虐待について


今日まで4日間「その辺に咲いていた花の絵」の展覧会でお世話になった
千葉の習志野の林檎の木さんのことや
10月10日にそこで行われたワークショップやこじまいづみさんのライブのこと

その熱いLOVEの塊のような記録を書く前に

雑誌「婦人公論」で“緊急連載”としてはじまった“虐待”(児童虐待)についてちょっと

まず、作家の柳美里さんが、
自身が受けた虐待と、
その連鎖として一線を越えてしまう自分のお子さんへの虐待について、
カウンセリングを受けながら綴ったノンフィクション「ファミリー・シークレット」

そこに描かれた虐待のメカニズムについて、
苦しみ吐き出すようにして語っています。

『子供は、私を無視する“暴力的な存在”なのです』と書かれた大見出し

それを見て「もうダメだ」と思い
それ以上読む気にならない方もおられると思います。

しかし、
ボクたちは「結婚も出産も育児も、スベテ幸せでなければならない」
そんな脅迫を受け続けてきてはいないでしょうか?

そんな中で、
本来当たり前に難しさを抱えている結婚や、
当たり前に危険と隣り合わせのマタニティーや、
どうしようもなく思い通りに行くはずの無い育児などに対し、
過剰な「おめでとう」や脅迫的な「ハッピー」が降り注がれる。

そんなことになってしまったのって、
たかがここ20数年のことのはず。

1986年のバブル経済の開始前後くらいからのもの。

ようするに
「おめでとう」と「ハッピー」も経済用語として
金を生む魔法のコトバに変換されてしまったんだと思います。

結果
子供に対して手を上げてしまう引き金が
生活の至る所に仕掛けられてしまったんだと思います。

もちろんそれ以前にだって虐待はあって
身近でとんでもない修羅の絵を見たこともあります

ただ、1つの山を越えたら少しは希望の光が見えるだけの余裕が
社会の中に残されていたはずだって記憶してます。
(高度経済成長期というモンスターな時代であっても!)

しかし、今は1つの暴力が次の暴力を生む連鎖が、
とてもイージーに、そしてその芯の部分ではとても陰湿に、
繰り返されていってしまっているのに、
社会がそれを断ち切るシナヤカさを忘れてしまっているんだと思います。

シナヤカさが無いくせに
思いっきり肩肘はって「ハッピー」を叫んでいる

そんなことしたら
ポキッと折れたりブチッと切れてしまうよね

ここのところ立て続けに起きた死に至る児童虐待事件

その加害者である親の犯したことに関して
怒りや憤り以外の気持ちはありません

ただ、
その加害者であるお母さんらしき人が
実は子育てに対して真面目であったらしい
ということに頷くのです

『“真面目に”テレビで見た「幸せな家庭」を作らなければ』

そんな真面目

大阪で置き去りにされ亡くなってしまったフタリの幼児
そのお母さんらしき23才の“女の子”が
ブログで育児について「幸せ」と書き綴っていたことに
とても心が痛みました

「赤ちゃんと一緒にいると、とてもハッピー!」
「だけど、育児がこんなにタイヘンだったなんて、話が違〜う!!」
「ダレか助けて〜〜!」

彼女はナゼ恥も外聞も無くブログでこう叫べなかったのか?

婦人公論には、
そんな彼女の家族関係について掘り下げたルポが掲載されていましたが

そこにも親から引き継いだ暴力の連鎖が見られ
もしかしたら「生まれついての鬼母」ではなかっただろうと
人に対する希望を込めて思ったりもしました

こういった事件に対して
「幸せ」を脅迫的に押し付けてきたマスコミは
ただセンセーショナルに大騒ぎして
下心丸出しに風俗店勤務時代の写真撒き散らかしたり

どう見たって次の暴力を生んでるようにしか見えないです

そして人の興味が薄らいで来たら
また次の暴力を求めてゆく

絶望です

しかし

“一般大衆”が「あんなのバカ女だ」「鬼畜だ」と決めつけ
ニュースの鮮度が落ちたら忘れてゆく中

多くの女性が「やったことは許せないけど、自分もああなるかもしれない」と
恐怖にもにた気持ちを抱えて生きているはず

そして

「それじゃーダメだ」
「だからと言って、行政などに任せてる場合でもない」
「ならば、私たちでなんとかしてゆこう」

そんな気持ちが心の奥の方で疼きながら
完成形の見えぬ手探りではあるけれど
当たり前に生きることの出来る社会を創ろうって動きを
日本の各地を巡る中で感じてもいます

日本全国不況の嵐です
それでも
コドモくらいまマトモに育てたい

そのために
ここ20年とか30年とかの間にでっち上げられてしまった
ハッピーの価値観を見直し変えなければ

近くにジイちゃんバアちゃんが居ない今
母ちゃんヒトリに掛かる子育ての大変さをどうするのか?

もしかしたら
虐待で死んでしまったコドモのヒトリでも救うことの出来る
社会のあり方を創造できるのではないか

とかね

そんなコトを心の片隅に思いながら
「林檎の木」でのワークショップとこじまいずみさんのライブのことを
記録しておこうと思います

虐待に関しての連載は
婦人公論 No.1308 からの特集で
現在書店に並んでいるはずなので
良かったら目を通されてみてください。

コメント / トラックバック 8 件

  1. ひで より:

    世の中の人の理想のハッピーな世界というのはトイレの無い家の様な物だと思う。
    人は綺麗で排泄なんてしないという論理でトイレを作らずに、あちらこちらに垂れ流ししているような世界。
    人間は排泄する動物と同じなのにな...だから社会が、人間とは排泄するんだと云う事を知ってトイレを作るべきなんだと...ちょっと誤解されそうですが、そう思います。

    情報社会になったのはいいけれど、本当は昔から有る事を大袈裟に面白おかしくニュースにして垂れ流し...
    それに振り回される普通の人々。
    たぶんそこが問題。

    本当はスキャンダルな事件を起こす可能性は誰にでもあるよ、と云う事を考えさせる事がニュースの役目ではないのかなと思いますけど、人々は私は違うと思いたい為にワイドショウを見る。

  2. tinpei より:

    昼の救急外来で母親の来院を待てずに亡くなった子どもがいました。
    内縁の夫にアパートの階段から蹴り落とされたようでした。
    医療スタッフが小さな体を大事に触るのをみて
    その男はやっと何かに気づいた顔をしていました。

    洋服を脱がすと青あざだらけの子供はたくさん来院します。
    「小さな手ですね」「点滴頑張りましたね」
    第三者からのちょっとした一言が、大切なわが子と思い出させ、母親を泣かせます。

    些細な日常のスパイラルで暴力が生まれ
    些細な第三者の一言でそれが暴力であることに気付かされる
    人間の素質が変わったのではなく、それが見えにくい社会になっているんじゃないかと
    普通に暮らしていれば確かにみえにくい部分だとおもいます
    しかしもし親子の過剰なやりとりを見かければ
    当たり前に「おいかあちゃんそれはやりすぎやろうもん」と
    声をかける自分でありたいし、みんなでありたいです

  3. とりり より:

    私も虐待をしてきた親たちを責めるばかりでその中に潜む今のおかしな風潮に全然気づいていませんでした。結婚や子育てに華やかさ幸福感ばかりが強調されてること。本来はずっと苦労が絶えないものなのに。虐待に至る前に、ありのままの心情を話し皆でフォロー出来るような社会に。その一歩は日頃からの心の通う会話かな…と思いました。

  4. Monica より:

    私も虐待のニュースが流れるたびに同じようなことをいつも思います。
    マスコミの報道は嘘を伝えているわけではないかもしれないけれど、
    真実を伝えているわけでもない。
    そして、あるステレオタイプを作り上げそうでないものを排除してしまう。
    特にテレビには洗脳される、と感じます。

    私が育った家庭には常に虐待がありました。
    私が虐待されていたわけではないけれど、それを目の当たりに育ったということです。
    そこには激しい愛憎が渦巻いていて、人間ってなんて哀しくて滑稽な生き物だろうと思いながら幼少期を過ごしました。
    私がそこで感じたのは、誰が悪いわけでもないのに不幸なことは起きてしまうということ。
    そしてそれは連鎖するということ。
    虐待の裏に隠されている感情を本人たちに気づかせるのは並大抵のことではなく、
    それをしないとこの連鎖は断ち切れず、私自身も自分が家庭を持つことはできないと7年程それに費やしました。

    うーん。私も何か伝えるべきかしら。
    それでもし救われる人がいるなら伝えたいなぁ。

    1年くらいかけて書こうかな。
    今ならもう書けるかも。

  5. >ひでさん。
    トイレの例え、オモシロいですね。
    そんなトイレも、増々臭いの無いモノとして商品化されてゆく
    日本という社会。

    「クソッタレ」というコトバがありますが、
    ソレはそのまま赤ん坊のことを指すコトバでもあるはずです。

    「自分のクソの始末も出来ぬ赤ん坊のようなヤツ」=「クソッタレ」ですね。

    そしてボクたちは必ず「クソッタレ」を経過してオトナになってゆきます。

    今のボクたちは、
    クソッタレのまま歳だけ食って社会を造ってしまったのか?
    クソッタレなんてこの世に居ないと勘違いして今を生きているのか?

    ともかく
    泣くしわめくし人の言うことなんか聴くはずもないクソッタレた存在の赤ん坊
    それを「カワイイ」と感じ
    その存在を必至に守るための本能だったりイマジネーションだったり
    単純に体力だったり
    それを失ってしまったら
    スベテを失ってしまうんだと思います。

  6. >tinpeiさん。
    >当たり前に「おいかあちゃんそれはやりすぎやろうもん」と
    >声をかける自分でありたいし、みんなでありたいです

    きっと、敗戦後の日本での自動虐待なんてものは、
    今の比では無いほどヒドかったのかもしれません。

    いやいや、戦前やはるか昔の封建社会でも、
    コドモはぶたれて当たり前みたいなことがあったかもです。
    (それも“愛”なんてからまずにね)

    それでも、社会の中に「世間体」というシステムがあって、
    おっかねージイちゃんとか出て来て一喝してたはずです。

    ボクがコドモの頃身近にあった虐待に対して、
    オトナが力を合わせて闘っていた姿を思い返します。

    それはわずか40年に満たない過去の景色。

    それから10年とか20年の時を重ねる中で、
    失ってしまったものはなんなのか?考えます。

    そして
    失ってしまった代わりになるものは創れないのかとも考えます。

    それが音楽とかだったら良かったのだけど、
    音楽自体が虐待を受けて来たような
    20年そこいらの取り返しのつかない日本人の歴史があるね。。

    しょうがねえ、
    オレが口うるさいジジイになるしかねえか。
    そんなふうにも考えます。

    それにしても
    街の景色スベテが「シアワセになるために必要なモノを売りつける」もので
    埋め尽くされていないだろうかな?

    息苦しいなあ〜
    シアワセって、、

    そう思う

  7. >とりりさん。
    本来、大変じゃない人なんて1人もいないような社会だったはずです
    ニッポン

    だから「人のタイヘン」に理解を傾けただ耳を貸すことが出来ていたはずです。
    実は聞いてるだけで親身になんかなってなかったりかもしれないけれど、
    ともかく週明けの清掃車のようにして何でも聞いて、
    どっかへ持って行って焼くなり捨てるなりしていた。

    いや、きっと、タイヘンだったけどヒマでもあったのかもね。
    毎日ヘトヘトだったけど、隙間だらけの社会だった。

    う〜む
    ナニか華やかなコトに出会ったら
    我々は誰でも「クソッタレ」であったことを同時に思い出す
    そんな社会のシステムを創らねばだな〜。
    (この返信コメントだけ読まれると誤解をされるかもだね、、
    2つ上のコメントも読まれてくださいね〜〜)

  8. >Monicaさん。
    >人間ってなんて哀しくて滑稽な生き物だろう
    ですね〜!

    しかし
    ニンゲンはパワフルでスバラしい生き物である!
    なんて社会全体で思い込んでしまう時代もありましたね。

    戦争を起こすのもバブルを発生させたのも
    そんな思い上がりであり
    その思い上がりの先で
    弱い立場の人がもっとも弱い存在であるコドモに手を上げざるを得ない
    歪んだ社会を造ってしまうのだと思います

    自身の経験をコトバにされることは
    共感という名のお寺を建てるような作業かもしれませんね。

    加えて
    ただ聞く耳を持つことも大切に思います

    それがコトバとして発することが出来なくても
    たとえばソコに居るだけで
    自身の心に苦しみを語ることの出来るような場所
    それがカフェであってもいいと思います

    そこでは
    静けさに身を沈めることが出来
    必要であれば人の温かさに触れることも出来る

    身体にも心にも染みる滋味深い美味しさの
    食べ物や飲み物がさり気なく用意されていたらいいんだと思います

コメントをどうぞ