今日は2011年3月11日から5,055日
722週と1日
13年10ヶ月
166回目の11日です。
東北や北陸など記録的な大雪に見舞われているようですが、
みなさんご無事にお過ごしでしょうか。
昨年末12月26日に思い立って能登に行ってみました。
仕事の作画のイメージが曖昧だったところ、着いたら大きな虹。
「ああ、これを描けばいいんだろう」と、やはり行かねば得られぬものはありますね。
次の日、26日朝早くから能登輪島を目指しました。2023年7月に初めて行った能登。
3月、10月と能登に足を運び、自分が出来ることを探ってきました。その間よく耳にした「冬の能登も見て」という言葉に惹かれ、
震災当時の能登とはどんな場所なのか、なるべく1月1日に近いタイミングで行ってみようと思ったのです。初めての能登は飛行機とバスと徒歩。
2回目と3回目は金沢から電車、その先はタクシーやバスや徒歩。今回は金沢からバスで初めての輪島の市街地まで。
能登外浦と言われる荒々しい白波に覆われた太平洋岸から、
穏やかな海が広がる能登湾「内浦」を巡る路線は、
能登自然の多様性と「輪島への行き辛さ」を実感する3時間。
輪島はNHK連続テレビ小説「まれ」の舞台のひとつでしたが、
ボクは主人公土屋太鳳さんを親御さんとのご縁で子どもの頃から知っていたのもあって、
いつか行こうと思っていた約束の場所でもあります。
これは行かないとわからないことばかりだったなあ〜〜
「感じた」と語ってしまったけど、
突然月面に放り込まれたらこうなるんだろうとい思考停止陥るわけです。
ともかく己の想像力を停止させないように念じ、歩いて、歩いて、
自分はしばらく肩を壊していてボランティアに参加出来ない状態なので、
その分寒さや匂いなど、メディアを通しては得られないものをキャッチして、
ともかく歩き続けました。
倒壊した家屋や焼滅した街の写真も沢山撮りましたけど、
そういうものはぜひ実際ご自身の目で、というか心で向き合ってもらえたらなあと。
東日本の時と同じく自分からシェアすることは避けますが、
1枚だけ、
2023年のクリスマスのデコレーションが残されたままの風景と出会い、
色々考え込んだ自分であります。
生姜焼き定食食ったら米が美味くてね〜!(肉も美味!)
うちで作ってる米だと、ちょっと突き放すような 言い方。
9月の豪雨で田んぼの3分の2が流されちゃったんだと。
ちょっと嬉しそうな顔してくれた。
いや、もうあの米をまた食いに行きたいぜ、輪島。
あらためて輪島。
行ってみると「やはりこんな大変なんだ!」という事前の想像を遥かに超えた大変な風景に出会います。
個人宅が倒壊した場合、持ち主の許可が無いと物の持ち出しや解体は出来ず、
特に高齢者の多いエリアは深刻風景が置かれたままになっちゃうのだろうね。
ニュースでは、公費による倒壊家屋の解体作業は40パーセントくらいまで進んでいると言っていたが、
一見の自分にはそれがどれくらいの達成度かわからず、「手付かず」の印象が湧くばかりです。
(これは10月に行った輪島市門前町でも同様でした)
地理的な要素が大きいのと、9月の豪雨被害はキツ過ぎだよな。
この辺の情報が東京には聞こえてこないんよね。
ただ被災地に行って名物の饅頭と生姜焼き定食食っただけの無力なボクが何を言っても伝わらないだろうから、
行ける人は行ってみたらいいと思う。
「がんばろう!」でやれた1年の次、
2年目は体力的のも精神的にもかなりキツくなるのは東日本で見てきたこと。
意外と 喜んでもらえたなあ〜。あとは目に見えてこない部分、
被災された方もその対岸のボクたちも、お互い人間らしい弱さを尊重し合い、
助け合えたらいいね〜。
今回は輪島のバス停で仕事一本入稿してたらタイムアップ、帰路に着いたのでした。
以前フイールドワークして出会った門前町黒島の風景を描いたもの。
今回は行けなかったけど、輪島市門前町鹿磯の食堂「杣径」
みなさんぜひ行ってみてください。
・杣径インスタグラム > https://www.instagram.com/_somamichi/オーナーで輪島塗りの塗師 赤木明登さんがこの店を中心に地域の復興、
さらには輪島塗りの維持に尽力しているのが、人間のサイズで分かる場所だし、
何よりおいしくて仕方ない。