咲いていた


あの頃についてちょっと

ボクは清志郎の唄うことにうなずきながら
夜の街を迷い続けていた

錆びたナイフを振り回すようにして
バカげた時代の空気を切裂いてるつもりが
自分の指先をザックリ切ってばかり

見かねた友人にすすめられ
23才の誕生日の前日に長沢節という美意識に飛び込み
自由の厳しさや孤独であることの当たり前さを学んだ

絵で食ってゆくイメージをすぐに掴めたのは幸いだったが
心の中で錆び付いたままのナイフはいかんともしがたく
ともかくそれを振り回す事で錆を落とそうとしていた

そうして
多くのモノに出会い
それ以上に多くのモノを失い
いいかげん自分に呆れ果てた先で

必要なのは1コか2コの小さな唄であると気がつき
OurSongsという場所を創った

春夏秋冬という時も創った

たくさんの小さな唄に出会い
たくさんの弱さを浴び
たくさんの創造と共に
創ってはぶっ壊す作業
そして
やはりたくさんのものを失った

しかし
そこまでやって
どうしようもなく取り替えの利かないいくつかの唄を
手元に残すことが出来た


2011年1月30日の夜
ボクは渋谷のB.Y.G.の楽屋にあって
締め切りの近い絵描きながら
花*花のライブが始まるのを待っていた

その場所の空気が
今まで出会ってきたどんなバックステージより
幸せなものに感じたから
そのことを今から唄う2人と
2人を囲むみんなに伝えてみた

そしてライブスタート

その最後の1音が鳴り終わるまで
それは2人のSOULでありROCKであり
まぎれもなくLIVEだった

そして
それはボクのLIVEでもあった

それ以上のコトバが見つからないのだけど

ただ
清志郎さんや長沢節さんへ「ボクは今ココにいるぜ」と
伝えたいと思った


そして家に帰り
花*花と一緒に創ったアルバム「ハライソ」を
初めて封を開け聴いた

制作過程の途中途中で届けられた
花*花のゴツゴツしたコトバのカタマリに触れ
決してスマートとは言えないやり方で絵を描いて
生まれたアルバム

それは2人のLIVEに触れてから聴くべきものであろうと 
たいした根拠は無いのだけど
ともかくそうするのが良いのだと思っていた

そうやって紐解いた「ハライソ」は
相変わらず痛みやナミダや哀しみや鼻水で彩られているのだけれど
しかし
底抜けに優しいものに育っていた

それは
その辺に咲いている小さな花ふたつほどのものでしかないのかもしれないけれど
ボクには取り替えの利かない美しものであったよ

これならボクたちも無理なく水を与え続けることが出来るしね

ボクらは
メシ食って出すもん出したら、屁こいて寝るだけの毎日だけど
それだけでスバラしいとも思った

コメント / トラックバック 4 件

  1. oka_pon より:

    泣けますね。
    なんだかとっても胸に刺さりました。
    良い言葉をありがとうございます。

  2. オトシゴロ より:

    メシ食って屁こいて寝て!
    それで充分で、歌ったり描いたりできるのは、
    そのオマケみたいなご褒美かも知れません。

    気持ちが繋がるって、大手術ですね。
    ありがとう。

  3. >oka_ponさん。
    いやいや、なんともハズカシいのですが、
    しかし、人が創り上げたものに答えるには、
    テメエーを曝け出さなければならない時もあります。

    それが今回だったし、
    実はそんなことを行きてるあらゆる場面で出来る社会じゃないとな〜
    なんて思っています。

    息苦しい時代にちょっとでも風穴空けられるよう、
    蹴りを入れるかわりに書いたブログでもあります。

  4. >オトシゴロさん。
    いやー、なんだか、かんだかの話の流れで
    「メシ食って〜」まで行き着きましたが、

    改めてヒトリでジックリ考えてみたところ、
    大阪人の発明した「屁ぇーこいて寝ろ」は
    人間が現代の社会を渡り生きる上での
    実にシナヤカ智恵なのではないかと、

    人の弱さ下らなさを「ぷっ」とひと言で言い表しているような

    ああ〜〜、
    そんな表現のモノを創れたらなあ〜〜

    そう思うのだ、YO!!

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