37ヶ月め

サクラ開花585
今日は2011年3月11日から3年1ヶ月
1,127 日め
37回目の11日です

東北の沿岸部のサクラは
これからが開花のシーズン

2011年は花の開花が遅く
震災から1ヶ月を過ぎた今くらいの時期から
被災地と呼ばれる地域からも
ソメイヨシノの開花の便りが届き始めたはずです

2011年の春
ボクが家族と一緒に代々木公園でお花見をしたのが4月10日
今年より1週間以上遅いソメイヨシノの満開でした

「こんな時に花見などしてもよいのか?」
だれもがそんなことを思い悩んだ2011年の春

それでも人は花の下での親睦を求め
代々木公園にも多くの花見客が足を運んでいました

ただ、それはとても静かな空気感で包まれた花見の風景
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桜の花が満開の日曜日の午後の代々木公園

その時撮影した写真を見ると
すれ違う人の表情のこわばりや不安の影を見て取ることが出来ます

それでも親しい人との団らんの宴席は
穏やかな笑顔で彩られている

そう出来ることのヨロコビや慈しみが
震災から1ヶ月後の風景からにじみ出ていました

それ以前の代々木公園の花見は
“傍若無人”に呑み込まれたものだったから
震災とは実に厳しい現実をボクたちに突きつけてくるものだが
そんな中からも
ボクたちはこれからを生きる上での基準を手に出来るんだと
穏やかに花と人を愛でる1人ひとりから感じました

しかし
「震災から3年」という身勝手な“区切り”のせいなのかな?

今年の代々木公園の花見の風景は
とても汚いものでした

震災以前でもあまり見られなかった
ゴミをその場に捨てて帰るなんてことが
公園のあちこちで見られる惨状

代々木公園が生活の一部となっているボクたちにとって
それは庭にゴミを投げ込まれているような気分

地震と津波という自然災害は
どうしようもなく人の命を奪っていってしまいましたが

生き残ったボクたちの心の中の大切な部分まで
奪い取ってしまえるものでは無い

そう考えていましたが

実際は自然災害よりもっと恐ろしいものが
人の心の中に巣食っているんじゃないか?
そんな疑念を汚く汚された公園の風景から感じました

もしくは
姿かたちの見えぬ漠然とした不安を振りほどこうとしている
とか?

世の中は
復興とは違う部分で手に負えぬスピードを持って突き進んでいるようです

主義主張、信条なんてものよりずっと矮小な考えのもと
人と人の間に不寛容の深い谷が口を開けているようにも見えます

そういったことに絶望を感じてしまいそうになるのだけれど

それでも
桜の満開より以前に
桜の枝に一輪二輪と咲き始めた花を見つけたヨロコビは
ボクのイマジネーションは2011年4月の東北へ飛ばせ

苦難の中で桜の花と出会えた人(出会えなかった人も)が
なにを思い感じたのかを繰り返し想像させてくれます

そうすることで
未来を生きるイメージをしなやかで折れにくいものにしてゆかねばです

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2011年の4月10日に家族3人で行った花見のささやかさは
今でも家族の生きる基準のようになってくれていて

こうやって生きて花の下で集えることは
つくづく有り難いことなんだと

桜の枝を見上げたり
足下の草花に視線を向けたりしながら
今でもそんな思いを育んでいます
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震災後の現在
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未だ2623名

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