181ヶ月め_はじまりの美術館で


今日は2011年3月11日から5,510日
787週と1日
15年1ヶ月
181回めの11日です。

「あれから15年」が語られていた今年の3月。
福島の会津地方、猪苗代の「はじまりの美術館」より『旅』にまつわる展覧会への参加のオファーを頂きました。

はじまりの美術館は、主に知的にハンディを持つ人たちの支援をされてこられら安積愛育園が母体となり、2014年に開館した美術館です。

2011年以降東北を巡るフィールドワークをつ続けてきたボクは、ある頃から、少なからずの方に「はじまりの美術館に行ってみてください」と言われるようになり、しかしなかなかタイミングが合わず、昨年初めてうかがうことが出来た場所です。

そんな浅い縁のボクを誘ってくれた今回の企画は、障がいや健常に関係なく「この人の旅が面白い」という直感で選ばれたようなラインナップ。
ここに名前を連ねさせていただくこと、うれしいなあ〜〜。

が!作品ピックアップが4月10日。設営が今日11日!!

旅にまつわる作品や素材は、そりゃたくさんありますよ。
だけど、それをまとめあげて見せられるのか!?
いや、まとめることは無理だろう…

ということで、
結果、どうしようもなく自分らしい、目的を決めず列車に飛び乗るような展示になりそうです。

いや、頑張ります!

コトコトジャーニー

2026年4月25日 – 2026年8月31日

※火曜休館
※5/5(火)・8/11(火)は祝日のため開館、5/7(木)・8/12は振替休館

開館時間:10:00〜18:00

はじまりの美術館
〒969-3122 福島県耶麻郡猪苗代町新町4873

観覧料:
一般800 円、高校生以下無料、
障がい者手帳をお持ちの方および付添いの方(1名まで) 無料
※お得な年間パスポートは1500円で販売

出展作家:
小池アミイゴ、齋藤勝利、高橋彩子、西澤彰、横溝さやか、若木くるみ

主催:社会福祉法人安積愛育園 はじまりの美術館
協力:嬉々‼︎CREATIVE、社会福祉法人館邑会 陽光園、福島県立博物館、最上町中央公民館
後援:福島県、福島県教育委員会、猪苗代町、猪苗代町教育委員会、あさかホスピタルグループ(申請中含む)

・小池アミイゴのスケッチ散歩ワークショップ

2026年5月23日(土)13:30〜15:30
参加費:1,500円(高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方 500円)
定員:10名 ※要予約
出展作家・小池アミイゴさんと猪苗代の町をのんびり歩きながら、心に留まった景色をスケッチします。
「絵を描くのは久しぶり」「ちょっと苦手かも…」という方にこそ、体験してほしい時間です。ぜひご参加ください!


1ヶ月前はこんな天気だったが、
今はどうだろう?
5月はどんなだろうか?
8月は?
いなわしろ。

180ヶ月め_会津から飯舘村へ


今日は2011年3月11日から5,479日
782週と5日
15年
180回目の11日です。

15年前の3月11日の夜の闇の中でボ〜ッと光を放つテレビやPCのディスプレイを凝視し、
「これは10年、20年かかるぞ」と直感したことは、間違っていなかったと思う今です。
今朝は論調に違いのある新聞2紙を買って読み比べしてみましたが、
震災から15年の記事の隣で、イラクで起きている戦争を伝える記事が辛いです。

15年前、自然の中で人はどんな存在であるのか、私たちは強烈な痛みと共に学んだはずです。
が、東日本から視線を広げて眺めてゆくと、人の死こそが目的のような行為が行われている。

あらためて、私たちは15年前の東日本の春に何を見て、何を感じ、誰と何を語りあったのか、
ひとつ大きな深呼吸をした上で振り返り、思い出す必要があると感じた、
気がつけばまだ180回目の11日です。

先日は福島県の奥会津から福島市、飯舘村と巡ってきました。」

福島県立博物館のご縁で2017年よりアートプロジェクトとして関わってきた奥会津の柳津町。
その公民館で開催された、奥会津エリアの伝統的な食文化に出会えるイベント「ままんま博」に参加。


雪深く冬の長い山間の土地で工夫を重ねられてきた、乾物、塩蔵、発酵などの技術で「生かされる」奥会津で採れる食材やはるばる海沿いの土地から運ばれる食材が、それを美味しくいただくために必要な手間をかけられ、おご馳走に変わる、当たり前にしてもはや貴重な知恵が、やはり美味しい。
美味しいだけじゃなく、この季節にこれを食べたからこその体調の良さが実感されちゃうのです。


今回提供された山菜などは、昨年の春のシーズンに山で採られたものだけど、
昨年はその採集に、福島県の都市部の子どもたちと参加するイベントに参加させてもらって、
生活圏である「その辺の山に生える食材」を採取するお母さん方の姿を、めちゃくちゃかっこ良く思ったんよね。

ボクは群馬県の赤城山の南麓、関東平野が始まるあたりで生まれ育ったんだけど、こんなお母さん方の姿は良く見てたし、実際に婆ちゃんの後について山歩きなんかもしていた。
が、高度経済成長が行き着いた先で、里山の知恵の多くは失われてしまったなあと。
自分史の中の最初の喪失として捉えています。

こうした喪失の裏には、残すべき良き文化を言語化出来ていなかったことはあるだろうなと。
確かに「良きもの」とは手間のかかる仕事で成り立っていて、しかしその多くが人ひとりを生かすような価値観のもので、決して大きな収益があるわけではなかったりします。

それでも、その不合理性の中に光る美しさは、やはり人を生かす力になるな〜ということは、この15年のフィールドワークから学んできたことです。


今回の「ままんま博」では、お二人の先生の講演会がありました。

登壇されたのは、ジャーナリストの森枝卓士さんと山形大学農学部の江頭宏昌教授。
どちらも食の研究のスペシャリストで、楽しい話ばかりであっという間の時間でした。最後に質問コーナーがあったので、ボクもひとつ質問。
「森枝さんは熊本の水俣出身で、江頭さんは福岡の北九州市出身。そのお二人が東北で食の研究をされ、今奥会津の柳津でこの地の伝統的な食について語られているのが面白い」みたいなこと。九州も東北も足繁く通った群馬県生まれのボクは、九州の方が「これ美味しいよ〜」などと言葉にしていろいろなものを食べさせてくれたのに対して、東北の方は「まあ食べてみてくれ」のような奥ゆかしい振る舞いをされる方が多いなと。群馬に至っては「うまいもんなんにもねえけんどな」みたいなひと言から食を勧められることばかりだったなと。

森枝さんも江頭さんも、東北とは長いお付き合いだけど、それでも食を楽しそうに語る姿が、やはりボクの知る九州人だなあ〜と。

こうした異文化の交流の中で、『私たちの日常』にはどんな価値があるのか、これからさらに加速させ言語化してゆく意味を感じた、美味しい、おいしい、ままんま博でした。

会津からの帰り道に猪苗代駅で途中下車、「はじまりの美術館」へ。

この日から始まった『日本各地の福祉作業所で生まれたグッズの展覧会』福祉とアートの手しごと市「ぐつぐつグッズ わくわくアイデア」がとても楽しい内容で、自分が関わることの多いジャンルでもあり、多くの学びを得ました。


自分が障害を持つ作家さんと本格的に何かやるようになったのは、福岡のアトリエブラヴォに勤めていた原田さんと出会ってから。
「インクルーシブ」なんて言葉が世の中に無かった時からそのオープンなマインドをフル回転させ、インもアウトもごっちゃ煮させた状況創りをしていて、自分も自然と巻き込まれた感じ。

あの頃すごいなと思ったアトリエブラヴォの「当たり前」は(それ以前から活躍されていた”たんぽぽの家”や”工房まる”などなども含む当たり前)が、20年経ってかなり日本の当たり前になり、10数年前に設立された「はじまりの美術館」を飾っている。

グローバルの意味がかなり変わって聞こえるようになった今、自分は引き続き日本ローカルを歩き、必要とされることを仕事にしてゆきたいなと思いました。

で、ふと、飯舘村に行っておけたらいいなと。
調べてみると「路線バスで行けるんだ〜〜!」これまで数度訪れた飯舘村へは、すべてどなたかの車に同乗させてもらっていたので、今回初めて自分の力で行って歩いてみることにしました。ということで、福島駅前で一泊。

2026年3月7日土曜日の夜の福島市街、人がたくさんで多くの店が賑わっていました。

ボクの初めての福島市は2012年1月。
息を潜めるように雪に覆われていた街の印象は、福島に知り合いが出来る度に更新されて行ったのだけど、それでもコロナ前辺りまでは、知り合った人たちの姿しか見えてなかったはずです。

が、ここ数年で「福島ってこんな活気ある街だったんだね〜」と気がつく、名前を知らぬ多くの人の姿に目が行くようになって、今回。

この賑わいの先、飯舘村で何を見るのだろうか?答えを先回りせず歩けたらいいなと思いました。


福島駅から飯舘村中心地へはバスで1時間10分ほど。
1日6往復のバスが、福島-飯舘-南相馬を結んでいます。
途中福島市内の翁病院を経由しているので、かなり重要なライフラインとしての路線バスなんだろうね。

で、飯舘村までは体感すぐ着いてしまったという印象。

車で送ってもらっていた時も同じなはずだけど、路線バスでストレスなく着いてしまうということは、このエリアの通行量がまだまだ少ないってこともあるんだろう。
なんだけど、途中の山間の道から見える風景は美しく豊かで、若くて初めて来る人にとっては15年前にあったことを想像するのが難しいのではないだろうか。


阿武隈の山並みを縫って、「水境」という地名を超えると飯舘村。

フッと空気が変わる感じがするのは、この土地に生きてきた人たちが地域に与え続けてきた愛の力によるものだろう。


この日はかなり強く冷たい北風が吹いていて、よそ者の自分は「いい加減な気持ちで見てまわるなよ〜」と言われているようです。


農業用にまっすぐに掘られた川面に北風が起こす波紋がキラキラと。
やはり歩かなければ知れないものはあるね〜

歩いてゆくと、健康のために歩いているお年寄りとすれ違うことが数度。


ガス燈のようなデザインの街灯が、山を縫うように走る道沿いに連なって建てられているが、これはいつ設置されたものだろうか?検索してみると震災後のようだけど、後でも前でも、この土地にこのデザインのものを設置した方が良いと考えた人がいたってことなんだよな。歩いてゆくと、お地蔵さんや何かの石碑に多く出会う。

役場前はアート作品が多く設置されていて、設置年を見ると1993年あたり、役場が新築されたのと同時期に設置されたのが多いみたい。
公民館のような施設だろうかには、やはり1993年に故郷創生事業として制作されたレリーフなどが設置されたいた。
竹下内閣の故郷創生事業は1988~9年あたりだったが、そのお金で作られたのかは不明。
アニメキャラを堂々と描いたモニュメントに著作権の問題はあるだろうけど、けど、誰かが「ここにこんなんあったら子どもがたちが喜ぶだろうな」などと願い設置した。なんて想像すると、泣けるぜ。

これまでは車でサッと通り過ぎていた街を歩くと、なるほど、空き家はあるなあ〜。
最近まで帰宅困難エリアが残り、現在も村人の多くが帰村できていない飯舘のリアル。

なんだけど、
点で見るから引いて眺めるまで、どこをどう見てもここが美しい場所であることがわかる。
そしてその美しさは、この土地を愛した人たちの手が入っているからこそ保たれれ来たことがわかる。
その愛の手は、2011年の原発事故後も、可能な限りこの土地に入れられ、この村を保ってきたってことが、痛いほどよくわかる美しなんだ。

村にはやはりあちこちに石碑があって、それは「ここに石段を造った」とか、「ここに灌漑施設を造ったとか」「ここに学校があった」とか、「ここで唄が生まれた」とかが記されている。


阿武隈の山間の土地に可能性を感じた人が入植し、灌木の林やごろごろ転がる大きな岩を排除し、田畑を切り開いて生まれた美しい村、飯舘。

今の都会の暮らしと比べて不合理に見えてしまう暮らしの細部に「ここで生きる」というプライドが宿っていたのが、やはり切実に伝わってくる。

ここでは、昨日会津の柳津のお母さんたちが作っていたような『この場所だからこそ』の食べ物があったんだろうか。
15年より前の飯舘を知らぬ自分です。

が、そうした人が大切にしてきたことを、札束なのか便利さなのかの定規で計り、いわばバカにするような振る舞いでやってきてしまったことがあった。

そして、そこで生まれた電力を使って生きていたのも自分なんだよな。

15年前に気づいたはずのことを、あらためて自分の足の裏と、強烈な北風に教えてもらった飯舘フィールドワーク。

それは自分がまだ子供の頃に失ってしまったと思った故郷のことをあらためて考えるきっかけにもなるし、きっかけにしなくちゃ人間としてどうかしているってことだぜ。

うん。まだたかが15年。たかが5,479日。
やること、やれること、やるべきことばかりだ。

昼メシはこれまで何度か行ったうどん屋で。

日曜の午後。
工事で飯舘に入っているおっちゃんグループが、帰り際に「ここのは日本一うまいうどんだ」と言って金を払っていたけど、自分の心の中で「そーだ、そーだ!」とエールの交換。

このうどんが食えるなら、次は花の季節か草萌える頃かにまた来ます、飯舘村。


今日は強い北風の中、健気に咲くオオイヌフグリの花がまぶしかったぜ。

まえばし名刺 × 水と青「おはよう」

「おはよう」という美しい曲の美しいミュージックビデオを制作しました!

群馬県前橋市の市役所の職員向けの名刺、
ひと組み100枚の裏面に100種類の「まえばしスケッチ」を印刷した名刺をリリースします。

このスケッチのための取材を行ったのが2025年9月の三連休。
残暑厳しい前橋を市役所のプロジェクトチームのみんなと、赤城山の天辺から利根川の下流までくまなく巡り、「前橋らしい」風景を探しました。

その取材の間、心の中でループし続けていたのが、前橋を中心に活躍している音楽ユニット”水と青”の「おはよう」という曲。


水と青との出会いは、昨年5〜6月に前橋の敷島のフリッツ_・アートセンターで開催した展覧会「まえばしスケッチ」でのこと。

毎月開催されているという”おはなし会”にレギュラー出演していた水と青。
ボクの絵が並ぶギャラリーで、唄を担当する水科小百合さんがその場の空気を吸って空間全体を鳴らすようにして歌う姿に感激。素朴に聞こえるが実はよく練られたアレンジが施された曲は、青柳 聡さんの作詞作曲そしてアレンジによるもの。その2人の音楽は「風景が見える」音楽。

ボクはこれまでほんと多くの音楽家と親交を持ってきましたが、その中でも飛び切り風景を感じる2人の表現は、前橋のことをさらに愛しく思わせる力を持つものでした。(ボクが普段聴く音楽はゴリゴリのブラックミュージックだったりするのにね)


この名刺プロジェクトのために描いたまえばしスケッチは300枚。
その風景の多くに水と青の音楽が流れています。

ならばと、名刺プロジェクトと切り離した形で、水と青の2人に「おはよう」に合うと思うスケッチを選んで頂き、作成したのがこのミュージックビデオです。
(名刺に使用するスケッチの投票から漏れた、でも自分が気に入っていた絵が何点も選ばれているのも、素晴らしい!)

もちろん、この今日が前橋の全てを語るものではなく、しかし、前橋はちょっと立ち止まって周りを見渡せば、こんな素敵な風景や表現に出会えるのだということを、この名刺を手にされる方と共有できたらいいなと思いました。

*水と青
水科小百合(唄)と青柳聡(ピアノ)のユニット。
自作曲や童謡、近代詩にメロディを付けた歌などを演奏。
Instagram https://www.instagram.com/mizutoao/

みどりのはなわ「ハナモモ展」


みどりのはなわ「ハナモモ展」
2026年4月7日(火)〜5月10日(日)
旧花輪小学校記念館1F展示室

開館時間_10:00~16:00
入館料・一般_200円
・小中学生_50円(未就学児_無料)

〒376-0307 群馬県みどり市東町花輪191番地
電話:0277-97-2622

問い合わせ
みどり市地域創生課 広報シティプロモーション係
・E-mail:chiiki-s@city.midori.gunma.jp
・TEL:0277-46-9067


群馬県みどり市の山間の町、あずま町を舞台に、地域の小学生とのアートセッションや、一般から公募した参加者とのワークショップで生まれた作品を使った展覧会を、2001年に閉校となった旧花輪小学校の校舎の一室で開催します。

アートは『西の空から降ってくる何か素敵なもの』だけではなく、
その土地で地道な暮らしを実践してきた人から自然んと滲み出るものだったり、
そもそも人が生きることこそアートと言えてしまえそうな今。

日本のどこに暮らしていても、アート的発想を持って生きることは幸せなことだよ〜と、
より地面に近いところに視線を置き、『誰もがアーティスト』的発想で実践しているセッションと展覧会です。

4月4日は、この展覧会に向けてのワークショップ。
美しい花輪の里を歩いて、今が盛りの桜やハナモモの花をスケッチして、
という目論見でしたが、雨。

でも、美しい状態で遺されている旧花輪小学校の校舎から眺める花輪の風景が、十分過ぎるほど美しい。
ので、ともかくみんなが気になる風景を気持ち良い線で描いてみよう!と。

まあ、描き始める前にたくさんの「だれでも絵が描けるようになる」魔法の言葉を投げかけてのことなんだけど。

なんだけど、この日集まってくれた3歳から84歳までのみんな、それぞれの身体に染みついた色や形が美しくて。
この日はそれをそのままアウトプットするだけで、十分生きるに足る気持ちの良い表現ってものを獲得してくれたんじゃないかなと。


子どもから大人まで参加の現場では、たいていが子どもたちのアクションから気づくこと、学ぶことが大きいのだけど、
花輪セッションでは、ボクよりずっと先輩世代の方の表現がすごくて、、子どもからも先輩方からも学びがあったし、世代を超えたリスペクトが生まれたことが、素晴らし過ぎた!

雨の花輪セッションの2週間前、3月18日は同じ東町の神戸 (“ごうど”と読みます)のみどり市立あずま小中学校の3~4年生5名とのアートセッション。

全生徒数20名ほどの学校で、3~4年生は5名。
「はじめまして〜」と向き合うみんなは、当たり前にシャイな振る舞いをしちゃう。
だけど、小さなコミュニティでの生活しているからこそ、より堅牢なシャイさを感じちゃう。

なので、ともかく1人ひとりとコミュニケートし、1人ひとりの様子を確認しながら、答えを先回りすることなく臨機応変のコミュニケーションを重ねていったら、結果めちゃくちゃ尊い時間と作品が生まれました。
何より、1人ひとりの作品から感じる、この土地で生活しているからこそ身につけたであろう色彩と、大胆な余白の気持ちよさ!

これはこの土地の自然の豊かさから得るものと、普段の友だちや先生方はじめ関わる人とのコミュニケーションから得るものがありそう。

その豊かさをもとめ、あえて町の学校ではなく、ここを選ぶ子どもなり親御さんがあること、わかるなあ〜。
そして、25年前に造られたあずま小中学校校舎!
そのオープンな空間構成は、現在渋谷区が着手している『すべての区立小中学校の校舎建て替え計画』で示された『最先端の校舎』そのもの。

「過疎」と語られる里で、「教育こそ未来」と直感した先達の思いが現れた校舎ということだろう。

現在「わずか」20名ほどの生徒が利用する立派な校舎。
それは今の安易に効率やコスパを重視する価値観とは相反する、とても豊かな、というか真に豊かなマインドで建てられたものなんだと、ボクは子どもたちが描いた絵から確信しました。

この確信がさらに子どもたちの幸せ、さらには地域やより広い正解の豊かさに繋がるために、学校の枠を超えた多くの大人があずまの子どもたちと関わるようになるといいね!

この日この学校で5名の子どもたちと向き合い、みんなで創った幸せな時間.

なんと愛しいあずま小学校の3~4年生!

必要あれば「アミーゴー!」と呼んでくれよ〜!
必ず来るからねー!

この日の作品も旧花輪小学校での展覧会に出品するから、
みんな来てね!

以下過去のワークショップ募集記事。


小池アミイゴのスケッチ散歩ワークショップ
2026年4月4日(土) 旧花輪小学校記念館
時間_13:00~15:00
受付_12:30〜
参加費:おとな_2,000円・小中高生_500円
未就学_無料、親子参加大かんげい!

*申し込みはLoGoフォームかメールで。
LoGoフォーム
リンク>  https://logoform.jp/form/4KaE/1456329
リンク先の指示に従いご記入くださいませ。

みどり市地域創生課 広報シティプロモーション係
・E-mail:chiiki-s@city.midori.gunma.jp
・TEL:0277-46-9067
件名を「4月4日申し込み」として、
参加希望者のお名前と年齢、当日連絡のつく連絡先をお伝えくださいませ。

 


花桃の里みどり市花輪が1年で最も美しく輝く春の日に、
みんなで街を歩いて楽しくスケッチするワークショップです。

「絵が描けない〜」という人こそウエルカム!
日本全国で『誰でも絵が描けるワークショップ』を
開催しているイラストレーター小池アミイゴが
誰でも絵が描けちゃう魔法をかけますよ〜!

描いた絵は花輪小学校で展覧会!
4月7日(火)から5月10日(日)まで、
美しい旧花輪小学校にみんなの花を咲かせます!


(2024年の展示)

旧花輪小学校記念館
展覧会入館料
一般_200円
小中学生_50円
みどり市東町花輪191
Googleマップ

179ヶ月め_会津から豊間へ


今日は2011年3月11日から5,451日
778週5日
14年11ヶ月
179回目の11日です。


先日は福島の郡山から会津若松、そして奥会津の柳津と巡り、県立博物館の学芸員チームとこの1年の『会津の食にまつわるプロジェクト』の振り返り。
関わったみなさんと再会し、そこで何があったのかを思い出しながら語り合いました。
子どもたちに関わることの多いプロジェクトだったので、やはりそ『の後の子どもたちはどんなか?』それぞれ責任を感じながらもオープンに話すことが出来てよかったです。

今の小学生は『物心ついたり』『自我が芽生えたり』のタイミングでコロナ。
社会に触れるほとんどの場面で、マスクで顔を覆われた大人からモラルを守ることが求められることを経験してきた人たち。

そんな子どもたちに対し自分がやるべきことは、アートを手段とした気持ちの良い体験から自己肯定感を得てもらうこと。絵を描く紙の上では、無理して良いことを語る必要も無く、好きな色を気持ちよく塗るようなことで心を開いてもらえたらいいなと。大切な話があるならその後で良い。


気がつけば、今向き合う子どもたちば2011年3月以降に生まれた子どもたちなんだなと、、
時が過ぎる速さに慄きつつも、それでも「まだ15年」との思いもあり、今回。

会津から浜通りまで移動、震災後にボランティアで入り、その後定点観測的に足を運び続けてきたいわき市の太平洋岸のビーチ、豊間を目指しました。

しかし豊間、定点観測的に足を運んだと言うも、いつぶりか?と振り返ってみると、コロナ禍突入直前の2020年1月11日ぶり?6年ぶりになるんだ…

「この6年間に何があった?」と振り返るも、2020年コロナ初年に小学5年生だった息子が今は高校1年生になったという時間軸に、自身の仕事や社会的活動の記憶の断片が、時系列を無視する形でランダムに置かれ捻じ曲がり、メビウスの輪のような無限ループになってるのを想像しちゃうのだが…


『東日本大震災からの復興』というテーマで歩み出しように見えた社会は、自分が思ってたほど真っ直ぐな道を選ばなかったんだろう。そこに「いつでも個人的記憶を取り出せる」ネットにシフトしたメディアのあり方が掛け合わさり、時間という概念がネジれ、自分の時間の圧縮や記憶の混乱なんてことが起こっているんじゃないか?

ただ、豊間エリアにある塩屋崎灯台を参照し描いた絵本「とうだい」が今年で発刊10年。
そんな確かな時間軸もあり、今回個人的な検証として、ボランティアから個人的のフィールドワークにシフトし歩いた塩屋崎や豊間で、自分は何を見て、何を見落としていたのかの確認はしておきたいぜ。

会津若松から磐越西線、磐越東線と乗り継いで夜に着いたいわき。急遽とった宿はJRいわき駅に隣接したビルに新設されたもので、そういやこんなホテルも無かったなあ〜。

晩めしを求め街に出てみると、以前はこんなにも見せなかったよな〜。この日は火曜日だったけど、こんな駅前の明け透け場所でキャッチに捕まること無かったよな〜。キャッチをやりすごすした背後から「今夜はダメだな〜」と世界を恨む声が聞こえた。火曜の夜に欲張りすぎ違うか?と思うも、いやいや、みんなそれぞれの事情があるんよ。


明けて朝早くのバスに乗り太平洋岸へ。
途中の真冬の田園風景は、以前よりずっと休耕地が減った印象で、農家のみなさんの努力の跡が美しく広がっている。

初めてボランティアで入った2011年6月。その時の暴力的に破壊された風景に出会い、「これは自分の足で歩いて見なくちゃ」と思い、2ヶ月後には徒歩とランニングを交えて海を目指した。その時の破壊され、ある意味遺棄されたように見えた悲しい風景は、さすがに15年分、きっと良い方に更新されているんだと思った。


これはバスに乗ってる場合じゃないなと、予定よりかなり手前のバス停で降りて、海岸線に沿った道を歩いてみる。

津波被害から7~8年後(?)に整備された運動公園では、多くのお年寄りがゲートボールに興じていて、そこから目を転ずると、以前には無かった立派な老人ホームの建物が見える。
15年前に悲劇に晒された土地で健やかに生きるという選択肢が整えられたんだね。

朝の光に包まれたビーチが美しくて、いつかまた大きな地震や津波があるかもしれないけれど、人間がこの土地を選んで暮らすという選択はごく自然なことと思えた。
ただ原発事故は人が作り出してしまったとても不自然なことなんだ」とも思ったよ。


波打ち際から丘の方に目を転じると、6年前には完成していた高い堤防が白く輝き、その向こうには復興のための造成の必要から切り崩され、稜線を変化させた山の姿が見える。

火曜日の朝、ここまでですれ違った人は無く、遠くに堤防の上を歩く人の姿が見える。

以前は立ち入って良い雰囲気の無かった岬に出てみると、立春の陽の光に包まれた灯台のある塩屋崎の岬が、太平洋にグイッと突き出て見えたのが、実にカッコよかった。


津波による多くの被害者を出した薄磯エリアの整備は進み、被害の爪痕が生々しく残された頃、造成による盛り土で月面のような風景に思えた頃の記憶が更新されてゆく。
6年前、海岸線に沿って何キロも渡り『防災緑地』として整備され始め、松の苗木などが植えられていた場所は、自分の背丈より高い木々に覆われた緑のベルトに育っていた。

↑ 6年前の写真
6年後の写真 ↓

これからさらに何年も時をかけて立派な緑地に育ってゆくのだろうけど、自分はそんな風景を確かめられるまで生きているのか?


6年前には無かった『いわき震災伝承みらい館』に入ってみる。
まず「入場無料」ということが多くを語っているなあ〜。

展示を見ると、知っていたことが少し。あとはほとんど知らなかったことばかりか…

なんだけど、自分の記憶の多くは15年前の春でフリーズさせているなあ。

東京に暮らす自分がそんなであれば、ここでの生活があった人の今はどんなだろう?

自分は想像するしかないんだけど、でも今ここにいることは間違いじゃないように思う。

さらに歩いて塩屋崎へ。
干潮のタイミングで、岬は穏やかに見える。

灯台の立っているのは、岬の先端じゃなく、ちょっと奥まった場所だったっか。
上書きされた記憶を修正する。

昼が近づき腹減ったなと思い、以前は開いていなかった土産物屋や食堂を覗き、でも思い直して塩屋崎の向こう側、豊間のビーチを目指して走る。なんでか走りたくなった。

豊間。

ああ、こんなに美しかったっけかな。

ビーチに出てみると、強い風に煽られた白い砂が川のように流れ海に注いでいる。

石英を多く含む砂は、踏みしめると「キュ」と音を立てる鳴き砂。
よく見ると多くの貝殻が打ち上げられていて、これも時間をかけて白い砂に変わってゆくんだね。

震災から3ヶ月後のボランティ活動の際、このエリアの町会長さんは「震災で砂浜が失われることがとても悲しい」と語っておられたけど、もし今もご健在であれば、この風景をどう思うのだろう?

自分はよそ者として勝手に「美しい」なんて思っちゃっているんだけど、でも人に対する想像力は失わずにいなくちゃだ。

後で調べたら、やはりこのビーチの景観を守ろうとゴミ拾いに尽力されているグループはあって、なるほど、今日これまで極端なプラごみに出会っていないのは、そうしたこともあるんだね。


太平洋、というか地球、というか、宇宙の力で押し寄せる波。
それに抗うように吹く陸からの風と低く舞い上がり流れる白い砂、
そうした力の拮抗から生まれる描くことの出来ぬ紋様を魅せる砂浜。

この世界には人間が我が物顔で居て良い場所はどこにも無いと思ってしまったんだけど、みんなはどう思うのだろう?
先回りせず、1人ひとり確かめてゆけたらいいな。


堤防を超え集落に入る。
真新しい住宅が並んでいる。

「復興」という言葉ではなく「再興」という言葉が浮かぶ風景。
それをより良いものに変えてゆくためには、何が必要なんだろうか、「ここでは無い場所」に暮らしている自分も考え続けなければならない。

震災直後から根性で営業再開したコンビニは、以前の場所から数百メートル移転して営業していて、それは前回と変わらず。ただ、周りの木が育ち、初めて来た場所のように思えた。

Googleで検索すると営業している食堂がいくつかあった。
ひとつめ、営業してなかった。
ふたつめ、駐車場に多くの車があって、よしここで食事しよう!と。
しかし、現金しか使えないとのこと、財布の中の3,000円で食べられるのはエビフライ定食くらいで、名物の鰻重は、今度だな…


しょうがない、3,000円ちょどくらいになるようビールの中瓶を一本頼むと「お車ではないですか?」と当たり前の質問。
「いや、歩きできました」と答えると、しょうがない、そりゃ怪訝な顔されるわな、、

10km以上歩いたからなんてこと関係なく、ほんと美味しいエビフライ定食を食べることが出来た!
こんなん15年前には考えられなかったことだよ。

お店の方にうかがいことが山のようにあったんだけど、でもそのほとんどはこのエビフライが語ってくれたはずなので、「また来ますね」とだけ伝えてお店を出た。

うん、やっは次はぜひ鰻重を食べたいぜ、豊間。

 

 

2月14日みんなでハートを描くワークショップ


2月14日はぐんまの前橋でワイルドでオシャレな企画ぶっ放します。

現場は道の駅まえばし赤城のSHOP CAFE Qu

障害を持つ人の可能性をサポートしサードプレスとしても機能する場所。

健常障害関係なく誰でも楽しめる場所になればいいね〜と、
みんなで考えたイベントです。

ここのイカした店長が手話通訳さんの手配もしてくれましたよ〜
社会のあちこちに置かれた「普通」という壁をぶっ壊し、
1人ひとりの「楽しい」を見つける絵の具遊び、身を粉にして取り組むです。
予約が必要なコンテンツもありますが、
まずは現場に足を運ばれ、生まれる絵をみんなで囲んで言葉を交わせば、
世界はちょっとハッピー。

アートとか芸術とかいうもんは後からついてくれば良し。

ということでみなさま、
2月14日は絵の具まみれのヴァレンタインに、ウエルカムです〜

178ヶ月め_香港レポート


今日は2011年3月11日から5,420日
774週2日
14年10ヶ月
178回目の11日です。

震災から3年目の能登。
東日本の経験から、被災された方の疲れはピークを超えているんじゃないかと想像します。
皆様どうぞうご健康であられますよう、心よりお祈り申し上げます。

東日本は今年の3月11日に「15年」「節目」などと言われるかもしれませんが、
この15年でボクが出会ったきたのは「1人ひとり」というものなので、
引き続きただただ寄り添い並走する気持ちでいたいです。

復興の途上で失われてしまった方も少なからずおります。
そうした方々の意思を、被災の対岸で暮らす自分も大切にし、
これからの社会に活かして行かなければならないと、あらためて強く思う今年の年初でした。

みなさま、引き続きよろしくお願いいたします。


昨年12月20,21日、香港で開催された香港イラストクリエイティブショー10に参加しました。

イラストレーターズ協会のご縁で主催者と知り合い、現地に立ち会うのはこれで3回目。

これまでは協会のバックアップも受けて参加していましたが、
より自由に、より責任を持ったブース運営をしたくて、今回から個人でのエントリー。
ですが、アジア圏でイラストレーションの可能性を探りたい仲間を募って、
主に日本の年賀状にフォーカスしたグッズ販売を行いました。

今回何より、高校1年で16歳の息子を同伴させたことで、多くの気づきを得られました。

そんな息子とブース前で記念撮影。

背景のイラストレーションは、やはり今回お誘いしブースをシェアした京都在住のイラストレーターcacoさんの手によるもの。

過去にも積極的に香港の企画に参加くださって、現地でじわり人気が出ている彼女。
「こんなブースだったらいいな」という要望に、短期間でめちゃくちゃ頑張って応えてくれて嬉しいです。


おかげさまでブースは大盛況。
英語も広東語もまるっきりダメな自分を、英語が得意な息子が現地スタッフとの連携しフォローしてくれたこと、ありがたかったな〜。

今回グッズ提供をお願いしたイラストレーターの仲間には、香港の方に手に取ってもらえるちょっとしたアドバイスをしました。それもまずまずハマったんじゃないかな。


ボクが初めて香港に行ったのは2019年8月。民主化デモが行われていた時です。
日本の報道やネットの情報からその激しさを知るも、現地に行ってみると活気のある香港と出会うばかり。
香港の多くの方はネットでデモの情報を得て、自身の仕事や生活を優先した行動をとっていた。

あれから6年。
個人的に1年半ぶりの香港は、眼に見える部分では変わらず、ダイナミックで朗らかで優しい、そんのイメージ。
飛び込みで入る街の飲食店でも「ああ、日本人か」みたいな感じで、言葉の壁を超えた対応を頂きました。

何より「kawaii」を必要とする香港の若い人たちの存在が、うれしいんよね〜。

渡航する前は「なんで今ゆくのか?」などの危惧もされたけど、いや、そこに絵やイラストレーション、かわいいものを必要とするから行くんだよと。

で、実際に行って絵やイラストレーションを間に置いて人と向き合うと、簡単に飛び越えることの出来る国や政治体制、民族の違いがある。

日本でも香港でも、どこでも、自分が向き合うのは「ひとり」というものであり、その基本の上で『なぜ香港の方が「kawaii」を必要とするのか』を想像することで得られる、クリエイティブなモチベーションが尊い。

そうしたことを、16歳の息子はよりフラットな視線で見てるわけで、食事をしながら「どうだった?」なんて会話が出来たことも大きな財産になりました。


巨大なコンベンションセンターの中のひとつのホールで開催されている香港イラストクリエイティブショー。
その階下ではポケモンの発表会に多くの人が集まっている。
その隣ではAIを使ったアートやデザインの展覧会に、また多くの人が集まっている。
(AIに関して、韓国も中国も日本よりかなり先を走っているイメージ、、)

日本の16歳、何を思う?

で、今回。
主催者がボクのためのライブペインティングのブースも用意してくれたので、ならば自分の勝手な絵を描くんじゃなくて、会場に来られた1人ひとりを描いてみることにしました。

ひとりに対しスケッチして着彩まで5分ほどで行うのを、2日で約4時間半、54名描いたのですが、
疲れた〜〜…
が、それ以上に楽しかったなあー


この画像は描き終えた絵をスマホで撮影した荒い写真を、Photoshopでブラッシュアップしたものだけど、なかなかの雑な絵ばかり。。
なんだけど、現場で向き合い描いたからこそのリアリズムがあって、やっぱ愛しい。

にしても、モデルになってくださった方に申し訳ないぜと、この絵をさらにスケッチする感じで1人ひとり描き直しをしています。


なんでこんな作業をしているのか?描きながら気がつくのは、香港で向き合う人の「キャラ設定されてなさ」。
いわゆる「〇〇系」に自身を押し込んでいない。だからか「キメ顔」が無い。その人なりの「キメ顔」があったとしても、それは「憧れの何者か」になるためでなく、「その人が背負っている何か」が滲んで見える表情だなと(これは台湾でも感じたことだね)。なので「描かなくちゃ」って強く思うんだろう。

香港では二人組、特に女性の二人組をたくさん描きました。
そんな二人組が纏う幸せそうな空気が愛しくてね、この2人の風景は描かなくちゃ!と、ついつい必死になってしまう。


日本でもこんな二人組に出会うけど、纏っているものがちょっと違う。
その違いが面白いのだけど、香港ではより自由なるものを感じるのはなんでだろう?

そんな話も息子と出来てよかった。

スケッチの最後の方でお母さんと娘さんの二人連れを描いたんだけど、2人がギュッと手を握り合ってる姿に、なんだろ、非常にドキドキした自分です。

という感じで、強烈な筋肉痛に襲われたライブペインティングも終了。

ああ、良い出会いばかりだった。

この経験からさらに自分は、自分が描くべきものと人が必要とするものをしっかり噛み合わせて、なんなら人ひとりを救えるくらいの「kawaii」を創ってみたいぜ。

香港のみなさん、また元気で会えましょう!

 

177ヶ月め


今日は2011年3月11日から5,389日
769週6日
14年9ヶ月
177回めの11日です。

今日は近所の小学校6年生と地域の壁画制作。
2018年から9回に渡って制作してきた壁画、子どもたちと学校と親と地域と自分とが連携し、街にとって幸せな壁画を制作してきたプロジェクト「とみがやモデル」の発展版。


渋谷区が先進的に取り組んできた子どもたちの探究的な学びの教育プログラム「シブヤ未来科」をフルに活用し、地域の課題を探究的に調べてきた6年生グループと、学校長の挑戦的なアイデアがうまいこと噛み合い、現在ある壁画から学校に続く道沿いに設置された小田急線線路の防音壁に、落書き防止と地域美化を両立される壁画を制作することに。


これを実現させるため、小田急の担当部署と折衝を行ったり、道路使用許可の申請を行ったり。
また、子どもたちが地域の課題に当事者として向き合えるよう、地域の落書き消しを一緒に行ったり。
その他、デザインやイラストレーションを使い地域に貢献するためのセッションを行ったり。


趣味は「火中の栗を拾う」、特技は「矢面に立つ」な自分ですが、

現在高校1年生の息子が大人になった時、どんな人が社会の仲間であったらいいんだろう?
そんなエクスキューズのもと、ともかく子どもたちと一緒に出来ることを重ねてきての今回です。


さて今の6年生。
小学校入学のタイミングでコロナ元年。

「それやっちゃだめ」「それ人の迷惑になるでしょう」
すべての会話がそんな枕詞から始まったような時代に1年生になった彼ら。

自分との関係で言えば、彼らが4年生の時に初めてセッションを行った世代。
その印象は、めちゃくちゃ頭良くてクレバー。
なんだけど、すべてのアクションの頭に「これやっていいの?」のひと言が入るような世代。

コロナの影響は侮れないです。


そんな彼らに対し、どこか何かのきっかけで1人ひとりのマインドにブレークスルーを起こしてあげたい。

自分のようなものが学校に呼ばれて子どもたちと向き合う意義はそこにあるわけです。
が、答えを先回りせず向き合って1年半。

「そろそろブレークするか!?」と思わせる事象がちらほら見え始めると、これまで押さえてきたものがボンと音を立てて吹き出るような瞬間が何度かあって今回。
壁画制作のタイミングとして最高!と真実実行しました。

そのタイミングがベストであったかどうか、1時間15分の制作時間で描いた50センチ幅で50メートルの壁画を見ていただけたらうれしいです。


今回のプロジェクトに利用した「シブヤ未来科」は、文科省が進めている探究的な学びのカリキュラムのシブヤモデルですが、こうした探究的な学びはこれらからの日本に絶対必要なことと考えています。

しかし、子どもたち1人ひとりが探求脳を獲得するには、自分の中にあるものを気持ちよく出し切り、その気持ちよさを誰かと共有できるようなことが必要だなと。それは自分が多くの現場で子どもたちとのセッションを繰り返してきた経験から実感しています。

子どもとの共感の共有のようなきっかけを創れたら、探究的思考が働き出すまで「待つ」といことが保護的立場にある大人には必要とされます。

そうして探究的思考が働き出しても、安易に成果を先回りして求めず、子どもたちの成長と楽しく並走するようなことも必要です。
自分が子どもたちと向き合った感じだと、子どもたちと出会って1年半は「待つ」ことの必要を感じています。

が、そうして子どもたちと付き合ってみた1年半後、子どもたちは自分と対等の立場で話しかけ、質問し、一緒に考えるようになってくれます。

そうなれば、自分のような者はただ子どもたちの背中を見守るばかり。
いや、ほんとみんないい顔した「人」に育ってくれるなあ〜と。

こうした子どもたちの成長が求められる時代ではありますが、それをすべて学校や先生に任せてしまうと、学校の現場はパンクしてしまうので、保護者や地域や企業や自分のような専門家も学校の力になり、理想的な子どもたちの学びと成長をバックアップする必要があります。

自分の場合は、週に1時間とか2時間の時間を子どもたちのために使うだけですが、それでもそこでの子どもたちの成長は絶大なわけで、その成長は自分の人生の喜びであるなあと。

その喜びは自分の「幸せ」の価値観を思いっきり良い方に更新させてくれるのです。

今回の壁画実現のために、子どもたちや担任とのミーティングから、PTAk、地域、行政、企業などなど、多くの方と語り合い、お力添えをいただいてきました。

そして本番。見守りや片付けを手伝ってくださった子どもたちのお母ちゃんたちと交わすひと言ふた言がオープンで、豊かで。。子どもたちを主語で語ることで、自分たちはこんなにも豊かな会話を持つことができるんよね〜。


にしても、絵を描くことを「アート」や「芸術」という枠に押し込め、何か特別なことのように語ってしまうのは、もったいない。

身の回りの課題を解決するための整理や、人とのスムースなコミュニケーション、ディスカッションの大まかな方向性を共有する手段として。さらには、この課題解決にはどんな学びが必要なのかを導き出すため(従来の国語算数理科社会の学びを受け身では無く能動的に学んでゆくきっかけとか)、絵を描けばいいのにな〜と思うのです。

そうした経験を持った人なら、AIに独創的で適切で社会に有益なプロンプトを打ち込む力を身につけるはずだしね!

さて、子どもたち。
次はなにをやろうか!?

「ぼくと、ガザのこどものえ展」 at 名古屋のメルヘンハウス

名古屋の子どもの本の専門店メルヘンハウスのギャラリー
「ぼくと、ガザの こどものえ展」12月2日(火)~27日(土)で開催します。

 
ガザからエジプトに逃れてきた子どもたちに「自由に絵を描いて」と画材を手渡す活動から生まれた絵と、
それを見た渋谷区立富谷小学校の6年生(昨年度)が描いた絵を向かい合わせで展示。
それがどんなきっかけで、どんなコミュニケーションを持って実現したのかがビジュアルで伝わるよう、
「みんなで見たこどもの絵」の著者でグラフィックデザイナーの菊池志帆さんが奮闘しビジュアル化。

自分はいつも通り絵と絵の良い関係を見極めた展示作業を行いました。

久々再会した渋谷の12歳が描いた絵たちに対しあらためて「どうやったらこんな絵が描けるんだろう?」という探究心が、自分で仕掛けたことではあるのだが、湧いて、湧いて。

個人的には「ガザで失われているものがなんであるのか渋谷の子どもたちの絵から気がつける展覧会」なのではと期待しています。

小さなギャラリースペースですが、ここには世界への扉が開いていますんで、みなさんぜひ名古屋の覚王山のメルヘンハウスまで運びください!

なによりメルヘンハウスの三輪丈太郎さんの「開催したい!」というPUNKな意思で実現する展覧会。
12月24日には「再現授業ワークショップも開催っす!」
あ、2日東海地方でオンエアのNHK「まるっと!」でも紹介くださるとのこと。
オンエア3分ほどなのに2時間もお話を聞いてくださり、ありがてえ〜。そしてこの展覧会、巡回の希望があればお声掛けくださいね〜!

【会期スケジュール】
12月2日(火)〜28日(日)
10:00~17:00
(3日は13:00オープン、7.8.21.22日はお休み)
【イベント その1】
「ガザの」の子どもたちの絵を見て小池アミイゴさんと一緒に考えて、感じた想いを絵で表現してみよう!
・日時:12月14日
・1回目:10:30~12:00、2回目:13:00~14:30
・定員:各回とも7名
・対象年齢:小学中学年から大人まで
・参加費:¥1,000
【イベント その2】
『みんなで見たこどもの絵』が出来るまで
・日時:12月14日 15:00~17:00
・定員:15名
・対象年齢:大人
・参加費:¥1,500
【サイン会】
・日時:12月14日 12:00~12:30、17:00~18:00
※メルヘンハウスにて購入された書籍やグッズに限ります。
【お申し込み方法】
メルヘンハウスHPの「お問合せ」より必要事項を記入の上メールにてお申込みください。
メルヘンハウス営業時間内であれば、お電話(052-887-2566)でも承っています。
「サイン会」のお申込みは不要です!

 

ぐんま愛「LOVE まえばし」


2025年11月26日発行の上毛新聞に掲載の「ぐんま愛」
群馬県内の自治体がシティープロモーションを行うページで、前橋市の今を伝えるべく、取材、編集、イラストレーション、デザインを担当しました。

前橋市ビジョン「めぶく。前橋市」策定から10年目というタイミングで(「めぶく。」の発案は前橋市出身の糸井重里さん)、今回は市の未来創造部・広報ブランド戦略課のスタッフが前橋の今を現す4つのテーマ、「まちなか」「移住」「インクルーシブ」「農業」それぞれのテーマに適任と思われる方をピックアップ。ひとテーマ2組の方が対談を行う形でのインタビューとして、ボクにオファーがありました。

この時点でこのページで何をやるべきなのか答えは出ていたはずですが、ボクも加わった後も丁寧なミーティングを重ねてくれたことで、「今のまえばし」を伝えるには、前橋に暮らす人の生きた言葉にスポットを当てたらいいだろうと直感しました。

そうして行った4度のインタビューは、自然とトークセッションのようなスタイルとなり、「さびれた」と言われた10年前の前橋と、「面白そうだね」と言われ始めている今の前橋とを繋ぎ、10年後の前橋を想像させてくれる「言葉」に出会うことが出来ました。

というわけで、暑すぎた夏の終わりの4つのセッションを、製作ノート的に振り返ってみますね。

その前に自分について。


群馬県旧勢多郡粕川村に生まれ育ったボクは、子どもの頃に前橋の街に行くのがとても好きな子どもでした。でまあ色々あって、高校は桐生の方へ。そして大学進学のため群馬を出ます。
その後大学は中退し、長澤 節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学び始めた自分にとって、前橋は変わらず「綺麗な街だなあ〜」と恋心を抱き続けた存在でした。
しかし、バブル期の前橋の変化に疑問を持ち(これは前橋に限らず、日本のスベテの場所に対してだけど)1990年代後半以降、前橋の「まちなか」が寂れてゆく姿に喪失感を抱くようになります。
ふと気がつけば、故郷の粕川も前橋市に組み込まれ、見慣れた前橋市の独楽のような形も、赤城山大沼からこぼれ落ちるデッカいナミダのような形に変わっていて…

そんな喪失感は、その後ボクが日本各地の街を歩いたり、なんならその土地の方と協働でイベントを創ったり、理想の街のあり方を求め障害者施設とのコラボをしてみたり、震災後は東北を歩いたり、何よりローカルに暮らす多くの愛しき人々と出会うモチベーションになったのであろうと、今になって気がついています。(ちなみに、まだ行けていない都道府県は高知県だけ…)

長年見失っていたような前橋ですが、2018年春に父が亡くなる前後で足繁く通ったことで、前橋の再発見が始まります。
近年のまちなかでの動きは魅力的なものであり、そんな流れがあったからこそ、2023年にはまちなかで閉店した陶器屋さんで個展開催。街作りに関わる多くの人と出会います。今年5~6月には”前橋サバービア”敷島のフリッツアートセンターで展覧会を開催するため、前橋を歩き倒し、99枚のスケッチ作品を描き『ボクの知らない前橋』を体に刻み込むようなことをしました。

そんな経験を通し、今回の取材は「ボクは今の前橋を知らない」という前提で行っています。。

session 1_9月9日「インクルーシブ」
SHOP CAFÉ Qu 千木良真弓さん × 障害福祉サービス事業所「麦わら屋」 小野介也さん
道の駅まえばし赤城 SHOP CAFÉ Qu にて。

千木良さん、2024年の能登半島地震発災後、ボクが製作した復興支援用のポストカード利用を希望された方だったんだ。
というわけで、「心の2度めまして」のご挨拶をした千木良さん、ボクは勝手に男性と思っていたんよ。。
やっぱ人には会わねばならないね〜。

で、麦わら屋を運営される小野さんも、千木良さんとは前橋の街のあちこちですれ違っているはずなんだが、こうしてお話をするのは初めて?

障害者福祉の現場では、お互いどんな言葉を使うのか気にするところから会話が始まったりするんだけど、その部分を自分が先回りすることなく、なんなら訂正してもらうくらいの方がリアルに人が感じられるだろうと。ボケボケと質問を繰り返す自分に、お二人がとても真摯に答えてくれたことで、徐々に会話に熱が帯びて行きました。

そんなセッションの中で溢れた言葉、小野さんが理想と思う施設を運営する上で「前橋の”小ささ”に救われた」ということと、福祉ショップ立ち上げの店長に大抜擢された千木良さんの「当時は街を歩く人が”少なくて”、しかし、だからこそ多くの方とじっくり話すことができ、前橋の面白さに気がつけた」という言葉。

「小さい」「少ない」というネガティブに響く言葉を『若い人の軽やかなマインドでポジティブなものに変えられた10年』というものに、今の前橋の面白さが濃縮されているように思いました。

お二人とのお話は興味深いものばかりで1時間以上続きましたが、新聞紙上では600~700文字ほどに纏めなければなりません。紙面で伝えきらなかった部分で特に面白かったのは、お二人それぞれが福祉の世界に入ってゆく発火点の部分。
大学の専攻はそれぞれ福祉に関係無いものだったけど、それぞれ期せずして起きた障害のある方と触れ合いを、ポジティブに、もうちょっと言えば「当たり前のこと」と思えたことで、その人なりの人生が生まれたこと。
その発火点を語る姿に気負いは感じられず、実に軽やか。もうちょっと言っちゃえばオシャレ。時代が違えばロックスターになっていた?そんなことをボクに思わせてくれるボクより若い二人の存在が嬉しくってね。

『こんなマインドを持つ人が育つ土壌が前橋には ある』そう自信を持って言える日が来ることを想像しつつ、この企画で表現するべきことは『人こそ前橋の希望だ!』ということなんだろうと。取材の軸が見つけられたありがたい時間となりました。

そして、
この取材がきっかけとなり、来年2月14日にQu でインクルーシブなアートワークショップを開催することになりましたよ〜!

session 2_9月11日 17:00~「まちなか」
レストラン・モモヤ 森田和子さん × 高校一年のHさん
パーラーレストラン・モモヤにて。


「あ、写真は出さないでください」
「あと名前も」
前橋市内の高校一年生、16歳女子から対談を前に伝えられたお願いに一瞬フリーズ。
しかし秒で「わかったよ〜」「うちの息子も同い年、高一だからね、そういうのわかる。」「うん、なんとかなる、なんとか。」と切り返す。

10年前、小学一年生のHさんは、お父さんの仕事の関係で東京の世田谷から前橋に移住。
この日の対談相手、レストラン・モモヤの森田和子さん(現在78歳)と過去の(2017年)上毛新聞のこの企画ページに登場。
当時小学2年生だったHさんのことを「元気でよく喋る子だったよね〜」と嬉しそうに語り、対談スタート。

自分は心の中で「紙面のビジュアルどうしよう??」と考えつつも、Hさんの10年の変化こそ、この企画に確かな言葉を与えてくれるんだと確信し、相変わらずボケボケと質問をしてゆきました。

そうすると、これは本紙でも書いていますが、学校帰りで疲れた16歳を労るように、和子さんが優しく語り続けた「わたしの前橋」クロニクルが沁みるんだ…
ボクの生まれ育った世界的な養蚕地帯の郡部から、仕事を頑張った人たちが上毛電鉄に乗って前橋の街へ。そこで1人ひとりの幸せを謳歌していた『人の湧き立つ1970年代の前橋まちなか』。嗚呼、これこそが自分の愛した前橋。
なんだが、今は未来方向を向かねばだよね。

そんなボクの危惧を吹き飛ばすHさんの言葉。
(この10年)「わたしは変わっていないけど、この辺はにぎやかになった」からの、
Hさんにとってこの10年の前橋は「東京じゃこの経験は出来なかった」と。
これは親御さん、和子さん始め地域の方々、学校や友人との良好な関係だったり、前橋が人に与えてくれる余白があってこその「経験」なんだろうと。

それをさらに裏付けてくれたのが和子さんの「前橋は温かく 優しい街です。」

自分は前橋の表層的な部分を見て「さびれた」とか「盛り上がっている」と語ってしまってはいないか?
前橋の街で人が生きるために空気を送り血をめぐらせているものがなんであるのか、この企画でボクが答えを出すわけにはいかず。しかし、この紙面に出会った人が考えてくれることが、前橋の未来を創るんだと確信した対談。

この紙面のデザインラフを見せた段階で、Hさんはお名前だけ解禁OKとなりました。
その辺は本紙で確かめてよ〜〜

session 3_9月16日 09:30~「農業」
いちご直売オヘロパパ 佐藤日向さん × バラ農家 大谷伸二さん*前橋バラ組合
いちご直売オヘロパパのビニールハウスにて。

28歳の若さで立派ないちご栽培農園を営む佐藤さんと、前橋を象徴する花「薔薇」の栽培で高い評価を得ている大谷さんの対談。
ですが、ほんとごめんなさい。
ボクは佐藤さんのイチゴを食べたことも、大谷さんの薔薇に触れたことも無い、そんな失礼な状態でお話をうかがわねばなりません。(新聞記事がリリースされる対談から2ヶ月ちょっと後も、イチゴが実る季節にあらず…)
これまでやってきた仕事では、食べた実感を持たぬ表現は避けてきた自分です。過去に渡辺麻里奈さんと雑誌Hanakoで食の連載をしていた4年間では、麻里奈さんかお店紹介の原稿が届いたら、締め切りまでの5日の中で実際に食べに行って、絵を描いていたんよね。(ギャラはすべて胃袋の中に消えました)

しょうがない、ほーんと「何も知らぬよそ者」としての自分で臨むしかなかった対談。

お二人とも職人気質の農家さんで、多くを語るより、本質的なことをズバ、ズバッと口にされる感じ。そんな興味深いワードに出会うたび、会話をスタートラインに戻しその意味を探る「もっさり」したボクの仕切りに、我慢強く付き合ってくださったのは、やはり日々植物と向き合うことを生業とされているからなんだろう。

対談の冒頭「なぜこの仕事を選んだのか?」に対し、佐藤さんは「東京で学ぶ選択肢もあったが、東京で働く人たちの姿を見て、自分がやるべき仕事では無い」と判断したとのこと。実際はもうちょっと辛辣な言葉で、東京もんの自分はうなだれつつも、これだけで前橋で農業を営む優位性が感じられるわけで、心の中で「よっし」とガッツポーズ。
そうした強い言葉に対し、大谷さんが「バラ生産者の仲間がボソッとくれるアドバイスに助けられる」と、やはりボソッと語ってくれたことに、そうだ、群馬の生産者は「ボソッと」良い話をされる方が多いイメージだったなあ〜と。子供の頃を思い出した自分です。

そんなアドバイスをくれる仲間がいちご生産の世界にはいるのか?佐藤さんに尋ねると、イチゴの仕事の繁忙期が重なるため、仲間同士で研鑽を高める場を作ることは難しく、そもそも同じ作り方をしても同じものは作れず。「自分はこの土地の気温差や風の吹き方などが武器になっている」と佐藤さん。
佐藤さん!この言葉頂きます。と前のめりになる自分。

そこに佐藤さんのパートナー、じゅんさんが現れて、この対談をニコニコして聞いてくれたので、お二人のなれそめを伺ってみると、終始「イチゴ色」に染まった甘酸っぱい話でね…
栃木から嫁いできたじゅんさんが、地域のみなさんに助けられていること。
さらに「(日向さんは)近所のおばあちゃんたちに守られているんです」って。

ああ、早くここのイチゴを食べたい!大谷さんが育てたバラを愛でたい!!
ボクのこんな気持ちが伝わる記事にしなくちゃって、1時間半もお時間を頂いたちゃった楽しい話を、500~700文字にまとめなければならないプレッシャーを感じた、美味しい対談でありました。

session 4_9月16日 13:30~「移住」
ラトリエブロカント 石井トニーさん・レイコさん × 株式会社望心(もこ) 望月 誠さん・藍さん。

L’atelier Brocanteのアトリエにて。

はじめまして、望月 誠さん、で、パートナーは「藍さん」ですね…
「えっ、愛と誠 じゃないですか!」などという軽口から始めた対談。

いや、「はじめまして」の場所、トニーさんとレイコさんが運営するフランスのアンティークを扱うアトリエ、ラトリエブロカントの美意識に溢れた空間に気後れしてるのは望月さんご夫婦だけでなく、ボクもだったんだよ〜

さらに「はじめまして」の2組のご夫婦の対談。お互いオープンに語ってもらうには?ということを考え続けた時間。

「移住」を決意する際、なんらかのネガティブな事象を乗り越えたこともあるでしょう。
4名の「人となり」を掴むために、細心の注意を働かせながら話を進めようとする自分ですが、そうするために過度な自分語りを繰り返してしまってるなと、ちょっと焦りながら会話を進めてました。
ただ、自分を語ることで、インタビューは5名のセッションに変わったなあと。

この企画の目論見は「移住から今に至る生活」を聞き出すということだと思いますが、それ以上のこと、「これから前橋がどういう姿であってもらいたいか」「わたしは前橋でどう生きたいのか」そんな1人ひとりのビジョンを共有するような時間になったのではと思います。

フランス生まれのトニーさんと前橋出身のレイコさんがイギリスで出会い、栃木の益子を拠点としたフランスアンティークを扱う仕事を行うも、東日本大震災を機にパリへ。その後家族のことを一番に考えた移住先が前橋であったこと。

埼玉の医療機関で長野出身の誠さんは藍さんと出会い、意気投合し、「お互いの生きやすさ」を尊重し移住相談会を経て前橋へ移住。お子さんを授かる。さらに家族のことを考えた誠さんは、在宅で仕事の可能なネット通販事業を始める。

そんな「移住クロニクル」な対談を通しひとつ気がついたのは、ネットでものを買うことが当たり前になったところで、群馬県の前橋市で仕事をして暮らすことの優位性が高まったのではということ。東京まで1時間半。赤城山はじめ群馬の豊かな自然へのアクセスが便利な前橋。海は無いけど、大きな自然災害のリスクは低い。家賃も東京から比べたら…(心で泣く自分です)

藍さんの「前橋の自然の中で無邪気な姿を見せる、昭和の夏休みのような風景に子育ての可能性を感じる」って言葉に、誠さんが「うん、うん」とうなずく風景が、前橋にとって可能性だなあ〜

レイコさんは「私たちが移住してしばらくすると、男性が前橋に戻ってくるようになった」と。
このまま使うと誤解を生むのではと、本紙ではニュアンスを変えています。
レイコさんが語ったことの本質は、「めぶく。」という前橋市ビジョンが策定された10年前辺りから、JINSの田中 仁さんを中心とした民間での街作りが活発になった前橋。それを面白く感じた人たちが、前橋の可能性に惹かれてUターンすることが増えた。それにより街のクリエイティブのクオリティが高まり、トニーさんとレイコさんが前橋を拠点にする意味も高めている。ということでしょう。(実際にボクも前橋に惹かれてこの対談を行なっている)

ただこれは始まったばかりのことだよね。

トニーさんに前橋ってどんな場所ですか?と尋ねると「まだまだ磨くべき場所」だって。
いいね〜!希望が無ければ語れない言葉。

日本で暮らす中、前橋が選択肢となること。こんな記事を通してでも多くの人に伝わるといいな。


この取材は、9月の3連休の前後で行いました。

それは同じく広報ブランド戦略課のスタッフが中心となり結成された「まえばし名刺プロジェクト」の取材を挟んだスケジュールで行いました。

前橋で暮らす人の「わたしのまえばし」を探り、取材し、260枚のスケッチを用意し、市役所職員による投票で100枚を選び、100枚の名刺の裏に100種類の「まえばしスケッチ」を施すというプロジェクト。

この取材に至るまで、市の職員と何度もセッションを重ね、「前橋とはなんであるのか?」を探求してきました。

この2のプロジェクトが交差したことで気がつくのは、前橋が有する「やさしい余白」に、前橋で暮らす人たちの幸せが息づいているんだろうなということ。

こうしてスケッチによるイラストレーション制作、編集、デザインを進めて行く上で、絶えず「やさしい余白」というものを意識。実際仕上がったものはなかなかの文字量ではありますが、 でも開いて出会う新聞紙面からは前橋らしい「やさしい余白」を感じてもらえるはずです。きっと。

そんなものを一緒に作り上げてくれた前橋市と上毛新聞のスタッフ、
そしてボクに真摯な話を聞かせてくださったみなさんに感謝いたします。

今はこのプロジェクトが手から離れて、ちょっと寂しいじゃねえか…

以上、
3ヶ月ほど費やして書いたラブレターのようなものを振り返ってみました。。

2025
1126
アミイゴ
PEACE!!