‘直島’ タグのついている投稿

直島セイラーズクラブでのワークショップ

2024 年 11 月 11 日 月曜日


瀬戸内の直島で子どもたちと3回のアートセッションを行いました。

今年10月8日と9日の二日間で、
昨年4月に続いて直島の凄すぎる放課後児童クラブ”直島セイラーズクラブ“をベースに、
今回は直島小学校6年生のクラスでもセッション。

昨年の開催は『アメリカとイギリスの慈善活動家たちが日本各地の文化に触れる旅を楽しむ』『その行程の中には震災被害に遭った福島と神戸、そしてアートの島として海外でも有名な直島が組み込まれていて、それぞれの地域や子どもたちの未来に対する投資を行う』というツアーに組み込まれたひとつのセッションとして、セイラーズクラブを紹介されました。

日本での先進的な事例となった昨年の様子> https://yakuin-records.com/amigos/?p=15700

今年は、去年の試みを楽しんでくれたセイラーズクラブを運営するみなさんが、運営費をかき集めて実現してくれるアートセッション。

自分は昨年の思い切り振り切ることが出来たセッションの振り返りと、それでもやり切れていなかったであろうことの確認も含め、お話しを頂いた瞬間に「行くよ!」と。

結果「行ってよかった〜!」でした。


1年半ぶりのセイラーズクラブ。
「ひさしぶり〜!」とドアを開けて入ると、当然放課後の子どもたちがいるのだけど、
その子どもたちの雰囲気が去年と違っているのが一瞬で感じられました。

その変化はもちろんポジティブなもので、それを言葉にするのはちょっと難しいのだけど、
あえて言えば「1人ひとりの個性が立って感じられた」ということかなと。


昨年出会った当初の子どもたちは、1学年30名前後の規模の学校と学童に通う「直島小学校の子どもたち」という属性を強く感じ、さらに1人ひとり割り振られたようなキャラ設定があるように思えたんだよね。

それがセッションを重ねる中で徐々に溶けてゆき、1人ひとりの個性が滲み出るようになり、一部の子どもたちは個性が際立って感じられるようになった。

ただまあ「一部」なわけで、ちょっと後ろ髪引かれるような気持ちで直島を後にしたんだった。


それから1年半後、自分の懸念を払拭するような子どもたちの姿に出会えた。

それは、去年自分がここにこれて良かったと思えた以上に、
その後この場所のスタッフの皆さんが子どもたちに気持ちよく接し続けてくれたってことだよなと。

これと同様の変化は、2017年から2021年に福島県奥会津エリアの柳津の子どもたちとのセッションで経験したことがあります。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=15157 ←ローカルでの子どもたちのあり方に、それを見守る大人の振る舞いがどれだけ重要か気づけるはずなので、ぜひチェックしてみてください。

柳津での子どもたちの変化が4年間の間にあったことに対して、
(自分は途中経過をちゃんと見れていないのだが、、)
直島では1年半の間で劇的な変化を感じられた。

それはこの場所が、子どもたちのお母さんたちが問題意識を持って自主的に行われているってことなんだろう。

そもそもこの立派な施設は、お母さんたちの希望が形になったもので、
その建設から運営の財源もお母さんたちが働きかけて助成を受けたものだってこと。

その「自主的運営」というある種危機感と背中合わせのマインドが、
「子どもたち」という目的からブレる事なく運営する力になっているんだろう。

放課後児童クラブであるセイラーズクラブは、2023年に運営が始まったのだけど、
元々は「直島キッズポート」という子育て支援団体の運営を2020年に始めたことから、
子育て支援の発想が地続きで繋がり、地域の必然に応える形で生まれたもの。

キッズポートの代表理事を務めキレッキレの小学6年生女子のお母さんでもある江幡さんは、
コロナ禍で生活が変わったことと、元々の問題意識が噛み合ったことで、
仲間を募りこの事業を始めたとのこと。

江幡さんはじめ移住者の多い直島では、問題意識の高い方が多いはずだけど、
それを取りまとめるための「話を聞く能力」が高いんだろう。

それは日本各地に散らばって存在する、自分がリスペクトする地域作りのキーパーソンが持つ能力。

ただそうした1人ひとりはとても強い我を持つ人でもあるのが面白いから、自分は惹かれるんだろなと。

目的がなんであるのかの適切な判断の元、強い我を振り回す事なく人の話を聞き、課題解決の道を切り開く。

自分のような美意識を持って破壊的な現場作りをする者を呼びつけてくれる人は、
まあみんなそういう人だなあ〜と、今回直島で実感。

で、江幡さんに限らず、この現場に立つ人たちはみな、
「それやっちゃダメ!」では無く、
「それよりこっちの方が面白くない?」という問いかけの元、子どもたちと接している。
(これに関しては、昨年のセッションが活かされていたら嬉しいぜ)

小さなコミュニティの中でのキャラを演じ、だんだんと「失敗しない」ことが目的になってしまうのは、
大人も一緒ではないかと思うのだけど、

そうした生きづらさを自ら変えてゆく手段としても、
子どもたちが気持ちよく生きられる環境作りを目的に活動する。
ということは、これからの社会作りの中でマストな行いです。

それを関わるみんなの日常として続けてきたのがこの場所で、
そんな大人たちの奮闘が、見事に子どもたちの表情と指先から感じられた2024年10月

直島で唯一の小学校、直島小学校6年生とのセッションでも、
学校とセイラーズクラブとの風通しの良い連携が感じられて、
これは子どもたちも親御さんも安心だろうな〜と。

6年生を前に訳わからぬこと語り倒した後、
子どもたちの直島自慢をシンプルな線と色で表現してもらったら、
さすが瀬戸内の子どもたち、シャバシャバに美しい海の青色を心に纏っているんだね〜。

もしくは、
「部屋にいることが楽しい」とか、
「読書が楽しい」とか、
大人が勝手に思い描く直島の魅力とは別の場所で、
子どもたちは生きている。

数名の男子くんたちが笑顔で語ってくれた「直島の楽しかった思い出」が、
「仲間と乱闘したこと!」だって。

いいな〜!子どもたち。

そして、子どもたちの表現はみんな美しかった。


その後のセイラーズクラブでのセッションでは、
去年やり残したことを少人数でチャレンジ出来て、
ある子どもから「楽しい」という言葉を聞くことが出来て、ちょっとホッとした。

直島に暮らしていても、実はアートに接続するような機会は少ないという子どもたち。
(港に置かれた草間彌生さんのカボチャは日常の風景だけどね)

でも、本来とても気持ちの良い場所で生きている子どもたち。

この「きもちい」や「たのしい」は、
もしかして島の外に出て暮らすことになった場合でも、生きる力になるんよ。

ということを、この場所のスタッフのみなさんと共有して行うことの出来たセッション。

もちろんやり残したことはあるはずなので、
必要と思うことがあれば遠慮なく伝えてくれよ〜!

キッズポートのアイコンは「灯台」
いつかセイラーとして社会に漕ぎ出す子どもたちにとって必要な灯台。


2024
1008
1010
PEACE!!

これは、
顔のパーツの特徴を1つひとつ言葉で伝えて、モンタージュ的に仕上げるセッションの作品。

 

直島子どもアートセッション 4 days

2023 年 4 月 26 日 水曜日


2023年4月16日~19日
香川県瀬戸内の直島での”子どもアートセッション4DAYS”
笑顔のフィニッシュを迎えました。

子どもたちとの現場となったのは、
NAOSHIMA SAILERS CLUB

町立直島小学校や直島幼児学園(認定子ども園)に隣接する高台に新設され、
今年の4月から運用が始まったばかりの放課後クラブです。

その空間は子育て中の親の誰もが「わ〜!」と声を上げ、
「ここで子供を預かってもらえること、うれしい!」と思えるだろう場所。

この運営は “なおしまキッズポート
それぞれお子さんを持つおかーちゃんたちが、
直島で生きる上で必要なことを自分たちで創ってしまおう!
もしくは「しまわねば。」という必然で組織し実行に移した、
子供たちの居場所と未来にコミットしたグループです。


今回、この企画のコーディネーターの方にキッズポートを紹介いただき、
オンラインで「はじめまして」のミーティング。
その瞬間「ああ、この人たちとなら新鮮な何かを創れるな!」と直感。

その後のアイデアのキャッチボールもスムースに、
当初の「子どもたちとのワークショップを4月19日水曜日にやってください」というオーダーに対して、
週末を加えた複数日のセッションを行うべきと判断。
しかし事前情報はできるだけ遮断し、直島の「はじめまして」の場所を目指しました。


直島子どもアートセッションDAY 1 は、4月16日(日)

子どもたちと「アートの理屈」を蹴散らして、
身体が喜ぶワイルドなアート体験を、子どもの親もスタッフも自分も共有しよう!
という試み。

だけど、
実際は「なんのこっちゃ?」と感じて終わってしまった親御さんもいたはず。

なんだけど、
自分はものすごい量の「この場所に集った子どもたちの情報」を得て、
残り3日間のセッションでの振る舞いのイメージを高めることが出来ました。


一応この日のおさらい。

・「学校や家でやったら怒られるようなことやるよー!」

・なので、子どもたちに指導はしない。

・というわけでセッション中は「じょうず」という言葉は禁句。

・自分がやることのほとんど全ては、子どもたちが行うクリエイティブなアクションに対する共感。
「いいね〜!」「かっこいいねー!」「おっしゃれ〜!!」みたいな声かけに終始。

・子どもたちの「見て!見て!」にただ「見て」うなずく。

・それだけでも子どもたちは「よっしゃー!」とさらにクリエイティブを加速させ前進。

・その姿は「子どもたちが自分から自由を獲得している」ということであり、
 大人はその自由のフィールドを暴力や事故から守る。

・そして子どもたちはさらに安心し、さらにクリエイティブを加速させる。

・で、子どもがクリエイティブなテーマを掴んで、その実現に対するアドバイスを求めてきたら、
(たいていは「ねえ、これやって〜」みたいな話だけどね、、)
クオリティを高めるためのアドバイスを(べらんめいな職人言葉で)行う。
「じょうず」という言葉の使い所があるとしたらここだけど、自分はやはり使わなかったかな。。

これらひっくるめて言ってしまえば、
子どもたちととことんガチで向き合い楽しみ尽くす。

自分は子どもたちに「寄り添う」では無く「背中を追い」、
子どもたちが魅せる一瞬一瞬のアクションをキャッチし続けているのだけど、
子供たちの先回りは決してしないし、子どもたちが創ったものに対してジャッジもしない。

なぜなら、そうした方が楽しいから。

で、
大暴れでやり切った子どもたち、意外と視野の広い落ち着いた人格を獲得するぜ!
という余談で初日終了。

参加者多くて2部制になって、魂抜かれるほど疲れたが、
その疲れはただただ喜びだ。

直島子どもアートセッション DAY2 – DAY4 の三日間 は、
放課後クラブであるNAOSHIMA SAILRS CLUB の一部を自分の仕事用のアトリエとして使い、
学校から帰ってきたこの施設を利用する子どもたちとの自然なアートセッション。


自分が持ち込んだ画材は全てプロユースのもので、
しかも服に着いたら落ちないアクリル絵の具だったりで、
で、想定外だったのは、小学生も制服着用なんだ〜〜、、
という「親御さん、もしもの場合はごめんなさい、」な状況で、
子どもたちが自分から興味を持ったアートアクション(絵の具遊び)を、
プロの自分とのコミュニケーションを持って実践。


これは福島県奥会津の昭和村で確立した現場作りなんだけど、
直島では SAILERS CLUB があるので、安心して投下出来ました。

五月雨式にセーラーズクラブにやってくる子どもたちと、
マンツーマンのような形でコミュニケートするセッションでは、
「クオリティ」という言葉が飛び交って、

いや〜〜、作って、創って、造りまくったね〜!

それが何であるのかなんてことより、
作って、創って、造りまくることにこそ意味があったような、
そんな、ワイルドでクールで、ある意味セクシーでさえあった創造の事件現場。
(「セクシー」は「生きる」と訳して読んでもらえたらいいな)

そもそもこのセッションはなんであるのかなんだけど、
まずこの企画に対してお金を出してくれる人の存在があります。

アメリカとイギリスの慈善活動家たちが日本各地の文化に触れる旅を楽しむ。
その行程の中には震災被害に遭った福島と神戸、
そしてアートの島として海外でも有名な直島が組み込まれていて、
それぞれの地域や子どもたちの未来に対する投資を行う。
欧米では美術館などが主催し行われれているパトロンツアーを、
日本で実験的に行ったという事みたい。

で、直島でのドネーションの使い方として、
子どもたちとガチで取っ組み合っている自分が使命され、子どもたちとセッション。セッションの最終日にお金を出して下さった皆さんをお客様として迎え、
子どもたちが創った作品の除幕式。

ツアー参加者それぞれが寄付したお金の価値を子どもたちの笑顔で確認し、
やはり笑顔で帰国するという旅。

で、いいのかな。

自分はその意味を確認することなく直島に向かい、
この場所で子どもたちたその親御さんと過ごすことで、
意味が後から喜びと共について来たという感じだろうか。


アメリカ、イギリス、日本のエージェントもガッツリ噛んで作り上げた実験現場は、
海外アートに詳しい友人に言わせると、とても意義ある事みたい。社会の格差が広がる中、資産を持つ人が持たざる者への支援に人生の幸福を感じる生き方。

もちろん格差なんか無くなればいいのだけど、
だけど、7歳、8歳、9歳くらいのワイルドな絵の具遊びと、
海外からのお客様との喜びに溢れたコミュニケーションを経験した子どもたちの未来は、
彼らなりの幸せの形を生んでくれるんじゃないかと。

アートが目的で無く、人と人が繋がること。

繋がって良かったねでは無く、子どもたちの未来にコミットする発想を生まなくちゃなんだよね。

そうしたことに少なからずの確信を込めた希望を持って、
自分はハードワークをこの現場に投下。

それは海外からのパトロンさんにガッツリ伝わったはず。

楽しかったね!
また会おう、イエイ。

そんなこんなで自分にとって2度目の直島は、
素泊まりの民宿とセーラーズクラブとコンビニを結ぶ一本道の往復に明け暮れ、
(夜は民宿で東京の仕事やら連絡後とやらで、、)
有名な美術館やアート作品に触れることの無い、きっと自分らしい時間を過ごしました。
(昨年この件のミーティングで初めて来た直島は滞在5時間、、)


それでも、直島は30年ちょっと前から始まった島の再生、
そしてアートを生かした地域作りの力で、
なにげない風景の中にも、愛ある人の手が施された景観に出会い、
ボ〜ッと歩いている時間がとても幸せでした。


なんだけど、
ではこれはいつまで続くんだろう?
そんなことを なおしまキッズポートのみんなと語り合った日々でもありました。

直島、ちょうど町会議員選挙が始まり、しかし立候補者が少なく無投票で当選とのこと。

大きな精錬所とベネッセを有し「アートの島」として憧憬の眼差しを向けられる場所は、
住民からしたら今の所勝手に潤っていて変わる必要は無くイメージなんだろう。

だけど、だからこその課題を感じたおかーちゃんたちは、
直島再生の30年の歴史の先に、子どもたちの港 なおしまキッズポートを発想し、
さらに子どもたちやおかーちゃんたち、さらには地域の方々のための「とうだい」のような場所、
NAOSHIMA SAILERS CLUB を建てた。

除幕式の最後の方で、自分が作画を担当した絵本「とうだい」を読み語りする時間を頂きました。

「おーい、おーい、あらしにまけるな!」
「とうだいは ここにいるぞ!」

とうだいにできることはひかること。

くるくるなみを つきぬけろ!

ぴかぴか かぜをこえてゆけ!

くるくる ぴかぴか

子どもまみれの4日間。

海外からのお客様に綺麗な発音で自己紹介出来る島の暴れん坊たちは、
自分たちが自己紹介するならみんなもするべきだと言い寄るタフさを持っている。
その多くが島を出るのがこれまでの直島だったのが、さてどんな未来が彼らの幸せなんだろう。
まずは選挙の選択肢を増やしておく必要はあるんだろうな。
で、俺はかーちやんたちに呼ばれたら「直島また行くよー!」であります。

 

 

145ヶ月目_直島へ

2023 年 4 月 11 日 火曜日


今日は2011年3月11日から4,414日
630週と4日
12年1ヶ月
145回目の11日です。

週末から香川県の直島に行き、
16日から19日まで子どもたちとのアートセッションを行います。

舞台となるのはNAOSHIMA SAILORS CLUB
一般社団法人キッズポートが運営する立派な学童保育の施設です。
https://youtu.be/C7A-eQUvh-k

ワークショップのメインのひとつは16日の日曜日、
子どもたちといつものワイルドな絵の具遊び。

そして19日に海外のお客様をお迎えし作品の発表会。

その間SAILORS CLUBの一部を自分のアトリエに見立て仕事の絵を描いていると、

学校が終わって学童保育を利用する子どもたちがやってきて、
自然とアートセッションが生まれる。といいな〜
という目論見。

これは福島県奥会津の昭和村でやってきたことの直島バージョンです。

NAOSHIMA SAILORS CLUB、もしくはキッズポートは、
2人の女性が主となり運営しているそうです。

今回のセッションに向け、何度かオンラインでお話してきましたが、
とても話がしやすい方々。

いわゆる息があうって感じで、
彼女たちが気づいている直島の課題や子どもたちの問題に対して、
自分にどんな働きが出来るのか、とても新鮮な気持ちで臨めそうです。

フライヤーに掲載されている”対象”が”0歳~150歳”と自分の軽口のままになっているとかね、
わかってる〜!なのです。

そして4月19日。

事の始まりは去年の秋。

知人からの「子どものためのアートスクール開催について直島に来てミーティング出来ませんか?」とのオファーに答え、初めての直島へ。

ところがミーティングにズラッと参加したのは欧米から来られら方々。

それは、
アメリカの慈善活動家が日本の直島など数カ所で、アートによる子どもたちの育成と地域振興に投資したい。
とのことで、
アミイゴ、ともかく一度何が出来るか直島で見せてくれ。
ということのようです。

というわけで、
今回19日にその投資家グループを迎えて発表会を行うというミッションなんですが、
その現場としてコーディネーターさんが繋いでくれたキッズポートの2人と出会えたことが、
まずはラッキー。


アートの島ともてはやされる直島も、
子どもたちが抱える課題は他の土地と変わらず存在し、
ではここで何が必要なのか。
ここで出来ていることはどんな事なのか。
それは他の土地に置き換えて考えられるのか。
などなど、大きな学びの時間になるイメージでいます。

明日12日は日帰りですが福島の飯舘村へ、
この半年で3度目のフィールドワークを行い、
ここで何が出来るのか、
それは自分1人で導き出すのでは無く、
その後足を運ぶ直島から得るものもあるんだろうなと思っています。

ちなみに、
去年秋の直島から徳島の神山町への漂泊したフィールドワークについては、
以前のこちらの記事 > https://yakuin-records.com/amigos/?p=15508 と、
ダイハツの運営するサイト「まどをあけて」no.6 で読んで頂けます。


表紙には徳島県神山町で珈琲の焙煎を行う「豆ちよ」さんを描きました。

地方ローカルで奮闘する方から学びを得る日々であります。

 

141か月め_直島から神山町へ

2022 年 12 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から4,293日め。
613週2日
11年9ヶ月
141回めの11日です。

今日は自分の暮らす代々木エリアの落書き消しを、町会、学校の子どもたちや先生、親御さん、街の仲間たちの協力のもと行いました。


その仕上がりは、子供たちと3年間セッションを続けてきた壁画からの流れも美しく、まずは良い仕事できたかなと。ご協力のみなさん、お疲れ様。ありがとー!

ところで、
許可無しで犯される落書きに対して、落書きを消すには行政機関3~4ヶ所からの許可を得る必要があります。

「それって変だよな」と思いつつ、ならば「自分から動いて落書き消しをしてみよう!」なんてね。目的は街の美化以上に、落書きを消す事で人々が語らうチャンスを創り、なんだか矛盾を感じる社会システムを街のみなさんと共有し、改善に向けたアクションにつなげる。なんていう裏テーマが大きいのです。

昨日は、地域の落書き消しや壁画制作に興味を持ち始めている小学生たちから、ボクの取り組みに興味を持ち、レクチャーしてくれとの要望が上がっているという連絡をもらいました。それに対して「うん、やるぜ!」と答えると共に、矛盾を感じてしまう世の中のシステムを良いものへと更新させてゆくことも、一緒になって考えられたらいいなと思っています。

さらに、『アートや芸術はなにかやら素敵そうだから』という漠然とした思いのまま、壁画を地域に投下するでは無く、社会の課題を解決するための手段としてアートや芸術、デザインやイラストレーションというものを使う。そんな発想を子供たちと共有してゆきたいです。

そんな発想の裏付けになる旅を先日行いました。

まずは香川県の直島。

今は瀬戸内芸術祭の中心地として多くの人を集めるアートの島として有名になっていますが、元々は100年続く製錬場の島として栄えた場所です。ただ、製錬所の活況は深刻な環境破壊をエリアに与え、島の大部分がハゲ山になってしまうという事態が起きました。


そうしたことに対し、戦後以降は植林などの取り組みが重ねられます。

そして今から30年ほど前、1990年前後からベネッセがここをアートの島として育ててゆこうという取り組みを始めます。

2010年には「瀬戸内芸術祭」が始まり、3年に一度の開際の際は、国内外から多くの人を集める拠点となり、今は「直島っていいよね〜」「直島に住んでみたい」なんて言葉が当たり前のように聞かれるまでになっています。


今回「子どものためのアートスクールのようなものが出来ないか」という問いに答え、初めて行った直島。

岡山からの船で20分ほどで着いた現在人口3,000名ほどの直島町は、足を踏み入れた瞬間に「あ、いい空気が流れているな」と直感出来る場所でした。

30年をかけて重ねてきたアートの取り組みの中で、10年前に元々暮らしていた住民を置き去りにする事なくアートが日常に変わり、それを目指す人によってさらなる価値が与えられて今があるんだろうなと。

ごく短い滞在でしたが、出会った人とたくさん語り、この場所だからこそ整理出来た自分の表現、もしくは自分というもの。ではここで実際に何が出来るのかは、この島が30年かけてやって来たことをリスペクトし、焦らず確かなものにしてゆけたらいいなと思いました。

直島から香川へ。

高松の町が意外やデカくてキラキラしていることに驚き、今は「東京に暮らす」というより「代々木ローカルで暮らす」というアイデンティの強い自分は、地方で生きるってこと考えるスイッチが入ったように思います。。

高松が物語の重要な舞台となる、村上春樹の「海辺のカフカ」を読みながらの旅だったことも、風景の見え方を変えてくれてたかもだけどね。

次の日には徳島市に移動。

高松よりずっとのんびりしたイメージの街からバスで1時間。
山間の町、神山町を目指します。

車窓から見える風景はのどかであると共に、「末長く」重ねられて来た人の暮らしの確かさがあります。
そしてバスが神山町に入ると空気が一気に変わったように感じました。それは「人の愛のある手で整えられた場所」特有の凛とした空気です。


3年前に神山に移住した友人の編集者と、10年ほど前に移住し、今は珈琲の焙煎を行なっている友人と合流。
神山の良いところを紹介してもらいました。

たとえば設立5年めの食堂「かま屋」
フードハブプロジェクトというひとつの会社が、新規就農者を育成しながら本格的な農業を営み、そのアウトプットの場所としての食堂。うちの近所のパン屋”ルヴァン”が監修に入ったパン屋や地域の加工品の製造販売所を併設し、町の人たちの農と食に関わる場にしてゆくという考えが、美しく、なにより美味しく結実していました。

1食1,850円のランチを求め、町の外からも多くのお客様が集まっています。
ボクも実際にいただいてみると、有機や無農薬で育てられた地元産の食材に、適切な調理が施されたごはんは実に美味しく、「対価」としての1,850円を気持ちよく預けた「The 食い物」でした。

また、卓上には季節ごとの「地山地食」の達成度が書かれたファイルが置かれているのですが、そのグラフィカルな見せ方がとても上手で、「体にやさしい」現場で有り勝ちな「理屈」を食わされている感じがまったくしないのが素晴らしい!

で、次の日、今度はひとりでランチをとってみたら、周りの人たち(多くはボクより若い人たち)がそれぞれ数名にグループで食事を楽しんでいるのだけど、聞こえてくる会話が「町作りについての真剣にデスカッション」であることにビックリ。いいな〜、神山!

町内には東京や大阪のITベンチャーを中心としたサテライトオフィスがいくつも、古民家などをリノベーションして置かれていて、町全体が新たな働き方の実験場のようになっています。

これは、20年ほど前に町内全域に光ファイバーを張り巡らせた施策が実った風景と言えるようです。
そうして若い人たちがこの町に入ってくるようになると、その生活を充実させる仕事の可能性が生まれ、10年前に移住してきた家族のお母さんは「珈琲の焙煎をやってみよう」という発想が、この町だからこそ湧いてきたんだと思います。

もしくは、この街で靴職人として生きてゆこうと考える人とか。

30年ほど前、町から海外に出て戻って来られた方が、過疎化するエリアを生かすため、アメリカのシリコンバレーに習って”グリーンバレー”という組織を立ち上げ、まずは町の元々の産業、林業や農業に負荷をかけぬアートを手段と考え、アーティスト・イン・レジデンスの取り組みを行う。ある日「海外から来たアーティストが町内を歩く姿」に町民は出くわすわけです。で、それは「奇異なもの」として捉えられちゃうのだけど、しかし、丁寧に続けることで「外人が街を歩く姿」は地域の当たり前となり、なんならちょっとした英会話が日常になってゆく。その先、10年後辺りで街に光ファイバーを張り巡らせ、外からの人を本格的に受け入れることを始めと、地域住民にとって奇異だと思えた風景の広がりは、地域の可能性の広がりを想像させるものとなる。そうなると、廃校も危ぶまれた既存の高校が、地域作りと食に特化する2学科で復活を図り、今は地域の枠を超えて学生を集めるようになる。そうして集まった学生も町作りに参画する。来年には新たに高専が設立される!?などなど。
おもしろいな〜、神山。

この日の宿は”WEEK

目の前の鮎食川を借景を空間装置として生かす大きなガラス戸と清潔でミニマムな空間で、日常と違った働き方が出来る宿。

この施設の目の前には、グリーン・バレーが運営するコワーキングスペース”神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス”が置かれていて、

ボクは滞在中に2回のオンラインミーティングを行うことが出来ました。

そして、サッカーワールドカップ・カタール大会の日本代表とドイツとの歴史的一戦もこの宿の部屋で!

神山町、印象よすぎです!!

その他新鮮な出会いがいくつもあったのだけど、神山の最新情報だけ浴びすぎるのも違うだろうと、ただただ街を歩いてみたら、やはりその美しさばかりが心に染みてくる。

それはやはり、豊かな自然との共生を先鋭的に重ねているからこその景観なんだろうな。


この町のことを簡単にわかったふりはしたくないなと、さらに歩き続けると山の中。



雨乞いの滝まで汗だくになって着いたら、早く東京の代々木の家に戻り自分の暮らす街をもっと良いものに出来るよう、町の仲間と話をしたくなりました。

直島も神山町も、30年続けてきたことが日本の社会が今まで気が付かないで来た豊さを手にしている。

そう出来るためにも20年の積み重ねはマストで必要だよな。

自分が今の街で暮らすようになって24年。
震災後東北を巡り始めて11年半。
ちょっと歳をとってしまった自分に出来ることは限られてきてはいるが、それでもやるべきことはあるよね。

その前に、豆ちよさんの働く姿を目に焼き付け、こんな姿を自分の新たな発想のスタートラインにしておきたいと思いました。

そして今日、ボクは自分の暮らす街にされた落書きを、街の仲間と一緒に消すセッションを行なった。

神山さん。また元気で会いましょう!
PEACE!!