143ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,355日
622週1日
11年11ヶ月
143回めの11日です。

1月27-29日、群馬県前橋市の「陶舗石渡」での「はるのひの展覧会」にお運びくださったみなさま、
「記録的寒波襲来」と言われたタイミングで足を運んでくださったこと、大変有り難く感じています。

あらためて、
ありがとうございました。

アップした絵は、群馬円伊勢崎市の安堀町あたりかたら見た赤城山の風景。
この絵の左手方向に行った所に、亡父がお世話になっていた施設があり、
車を運転しないボクは、駅から30分くらいの道を歩いて父に会いに行っていたのでした。

前橋で展覧会を開際したことに関して、
ちょっと振り返っておこうと思います。

群馬県の赤城山南麓の関東平野が始まるあたりで生まれ育ったボクは、
子どもの頃遊んだ美しい田畑や小川が、農薬の使用や社会の効率化で失われてゆくのに出会いました。

田舎で育った自分にとって、電車で25分の街「前橋」はキラキラした夢の街であました。
その活気が失われてゆくのは、80年代の半ばくらいだったでしょうか。

80年代、そんな群馬の田舎を後にし東京の大学に進学。
暮らすために選んだ街は、昔ながらのコミュニティが生きている文京区の静かなエリアでした。
そこから他の東京の美しい場所、人が人のスピードで生んだような街を、やはり自分の足で歩き、
絵を描くようになったら、そんな街にイーゼルと立てるようになりました。

そんな街はバブルが発生した1986年以降、一気に破壊されてゆきます。

ボクはそれに抗うように絵を描き続けました、最後は無理をし過ぎてダウン。
それは1989年、昭和が終わった時でした。

夏の間1ヶ月を病院で過ごしたボクは、
あらためて自分にとって大切なものは何であるのかを、じっくり考えることが出来ました。

それは子どもの頃に駆け回った、なんでも無い当たり前の故郷の風景だったように思います。

あらためて自分が何者であるのか考えたことで、何を描けば良いのかもあらためた先、
1993年3月に群馬の実家が消失しました。

バブルが弾けて仕事が減っていたタイミングで、それはかなり厳しいことでした。

ただ、家族をケアするために一時的に住所を群馬に戻したことで、
子どもの頃に失われてしまったと思っていて故郷の風景にとことん向き合うチャンスを得、
時間が許す限り絵を描き続けました。

自分の色に個性を感じてもらえるとしたら、その経験が大きいのではは思います。

ではそれをイラストレーションに落とし込むには?
そんなことを考え始めたところで、1995年1月に阪神淡路大震災が起きます。

「ああ、絵描きは無力だな」と感じつつ、
次に何か起きた時は無力では無い自分でありたいと願い、
そのためには、大きなところを目指す前に、とことんローカルを知ろうと考えました。

その頃「夢の街前橋」はかなり痛々しい状況になっていて、
仕事で群馬と東京を往復する際歩く前橋の街の姿に、いつも悲しい気持ちになっていました。

前橋がこんなであれば、他の街はどうなんだろう?
人は幸せで生きているのだろうか?
みんなそれぞれの街でうたえる歌を持っているのだろうか?
そんなことを知りたくて、その後日本各地を巡ることを始めました。

そうして巡る土地は、どこも美しく、どこも課題を抱えていました。
そして、好き人に必ず出会うことが出来ました。

自分が失ってしまったと思っていた里や街は、
好き人がある限り死にはしないのだろうと確信を持ち、
いつか群馬の力になれることが出来たらいいなと願うようになる。

そんな考えをやっと持てるようになった2011年3月11日、
日本のどこにでも存在する「好き人」が失われた震災が起きました。

ボクはやはり大きな無力感に叩き落とされるも、
これまでの経験を活かして、自分の足で歩くことは続けられました。

そうして歩く先で出会うのは、その価値に気づかずにいた「さらなる好き人」の存在。

そんな人々や風景との出会いを背景にに塗りこんだのが、
2021年に発表した「はるのひ」という絵本です。

間も無く「あれから12年」と語られる3月11日がやってきますが、
その12年のほとんどは学びの時であったように、今振り返って実感しています。

ただ、その学びが生かされた現場を、2023年1月27-29日の三日間、
自分が勝手に「失われた」と思っていた前橋の街で、
街の再生を図る人たちの存在に助けられ、創ることが出来た。

2011年3月11日以降、日々行う事にはなんらかのスタートラインを引いている印象があったのだけど、
2023年1月の前橋では、新たな太いスタートラインを、皆さんの力もお借りして引くことが出来た。
そんな実感を手にしました。

75年続いた「陶舗石渡」は、展覧会が終えたら改装され、
前橋市民が緩やかに関わることの出来る餡子屋「あんこもん」として生まれ変わります。

餡子で街の再生

気持ち良すぎる発想だぜ!

群馬、前橋、ありがとう。
一緒に未来の方に向かって爆走して行きますね!

 

 

 

 

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