福岡東京福島、たまにニッポン


先日は福岡へ

友人の結婚披露宴に列席させてもらうためと
カミサンの夏の帰省をズラしてしばらく滞在

半年ぶりの福岡

空港から地下鉄で博多駅に着くと
歩いてる人がみんなキラキラしてるように見えて
しばらく心がボ〜と

3・11以前の平常を取り戻しているように見える東京だけど
目に見えない部分での緊張感は、只成らぬカタチで進行中なんだろうね

この半年間、肩にも心にも力が入り続けていたんだろう
ボクは着いてすぐドッと疲れが押し寄せてきて
息を深く吸って肩の力を抜くのに2日かかりました

では、被災された人たちはどんなだろう?なんて考えも浮かぶ
3月11日以降を生きる当たり前の思考は、福岡でも働き続けます

友人の結婚式は盛大なもので、
これも今の東京では感じられぬ、キラキラした人の創る空気

福岡の人たちはこれからもアッケラカンとキラキラ輝き続けてくれることが、
元気を失っている日本の力になるんじゃないかなと思いました。

+++

次の日は福岡の大名へ
地元の若い力に支えられている“7”というカフェで
ボクがデクノボウになりきり人の話を聴くお茶会。

こんなことやろうと思い立ったのは、
福岡市内の商業施設で福島県支援の物産展が、
放射能汚染を恐れる市民からの抗議によって中止になったこと。

そして、そのニュースが流れた瞬間
一斉に上がった「抗議への抗議」

そのニュースの一連の流れの中に
人としてのコミュニケーションを感じられなかったのが悲しくてね。

やらせメール問題や某代議士の不適切発言問題とか、
愛しき「福岡」という響きが何かと歪められる事が続いた中、

そもそも、
ネットの上から聞こえてくる「東日本もうダメだ」的声のほとんどが、
九州から届けられているイメージ。
(ボクのツイッターなどSNSの繋がりは
東京を含む東日本40%、九州30%、九州以外の西日本30%)

みんながナニを考えナニを考えなくなったのか、
ボクが“自分の意見を待たぬモノの分からぬバカ野郎”になりきることで、
話してもらえたらいいんだと考えました。

で、実際こんな企画立てても
集まるのは2人くらいだろうなんて考えていたら、
会話に加わって下さった方が8名

そこで交わされた多くは雑談だったりするんだけど

それでも
「東日本は終わっている」とか
放射能汚染は、東電発表、国発表、自治体発表、民間発表で、
その切実さが違い過ぎる恐怖とか、

東京に住んでいることが絶望的に否定されかねなかったり、
東北なんてものはこの世から失われてしまっているくらいのイメージ。
なんだかもうただ悲しくなってしまうコトバも山盛り。

そんな中でみなさん共通の恐れは、
実はみんな3・11に関わる話をしなくなっているってこと。

確かに東京でも風化は進んでいるけれど、
何か1つ事を成そうとした場合、
どうしても無視出来ない現実として3・11があるよね。

それは原発の事故についてだけでなく、
顔の見える被災者1人ヒトリの今が
ボクたちの日常と共にあるって感じ。

しかし、福岡でみんなの声に耳を傾けていると、
何か重要なことがスッポリ抜け落ち、
大きな声での情報ばかりが空を飛び交っている。

そんな中、
「何かしなければ」という意思のある人も
疲れてしまっているんだろうね。

理論武装した大声に掻き消される小さな声した善意

半年前に脱原発を語っていた女の子が
みんながみんな「脱原発」を言うから、
最近それ事態が信じられなくなったと。

「脱」でも「反」でも「推進」でもない立場として
みんなの話を聴いたのだけど、
そんな立場を語る以前に
まともなコミュニケーションが存在していないんじゃないかと
ちょっと背筋がゾッとするような感覚。
(「やらせメール」で人の信頼を破壊したお偉いさんの責任は決定的に重大!!)

で、
みんなの話を聴いてボクが答えられたことは、
個人のレベルで充分だから
小さな会話を創ることを続けてゆけばいい、
ということ。

そこに間違いが含まれていても、
まずはコトバにしてゆかなければ息が詰まってしまうよ。

その先に被災地支援の気持があれば、
個人の繋がりとして小さなことを積み重ねたらいよね。

それは国や電力に出来ないこと

そして、必要を感じたら東北に行ってみたらいいよ。
ボランティアでなくても、
人としての節度を持って歩いてみればいい。
どこか立派な海外へ行くより、ずっと意味があるはず。

そこで自分の出来ることを拾って帰ってから、
あらためてボランティアを考えるのでも遅く無いよね。

でもって、
この日の話を聴いてボクが思った今すぐにやるべきこと。

ともかく「除染」

今選挙があれば被災者支援と除染を速やかに行う人に一票。
ちんたらしたバカチン政治家さんは一線を退いてもらう。
そうなるためにどうするかだよね。

そんな考えのもと
「脱」とか「反」とか「維持」とか「推進」とかを
絞り出してみる方法もあるよね。

そんな段階を踏んでの
人と人の間での会話は創れないだろうかな?なんてね。

今回の参加者の中には、
物産展に対する抗議をされた方もいて、
なぜそうしたのかジックリ話を聴くことが出来ました。

で、
小さなお子さんのいるその方のコアの部分は
放射能に対する真の恐れであることが分かって、
これはもう個人的なことであり、
それを否定的に扱うなんてことは出来ないなあと。

ならばきっと、
物産展の行われる施設に抗議するのではなく、
物産展を行おうとした団体と会話することは出来なかったかな?
なんて思ったんだよね。

だって、どちらの立場にある人も、
コアにあるものは一緒だぜ。

支援を実行に移すこと
危険を喚起すこと

その両者が手を握れることが
何かを生むと思わないかな?
なんてね、

これはきっと、
この“7”という店のオーナーがどうにかするんだと思い願いながら、

そんなこんな、
結局東京の合わせ鏡として福岡があってくれたような。

ボクは東京に在って「コレ」という結論にすぐに至れないはずだけど、
これからも聞く耳を持って、
人へのイマジネーションを失わぬ生き方をしてゆかねばだと思ったよ。

なんだか難しそうなイベントであったはずだけど、
自分が表現すべきことの芯が太くなったような感じがするなあ〜。

で、
実はこの集まりに参加しようとして、
街の若いコたちが来ていたようだけど、
目が合ってなんとなく挨拶するくらいで、
会話の輪に入ってこれなかったみたいだったと。

ボクも誰が参加希望者かわからないからね、
お店のスタッフもその辺を上手く繋げることが出来なかったんだね。

若いコみんなにモヤモヤさせてしまっただろうな〜と思いつつ、
そのモヤモヤの正体がなんであるのか、
それを探り解決してゆくことの方が、
ボクに何かを話しかけるより仕事としては重要だよな。

その辺も“7”のオーナーくんがどう考えてゆくのか、
もしくは、
ある日圧倒的な聞く耳大会を企画するとかね。
もし必要ならすっ飛んでゆくぜ!

でもって、
福岡は今以上のイマジネーションを持ちながら、
今のままのアッケラカンとキラキラ輝きを続けていてくれること、
福岡が元気なことは多くの人の希望になるはずだと、
あらためてそう思ったのでした。

最後にいくつか、

・では、そんな危険な場所から福岡に来たボクは誰だ?

・福島県は地図で見ると
 大分と福岡と佐賀と長崎を合わせたくらいデカイ

・福島県の産業で第一次産業が占める割合は2%程度
 (日本全体でもそんな割合)
 農産物は分りやすい話だけど、
 事の本質はもっと別のところにあるんじゃないかな?

・ASA-CHANGの孤独な取り組み
 http://pj-fukushima-iwaki.tumblr.com/
 こういう1人の意思が原発のことだけでマスキングされてしまうのは嫌だな。

・高校の同級生が社長の「築地銀だこ」
 被災地の雇用創出のため本社を群馬から被災地の石巻へ移転
 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110910-OYT1T00203.htm
 ボクは彼の意思と同じ方向を向いているな〜。
 そして、ウチの息子はまだチッコイけど、
 こういう発想も持つオトナにしたいと思いました。 

・そうは言われても、
 東京は東京で元気にやってくっきゃねーじゃん!

東京に戻ると代々木八幡の例大祭
いつもの年より人の力に溢れていたぜ
イエイ!

・追記
塚本功トリオ「Stompin’ Boys~Gose to Japan~」TOURで
ASA-CHANGが福岡に行きます。

■10月1日(土)博多
ひなた食堂
http://momochimammamia.jimdo.com/
OPEN18:00 START18:30
ADV2500yen(1D別)
Info: mammamia 092-832-3353 / ひなた食堂 092-852-1983

ASA-CHANGとっつかまえて
福島の話を聴くのもいいかもね!

その際に
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