石川文洋を旅する

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昨日はポレポレ東中野
カメラマン石川文洋さんの50年を追ったドキュメンタリー作品
「石川文洋を旅する」を観ました。

75歳にして未だ現役の石川文洋さんは、
1965年から68年まで南ベトナム政府軍・米軍に従軍取材し、
戦場カメラマンとしてベトナム戦争を世界に伝え、
その後は自身のアイデンティティを確認するかのごとく、
4歳まで暮らした沖縄の姿を記録し続けている方です。

『石川文洋さんが切り取ったベトナム戦争』

ボクはいつ彼の写真に気がついたんだっけ?

ともかくボクの家には文洋さんの写真集があって、
10代のある時期、
ボクはその写真から戦争のリアルを受け取り続けていた。

そんなリアルの1コ1コは学校ではダレも教えてくれない。

その教えてくれないことの「なぜ?」を考えるのが
きっとボクの人生の大いなるテーマなんだと、今でも思っているし、
その確信はさらに深まっている。

そうやって生きてきてみると、
世界の多くはどうやら偏狭な考えに振り回さるものなんだと、
少なからずの辟易をもって感じられる今。

が!
今日見た映画で描かれた文洋さんは、
思いがけずも「ナサケナイ」動機をもってベトナムに向ったんだってことを知り、
あらためて、
世界は人の「ナサケナサ」を上手いこと利用して、
ちょっとは呼吸をする余地を担保しているのだなあ〜と、

東中野の暗闇の中で、大きな深呼吸と、じわっと染み出たナミダと共に
実感しました。

ベトナム戦争を目の当たりにした石川文洋青年(当時26歳とか27歳)は、
『もう共産主義でも資本主義でもなんでもいい、早く戦争をやめてくれ』と叫び、

『もし、わたしが外に(壕の外に)いて、機関銃を持っていたら狂ったように撃ち続けていたのではないかと思う』
『そうすることが恐怖から逃れられる唯一の方法ではなかったろうか』
と述懐する。

ボクがまだコドモのころに出合ったベトナム戦争のリアルを伝える写真を届けてくれた人は、
決して正義の人ではなく、自身の弱さをもって自身を精一杯語ろうとした
愛しくも儚きヒトリだったんだってこと、
2014年、世界の瀬戸際のような瞬間に確認出来て、
よかった!!

そしてあらためて、
みんな自身の言葉をもって、ヨロコビも恐怖も語れる世界であるよう。

そうすることで負う傷や失敗なんてものは、
みんなでなんとかしてこーぜ!なんて言えるようにしたいなあ〜。
そう思い願ったのでした。

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