31ヶ月め

小薔薇001小
今日は2011年3月11日から2年7ヶ月
945日
31回めの11日です。

昨日、ベランダの小薔薇の鉢植えを見たら、
白い花が1コだけ咲いていたので、
仕事の合間に描いてみました。

春に花をつけ、そのまま立ち枯れた薔薇の赤茶色い薔薇の森。
その合間から新鮮な緑色した葉っぱが顔を出し、
その色彩のコントラストの中心に白い花。

それは生と死のコントラストに手向けられた白さのように感じたり、
ただ静かに生命の慈しみを語る小さな唄のようにかんじたり。

震災後、クリエイティブな仕事に携る多くの人が
「今までと変わらずやってゆく」という考えを言葉にしていました。

ボクも基本的に同調する考えです。

ただ、ボク自身が「今までと変わらず」ではなくなっています。

「今までと変わらず」1枚の絵を描くのであっても、
その背景には、圧倒的な恐怖にさらされた(さらされている)人たちへのイマジネーションがあり、
小さな花ひとつの向こうに、絶対的な喪失の大きな暗闇を見なければならないし、
2年7ヶ月後の今日、未だ行方不明になっている2562名の方々の影を、
キャンバスの上に追うような作業でさえあります。

そういった「変わってしまった」マインドもボクそのものとして、
「今までと変わらぬ」技術や経験、他者との関わりを活かし、
作品として昇華してゆくということだと考えています。

そういうことに、以前も今も、ショートカット出来る道は無いしね。

先日、なにかの番組で、被災地から東京に出て来た女の子が、
「東京にはもはや風化という言葉さえ無いんじゃないか」と語っていました。

東京に住むボクも「あの日」からあとわずかで1000日となる東京に在って、
息苦しくなるような街の空気に出会うことばかり。

ただ、1人ひとりの心を丁寧に追いかけてゆけば、
そこにはやはり3月11日を超えたからこそ息づくマインドに出会うはずで、
絵や音楽などの表現は、そんなマインドを解放させ、
視認出来るものへと変えてゆく、そんな仕事のあり方もあるだろうね。

音楽で言えば、この夏はなぜか「音頭」

あらためて、唄って踊って笑顔になって帰る。
どんなにカッコいいことやろうとしても、
結果、そこに行き当たるようなことが多かったな〜

いやいや「音頭」なんてバカにしてたジャンルだったのに、

そういえば
「ださいくらいなんだよ!我慢しろよ!」という名台詞が
“あまちゃん”にもあったなあ〜

その“あまちゃん”は希望の光に包まれ最終回。
「これから」のすべてはボクたちにバトンを渡されたね〜

うーん、絵でなにが出来るかな〜
音頭みたいな絵が描けるかなあ〜?

うん、
やっぱ「今までと変わらず」だけでは描けないものばかりだ。

ボクはボクヒトリの大きさの中で、
すったもんだしながら「今までと変わらず」絵を描くんだ。

+

こんな小薔薇を描き終えた直後で、
セツモードセミナー出身でイラストレーターのセンパイ
森本美由紀さんの訃報が届きました。

90年代の東京のカルチャーと相まって、
ファッションイラストレーションのジャンルでトップランナーだった方。

その辺で不良遊びをしていたボクにも心を砕いてくださり、
お会いするといつも優しい言葉をかけてくださった方。

10年ちょっと前には、森本さんのご尽力もあり
恩師である長沢節先生の本をみんなで作った記憶。

ご家族の介護で実家に帰られたと聞いていたのですが、
ご自身も長期療養されていたそうです。

ひとつの喪失

その意味はこれからのボクの生き方や作るのもで
どうにでも変わってしまうものだ

昨日も今日も、そしてきっと明日も、
特別でない日は無く、
特別であるようやってかなきゃ恥ずかしい。

ただ、その「特別」の大きさは
昨日見た小薔薇の花1コくらいのものであり
馬鹿げた価値観に振り回されるものでは無い
2013
1010
1011
PEACE!!

コメント / トラックバック 2 件

  1. eizo より:

    音頭とか民謡ってなんでみんなカッコ悪いと思ってるんだろう?
    みたいな事を80年代後半のワールドミュージックがちょっとブームになった頃に思った事を思い出しました。

    やっぱりそれは戦後の教育とかで、日本人的アイデンティティを一回捨てさせる為のなにかなのかなぁ、、、などと、、、

    音楽で言えば、新しいモノには常にアンテナを張っていたいと思うのですが、
    震災のようなイロイロな価値観を揺るがす事が起きると
    自分はどこから来たんだと考えるようになりますよね
    そうすると、、そういうモノ(音頭とか民謡)に突き当たるような気もしています。

    実際、特に西日本の人間は「どこか他人事」になりがちであるので
    ※それが不健全か否かは別として

    我々、大人はそこを忘れない努力もせねばとこのブログで思わせて戴きました。

    ますますのご活躍を期待しております。

  2. 小池アミイゴ より:

    >eizoさん。
    コメントありがとうございます。
    そもそもこんな文章にコメントくださるということだけで、
    西日本は他人事になんてなってないなあ〜と思います。

    先日は岡山にワークショップで行ってきたのですが、
    岡山は相変わらず岡山らしいのほほんとした空気に包まれ、
    それを維持してくれることが、巡り巡って東日本復興の力になるんじゃないか?
    そんな妄想をしたものです。

    そんな地方と地方を繋ぐ場合の足がかりとして、
    音楽やアートなんてことを考えてみると、
    やっぱ音頭や民謡にはしなやかな強さがあるなあ〜と。
    (一般的に知られている音頭や民謡の多くは、戦後に作られたものですが、、)

    もしくは「曲は良く知らないけれどAKBは知ってる」みたいなことかな?

    ROCK的なことを考えると、
    音楽やっている人より、
    ボランティアに参加する学生さんや、
    民間から震災復興のためのアイデアやシステムを考えている人とか、
    そういう中に感じています。
    (10年前は、cafeとか始める人に1番ROCKを感じてたかも)

    そんな今のボクが音楽やってる人に求めることは、
    もっとバカになってやってみたらどうだろうか?
    なんだけど、
    それは前から考えてたことか、、

    てことは、きっと、
    ボクの方が先にバカになる術を手に入れてしまっているのかもです。

コメントをどうぞ