126ヶ月め、246ヶ月め。


今日は2011年3月11日から3,837日
548週と1日
10年6ヶ月
126回めの11日です。

そして、
2001年9月11日から7,489日
1,069週と6日
20年6ヶ月
246回めの11日です。

20年前の夏、初めてPCを手にしインターネットにも触れ始めた直後でした。
20001年9月11日、夜の9時過ぎに家に帰りしばらくすると、
テレビがニューヨークで起きている異常事態を報道し始めました。

すぐにインターネットに接続し、情報を収集しつつ、
当時深く関わっていたclammbonのHPの掲示板での発言を追いました。

LIVEで知り合ったファンの方が多いので、
1人ひとりの顔を思い浮かべながら、1人ひとりが受けた恐怖を想像し、

可能であれば癒しの言葉をかけ続けたのが深夜まで続いた、
そんなアメリカの同時多発テロ発生9月11日の記憶。

その際よく語られた「映画を見ているようだ」という感想に対する違和感、
それは、10年後の東日本大震災発災時に感じ、

その時は「映画みたいなものをリアルなものに引き戻さなくちゃ」と、
現地に弾き飛ばされるように駆けた原動力のひとつになったはずです。

2011年。

当時ボクは東京青山のOjasというラウンジCLUBで、
唄のための時間「春夏秋冬」というイベントを開催していました。

1999年に春に都内で活躍していたR&Bシンガーのみんなと始めた、
「誰でも歌っていいよ」というイベント。

宇多田ヒカルがブレークした直後でしたが、
日本でR&Bはまだマイナーなジャンル。

しかし、それに必死に食いつくようにして自分を表現しようとしている若い人が少なからずいて、
しかし、女性シンガーの多くは、男性目線のプロダクツの上で、性的搾取も含めた表現を求められていたような時代です。

上手いとか下手とか、可愛いとかセクシーだとか、業界的ジャッジを排除し、
ただ歌いたければ集まればいいよという時間を、毎月一回木曜の夜に設けたら、
意外やものすごく歌の上手い人も多く参加し、
2年後には毎週開催しなければならなくなるくらい表現者が集まるようになったのです。

ものすごく上手い人も、そうでもない人も、同じ時間の中で歌い、
上手くないけど必死に表現しようとしている女の子の歌を、
バリバリ歌える人がめちゃくちゃ真剣に聞いて、そこで受けた感動を言葉にし、
自分の表現にフィードバックするようなことが自然と生まれた時間。

現場の責任はすべて自分にあると考え、業界的なマナーから一線を引いたイベントは、
意思のある人なら来るものは拒まずですが、
イベントを大声で宣伝したり、売り込んだりなんてことは絶対にせず、
お客に友人を呼び込むようなことさえせず、アンダーグラウンドを貫きました。

そんな時間だったからだと思います。

9・11同時多発テロ、その半年後のアメリカのアフガン侵攻と、
圧倒的な暴力を目撃されたとしても、みんなフリーズすることなく、
相変わらず人の発する小さな表現に真剣に向き合い、語らい、自分にフィードバックさせる。
そんな循環を絶やすことなく続けられる小さな現場だからこそでしょう、
どんな現場より早く、暴力に対してどんな表現を持って立ち向かうのかが練リ込まれた歌が生まれました。

ある夜「ハナミズキ」と名付けた曲を作ってきたと、1人のシンガーが歌い始めました。

うす暗がりの青山の空間で、弱き人々が息を飲むようにしてひとつの歌に向き合う風景。
それはとてもしなやかな力に溢れた風景でした。

その歌に込められたメッセージがどんなものか、その瞬間に理解など出来ないのだけど、
ただ、こんな風に1人の表現に真摯に向き合うことを「100年続けて」ゆかねばと思った歌の記憶。

今週の8日、花の絵の連載を続けている京都新聞に、そのことをちょっと書きました。
ただ、300文字程度で語ることは限られてしまうので、あらためてここで言葉にしています。

この歌に限らず、今も心の中でループを続ける歌に出会えた「春夏秋冬」というイベントは、
2002年5月、やるべきことはやったとボクが判断し、その任務に終止符を打ち、
よりローカルな表現を求め、ボクは沖縄や福岡を目指すようになります。

自分のやってきたことを語る時、
音楽イベントとして、clammbonやハナレグミとの関係が濃かったOurSongの名前を出すことが多いですが、

春夏秋冬はより参加するすべての人が表現者で、すべての人が主役と考えていたことと、
参加者の中で同じような発想でイベントを始める人も多かったので、
自分の考えを言葉にして発信するのは避けてきました。

あれから20年めの11日。
今から80年、その頃は自分は生きていないけれど、
ボクの息子たちたち世代に繋いでいってもらいたいことを
言葉に残しておきたいと思ったのです。

ところで、
春夏秋冬でのボクのDJはサイコーだったってことだけは言わせといて〜

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