DONNA


「春夏秋冬」という唄のためのワークショップを開始したのは1999年の5月

青山の骨董通りを抜けた辺りの六本木通り沿い
人通りが途切れ淋しささえ感じる街のビルの地下1階にあった
Ojasラウンジという箱

CLUBとしては中箱にあたる店で
オーナーのTから「週末イベントをやってくれ」とのオファー

この場所で出来ること
今ボクがやるべきこと
ちょっとの時代に追い風
そんな判断で

集客のリスクのある週末ではなく
平日に自由やらせてもらうことに

毎月第2木曜日

1999
もうその頃にはCDなんてちっとも売れなくなっていたけど
「いつまでもこんなことやっていてはダメだ」なんて声が聞えてこないから
ボクが「ヒトリヒトリが考えろ」と願って創った時間

「唄いたい」と願う人は
エントリーすれば必ず唄える時間

お客で来て唄いたくなったら
飛び入りするのが当たり前の時間

出演者もその唄に接する人も
スベテが表現者である時間

ここでかいたハジは
オレが責任を持って先に墓場まで持って行ってあげる時間

しかし
ハンパな気持ちで人前に立つと
一晩をかけたオレの説教を聴かされる時間

しかし
その出演者のほとんどが
目をギラギラさせたヤツらばかりで
オレの説教なんかはね飛ばす唄をぶちまけていた時間

はじめは3組の出演者で始めたけど
次の年には第2、第4木曜日に
その次の年には毎週木曜日
多い日には一晩で15組の唄バカが集まって
ライブ終了が朝6時
そんなクレージーな時間

みんながボクのDJを愛してくれ
ボクはみんなの唄を愛し続けた時間

ベラボウに有名になったヤツも
ただ唄うのが好きだってヤツも
ナニをやっても上手く行かないようなヤツも
スベテが同じステージに立っていた時間

上手い唄も下手な唄も
ホンキであることが心を動かすんだと教えてくれた時間

ホンキで唄われた唄は
スベテボクの宝物だと今でも確信している時間

そのために
スベテの唄との出会いが公平なものでありたく願い
スベテの出演者とプライベートで一線を引いた時間

そりゃー人生のモロモロについて相談を受け
それにただただ耳を傾けることもあったけれど
その次の瞬間には唄に変えることが出来た時間

唄に対する不当な扱いに対して
ホンキで怒り闘った時間

これは
「唄」を「表現」や「人」というコトバに置き換えてもいいや
そんな時間

そんなボクのやり方を揶揄するヤツ
ただ離れていくヤツ
ツマラナイヤツらがどんな顔をしているのか知った時間

そんな時を共有した唄うたいの女が31才で死んだ

8月17日のことだ

その死を知ったのは8月21日
彼女をこのイベントに送り込んでくれたeliちゃんからの連絡

そもそもこんなイベントの発想に至ったのは
eliという表現者の孤独な闘いに共闘するためでもあり
無垢で素直な視線の奥に孤独な炎も宿した目をキラキラさせて現れ
恥ずかしそうな発音で「ダ ナ」と名前を告げた
彼女との初対面の景色は今でも良く覚えている

eliちゃんに唄で師事しつつ
まだライブを始めたばかりだという彼女のライブは
熱くてギラギラしていてスキルフルでもあり
R&Bがブームであった時代にあっても充分個性的であり
唄の質感がベタっと心に貼り付くものだった

しかし
唄をエンターテーメントとして人に手渡してゆくための
機材の扱いなどハードの部分で確信に至っていなかったはずで
彼女のホントウに開き切った唄のパフォーマンスには出会えぬまま
2002の5月
Ojasの閉店と共に「春夏秋冬」も終わってしまった

ボクはあまりにも密度の濃いこのイベントの
外の力による終了を「潮時」だと思ったし

ここで得た唄への確信を
さらに小さな場所で人から人へ手渡してゆくことこそ
未来を創ることだと思い
地方を巡ることが始まったのだけど

それでも
「春夏秋冬」でやり切れなかったことのいくつかは持ち越しで
何組かの唄うたいとイベントを創ったり地方を巡ったりもした

そんな中に
その後にCLUBシーンで自身で次を想像して行った彼女は含まれていなくて
いつか再会出来ることを楽しみに
彼女のギラギラした唄は心に貼付けておいたままにしていた

春夏秋冬終了の9ヶ月後
一度だけ会った彼女は
まだパフォーマンスの確信には至らず
しかし、ナニか手応えらしきモノは掴んでいると言っていた

それから7年半

猛暑でスベテがとけ出しそうな8月
ボクはこんなコトを考えるともなく思っていた

8月22日にHMV渋谷が無くなるって話

音楽はさらにインスタントな消費材として消費されてゆくものと
人と人と間でどうしようもなく生まれ手渡されてゆくものに別れてゆくんだろ

そして
その両方からこぼれてしまう人ばかりなのが今の日本なんじゃないか?

「すてき」とか「しあわせ」とか「ていねい」とか
本来生きる責任の先に滲み出てくるコトバさえ
ナニかの言い訳のようにして消費されてしまう時代にあって
そんな「空気感」からさえもこぼれてしまう人々

ボクはそんな「こぼれてしまう人」の意味に興味があるし
そんな人が笑えるようなモノこそ創りたいぞ!なんて考えていたら
なぜか彼女の唄を思い出したんだ

その唄の中でナニが語られていたかなんて思い出せないけれど
心に貼り付いた質感が共鳴している感じ

そして訃報

死の理由にまで頭を働かせることも無く

ただ
彼女が青春のある瞬間
薄暗い店の中でギラギラした唄をうたったということ
ボクがその記憶まで失うわけじゃ無いこと

失うどころか
今一番必要なナニかを8年以上前の記憶が
生きたコトバで語りかけてくれていること

だから
想像もしていなかったことだが
春夏秋冬の時を一瞬でも共にしたヒトリの
それもボクよりずっと若い1人の喪失が
コトバにもならない重大さで
ボクを思いっきりぶん殴った

ふざけんなよ

毎回毎回マイク握って言ってたろーが

「オメーらよりオレは早く死ぬから、今日は好きに唄ってくれ!」って

「コケタラその責任は全部オレが墓場に持って行ってやる」って

彼女のサイトを見つけ
彼女のコトバにふれてみた
http://www.irie-donna.com/disco/2008/07/rock-baby.html

ボクが彼女の唄を思い出した意味の多くが唄に昇華されていた

こぼれてしまう人々に対する愛と憤りが熱かった

厳しい時代を生き抜いて行くタフネスにも溢れていた

オメーはこっち側なんだろって
もう一回ぶん殴られた

しかし彼女のコトバは結論には至っていない

きっと
ボクたちは力を合わせ
このクソみてーな時代を進んでゆくはずだったんだ


8月23日月曜日
彼女とお別れをするため
彼女が生まれ育った街を歩いた

暑い夏の月曜日の夜
始めて歩く街の
ビルとビルに形作られた空に丸いお月さん

何度か道を間違えたどり着くと
彼女の友人が道に溢れていたのを見た

お互いのプライベートに一線を置き
表現のみで語り合って来た後
ボクはこんなカタチでしか
人のプライベートに触れることが出来ないのか?

それが良いことなのか悪なのか分からぬまま
帰り道はさらに街の暑さにさらされ
来たときよりもさらに道に迷い
たっぷりの汗になにもかも押し流され
結局地下鉄を駅2つ分を歩いた

歩きながら
それでもボクは
今でも生きているDONNAの唄というバトンを握って歩いているんだ
そう思った

2010
0910
PEACE!!

ごく私的な喪失であり
数々の記憶違いやボクの思い込みだけの部分もあるかもしれないけれど
そもそも
間違ったことしかやって来ていないのではないかという恐怖さえ感じるけど
ボク自身を語ることでしか残せないものがあるコトを感じ
なんとかコトバにしてみました

そして
改めてeliちゃんのブログも目を通してくださったら幸いです
http://www.eli-jazz.com/archives/4636

コメント / トラックバック 2 件

  1. eli より:

    お通夜、月がヤタラにキレイだったね。
    あの夜、月みながら思い出したのはアミイゴさん。
    来るかなーって。。

    アミイゴさんが私のことフォローしてなかった事は知ってたんで
    リプライあってビックリしたと同時に嬉しかった。
    こんなだけど、アミイゴ・ファンだから。

    訃報を聞いた日の夜中、あるシンガーの友達が泣きながら酔っぱらないながら電話かけてきた。30分くらい家の近くの橋の袂で喋った
    そんなんで良い。

    プライベートは何処まで顔つっこんで良いのか判らないけど
    相手がhelp の時は、話し聞くだけで良いって知ってる。
    特に気の利いた台詞、用意しなくても良いんだ。
    モヤモヤなのか心の衝動なのかわからないけど、その時間だけでも聞くだけだから。

    距離感は大事だけど
    自己完結ってのも違うと想う。
    バランスとるの難しい
    ついでに俺は付き合い悪い。

    シンガー増えて
    音楽業界は生き難いけど
    それでも支えあう事はできる。

    てか、そのための通信じゃん。って想うんだ。

    繋がってるね☆
    とか、そんなもん、どーでもいーぜ!
    いざって時に繋がらなきゃ意味ない。

    いざって時に逃げて、良い人面してるのを見ると殴りたくなる。

    春夏秋冬、私も出たかったな。
    めちゃくちゃ大変そうだけど面白い発想って想うよ。
    唄バカ集まるって面白い。

    私はプロだからオリジナルで勝負しない奴は全員、無視しちゃうけどね。

    上手いだけじゃ、この世界は生きていけないし
    下手でも無理だ。
    厳しい世界だから簡単にアーティストって言ってほしくない。

    わざわざ特別になるって、色んな物と引き換えにするんだからさ。

    それでもプライベートは普通でいたいよ。
    子供が欲しいなーとか
    家庭を作りたいなーとか
    旦那様にお弁当作りたいなーとか
    そんな当たり前の感情持ってると壊れそうで
    相変わらず、そんな気持ち、無視しちゃうけど
    で、音楽にのめりこむけど

    これからの時代
    そのどっちも得ても罪じゃないよ。
    どっちも得られるよ

    そんなトリセツ、必要と想ったよ。

    私の前に判りやすく先輩も居なきゃ仲間も居なかった。
    自分のことも出来ないくせに、バカみたいだけど
    出来る事はあるはずと信じてる。

    ラヴタンの前の私から知ってるアミイゴさんは
    ずっと心の支えだったよ。

    ありがとう。

    死なないで、すんでる軸の一つです。
    唄いつづけようと想う軸の一つです。

    DONNA
    ほんと、ROCK BABYカッコイーよ
    マイクダイも良い仕事してる。

    諦めずにマイクに齧りつけ!!!!

    KEEP ON SINGIN’

    PEACE

  2. amigos より:

    >eliさん。
    なんともまとまらぬ日記にコトバをありがとう。

    eliさんのコトバに触れて
    あらためて整理がついた部分もあるな。

    DONNAの死は
    ボクが唄を手渡されたボクより若い人の死として
    ただ悔しい気持ちと

    しかし
    彼女が表現者として心を揺さぶるコトバを紡ぎ続けて来た事実に
    ドカンとぶん殴られたようなヨロコビと

    その両方にぶん殴られた経験となりました

    そして
    自分の弱さと向き合ったコトバのヒトツヒトツに
    どうしょも出来ないオレとの出会いでもありました

    ボクはつくづく人の心の着火マンであって
    しかしその先
    ボクに決定的に足りていないモノの多くは
    eliさんが持っていて

    そんなんでちょうどお月さんくらいの灯りが生まれるのかな

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