個展「東日本」ありがとうございました!


南青山SPACE YUI で3月5日から14日まで開催した
小池アミイゴ個展「東日本」

多くの方に足を運んで頂き、
そのほとんどの方がタップリの時間を費やし
作品と向き合ってくださったこと、
とてもウレシく感じております。
ありがとうございました!

そして、
あの空間で多くの方とコトバを交わせたこと、
展覧会やLIVEといったものが、
世の中に溢れる情報を確認する場所になりつつある今、
とても得難いものであるんだと実感、
これからの財産にしてゆこうと思いました。

また、
会場に足を運んで下さったみなさんの多くが、
絵や空間に出会って感じたことをご自身のコトバに変え、
大切な人に手渡すようにして伝えていって下さったことも、
有り難く感じさせてもらいました。

空間には限度があるので、
そういった情報を「拡散」するようなことは避けましたが、
ならばもっと多くの方に気持よく絵に出会ってもらえること、
これからも考え続けてゆかねばと思いました。

今回の個展に出品した作品の多くは、
2011年3月11日以降で起こったことに対して、
怒りの感情をバネに弾け飛んだ先、
日々の生活の中で描いたものです。

そこにどんな意味があるのか、
そのスベテを足を運んで下さった方々に教えて頂けたような、
そんな豊かな会話の現場を創れたように思います。

2011年3月11日以降コトバに出来ないでいた
「キレイ」とか「汚い」とか「悲しい」とか「恐い」とか
「ありがとう」とか
シンプルでごく個人的なコトバが連なり重なっていった
yuiの10日間になりました。

ボクは2012年3月の段階で
被災の現実は、優秀な写真家やジャーナリストが伝える仕事であり、
絵で被災者に何かしてあげられることは無く、
被災の悲惨さを伝えることも出来ないという考えでありました。

出来ることは
個人的な視点が捉えたささやかな美しさを記録しておくこと。

そんな個人的に感じた美しさを
被災のこちら側、もともと3万人もの自殺者を出してしまう国の
1人ヒトリと会話するきっかけに出来たら良いと考えたようです。

そして
まずはyuiに足を運んで下さったお1人おひとりとコトバを交わした。

コトバを交わすことで確認出来たことを足場に、
また次の行動と創造に変えてゆけるんだと実感しました。

そうやって1コ1コ1人ヒトリと確認してゆくことが、
2011年3月11日以降ボクたちが生きる東日本という場所なのだと思いました。

そんなスベテのことが、
南青山に“space”を持たれて32年の木村さんと
yuiのスタッフのみなさんの情熱に支えられたことでした

それは当たり前のことでは無く
限りなく個人的で特別な情熱の話。

そんな関係を大切に思うことも、
目の前に広がる荒野を進んでゆくチカラになりますね!

あらためてありがとうございました。

個展の制作の最後の方で、
群馬にあったバアちゃんちを描いてみました。

群馬の養蚕農家特有の藁葺き屋根に
冬の空っ風から家を守るための屋敷森
その向うに赤城山がドンと構え
北北西の方角に子持山や谷川岳が見えます。

今回の作品のほとんどすべてが、
実際に目にしたものを絵にしたのですが、
こに絵は1967年くらいの自分の記憶に
家族との会話の記憶を盛り込み
フリーハンドでガシガシ描いてみました。

両親が共働きのため
ボクは毎日ここに預けられていました。
やろうと思えば自給自足の出来る豊かな場所。
小さなボクにとっては小さな宇宙のようでさえありました。

3月11日以降の東北を巡る旅の中で、
ボクの記憶に合致する景色に出会うコトが多く、
被災地と言われる土地は
確実にボクの心と地続きであるんだと感じることが出来ました。

しかし
ボクの身近にあった景色は
社会の経済的な効率のために失われ続けていったんだな〜と
東北の懐の深い景色に出会う度に悲しみと共に思い返されました。

あらためて
震災やそれに続く原発の事故は、
1人ヒトリからボクの感じたような喪失感と共に
掛け替えの無い人の命まで奪っていったもの。
それを簡単に説明してしまうのではなく、
それに向き合う1人ヒトリのイマジネーションを尊重し
その1コ1コに耳を貸してゆかねばならないことなんだと
思いました。

今は個展直後に足を運んだ気仙沼でのワークショップを終えたところで、
ボクの無力感は振り出しに戻されています。

それでも、
個展を終え、今はもはや絵を描きたい気持であり、
今度はさらに人そのものに踏み込んだ絵を描けるよう
力をつけてゆきたく思います。

そうして
また美しい時間と空間を創ろうと思います。

アミイゴ

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