18年


先日は東京地方の記録的な大雪の後
亡くなった伯父を見送るため
北千住からの急行で群馬へ向いました

別れは哀しく淋しいものですが
会葬を通して多くの懐かしい顔に再会出来たことは
伯父の人柄や人生をかけて尽力してきたこと
そのものの反映であり

死者を見送る事は
その「生」を確認することなのだと
あらためて思いました

東京と群馬の往復の車窓で出会う関東平野の雪景色
ボクがその中から大らかな美しさの風景ばかりに目がいったのも
(ボクが伯父との直接の関係の中で
 そんな雪景色に出会ったことが無くとも)

やはり大らかな人柄であった伯父の記憶が
ボクにこの風景を見せてくれているんだと思いました

そうやって景色の記憶を積み重ねて絵にすることが
いつかボクの「生」となるのかもしれないし
生きることの意味のほとんどは
そんな景色に出会うことなんじゃないか?
そんなことを思いました


今日は1月17日でした

阪神淡路大震災から18年

その18年の時の流れの早さに
あらためて驚き

しかし
伯父が見せてくれた雪景色の
心に感じる温度や密度を思うと
その「早さ」に流されてしまうことへの違和感を感じ

そういえばと
2年前に他の場所で記した文章を思い出しました

以下テニオハを正しながらも
ほぼ当時のコトバそのもので再掲載してみます

「16年」

たとえば
今から21年前の1990年に立ち
16年前の1974年を思うと
それははるか昔のことの様に思えるのだけど

2011年から1995年の1月17日を思うと
それはつい5年とか3年とか前の出来事のように思われるのだなあ

それは単にボクが歳をとっただけのことなのだろう

だろうけど
ちょっとシャクに思い

先日ボクより10才とか15才年下の人たちと会食した時
ためしに1995年辺りの記憶の話をしてもらったら
みんながみんな「つい最近のようだ」と

では「それはなんでだろう?」て話になり
「あーだ」「こーだ」と

で、
思いついたのは

『接する情報が莫大に増えたこと』

「情報」って言っても
単に文字数や画像の枚数だけじゃなくて

画質の向上した写真や映像から読み取る情報量が
昔のものとは比べようも無いほど大量のものだったり

携帯やメール、ネットなどパーソナルな情報が
ゼロから無限大に近いイメージで増えたり

1つの情報でもコピーペースを繰り返され
拡散拡大で1人では手に負えないモンスターに成長

ボクたちはそんな1つヒトツを消化出来ないどころか
次から次へと押し寄せる情報の波に押し流されているだけだったり

出会った1コ1コにケリをつけ過去に葬り
それを土台にして次を創造してゆけたらいいのだけど

スベテが無責任に投げ出されたまま
日常のあちこちに漂い
「なんとなく」の方に向かって流されてる感じ

たとえばチャート上位にランクされる音楽

大量のコトバや音が圧縮されてる割に
作り手の“匂い”や“熱”や“手触り”が感じられないものばかり

そんなのを消費さえするヒマも無いまま
生活の現場のあちこちで押し付けられる

ひとつの唄に「懐かしい」なんて感情を持つ前に
コマーシャルに乗って繰り替えされたり
カラオケでギャンギャン唄われてしまったり

ボクらの16年の記憶も
気がつかぬまま圧縮されてしまって

結果
「懐かしい」という感覚を失ってしまったのかもしれないね

もう少し言ってしまうと
「1人の個性」だって
圧縮されたキャラのコピーペーストでしかなかったり

しかし
2011にあっても
1人の個性が普通に持ち合わせているはずの
ちょっとした勇気を持って
その辺に漂う情報に手を突っ込んでみれば、
そこに“匂い”や“熱”や“手触り”やなんやかんや感じられるはずだと
ボクは思うのだな

阪神淡路であったこと
テレビやPCのディスプレーでは見えてこないもの

決定的に足りない便所に溢れる排泄物の匂いとか
風呂に入れぬ人の体臭だったり
実はケミカルな匂いが胸を突く焼け落ちた民家だったり
後片付けで指に刺さった小さなトゲの痛みだったり

色んなものが先回りして説明してくれちゃうから
ディスプレーのこちら側で見落としてしまうけど

1995年の1月17日に“その場所”にいた人の“時”は
今も止まったまま
人としての臭いを放ち続けているんだ

しかし
ボクたちはそんな情報を『いつでも選択して手に出来る』という
勘違いをしたまま
圧縮された情報の口当たりの良さだけを消費してゆくのか

自分に置き換え考えてみるために
情報の激流の中で立ち止まり踏ん張ってみるのか

少なくとも
1人ヒトリ違って当たり前の時の流れが
つまらぬ価値観でせき止められ
澱んだ沼に押し込まれてしまうのは嫌だ

そう思った

2011年1月18日 記

+++

これから2ヶ月もたたない3月11日
東日本は震災と津波と原発事故に呑まれたんだ

あらためて
伯父が見せてくれたパーソナルな雪景色
大切にしてゆこうと思う

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