竹富島


Yちゃんの披露宴の次の日のお昼前
帰りのフライトまでの時間どこに行くのか
何も決めていなかったのだけど

披露宴の最後で絞り出されたYちゃんのコトバが素晴らしくて
そのコトバの裏付けを探せるんじゃないかな?なんて思い
石垣のすぐ隣りの竹富島へ足を運びました


5度目だったっけかな?の竹富島

いつもは桟橋から送迎バスで集落へ
そこから貸し自転車で島を廻ることをやってきたのだけど

初めて「すべて自分の足で歩いてみよう」てね

ドンヨリ雲に覆われ冷たい北西の風が吹きつける天気
たまにドドっと雨さえ降って来る竹富

観光用のパンフレットはスベテ
「青い空青い海に包まれた癒しの美ら島」竹富島だけどね

ここで生きてこられた人々は
こんな天気の中でも自分の足で歩き
働いていたんだよね


1999年に初めて八重山を訪れた時
「人の死が当たり前に肯定されている場所だな〜」と思えた
竹富島が含まれる八重山の島々

それは今の日本を覆っている絶望的な閉塞感や
3万人を越える自殺者を出している現実とは
決定的に一線を画す「生の肯定としての死の肯定」みたいな


Yちゃんのコトバを繰り返し考え
強い季節風が枝のカタチを造っている暴風樹を見たり
深い緑の中に1コだけ咲いている赤花を見たり
ボクはナニが目的なのか曖昧のまま
たまに雨に降られたりしながら
誰ともすれ違うことの無い道をただ歩いていて
ただ孤独なままで

なんとなく
生の結果が死なのではなく
生と並走して死があるってことなんだななんてね

ひとつの死に対して
それを生かし続ける智恵を昔の人は持っていたんだな
なんて実感が
肌に感じる感覚のようにして心に広がって


観光用のパンフレットには決して載らない
ちょっと恐怖さえ感じさせる冬の海に出会うと
古い桟橋の跡だった岩に
荒れた海の波が当たって砕けて
ザーザゴーゴと唄っているようで

八重山に歌い継がれているアノ穏やかの唄の数々って
どこまでも青い空の下で作られたんじゃなくて
こんな厳しい景色に共鳴して生まれてきたんじゃないかな?
なんて想像したり


人々はあらゆるモノと折り合いをつけて生きる智恵があったはずだけど
なんだろね、
現代を生きる人々は実に欲の深い生き物になってしまったな〜


いつ来ても穏やかの表情を見せていた西桟橋も
今日は桟橋の右側の海が荒れて
その先に小浜島や西表島のシルエットが霞んで

米の作れぬ環境の竹富から小舟で海を渡り
西表で米作をしていた人々の
生きる執念を感じたり

しかし
それは決して無謀なことではなく
やはり経験から来る智恵を結集した上のことであるんだなってね



竹富島では星野リゾートによるリゾート施設の開発が始まっていて

それに対して現在でも
多くの意見が寄せられたり
星野リゾートと住民との対話が繰り返されたり


実はボクは星野リゾートの社長さんを取材したことがあり
彼が目指すリゾートのあり方
もしくは日本人が進むべき方向についてのお考えに
共感していたので

竹富での開発も
まずは竹富の住民にとって幸せなものであれば良いなあとね


今ある竹富の魅力を失ったりマスキングしてしまうような発想は
星野リゾートに無いはずだけど

それでも必ず発生してくる歪みや問題を
そこで生活してこられた方々の智恵も結集して
日本における地方の新しいカタチを創造してもらいたいな〜


1986年に制定された竹富島憲章はこんなです

一、『売らない』島の土地や家などを島外者に売ったり無秩序に貸したりしない。
二、『汚さない』海や浜辺、集落等島全体を汚さない。また汚させない。
三、『乱さない』集落内、道路、海岸等の美観を、広告、看板、その他のもので乱さない。
        また、島の風紀を乱させない。
四、『壊さない』由緒ある家や集落景観、美しい自然を壊さない。また壊させない。
五、『生かす』 伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、民俗芸能、地場産業を生かし、
        島の振興を図る。

これが生きているから
ボクはこの島に何度も足を運んでいるんだと思います。


以前島に宿泊した時は
夜は9時も過ぎれば集落全体が静かな闇に包まれ
遠くから祭りの準備の演奏される小さな音楽が聞えてくるだけとかね
夜はただ眠るだけっていう
ある意味とても贅沢な時を過ごしました

スキューバやサーフィンやジェットスキーなど
いわゆる「南の島のリゾート」を持たぬ竹富島は
今回歩いてみても主要スポットを2時間ほどで
ひと回り出来てしまうほど大きさ

そこに一泊4~5万円の施設が出来るってことは
ある程度歳を重ねた豊かな層の人が
ただのんびりするために利用するはず

そんな利用者にあらためて竹富島憲章を理解してもらうことで
竹富の文化なり自然なりを末永く守ってゆく力に変えて行くとか

単にこの施設が出来ることで雇用が生まれ
インフラ整備の土木工事で瞬間的な金が動くとか
経済原理優先の古い発想の利害関係だけで
2012年夏の開業に至ってもらいたくないね

開発は確実の進んでゆくけど
この島を愛する人が
開発を自分たちのホンモノの文化に育てて行くために
智恵や努力を結集してもらいたい


大好きな沖縄や八重山だけど
「しょせん観光客相手」なんていう考えの
いい加減な仕事を目にして悲しくなることが多いのも確か

沖縄や八重山に限らず
トイレがいつも人の手でキレイに掃除されているとかね
そんな些細なことで
もっともっと本当の豊かさを日本は手に出来るはずだと思うのです
(だからって自動でフタの開け閉めするトイレとかやり過ぎだけどね、、)


星野リゾートの社長さんを取材した時の話

どんなリゾートを造るのが夢か?に対して

スタッフがお爺ちゃんお婆ちゃんばかりで
都会のコドモが泊りに行って
バアちゃんの料理食って
ジイちゃんの仕事を手伝ったり一緒に風呂に入る宿

もしくは

人生を終えようとしている人が
その最後を過ごす宿

そんなことを言ってました

みなさんが竹富島にナニを求めるのか
人それぞれだろうけど

ボクは夜の静けさと
人の小ささとその尊さを手に出来る場所で
あり続けてもらいたいと願います

そして
小さな島で起こっていることは
今の日本の合わせ鏡のようにも思えました


竹富島様
おじゃまいたしました
ここで出会えた多くのコト
ありがとうございました

そしてまたいつの日か
日々を頑張った先で
おじゃまさせて頂きたく存じます

○以下
竹富島のリゾート開発の経緯やそれに対する考えが述べられたサイトを
リンクしておきます

・星のリゾートからのニュースリリース
http://www.hoshinoresort.com/company/news/2010/07/post-24.html

・星野リゾート「竹富島」に進出
http://allabout.co.jp/gm/gc/75723/

・竹富島憲章を生かす会

トップページ

・琉球新報の記事
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-160310-storytopic-4.html

コメント / トラックバック 5 件

  1. […] This post was mentioned on Twitter by ヒラバヤシ トモコ, ようちゃん, SmallCircleofFriends, 小松俊之 , 小池アミイゴ and others. 小池アミイゴ said: 竹富島で見た事、感じた事、考えたこと http://bit.ly/iblBz […]

  2. 竹富誠司 より:

    竹富誠司と申します。
    竹富島出身ではありませんが、洒落もかねて、以前竹富島に2泊した事があります。渡し船がなくなったあとの、風の音しか聞こえない、夜の静けさが忘れられません。
    星野リゾートの開発には賛否両論あるとは思いますが、このリゾートが竹富島憲章が守られたまま、地元に定着していくことができれば、新しい希望につながると思います。
    このリゾートが竹富島の文化を壊す事があれば、有る意味星野リゾートも終りでしょう。
    その覚悟を信じたいと思います。

    あまりに、写真と文章が素晴らしかったので、コメントさせて頂きました。

  3. 小池アミイゴ より:

    >竹富誠司さん。
    コメントありがとうございます!
    去年の1月に綴った自分のコトバに再会して、
    あらためて八重山を想うとともに、
    3月11日以降の被災地や世界そのものを考えてみました。

    竹富で生活する人々が積み上げて来たこと、
    これからの日本に置き換えることの出来る
    最先端の発想ではないでしょうか?

    これからもそう考えられるよう、
    竹富の未来がそこでの生活者にとって
    好ましいものであればなあと願います。

    そして、ボクはどのような開発が行われようと、
    静けさと謙虚さを求め竹富に足を運ぶはずです。

    生活のあらゆる場面で
    1人ヒトリの行動が試されるように感じる今、
    竹富島のような場所から学ぶこと、
    さらに重要に感じます。

  4. tedunpitou より:

    小池アミイゴさま

    私は竹富島に暮らす約350名のなかのひとりです。

    竹富島という島は、
    竹富島を愛する人々の心のヒダが集まって出来たような島です。

    私の周りにはこうした方々が暮らしており、
    石垣島や沖縄島、そして本土の故郷を思う血縁者が
    竹富島を心の拠りどころにしています。
    ですから、ひとりひとりの言動がとても重く、
    また、その言葉をみんなが大切にしています。

    このことは、

    “うつぐみ”という竹富島を象徴する言葉や、
    『竹富島憲章』に謳われている一節一節に滲み出ています。

    私は、
    恐らく「星のや竹富島」で働こうとするみなさんは、
    いずれはこうした想いの積み重ねに気付いてくれると思っています。

    なぜなら、
    今回拝読させていただいた、
    ブログに綴られている竹富島の心のヒダに触れることができる
    感受性をお持ちの方々の声が、
    竹富島を支えているからです。

    いつの日か、
    充実した日々を過ごしたのち、
    心の休息を求めて、
    竹富島へお越しください。

    私は、
    その時の竹富島の姿がさらに光り輝き、
    「宝石のような島だ」
    と多くの人々から称賛される島であり続けることができる
    と確信しています。

    地べたに這いつくばり、豊かという言葉とは程遠い
    狭い大地を耕し続ける日々を過ごしながらも、
    礼節をわきまえ、謙虚にあるがままの道を受け入れることでき、
    寡黙でしとやかでありつつも、
    揺らぐことのない己の信念を持った
    先人たちの精神を引き継ぐ竹富人のひとりとして。

  5. 小池アミイゴ より:

    >tedunpitouさん。
    貴重なお言葉ありがとうございます。

    ボクは今日九州から帰ってまりました。

    大分山間の小さな町で行われた結婚式に参加、
    音楽会のお手伝いをさせてもらいました。

    その土地で培われてきた生きる智恵やヨロコビと共に、
    ボクのように東京で生活するものが持ち込む価値観とが
    並列されたような時。

    参加されたみなさんはとても幸せそうにして喜んでいました。

    ただ、
    tedunpitouさんが竹富に対して思われていること、
    それと似たような感覚でその場所に立たせて頂いていたボクがいました。

    それは違和感であり、
    それ以上に、
    その土地への畏敬であったはずです。

    いやいや、群馬県で生まれたボクは、
    30年暮してきた東京に対してさえ
    同じような感覚で触れているんだと思います。

    その畏敬、
    それは尊敬と言ってもいいし、恐れと言い換えてもいいのですが、
    それは決して自分の精神を不自由にするものではなく、
    それをキッチリと足場にして立つことでのみ得られる、
    創造のヨロコビの入り口なんだと思うのです。

    特に3月11日を経験した今、
    竹富島から気がつかせて頂くこと、
    これからのボクたちが生きるための価値観を創造する上で
    とても貴重なことであると思っています!

    その上で、
    ボクたちはお互いを恐れること無く、
    1人ヒトリが生きた時間の中でのみ手にした美しさを
    共有したりぶつけあったりして、
    そこで生まれる熱をさらなる美しさに変えてゆけたらと願います。

    今度はいつになるのか未定ですが、
    また竹富島におじゃまさせて頂くことがあり、
    さらにご縁があれば、
    ご挨拶させてくださいませ。

    では、まずはお元気で!
    美しき島の時を〜

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