42ヶ月め

写真 2 のコピー
今日は2011年3月11日から3年半
1280日め
42回めの11日です

個展「東日本」を西日本で巡回している中、
ある方から、ボクが描いた日本列島の絵を使った手ぬぐいを作りたい
というアイデアを頂きました。

「自由に使ってください」とネットに上げた絵、
それをグッズにして自分の展覧会などで販売することをイメージ。

いくつか引っかかってくる違和感と向き合いつつ、
あらためてボクなりのチャリティーのあり方を考え、
それをカタチに出来るものを発想してみました。

今必要なものは、金銭的なチャリティーだけでなく、
現在も現地で復興の活動をされている個人の存在を、
ボクを知る1人ひとりに伝えてゆけるものであること。

それを丁寧に伝えるためには、
「もの」として質の高い必然があること。

そうして出来たものは
顔の見える関係の販売方法で手渡してゆく。

『そんなもんネットで拡散すりゃいいじゃん!』
そんな時代だからこそ、
最初は小さくも確かなアクションから始めないとならない。

そんなここを共にやってゆける
その道のプロの方とチームを作って、
風通しの良いコミュニケーションを重ねカタチにしてゆく。

そんなやり方が自分らしいと思いました。

現在製作中でありますが、
先日はこの主旨をご理解頂けた福島県で活動されている方に、
取組まれている活動の主旨と、
活動を始めた際の初期衝動のようなものをうかがいました。

これはきちんと冷静な文章にして届けなければならないことで、
ここで書いてしまうわけにはいかないのですが、
「3年半」という時の風化がある中、
3月11日から今に至る問題を語る口調はどこまでも生々しく、
現地での奮闘は、今でも被災の渦中で行われているんだって実感。

そのリアルに触れてもらうことは、
1人ひとりがそれぞれの場所で生きてゆくための
しなやかなや知恵や力に変わってゆくんじゃないか?

そんな実感をもって、
みなさんに喜んでもらえるものを創ってゆこうと思います。

ボクの展覧会「東日本」はメリーゴーランドKYOTOでの会期を終え、
四日市のメリーゴーランドで展開中です。
先日はその設営に立ち会うために四日市へ。
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新幹線で名古屋から近鉄線に乗り換え四日市まで、
さらにそこからふた駅。

のどかな駅前の風景の向こうにある
こどもの本の店メリーゴーランド。

店主マスダさんが30年ちょっと前、26歳で始め、
今は地域には欠かせない場所になっているようです。

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それはとても豊かなことだなあ〜と。

もしボクが「被災地」と呼ばれる場所になにか届けられるとしたら、
こんな活動の現場が個人によって営まれているだってこと、
自分の言葉で伝えられるようにしなくちゃっと思いました。

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9月23日は、コドモたちと絵を描いたり、
表現することを目指す人たちと言葉を交わせるような
ワークショップの時間を儲けています。
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今回の滞在で四日市で感じたこと、
もしくは、ボクが東北で見たことなどは、
気持ちを先回りさせることなく、
ワークショップで出合う人との関係の中から整理したり、
言葉にしてゆけたらと思っています。

四日市での設営の後、京都へ。
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展覧会開催中のメリーゴーランドKYOTOで
ワークショップを開催しました。

定員の半分ほどの集まり、
それも大阪池田での展覧会を通じて知り合った方の
お声かけで集まって下さった方が多く、
やっぱこういうことは1人ひとりと知り合って、
その信頼関係の上で構築してゆくべきものだなあ〜と。

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なので、
今回やれたことは「はじめまして」と語ることだけだったかもしれません。

それは主催してくださったメリーゴーランドのご担当
鈴木潤さんにとってもリアルなことだったんだろうなあ〜と、

その後に鈴木さんのお住まいで、
ご家族やお仲間のみなさんと夜遅くまで語り合ったことに
必死さとして伝わってくること。

なんだろうな、
そう簡単に「絆」とかで納得してしまわないぞ!みたいな。

ネットやマスコミから聴こえてくる勇ましい大声や、
誹謗中傷の言葉の洪水。

そんな中でみんな息苦しさ感じて生きているんだって実感。

そこでボクたちななにを語ってゆくべきなのか?
偏狭な持論を振り回すこと無く、
みなさんそれぞれが実に丁寧に言葉にしていった夜。

メリーゴーランドで展示している作品や、
ワークショップで生まれた空気は、
こうやって小さな場所で花開くんだー。

というか、メリーゴーランドでのワークショップは
鈴木さんのお宅でその本編に入ったということだと思います。

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回りくどくもメンドクサイやり方だけど、
こうでなければ感じられない人の本質というものばかりです。

少なくとも、ボクたちはこれくらいの信頼関係の上で、
動物としての必然の発語、
「恐い」とか「苦しい」とか直感的言葉を呑み込んでしまわぬような
社会創りをしなくちゃならないなあ〜と、

その別れが惜しかった鈴木さんとこのチビッコ2人の無邪気さを
朝日と一緒に浴びて痛感したのでした。

うん、
展覧会は終わったけれど、
これからが始まりだ!

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京都は豊かで華やかで、
ボクはクラクラしながら街を散策。

それでも、ボクは3月11日の渦中にあることを
当たり前に実感する生き方をしているなあ〜と、
歴史が残された場所だからこそあぶり出される
「喪失」のリアリズムを手にしながら、
京都の街を楽しんだように思います。

馴染みの店で店主の生き様そのものの勢いのあるメシを食って、
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お互いの今を語り、
次を想像しながら京都を後にしました。

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大切にしたいのは
こんなささやかな関係

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