122ヶ月め


今日は2011年3月11日から3,714日
530週4日
10年2ヶ月
122回めの11日です。

コロナの感染状況が好転しない今、
ボクの身の回りからは「自衛」「工夫」「我慢」「撤退」などなど、
なんとかこの状況から生き延びようとする声が聞こえてきます。

また、被災地と呼ばれるエリアの、
飲食店を営む多くの友人の苦しむ声が聞こえてきます。

被災エリアの自然の豊かさは、生活の多様性を生み、
漁業と農業と工業と商業が混在するような社会構造だったり、
人口密集エリアと過疎のエリアとの生活様式の違いだったりで、
行政による一律の支援のあり方では、
その網の目から振り落とされてしまうことがあるようです。

もちろん行政も精一杯の施策を進めているはずですが、
個人としては、自身の無力を認識しながらも、
友の声に耳を澄ませるひとりであり続けなければと考えています。

そして、コロナ以降の社会を想像し、
やれることがあれば共に進めてゆこうと考えています。

かつて「復興オリンピック」と呼ばれた TOKYO 2020 は、
「コロナに打ち勝った証」と呼び名を変えられています。

「復興ってなんだろう?」
そんなことを被災エリアの友人たちと今も語り合い続けているのに、
「復興」もなんだか「消費」するものに思えてしまったことが、
なんだかとても悲しいです。

オリンピックには期待することもあり、
当初の「コンパクトな都市型オリンピック」という考えには賛同もしていたのだが、

コロナ以前に、猛暑の真夏の東京で開催ってのは、
無理しか感じられないんだよな〜。

多くの競技で、その最高峰の演技やゲームが、
各種競技団体が主催するワールドカップやツアー大会に集約される今、

オリンピック開催の意義とは、
アスリートだけでなく、観客や開催自治体の住民も主役であるということなんだろうと。

「復興」を語ったTOKYO 2020 には、
そうした人の顔が見えていたのだろうか?

「無観客」も検討されている今、
誰のためのオリンピックであるのか、
一瞬でもいいから歩みを止め、語り合うようなことがなぜ出来なかったのか。
とても残念でなりません。

5月に開催予定だった、子どもたちや障害も持った人とのワークショップが、
軒並み中止になってしまった今。

「自粛」という体言止めで語られていることの背景に、
真の責任者の顔は見えず。

言葉が足りぬのであれば、語り合えば良いではないかと思うも、
対話の糸口は見えず。

繰り返しになるけれど、
もちろん行政も精一杯の施策を進めているはずですが、
それでも、
「復興」や「自粛」を語り伝えるための、
より言葉にセンシティブな人材が現場にはいないように感じてしまうことが、
残念だなあ。。

震災の直後、
カオスのような状況の中からでも、
確かな人の声は聞こえてきた。

あの確かさが今生かされていないことが、
ただただ残念であるだけでなく、

確かのことを語る以前で、
反論やクレームを抑えるために駆使される莫大な文字列に出会うばかりの今に、
ただただ息苦しさを感じてしまうのです。

それでも、10年かけて築いてきた人との関係性を、
さらに風通しよく語り合える環境を育ててゆく。
自分がやるべきことは明快です。 

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