KSNドローイング


3月に行った気仙沼

そこで出会ったことを
まずはドローイング変えています


昨年の6月に訪れた時は
被災の現実を前に無力感に潰され
それでも心に響いた景色の美しさや
草木のたくましさしなやかさに
必死に目を向けていたようです

それから8ヶ月後
まだ冬の空気に包まれた気仙沼では
どうしようもなく人に目が、
というか、
心が向きました。

カメラのレンズを向ける先に人。

それまであまり人を映してこなかったボクですが
それは1月に足を運んだ盛岡-宮古-石巻でも感じた
個人的大きな変化


野山に緑を見ることの無い東北の冬に
ボクたちはどうしようもなく人に視線を向けるのだろうね

そうやってボクたちが人から感じるものは
どれだけの豊かさを手渡してくれるのだろうか?
なんてね


それは
東北という土地が
その存在のすべてをかけて
ボクたちに伝え続けてきてくれたことなんじゃないかな?
とかね

夏の自然の豊かさと
冬のイマジネーションの深さ

人恋しければ東北

やっぱり個人的に大いなる変化だ

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