悲しみについて

日曜日はちょっと時間を作って吉祥寺へ
ASA-CHANGのレクチャーを聴きにゆきました
テーマは
『いわき じゃんがらとは?~プロジェクトFUKUSHIMA! IWAKI!!とは~』
いつもはバンドのリハなどに使われる狭いスタジオで
熱く語ったASA-CHANGに触れ、考えたことを
コトバにしておこうと思います
ASA-CHANGと出会って20年
バブルの火照った空気がフワフワしたままの当時の東京にあって
出会った瞬間からお互いの悲しいところをつっ突きあった関係
ボクの勝手な印象だけど
人間が悲しいものだってことから目をそらしていなかった
数少ない知り合いのヒトリ
そんなに頻繁に会うことはないけれど
彼の演ってる音楽に出会えば
悲しみが心に忍び込んでくる
(スカパラ在籍時のぶっ飛んだ太鼓の音でも!)
その悲しみってヤツが
メチャクチャホットだったりするわけで、
ボクとASA-CHANGは煮ても焼いても似たもの同士なんだろね
そんな彼が3月11日を越えて
生まれ育った土地、福島県いわきを思い行動に至ったのが、
地元に伝わる郷土芸能“じゃんがら念仏踊り”を学び
8月13~15日の期間に行われる
新盆の家を巡る念仏供養に参加すること。
ここまで説明しても
ほとんどの人が「スカパラやってたASA-CHANGがなぜ?」なのかもね
しかし
ボクにはこのアクションに共感した
てか
やはり悲しみが染み込んできた
ボクたちは
喜びや幸せってヤツをコントロールされまくってきちゃってるよね
さらには悲しみや痛みさえも演出され
それに踊らされていたのかもしれない
それが3月11日にぶっ壊され
とてつもなく大きな悲しみが生まれた
さらに
そこに原発の爆発という事実が加わった
東北なんてものがこの世から消滅してしまったように語られたり
(西日本に知り合いの多いボクの実感はかなり痛いものだった)
福島は“フクシマ”に
そして“FUKUSHIMA”と呼ばれ
マイクロシーベルトという単位と抱き合わせで語られるようになった
でもボクは
東北の多くが存在していることを知っているし
津波で壊滅的な被害に遭った土地にだって
「次」を創り出そうって意思が働いていることを知っている
もちろん今でも被災の現実は深刻極まりなく
放射能の恐怖に対して多くの人が自衛の手段として
移転やコドモの疎開などをしたりしている
しかし
それでも今この瞬間も東北には人の営みがあり
自然は厳しくも美しいままの姿でそこに在ってくれている
そんな土地で多くのヒトリが失われた
それは
石巻-○○名、宮古-○○名、気仙沼-○○名という数字ではなく
ヒトリが愛した土地でヒトリの命が失われた
その積み重ねであるよね
そんな事実に
ボクたちはもっと正々堂々悲しんでいいんじゃないかと
「がんばろー」も大切
「マイクロシーベルト」も重要
でも悲しさを受け入れてこと感じること見えるものがあるじゃん
「FUKUSHIMA」と言っても
海沿いと山沿いではまったく違った文化圏
それを福島第一原子力発電所の事故一色で
塗りつぶすことなど出来るはずもなく
そこには1人ヒトリの悲しみが
歯をくいしばって日々を生きているんだって
その悲しみを昇華する地域の装置として
じゃんがら念仏踊りが
今から400年も前に発明されて
それがあったからこそ
震災や津波、放射能の恐怖にさらされても
地域が生き残っているんじゃないかと
今回のASA-CHANGのレクチャーでは
いわき市内だけでも100以上はあるじゃんがらの団体のうち
特徴を持っている幾つかを紹介してくれ
併せて
東北地方に伝わる郷土芸能の幾つかも映像で見せてくれて
なるほど、
じゃんがら念仏踊りは
新盆の供養であると共に、
米の豊作を祈念する奉納でもあったんじゃないかな?なんてね
これはお盆がこの時期に設定されていること自体が
農繁期のひと呼吸であり
家単位で先祖を思い米の収穫に向けて結束を高めると共に
地域の結束も高める意味があるはずで
その期間に若い衆が鐘や太鼓を打ち鳴らし踊ることは
地域の癒しであり、念仏による戒めでもあり、
供養であると共に、地鎮であり豊作祈願でもあり、
芸能でもあったんだろね
これは人間の智恵の結晶だと思うよ
原子力発電所が人類の知の結晶であるのなら
それに劣らぬ人間の営みから絞り出された智恵の結晶
そんなものが原発の事故で失われて良いはずが無い
地元いわきを離れて30年のASA-CHANGが
個人的なアクションとしてじゃんがらに取り組みこと
それは群馬に生まれ東京に住むボクにとっては
なんら関係の無いごく個人的なことなんだろう
しかし
ボクはやっかいなことにASA-CHANGの悲しみみが共鳴
あらためて自分の生まれた土地
今生活している土地
旅先で出会った愛しき土地の数々
そこで育まれ続けている
もしくは悲しくも失われてしまった
人と愛しき生活について思いを馳せ
そして
もしボクが子供の頃駆けた群馬の土地で出会った
「あんな風習」や「こんな祭り」は今も残っているのだろうか?
なんて考え、
もし残っていることを知ったら
それはボクというヒトリをこれからも生かしてくれる
しなやかな力に変わってくれるんだろうと思う
いわきでのASA-CHANGの取り組みは
悲しみを共鳴帯として
被災地へも
被災地からこちら側にも伝わり
1人ヒトリの生きる熱を生むんだと思い
ボクは賛同しています
いや、待てよ、
じゃんがらを生んだ“いわき”
フラガールの常磐ハワイアンセンター以前は炭坑で栄え
重工業も発達
しかし炭坑閉鎖で経済的地盤沈下
そのころ北に隣接する土地で原発建設
その構図は実に分かりやすく
ただ、
ボクが歩きASA-CHNAGがじゃんがらを踊った辺りは
実に豊かな田んぼの景色が広がり
ちょっと行けば豊穣の海
そこには自然の厳しさはあるのだけれど
しかし
誰がこの豊さを「豊かでないもの」に変えてしまったのだろう?
農業も電力も補助金浸けにして
誰が本当の豊かさを手にしたのだろうか?
今夏の夏フェス出演の後いわきに帰る高速バスからASA-CHANGのつぶやき
(今年の夏フェスでは「反原発」が叫ばれることが多かった?)
>なんでみんな花火をあげたがるんだ
>精霊流しじゃダメなのか
グサッと悲しみが突き刺さってくるコトバだったな〜
ボクは悲しみを肯定し受け入れることを続けるよ
ASA-CHANG
考えるチャンスをありがとう
・じゃんがら念仏踊りにについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%89%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E8%B8%8A%E3%82%8A
・6/11に足を運んだ豊間はASA-CHANGの活動している土地だった
・8/15豊間に再び、ASA-CHANGには会えず
