3 2 1 と 街を歩く

3月21日の福岡でのワークショップから生まれた
震災被災者への応援フラッグの1つです

cafe “7”に集まった参加者69名

一般募集で集まったみんなと
アパレルと飲食の系列店全部を休みにして参加した
主催のbingo bongoグループのみんなとで創ったものは

今この瞬間被災者の心を救えたり癒したり出来るなんて
思い上がって良いものでは無く

しかし
被災地から遠く離れ生活する福岡の若いみんなが
顔を合わせ、言葉を交わし、手を動かすことで
「今できること」「これからやらなきゃならないこと」など
考えを行動に移してゆくための確かな足場にする
そんなものは創れたんだと思います

参加者の多くが働き遊び恋をする街“大名”
そこから「被災地に向けて元気のハタを振ろう」なんだけど

では「街の元気って?」「そこで生活する人の元気って?」

それを確認してからだな〜ってね
11時に集合したみんなと冷たい雨の降る街を歩いてみました


江戸時代から福岡城の城下として栄えた街「大名」

福岡城の掘り割りを埋め立てた名残り「明治通り」と
戦後復興の名残り「国体通り」に挟まれた街

年配の方の記憶には
街のあちこちに市が立ったり
街区の一部が今でも「紺屋町」と呼ばれるように
今も残る醤油工場だけでなく
多くの手工業所が軒を連ねていた街

日本の社会や経済の構造が変わってゆく中で
志しを持った若い人たちがセンスの良い店を出店
オシャレな若者の街として再生していった街

ボクは1994年の夏に初めてこの街を歩き
東京の街の肥大した姿や
地元群馬の街が失われてゆく姿と比べ
街を生きる理想を感じた街

それ以降は「裏原宿化」が進み
巨大な資本が投下されたショップが次々と出店

しかし現在の大不況にさらされ
福岡の商業地域のシフトや
2005年の西方沖地震での古い建物への被害も重なり
資本が撤退した跡が傷跡のようにして見える街

そして
もしかしたら
資本の撤退する勢いに呑まれ
街にあるべき若い人の志しまで流失させてはいないかな?
なんて
bingo bongo のみんなやボクが心配してる街

それでも
九州の人に言わせれば今でも「オシャレな街」であり
ある人にとっては「出店目白押し」なイメージだろうし

実際に街を歩く人も働く人もみんな
人懐っこくて朗らかでオシャレで愛しい人ばかり

だからこそ
改めて自分の足で街を歩き
五感全部を使って街の中から美しさを掘り返してみようって試み

なんだけど

なんだけどな、

今ひとつボクのエンジンが温まらない

連休最終日の雨のお昼前の街は
買い物にやってきたキラキラした人とすれ違うことも少なく

灰色の雲の下では
人の愛でカタチ作られたものが
経済原理でのみ造られれたものに
呑み込まれるような景色にばかり目が行ってしまう

造られる以前から取り壊すことが前提の建物は
人に見られるって意識を持ち合わせるはずは無く
街の墓標のようにさえ見えて来る

もちろんボクはこんな景色からも
人の営みのストーリーをでっち上げたり
絵として美しさに変えてゆく技術を持っているのだけど

それを説明して教えるワークショップじゃないわけで
こんな景色に向き合わされて「みんなダイジョブかア??」ってね

愛を抱えて街で生活してきたであろう人たちの痕跡を
街に残されたデザインとしてなんとか掘り返して
みんなに見てもらう作業を続けて歩いて

災害時の大名地区の避難所になっている
旧大名小学校で一旦解散

それぞれのペースで街を歩き
街でみつけた美しいモノや愛しいデザインを発見して
スケッチして
“7”に再集合


今回の参加費は1000円で
そのスベテは義援金に充てられるんだけど

なぜか“7”のスタッフがにぎってくれたニギリメシ125個炊き出され
ボクらはそのメシ粒1つヒトツを味わう

カフェイベントとか色々やってきたけど
寒い街を歩き頬張るニギリメシ
格別に旨かったです!

この有り難い旨さに
このワークショップの語るべき多くが込められてるね〜

心がほぐれてきたところでみんなのスケッチに出会う

それは69人分の街への温かな視線の集まりだったよ

ボクがちょっと絶望しかけていた街から
愛ある景色やデザインを掘り起こす若いみんなの感性

それこそが美しいもので
この街の財産なんだと思ったよ

実際
雑誌やなんかの街のカッコいい取り上げられ方からは
感じることの出来ない
そこで生きる人の呼吸が聞えてきそうなヘタクソなスケッチ

ずらずらっと眺め
意味を知りたいものは描いた人に説明をしてもらう中で
無性に泣けてきてしまう感じ
>bingo bongo のfacebookにあげられたこの日の写真も見てみて下さい
http://on.fb.me/dJj0xp

そうだ、
被災者は街を失うだけでは無く
こんな視線を失なわざるを得ないから悲しいんだ

そして
街が経済原理のみでカタチ付けられることの成れの果ては
震災で街を失うことと紙1枚ほどの違いしか無いんじゃないかな?
なんてね

1人ヒトリの視線に出会い
何人かの街に対する温かな言葉に出会い

さて
この街にも生き続けている愛って?
この街に欠けている色やデザインって?

ボクら1人ヒトリはあまりにも小さくて
カッコいいこと大声で叫ぶような力も持ち合わせていないのだから

せめて
大名の街から愛を掘り返した同士で語り合い
自信をもって振ることの出来るハタのデザインを考えてみよう!

てことで
男女2名ずつ4名
10いくつかのグループに別れて
ディスカッションスタート!

煮詰まったらボクに声をかけてよー!!

てことで
ナニが出来上がったのかは次のブログで〜

コメント / トラックバック 3 件

  1. ki-machan より:

    街歩きはいいですね。
    思ったよりたくさんの街の声が聞こえてきます。

    今はない場所、今もある場所、
    これからサヨナラする場所、
    記憶の中から声がやってきて、私たちの歩く速度をゆるめるようです。

    ただそんな中でも、
    そおっとしておいてほしい場所もあるようです。

    あの手この手をつくしても続かない場所、
    おかまいなしにガツガツ踏み込まれてしまった場所には、悲痛の叫びが聞こえます。

    遠く近くどこかを目指して、
    辿り着くまでの街のぶらぶら歩き、

  2. ki-machan より:

    街歩きはこれからの街づくりのヒントがたくさんありそうですね!

    ↑先ほど誤って送信してしまい、コメントがブツ切りになってしまいました!
    申し訳ございません!(汗)

  3. >ki-machanさん。
    ほんと、そうだね〜〜。

    今回は「わあ〜」と集まって「わぁ〜」と歩いてきたけど、
    これをきっかけに1人ヒトリが1人ヒトリの視線を信じ、
    いつもとりちょっと歩を緩めたスピードで街を歩いてもらえたらです。

    と、言いつつ
    誰よりも早歩きで街を爆走しているのはボクなのだがね、、

    ともかく
    いつかまた東京でもやってみたいワークショップです。

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