24ヶ月め


2011年3月11日から2年
24ヶ月
731日めです

先日、東北の港町から手紙が届きました。

東北を廻る旅で出会い
その時の感動をブログで紹介させてもらった方、

偶然ボクのブログにたどり着き、
さらにボクの描いてきた絵にも出会い、
そこで感じたことを言葉にして届けてくれました。

そこには「ボクがなんで絵を描くのか」が書かれていました。

牡蠣やワカメの養殖をご家族で営まれ、
海産物直売所までを手がけられていた女性。

3月11日に被災。

その後の苦労は言葉に現せるようなものではなく、
それでもご家族と力を合わせ養殖を復活させ、
仮設の店舗だけど、
販売や地方発送するまで漕ぎつつけて来られている方。

ボクの描いたカモメのスケッチは、
震災後何度も見てきたカモメそのものであったとのこと。

ガレキの積み重なった港の空

震災後初めて島に渡り牡蠣を育てるために働いた5月の終わり空

牡蠣が全滅してしまった秋の空

ブームが去り観光客の減った復興市場の空

そこで見たカモメは虚しさの象徴のようであり、
ボクのカモメのスケッチは
その「なんとも言えない気持ち」を呼び起こしたようです。

そしてもう1枚、
白詰草の絵からは震災よりずっと前の感情が呼び起こされたとのこと。

幼稚園の教諭として社会に踏み出したばかりの時、
送迎バスの車窓から見た白詰草は、
風に揺れて笑っているように見えて、
気がつけば、バスの中のこどもたちも笑顔で、
「先生になったんだ」という喜びを感じたという記憶。

人は絶望の淵に在っても、空を見上げ、カモメを見つめ、
希望に包まれ1歩踏み出すところで、足元に咲く白詰草を見つけるんだ。

ボクはそんな人々が創る世界で生かされているんだ。

そんな愛しい1人ヒトリが、
無情にも失われてしまったり、
生活を奪われてしまった。

誠実に積み重ねられてきた時は
凍り付いてしまったかのようにして、
今も目の前にある。

それを見るのか見ないのか?

それはボクらがボクららしく生きるために、
日々突きつけられているリアルなクエスチョンだ。

手紙はさらに続きます。

「絵も歌と同じですね」
「歌を聞いて当時の思いにふけったり、すぐにタイムトリップできる感覚」
「絵にもそれと同じく、一瞬で当時の記憶に戻ることが出来るんだな」

この手紙が届いた日、
ボクはある音楽関係のイラストレーションの仕事に関して、
「唄はタイムカプセルのように一気に“あの頃”に戻してくれるけど、絵はどうなんだろうか?」
そんなことを考えながら夜道を歩き、家に帰りました。

そうしたらこの手紙に出会い、
そこにはボクの求めていた答えが書かれていた。

そんなサプライズ。

ボクが東北(もしくは被災地)を廻ろうと考えたのは、
その時1歳だった息子が物心ついた時、
3月11日以降の話を自分の言葉で語るため。
それが1番の目的だったはずです。

ボクが東北を描くのは、
被災地よりこちらで暮す人たちに向けてのものでした。

メディアから流れてくる被災地の映像に、
虚しく空を舞うカモメや、ただ風に揺れるだけの白詰草が写されることは無く、
あの日の凍える寒さも、底無しの暗闇も、その後の強烈な臭いも、
液晶画面から感じることは不可能であり、
そもそも、絶望に首まで浸かってしまった人が
カメラの前で語れることはあるのだろうか?
とか、

もちろん、
ボクが被災地にちょっと足を運んだくらいで、
そんなスベテを感じられるはずは無いのだけれど、
それでも自分の足で歩かなければなにも分らず、
分からないものは語れないなあ〜と。

ネットに溢れた“つぶやく”人にとって都合の良い情報や、
自分の身勝手な想像で組み立てたストーリーは東京に置いて、
目的も持たずに被災地を歩いてみたら、
カモメを見て、白詰草を見た。

それはもしかしたら、
その土地で暮す人も気付き見ていた美しさかもしれない。

ボクが絵を描くコトは、
そんな想像力を持って、
凍り付いた時の固まりの中から美しさを削り出す作業。

しかし今回、
ボクが旅先で出会い削り出した美しさを、
東北の漁港で生きる女性も偶然見ていたという事、
そのどうしようもない愛しさに出会うことが出来た。

そして、
あらためて、
ボクたちはそんな「愛しさ」をいとも簡単に失ってしまうんだ。

だから、
ただただ愚直にそんな愛しさと再会するチャンスを作り続ける。

ボクの「絆」や「復興」はそういうことであり、
絵を描く意味もそこにあるな〜と、

ボクはこの手紙を頂き、
初めて「これで死ぬまで絵を描ける」
そんなことを思いました。

ありがとう

そしてなにより、
塩竈の共栄丸水産に行って、
愛しきご夫妻が丹誠込めて育てた
それはそれはうめー牡蠣、食いてえー!!

2013
0311
PEACE!!

3月10日は群馬の実家が焼けた日。

妹から連絡もらい,東京から駆けつけると、
もはや家屋の解体が始まっていて、

ボクは色んなこと考えたはずだけど、
今思い出されるのは、
家の焼けたイヤな臭いと、
妹の肩を抱いた手の平に残る感覚、

そして、
玄関先でユンボで掘り起こされる梅の木の花の
一瞬の鮮やかな紅色。

そんな20年前の記憶も
頂いた手紙の言葉が呼び戻してくれました。

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