塩竈-仙台-黒磯-東京の旅
秋が程よく深まってきたので
土日で家族3人の東北新幹線旅に出ました。
震災後にひとりで何度も巡った東北ですが、
満を持して家族を誘って向かったのは
今年3回めの訪問の“しおがま・みなと復興市場”
いつも丁寧な手紙やメールを届けてくださる若女将さんにも
家族を紹介することが出来ました。
復興市場では共栄丸さんも含め
数店のお店で獲れたての海の幸を頂くことが出来ます。
目の前の海でさっき獲れたばかりの新鮮な海の幸に
水間さんのお友だちが造っている塩竈の地酒!
野趣とエレガントさが交差する旨さは、
海なし県生まれのボクにとっては、
「食べる」ということでこれ以上を求められないうれしさ!
これでシメにアサリの炊き込み御飯でも出て来たら、
もはやボクの心の日本NO1レストランだろう。
仮設であっても
生産者の「これ食ってくれ」という心意気がハンディを凌駕してゆく。
でもって、東京育ちの3歳11ヶ月の息子くんも
初めて出会う海の幸に臆することなくよく食った!
(生牡蠣は10年早いってことでお預けだけどね)
そして、こんなNO1は日本の各地にあるんだよね〜という想像、想像。
松島湾を遊覧船で巡れば、
今食べたものの生産の現場を知ることができます。
今回乗り合わせた遊覧船のガイドのおじさんが、
松島湾の養殖についてや、震災被害や復興への道のりについて
熱心に語ってくれたことで、
さっき頂いたものの価値を重層的に感じることが出来ました。
管理栄養士として保育園で給食をこさえるカミサンも、
生産者との顔の見える関係を持つことで、
食の安全、コスト、美味しいということなどなど、
日々取り組まなければならない「当たり前」に、
さらに確かな裏付けを感じられたらいいね。
まあ、こういうことは一歩1コをじっくり積み重ねかなきゃだね。
水間さんが近況を綴った言葉には、
*「水曜の物語」> http://akasaki-wed-post.blogspot.jp/2013/11/20131113.html
困難をひとつ乗り越えた穏やかな風が吹いていましたが、
しかし、生活は以前に戻ったわけではなく、
風評にも根強く悩まされているとのこと。
風評に関しては、実際どんなことを言われたかうかがったけれど、
投げかけられた言葉には、底の浅い短絡しか感じられませんでした。
ボクは日々食の安全に気を配っている子育て中のお母さんを
友人としてたくさん持っていて(実際ウチだって子育て中だしね)、
そんな方々が「汚染水」なんて言葉に恐怖を感じる気持ちが良くわかります。
ただ、食の安全は日々あらゆるリスクと向き合う当たり前のことであり、
ネットなどに踊る数字に振り回され、疲れてしまうのであれば、
ちょっと頑張って塩竈まで来て、
生産者と顔を合わせて言葉を交わしてみたらいいのになあ〜と思いました。
(少なくともここでは「偽装」も「誤表示」も心配無し!)
恐怖は消費者も生産者も共有していることであり、
だからこそ、そのたまっ只中に置かれた消費者も生産者も、
これまでの日本人が歩んで来た生き方より
ずっと未来を歩いていることに気がつけるはず。
ただ、そこでの価値観の確認が出来ていない。
これからを生きるための価値観とはどんなものなのか、
消費者と生産者、東京なるものと地方、地方中核都市と周辺の生産地、などなどの関係で、
大きく呼吸するように考えを共有してゆけたら、
借り物ではない、真の豊かさを手に出来るんじゃないかな?
塩竈には特上の海の幸があって、
立派な酒蔵があって、
近海物の生マグロの水揚げが日本一で、
人口に対する寿司屋の件数が日本一で、
かまぼこの一大生産地で、
なんつったって目の前は松島だし、
そんな財産の業界的くくりをスルスルっと抜け出し、
新たな価値観を与え育ててゆくのは、
今の20代や高校生くらいの人たちではないかな?
そんな若い発想を育てるために、
なんか出来そうなことがあるなあ〜。
そんな妄想を抱きながら塩竈を後にし、
夜は宿をとった仙台市内で寿司。
塩竈市内で食べる予定だったけど、
息子を連れ回すには無理があってね、、
しかし、ニギニギッと人の沸き立つ仙台の繁華街を
家族で歩くことも楽しくて、
塩竈も仙台も両方見れてよかったです。
仙台でも老舗と言われている寿司屋さんは、
子連れの家族も温かく迎えいれてくれ、
息子は居合わせた常連さんからも良くしてもらっちゃって、
思えば、この旅を通して、
息子は出会う人出会う人に良くしてもらって、
つくづく良い土地柄だな〜と感激。
家族との初寿司屋が仙台でよかった!
寿司、うまかった〜
明けて日曜日は昼前に新幹線移動
その前に杜の都仙台をゆっくり散歩
この上なく良く晴れた空から注ぐ光と
凛とした空気に包まれた時間は、
ささやかではあるけれど、限りなく豊かなものであり
復興バブルの臭いのする夜の街とは対局の
仙台の清々しい魅力を浴びられたこと、
家族の財産になったはずです。
仙台はこれからもどうしようもなく東北を代表する都市として
歩んでゆかねばならないはずですが、
仙台ならでは、東北ならではの魅力がさらに磨かれた街であるかぎり、
また行きたい街であり続けてくれそうです。
仙台から新幹線で1時間ちょっと、
那須塩原で途中下車して黒磯へは一駅
SHOZOで珈琲一杯の贅沢
SHOZO 04storeで買うと決めている
sunshainのTシャツを息子に買ってあげ、
SHOZOで働く愛しきみなさんと
実りのある立ち話を交わし、
省三さんとも珈琲談義をちょいちょいっと交わして、
それはなにげない日常の場面の1つでしかないけれど、
東京>SHOZOではなく、
塩竈・仙台>SHOZOという移動の先で、
家族一緒にこの「人が気持ち良く働く現場」の空気に触れられたことは、
息子の未来考えてゆく上での発想を
柔軟なものにしてくれるんじゃないかと思いました。
そして、SHOZOのあり方は、
被災にさらされた方々、
特に若い人にこそ知ってもらいたいものだと思いました。
街中を子連れで歩いていたのがボクたちだけだった黒磯の街で、
「SHOZOがこんな場所にあるとは意外だった」というカミサンの言葉は
とてもリアルなものであり、
そのリアルさはすべての地方の街が抱えている問題と裏表の関係。
そして、気をつけて見れば、
今住んでいる東京渋谷区の問題ともリンクしてくるはず。
東京にだってローカルは存在するしね。
東京-仙台-塩竈-黒磯
そんな愛しき街と街は広大な田んぼや畑で繋がっていました。
経済的豊かさと心の豊かさ
グローバルとローカル
さて、息子はこれからどこに立って生きてゆくのだろうか?
答えを焦ってもしょうがない、
ゆっくり、じっくり、イッコイッコ
でも、ある瞬間、
瞬発力を試されることもあるだろうなあ〜
そんなことを家族という単位で考え確認することも大切だな〜って、
プライベートをさらけだして言葉にしてみました。
旅先で良くしてくださったみなさん、
ありがとう。
また元気で会いましょう!
2013
1116
1117
PEACE!!