16ヶ月め


2011年3月11日から16ヶ月

最近は今まであまり見ないできた
国会中継を眺めることが多く

しかし、ガッカリしてばかり

ボクたち1人ヒトリが望む色で
日々を塗り上げられたら
日常からちょっと顔を持ち上げ辺りを見回すだけで
他の人が塗り上げたその人だけの色に出会うわけだから
日々はもっと楽しくなるはずなんだけどね。

偉い人たちの考えは
ともかく自分の好きな色が最高で
そういうことを知らぬであろうボクたちも
とりあえずこの色で塗られておいてくれれば幸せ。
そんな立派な考えなんだろうね

もちろん
国政、地方行政、そういったものが成すべき役割はデカく
しかし、それはあくまでも個人を「生かす」ものであってもらいたいよね。
(「活かす」じゃなくて「生かす」て事態!)

ともかく日々不条理に向き合わねばならない今、
あえて「持論」を下ろし、無知な自分を持ち出し、
世の中で起こっていることに触れてみようとしています。

そうすることで、
コドモでも分るウソや矛盾に出会えるんじゃないだろか?と
そこからあらためて自分の考えを構築して
「なにもかも変わってしまった世界」を生きる価値観も
育っていってくれたらなあ〜と考えます。

たとえば原発

ずっと以前から原発の造られ方や、
その維持のされ方に疑問を持ってきましたが、

あえて「反対」ではないフラッとな立場の自分を持ち出し、
大飯原発の再稼働を見てみたら、

稼働にはこんなに人の手がかかるのか!と再確認。
さらに、
稼働から送電に至る時間がこんなにもかかるんだ!と驚き、
では、そういう機械を緊急停止させることって、
かなり難しいことなんじゃないかな?なんていう
小学生的な疑問。

自動車は「走る」「曲がる」「止まる」が1つになった機械で、
そのどれもが人の判断に対して素早く反応することで、
初めて道具として「使える」ものになるのだけれど、
それでも事故を起こす。

「そんなもんといっしょにするな!」て言われるかもだけど、
原子力発電所ってなんか未完成な技術であり、危ういものだな〜と、
小学生的な直感。

では、そうやって造られた電気を
当たり前に使っていた自分はなんなんだ?と
小学生的な矛盾との出会い。

今もこうやって電気で動く機械をパチパチ叩いているけど、
なんだか電気を使っているようで、
電気に使われるような世の中になっていなかったかな?って

うちの息子は生まれて3ヶ月もNICUで育ててもらって、
それは電力があってこそのケアでもあって、
今の世の中にはどうしようもなく必要とされる電気てものがあるのは、
実感として日々痛いほど感じている。

でも「それはいらねえよ」ていう
イヤ〜〜な明るさに出会うことも多いよな。

偉くて立派な人たちの言うバカ野郎なことに
NOを突きつけることは必要だけど、

それと合わせて、コドモにもわかるであろう生活の矛盾を
見直してゆくこともやってゆかねばなあ〜と
どうしようもなく思うのだ。

そんなこんな、
これからも持論を振り回す前に、
まずは弱い立場の人のコトバに耳を傾けることから、
身の丈に合った未来をジックリ創ってゆく、
そんな立場であろうと思う、
2012年7月11日であります。

ところで、

2011年3月11日の深夜にアップしたこの絵について、
http://bit.ly/dIdRhg
今でも問い合わせを頂いたり、
チャリティーで活用されたというお話を
届けてもらっております。

そんなお言葉に出会うたび、
未来に対する希望ってものはあるんだなあ〜と、
気がつかされています。

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