週刊サッカーマガジン

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週刊化から20年めの雑誌「サッカーマガジン」が
編集体制を一新して月刊誌として生まれ変わります。

伯父の葬儀のために東京と群馬を往復した火曜日は
「週刊」最後の発売日。

帰りの高崎線の中で「週刊サッカーマガジン」をむさぼり読むことが、
もうひとつのお別れのボクらしい儀式だったようです。

20年ちょっと前にブラジルから帰国したカズは、
ボクが今まで出会ったことの無い日本人だったはずで、
彼を追いかけてゆくことで、
イラストレーターとして描くものもみつかるはずと考えました。

その後1993年にJリーグが開幕

鹿島アントラーズという地方都市の弱小クラブが、
ジーコというモチベーターの力で覚醒、
前期優勝という一種神話めいた物語に驚喜。

スポーツ=読売ジャイアンツという空気が揺らぎ始めていた時、
地方からバブルの弾けた日本が活性化する可能性を感じました。

ワールドカップを目指しアジアを転戦するサッカー日本代表の姿には、
当時の自分のタフな状況を重ね合わせ、共に闘うような気持ちでいたり、
だからこそ、ドーハで起こったことには心の芯から落胆。

これは世界中のハッピーマンデーズと共鳴した心情なんだと、
めくるめく想像力とサッカーを通して世界と繋がってゆきました。

そんな今まで味わったことのない心情の翻訳機として存在してくれたのが、
このJリーグ開幕の半年後に週刊化したサッカーマガジン。

週刊最終号で綴られた現編集長の週刊化当時を振り返る言葉。

月刊では遅すぎる
日刊では浅すぎる

新しいスポーツカルチャー(スポーツという言葉を外してもいいか、)が生まれ、
日本人の心情も更新されてゆく中で、
「素早く深い」を求めたスポーツジャーナリズムの必然があったということ。

その誌面で展開される名編集者、名ジャーナリスト各人の言葉は、
そもそもサッカーワールドカップを追いかけてきた人たちだけあり、
デフォルトでグローバル。
とてもスマートな発想をされている方が多く、
すべてが奇跡の名コラム!

そんな文章をむさぼり読むことが、
世界の中のボクを感じる手だてのひとつにもなりました。

ボクがイラストレーターとしてデビューしてから5年めのことです。

ではこの誌面で必要とされるイラストレーションはどんなものだろうか?

あらゆるジャンルの仕事を手がけながらも、
新しい日本人の姿をサッカーを通して描けたらなあ〜と、
ボクの貧しいビジュアル的思考の尻を蹴飛ばしながら、
絵の方向性を探っていったはずです。

そして、日本が初出場を果たした1998年のフランスワールドカップを境に、
サッカーをモチーフとしたイラストレーションの仕事が増えてゆきました。

その多くが、週刊サッカーマガジンであり、
同じくベースボールマガジン社刊行の月刊ワールドサッカーマガジンでありました。

熱き編集者と毎週毎月「素早く深い」コミュニケーションを交わし、描く。
それはとてもクリエイティブなヨロコビに溢れた現場だったし、
たとえば、作品の受け渡しが路上だったり、深夜の編集部だったり、
そんなフィジカルにも響いて来るストリート感覚もオモシロかったなあ〜。

そうそう、
毎回毎回強烈なスルーパスを出され「アミイゴ走れ!追いつけ!!」みたいなMな快感。
(オレはヒデに走らせられるロペスか、、みたいな)
特に、日韓W杯の際の、週2回刊の渦中でイラストレーションを描けたことは、今でも自慢です

水道橋のほうにあるベースボールマガジン社に行ったら、
編集部までは必ず階段を使いました。

それは階段の壁面に古き良き時代のベースボールイラストレーションが飾られていたから。

美しいフィールドに楽しそうな人々、
そこにプライドを持って躍動するプレイヤーの姿。

イラストレーションとして確立された構図をもつ作品群に会える、
ボクにとって最高のミュージアムでした。

そして、では今の日本のサッカーはどう描くべきか?
掲げられた高いハードルを目の前に、毎回毎回繰り返し考えたことでした。

そんな人臭い現場であった
週刊サッカーマガジンが「週刊」を手放すのは、
やはり社会の趨勢なんだろね。

実際、ボクは2006年のドイツワールドカップが過ぎたあたりで、
サッカーのイラストレーションの仕事がパタリと途切れたような。

それは編集者の多くが更新されていったこともあるのですが、
それでも、ではこの誌面でイラストレーションで何を表現するのか?と聴かれると、
ちょっと考えてしまうような、
それくらい社会の構造が変わってきてしまったという実感がありました。

今回、編集長さんの言葉は以下のように続きます。

週刊では遅すぎる
週刊では浅すぎる

心にドシーン響いた言葉は
そのまま、現在のイラストレーションの立ち位置の危うさを表しているように感じました。

2006年のちょっと前から、ボクは地方を巡ることを始め、
その経験の多くが今のイラストレーションの仕事に反映しているはずです。

そんな発想をくれたのも、
やはりサッカーというシンプルなものだったんじゃないかと考えています。
(鹿島や新潟で感じたことは特にデカい)

それでもきっとイラストレーションという表現手段は
時代のニーズから比べると遅すぎるし浅すぎるんじゃないだろうか?なんてね、

もっともっとイラストレーションの向かうべき方向を探ることで、
またいつか、サッカージャーナリズムの現場の熱き人々と
丁々発止のやりとりでもって絵を描けたらなあ〜と考えています。

こんなことをくどくどと書いてしまうほど、
週刊サッカーマガジンから週刊が外れ、変化してゆくことは、
ボクにとって重大事件だってこと。

残念だなあ〜

そして、
毎号毎号の鬼の編集作業に携ったみなさま、
おつかれさまでした!

しかし、次っすね!次。

なにか必要あればお声かけのほど〜。
キラーパスに追いけるよう、
ランニングマガジン「クリール」で鍛えてますから〜

最後に、ボクの最大の愛をもって、

最終号だからって、鹿島が激勝したマッチレポ、
載ってねーじゃん!!!

つか、最終号は、やっぱ名波なのか〜〜、、

本田でも秋田でもヤナギでもなく、
名波なんだ、、

だよな〜、、
サッカーマガジンだもんな、、

つか、鹿島の選手のポイント、
毎回低すぎやしませんか??
くそーー!!

などと、毎号毎号楽しんでいた。

地方の情熱のプラットホームであり、
個人と世界との間に置かれたトビラでもあり、
なんとも人間臭くビューティフルな雑誌だったっす!
2013
1029
PEACE!!
tis-amigos-koike-medium
つか、
もっと描かせてくれーー!
というのが偉大なる本音。

コメント / トラックバック 2 件

  1. そめのすけ より:

    ロニー!
    絵になるオトコだなぁ~

    早く柴崎が絵になるオトコになってほしいっす

  2. 小池アミイゴ より:

    >そめのすけさん。
    そうだね〜!こんな感じで絵になる人って、なっかなかいないけど、
    柴崎になにかのスイッチが入るとか、なにかが壊れるとかがあれば、
    かなり絵になるオトコになるはず。
    そう信じてます。

    でもって、間違ってでもいいから代表入って、
    ブラジル2014で経験積ませたいんだけどね。

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