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133ヶ月め

2022 年 4 月 11 日 月曜日


今日は2011年3月11日から4,049日、
578週3日、
11年1ヶ月、
133回めの11日です。

11年前の3月11日の大震災発災後目にした「人の命が不当に失われてしまうこと」について、今も考え続けています。

自分が物心ついた頃、ニュースではベトナムで戦争が行われていることを伝えていました。
日本や、1972年5月15日までアメリカの占領下にあった米軍基地から、多くのアメリカ兵がベトナムの戦場に送り込まれ、
日本もこの戦争の最前線基地のような役割をしていました。
1975年4月30日は、南ベトナムの首都サイゴン(元ホーチミン市)が北ベトナムに接収され、ベトナム戦争が終息に向かうのですが、こうしたことはボクの小学生から中学生時代と重なるも、学校では「今何が起きているのか」を教えられることは無く、ただ目にするニュース映像から、「今戦争が行われている」という曖昧な不安を抱えるだけなのが、ボクたちの世代だったのではと想像します。

ただ、ボクの家には報道写真家の石川文洋さんの、ベトナムの戦場や戦時下の庶民を撮影した写真集があり、戦争の不条理さ、出口の無さなんてものを感じることは出来ていたはずです。
(その割に、プラモデルの戦車を作るのが趣味だったり、仮面ライダーが悪い奴らを根こそぎぶっ倒してゆく姿に溜飲を下げたりなのだが、、)

そして、その後も世界では戦争が起き続けます。
もしくは「紛争」という名前に置き換えられたものも無数に起きます。

世界は冷戦という東西の大国間でのチキンレースのような状況にあり、上京し大学に入学したばかりの頃は、出来立ての友人との異性や音楽にまつわる話と共に、「今戦争が起きたら戦場に行くのか?」なんて会話をしてたな〜。(自分は、侵略されたら闘わねばならないだろう。そんなこと言っていたはず。)

それでも「文明国」を語り、国連でも重要なポストにあるような国は、戦争を避けるために尽力するものだと思っていたら、ソ連がアフガニスタンに侵攻し(実際は大学入学前だが)、イギリスはフォークランドで「紛争」を起こし、アメリカは湾岸戦争の当事者になります。

そうしたニュースを耳にし目にする度に、石川文洋さんのカメラの先で起きたことを振り返り、思い出していたボクです。
日本はバブル景気という狂気に踊り続けているのだけど、この瞬間に不当に失われている人の命がある。

そんな居心地の悪さを感じ、ちょっと自分を追い込むような生活もしてしまい長期の入院を経験し、1993年3月には「群馬の実家を火事で失った」なんて先で、1995年1月に阪神・淡路大震災、そして3月に地下鉄サリン事件という、命について真剣に「これまでの価値観をひっくり返しても考えなければならない」事件に、きっと「被害者では無いけれど当事者である」とう認識で向き合ったはずです。

今振り返り、その後自分がやったことは、もしもの際に真剣に語り合える仲間を創ることではなかったかと。
CLUBやCafeで創るイベントの背景には、かならずそうしたテーマを滑り込ませておき、語り合える仲間を可視化させていった。

そして、ニューヨーク2001年9月11日
さらに、新潟の中越地震や福岡の西方沖地震と、共に考え行動する共を得て、それは小さな力でしか無いけれど、愛しき何かを生かすだけの力にはなるアクションが起こせた。

そんなアクションを重ねる中で「人ひとりの命が失われる重大性」というものを心や身体に染み込ませ、思いがけず自分が人の親になることにもなった。

が、2011年3月11日に起きたことは、そうした経験も一気のどこかに流されてしまったように思えた。

この未曾有と呼ばれメディアで共有されまくった悲劇に対し、ボクは圧倒的な当事者となったはずだが、それを語る言葉を持っていないことに気がつきました。
これはまずいぞ!当時1歳だった息子が物心ついた時、せめて自分の言葉として語れるようにしておかなければならないと確信し、北の方に弾け飛んでゆき、それは11年後の今も続いている。


今日は何を書こうか決めずにタイプを始めてしまったら、こんな振り返りになっています。

人は生きているだけで不条理に巻き込まれるものだ。

自然災害が頻発する日本で暮らしていると、そうした刹那な考えが身に染みて、可能な限り人間同士争いは無くさねばという考えに至ると、希望や願いも込めて思います。

しかし、世界のパワーバランスの中では、そんな甘っちょろいこと語っている場合では無く、必要であれば他者に対し不条理な死を与えていいのか?

文明とは100歩譲って戦争を起こすものであるとして、文化とはなんだろう?

今ウクライナで起きていることは、まったく起きるべきことでは無いと強く思う。

が、ウクライナもロシアも心の中では地続きであるという意識は、さらに強く思い、
自分の足元で出来ること、やるべきことを考えねば。

でなければ、3月11日に失われたものに対して申し訳ない。

2022
0411
PEACE!!