鹿島灘


先日は茨城県の鹿島まで
鹿島スタジアムでアントラーズ×アビスパ福岡の試合観戦。

東京駅から高速バスで1時間半
利根川を渡り霞ヶ浦と北浦を縫い潮来ICで一般道へ
鹿島市内の要所を巡り鹿島スタジアムへ

何度も通った道だけど
3月11日以降は初めて

スタジアムに向かう車窓からの景色で
いつも気になるものがあったので
途中下車して歩いてみました

鹿島臨海工業地帯は「農工両全」「貧困からの解放」をスローガンとして
1960年代初頭に国家プロジェクトとして計画されました

だから
だいたいボクと同い年の町

豊かな水郷から重厚長大のコンビナートへ
高度経済成長期からバブル崩壊後の失われた10年を経て
現在のグローバル不況、そして3月11日

コンクリートで塗り固められた姿して
激動の時代を生きてきたんだよな


震災でかなりのダメージを受けたはずだけど
コンビナートからはモクモクと煙が立ち上り
「がんばってるぜ!」なんて聞こえてきそう


煙突の足元には震災で発生した瓦礫が山積みにされ
その隣りのグラウンドでは少年野球
それを見守るお母さんたちとユリの花

その先
重厚なコンクリートの護岸を越えると鹿島灘

この辺りに10機建てられた風力発電機のうち
6機が震災の揺れの影響で動かなくなっていました


地震や津波は自然が起こすものだけど
震災とは人創造に対して起こるものなんだと
圧倒的にザクッとした構図の景色の中で確認


圧倒的な護岸、圧倒的な港湾、圧倒的な工場群、圧倒的な送電線網、
そのスベテは人が造ったものなのだから、
そのエネルギーの一部を、今度は3・11で学んだことの解決に向ける、
そのための柔らかな発想を結集出来たらいいね。


日本海流と千島海流が混じり合う辺り鹿島灘は
豊かな海です

厳しい顔している分だけ美しくもあります

そんな海が牙を剥くことがあって

ただそれに抗うだけでなく
もっとしなやかに向き合うような智恵を
日本人は持っていたんじゃないかな
なんてことを日々考えています

けっきょく2時間半で10kmくらいの距離を歩いてしまって
汗だくにもなって
キックオフの時間が迫りタクシーでスタジアムへ

運転手さんとコトバを交わすと
震災後の厳しい現実がボロボロとこぼれてきます

理想だけを語ったのでは決して解決しないことばかりだね

だからこそ
ボクたちは語り合うことを諦めてはならないよね


スタジアムに着くと
アントラーズの紅いユニフォームを着た人々

それはいつも通りの景色であるのだけれど
そこから発せられる熱が以前とは異質のものに感じられました

その質感がなんであるのか

それを表現するのがボクのような仕事をしている者の役割であり
それが本当に発揮してゆかねばならない時が
そろそろやってきたように感じた10km無駄歩きの旅

試合の結果
鹿島6-0福岡

ジーコという人がこの町にやってきて20年

一週間製鉄工場で一生懸命働いて日曜日
6点のご褒美をツマミにビールを飲み干す
それが生きるってことだ!とかね

人の数だけあるであろう生きる喜びを
痛みや悲しみを掻き分けながらも
想像して生きてゆきたいね

コメント / トラックバック 2 件

  1. ヒロシエロシ より:

    南ヒロシ(元・エロシ)です

    その通りだね(文末のフレーズ)
    (◍•ᴗ•◍)

  2. 小池アミイゴ より:

    >ヒロシエロシさん。
    そうなんだよー!

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