126ヶ月め、246ヶ月め。


今日は2011年3月11日から3,837日
548週と1日
10年6ヶ月
126回めの11日です。

そして、
2001年9月11日から7,489日
1,069週と6日
20年6ヶ月
246回めの11日です。

20年前の夏、初めてPCを手にしインターネットにも触れ始めた直後でした。
20001年9月11日、夜の9時過ぎに家に帰りしばらくすると、
テレビがニューヨークで起きている異常事態を報道し始めました。

すぐにインターネットに接続し、情報を収集しつつ、
当時深く関わっていたclammbonのHPの掲示板での発言を追いました。

LIVEで知り合ったファンの方が多いので、
1人ひとりの顔を思い浮かべながら、1人ひとりが受けた恐怖を想像し、

可能であれば癒しの言葉をかけ続けたのが深夜まで続いた、
そんなアメリカの同時多発テロ発生9月11日の記憶。

その際よく語られた「映画を見ているようだ」という感想に対する違和感、
それは、10年後の東日本大震災発災時に感じ、

その時は「映画みたいなものをリアルなものに引き戻さなくちゃ」と、
現地に弾き飛ばされるように駆けた原動力のひとつになったはずです。

2011年。

当時ボクは東京青山のOjasというラウンジCLUBで、
唄のための時間「春夏秋冬」というイベントを開催していました。

1999年に春に都内で活躍していたR&Bシンガーのみんなと始めた、
「誰でも歌っていいよ」というイベント。

宇多田ヒカルがブレークした直後でしたが、
日本でR&Bはまだマイナーなジャンル。

しかし、それに必死に食いつくようにして自分を表現しようとしている若い人が少なからずいて、
しかし、女性シンガーの多くは、男性目線のプロダクツの上で、性的搾取も含めた表現を求められていたような時代です。

上手いとか下手とか、可愛いとかセクシーだとか、業界的ジャッジを排除し、
ただ歌いたければ集まればいいよという時間を、毎月一回木曜の夜に設けたら、
意外やものすごく歌の上手い人も多く参加し、
2年後には毎週開催しなければならなくなるくらい表現者が集まるようになったのです。

ものすごく上手い人も、そうでもない人も、同じ時間の中で歌い、
上手くないけど必死に表現しようとしている女の子の歌を、
バリバリ歌える人がめちゃくちゃ真剣に聞いて、そこで受けた感動を言葉にし、
自分の表現にフィードバックするようなことが自然と生まれた時間。

現場の責任はすべて自分にあると考え、業界的なマナーから一線を引いたイベントは、
意思のある人なら来るものは拒まずですが、
イベントを大声で宣伝したり、売り込んだりなんてことは絶対にせず、
お客に友人を呼び込むようなことさえせず、アンダーグラウンドを貫きました。

そんな時間だったからだと思います。

9・11同時多発テロ、その半年後のアメリカのアフガン侵攻と、
圧倒的な暴力を目撃されたとしても、みんなフリーズすることなく、
相変わらず人の発する小さな表現に真剣に向き合い、語らい、自分にフィードバックさせる。
そんな循環を絶やすことなく続けられる小さな現場だからこそでしょう、
どんな現場より早く、暴力に対してどんな表現を持って立ち向かうのかが練リ込まれた歌が生まれました。

ある夜「ハナミズキ」と名付けた曲を作ってきたと、1人のシンガーが歌い始めました。

うす暗がりの青山の空間で、弱き人々が息を飲むようにしてひとつの歌に向き合う風景。
それはとてもしなやかな力に溢れた風景でした。

その歌に込められたメッセージがどんなものか、その瞬間に理解など出来ないのだけど、
ただ、こんな風に1人の表現に真摯に向き合うことを「100年続けて」ゆかねばと思った歌の記憶。

今週の8日、花の絵の連載を続けている京都新聞に、そのことをちょっと書きました。
ただ、300文字程度で語ることは限られてしまうので、あらためてここで言葉にしています。

この歌に限らず、今も心の中でループを続ける歌に出会えた「春夏秋冬」というイベントは、
2002年5月、やるべきことはやったとボクが判断し、その任務に終止符を打ち、
よりローカルな表現を求め、ボクは沖縄や福岡を目指すようになります。

自分のやってきたことを語る時、
音楽イベントとして、clammbonやハナレグミとの関係が濃かったOurSongの名前を出すことが多いですが、

春夏秋冬はより参加するすべての人が表現者で、すべての人が主役と考えていたことと、
参加者の中で同じような発想でイベントを始める人も多かったので、
自分の考えを言葉にして発信するのは避けてきました。

あれから20年めの11日。
今から80年、その頃は自分は生きていないけれど、
ボクの息子たちたち世代に繋いでいってもらいたいことを
言葉に残しておきたいと思ったのです。

ところで、
春夏秋冬でのボクのDJはサイコーだったってことだけは言わせといて〜

125ヶ月め


今日は2011年3月11日より3,806日
543週5日
10年5ヶ月
125回目の11日です。

今日は絵本「はるのひ」原画展の初日のため三重県四日市に来ています。

午前午後と、子どもたちとの絵遊びの時間を設けています。
コロナの閉塞感の中、感染対策は万全に行いながらも、
子どもたちの気持ちが解放されてゆくような、
付き添いのお母さんたちの心が少しでもほぐされるような時間にしてみます。

絵は、毎年参加している熊本でのチャリティーのために、
水彩絵の具で色紙に描いた朝顔の花。

家のベランダですくすく育ち、たくさんの花をつけてくれている朝顔。

コロナの感染拡大が止まらぬ夏に、
植物が成長する姿から感じるしなやかで伸びやかな力強さは、
自粛を強いられる日々を生きる力になっているようです。

チャリティーの詳細は以下をご参照くださいませ。

+++

 各界で活躍中の皆さまから色紙や小品約170点が寄せられました。
展示、公開抽選の上、販売します。益金は熊本善意銀行を通じて社会福祉に役立てます。
入場無料。
【会期】8月18日(水)~22日(日)午前10時~午後6時
【会場】鶴屋ふれあいギャラリー(東館8階)
【申し込み】会場で申込用紙(5枚組み・300円)を購入。
希望の作品番号、氏名、電話番号を記入して会場内の投票箱へ。
最終日の22日は午後5時で締め切り。
【公開抽選会】8月23日(月)午前10時半、会場で。
       ※当選者は新聞紙面に氏名を掲載。
【発表】 8月24日(火)付の熊日朝刊。
【価格】 1点8千円(額付き)
【作品渡し】8月23日(月)は午後2時~同4時に会場で。
8月24日、25日は午前10時~午後6時まで熊日本社事業局(熊本市中央区世安町)で。
申込用紙の半券および代金と引き換え。

+++

こんなポストをしている最中に、
熊本日日新聞が9月いっぱいで夕刊を休刊させるとのネットニュースが浮上。
社会のあり方が変化する中、どれだけしなやかな感性を身につけられるのか、
これからも地方で出会う生きるアイデアを追いかけてゆこうと思います。

オリンピックの開会式、閉会式を見て、さらに強く、
日本のローカルに生きる文化を大切にしないと大変なことになると思ったのです。

絵はマラソン男子優勝のケニアのキプチョゲ。

#手紙にしよう


この夏、水彩でハイビスカスなど描いてみました。
さらにヒマワリの絵も描き、
しかし、どちらもバッサリ切り抜いて、

#手紙にしよう のサイトで↓
https://andpost.jp/project/tegami.html

ダウンロード・フリー!

コロナで未だ会えぬ夏の
暑中見舞いや残暑見舞いにお使いくださいませ。

使用例1

使用例2
うちの6年生男子描く。

四日市のメリーゴーランドで「はるのひ」原画展開催

三重県四日市の子どもの本の専門店”メリーゴーランド“で、
絵本「はるのひ」の原画展を開催します。

初日8月11日には「だれにでも描ける似顔絵ワークショップ」開催。

コロナ感染に気をつけたやり方で、
しかし、めちゃくちゃ楽しいやり方でやりますので、
夏の思い出に、ぜひ!


良い絵本!

SHOZO SHIRAKAWA で花の絵の展覧会開催

「花とラブレター」小池アミイゴ 花の絵の展覧会
8/1〜15 (8/5休み) SHOZO SHIRAKAWA

8月1日と8月15日に

南湖の風景をだれでも美しく描けるワークショップ開催。

詳しくはSHOZO SHIRAKAWAのインスタでご確認くださいませ
2008年に友人連れられ初めて訪れたSHOZO
ここに飾る絵はどんなだろうと考え、
花の絵を描きはじめて、色々あって、
5年前に黒磯のSHOZOで展覧会を開き、
また色々あって、
今回、
美しすぎるSHOZO SHIRAKAWAの空間で
静かな時を作ります。
県を跨ぐ移動は気をつけなければいけませんが、
福島の方に喜んで頂けたら何よりです。
〒961-0812 福島県白河市南湖14
TEL 0248-21-6828
OPNE 10:00~17:00 (LO16:00)

124ヶ月め

今日は2011年3月11日から3,775日
539週2日
10年4ヶ月
124回めの11日です。

先月の東北フィールドワーク後、
東北で10年かけて積み重ねられてきた地域作りの知恵を、
東京での暮らしの中に落とし込むことを考えています。

対話と共有から得られる新鮮で確かな発想。

もちろん上手くいったことも上手くゆかなかったこともるわけで、
これからも東北のチャレンジは続き、ボクはそれを追いかけてゆくつもりです。

東京はオリンピックが目の前に迫り、しかしコロナの感染は収束せず、
ワクチン接種を進めながら4度目の緊急事態宣言が発出される状況にあります。

東北では今でも、テレビでも新聞でも人の間でも「震災からの復興」ということが語られていますが、
東京では復興とオリンピックが一括りにされてしまったことで、
復興の本質がなんであるのか、思考停止になってしまったように感じました。

NHKの連続テレビ小説は、震災から10年目の今年、あらためて被災をテーマに組み込み、
復興というものがどんな姿であるのか、改めて考えるチャンスを作ってくれてるけれどね。

「復興」という言葉がかかるのは、
社会的インフラ、システム、生活、心、などなど多岐にわたり、
ひとつの価値観で語れるものではありません。

「復興」と思ってやったことも、
ある人にとっては「復旧」でしかなかったりもします。

「復興って何?」を考えることはとても大変なんだけど、
だからこそ日本の社会全体の問題として、1人ひとりそれぞれの場所で、それぞれのサイズ感で、
考え続けてゆくことで「世の中をより生きやすいものに育ててゆこう!」

でないと、失われた命に対して申し訳が立たない。

ボクはそんな考えでいました。

そんな考えのもと、自分の暮らす渋谷区ローカルの活動に参加するようになってみると、
実は自治体レベルでは、震災から学んだことが細部に落とし込まれていることに気づく。

が、いわゆる「普通に暮らし」「普通にメディアに接している」だけだど、
多くのことを見落とすようなことになっている。

これはなんだろうな。
なんだかとてももったいない。

2013年5月、オリンピック開催が東京に決まった瞬間、
招致委員と呼んでいいのかな、そんな人たちが一斉に立ち上がり喜びを爆発させた姿を、
テレビの画面で見て、
オリンピック開催はそこまで喜びを爆発させることなんだと、少なからずの違和感と共に思い、
さらには、
震災から2年2ヶ月のタイミングで、まったく万歳な気持ちになれない自分がいてね。

「復興した姿を世界の人に見てもらえるオリンピックにする」と語られたことは、
国や委員会に委ねることでは無く、個人レベルでも検証続ける必要があると。

その日のSNSには、
オリンピックが東京に決まったことで、自分の仕事が増えることもあるだろう。
しかし、それで浮かれることなく、見るべきものを見続けてゆかねば思う。

みたいなことを書いたなあ。

たとえば、復興庁のHPを見ると、
大きく「復興五輪とは」と書かれ、
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を機会に、復興しつつある被災地の姿や魅力を国内外に発信することで、被災地の方々を勇気付け、復興を後押しすることが我々の使命の一つです。
などと続きます。

社会的インフラが復旧し、さらに復興道路のようなものが新たに整備され、
人の行き来がスムースになり。経済活動が活発になるとともに、
インバウンドの呼び込みがスムースに行われ、経済的豊かさが高まり、
そうした経済サークルに関わる人々の生きがいが高まる。

そんな理屈や構図は良くわかる。

が、それだけじゃないよな。

人の生き方、人との繋がり方、そこから生まれる地域の姿、
地域と地域の連携、ITやグローバルとの繋がり方、などなど、

人が生きてゆけるためになにが出来るのか?
未曾有といわれ、かつて経験したことのないと語られる状況から、
新たな社会を創ってゆくこと。

そうしたことに、
「掛け値無しに良いこと」と信じてやまないオリンピックを手にた
おじさんおばさんたちの思考や目は曇らなかっただろうか?

ボクは2016年オリンッピクに日本が立候補した際の計画、
「史上最もコンパクトな大会」に期待するものがあったし、
旧国立競技場はそのままに、晴海にメインスタジアムを建設する計画は、
ポジティブに捉えていたのだけどなあ。

その後東日本大震災があり、
社会のあり方をみんなものすごいエネルギーで考えていたはずの2013年、
2020のオリンピックが「TOKYO」とアナウンスされた瞬間の、
テレビの向こうで喜びを爆発させるおじさんおばさんたちは、
どこからやってきた人たちなのか、あの瞬間見失ったもの、
もしくは「見失なわされたもの」はなんだろう?
その喜びの背景にあるものは、社会や個人にシェア出来ているのだろうか?
それを共有する努力をすること無く、
「復興」をなにか都合の良い言葉として利用してしまってはいないか?

その後、
「え?国立競技場ってこうなるの??」
「え?このシンボルマークどう決まったの??」
「え?オリンピックのキャラクターって、、」
「え?ポリンピックのぽすたーって、、」
「え?オリンピックの予算てこんなに膨らむの??」
「え?女性は話が長いの??」
「え?開会式はブタが??そんなことないよね、、」

「え?聖火リレーって、スポンサーのバスが先導してくるの??」
などなど、聞いてないよ〜なことばかり。

そして、
「オリンピックってこんなにおじさん臭いものだったけ?」

これは良いことだからやるべきことをやる。

オリンピックをとりまく数々のことが、
なんだか、ほんと老けたものに見えちゃうんだよね。

それはきっと日本の社会の中でオリンピックは
きっちり56年の年齢を重ねてしまったということなんだろう。

それはボクが実際に東北で出会う「復興」ってことと、
とても生合成が悪く見える。

身近で言えば、
「スポーツの力で日本を元気に!」と叫ばれる割に、
子どもたちが駆け回る公園やサッカーグラウンドが閉鎖され、
オリンピック関連の施設に変えられているのを見て、

もしまたオリンピックを誘致するようなことがあれば、
最高峰のアスリートが競い合うすぐ側で、
子どもたちも走り回れるようなものを目指してもらいたいな。

そのためにも、今のIOCが主催するオリンピックは、
一度終わりにする必要があると思う。

123ヶ月め


今日は2011年3月11日から3,745日
535週
10年3ヶ月
123回めの11日です。

6月2日、福島県の郡山市の”みどり書房”さんから頂いた絵本の原画展のご縁に答え、
PCR検査陰性を確認した上で、設営に向かいました。

初めて展覧会を開催するという書店のみなさんとボクとで、
現場作りのスキルアップをするってことに意味を感じたので、
ともかく現場へ。

その後、仕事でご縁をいただいている医療法人社団進興会さんの、
宮城県仙台市にある”せんだい総合健診クリニック”で、人生初人間ドックを受診。

ならばと、連載をしている旅のエッセイの取材をしようと、
4年半ぶりの気仙沼の唐桑へ。

いつもは東北新幹線で一関乗り換え大船渡線向かう気仙沼ですが、
今回は復興道路と呼ばれる高速道路、
三陸道の仙台-気仙沼間が開通しているとのことで、
高速バスを利用してみました。

利用した印象は「気仙沼は近くなったなあ〜」です。

震災後知り合った友人たちと久々の再会を果たし、
会話のほとんどを占める他愛も無い話で笑い、
しかし、会話の中に絶えず挟み込まれる「震災から10年のリアル」に頷き、
コロナはほんと大変だよねと、慰め合う。

あれから10年の気仙沼を歩き、みんなの今を確認。

10年頑張ってきて、「よし!」と思い踏み出せたタイミングで、
コロナで足踏みを余儀無くされる苦しさ。
ボクは無力な存在ですが、まずは共有したので、
今後はアイデアを交換してゆきましょう!

そこからさらに陸前高田、大船渡と北上。


陸前高田では、東日本大震災津波伝承館へ。
この国の作った施設と、たとえば、気仙沼市が運営する東日本大震災遺構・伝承館との、
存在意義の微妙な違いを肌で感じつつも、
あれから10年の今、心はまだ静けさと共に祈る気持ちで支配されるのだなあと思い知る。

初めましての土地大船渡は、
東京で知り合った大船渡育ちの女性の、大船渡への愛と喪失の言葉を頼りに、
ともかく自分の足で歩いてみることをしてみました。

中学生の春、彼女が心に刻んだものは、消えてしまようものでは無く、
今もその時で止まっていることばかりでもあろうけれど、
だからこそ救えるもの、生かすことの出来ることはあるんだろうと、

未だ復興の石鎚が鳴り響くリアスの街を包む、
懐の深い美しき自然が与えてくれる優しさと強さから直感しました。

小笠原満男さんが中心となり尽力し造ったサッカーグラウンドにも出会えた。
なるほど「誰が造った」なんて言葉はどこにも書かれていない、美しいグラウンド。
俺の満男、紛れもなくいい漢です。


そして宮古。
なんども利用している三陸鉄道も、南リアス線は初めて。

2年ぶりの宮古駅を降り立つと、
懐かしいという気持ち以上に、なんだが元気そうに見えるぞ!という、
震災直後では感じられなかった”華やかさ”なんてものを感じました。

それでも、いつも立ち寄る食堂は、ゴリゴリのコロナ対策での営業で、
10年頑張ってきて、今回のコロナは、やはり厳しいのだろうなと思うばかり。

旅の最後の目的は井戸。

岩手県沿岸部のすべての町から映画館が消えてしまったことを受けて立ち上がった、
古い酒蔵を利用し、映画を上映し、地域コミュニティの核を創ろうとするプロジェクト、
シネマ・デ・アエルのコアメンバーが新たに企画した、
「街に”井戸端”を復活させよう!」というクラウドファンディングを利用し達成したプロジェクト。
その井戸を見ることです。

この日偶然にもプロジェクトの代表の有坂さんに会うことが出来て、
こうしたプロジェクトの意義なんてものをあれこれ聞かせてもらえました。

そこで語られることのほとんど全てには「対話と共有」という原則が通底しています。

この「対話と共有」は、この旅を通して聞こえてきて、ボクも繰り返し使った言葉でした。

議論以前に対話。
決定の前に共有。

人間の力の及ばの震災というものを経験し、
社会での経験値や職業、もしくは政治信条なんてものも違う人たちすべての命が尊重され、
新たな社会を創ってゆかねばならない。

そんな状況に直面し、最適解を求め続けた東北の人たちは、
幼い発想で開催されるオリンピックでどうにかなってしまっている東京より、
確実に10年先の未来を生きていると思えた今回です。

たとえば、
・巨大防潮堤が造られる。
・砂浜が失われるのは身を切られるような思いだ。
・ならば、防潮堤のデザインを砂浜が失われるものに変えよう。

対話と共有をサボることなく重ねた結果、
ボクのようなものから見たら、なんて美しい風景なんだと思えるビーチが生まれた。

気仙沼の大谷海岸は”おもてなし”のTOKYOが本来目指すべき未来だと思いました。

あらためて、
復興とは元に形に戻すのでは無く、
みんなが願う未来を創造することなのではないかと。

それは、あの日から10年の今から始められることも多いぞ!と思った今回。

復興のお金が土木にばかり流れることに違和感を感じるも、
三陸を貫く高速道路には確かな意義を見つける。
ならばこれをどう使っていったら良いのかを考える余地を、
東北の人は握っているように見えました。

そんなちょっと未来の東北では、
イラストレーションやデザインがもっと必要とされるし、
そんな必然に答えられるものを作らなくちゃと思ったのです。

そんな話の続きは、9月ごろ絵と一緒にまとめてみますね〜

福島県郡山で『小池アミイゴ絵本の原画と花の絵の展覧会』


『小池アミイゴ 絵本の原画と花の絵の展覧会』
2021年6月3日(木)~7月4日(日)

みどり書房TSUTAYA桑野店内(エクセルシオールカフェ前スペース)
OPEN_9:00-24:00
福島県郡山市下亀田16-16 ・TEL:024-939-0047

3年前にリリースした絵本「うーこのてがみ」を熱烈に愛してくださる、
福島県郡山の書店、みどり書房さんからご縁をいただき、
絵本の原画展と花の絵、そして福島の風景を描いた絵なども混ぜた展示を行っています。

会場には段ボール屋さんがこしらえてくれた”うーこ郵便局ポスト“が置かれています。
絵本「うーこのてがみ」をご購入の方が、
お名前と連絡先を書いた手紙をこのポストに投函してくれたら、
ボクのサイン入りポストカードが届く、
そんなうれしいワルダクミを考えてくれました。

みどり書房さんのインスタでは、ボクが熱く語っているIGTV配信開始。
https://www.instagram.com/midorisyobou_ehonnomori/

コロナ禍でも何か出来ないかと願う、現場の皆さんの「必死」に答えてますよ〜。

さらに、
出版社から著作権の確認をしてくれた上で、
ボクの絵本の読み語りも随時配信してくれます。

アミイゴさんの『読み語り』動画配信スケジュール/著作権許諾済み
①『とうだい』作・斉藤倫 絵・小池アミイゴ 福音館書店
6月12日(土)12時〜0時

②『水曜日郵便局うーこのてがみ』 小池アミイゴ 角川書店
6月19日(土)12時〜0時

③『はるのひ』小池アミイゴ 徳間書店
6月26(土)12時〜0時

①②③→3冊post
7月3日(土)12時〜0時

*読み語りは記載の時間限定での配信になります。

TUTAYAと提携した大きな書店 みどり書房ですが、
その創業からの物語を、先代の会長さんからうかがうと、
なるほど!志を貫き今を生き残る熱い思いが伝わってきます。

今は、さらに未来を見据えて、
絵本がズラッと並ぶ綺麗な本棚を併設させたパン屋を開業。

地域の文化と食の起点となるべく奮闘されています。

そんな場所で絵本の原画展を開催させていただけること、
とても有り難いことであり、今後もこのご縁を深めて行けたらと願っております。

122ヶ月め


今日は2011年3月11日から3,714日
530週4日
10年2ヶ月
122回めの11日です。

コロナの感染状況が好転しない今、
ボクの身の回りからは「自衛」「工夫」「我慢」「撤退」などなど、
なんとかこの状況から生き延びようとする声が聞こえてきます。

また、被災地と呼ばれるエリアの、
飲食店を営む多くの友人の苦しむ声が聞こえてきます。

被災エリアの自然の豊かさは、生活の多様性を生み、
漁業と農業と工業と商業が混在するような社会構造だったり、
人口密集エリアと過疎のエリアとの生活様式の違いだったりで、
行政による一律の支援のあり方では、
その網の目から振り落とされてしまうことがあるようです。

もちろん行政も精一杯の施策を進めているはずですが、
個人としては、自身の無力を認識しながらも、
友の声に耳を澄ませるひとりであり続けなければと考えています。

そして、コロナ以降の社会を想像し、
やれることがあれば共に進めてゆこうと考えています。

かつて「復興オリンピック」と呼ばれた TOKYO 2020 は、
「コロナに打ち勝った証」と呼び名を変えられています。

「復興ってなんだろう?」
そんなことを被災エリアの友人たちと今も語り合い続けているのに、
「復興」もなんだか「消費」するものに思えてしまったことが、
なんだかとても悲しいです。

オリンピックには期待することもあり、
当初の「コンパクトな都市型オリンピック」という考えには賛同もしていたのだが、

コロナ以前に、猛暑の真夏の東京で開催ってのは、
無理しか感じられないんだよな〜。

多くの競技で、その最高峰の演技やゲームが、
各種競技団体が主催するワールドカップやツアー大会に集約される今、

オリンピック開催の意義とは、
アスリートだけでなく、観客や開催自治体の住民も主役であるということなんだろうと。

「復興」を語ったTOKYO 2020 には、
そうした人の顔が見えていたのだろうか?

「無観客」も検討されている今、
誰のためのオリンピックであるのか、
一瞬でもいいから歩みを止め、語り合うようなことがなぜ出来なかったのか。
とても残念でなりません。

5月に開催予定だった、子どもたちや障害も持った人とのワークショップが、
軒並み中止になってしまった今。

「自粛」という体言止めで語られていることの背景に、
真の責任者の顔は見えず。

言葉が足りぬのであれば、語り合えば良いではないかと思うも、
対話の糸口は見えず。

繰り返しになるけれど、
もちろん行政も精一杯の施策を進めているはずですが、
それでも、
「復興」や「自粛」を語り伝えるための、
より言葉にセンシティブな人材が現場にはいないように感じてしまうことが、
残念だなあ。。

震災の直後、
カオスのような状況の中からでも、
確かな人の声は聞こえてきた。

あの確かさが今生かされていないことが、
ただただ残念であるだけでなく、

確かのことを語る以前で、
反論やクレームを抑えるために駆使される莫大な文字列に出会うばかりの今に、
ただただ息苦しさを感じてしまうのです。

それでも、10年かけて築いてきた人との関係性を、
さらに風通しよく語り合える環境を育ててゆく。
自分がやるべきことは明快です。 

しょうわの子だま

ふくしま藝術計画 “わたしの好きな昭和”
アトリエしょうわのこども ~しょうわの子だま


2019年2月と20年2月、
福島県の奥会津、大沼郡の昭和村の子どもたちと、
放課後の時間を使ったアートプロジェクトを行いました。

 

2019年
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=13989
2020年
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=14282
http://www.yakuin-records.com/amigos/?p=14336

2021年もやりたいね〜という声があがるも、
COVID-19の感染拡大、特に後期高齢化が進む人口1,200名のほどの村に、
むやみやたらに近づくことは出来ません。

それでも、
それだからこそ、
子どもたちが社会と触れることの出来る窓を開けなくちゃって、
手紙を往復させて絵を描いていったら面白いだろうって、
アートの往復手紙”しょうわの子だま”を発想しました。

システムはごくシンプル。

子どもたちがあるルールに沿って絵を描き、
ボクに郵送。

そこにあるルールに沿った加筆を行い、
次のルールを添えて描いた子どもに返送する。

加筆されて戻ってきた絵を受け取った子どもは、
次のルールに沿ってさらに加筆をして、
きっと完成!


以下実際に。

手紙を使った絵を描く企画に参加表明してくれたのは、
昭和村の小学校に通う1年生から6年生まで17名の子どもたち。

彼らの元にボクから、
A4の画用紙とどんな絵を描けば良いのかの指令書が届く。

昭和村の子どもたちが指令通り絵を描き、
ボクに送り返してくる。

たとえば〜

こんなかわいこちゃんな絵がボクに届く。

これに加筆して、この絵を描いた子に絵を送り返す。

のだが、

実は、これに加筆するのは、ボクでは無く、
ボクが指名した日本全国に散らばる17組の”子だま隊”なのだー!

で、この絵に関しては、
ボクの元から次の指令を携え同じ福島県の福島市へ。


福島市からご参加は、
ボクの子どもワークショップを企画してくれたお母さんと小学3年生女子。

めちゃくちゃオープンマインドな母娘さんの加筆が、
これ。


で、
これがまたボクの元に届けられるのだが、
封筒を開けて見て、しばらく心がフリーズ。
もはや事件です。

で、こんなん昭和村の小学生に送り返して良いのか?
もろもろ心配ではあるが、
新たな指令書を添えて、えい!っと送付。


で、
昭和村の子どもにさらに加筆され完成。



うーーーん、
なにやら時代をぶっちぎった作品に仕上がったぜい。

どっかの美術館、収蔵せんかのう。

で!
実は、同様のことを”子だま隊”発信でも行っていたのでした〜

たとえば、

子だま隊さんへ、
四角いまどを線でかいてください。


これは茨城県の食文化を広めようと頑張っている藤田愛さん。
ボクが小山薫堂さんと行った仕事にスタッフとして参加していて、
現場にオープンな空気を送り続ける姿と表現のセンスの良さに感心し、
今はフリーランスで活躍しているところをスカウトした人。

ちなみに、
普段まったく絵を描いていないそうです。

これがボクを経由し、新たな指令とともに昭和村の子どもへ。

四角の中にまどから見える ふうけいを かこう。
すんでるばしょを、おもいっきりじまんしてよ〜


それに対して昭和村の子どもがが描いたのは、

「ああ、子どもの絵っていいね〜」って言われるやつ。
うん、ほんと素敵。
(こちらのスキャンは昭和村で行なってもらっていて、
色が違っちゃうのは「コロナのせい!」と叫んでおきますね〜)


で、
これがまたボクを経由して藤田さんのもとへ。

窓の外のふうけいを みてね。
そして、
まどのまわりに すきないろをぬって、
たのしいへやに しょましょう!

そしたら藤田さん。

じゃん!

かっわええの〜。。

まともに絵を学んでいたら、
こんなん絶対に描けない!

で、
“昭和村”発信と “子だま隊”発信、
それぞれ3つの指令がボクの家で交差する。

シンプルなんだけど、
割と混乱する作業です。

が、
そこにさらに2つの指令を発動。


鬼滅の刃が流行っている2021だからね〜、
鬼を描いてみたいよねー!
という、みんなの叔父心みたいなものね。

で、たとえば、


これは、大分県杵築市山香町の森に暮らすカナタさんの「きもちいいー」
うーん、
カナタさん、3歳だったっけかな。
もしやお母さんのマイカさんの手も入っているか?

マイカさんは、アイリッシュミュージックなどを奏でるフィドル(ヴァイオリン)奏者でもあります。

これをボク経由で、さらに指令書をつけて昭和村の子どもへ。


昭和の子どもの「子だまオニ」はどんなかな〜?


じゃん!
かわいいオニだね〜。

が、これを描いた昭和村の男の子は、
最初の指令に白紙を送りつけてきた子だったのだーー。

んが、
今回は「やるね〜!」だし、
もしかしたら初回の白紙も「やるねー!」なのか!?と、
自問する俺。

次なる指令と共に、昭和の鬼を大分に送付っ。

ヤギカナタさんとお母さんのマイカさん。
森の中の一軒家でお子さんを寝かしつけるような色彩で、
昭和の鬼を包んでくれました〜。


そんなこんなで、
1)「おーい!」「はーい!」セッション
2)「わたしの顔」セッション
3)「あなたの部屋の窓」セッション
4)「昭和の鬼」セッション
5)「お皿の上のおもてなし」セッション

以上、
それぞれ17人×2チーム、双方向からの発信で6往復。

ボクの手元でのシャッフルは郵送の作業、
かなり数学脳を酷使させちゃいました。

で、
ともかく今は手元に大量の絵があります。

この企画は福島県が主催で、
福島藝術計画_アートによる新生ふくしま交流事業
「アートで広げるみんなの元気プロジェクト 2020」として、
記録集の作成を行いました。

ただ、手紙を使った企画だから、ポストカード作ろうと、
12枚組セットを作成し。
企画の細かいところは、A3のポスター2枚に記載。
なかなかなかなか迫力満点な”記録集”が生まれましたよ〜


だが、
掲載出来ない絵がドーカーンと手元にあって、
これをブログで全部説明するのは大変。

あと、昭和の小学生の個人情報ってことも注意しなくちゃならず、
う〜〜〜む、
ほんと、1人ひとりおもしろいヤツらだし、
作品もどれも面白いのだが〜〜、、

これどうしましょう?


なんとかみんなに見てもらえるよう、
引き続きワルダクミますね〜〜〜〜。。

その前に、
とりあえずポストカードにした絵をご紹介。

三重県四日市のメリーゴーランドの”あそびじゅつ”チームの誰かと、
昭和村の天才6年生Tくんのコラボ。

 

シンガーソングライターのルンヒャンと、
昭和村、意外や男子くんとのコラボ。

はんこアーティストのあまのさくやさんと、
昭和村女子Kさんのコラボ。

ボクの池袋セッションに参加していた桜庭さんと、
昭和村キレッキレ小学女子のIさん。

前出、大分のカナタさんと、
昭和村の、なるほど〜、彼か。
大量に送りつけてくるメリーゴーランドからの子だますべてに、
丁寧に答えてくれた昭和女子Rちゃん。
塩釜のビルドフルーガスや杉村惇美術館を運営するキュレーター高田彩さんに、
うす〜い表現を送りつけた、なるほどキミか、Aくんか。
池袋セッションチームで写真家の岡本みどりさんと、
昭和村おにいちゃん格のSくん。
やはり池袋チームでWebディレクターもやってるエンブーさんと、
あ、これもIちゃんだったんだ。
宮城県気仙沼唐桑でカフェ運営と子育てに奮闘小山のりちゃんと息子さんのハルくんに、
なにも描いてない紙も送りつけたAちゃん。



誰かがつまずいた際に緊急出動したボクと息子のチームに、
福岡のアーティスト集団のあとリエブラヴォのTさん、
出足ノリの悪かった昭和村Tくんが絡んだすごいやつ。

ここまでの紹介でいっぱいいっぱい。
ともかく甲も乙もその言葉の意味を忘れるほど、
どれもこれもヤバイ絵が集まったのです。

最後に。
企画の途中で参加者に送った「子だまのコツ」を掲載しときますね〜