瀬戸内漂泊

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西日本を巡回中の「東日本」というテーマの展覧会。

長崎の諌早から始まり
大分の日田、大阪の池田、福岡、佐賀と巡り、
淡路島までたどり着いたところで、
瀬戸内を巡ってみることにしました。
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巡回の先々で出合う風景、出合う人々との会話、
そんな経験の積み重ねは、
東日本の絵の見え方も違えてきているような。

ならば、9年前の11月に初めて足を運び、
沢山の写真を撮った尾道と瀬戸田で
あらためてなにが見えてくるのか?
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東日本から西日本へ、
点から点へ、それをつないで見えてきた面の上に、
2011年3月11日をはさんだ9年の時を重ねてみる。
そんな作業。
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もしくは、
「阪神淡路」の土地での19年の時が
なにを見せ、なにを語ってくれるのか?

「東日本」というテーマーを、
より立体的なものに変えてゆくことで、
いつか東北にも届けられるものに出来たらと考えています。
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淡路や神戸で出合った人からうかがった
『1995年1月17日朝』の話しは、
19年の時を経ても、
昨日のことのように生々しく心に迫ってくるものでした。
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もちろんお話をうかがったお1人おヒトリで、
あの時10歳だったか20歳だったとか、
被災とのちょっとした距離感の差さなどによっても、
その後の生き方への影響に違いが生じているはず。
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それでも「誰かの死」と向き合った経験は、
1人ひとりの中に生の確かさと儚さを同居させ、
それが淡路では、慈しみ深くも美しい景観を残す力となり、
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神戸では、悲しみや恐怖を振りほどくための
急速な開発に繋がっているように感じました。
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ここ数年で、若い人でお百姓やものづくりを志す人や増えたり、
島外から移り住んでくることが多くなってきたという淡路は、
たとえば、福岡の糸島のようになってゆくのかもしれないね。
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夏休みの始まりと重なった神戸の街では、
スパッ、スパッとすれ違ってゆく一期一会の人々の姿に、
ボクなど軽く吹き飛んでしまうほどの活気と共に、
都市ならではの淋しさも感じました。
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都市観光というものは、なにかをコンプリートすることで完成するものだけど、
淡路でうずき始めているような「郊外のローカルカルチャー」こそ、
都市に暮らす人にとって、これからさらに必要とされるものになるはず。
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そうなるためには、あらためて今までの価値感を見直さなければならないはずだし、
今まで以上に風通しの良いコミュニケーションの現場を創らなければだし、
そうすることで、1コ1コの質を上げてゆかねばならないなあ〜。

絵を描くとか、音楽を奏でるとかは、そういった現場創りのために
エネルギーを注がなければだなあ〜と、

自分の描いた絵が「そこ」にあったからこそ生まれた、
人の痛い記憶も共有出来た豊かな会話のあり方に、
自分がこれから創るべきものの明快な輪郭が見えたような、
そんな淡路-神戸の時でした。
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神戸のトリトンカフェの松岡さんが話して下さった、
「神戸は未だに震災前に戻っていない」という言葉、
これをこの先どれだけ共有出来るようになるのか、
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課題を抱えたまま、尾道へ。

夜に着いた9年ぶりの尾道。
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変わらぬはピタっと平な水面に立つ波のカタチ。

そこに映し出される街の灯りの複雑さに、
9年分の変節を感じました。
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ホテルの朝。
窓から射し込む尾道水道に乱反射した光は、
9年前の記憶を呼び起こし、
その美しさに触れたくて、一気の目がさめました。

水上バスで向ったのは瀬戸田。
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9年前にもアドリブで行った島。

そこまでの航路で目にした光の記憶が美しくて、
9年後のボクは、
もしくは、2011年3月11日以降のボクは、
この風景をどんふうに見るのか?
そんな興味。
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尾道や瀬戸田は
太平洋戦争末期の空襲を受けなかった土地。
(尾道の対岸の向島の造船所は被害に遭ったそうだけど)

そのため、古い街並が残っています。
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瀬戸田の港から続く商店街は、
まさにタイムスリップって風情。

ただ、商店の多くはシャッターを下ろしてしまっているんだけどね。
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街からちょっと坂道を登ってゆくと、
国宝に指定されている塔に出会い、
そこからのぞく瀬戸内の海は、
どうしようもなく親密で美しく感じるものでした。
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米作には適さぬ島で、
しかし、古くからここを愛した人々が
コミュニティを形成してゆき、

ある時期は、瀬戸内の物流の拠点として発展もしていた。
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土地のおじさんに色々お話をうかがうことが出来たんだけど、
昭和50年くらいまでは、商店街も賑わいを見せていて、
しかし、その賑わいは急速に失われていってしまった。

それまでは海の幸も豊かで、
目の前の海で魚をモリで突いて獲ったら、
それを米に変えたりして暮らしが成り立っていた。

そんなことを実に懐かしそうに、
実に淋しそうに話してくれました。
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ボクの記憶では
1970年代の瀬戸内海は公害により「死の海」と呼ばれていたはずで、

東京から来て見ると、
ただ豊かで穏やかなものとして目に映る瀬戸田の海が、
公害でひん死だった時のことも、
海の幸が沸き立つようにして獲れていたことも、
ボクの想像力では追いつかないことでありました。

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想像力の足りなさは、
ともかく歩くことで補わなければです。

そうやって歩いていると、

そうか、東日本で流されてしまったものも、
こんな街の風景であったかもしれないんだなと、

東北太平洋岸と瀬戸内とで、
まったく同じなんてことは無いけれど、
しかし、失われたのはこんな時の積み重ねだろうと。
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では、今も失われていない瀬戸田の街で、
しかし、おじさんの豊かな記憶の風景は
どんどん遠くに押し流されてしまっている。

気仙沼では、
漁獲高が震災前の6割まで復活しているとのニュースに出会い、

しかし、瀬戸田では魚を獲る暮らしが失われている。

2011年3月11日に東北太平洋沿岸の街で失われたものと、
高度経済成長期から今に至る時の中で、瀬戸内の港町で失われてきたもの。

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う〜〜〜ん、、

この日の瀬戸田は“sea級 グルメ グランプリ”というイベントに、多くの観光客を集め、
野外ステージではフュージョンバンドがシンコペーションを利かせた曲を演奏していて、
東日本をテーマに漂泊してきたボクは、のどかな海水浴場に出くわす。
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なんてったって、瀬戸内の海は穏やかに美しくて、

だからこそ際立つ、おじさんの淋しさ。

もしくは、
この街で生まれ唄われてきた歌はどんなリズムだったんだろうか?
そんな想像。

うん、またいつか足を運んでみます、
瀬戸田。
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尾道にもどり、
海沿いの街並を歩き回り、
特に若い人が創ろうとしているカルチャーに触れた後、
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9年前に出合った景色との再会を目指し、
坂の街を迷いながらも登りました。

が、
目的のもうすぐ手前のところでカメラが充電切れ。
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梅雨明けの猛暑に全身ぐっしょりの汗でしたが、
しょうがねえ、振り出しへ、、
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ホテルで充電、
日が沈んでしまう前に目的の場所へ。

尾道水道からしまなみ海道を望む瀬戸内の景観。
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夕暮れ時の刻々とした光の変化。

一瞬一瞬で失われてゆく世界。

家に戻り、9年前に撮影した写真と比べてみると、
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ボクの視線がどこに注がれているのか、
これは自分のことだからこそだけど、
その劇的な変化に、この旅の意味が明解になりました。
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そんなすべては、次に描く絵に反映させてゆきます。

「東日本」をテーマに漂泊した瀬戸内。
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9年ぶりの街は、変わってしまっていたものと、
変わらぬものとが交差して、
視線のやりどころを定めるのに戸惑いを感じたけれど、

戸惑いはボク自身の資質であり、
ならばヘトヘトになるまで歩いてみるしかなく、
そうして自分を支配してゆくどうしようもない身体の疲れは、
ボクの身勝手な思い込みを押さえ込み、
結果、
どうしようもなく美しくささやかな人の営みの景色を見せてくれました。
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9年前も今もそれは変わらず。
ただ「東日本」の経験は、
さらにその奥に潜むものまで感じさせてくれた。

尾道のお寺からは、タテタカコさんの素晴らしい唄声が聴こえてきた。
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坂の街の静かな路地を歩いていると、
その奥のだれかの家から
ウクライナでなにが起きているのか、
ガザでなん人死んでいるのかを伝える
テレビの声が聴こえてきた。

会っておきたい人が住んでいる街だけど、
旅を通し、自分の中で小さなフレーズが鳴り始めたように感じ、
それに枝葉がついてしまう前に絵にしなくっちゃってね、
静かに尾道を後にすることにしました。
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最後の晩の食事は、
駅前に5日前に出来たというナポリピザの店。

しっかり修行してこられたはずのピザの味は、
疲れた身体にも、瀬戸内の気候にもマッチしていて、
ボクの「おいしかったです」に対して、
実に気持ちの良い笑顔を返してくれもした。

街はこうやって更新され、
もちろん、その影で失われるものある。
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大切なのは、
ボクが頂いた笑顔を記憶すること。
それを次に手渡してゆくイメージ。

東京への途中で京都に立ち寄り、
その現場でなにをやれば良いのか確認。
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東京にもどったら、
いつもの店で晩メシ食って、
心からホッとさせてもらった。
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