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166ヶ月め_輪島へ

2025 年 1 月 11 日 土曜日


今日は2011年3月11日から5,055日
722週と1日
13年10ヶ月
166回目の11日です。

東北や北陸など記録的な大雪に見舞われているようですが、
みなさんご無事にお過ごしでしょうか。

昨年末12月26日に思い立って能登に行ってみました。

25日に滋賀県彦根の湖Laboさんからご依頼を受けている仕事の資料撮影のため新幹線飛び乗り。
仕事の作画のイメージが曖昧だったところ、着いたら大きな虹。
「ああ、これを描けばいいんだろう」と、やはり行かねば得られぬものはありますね。
で、彦根から金沢はアクセスも良いので夜のうちに移動。
次の日、26日朝早くから能登輪島を目指しました。2023年7月に初めて行った能登。
そこでの思いがけず手にした豊かな経験を、昨年1月1日に起きた能登半島地震で切らせてはならないと、
3月、10月と能登に足を運び、自分が出来ることを探ってきました。その間よく耳にした「冬の能登も見て」という言葉に惹かれ、
震災当時の能登とはどんな場所なのか、なるべく1月1日に近いタイミングで行ってみようと思ったのです。初めての能登は飛行機とバスと徒歩。
2回目と3回目は金沢から電車、その先はタクシーやバスや徒歩。今回は金沢からバスで初めての輪島の市街地まで。

能登外浦と言われる荒々しい白波に覆われた太平洋岸から、
穏やかな海が広がる能登湾「内浦」を巡る路線は、
能登自然の多様性と「輪島への行き辛さ」を実感する3時間。

輪島はNHK連続テレビ小説「まれ」の舞台のひとつでしたが、
ボクは主人公土屋太鳳さんを親御さんとのご縁で子どもの頃から知っていたのもあって、
いつか行こうと思っていた約束の場所でもあります。

まもなく能登半島地震から1年の輪島、

これは行かないとわからないことばかりだったなあ〜〜

東日本大震災から1年後の東北もずいぶん歩いたが、
その時感じた甚大さと輪島で感じたことに変わりは 無く、
「感じた」と語ってしまったけど、
突然月面に放り込まれたらこうなるんだろうとい思考停止陥るわけです。

ともかく己の想像力を停止させないように念じ、歩いて、歩いて、

自分はしばらく肩を壊していてボランティアに参加出来ない状態なので、
その分寒さや匂いなど、メディアを通しては得られないものをキャッチして、
ともかく歩き続けました。

倒壊した家屋や焼滅した街の写真も沢山撮りましたけど、
そういうものはぜひ実際ご自身の目で、というか心で向き合ってもらえたらなあと。

東日本の時と同じく自分からシェアすることは避けますが、
1枚だけ、
2023年のクリスマスのデコレーションが残されたままの風景と出会い、
色々考え込んだ自分であります。

そんな中で頑張って営業しているお店なんかもあって、

生姜焼き定食食ったら米が美味くてね〜!(肉も美味!)

ワンオペで頑張ってるお母さんに「米うまいっすね!」 と伝えらた、

うちで作ってる米だと、ちょっと突き放すような 言い方。

そして、
9月の豪雨で田んぼの3分の2が流されちゃったんだと。
う〜〜ん、いやでもこれ美味いっす!
能登は水が美味いから米もさらにうまいっす!なんて話したら、

ちょっと嬉しそうな顔してくれた。

いや、もうあの米をまた食いに行きたいぜ、輪島。

あらためて輪島。

行ってみると「やはりこんな大変なんだ!」という事前の想像を遥かに超えた大変な風景に出会います。

個人宅が倒壊した場合、持ち主の許可が無いと物の持ち出しや解体は出来ず、
特に高齢者の多いエリアは深刻風景が置かれたままになっちゃうのだろうね。

ニュースでは、公費による倒壊家屋の解体作業は40パーセントくらいまで進んでいると言っていたが、
一見の自分にはそれがどれくらいの達成度かわからず、「手付かず」の印象が湧くばかりです。

しかし、被災地域のあちこちに仮設住宅が造られている風景は、東日本の時より素早く手厚いイメージ。
(これは10月に行った輪島市門前町でも同様でした)
水道など生活インフラが復旧されていないエリアがまだあるのは、
地理的な要素が大きいのと、9月の豪雨被害はキツ過ぎだよな。
地域の人に伺うと、ボランティアの人たちはよくやってくれているとのこと。
この辺の情報が東京には聞こえてこないんよね。
などなど、
ただ被災地に行って名物の饅頭と生姜焼き定食食っただけの無力なボクが何を言っても伝わらないだろうから、
行ける人は行ってみたらいいと思う。

「がんばろう!」でやれた1年の次、
2年目は体力的のも精神的にもかなりキツくなるのは東日本で見てきたこと。

それでも、被災の対岸にいる自分みたいな者の「わすれない」という 振る舞いは、
意外と 喜んでもらえたなあ〜。あとは目に見えてこない部分、
被災された方もその対岸のボクたちも、お互い人間らしい弱さを尊重し合い、
助け合えたらいいね〜。
というわけで、
今回は輪島のバス停で仕事一本入稿してたらタイムアップ、帰路に着いたのでした。
冒頭にアップした絵は、
以前フイールドワークして出会った門前町黒島の風景を描いたもの。
あと、
今回は行けなかったけど、輪島市門前町鹿磯の食堂「杣径」
みなさんぜひ行ってみてください。
・杣径インスタグラム >  https://www.instagram.com/_somamichi/オーナーで輪島塗りの塗師 赤木明登さんがこの店を中心に地域の復興、
さらには輪島塗りの維持に尽力しているのが、人間のサイズで分かる場所だし、
何よりおいしくて仕方ない。

能登の食堂「杣径」

2024 年 7 月 30 日 火曜日

能登の食堂「杣径」の雑誌広告とフライヤー用のイラストレーション作りデザインしました。

能登半島地震から半年のタイミングで、能登の塗師、赤木明登さんからメッセージを頂き、「よくぞ声をかけてくださった!」という喜びと、「これは責任重大だ」というデカいプレッシャーの元取り組んだ仕事です。

昨年7月に初めて赤木明登さんの工房を尋ね、思いがけず「杣径」という、自分の食の嗜好と0.1mmの隙間も無く合致するオーベルジュ、そして料理人の北崎裕さんはじめ皆さんの働く佇まいの美しさとの出会ったことは、自分の創作を見直すきっかけになりました。
その時の取材記事↓
しかし、今年1月1日の能登半島地震発災以降は、ただただ自分の無力を知るばかり。

その後「輪島塗りの灯を消すまい」と奮闘される赤木さんの姿をSNSで追い、時が来たら力を発揮できるよう考えていたところで、この大役を仰せつかりました。

元編集者である赤木さんから、必要なテキストと共に「灯台の絵と共に杣径を表現してくれ」とのオーダーは、こうしたものを作る上で完璧なアイデアでした。

その上でビジュアルとして伝えるべきことを整理してみたら、「杣径(そまみち)」という言葉が主役であり、人の居て良い場所としての余白が重要だなあと。(今回、色々な雑誌広告を調べてみたら、かなり息苦しくなった自分っす。)

「灯台」は自分が赤木さんにお届けした絵本「とうだい」からの発想頂いたと想像し、ありがたいなと思ったのですが、控えめな描写にしました。

いやいや、能登では「杣径」が、そして赤木さんご自身こそが「灯台」なわけですよ。

9月に新店舗での「仮」の再開を果たす「杣径」ですが、まだまだ復興を語れぬ能登にあって、大変なことばかりでしょう。

しかし、
「杣径」の意味、マタギや山子など山で働く人々が利用した山道。長年の人の営みにより踏み固められた道のごとく営まれる店は、能登の人たちにとって灯台のような役割を果たすのだと信じています。

というわけで、お客さん来んかったら俺の責任だ。と自分に言い聞かせ仕上げたです。

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「茶寮 杣径」仮店舗「食堂 海辺の杣径」
9月3日(火)に開店。予約を開始しました!

日本料理オーベルジュ「茶寮 杣径」(門前町内保)は、能登半島地震で、3棟の建物のうち1棟が全壊、2棟が半壊という大きな被害を受けました。すでに現状復帰に向けて動き出していますが、再建までには1年〜2年の時間が必要です。完全復興までのあいだ、しばらくは近くに仮店舗をつくって営業を行います。仮店舗では、地元の人に、予約なしで気楽にご来店、食事をしていただけるよう、ランチの営業を「食堂 海辺の杣径」として行います。夜は、通常どおり、予約のみでディナーをご用意しており、宿泊も可能です。皆様のご来店を、こころよりお待ちしています。


「食堂 海辺の杣径」
2024年9月3日(火)新規開店

ランチ営業11:00〜15:00 月火休
電話 090 6245 3737
場所 輪島市門前町鹿磯1-17
駐車場有

ディナーのご予約は、下記ホームページよりお願いします。

https://somamichi.jp

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