夜の街を駆けました
先日の散歩イベントに多くの反響を頂きました。
みなさんからの真摯な言葉に触れて思うのは、
「こんなイベントが必要じゃなくなる地域創りをしてかなきゃ」です。
“グローバルな視点による都市のなんちゃら”なんて言葉を良く耳にしますが、
そのほとんどは“グローバルな金儲け”の話であって、
「東京を“グローバルな競争力のある街”に変えてゆく」なんて聞くとゾッとします。
そもそも、街を歩きもしないヤツに街や国のデザインをされたくありません。
そうは言っても、
ボクらはあまりにも生きる価値の基準を“金”に委ねることに慣れてしまっています。
“街のデザイン”はこれからもグロテスクに塗り替えられてゆくんです。
だから、
今のうちに出来ることだから、歩けるだけ歩いて、
“グローバル”なヤツらには決して手に入れる事の出来ない“街や人の記憶”を心に刻み、
次の世代にに手渡ししてゆくんだ。
そう思い、願います。
そもそもこうやって街を歩く限り、
わざわざ高い金払ってフィットネスジムに行くことないですしね。
なんとなくみんなして貧乏。
そんなんでいいんじゃないかと、そう思うのですが、
そんなヤツは国の敵ですかね?
部屋に籠りっぱなしの仕事ゆえ、
ジョギングも兼ねて小田急線と京王線の各駅近くの本屋を巡りました。
街の本屋、無くなってしまったね〜〜、、
淋しいね〜、、
気がつけば9キロのジョギングになってました。
そんなボクがおかしいのか?
そんな街がおかしいのか?
わかりませんね。
「アースダイバー」という中沢新一さんの本を読んだときに、土地の記憶には抗えないとあり、興味深かったです。
何かを変えようとするより、共に生きていくほうが、うまくいくような気がします。
街を歩いてみると、よくわかります。ある土地は、入れ替わり立ち替わり店が変わるんですけど、どれも長続きがしません。不思議ですね。
私も、もしその街を歩いてみなかったら、そういうことに気がつかなかったかもしれませんね。
歩くの大事です。
>ki-machanさん。
“地球に優しい人”が“東京に厳しい人”だったりするのもヘンテコですよね。
そんな“地球に優しい人”が沖縄に行って“沖縄に優しくされたい人”とかになってたりで、
やれやれ、アホタレ“グルーバルな視点を持った都市再開発デベロッパー”なんつーもんと同じコインの裏表みたいであったりします。
“地球の歩き方”を知ってるクセして東京は歩かない。
まだまだやれる事は沢山ありそうです。
初めましての方々と「初めまして」を交わすことなく
ちらほらと春を感じさせる木々を一緒に眺めたりすることや
自然に合っていく歩調をとても嬉しく思ったりしました。
同じ道のりを歩いていながら
それぞれが切り取った風景は新鮮な驚きをもたらしてくれることでしょう。
(これは参加した人の特権ですね♪)
そして、このイベントのために尽力してくださった方々が
目に見える、触れることのできるような距離感で
「ここにいること」「自分たちで作ること」の喜びを感じてくださっていたら。
それはまた繋がって、広がっていってくれるはずと信じてやみません。
>まめねえさん。
そうなんです、
そこから始まることを願ってこその散歩道。
もしかしたら、
プラカードやシュプレヒコールの無いデモ行進だったかもね。
ただただ歩く喜び、発見の楽しさ、
“団体で練り歩く”てイメージより“偶然そこに居合わせた”という凛とした距離感。
実はヒトリヒトリに相当厳しいテーマを投げかけていたはずだけど、
さて、その答えはそれぞれみなさんが生きている現場で発揮されるものであって、
ボクの思惑なんて、春風に飛ばされどこかに消えていってしまうものなんです。
だからまた「次」を求める気持ちも膨らんでくるんよね。