ガオー!ムサシノジュラシック大作戦


ガオー! ムサシノジュラシック
小池アミイゴと子どもたちのコラボ展
オンラインワークショップから誕生した246点の作品が集まりました!

◆期間:2022年3月3日(木)~3月29日(火)
◆会場:武蔵野市立吉祥寺美術館 ロビー
 及び「浜口陽三記念室」「萩原英雄記念室」
*ロビーのみの観覧:無料
*記念室入館:100円(小学生以下・65歳以上・障がい者の方は無料)

2021年初夏に「井の頭恩賜公園の井の頭池から、恐竜の骨がみつかった」という架空の設定で作品を公募した子ども向けワークショップ「ムサシノサウルス発見! 恐竜の絵を描こう!」に集まった834頭のなかから1頭をチョイスさせていただき「ハジメサウルス」と名付け、それをキービジュアルとしてを、ムサシノサウルスの住む世界を心も体も振り切った絵具遊びの場を設け、展覧会を開催!

するつもりが、
オミクロン怪獣大暴れで、zoomを使ったオンラインワークショップに変更、、

が!
それがもの凄く可能性を感じる試みとなり、
また、スゲー作品もガッツリ生まれてしまい、
吉祥寺美術館のロビーを、そして展示室をジュラシックワールドに変えてしまったのです。


このオンラインワークショップは、後ほどキチンと検証してゆきたいなと思っていますが、
まずは、2月26、27日のメインワークショップに参加のみんな、
そしてみんなセーノでデカイ絵を描いてくれた「まちの保育園」の4歳クラスのみんな、
さらに、6~7施設を繋ぎ開催となった支援施設「ふれあい武蔵野」を利用するみんな、
オメーらマジでやべえヤツらで、サイコーだったぜ!!

ほんとみんな凄いから、
集まった246点の作品、ぶっ倒れるくらい気合い入れてカッコよく展示したので、
ぜひ見に来てくださいね〜!

鬱っとした社会に風穴空けるパワーを、
実はみんな1人ひとりが持ってることに気が付ける、
めちゃくちゃ気持ち良い現場だと思うぜ!


132ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,018日め、
574週
11年
132回目の11日です。

77年前に東京大空襲があった3月10日。
2022年の今はウクライナで戦争が行われていて、
引き続きコロナ禍ではあるけれど、

2018年から始まった、
渋谷区立富谷小学校に通う生徒と、子どもたちの親と、
学校と、街の人とが、力を出し合い助け合い描く、
代々木八幡ガード下壁画プロジェクト「とみがやモデル」の
一応のフィニッシュの作業を、
2022年の春に卒業する6年生との制作を行いました。


これまでに重ねてセッションは5回。

最後は2年前のコロナ蔓延が深刻化した3月。

この年の卒業生で完成させるイメージでやってきて、
しかし、子どもたちの作業は中止。

それまで子供達がのびのびと、しかしラフに描いたものが宙ぶらりんになっているのがかわいそうで、
大人のボランティアを集めて、子どもたちの描いた22メートル2面の壁面に額縁を与えるようなペイントを施しておきました。

そして2年後の3月10日。

それまでカラフルであったペイントに、
街で暮らす人たちのリズムに合った大らかなタッチを与えよう!
色彩で言えば、色んな色が混じり合ったグレーな壁にしよう!
そして、描かれる絵からなるべく意味を削り落とし、
この壁の前を歩く人にこそ意味があるような壁を目指そう!

そんなことを小学6年生に投げかけてみたら、

すごい壁面が生まれました。


ボクはこの壁画のコンセプトを、
被災した太平洋沿岸部を歩くことで得たはずです。

意味があるとすれば、人の命が不当に失われること無く、
ただそこにあること。

自分の作るものは、そうした人に対して出しゃばること無く、

ただその生を称え、意味もなく美しく存在する、

なにか得体の知れぬ力を宿したもの。

主役は人であり続ければよく、
そのためのより良い手段が見つけられるなら、自分の表現を引っ込めてもいいやって。

自分の子供が産まれ、
1年後に震災が起きて、
自分に何が出来るのかを考え続け、
ひとつは東北に足を向け、
ひとつは今暮らす街で生きることを考え、
自然と地域や学校でやれることにアプローチしていったら、
代々木八幡のガード下の22メートル×2面の壁面に、
子供たちと絵を描く必然にたどり着いた。

関わってくれた何人もの顔が思い浮かぶ壁は、
ここに色を落としていってくれた子供たちが、
将来何か困難に向き合うことがあっても、
12歳の春の日の大きな壁に思いっきり向かってゆけた記憶が、
困難の壁を乗り越える力になるものと信じているし、
自分の命が続く限り、12歳のその後を見守ってゆく約束の壁なんだと考えます。

そして、
東京都渋谷区富ヶ谷の代々木八幡周辺で出来たことは、
他の場所でも出来ることです。

そのため、この壁の名前は『作品名』では無く、
『この壁画作成に関わった人たちはオープンに語り合い最善の喜びを共有出来た』という願いを込めて、
「#とみがやモデル」と名付けました。

ある街に子どもたちが言葉の意味を超えた気持ち良さで描いた絵がある。

街の人は意味無き何か美しきものを前に、心を開き、語るべき言葉を目の前のひとりに手渡す。

自分の思う「復興」のひとつの雛形を、渋谷ローカルで形にしてありますので、
余裕があれば見にこられてみてください。

最後に、

小学6年生だって、きっちりオープンにコミュニケートしたら、
こんな感動の絵のタッチで返事をしてくれる。

そんな人の生む1つのタッチが、いとも簡単に無きものにされてしまうのが、
津波や震災というものであり、戦争というものなんだと、

あれから11年の3月11日に考えています。

そんなことを考え、ちょっと一休みしようと、近所のパン屋、ルヴァンのカフェ”ルシャレ”に入ると、
ここの壁も熱かった。

日本の天然酵母パンのトップランナーの店の壁に掲げられていた言葉、
「パンは目的ではない、手段である」

うん。

「イラストレーションは目的ではない、手段である」

よっし!
いい街に生かされているぜ、俺。

「台湾客家スケッチブック」

2022年2月24日、日本と台湾で同時発表になります。

日本ではKADOKAWAより単行本とKindle版 共に 税込1760円。

  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/2/24
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 144ページ_全ページカラー
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4041121272
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4041121276
  • 寸法 ‏ : ‎ 15.3 x 1.3 x 20 cm

2019年夏、3週間をかけて巡った台湾の台三線エリア。
そこは台湾の人口の20パーセン弱を占める民族、客家( hakka)が暮らす土地です。

企画運営は台湾政府に置かれた客家委員会。

客家とは中国大陸の戦乱を逃れ、旅するようにして暮らしてきた民族で、
台湾へは明朝末期から清朝初期に次々と入植してきたそうです。
もともと山間を好む傾向にあったようですが、
台湾では、客家入植以前に台湾に暮らしていた原住民族と漢民族に挟まれ、
山間のエリアに細く長くその居住エリアが伸びてゆき、
その居住エリアを貫く国道3号線が”台三線”ということです。

時代と共にその民族意識が薄まってしまっていることが危惧され、
199年頃から客家のアイデンティティを取り戻すような運動か起こります。

そして今、
客家の文化を外から見たことを言語化しビジュアルに落とし込み、
時代に即した新たなアイデンティティを確立させるため、
ボクのようなものが招聘されたようです。

そんな旅でボクが出会ったのは、
今の時代を生きる上で必要とされるであろう、古くて最新の客家の文化。
なにより、ボクのような者を心から受け入れてくれる人々のマインド。

それはボクの人生の中でも格別の出会いの経験であり、
旅を終えた後、どのようにアウトプットしていったら良いのか、
大切な経験を汚すことの無いよう、とても慎重に考えていました。

2021年の年明け前後に、台湾でボクの台三線旅に関するコンペが行われたようで、
春にはKADOKAWAとのご縁をいただき、強力なプロジェクトチームとタッグを組む形で、
1冊の本作りが始まりました。

個人的に描いた280枚のスケッチと30点ほどの水彩画からビジュアルを厳選し、
2万文字ほどのエッセイを添えたこの一冊は、以下の方々のご尽力の賜物でもあります。

構成と客家文化詳細説明に関する執筆を頂いた”The 台湾通” の三枝克之さん。
娘さんの三枝真魚さんにも同様の執筆を頂いております。

編集統括の高尾真知子さん、豊田たみさん。

渉外で奮闘くださった郡司珠子さん、胡心語さん。

美しく真摯なデザインを与えてくれたSunui の片平晴奈さん、岩渕恵子さん。

そして、台湾側の台湾KADOKAWAや電通台湾のスタッフのみなさん。

ボクが客家の皆さんから受け取った熱いものを、
真正面で受け取ってくださった皆さん、ほんとありがとうございました!

そして、台湾政府の客家委員会の皆さん。
ボクの台三線の旅を楽しんでくださり、ボクの表現を尊重してくださり、
ボクが台湾の茶畑で見た一輪の雑草の花の美しさまで共有くださったこと、
有難く思うばかりです。
 (旅の間毎日InstagramとFacebookで発信することをお願いされ、
 客家委員会の方々はそれを見るのを楽しんでくれていたようです。
 今回そのインスタのポストを #台湾客家スケッチブック でまとめたので、
 お時間ある時にでも覗かれてみてください。)
https://bit.ly/3oZ03i4

なにより、
この旅をアテンドくださったミリーさん。
5人のお子さんをに愛を注ぐのと同様、この旅にも並並ならぬ情熱を注いでくださり、
ある意味「この本はあなたのものです」と語りたいくらいのものをいただきました。

残念ながら1冊の本のカタチで3週間の旅の感動すべてを語ることは出来ません。
しかし、
まずは拙い言葉と絵でありますが、ボクから台湾客家へのラブレターのような一冊、
美しく仕上がってまいりました、よっ!

客家委員会からの熱い希望で、
本誌カバーには台湾客家のアイデンティとも言える油桐花(ユートンファー)を描きました。

いつものようにイーゼルに板を乗せて、フリーハンドで描いていった油桐花。
それは描いたというより、客家の人々に描かせてもらったと言える、
自分の創作の中でも特別な美しきものになったと思います。

観光案内としては力不足なボクの文章や絵ですが、
もしかしたら、日本での暮らしに息苦しさを感じている人には、
新鮮な空気を送ることが出来る本になったのではないかと。

これを必要とする人、1人ひとりに手渡してゆこうと思う本であります。

ということでまずは2月23日~28日。
うちから一番近いお店、天然酵母パンのルヴァンのカフェルシャレで小さな原画展開催。
28日は昼過ぎから18時くらいまで1日本屋として、この本の販売をいたしますよ〜。

2年目の「はるのひ」

2021年2月に発表になった絵本「はるのひ」
2022年の春が近づくにつれ、この絵本を話題にしてくださる方が増えています。

良い絵本は、子どもに、そしてそれを見守る家族に育てられ、
次の世代へと手渡されてゆくものと考えています。

この絵本の2年目が、出会う人との幸せな時を紡いでまいりますよう、
作者のボクは静かに熱く見守ってゆこうと思います。

『はるのひ』作/絵 小池アミイゴ
徳間書店刊:本体1,600円(税別)
ISBN 9784198651602 本文・カバーデザイン:城所潤・舘林三恵
編集:高尾健士
印刷:株式会社東京印書館

BSフジ『東京会議』出演


2月19日 23:00~23:30 BSフジの「東京会議」に出演。
https://www.bsfuji.tv/tokyokaigi/pub/303.html

「ここ数年で一番まとまらない回」と小山薫堂氏に言わしめた逆神回っ!
オンエア、ご笑納いただけたら幸いに存じます。

3月5日は続編もあります。。
『小山薫堂 東京会議』

131ヶ月め。花とラブレター、その後


今日は2011年3月11日から3,990日
570週
10年11ヶ月
131回めの11日です。

1月末で神宮前のギャラリー装丁夜話での展覧会「花のラブレター」を終え、
12月に吉祥寺にじ画廊で開催した花の絵の展覧会「花とラブレター」から続いて、
絵を介してのコミュニケーションの現場作りが一息。

今は、ご購入いただいた絵の発送を進めているところです。

*「花のラブレター」に展示した56点の作品は、全作品一律10,000円で、
ギャラリー装丁夜話のONLINE SHOにて 2月27日まで販売しております。
装丁夜話 ONLINE SHOP 小池アミイゴ作品リンク
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58669064
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58670687
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58670814

「ラブレター」などと名付けたものを売るのは、気分的にはばかれたりするのですが、
志を持って運営されているギャラリーの力にちょっとでもなれば幸いであります。

装丁夜話での展覧会は、にじ画廊で集めた「花の絵に対するラブレター」に対し、
絵でお返事するというもの。

いつもは仕事としてご依頼頂いた絵のオーダーに対し、
ご依頼主から届く言葉を精査し、絵に換えるという作業をしています。

「イラストレーション」は”illustration”
その “tion” の部分が好きで続けている仕事です。

“tion” は「アクション」”action” や 「コミュニケーション」 “communication” にもついていますので、
なにが好きなのか想像していただけたらです。

今、コミュニケーションのツールは、
インターネットやPCやスマホのアプリなど多岐に渡り、
使い勝手もとても良くなっています。

ただ、その使い勝手というものが、つい言葉数の多さを増長させていないかと。

たとえば、小学生の息子の学校から届くお知らせなど、
A4の紙に詰め込めるだけ詰め込んだ言葉に負けて、
本当に共有すべき情報を見逃しそうになることばかり。

東日本大震災後の被災地を歩き、
人々の望む「復興」の姿がなかなか像を結ばないことに出会ってきました。

そんな状況を知り、では身の回りを見回すと、
やはりなにかを決めてゆく、実行に移す、そうしたことが上手くいっていないことが多いなと気づきます。

「わたしたちはどんな目的に向かって今話し合っているのか」

そうした現場で欠けていることは、関わるみんなで共有しておくべきビジョンであることが多いように思います。

ターゲットを定めぬまま、なにか良きことをしたいという思いのみで、
プロセスだったり、システム構築の話に終始してしまう。

大きな目的を定められていないので、つい相手を言い負かすような形で正論を積み重ねてしまう。

正論の壁が本来みんなに見えるようにしておくべき目的を、さらに見えづらくさせてしまう。

ボクが絵にしていることは、
たくさんの言葉で語られれていることの中から、
今目の前の人と共有すべき最低限の言葉の代わりとしての絵。
そんなことだと思います。

今ボクたちは喜びや笑顔を目指して話しているのか。

もしくは、誰かの痛みを取り去るための話をしているのか。

などなど、

たとえば、丸をひとつ描いて、その中に点々と一本の棒を描くと、
笑顔とか、苦虫噛んだ顔とか、悲しい顔とか描けちゃいます。

それだけのことで、ものすごい多くの情報を仲間と共有出来る。

そういうことを原点に、
イラストレーションというものを、社会の中で生かしてゆきたい。

そんな絵は、とびきりシンプルなのがいいな。

相手の言葉に真摯に向き合い、
今共有すべき喜びとか、痛みとか、美しさとか、醜さなんてものさえ、
共有すべきもの以外すべて削り取って、
確信を持ったひと筆で、心も体も気持ち良いままスッと描き、
相手に差し出す。

そうした作業な中から、
ボクたちが目指すべきものが明快になったら、
みんなに見えるものとしての絵にする。

現在、日本の地方と呼ばれる場所の仕事をしていますが、
そうした場所でこそ、みなさんがどこを目指しているのかをコミュニケーションを持って掴み、
目指すべき風景を共有出来る絵、イラストレーションというものを制作し、
共に荒野を歩いてゆくようなことをしています。

それらは小さな仕事と言われるかもしれませんが、
ボクを確かに生かしてくれる大切な仕事であります。

 

 

素描の展覧会「花のラブレター」

小池アミイゴ素描展「花のラブレター」
1月 21日(金)、22日(土)、23日(日)
28日(金)、29日(土)、30日(日)
0pen:12:00-19:00
デザイン&ギャラリー装丁夜話
https://www.souteiyawa.com
〒150−0001
東京都渋谷区神宮前1-2-9 原宿木多マンション103
map等詳細情報
https://www.souteiyawa.com/gallery/about/
 
そこで募った”花のラブレター”に、素描でお返事する展覧会です。
 
装丁家の折原カズヒロ氏のアトリエを兼ねる小さなスペースに、
みなさんに足を運んでいただき、
花を巡る物語をさらに繋いでゆくワルダクミ。
 
イラストレーターとして「装丁」と名乗る場所で展示するには、
絵の背景となる物語の必要を感じ、みなさんから手紙を募りました。
 
また、コロナの状況が続く中、深刻なものにはしたくないなと。
紙に色鉛筆や水彩絵の具でサッと描く、
気持ちの良さを感じてもらえる絵を用意することにしました。
 
が、にじ画廊の時間を閉じてまだ2週間。
心の切り替えが、
というか、切り替える必要があるのかも分からぬまま、
集まった手紙56通と格闘中です。
 
20通くらいあつまれば展覧会の形になるかなと思ったのですが、
56通。
 
現在描けたように思えている絵が21枚。
 
搬入日までに描き終えるだろうか?
ちょっと呆然としていたら、
56枚の額がさっき宅配で届いちゃいました。
 
IKEAの額だけど、
絵はすべて販売予定でいます。
 
おミクロンさんの悪さが度を越した状況にありますが、
感染対策等万全に整え、みなさまのお運びをお待ちしております。
 
アップした絵は、今回描いた1枚目。
ハタチの娘さんからのラブラター返しの”夕化粧の花”の素描。
 
1枚目からちょと気持ちよく描けてしまい、
その後のプレッシャーが、デケえ、デケえ、、
 
 
 
 
 
 
 
 

130ヶ月め


今日は2011年3月11日から3,959日、
565週4日
10年10ヶ月
130回めの11日です。

昨年末、吉祥寺のにじ画廊で開催した花の絵の展覧会「花とラブレター」
12月28日の最終日から2週間が経ち、
お客様やお力添えくださった皆さんからコロナ感染の報告は無く、
まずは無事に終えたことを有り難く感じております。

2階にあるギャラリーの換気のために、1階の雑貨店スペースのドアを開けっ放しにして、
寒さに耐えながらも現場を美しく守り続けてくれたスタッフの3人。ありがとね〜!

世の中が厳しい状況にある中、
ほんと多くの方に足を運んでいただけたことに心より感謝します。それでも、
1日の中でフとお客様が途切れる時間があります。
その時、自分が花の絵を描き始めた時からのことを振り返っていました。
2008年に仕事のあり方を変えてしまわねばと考え、

いくつかの今に繋がる出会いをきっかけに描き始めた花の絵。

2009年にあったいくつかの別れをきっかに、今に繋がる描き方を手にし、
12月に生まれた息子の成長と共に育ててきた花の絵。
2010年に日本の14ヶ所を巡らせ、
2011年3月11日には青森のコノハト茶葉店の夜の暗さの中で咲き、
4月に吉祥寺にじ画廊にたどり着いた花の絵は、
「人は絵というものを必要としているのだ」ということをボクに教えてくれ、
震災を目の前にしても、心をフリーズさせることなく絵を描く必然を与えてくれ、
ボクを東北方面に弾き飛ばす力にもなりました。
その後、青山のspace yui での6回の展覧会を生み、何冊かの絵本が生まれ、
何より、今暮らしている渋谷区の街の地べたに向ける視線が生まれ、
コロナの世界でも描くべきものを失うことない自分を育ててくれ、
10年後の吉祥寺にたどり着いた花の絵でした。
そうしたことのすべては「懐かしい」ものでは無く、
振り返ればつい先日のことのように、今も自分の中で息づいていることです。
もともと売るために描いているわけでは無い花の絵ですが、
にじ画廊でご縁をいただき旅立つことには、
ご購入いただく方と花の絵とで確かな物語があるように感じました。

店長のHさんも「カツブシのような絵」をひとつ。
彼女が現場に注いでくれた愛のおかげで生まれた「花の絵と人の物語」というものが、
確かにありました。そんな花の絵をめぐる物語は、やはりボクの明日を生きる力になるはずだし、
そうしてゆかねばならないとも思います。
一生分の「きれい〜✨」「かわいー✨」の言葉を頂いたレインボウな13日間。
今自分が作ることの出来る最も美しいものを創れた実感がありますが、

これもまた懐かしむことなく、次に繋げてゆきますね。。

Hさん、これからもこの展覧会に注いでくれたように、
Hさんらしい仕事を重ねていってくださいね〜

それで救われる人は、少なからずいますね。
864107105_58s.jpg 864107105_33s.jpg 864107105_132s.jpg
以下、2008年7月9日に書いたブログ。
大阪の喫茶ロカリテの店主さんに連れられ、初めて那須のSHOZO COFFEE に行った直後に書きました。
花の絵の発火点をあらためて発見し、あの時の新鮮な気持ちが今も変わらずあることを嬉しく思いました。

イラストレーターとしての仕事のあり方、
思いっきり見直さなきゃならない時代であるな~と思っています。 

これは音楽業界などに起こっていることと同じなんだけど、
それに比べたらあまりにも市場規模が小さいからね、
うかうかしてたらプイッと吹き飛ばされて終わりです。 

絵を描くことのホトンドの仕事は「見る」って作業であると、
ボクは思うのですね。 

そんなわけで日々見てます。
身体がついて行く限りは歩いたりもしてね。 

街や人の間に在ってボクの創るものがどんな役割を果たせるのか?
興味はつきないですね。 

中野
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=680245 

沼津
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=682007 

那須
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=682769 


12月27日はキャンドルナイトでした。

震災直後の暗闇で考えたことを忘れずにいたいと思い、
大切な友人で、最近ソロアルバムを発表し、音楽の現場に帰ってきたチェルさんをお呼びし、
静かな時を共にし、これから生きるのに必要なものを想像した時間です。
それはこの10年で最も自分らしい行為のように感じました。

以下は震災から数日後に「灯」とタイトルをつけて書いたブログです。

東京は相変わらず余震が続き 

しかし 

いつもと変わらぬ日々が続いています 

昨日は井の頭通りでハナミズキが咲いているのを見ました 

甚大な被害を受けた土地にも春は来るね 

被災地で闘っているみなさん 

今日からしばらく続く寒さに凍えませんよう 

痛みや悲しみがちょっとでも癒されますよう 

被災地から離れたミンナからは 

「なにか出来ないか」という多くの声が届けられます 

そのたびにボクは 

「いま在る場所の灯りであるように」と伝えています 

被災地から遠く離れ 

震災の直接的な被害に遭わなくても 

心を痛める人がたくさんいます 

メデイアやネットからは 

それこそ津波のようにしてショッキングな情報が押し寄せ 

無責任な“つぶやき”とか蛮勇きわまりない言葉に呑み込まれたり 

もしくはポジティブで力強い言葉に対してさえ 

「ワタシハナニモデキナイ」てね 

気持ちを押しつぶしてしまう 

心の二次災害に巻き込まれているように感じています 

身近な方で 

わけもわからずナミダを流してしまっている人はいないだろうか? 

生きる気力を削がれそうになってしまう人はいないだろうか? 

そんなヒトリに出会った時 

「ともかくボクらは頑張らなければ!」なんて言葉と共に 

被災者と比べてしまったりしないだろうか? 

PTSDの判断を素人がするのは危険なのかもしれないけれど 

それでも 

恐怖にナミダすのは 

生き物として当たり前の防衛反応だよね 

ナミダは決してネガティブなモノじゃないぜってね 

ただただ話を聞いてあげたり 

温かな食べものや飲み物を一緒にとったり 

みなさんが今生活されている場所で 

小さな温もりを手渡たしてこうよ 

優し過ぎてチッポケで傷つきやすいヒトリだからこそ 

気がつきやれることはあるんだ 

無理せず1コ1コ 

そんな 

地震との闘い方もあるように感じています 

1人ヒトリが今在る場所の灯でありますよう 

今まで生きて来た中で最大の優しさでもって 

身近な愛しい人に小さな熱を手渡してゆこう 

やれやれ 

すごく遠い道のりだけど 

しかし 

それが廻り廻って被災地にも日本にも世界にも 

希望の灯りをともしてゆくことだと信じています 

今元気な人 

一緒に闘おう! 

今心が折れてしまっている人 

その辺に春が近づいてきてるぜ 

ゆっくり 

小さな温もりを絶やさぬよう育ててゆこうぜ 

アミイゴ 

2011 

PEACE!!

そして、
震災の直後の吉祥寺にじ画廊で開催した花の絵の展覧会「その辺でさいていた花」
最終日直後に書いたブログ。

吉祥寺にじ画廊でのボクの個展 

「その辺に咲いていた花」 

そして 

ワークショップ&LIVE「灯」 

昨日の20時まで咲き続き 

静かに終わりました 

想像をはるかに越えたお客様に足を運んで頂き 

さらに想像を越えたウレシいお言葉を預けて頂き 

次に進む力を得たと共に 

これから何を描きどう生きてゆくのか 

ハッキリとした手応えとして掴むことが出来ました 

ありがとうございました 

お1人おひとりへのお礼は 

ちょっと時間をかけて必ず 

今は頂いた身に余るLOVEを 

東北の地に注ぐことを考えています 

展覧会期間を通して感じ考えたこと 

後ほどコトバにしてみます 

東京から遠くに住まわれる多くの方と 

懇意にさせてもらっていますが 

ほとんどの方が来れなかった時間であります 

こういったことを東京で開催することで 

お気持ちに格差を作らぬこと 

これはイラストレーターとしての使命として 

これからも取組んでゆこうとも思います 

そして 

今まで以上に気持ちの敷居を感じさせない場所と作品を創り 

その辺で生きてゆこうと思います 

あれから10年。
コロナ感染がひと息ついたような瞬間での開催となった展覧会は、
喧騒の吉祥寺の街と壁ひとつ隔て、
心の静けさを求める人たちと静かに語り合える場所として機能出来たはずだし、
ボクが作ろうと思うものは、そうした人たちがひと息つき、
なにか大切なことを語り合うことの出来る、なんちゃーなく美しいものなんだと、
あらためて確認することが出来ました。
最後の写真は、この展覧会開催中のタイミングで、
被災した故郷岩手県大船渡の力になりたいとUターンするSさん。

彼女からうかがった被災の記憶は、
いくつかの花の絵を生み、
これからさらに花の絵を生み続けるはずです。

そう出来るよう、お互い元気でいようぜ!

2021
1216
to
1228
peace

この空間に含まれたすべての人が、
この展覧会の作品のようであったと思えた時。

そしてすべての花の絵が、
これまで出会ってきた愛しき人の姿と重なった愛しき時。

ありがとう。

2022年。新年明けましておめでとうございます。

アップした絵は、2009年の暮れに描いた年賀状用の絵。

12年前、色々あったなあ〜。
その後も色々あった。

2021年の12月、そんな振り返りとも言える花の絵の展覧会を、
2011年の震災直後の4月に、やはり花の絵の展覧会を開催した吉祥寺のにじ画廊で開催しました。
描いてきた絵を眺めながら考えるのは、出会ってきた大切なことは、
未来へ、次の世代へと、確かに繋いでゆかねばということ。

そのためにも、12年前の絵をシェアしつつ、さらに描かねば!です。

絵を通し関わる皆様、街で声かけあうみなさん、
さらに美しきものを生んでゆけますよう、
引き続きオープンに語りあってまいりましょう。

小池アミイゴ
2022
PEACE!!

12/16~吉祥寺にじ画廊で花の絵の展覧会開催


小池アミイゴ花の絵の展覧会「花とラブレター」

吉祥寺 にじ画廊
2021年12月16日(木) – 28日(火)
12:00~20:00

〒180‐0004
東京都武蔵野市吉祥寺本町2‐2‐10 (JR中央線 吉祥寺駅より徒歩4分)
tel : 0422-21-2177
nijigaro@gmail.com
http://nijigaro.com

2008年から描き始めた花の絵。
震災直後の2011年4月以来10年ぶりににじ画廊の壁面に咲かせます。

=在廊予定=
12月16日(木)_終日在廊します。
12月17日(金)_16時より在廊いたします。
12月18日(土)_15時より在廊いたします。
12月19日(日)_12時より在廊予定でいます。
12月20日(月)_15時~
12月21日(火)_15時~
12月22日(水)_15時~
12月23日(木)_12時~14時、17時~
12月24日(金)_12時~20時
12月25日(土)_13時~20時
12月26日(日)_13時~20時
12月27日 (月)_15時~20時*18:30~19:30はキャンドルナイトのため予約者のみのご案内になります。
12月28日(火)_13時~20時*最終日です。
その後の予定も随時お伝えしてまいります。

=イベント=

1) 花の絵と言葉の往復書簡
会場に便箋と便箋を投函出来るポストを設置しておきます
もし気になる花の絵があったら、そのお気持ちを手紙を書いて、
ポストに入れてください。
その手紙に対して、ボクがまた花の絵を描き、
1月に予定している「装幀夜話」という展覧会に出品します。


2)*12月27日_キャンドルナイト_こちら定員に達し予約を締め切りました。
・18:30-19:30
上記の時間は予約者のみのご入場となります。
ご来場いただけない方には、配信など考えておりますので、
その際は改めてお伝えしてまいります。

ギャラリーの照明を落としキャンドルを灯します。
ゲストにシンガーソングライターのチェルさんをお迎えし、
彼女の深く静かな歌と共に、過ぎ行く時を思い、
新たな年を心穏やかに迎える時を創ります。

・参加費_無料
・定員_定員に達し予約を締め切りました。

10年前の震災の直後、東京の街が暗くなっていた時考えた大切なこと、
それを次の10年でも忘れないでいたいなと願い、試みます。

ゲストのチェルさん。

かつて2人組みのPoPoyansとして活躍していた時、
表現の現場作りでアイデアを交換しあったり、
地方の小さな店に歌を届けにいったりをした人。

10年ちょっと前、いくつか一緒に作ってきたライブは、
人に対する愛と高い志の詰まった、屈指の表現の現場だったはずです。

ただ、それでもやり切れていなかったであろうことを、
今、それぞれ人生の経験を積んだ今行う意義を感じています。

*コロナの状況によっては、入廊制限を儲ける可能性があります。
詳細情報は引き続きこちらでお伝えしてまいります。

その他イベントがあれば、随時更新してまいります。


この展覧会の始まりはどこだろうか、
ちょっと振り返ってみます。

2008年7月、
大阪北堀江にあった喫茶ロカリテの店主夫婦に誘われ、
栃木県那須黒磯のSHOZO COFFEE に行きました。

ロカリテはとても美しいお店でしたが、
それ以上に、そこに集う人たちと構築した静かなる信頼関係が、
この店の魅力でありました。

そんな場所を営む人と共に向かった珈琲屋は、
細部に美意識に息づく場所でした。

ロカリテのご夫婦と、良い店ってどんなことだろうなんた語りながら、
絵を描くボクは、ここに置かれるべき絵はどんなんだろう?と考え、
花を描いてみることにしました。

しかしすぐには思うような絵は描けず、
なんだかカッコつけた花の絵ばかり生まれちゃって…
それはそのまま自分の姿のように思えてね、
このままじゃダメだと。

今振り返れば、
誰に向けてどんな必然で描くのか、

その部分が欠けていたはずです。

2009年。
1月に友人に向けて描いた菜の花の絵がありました。

福岡の滞在中、友人がかなり厳しい状況にあるという連絡を受けました。
自分に何が出来るのか考えながら東京に戻ると、
食べようと思って水に挿していた菜の花が、キッチンの窓際で咲いていました。

「ああこれだ」とだけ思い、板にアクリル絵の具で描いた絵が、
ボクの花の絵の本当の始まりになりました。

この年は「色々あった」としか言いようのない1年で、
「何かあった」度に、それを体に刻むようにして花の絵を描いてゆきました。

ひとつボクを高めてくれたのは5月。
福岡に行くと必ず寄る珈琲屋「美美」の店内に飾ってあった花の絵です。
シンプルな画面に力強さと優しさが溢れる、しかし「無欲」という言葉の似合う花の絵。

それは1月にボクが描いた菜の花の絵に対し、
「おまえはそれでいいんだ」と肯定してくれてるように思えた絵でもありました。

その直後、家のベランダで咲いていたカモミールの花の絵を描いてみました。

沢山の花を咲かせる生命力溢れる姿を追いかけ筆を走らせるも、
自分が本当に見ているものと一致せず、小さなが画面の中で描いては消しての繰り返し。

結局花1輪だけにフォーカスしてみたら、
自分の見ているものに手が届いたような感覚を得ました。

それは、ボクが自分の身の回りの世界をどう見ていたのかを気がつかせてくれる、
静かな絵となり、今は福岡市内の小さな花屋に嫁いでおります。

つづく


10年前のにじ画廊での花の絵の展覧会でのエピソード。
2011年5月3日にブログに掲載した記事を、ちょっと書き直して再掲載します。

「まさおおじさん」

にじ画廊にまさおおじさんが来た。

20何年か前の脳梗塞のせいで右腕しか使えないくせして、
ボクの父親とカツミおじさんを三菱の軽ワゴンに乗せ、
スヌーピーのTシャツ着て群馬からカッ飛んで来た。

にじ画廊の50mほど手前の駐車場から杖をついて、
足を引きずりノシノシと、
日曜日の人ごみを掻き分け、5分かけて到着。

かわいいグッズが並ぶ店内に入り、
2階のギャラリーへの階段を見ると、
「ダメだ、手すりがついてねえから登れねえ」って。

「無理してケガしたら人様の迷惑になっちまう」って。

まさおおじさんは気遣うギャラリースタッフを制して、

「アニキたちで見てこいや」「しょうがねえ」と、
1階の奥の事務所で座って待ってることになった。

「俺のことは気にすんな」と語るおじさんに茶を出し、
ドアを閉める瞬間の心苦しさ。

これは一生忘れられないと思ったよ。

実際に2階で父らと絵を見ても、ただ気まずいだけでね。

そうしているとにじ画廊のスタッフちゃんがやってきて、
「外の階段なら手すりがあるので、それを使ってギャラリーの裏口から入ってもらいましょう」と。

そんなことして大丈夫なのかと心配するボクには、笑顔で「だいじょぶです」と、
展示してある桜の花の絵を外し、ホワイトボードを動かすとドアが隠れていた。

ボクよりずっと若い女性スタッフさんの機転で、5月の吉祥に向け開け放たれたドア。

それはボクらがこれから向かうべき世界への扉なんだと思った。

マサオおじさんは外の階段を一段一段ノッシノッシと登ってくる。
ボクは「もしも」のために後ろで構える。

5分くらいかけて2階へ。
花の絵の間からおじさん、遂にギャラリーへ。

「その辺に咲いていた花」と名付けた展覧会
スヌーピーのTシャツ着たマサオおじさんがやって来てくれた。

三男の父、四男のカツミおじさん、末っ子のマサオおじさん
大の男が3人、花の絵を見ている。

百姓と農業機械の整備が生業にしてきたまさおおじさんは、
「あれはスズナ」「あれはサクラソウ」と、ボクの描いた花の名前を次々に言い当て、
その花はどうすれば元気に咲くのかとか、やっぱり日本固有の花が可憐でキレイだとか、
滑舌の悪い群馬弁で語ってくれた。

おじさんはカッコいいことをひとつも言わないけど、
その辺でカッコいいことばっか言ってるヤツらより数億倍カッコいいと思ったぜ。

この日より22年前の夏。
26才のボクがムチャして入院した時も、群馬から東京へ片手運転で駆けつけてくれ、

ボク以外お年寄りばかり8名入院する病室に、
そこの誰よりも重症患者のような姿でノッシノッシと入ってくると、
「オメーもこうなっちゃお終いだぞ!」と大声でボクを叱り飛ばす。

でもって、
「無病息災って言うけどな、これからは1病息災くれーがいいんだ」って、
麻痺した口で啖呵を飛ばし、病室のみんなを笑わせてくれた。

そうしてボクは今も生きている。

地元のウドンと酒をみやげに置いてくれ、男3人兄弟が帰る時間になった。

やはり脳梗塞を患い上手く動けないでいるボクの父が、買い物でモタモタしてると、
「オラァー先に車に行ってらぁー」とまさおおじさん。

 

よく晴れた5月の日曜午後2時の吉祥寺。「昭和通り」と呼ばれるにじ画廊前の通りは、
「被災」のあっち側で自由を謳歌する、若くオシャレな人たちでごった返している。

そこをノッシノッシと分け入ってゆく、スヌーピーのTシャツを着たおじさん。

ガツっと日焼けした顔に薄くなった頭、スヌーピーのTシャツは黄ばんでいる。

前をから歩いてきたカップルがおじさんに気がつき、
ビックリしたように、もしくは見なかったことのようにして、ヒョイと道を空ける。

ボクはおじさんの後ろ姿を見ている。

百姓と機械整備でデカク育った背中の筋肉は、
麻痺した左足の細さとの対比もあって、山のように見える。

そんな背中がノッシノッシと昭和通りを行く。

それは底抜けに美しい姿だ。

圧倒的にカッコいい風景だ。

 

ボクはちょっと泣いていたはずだけど、
それは誰にも気付かれちゃいけないことだと、
強い西日に表情を隠し、おじさんの背中を追いかけた。

おじさんは三菱軽ワゴンの運転席に乗り込むと、
ボクの方を振り向かぬまま(もしくは麻痺で振り向けない?)右手をヒョイと上げ、
1万円札をヒラヒラさせながら「これでウマいもんでも食えや」だって。

それは絵を描き続けてきた中で、最高のご褒美なんだと思い、

ボクもおじさんのように、その辺で生きてゆくんだと思ったんだ。

つづく

花の旅

今回の展覧会は、3月に青山のspace yui から始まり、
8月に福島県白河市のSHOZO COFFEE、
9月に福島市の食堂ヒトトと旅をしてきました。

ここ5年間、昨年までの毎年の年末に、
「小池花店」と名付けられた花の絵の展覧会を開催してきましたが、
その流れが途絶えた今年、
偶然にも年末のにじ画廊で花の絵の展覧会を開催することになりました。

10年前の春のにじ画廊での花の絵の展覧会「その辺に咲いていた花」は、
2010年3月に地元渋谷区のカフェ”ルシャレ”からスタートし、
以下の場所を1年ちょっとかけて巡り、
東日本大震災を経て、にじ画廊にたどり着きました。

・渋谷区富ヶ谷天然酵母パンのルヴァンのカフェ“ルシャレ”

・佐賀県唐津市のヌフ・ベーカリーカフェ

・宮崎県日向市のnap cafe

・栃木県那須塩原市黒磯のCAFE SHOZO

・東京吉祥寺キチムの Localite

・長崎県諫早市のORNAGE SPICE

・福岡市周船寺のcafe de Hina

・福岡県北九州市のcafe cream

・千葉県習志野市のギャラリー林檎の木

・福岡市薬院の花屋 cache-cache

・鳥取市の食堂 カルン

・大分県大分市アートプラザでのbaobab LIVE

・京都市北区の SOLE CAFE

・青森市のコノハト茶葉店

日本の14箇所を巡り、3月11日に青森のコノハト茶葉店で被災。

「こんな花の絵など誰が見に来るんだろう?」と悩んだ展覧会は、
震災から40日めの2011年4月21日に初日を迎えました。

設営の時はまだ余震が頻発していましたが、
ここまでに至る14箇所で出会った人たちの存在が、
とても、とても、心の支えになってくれた記憶があります。

10年経って無くなってしまったお店もありますが、
それぞれの場所でそれぞれの奮闘を見せてくれた仲間の存在は、
今もボクのものづくりを思いっきり支え続けてくれています。

14箇所の仲間たちを巡り手渡されたマインドのバトンは、
震災を乗り越え絵を描き続ける想像力をボクに与えてくれ、
展覧会が終わると、ボクは東北に向かうようになります。

この10年、西日本の方々とお会いすする頻度は減ってしまいましたが、
みなさんから頂いたものづくりの種は、今も発芽し続けているのです。

「こんな花の絵など誰が見に来るんだろう?」と悩んだ10年前の展覧会は、
意外や、多くの方が足を運んでくださり、
人によっては絵の前で涙を流される方もありました。

「自分の描いたもので人が涙する?」

その意味は1人ひとりの中に埋まっているもので、
ボクがなにか代弁できるものではありません。

しかしその涙は、日本の各地を巡ってボクの手元に届いた花の種を発芽させるだけの力を持ち、
ボクはその後10年、相変わらずその辺で咲いている花の絵を描き続けているのであります。

つづく。

忘れな草をあなたへ

2014年2月の記事を、一部文章を修正し再掲載します。tis-amigos-koike-medium-3

今日、横浜仲町台での展覧会で”忘れな草を描いた絵”が売れました。

午後に予定より遅れてギャラリーに着くと、
スタッフさんから絵の購入希望でお待ちの女性を紹介されました。

初めましてのその女性は、

この展覧会はギャラリーからのDMで知ったとのこと。

購入希望の絵をうかがうと、「忘れな草」の絵だとのこと、

その女性の落ち着いた佇まいやコーディネートの印象が、
ボクが描いた絵と実にお似合いではないかと思ったボクは、
この方がこの絵を買ってくれるということに、
今まで味わったことの無い「安心感」のようなものを感じました。

「なぜこの絵を選びましたか?」
というボクの質問に、

「気に入った絵全部、1枚1枚と会話してみたんです」って。

うれしいなあー。

ボクは「東日本」という展覧会を、
そこで偶然出会った人と人の会話の現場にしたいと願い、
また、そうすることでこの展覧会も完成するのだと考えてきました。

それを今日であったばかりの「初めまして」の方が、
ボクの望む最上の方法でこの現場を楽しまれ、
1枚の絵を購入さえしてくれた喜び。

そもそも安い買い物ではないはずのボクの絵を、
見ず知らずの方がご購入下さるなんてことからして、
思いもよらぬことなんです。

直前の東京青山での展示には出品しなかったこの絵は、
自分にとってアウエーな横浜仲町台で、
「東日本」という痛いタイトルの展覧会に対し、
テンダネスを与えてくれるだろうって考え、
搬入準備の最後に手に取り持ってきたものでありました。

その女性と一期一会な出会いの喜びを分かち合いながら、

「どちらからお越しですか?」と質問してみると、

「葉山です」と彼女。

Exif_JPEG_PICTURE
この絵を描いたのは2011年3月11日の震災直後。

3月11日の手前で誰かから頂いた花束から、
しおれ始めた花を間引いて、花瓶にさしていた忘れな草です。。

震災から8日後、
もともと予定していた帰省で、カミサンの実家の北九州へ。

東日本の様子が不透明だったので、カミサンと息子は滞在を延長。
ボクは5日間の滞在の後、1人で東京に戻りました。

大きな余震が続いていた東京の家に着くと、
4月を目の前にしても、まだ冷たい空気に包まれたままの部屋で、
ボクは忘れな草がさらに枝を伸ばし花を咲かせているのを見つけました。

「おまえ、よくがんばっていたなあ〜」って思い、

そのけなげな美しさと儚さに心をわしづかみされ、
震災から続く夜の暗闇の中、
4月末ににじ画廊で開催予定の「その辺に咲いていた花」と名付けた展覧会のため、
“生き残り”の忘れな草を描きました。

その直後、永井宏さんの訃報は届きました。

美術家で文筆家で音楽家で、
自由と恋愛を愛し59歳で逝ってしまった永井さん。

ボクは人生の節目節目で永井さんから気にかけて頂き、
なんだろな、ちょっと似たとこあるのかな、どうかな、、
そんなフワッとした心地よい距離感を保ちながら、
氏の活躍を追いかけていた関係でありました。

忘れな草を描こうと思うに至ったインスピレーションは、
永井宏さんがボクに届けて下さったものなのではないかと勝手に思い、
描き終えたはずの絵にさらに手を加え、
「永井宏さんに捧げる」とメモして額装しました。

そんな秘めた経緯は今まで口にしたことはなかったのだけど、
絵を購入された方が忘れな草の絵ととてもお似合いで、
しかも絵と会話までして選んでくれたということがうれしくてね。
ボクは「これは、葉山に住まわれ、絵を描いたり本を出版したりしていたけど、
震災の年に亡くなってしまった方に捧げた絵なんすよ、」なんて話してみたのです。

すると、
「その方、もしかしたら私の患者さんかも、」と、

ボクが永井さんの名前を語ると、

「はい、永井さんの最後の治療を担当していたのは、わたしです、」

絶句。

そして涙…

その方は葉山で開業医をされていて、
永井さんの治療の一翼を担われていた方だったのです。

彼女に、ボクが永井さんと初めて出会った場所は、
このギャラリーの企画を担っている、青山のspace yui であることを伝え、
「この絵はあなたに手渡されるために描かれたんですね」と。

「奇跡」や「サプライズ」という言葉が苦手なボクは、
今日のこのことをどんな言葉で表そうかと考えました。

ボクは青春のある時期に絵を描き始め、長沢節という美意識を浴び、
数多の先輩イラストレーターの方々に生きる厳しさ学んだことで、
青山のyuiという美意識の場所で、永井宏という恋する心に出会うことが出来た。

そういったことの1つひとつは
ボクに”生き残りの忘れな草”を見る目を与えてくれ、
出会いの喜びは震災のリアルと拮抗しながらも、
ボクに1枚の絵を描かせた。

その絵は2年前にyuiの壁を飾ったけれど、
今年の冬は、そこを飛び越え、仲町台の空間を飾った。

それを永井さんに縁の深い方が手にしてくれた。

必然の先にさらに必然が、
偶然やって来てくれた。

ボクはこれほど絵を描いてきて良かったと思えた瞬間は無く、
それはボクが生きてきた意味を裏付けてくれるものだとさえ思いました。

今ボクが死んでしまっても
「あいつはこんな絵を描いたヤツだった」って語ってもらえるような一枚の絵。

もちろん、ボクは今は死ぬ訳にはゆかず、
今日手にした喜びを抱え、仲町台での残りの会期を過ごし、
小池アミイゴ個展「東日本」西日本ツアーで、さらに心の体力をつけ、
いつの日か東北の方にも喜んで頂けるものを創り育ててゆきたい。

そんな表現の旅の足場になるのは、
忘れな草と永井さんと女医さんとボクの間で生まれた
ささやかな出会いと別れのヨロコビの記憶。

ボクが震災後の世界に求めていたのは、
もしくは「東日本」を巡り構築したかったことは、
今日のこの出会いと分かれのヨロコビに集約されているのかもしれない。

忘れな草の絵の婿入り先となった方との別れの時、
「握手しますか」と言ってみたけど、自然とハグになった。

永井さん、
あなたの夢見た世界はこんなじゃないかったかな?

そしてyuiの木村さん
あなたの創りたい世界はこんなじゃないかな?

イラストレーションの仕事の締め切りがあるため、
午後3時過ぎにはギャラリーを後にするも、
ギャラリーからの角を曲がってすぐの花屋の軒先で、
ハッハッハ、
これは笑っちゃうよな〜

210円で売られている忘れな草と目が合ってしまったよ。
Exif_JPEG_PICTURE

そんな初恋の成れの果てのような花を抱え、
帰りの電車に飛び乗るも、それは逆方向、、

次の駅で降りて、
駅のホームのベンチでお客さんからの差し入れのドーナツを食いながら、
折り返しの電車を待っていたんだ。

2014
0226
PEACE!!