと、近所のパン屋、ルヴァンのカフェ”ルシャレ”に入ると、
ここの壁も熱かった。

日本の天然酵母パンのトップランナーの店の壁に掲げられていた言葉、
「パンは目的ではない、手段である」

うん。

「イラストレーションは目的ではない、手段である」

よっし!
いい街に生かされているぜ、俺。

131ヶ月め。花とラブレター、その後

2022 年 2 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から3,990日
570週
10年11ヶ月
131回めの11日です。

1月末で神宮前のギャラリー装丁夜話での展覧会「花のラブレター」を終え、
12月に吉祥寺にじ画廊で開催した花の絵の展覧会「花とラブレター」から続いて、
絵を介してのコミュニケーションの現場作りが一息。

今は、ご購入いただいた絵の発送を進めているところです。

*「花のラブレター」に展示した56点の作品は、全作品一律10,000円で、
ギャラリー装丁夜話のONLINE SHOにて 2月27日まで販売しております。
装丁夜話 ONLINE SHOP 小池アミイゴ作品リンク
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58669064
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58670687
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58670814

「ラブレター」などと名付けたものを売るのは、気分的にはばかれたりするのですが、
志を持って運営されているギャラリーの力にちょっとでもなれば幸いであります。

装丁夜話での展覧会は、にじ画廊で集めた「花の絵に対するラブレター」に対し、
絵でお返事するというもの。

いつもは仕事としてご依頼頂いた絵のオーダーに対し、
ご依頼主から届く言葉を精査し、絵に換えるという作業をしています。

「イラストレーション」は”illustration”
その “tion” の部分が好きで続けている仕事です。

“tion” は「アクション」”action” や 「コミュニケーション」 “communication” にもついていますので、
なにが好きなのか想像していただけたらです。

今、コミュニケーションのツールは、
インターネットやPCやスマホのアプリなど多岐に渡り、
使い勝手もとても良くなっています。

ただ、その使い勝手というものが、つい言葉数の多さを増長させていないかと。

たとえば、小学生の息子の学校から届くお知らせなど、
A4の紙に詰め込めるだけ詰め込んだ言葉に負けて、
本当に共有すべき情報を見逃しそうになることばかり。

東日本大震災後の被災地を歩き、
人々の望む「復興」の姿がなかなか像を結ばないことに出会ってきました。

そんな状況を知り、では身の回りを見回すと、
やはりなにかを決めてゆく、実行に移す、そうしたことが上手くいっていないことが多いなと気づきます。

「わたしたちはどんな目的に向かって今話し合っているのか」

そうした現場で欠けていることは、関わるみんなで共有しておくべきビジョンであることが多いように思います。

ターゲットを定めぬまま、なにか良きことをしたいという思いのみで、
プロセスだったり、システム構築の話に終始してしまう。

大きな目的を定められていないので、つい相手を言い負かすような形で正論を積み重ねてしまう。

正論の壁が本来みんなに見えるようにしておくべき目的を、さらに見えづらくさせてしまう。

ボクが絵にしていることは、
たくさんの言葉で語られれていることの中から、
今目の前の人と共有すべき最低限の言葉の代わりとしての絵。
そんなことだと思います。

今ボクたちは喜びや笑顔を目指して話しているのか。

もしくは、誰かの痛みを取り去るための話をしているのか。

などなど、

たとえば、丸をひとつ描いて、その中に点々と一本の棒を描くと、
笑顔とか、苦虫噛んだ顔とか、悲しい顔とか描けちゃいます。

それだけのことで、ものすごい多くの情報を仲間と共有出来る。

そういうことを原点に、
イラストレーションというものを、社会の中で生かしてゆきたい。

そんな絵は、とびきりシンプルなのがいいな。

相手の言葉に真摯に向き合い、
今共有すべき喜びとか、痛みとか、美しさとか、醜さなんてものさえ、
共有すべきもの以外すべて削り取って、
確信を持ったひと筆で、心も体も気持ち良いままスッと描き、
相手に差し出す。

そうした作業な中から、
ボクたちが目指すべきものが明快になったら、
みんなに見えるものとしての絵にする。

現在、日本の地方と呼ばれる場所の仕事をしていますが、
そうした場所でこそ、みなさんがどこを目指しているのかをコミュニケーションを持って掴み、
目指すべき風景を共有出来る絵、イラストレーションというものを制作し、
共に荒野を歩いてゆくようなことをしています。

それらは小さな仕事と言われるかもしれませんが、
ボクを確かに生かしてくれる大切な仕事であります。

 

 

130ヶ月め

2022 年 1 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から3,959日、
565週4日
10年10ヶ月
130回めの11日です。

昨年末、吉祥寺のにじ画廊で開催した花の絵の展覧会「花とラブレター」
12月28日の最終日から2週間が経ち、
お客様やお力添えくださった皆さんからコロナ感染の報告は無く、
まずは無事に終えたことを有り難く感じております。

2階にあるギャラリーの換気のために、1階の雑貨店スペースのドアを開けっ放しにして、
寒さに耐えながらも現場を美しく守り続けてくれたスタッフの3人。ありがとね〜!

世の中が厳しい状況にある中、
ほんと多くの方に足を運んでいただけたことに心より感謝します。それでも、
1日の中でフとお客様が途切れる時間があります。
その時、自分が花の絵を描き始めた時からのことを振り返っていました。
2008年に仕事のあり方を変えてしまわねばと考え、

いくつかの今に繋がる出会いをきっかけに描き始めた花の絵。

2009年にあったいくつかの別れをきっかに、今に繋がる描き方を手にし、
12月に生まれた息子の成長と共に育ててきた花の絵。
2010年に日本の14ヶ所を巡らせ、
2011年3月11日には青森のコノハト茶葉店の夜の暗さの中で咲き、
4月に吉祥寺にじ画廊にたどり着いた花の絵は、
「人は絵というものを必要としているのだ」ということをボクに教えてくれ、
震災を目の前にしても、心をフリーズさせることなく絵を描く必然を与えてくれ、
ボクを東北方面に弾き飛ばす力にもなりました。
その後、青山のspace yui での6回の展覧会を生み、何冊かの絵本が生まれ、
何より、今暮らしている渋谷区の街の地べたに向ける視線が生まれ、
コロナの世界でも描くべきものを失うことない自分を育ててくれ、
10年後の吉祥寺にたどり着いた花の絵でした。
そうしたことのすべては「懐かしい」ものでは無く、
振り返ればつい先日のことのように、今も自分の中で息づいていることです。
もともと売るために描いているわけでは無い花の絵ですが、
にじ画廊でご縁をいただき旅立つことには、
ご購入いただく方と花の絵とで確かな物語があるように感じました。

店長のHさんも「カツブシのような絵」をひとつ。
彼女が現場に注いでくれた愛のおかげで生まれた「花の絵と人の物語」というものが、
確かにありました。そんな花の絵をめぐる物語は、やはりボクの明日を生きる力になるはずだし、
そうしてゆかねばならないとも思います。
一生分の「きれい〜✨」「かわいー✨」の言葉を頂いたレインボウな13日間。
今自分が作ることの出来る最も美しいものを創れた実感がありますが、

これもまた懐かしむことなく、次に繋げてゆきますね。。

Hさん、これからもこの展覧会に注いでくれたように、
Hさんらしい仕事を重ねていってくださいね〜

それで救われる人は、少なからずいますね。
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以下、2008年7月9日に書いたブログ。
大阪の喫茶ロカリテの店主さんに連れられ、初めて那須のSHOZO COFFEE に行った直後に書きました。
花の絵の発火点をあらためて発見し、あの時の新鮮な気持ちが今も変わらずあることを嬉しく思いました。

イラストレーターとしての仕事のあり方、
思いっきり見直さなきゃならない時代であるな~と思っています。 

これは音楽業界などに起こっていることと同じなんだけど、
それに比べたらあまりにも市場規模が小さいからね、
うかうかしてたらプイッと吹き飛ばされて終わりです。 

絵を描くことのホトンドの仕事は「見る」って作業であると、
ボクは思うのですね。 

そんなわけで日々見てます。
身体がついて行く限りは歩いたりもしてね。 

街や人の間に在ってボクの創るものがどんな役割を果たせるのか?
興味はつきないですね。 

中野
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=680245 

沼津
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=682007 

那須
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=682769 


12月27日はキャンドルナイトでした。

震災直後の暗闇で考えたことを忘れずにいたいと思い、
大切な友人で、最近ソロアルバムを発表し、音楽の現場に帰ってきたチェルさんをお呼びし、
静かな時を共にし、これから生きるのに必要なものを想像した時間です。
それはこの10年で最も自分らしい行為のように感じました。

以下は震災から数日後に「灯」とタイトルをつけて書いたブログです。

東京は相変わらず余震が続き 

しかし 

いつもと変わらぬ日々が続いています 

昨日は井の頭通りでハナミズキが咲いているのを見ました 

甚大な被害を受けた土地にも春は来るね 

被災地で闘っているみなさん 

今日からしばらく続く寒さに凍えませんよう 

痛みや悲しみがちょっとでも癒されますよう 

被災地から離れたミンナからは 

「なにか出来ないか」という多くの声が届けられます 

そのたびにボクは 

「いま在る場所の灯りであるように」と伝えています 

被災地から遠く離れ 

震災の直接的な被害に遭わなくても 

心を痛める人がたくさんいます 

メデイアやネットからは 

それこそ津波のようにしてショッキングな情報が押し寄せ 

無責任な“つぶやき”とか蛮勇きわまりない言葉に呑み込まれたり 

もしくはポジティブで力強い言葉に対してさえ 

「ワタシハナニモデキナイ」てね 

気持ちを押しつぶしてしまう 

心の二次災害に巻き込まれているように感じています 

身近な方で 

わけもわからずナミダを流してしまっている人はいないだろうか? 

生きる気力を削がれそうになってしまう人はいないだろうか? 

そんなヒトリに出会った時 

「ともかくボクらは頑張らなければ!」なんて言葉と共に 

被災者と比べてしまったりしないだろうか? 

PTSDの判断を素人がするのは危険なのかもしれないけれど 

それでも 

恐怖にナミダすのは 

生き物として当たり前の防衛反応だよね 

ナミダは決してネガティブなモノじゃないぜってね 

ただただ話を聞いてあげたり 

温かな食べものや飲み物を一緒にとったり 

みなさんが今生活されている場所で 

小さな温もりを手渡たしてこうよ 

優し過ぎてチッポケで傷つきやすいヒトリだからこそ 

気がつきやれることはあるんだ 

無理せず1コ1コ 

そんな 

地震との闘い方もあるように感じています 

1人ヒトリが今在る場所の灯でありますよう 

今まで生きて来た中で最大の優しさでもって 

身近な愛しい人に小さな熱を手渡してゆこう 

やれやれ 

すごく遠い道のりだけど 

しかし 

それが廻り廻って被災地にも日本にも世界にも 

希望の灯りをともしてゆくことだと信じています 

今元気な人 

一緒に闘おう! 

今心が折れてしまっている人 

その辺に春が近づいてきてるぜ 

ゆっくり 

小さな温もりを絶やさぬよう育ててゆこうぜ 

アミイゴ 

2011 

PEACE!!

そして、
震災の直後の吉祥寺にじ画廊で開催した花の絵の展覧会「その辺でさいていた花」
最終日直後に書いたブログ。

吉祥寺にじ画廊でのボクの個展 

「その辺に咲いていた花」 

そして 

ワークショップ&LIVE「灯」 

昨日の20時まで咲き続き 

静かに終わりました 

想像をはるかに越えたお客様に足を運んで頂き 

さらに想像を越えたウレシいお言葉を預けて頂き 

次に進む力を得たと共に 

これから何を描きどう生きてゆくのか 

ハッキリとした手応えとして掴むことが出来ました 

ありがとうございました 

お1人おひとりへのお礼は 

ちょっと時間をかけて必ず 

今は頂いた身に余るLOVEを 

東北の地に注ぐことを考えています 

展覧会期間を通して感じ考えたこと 

後ほどコトバにしてみます 

東京から遠くに住まわれる多くの方と 

懇意にさせてもらっていますが 

ほとんどの方が来れなかった時間であります 

こういったことを東京で開催することで 

お気持ちに格差を作らぬこと 

これはイラストレーターとしての使命として 

これからも取組んでゆこうとも思います 

そして 

今まで以上に気持ちの敷居を感じさせない場所と作品を創り 

その辺で生きてゆこうと思います 

あれから10年。
コロナ感染がひと息ついたような瞬間での開催となった展覧会は、
喧騒の吉祥寺の街と壁ひとつ隔て、
心の静けさを求める人たちと静かに語り合える場所として機能出来たはずだし、
ボクが作ろうと思うものは、そうした人たちがひと息つき、
なにか大切なことを語り合うことの出来る、なんちゃーなく美しいものなんだと、
あらためて確認することが出来ました。
最後の写真は、この展覧会開催中のタイミングで、
被災した故郷岩手県大船渡の力になりたいとUターンするSさん。

彼女からうかがった被災の記憶は、
いくつかの花の絵を生み、
これからさらに花の絵を生み続けるはずです。

そう出来るよう、お互い元気でいようぜ!

2021
1216
to
1228
peace

この空間に含まれたすべての人が、
この展覧会の作品のようであったと思えた時。

そしてすべての花の絵が、
これまで出会ってきた愛しき人の姿と重なった愛しき時。

ありがとう。