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185ヶ月め_LOVE KUMAMOTO

2026 年 8 月 11 日 火曜日

今日は2011年3月11日から5,632日
804週4日
15年5ヶ月
185回目の11日です。

そして7月28日に発災した熊本地震から13日目

熊本地震により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今困難な状況にあられる方々、どうぞご無事でありますよう。
何人も顔が浮かぶ熊本の友人のみなさん、元気で再会できることを願っています。

自分はこれまでそうだったように、ただ熊本に心寄せて参ります。

地震発災直後にSNSにアップした”LOVE KUMAMOTO”の画像を
こちらにも掲載しました。

使い道がある方はご自由にお使いください。

この画像を使って印刷したポストカード2000枚は、
希望される方に配布を終え、あと500枚ほど手元に残っています。

こちら必要とされる方があれば発送しますので、
コメント欄にご希望を伝えてください。

15年前に起きた東日本大震災からこのような活動を続けていますが、
こうした活動が自己表現のようにならぬよう気をつけています。

なので、この画像の使い方に意見することはいたしません。
(自分が主催する現場で使用する際は、デザイン的クオリティを求めますが、、)

以下、
10年前の熊本地震発災から3ヶ月後に熊本で開催した子どもたちに向けてのワークショップで気がついたこと。

10年前の7月30日、熊本地震発災から3ヶ月半後の写真。
震災を経験した子どもたちが何を考え思うのか気がついたワークショップの時のものです。
東日本大震災のご縁活動で知り合った熊本のコミュニティーから、「熊本地震へのチャリティーバザーを行うので、そこで子どもたちが心を解放できるワークショップを開催してくれ」との依頼がありました。
市内の商業施設のワンフロアーでチャリティーバザー、そこから壁を隔てた一室で子どもたちと大きな絵を描くワークショップ。
そこに参加してくれた1人の女の子(小二くらいで、やはり小学生のお姉ちゃんと参加)が、ボクのワークショップ史上サイコーに反抗。
キャンバスの上での反抗は大好物なので、がっつり向き合うのですが、そもそも自分の言葉も受け付けない感じで、その暴力的に絵筆をぶん回す振る舞いが、周りの子どもたちにとっても危険な感じになっていた。
だけど、震災直後で爆発させたい気持ちもあるんだろうと、安全を担保しながらも、彼女のやりたい放題に付き合った。
キャンバスの上での破壊行動がひと息した?と思ったら、鷲掴みしたチューブから絵の具をドバドバとパレットへ。すかさず「いいねー!」とボク。
するとキッ!とボクを睨み、絵の具ドバドバのパレットをキャンバスに叩きつけ、足で踏みつけグリグリとやりだした。
うわ、すげー!と思いながらも、負けてられないと思って「もっとやらなきゃ!」と。
で、ついにパレットが破れ始めて、、そこまでやるとパレットをキャンバスから外す。
そこにはめちゃくちゃ鮮烈な色彩の絵の具のシミができてて、つい「おめーの踏んだあと、キレイだなー!」と。
すると、一瞬ニッと笑い、お母さんたちがバザーをやってる方に走っていってしまった。
すげー子だったなあ〜。なんて思いつつ、参加した子どもたちの少なからずが、家が倒壊したような環境から来ていたことを後から知る。
で、その夜。
バザー主催の方々は歌のコミュニティでもあったので、チャリティーコンサートを開催。
その現場でチャリティー募金のカゴを持って満面の笑みを振り撒きお客様にドネーションを求めていたのがその女の子。
「これはどういうことか?」と思い、小学生女子の気持ちになって考え「そうか」と。
3ヶ月前に大きな地震があって、わたしは怖い思いをした。
だけど、お父さんもお母さんもわたしを守ってくれた。
今日は地震で苦しんでいる人を助けるため、お母さんたちがチャリティーを開く。
(お母さんもお父さんもみんなも、まだ大変なのに)
そうしたら、私たち子どもはとなりで絵を描いてくれと言われた。
わたしもお母さんたちを手伝ってみんなの力になりたいのに、、
隣の部屋に行くと変なおじさんがいて、イヤだなと思った。
わたしは絵を描いて遊んでる場合じゃないんだ!

東日本大震災発災から1年後の気仙沼で、大漁旗に絵を描こう!というワークショップを頼まれた。
そこに参加した姉妹が、それはそれは美しい絵を描いて、キミたちすごいねー!なんて声をかけたら、それまで穏やかな顔でキラキラした絵を描いていた小学生が、急に怒ったような表情になり、絵の具をドバドバ出して、ブッ太い筆で「復興するぞ!」と殴り書きした。
そうか、彼女たちはキラキラ心を解放することと、大人たちが頑張っていることの間で揺れているんだ。
ボクがワークショップを頼まれるのは、子どもたちの心を揉みほぐし解放させてあげたいという親御さんの気持ちによることが大きいです。
しかし、子どもたちは保護者である親の姿を見つめ、今自分はどんな振る舞いをしたら良いのか、必死で考えているんだな〜と。
あらためて5年前の熊本。
ひとつ正解があるとしたら、振り向くと親御さんの姿が見える状況で絵を描ける現場にすればよかった。
子どもたちも必死で震災と闘っている。
そんな中、みんなで絵を描くことになった。
そんな遊んでる場合じゃない、イヤだなと思うが、絵を描き始めて振り返ると、お母さんが笑顔を返してくれた。
お母さんの笑顔にちょっと救われた気がする。

もう一枚の写真は、この前日に熊本市内の友人のレストランで行ったワークショップのもの。
こちらは親御さんが見守る環境で行った。
熊本の素晴らしい仲間のおかげで子どもたちから得た学びは、その後の活動で生かし続けています。
熊本、時が来たらまた子どもたちと思いっきり遊べる時間を作りましょう!!
ボクの経験では、日本で最も子どもたちからキラキラした色彩が溢れる土地なんです。

震災後の子どものための絵のワークショップ

2024 年 1 月 21 日 日曜日


絵のワークショップをやるようになって20年以上経ちますが、
2011年3月11日の東日本大震災発災後に「子どものためにワークショプを開催してくれ」との声が増え、
それに対して基本的にすべて引き受けています。

お声掛けくださるのは個人から行政まで様々。

その際「講師料はいくらでしょうか?」と質問を受けますが、
それに対してまず「出来る範囲で考えてください」と伝え、
次に「一度やってまた同じようなことが出来るイメージを持って考えてみてください」と。
もし仲間がいるのなら、そのことを皆さんで考えられ、
その上でお金が無いというのであれば、無報酬でも引き受けます。

このことで重要なのは、自分が報酬を得ることでは無く、子どもたちが笑顔になれること。

こんな確信を持って活動するのは、やはり東日本大震災以降で、
それは未曾有と言われた悲劇に対するボクなりの闘い方なんでしょう。

ただ、こうしか経験は、自分の仕事にリアリティをもたらし、
ボクやボクの家族、さらには自分が属するコミュニティを確かななものにする力になっているはずです。

写真は12年前の3月に気仙沼で開催したワークショップ。
この時は共に行動する仲間を得て、大漁旗に絵を描くワークショップとして開催しました。

その時のワークショップをアーカイブしたブログ
https://yakuin-records.com/amigos/?p=7542
震災から1年後の気仙沼のことも綴っています。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=7578

今読み返すと、自分は震災後の混乱の中にあるし、
子どもと向き合い起きることに対して言語化が追いついていなかったことに気づきます。

そもそも全ての現場で行うことが初めて行うこと。

それはどんな状況でもまず飛び込んでしまう自分の良いか悪いか分からぬ資質によりますが、
こうした現場を重ねて行く中で言葉が追いついてきたこともあります。

この時の気仙沼の経験のひとつは、後ほどあらゆる現場で以下のように語るようになります。

震災から1年後の気仙沼で子どもと大漁旗に絵を描くワークショップをやったんだけど、
テーマは「学校や保育園や家でやったら怒られちゃうだろうけど、今日は好きなもの描こう!」ってね。
沢山集まってくれた中でも、オシャレした女の子3人組が最初からテンション高くてね。
何か叫びながらなんだけど、すごく綺麗な色を使ってオシャレな絵を描いてゆくので、
「キミたち、おしゃれだね〜!」なんてレスポンス返していったら、さらにオシャレを加速させて。
これは傑作が出来るぞ!って思ってたところ、1人の女の子の目つきが変わって、、
何するんだ!って思ったら、真っ赤な絵の具でベタっと「復興するぞ!」と書いたんよ。

それまで美しく楽しくおしゃれに仕上がっていた画面が台無しになっちゃって、、
でも「好きなもの描こう!」て言った自分はそれを否定するわけにはいかず、
「復興するぞ!だね〜」と声をかけたら、なんかその子の目が悲しそうなんよ。
で、「それ書いて楽しかったかな?今日は好きなものだけ描いていいんだぜ」
「今日みんなで描いた絵、めちゃくちゃオシャレで俺は元気になったぜ!」
そんな声掛けしたら表情が緩んで、ホッとした柔らかな表情を見せてくれた。

これはどういうことか考えたんだけど、
すべての大人が「復興」のために頑張っている。
それを見ている子どもたちは、自分の楽しいより「復興するぞ!」と書いた方が、
大人が喜んでくれる。もしくは安心してくれる。
そんな先回りした考えがあったんだろう。

大人に連れてこられた絵のワークショップで、それに答えるように「元気に」絵を描く姿を見せたら、
オトナが喜んでくれるであろう言葉を、険しい表情で書き殴った子どもたち。

すげーいい子たち。
だけで、俺は大人だから、君たちが好きな絵を描いて、出し切ってホッとした顔見せてくれるのが、
幸せなんだ〜

そのために気仙沼まで来たんよ。

もしくは熊本地震から3ヶ月後の熊本市内でのワークショップ。

その日は、大人たちが震災復興バザーをやっている隣のスペースで、
子どもたちと絵を描いてくださいというオーダー。

みんなで大きな絵を描きはじまたんだけど、
ひとりものすごく反抗する子がいる。

ボクはこの子とほぼマンツーマンでのコミュニケーションになってしまったのだけど、
反抗の意味が掴めないでいる。

彼女の反抗は絵を描くのを楽しんでいる子たちのマインドも揺るがしちゃって、、
これはもう無理だと、
このワークショップはその子とボクがガチで向き合う姿を他の子に見てもらうものでいいやと、
さらに徹底的に彼女の反抗的なアクションに付き合う。

と、絵の具をベターっとつけた紙パレットをキャンバスに投げつけ踏みつけ、、
「そこまでやれば気持ちいいだろう!」と言って、
その子が紙パレットを剥がすと、それがとても綺麗。
「おい、それ綺麗だなあ〜!」と伝えたら、初めてニヤっとだけど笑って、
親がいる部屋の方に走っていってしまった。

いや、すごい暴れん坊だったなあ〜と思って、
その日の夜のバザーの打ち上げのような会場で言ってみると、
さっきの子がニッコニコで募金集めをやっている。

なんだ?すげーいい子じゃん。

彼女を知る大人に聞けば、彼女の家は地震の被害が酷かったそう。

そうか、
彼女は大人たちが復興のために奮闘するバザー会場に連れて来られて、
そこでバザーのお手伝いをせず、絵を描くワークショップに参加させられた。

オトナが復興に向けて頑張っているのに、
私は子どもだからって絵を描いて遊ばなければならないの?

彼女の反抗のエネルギーはそんなだったのだろう。
それは夜の表情でわかった。

でも、
絵を描くワークショップの現場で絵の具を投げつけたことでアウトプットできたことがあってこその、
夜の表情とも言えなくないかな。

別れ際に「ありがとー」と、いわゆる子どもらしく朗らかに声をかけてくれたことで、
なんだが自分も救われちゃったぜ。

熊本では同じタイミングで別の場所でもワークショップをやったんだけど。

そちらは親と子が一緒の現場で、子どもたちは親の視線に守られて安心して出し切っていった。

自分の子どもたちとのワークショップでは、
アートは手段であり、
目的は子どもたちの心の中で蓋をされてしまった恐怖の記憶のアウトプットだったり、
この先の未来を生きるための「気持ちの良い自分」の発見だったり、
子どもたちとと日常を共にする親やコミュニティの関係性の更新だったり。
そんなことを確信的に思えた熊本でも2本のワークショップでした。

そして、
12年前の気仙沼も、8年前の熊本も、今自分が暮らす東京も、2024年の能登も、
すべては自分の中では地続きであり、
もし自分のような者でも必要とされるのであれば、画材を担いで向かいますよ!
ということです。