158ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,810日
687週1日
13年2ヶ月
158回目の11日です。

4月21~22日は福島県飯舘村フィールドワーク。

一昨年の秋に始まったプロジェクトとして6回目のフィールドワークは、
3月17~18日に続いて今年2度目。

今回初めて福島県立博物館の学芸員チームと村内で一泊し、
村内在住者と多くを語り合う時を得ました。


6度目のフィールドワークで初めて、
「美しい春の風景だな〜」なんて心より思えた自分は、
原発事故以前の飯舘村も、原発事故から10年の飯舘村も知りません。

なのでしょうがない、
今見えるものがすべてであり、今見えるものは当たり前では無い。
そんな心持ちで風景に向き合います。

ということを飯館村だからではなく、
自分の場合どんな場所でもやっているんだろう。

そんな飯舘村に対して無責任な存在の自分だからこそ出来る表現があるのか。
それは誰かの助けになったり、生きる力になるのか。

その答えは先回りすることなく、
やはり「見る」「聞く」「感じる」といったことを優先ですね。


菅野宗夫さんはNPO法人ふくしま再生の会の副理事長を務める飯舘村の農家。

原発事故前は畜産も行うも、現在は農業に専従。
自宅敷地に地域再生のために村に入る学生などのベース基地を設けています。

奥様は「この春震災後年初めて集落で子供達の声を聞いた」と。

それは何かの企画で村外から集まった人たちの子どもだったけど、
それでも嬉しかった。

しかし、元々村で生まれた子どもは、もう高校生だったり成人になったりしているから、
もうここを故郷なんて思う記憶が無いよ。と…


でも、どうなんだろなあ〜〜、

自分は群馬県の長閑な養蚕地帯で生まれて、
5歳、6歳くらいまで、今振り返れば実に美しい人里の景色抱かれ育ちました。
が、高度経済成長が行き着いたあたりで、一気にその美しい風景が失われ、
いつも遊んでいた川から腐臭が漂うになった。

その喪失感と、忘れられない美しい記憶とで、
今こうした飯舘村を美しいと思って見ているし、
そうした風景が復活することを願って活動している。

だから、未就学で飯舘村を後にした子どもにだって、
飯舘に戻ってくるモチベーションはあるはず。

そんな話をしました。

そして、
これは飯舘の方に叱られてしまうかもしれませんが、
戦禍や原爆で失われたことも、高度経済成長やバブルで失われたことも、
実は飯舘と地続きのことであり、
だから自分はここまでやって来たんだろうと思ったのです。

ところで飯舘の民謡ってありますか?と質問。

宗夫さんが、お父さんが唄ってる動画があるはずだと調べてくれました。

2012年6月、飯舘村の田植えの後のサナブリ。菅野のおじいさん89歳が新 相馬節を披露しました。

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