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180ヶ月め_会津から飯舘村へ

2026 年 3 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,479日
782週と5日
15年
180回目の11日です。

15年前の3月11日の夜の闇の中でボ〜ッと光を放つテレビやPCのディスプレイを凝視し、
「これは10年、20年かかるぞ」と直感したことは、間違っていなかったと思う今です。
今朝は論調に違いのある新聞2紙を買って読み比べしてみましたが、
震災から15年の記事の隣で、イラクで起きている戦争を伝える記事が辛いです。

15年前、自然の中で人はどんな存在であるのか、私たちは強烈な痛みと共に学んだはずです。
が、東日本から視線を広げて眺めてゆくと、人の死こそが目的のような行為が行われている。

あらためて、私たちは15年前の東日本の春に何を見て、何を感じ、誰と何を語りあったのか、
ひとつ大きな深呼吸をした上で振り返り、思い出す必要があると感じた、
気がつけばまだ180回目の11日です。

先日は福島県の奥会津から福島市、飯舘村と巡ってきました。」

福島県立博物館のご縁で2017年よりアートプロジェクトとして関わってきた奥会津の柳津町。
その公民館で開催された、奥会津エリアの伝統的な食文化に出会えるイベント「ままんま博」に参加。


雪深く冬の長い山間の土地で工夫を重ねられてきた、乾物、塩蔵、発酵などの技術で「生かされる」奥会津で採れる食材やはるばる海沿いの土地から運ばれる食材が、それを美味しくいただくために必要な手間をかけられ、おご馳走に変わる、当たり前にしてもはや貴重な知恵が、やはり美味しい。
美味しいだけじゃなく、この季節にこれを食べたからこその体調の良さが実感されちゃうのです。


今回提供された山菜などは、昨年の春のシーズンに山で採られたものだけど、
昨年はその採集に、福島県の都市部の子どもたちと参加するイベントに参加させてもらって、
生活圏である「その辺の山に生える食材」を採取するお母さん方の姿を、めちゃくちゃかっこ良く思ったんよね。

ボクは群馬県の赤城山の南麓、関東平野が始まるあたりで生まれ育ったんだけど、こんなお母さん方の姿は良く見てたし、実際に婆ちゃんの後について山歩きなんかもしていた。
が、高度経済成長が行き着いた先で、里山の知恵の多くは失われてしまったなあと。
自分史の中の最初の喪失として捉えています。

こうした喪失の裏には、残すべき良き文化を言語化出来ていなかったことはあるだろうなと。
確かに「良きもの」とは手間のかかる仕事で成り立っていて、しかしその多くが人ひとりを生かすような価値観のもので、決して大きな収益があるわけではなかったりします。

それでも、その不合理性の中に光る美しさは、やはり人を生かす力になるな〜ということは、この15年のフィールドワークから学んできたことです。


今回の「ままんま博」では、お二人の先生の講演会がありました。

登壇されたのは、ジャーナリストの森枝卓士さんと山形大学農学部の江頭宏昌教授。
どちらも食の研究のスペシャリストで、楽しい話ばかりであっという間の時間でした。最後に質問コーナーがあったので、ボクもひとつ質問。
「森枝さんは熊本の水俣出身で、江頭さんは福岡の北九州市出身。そのお二人が東北で食の研究をされ、今奥会津の柳津でこの地の伝統的な食について語られているのが面白い」みたいなこと。九州も東北も足繁く通った群馬県生まれのボクは、九州の方が「これ美味しいよ〜」などと言葉にしていろいろなものを食べさせてくれたのに対して、東北の方は「まあ食べてみてくれ」のような奥ゆかしい振る舞いをされる方が多いなと。群馬に至っては「うまいもんなんにもねえけんどな」みたいなひと言から食を勧められることばかりだったなと。

森枝さんも江頭さんも、東北とは長いお付き合いだけど、それでも食を楽しそうに語る姿が、やはりボクの知る九州人だなあ〜と。

こうした異文化の交流の中で、『私たちの日常』にはどんな価値があるのか、これからさらに加速させ言語化してゆく意味を感じた、美味しい、おいしい、ままんま博でした。

会津からの帰り道に猪苗代駅で途中下車、「はじまりの美術館」へ。

この日から始まった『日本各地の福祉作業所で生まれたグッズの展覧会』福祉とアートの手しごと市「ぐつぐつグッズ わくわくアイデア」がとても楽しい内容で、自分が関わることの多いジャンルでもあり、多くの学びを得ました。


自分が障害を持つ作家さんと本格的に何かやるようになったのは、福岡のアトリエブラヴォに勤めていた原田さんと出会ってから。
「インクルーシブ」なんて言葉が世の中に無かった時からそのオープンなマインドをフル回転させ、インもアウトもごっちゃ煮させた状況創りをしていて、自分も自然と巻き込まれた感じ。

あの頃すごいなと思ったアトリエブラヴォの「当たり前」は(それ以前から活躍されていた”たんぽぽの家”や”工房まる”などなども含む当たり前)が、20年経ってかなり日本の当たり前になり、10数年前に設立された「はじまりの美術館」を飾っている。

グローバルの意味がかなり変わって聞こえるようになった今、自分は引き続き日本ローカルを歩き、必要とされることを仕事にしてゆきたいなと思いました。

で、ふと、飯舘村に行っておけたらいいなと。
調べてみると「路線バスで行けるんだ〜〜!」これまで数度訪れた飯舘村へは、すべてどなたかの車に同乗させてもらっていたので、今回初めて自分の力で行って歩いてみることにしました。ということで、福島駅前で一泊。

2026年3月7日土曜日の夜の福島市街、人がたくさんで多くの店が賑わっていました。

ボクの初めての福島市は2012年1月。
息を潜めるように雪に覆われていた街の印象は、福島に知り合いが出来る度に更新されて行ったのだけど、それでもコロナ前辺りまでは、知り合った人たちの姿しか見えてなかったはずです。

が、ここ数年で「福島ってこんな活気ある街だったんだね〜」と気がつく、名前を知らぬ多くの人の姿に目が行くようになって、今回。

この賑わいの先、飯舘村で何を見るのだろうか?答えを先回りせず歩けたらいいなと思いました。


福島駅から飯舘村中心地へはバスで1時間10分ほど。
1日6往復のバスが、福島-飯舘-南相馬を結んでいます。
途中福島市内の翁病院を経由しているので、かなり重要なライフラインとしての路線バスなんだろうね。

で、飯舘村までは体感すぐ着いてしまったという印象。

車で送ってもらっていた時も同じなはずだけど、路線バスでストレスなく着いてしまうということは、このエリアの通行量がまだまだ少ないってこともあるんだろう。
なんだけど、途中の山間の道から見える風景は美しく豊かで、若くて初めて来る人にとっては15年前にあったことを想像するのが難しいのではないだろうか。


阿武隈の山並みを縫って、「水境」という地名を超えると飯舘村。

フッと空気が変わる感じがするのは、この土地に生きてきた人たちが地域に与え続けてきた愛の力によるものだろう。


この日はかなり強く冷たい北風が吹いていて、よそ者の自分は「いい加減な気持ちで見てまわるなよ〜」と言われているようです。


農業用にまっすぐに掘られた川面に北風が起こす波紋がキラキラと。
やはり歩かなければ知れないものはあるね〜

歩いてゆくと、健康のために歩いているお年寄りとすれ違うことが数度。


ガス燈のようなデザインの街灯が、山を縫うように走る道沿いに連なって建てられているが、これはいつ設置されたものだろうか?検索してみると震災後のようだけど、後でも前でも、この土地にこのデザインのものを設置した方が良いと考えた人がいたってことなんだよな。歩いてゆくと、お地蔵さんや何かの石碑に多く出会う。

役場前はアート作品が多く設置されていて、設置年を見ると1993年あたり、役場が新築されたのと同時期に設置されたのが多いみたい。
公民館のような施設だろうかには、やはり1993年に故郷創生事業として制作されたレリーフなどが設置されたいた。
竹下内閣の故郷創生事業は1988~9年あたりだったが、そのお金で作られたのかは不明。
アニメキャラを堂々と描いたモニュメントに著作権の問題はあるだろうけど、けど、誰かが「ここにこんなんあったら子どもがたちが喜ぶだろうな」などと願い設置した。なんて想像すると、泣けるぜ。

これまでは車でサッと通り過ぎていた街を歩くと、なるほど、空き家はあるなあ〜。
最近まで帰宅困難エリアが残り、現在も村人の多くが帰村できていない飯舘のリアル。

なんだけど、
点で見るから引いて眺めるまで、どこをどう見てもここが美しい場所であることがわかる。
そしてその美しさは、この土地を愛した人たちの手が入っているからこそ保たれれ来たことがわかる。
その愛の手は、2011年の原発事故後も、可能な限りこの土地に入れられ、この村を保ってきたってことが、痛いほどよくわかる美しなんだ。

村にはやはりあちこちに石碑があって、それは「ここに石段を造った」とか、「ここに灌漑施設を造ったとか」「ここに学校があった」とか、「ここで唄が生まれた」とかが記されている。


阿武隈の山間の土地に可能性を感じた人が入植し、灌木の林やごろごろ転がる大きな岩を排除し、田畑を切り開いて生まれた美しい村、飯舘。

今の都会の暮らしと比べて不合理に見えてしまう暮らしの細部に「ここで生きる」というプライドが宿っていたのが、やはり切実に伝わってくる。

ここでは、昨日会津の柳津のお母さんたちが作っていたような『この場所だからこそ』の食べ物があったんだろうか。
15年より前の飯舘を知らぬ自分です。

が、そうした人が大切にしてきたことを、札束なのか便利さなのかの定規で計り、いわばバカにするような振る舞いでやってきてしまったことがあった。

そして、そこで生まれた電力を使って生きていたのも自分なんだよな。

15年前に気づいたはずのことを、あらためて自分の足の裏と、強烈な北風に教えてもらった飯舘フィールドワーク。

それは自分がまだ子供の頃に失ってしまったと思った故郷のことをあらためて考えるきっかけにもなるし、きっかけにしなくちゃ人間としてどうかしているってことだぜ。

うん。まだたかが15年。たかが5,479日。
やること、やれること、やるべきことばかりだ。

昼メシはこれまで何度か行ったうどん屋で。

日曜の午後。
工事で飯舘に入っているおっちゃんグループが、帰り際に「ここのは日本一うまいうどんだ」と言って金を払っていたけど、自分の心の中で「そーだ、そーだ!」とエールの交換。

このうどんが食えるなら、次は花の季節か草萌える頃かにまた来ます、飯舘村。


今日は強い北風の中、健気に咲くオオイヌフグリの花がまぶしかったぜ。

158ヶ月め

2024 年 5 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,810日
687週1日
13年2ヶ月
158回目の11日です。

4月21~22日は福島県飯舘村フィールドワーク。

一昨年の秋に始まったプロジェクトとして6回目のフィールドワークは、
3月17~18日に続いて今年2度目。

今回初めて福島県立博物館の学芸員チームと村内で一泊し、
村内在住者と多くを語り合う時を得ました。


6度目のフィールドワークで初めて、
「美しい春の風景だな〜」なんて心より思えた自分は、
原発事故以前の飯舘村も、原発事故から10年の飯舘村も知りません。

なのでしょうがない、
今見えるものがすべてであり、今見えるものは当たり前では無い。
そんな心持ちで風景に向き合います。

ということを飯館村だからではなく、
自分の場合どんな場所でもやっているんだろう。

そんな飯舘村に対して無責任な存在の自分だからこそ出来る表現があるのか。
それは誰かの助けになったり、生きる力になるのか。

その答えは先回りすることなく、
やはり「見る」「聞く」「感じる」といったことを優先ですね。


菅野宗夫さんはNPO法人ふくしま再生の会の副理事長を務める飯舘村の農家。

原発事故前は畜産も行うも、現在は農業に専従。
自宅敷地に地域再生のために村に入る学生などのベース基地を設けています。

奥様は「この春震災後年初めて集落で子供達の声を聞いた」と。

それは何かの企画で村外から集まった人たちの子どもだったけど、
それでも嬉しかった。

しかし、元々村で生まれた子どもは、もう高校生だったり成人になったりしているから、
もうここを故郷なんて思う記憶が無いよ。と…


でも、どうなんだろなあ〜〜、

自分は群馬県の長閑な養蚕地帯で生まれて、
5歳、6歳くらいまで、今振り返れば実に美しい人里の景色抱かれ育ちました。
が、高度経済成長が行き着いたあたりで、一気にその美しい風景が失われ、
いつも遊んでいた川から腐臭が漂うになった。

その喪失感と、忘れられない美しい記憶とで、
今こうした飯舘村を美しいと思って見ているし、
そうした風景が復活することを願って活動している。

だから、未就学で飯舘村を後にした子どもにだって、
飯舘に戻ってくるモチベーションはあるはず。

そんな話をしました。

そして、
これは飯舘の方に叱られてしまうかもしれませんが、
戦禍や原爆で失われたことも、高度経済成長やバブルで失われたことも、
実は飯舘と地続きのことであり、
だから自分はここまでやって来たんだろうと思ったのです。

ところで飯舘の民謡ってありますか?と質問。

宗夫さんが、お父さんが唄ってる動画があるはずだと調べてくれました。

2012年6月、飯舘村の田植えの後のサナブリ。菅野のおじいさん89歳が新 相馬節を披露しました。

展覧会「ハルカラ」会津巡回

2023 年 9 月 2 日 土曜日


福島市の飯舘電力のギャラリーオフグリッドでの展覧会「ハルカラ」は、
昨日無事に会期を終えました。

暑い中お運び下さった皆様、ありがとうございました。
そして展覧会は会津へ!
オフグリッドの作品と食堂ヒトトで展示の絵本の原画を3箇所、
福島会津の良心と呼びたい場所にに分けて展示します。
「ハルカラ_」小池アミイゴ 展覧会
飯舘・喜多方、春から秋へと巡った絵による記録。
at“カフェ天空回廊”
・9/8(金)〜10/23(月)
・10:00〜15:00
*定休日_火・水・木
*臨時休業:9/16(土)
〒966-0861 福島県喜多方市字寺町4761
大和川酒蔵北方風土館 天空回廊2階 カフェ天空回廊
昨年9月の飯舘村~喜多方の取材旅から春、夏と描いてきた福島の風景や花の絵を展示します。

「ハルカラ」小池アミイゴ 花の絵展  at“紺と種”
・食堂 9/14(木)〜10/23(月)
・蔵gallery 9/14(木)〜17(日)
・11:00〜17:00
*定休日_火・水
〒965-0042 福島県会津若松市大町1丁目3−19
TEL 0242-93-5820
日常なにげなくめにする花に思いを寄せた絵を展示すます。
作品にちなんだ期間限定のスイーツや、ワークショップの開催も予定しています。

「ハルカラ」絵本の原画展
“食堂つきとおひさま”
・9/7(木)〜10/23(月)_(休_火・水)
・11:00〜18:00
*定休日_火・水
※10/9(月祝)は都合によりお休み
〒966-0871 福島県喜多方市字寺町南5006番地
TEL 0241-23-5188
Mail info@tukitoohisama.com
福島の風景にインスパイアされた絵本「はるのひ」の原画を中心に、花の絵なども添えて展示します。
期間限定で作品にちなんだごはんとおやつが登場。ワークショップも開際予定です。
アップした絵は喜多方の秋の景色。
大和川酒造の佐藤彌右衛門さんにご案内いただいた「豊かな会津」に圧倒され、車からぼ〜っ眺めた琴平山。
自分の絵のメンターである長沢節出身の会津は光が綺麗で、自分の筆がまったく追いつかず、、
2枚めは只見の花の絵。
自分の会津は2016年の奥会津取材から始まりました。
山深い町只見の光が強烈に美しくて、なんでも無い路肩の花も特別なものに見えました。3枚めは絵本「はるのひ」から。
自分の生まれ故郷の群馬の風景をベースに、大分や台湾での経験を生きた絵の世界ですが、
子どもワークショップを続けた奥会津エリアの柳津町や昭和村の、ローカルなスケール感や、
季節ごとの色彩や光からも大きな影響を得ています。

特に喜多方の大江ファームでワークショップをさせて頂いた時の経験は、
「はるのひ」のいくつかの重要な場面に反映されています。

ご縁をいただいてまだ7年ほどの福島の会津ですが、
ボクの人生をとても豊かな色で塗り直してくれた場所へ、
今回ちょっとだけお礼を伝えるチャンスを頂きました。

149ヶ月め

2023 年 8 月 10 日 木曜日


今日は2011年3月11日から4,536日
648週
12年5ヶ月後
149回目の11日です。

10日に東京から福島市に移動し、
11日の今日は現在会開催中展覧会「ハルカラ_」でワークショップとトークショーです。

ギャラリー・オフグリッドでの展覧会や企画の詳細はこちらでご確認くださいませ。
> http://www.iipower.jp/index.html

2011年3月11日の夜、
「これは10年、20年とかかることだ」と直感し、
震災は原発事故で困難な立場に置かれた人たちに対して、
先回りした発言や行動はせず、ただただ気持ちを寄り添わそうしたら、
「あの日から」12年5ヶ月めの日に、
福島市の再生可能エネルギーの電力会社のギャラリーで、
ただただ描いてきた東北の風景や花の絵の展覧会会場にいる自分です。

そんな極個人的な物語が東京のような場所ではまったく「ウケなく」なっている、
「今」というものを認めざるを得ない、あれから12年5ヶ月でもあります。

あらためて「興味無くなったんだ」と寂しく思うも、
でも、ほんと、まだまだやれること、出来てないことばかりなので、
やるしか無いんよね。。

東北や福島に限らず、
生きている限り良き出会いから受け取る美しきものはただただ儚く、
その一瞬の輝きに触れることは、ただただ豊かなことなんだよ。

が、それを表現しようとすると、
言葉でも絵でも難しい、

しょうがねえ、やっぱ続けるしかないか〜。。

冒頭にアップした絵は、
この展覧会を作るに当たって、去年9月に初めて飯舘村に行った帰り、
喜多方に移動する道で見た夕空。

飯舘の美しさを見つけようとして、しかし、その道中の風景に心を奪われる。

そうした揺れや誤差の中に、人というものを考え始めている12年と5ヶ月後の自分です。


今回も生き物のような展示空間にしたギャラリー・オフグリッドですが、
7月25日の設営の際に忘れてきたり間に合わなかった作品を持ってきました。


これは初日から展示している飯舘村比曽の田神社3月の風景。

展覧会に足を運んで下さった飯舘村の農家さんが、
絵を見ながら飯舘での農業や生活、どんな花が咲くとかどんな祭りがあるなんて話をしてくれました。

なんちゃーなくとも「描きたい」という気持ちの込められた絵の前で、
人はこれだけ穏やかに、豊かに語ってくれるんだな〜。

2011年3月11日以前の東日本を知らぬ自分は、
そうしたお話の中から、これから生きるのに必要なことを見つけ、
出来れば美しい絵を描きたいと思っています。

震災後、東京などで繰り返し出会って来た1枚の絵の前での語らい。
12ねん5ヶ月後の福島でやっと一歩です。

で、今回描いたのは同じく飯舘村比曽の田神社7月の風景。

飯舘電力のソーラーパネルが、自然や人の生活と美しく調和して設置されている村も、
福島第一原子力発電所の事故被害から、なんとか次のフェーズに移る、そんなタイミングに見えます。

が、そんな村の植物の勢いに負け、絵が甘くなっているなあ〜、俺。
どうしたらこの緑の力強さを表現出来るのだろう。

2023年8月11日のワークショップやトークショー、
自分にとっても次に向かう力にしたいです。

 

 

 

146ヶ月め

2023 年 5 月 11 日 木曜日

今日は2011年3月11日から4,444日
634週と6日
12年2ヶ月
146回めの11日です。

今日は都営新宿線菊川駅まで。
先日、恵比寿の影丘の家がSNSで発信していた、「元水曜日のカンパネルラのコムアイさんが企画した太陽光パネルと一緒に寝そべる子どもワークショップ」が気になって問い合わせ。

協賛されていた太陽光パネルなどを扱う株式会社アイジャストをご紹介頂き、

代表の辻さんとマーケティングなど担当する早川さんに活動の詳細を伺ってきました。

いや、ものすごく面白かったな〜!

それを語る前に、
菊川の駅に着くまでの車内でタイプした「今日のブログ用のテキスト」を、まずは。

ボクは8月から9月にかけて、福島県の福島市を拠点に、飯舘村や喜多方市で展覧会開催を目指しています。

これは、これまでボクを福島の奥会津での子どもアートセッションを企画し続けてくれた、福島県立博物館のバックアップの元、自然エネルギーの飯舘電力とのコラボとしてカタチにしてゆくものです。

テーマとして「もっと再生可能エネルギーを知ってもらいたい!」は当たり前として、よりフォーカスしたいのは「自分たちが生きる社会はどんなのが良いだろうね?」と考えることの出来る場所創り。

綺麗な絵があって、世代関係なくなにか楽しいことが行われ、出来れば美味しいものもあればいいな。
そんな場所でオープンに語り合うことで、みんなが望む世の中の姿に自然エネルギーというものが自然と噛み合ってくれたらいいのだろうと。

そうした場所作り(展覧会作り)に向けて、これまで「電力」を語る際の「国を発展を支える基幹産業」「水力、火力、原子力」といったマッチョな枕詞だけでは無く、「生活を共にする気のおけぬパートナー」くらいの言葉で語れる裏付けを見つけ出さなければだな〜。

もちろんそんなこと自分1人で出来るわけは無く、自分は自分が得意とする絵や、それを描くための目とか駆使し、やはり人がオープンに語り会える場所創りを、地道にやってゆかねばなんだよね。

+++

さて菊川のアイジャスト到着。


代表の辻さんが語る電力の話、
自分が電車の中で整理つけようとしていたことを片っ端から端的に言語化してくれてビックリ!

日本の場合、電力は大企業のために作られているようなものだが、
電力の多くは家庭で使われているので、女性に向けた言葉で語られなければおかしい。

そんな自分に足りないところを、女性スタッフの早川さんがフォローしてくれ、
「だれでも電気を作って使える使い勝手の良いシステム」を開発。

家の片隅にポンと置けるキャリーケースの中に、
太陽光電力を溜め込み使えるためのオフグリットシステムを収納。
太陽光パネルとの組み合わせで、ゴハン15杯は炊けちゃう電力が手作り出来るだって。


で、充電が切れたら自然と家庭用コンセントと切り替えられるシステムも搭載。

とうことは、このシステムを複数縦列させることで、
ひとつのシステムの電気を使っている間に、他のシステムが充電可能。

ということは、日の光がある限り電力供給が途絶えることが無いということだと。

このシステムと現在ある再生可能エネルギー電力会社の電気を併用したら、
かなり気持ちの良い世の中になるんじゃないか。
みたいな話。

面白いなあ〜

現在50万円ほどで販売可能なこのシステムだけど、
とりあえず日本の全ての家庭に無償で配布した上で、
日本のエネルギーのことをあらためて考えるなんてことしたら、
いいんじゃないかな〜。

そんな予算が国にあるかどうかは置いといて、
それくらいの発想をする政治なり経済の、ほんとに偉い人出てこないか〜!

なんていう、思いっきり飛躍した会話ができたのがうれしい。

そうなんだよ。

頭がとても良い人が一生懸命考えて、
言葉や数字を並べて「これやるべき」とか言うのと、

こんなシステム考えたんだけど、みんなどう思う?
とか、
こんな絵を描いたけど、みんな勝手なこと話して〜

みたいな合意形成のあり方、
どっちが面白いかな〜?

きっとどっちも必要だと思うのだけど、
なんだか前者の方が偉そうにしてるし、
人のこと気にする事無くやれちゃうから、
言葉や数字で人を殴るような合意の現場が氾濫しちゃっていたのだろう。

が、もう変えなくちゃだ。

その他面白いお話を、知恵熱出るほどたくさん伺ったけど、
その辺は追って整理して言葉にしてゆくけど、
本日早川さんが放ったキラーワードを。

「電気ってだれでも作れるって知ってもらいたいですねっ!」

なんだか地面から生えてきた言葉のようだぜ。


飯舘村や飯舘電力に関しては、
昨年9月をキックオフに、今年の3月と4月もフィールドワークを重ね、
関わるみなさんともミーティングを行い、
今後どんなことをしたらいいのか朧げながら見えて来たところで、
今回の取材。

やはり人との出会いは大きな財産であり、
自分の絵やイラストレーションは、そうしたご縁の背中に必死で喰らいつき、
必要あれば関わるみなさんを温めるものであればいいなと願っています。

というわけで、
この話はまたあらためて。

 

 

144ヶ月め

2023 年 3 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から4,383日。
626週と1日
12年
144回目の11日です。

この12年で7回目の開際となる個展「東日本」
本日3月11日が最終日。17時に閉廊になります。

写真の真ん中の大きな絵は、
震災から10年後の2021年夏に福島県浪江町で自生を始めた絶滅が危惧されている”水葵”の群生。
報道に出会い、常磐線に飛び乗り見にゆきました。

それを見ているのは、福島市の食堂「ヒトト」の立ち上げに尽力された大橋さん。

栃木のSHOZO COFFE のスタッフで会った時知り合い、
震災後「福島の力になりたい」とUターン。
3月11日以降の福島の等身大の情報を共有してくれる仲間のひとりです。

「あの日から12年」と語られる今日。
そんな友人の存在を日本の各地に感じられることを、とても豊かなことだと思っています。

そして、やれること、やるべきことはまだまだあるな〜と。

少なからずの絵が売れている今回の展覧会。

その売り上げは、
たとえば明日福島に移動し行う飯舘村のフィールドワークに充てます。

昨年9月に再生可能エネルギーの “飯舘電力”の案内で巡った飯舘村

震災後色々な土地を巡ってきましたが、
飯舘には他の場所にある何かが欠けているように感じました。

その欠落をボクが埋めることは出来ないはずですが、
飯舘にあるものを「アート」と呼ばれるものを働かせて埋めることは出来るのではと。

現状「なにかやる」としか言えない状況ですが、
そこには自分のお金と時間を注ぐ意義があることは直感できています。

それは、2011年3月11日の夜の暗闇の中で感じた直感と似たものであり、
それは自分だけでなく、
自分の息子の未来なんてものにもコミットするものであると思います。


そんなこんなの会話を、北海道、岩手、福島、栃木、群馬、長野、大阪、愛媛などなど、
わざわざ遠方からお運びくださる方と思いっきり出来ている展覧会。

今日の5時間、大切にしますね!

「東日本」season7小池アミイゴ2011年3月11日からの展覧会
2023年3月2日(木) – 3月11日(土)
open 12:00 – 19:00 最終日~17:00マデ
SPACE YUI
〒107-0062 港区南青山3-4-11 ハヤカワビル1F
TEL.03-3479-5889

ところで3月15日は地域の落書き消し。
自分が「被災地」と呼ばれた場所で掴み自分の暮らす地域に投下したことを、
地元小学校の6年生がキャッチしてくれ、自主的な取り組みに変えてくれたので、
当たり前のオトナとして当たり前に熱烈応援。
東京代々木は「被災地」と呼ばれる場所と地続きであります。

 

139ヶ月め

2022 年 10 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から4,232日
604週4日
11年7ヶ月
139回めの11日です。

今は北海道の知床斜里駅の待合室でPCをタイプしています。

5年ぶり2度目の知床では、前回と変わらず生きると死ぬについてい考え続けています。
そのことについては後ほど、心を落ち着けて言葉にしてみますね。


先日は福島県へ。

今回は震災後に企業された再生可能エネルギーの電力会社と「何かできないか」そんなオーダー。

福島県飯舘村-喜多方市-福島市、飯舘電力、会津電力と電力会社を巡って行くと、
最後は美しい田んぼの風景に出会った取材旅でした。

ほぼ白紙の状態から1年間かけて、福島が必要とするであろう「目指すべき新たな幸せの風景」を掘り起こし、アートやイラストレーションやデザインというものをハードワークさせ人々と共有させる、なんてことが自分に出来るかどうか。


ただ、今回お世話になった皆さんの「福島をなんとか良い場所にしたい」というマインドの熱量すごくて、「これは引き続きハードワークしなきゃならないぞ!」であります。

皆さんの福島県を再エネ先進地に育て、サスティナブルなライフスタイルを実現しようとするマインドの熱を、美味しい料理を作るのに使うのか、煮湯にして誰かにぶっかけるのか、デザインやアートなんでもものの働かせ方はそんなところにあるんだろうと、皆さんとのディスカッションの中から感じました。

今回「デザイン」というワードで2つ。
地元の再生可能エネルギー電力のソーラーパネルが、自然や人の生活と調和させるよう建てられいるのに対し、
(写真は会津電力のもの)
首都圏のマネーで建てられているものはどうしても暴力的に見えてしまうなあ。
震災後のニュースで何度も何度も耳にしてきた飯舘村だけど、
その形は「福島第一原子力発電所から北西に流れる風(雲)の形で覚えていたのだが、
実際はジャガイモのような形だったぜ。


これは、熊本の水俣をモノクロでしか知らなかった関東者の自分が、実際に水俣に行ってみたら、とても美しく場所だったことを知った時と同じく、「ごめんね」という気持ちと共に、知らないことの罪を感じました。

今回のフィールドワークを通してガツッと言えることは、
「福島は東京なんかのずっと未来を生きてる」ということ。

なんつったって皆さん、あれから絶えず考え続けている。

飯舘電力と会津電力は別の会社だけど、協働のような関係にあるんだろうか。
関わる皆さん同士がとてもオープンに語り合っているのが気持ちよかった。

会津電力の母体は北方市の大和川酒造。
酒造りは人と米と水が必要で、それを会津の土地の力で賄っているということで、

サスティナブルな試みの先駆者と言えるのだろうね。

そんな酒と似た味わいの電力なんて観念が生まれた楽しいだろうな〜

酒造りと電気作りがどちらも幸せなものであるよう、
され自分は何が作れるのだろうか?


今回、良いものを見ただけじゃなくて、
震災後に被災地と呼ばれる場所に投下された大きな力で歪んで見えるものも出会いました。

ただ、自分はそうしたものに抗うより、そうしたものを乗り越えちゃう、
なんなら地面に穴掘ってすり抜けるとか、そんな楽しい力が湧き出すようなことをしたいね。


ともかく目の前には「白紙」

自分の仕事のあり方も創造するようなチャレンジを、今までやってきたどんな仕事より楽しくやれたら、
息子たち世代が笑顔で歩ける獣道の一本も描けるのではないかと、自分に期待しています。