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まえばしスケッチ2_あかぎやま 上から見るか 下から見るか

2026 年 8 月 30 日 日曜日

 


8月26日は前橋市アートコミュニケーションディレクターとしての子どもセッション2
「まえばしスケッチピクニック」あかぎやま 上から見るか 下から見るか
赤城山山頂付近、大沼に面した赤城少年自然の家をベースにしたアートセッション。
気持ちよく行うことができました。

『あかぎやま 上から見るか 下から見るか』このサブタイトルは直感的に思いついたもの。空間的な広がりも高低差もある前橋市に暮らす子どもたちから『1人ひとりの赤城山』の姿を教えてもらうようなスタンスでありたいなと。
この直感は、結果的に子どもたち『1人ひとりマックスの気持ち良い表現』を引き出せたように思います。

『マックス気持ち良い経験をした子どもたち』がその後、学校で、社会で、やはり気持ちの良いコミュニケーションを駆使し、リーダー的な働きを、それぞれ活躍したい現場でしてくれたら、前橋はより良い、暮らしやすい街になると思うんよね。それはとても気の長い願いなんだけど、安易なキラキラ映えバエ盛りモリした発想とは対局の、1人ひとりの気持ち良さが尊重された社会を実現するはず。と考えています。

にしても、この日は直前までどんな進め方をしたら良いものか考え続け、なかなか答えが出ず…
時間差で集まってくれる子どもたちの1人ひとりとの対話で様子を確認し、進め方が見えてきたかな〜、というタイミングで、
参加者の男の子の提案で「じゃんけんトーナメント」開催することに。

これを読んでくださっている方「なんのこっちゃ?」と思われるはずですが、

この他愛も無いゲームを通して『知らない子がわたしの名前を呼ぶ』『じゃんけんのため声を出す手を振る』『ゲームを進めるチームと運営の作戦をたてる』などなど、一気に現場の空気が和らぎクリエイティブな空気が醸成された。ということで、発案してくれた男子くん、サンキュー!なのであります。

こうしてオープンなコミュニケーションの場に育った現場で、前橋市の広範囲の地域から参加してくれた子どもたち「1人ひとりの赤城山の姿」を、ごくシンプルな表現で教えてもらう絵を描いてもらったら、フィジカルにビンビン響く「その土地ならではの赤城山」と出会えました。


1本の線で表現された「わたしの赤城山」
この他愛も無い線に、1人の子どもの生きてきた時間や今の生活にまつわる多くの情報が込められている。

ボクたち大人が大切にしなければならないのは、こんな他愛も無い1人ひとりの物語だよね!
という確認から一気に着彩。

いやーー、みんなおもしれー!
夏だから夏色の赤城山が多いはずだけど、にしたって、色も形も多様。しかし、意外とリアル。

こちら動画にしてみたので、ぜひご覧ください。

赤城下ろしの空っ風さえ感じられるはずです。

今回はこのセッションにたっぷり時間をかけたので、
『では赤城少年自然の家を出て大沼湖畔まで歩いて絵を描いてみよう!』のコーナーでは、
子どもたちが自ら前に進み、発見し、描く。そんなことが楽しく実現。
こちらでは自分が撮影した作品の1部を紹介しておきます。

じゃんけんトーナメント発案くん。
実は繊細。

大沼に映る山影の描写!!

大沼の風景から、発見、発見、発見!

描きたいものに近づくパワー!

などなど、
子どもたちが自然の風景から発見した色彩、構図、フィジカルなタッチなどなど、俺も学ぶことばかり。


この日公務の間を縫って見守りに、結果子どもたちと一緒に絵を描いてくれた前橋市長が「アミイゴさんのライバル現れました!」と子どもたちの絵に感動し話してくれたけど、「いやいやライバルどころじゃない、俺なんかどんどん置いてかれてる立場っすよ…」と返答。
(しかし、腕組んで上から目線の感想語るでなく、自ら子どもたちの輪に混じり筆を振ることのできる首長、素晴らしい。)

そしてボクの個人的な振り返り。

子供の頃から慣れ親しんでいたはずの赤城山なんだけど、空気の清涼さ、植生の豊かさ美しさ、大沼の穏やかな風情などなど、赤城山はそこはかとなく前橋の人たちの心根に豊かな故郷を与えていれてる存在なんだと思いました。

そして、子どもたちは大人たちの「子どもに良いものを与えたい」という願望を軽く飛び越え、1人ひとり「これが面白い!」というものを発見してゆく。
そうした余白ある発見の場所がある街は、子どもたちにとって豊かな場所なんだろうなと確信。

最近お世話になっている福島県の会津地方には、磐梯山の麓に猪苗代湖があって、その「ヒタッ」と静かな佇まいは、そのまま会津の人たちの心根を形成してるな〜と気が付きました。(そこに磐梯山的な大らかな猛々しさも同居した会津人)

猪苗代湖から比べたら小さな赤城大沼だけど、
やはり、「大沼があるから前橋だね〜」と思える、前橋のみなさんの優しい心根ってあるよな。
これは赤城山周辺エリア以外の土地には無いものだと思います。

こうしたことが子どもたちの幸せ、もしくは暮らしやすさにどう繋がるのか。
あわてて答えを求めることはせず、次に準備しているセッションを通し、より確かで共有しやすい言葉に出来たらいいなと考えています。にしても赤城山。

自分が今暮らしている渋谷区の子どもたちを連れてきても面白いし、なんなら前橋の子どもたち同士の交流企画とかできたら、より良質なシティー・プロモーションに繋がるんじゃないかなと。

引き続き可能性を広げてゆけたらいいなと思いました。
そして下山した前橋の街は、

熱ちかった〜〜、、

次回は10月の終わりの方で、個人的に未知のエリアだった「総社」にフォーカス。
群馬の成り立ちなど子どもたちに教えてもらうセッションを開催予定です。

いつもの優秀で気の利くスタッフのみなさん、良い距離感で子どもたちを見守ってくれた保護者のみなさん、アートの言語化が素晴らしい市長。おつかれさま!のありがとさん。

子どもたち、たのしかったね〜!

前橋まちなか雨あげた

2026 年 7 月 7 日 火曜日


6月20日は「まえばし、まちなかスケッチ」
20名の定員いっぱいに集まってくれた前橋市の子どもたちと、
前橋の「まちなか」を歩いて、気になったものをスケッチし、
アトリエで1人ひとりの「きもちいい」マックスの色を塗りました。

梅雨時の開催。
直前までお天気アプリで空模様をチェック&チェック。

ありゃ〜〜、、昨日の夜まで「くもり」の予報だったのが、
傘マークついてるじゃん、、

みんなが集まってくれたタイミングも雨、、

集まってくれた1人ひとりが気持ちよくスケッチ出来る魔法をかける時間も雨。

が、
集まってくれたみんなの熱気と、ボクが20年以上続けている「地方における異常晴れ男伝説」発動で、
なんとー!
「今から外歩くよ〜!」から「そろそろ戻るよー!」の時間いっぱい雨があがりました!

ということで、大きく3班に分かれて街を歩くと、

「なるほどー!キミはこんなものに興味を持つんだね!」



「うわー!こんなものからこんな美しさを見つけるんだね!」



「どひゃー!それをこんな風に解釈するなんて、すげーー!!」

と、
ほんと楽しい、楽しい。

今回、アトリエとして設定した”元気21”から子どもたちが歩ける範囲ということで、
馬場川から中央通り商店街あたりまでがメインのモチーフとなったけれど、
その狭い範囲でも、子どもたちの視線が捉えるものは、大人の思惑を軽く蹴散らし、
サイコー!

で、大人と呼ばれるようになってしまった自分は、
ただただ子どもたちから学ぶ。

もちろん『彼らが気持ちよくものを捉え、気持ちよく手を動かし、1人ひとりそれぞれ気持ち良い色で塗る』
ということを、やはり気持ちよく出来るためには、直前のボクとのセッションがあってこそなんだけど、
それは、ボクが子どもたち1人ひとりそれぞれマックスの力が発揮された時の喜びを信じているから出来ること。

ただ、それはメソッド化出来るものではなく、
1人ひとりの違いを尊重し、子どもと対等の立場でコミュニケーションし続けることでしか得られないこと。

そうしたことが出来るよう、このセッションに関わる全ての大人(子どもを保護する立場にある者すべて)も、セッションを通して気づき、自分も含め共に学び、なによりこの時間を楽しんでもらう必要があります。

アートや芸術という、ともすれば「高尚」という言葉に押し込め、腕を組んで遠巻きに眺めてしまいがちなものこそ、
子どもたちと同じ高さの視線まで降りてきて、一緒に楽しんじゃうことで、世界はものすごすハッピーになるんよね。

大人がハッピーになれば、子どもはもっとハッピーになる。

そんな循環を前橋で生んでゆけたらいいな。

ところで、ちなみに、

馬場川通りには、昨年「ばばっかわ男」というアート作品が置かれました。

これは秋に開催される前橋国際芸術祭を先導されるJINSの田中仁さんが、太田市出身の彫刻家、尾花賢一さんに制作依頼したもの。
一見グロテスクな存在感の作品ですが、ボクはこれをとてもチャーミングだと思っています。

昨年このお披露目レセプションが大々的に行われて、ボクもいいカンジの大人たちに紛れて参加して、その制作談話など聞いて「うん、うん」なんてうなずいていました。
その様子はいろんなメデイアで紹介されもしていました。

今回のスケッチはその約1年後。

すると、子どもたちが「あれなんだ!」とば”ばっかわ男”を指差し盛り上がり、
さっそくスケッチしていました。

そうか、1年間子どもたちはこの作品をキャッチしていなかったんだ。

大人が見ているもの、子どもに見えているもの、見えていないもの。

なるほど、ボクが前橋でやるべきことのひとつは、こういうことだよな。

他のエリアを回った子どもたちは、

街中にいくつも設けられている銅像の中から、裸の2人の幼児が彫られた銅像を描いていました。


*縦構図の画用紙に小さく描かれてた絵を取り出してみました。

前橋は81年前の8月5日に米軍の空襲に遭い、市内の広範囲を消失しました。

街中で見かける女性や子ども、もしくは男子も、の立派な裸体像は、人の命の大切さを街のマインドに刻むために置かれているんだと想像します。

それにしても街中の銅像、女性のヌードが多いな。
空っ風吹き荒れる真冬に出会うと、温かな場所に移動させてやりたくなってしまう。
というのが最近のボクのちょっとモヤっとした感想。

そんなもやもやの対して、今回子供達が「裸の2人の幼児像」を選んで描くことで、
ひとつ答えを出してくれたのかも、と。


そんなこんなのこうしたセッションを、本年度前橋市のアートコミュニケーション・ディレクターという役職の元何度か重ねて行くんだけど、引き続き「子どもに与えるより、子どもから学ぶ」という考えの元、子どもたちの力をマックス引き出してゆけるよう尽力します。


さて、雨が降りそうだから帰って色を塗ろう!

すると、
子どもたち1人ひとりそれぞれが「今日気持ちいい」と思った色が、まさに『前橋色』なんよ!

それはどういう色かというと。

実はこのセッションの前に「もっと前橋を知っておきたい」と、
2月、5月、6月といろんな場所でアートセッションを開催してきたんよ。

2月道の駅まえばし赤城のSHOP CAFE Quでやったら、すごい綺麗な色が溢れてきたな〜と思って、

5月、「敷島。本の森」というイベントでやったら、やはり同様の色彩が溢れて。

6月頭に敷島のJINS PARKのイベントで呼ばれた時に確信。

日の光の強い群馬の前橋で育った子どもたちの色彩は、
鮮やかだけど強い光でハレーションを起こしたような色を使うな〜。
ということ。

三陸の沿岸部で子どもたちと絵を描けば、海の色がグッと濃い濃紺で表現される。
富山の山間のエリアで開催すると、山々が濃い緑で表現される。
熊本県で開催すると、カラフルな色彩に溢れた絵になる。

これはおおまかな傾向だけど、やはりその土地ならではの色彩ってあって、
前橋の場合、それは強い光でハレーションおこしたような鮮やかな色。

6月20日は、そんな前橋ハレーション色に、曇り空や雨粒の色が混じっていた。

これは、そのまま前橋の「まちなか」の色彩そのもの。

その色彩は、一時期の壊滅的な街の衰退による「強い日差しの中で放っておかれた色」とも言えるんだけど、
子どもたちはそんな色彩をキャッチし、ポジティブな表現として見せてくれた。

ボクはこれを美しいと思ったんよ。

今回参加してくれたみんなーー!
おめーらサイコーだぜ。
また遊ぼう!
イエイ

さて次回は8月26日、前橋の頂へ。
子どもたちと歩いてまた何か見つけられたいいな。

 

 

 

183ヶ月め_福島_群馬_東京でのワークショップ

2026 年 6 月 11 日 木曜日


今日は2011年3月11日から5,571日
795週6日
15年3ヶ月
183回めの11日です。

ここ1ヶ月は多くの方と一緒に絵を描きました。

5月16日は群馬の前橋の「敷島。本の森」でのスケッチーワークショップ。

前橋市と行う子どもアートプロジェクトを進める上で、ちょっとでも賛同してくれる仲間がみつかればいいなと願いつつ、
そもそも前橋のみなさんはどんな色を持っているのか?という興味の元、オープンな語らいと表現の場作りをしました。

どんな進め方をしたかは、テキストにしちゃうと野暮になるので割愛しますが、1人ひとりのマインドを揉みほぐし、1人ひとりの「その人らしさ」を手がかりに描かれた絵はみんな美しかったです。


ひとり何枚も描く小学1年生がいましたが、
最初強い色彩で描いていたのを、後から白い絵の具で修正した絵が、まさに前橋の色!

強い日差しと強い北風の土地で、ハレーションを起こしたような色彩。
それをこんなにもポジティブなものだと思わせてくれるなんて…

ボクのアートセッションは、
人になにか与えるでなく、共に気づき、学ぶ場なんだと思います。

そして、ボクは子どもからも多くを学ぶのです。

こんな1日の中で、自分も自分で「すきだな」と思える絵が描けたのもうれしい。

今後前橋市で何をやれば良いのか、かなり解像度の上がったセッションとなりました。
やること多すぎでみなさんの写真撮ってる暇なかったが。


何より、
この余白だらけの「敷島。本の森」という企画の素晴らしさ!

地域作りは足し算より引き算が重要なんだと実感しました。

5月23日は今「トコトコジャーニー」という企画展に参加している、福島の猪苗代のはじまりの美術館で「まえばしスケッチワークショップ」

おもいがけず多くの参加をいただき、
「じゃあみんなが求めているものはなんだろう?」なんて興味からセッションを始めたら、
街を歩くより、1人ひとりが気持ち良いと思える絵を描くことに終始。


子どもからシルバー世代まで、福島の会津地方を中心に他県など遠くからの参加者も多かったセッションでは、やはり多様性のある絵に出会うことが出来ました。

そしてやはり、会津の方は会津の色をもっているなあ〜と。

今回もやること多くて個別に写真を撮る暇なかったが、、
ともかく、光あふれる場所会津、そこから人がえるものの豊かさを感じたセッション。

震災から15年めの初夏、さらに福島から学ぶことは増えているなあ〜。

穏やかにセッションを終えた後、
はじまりの美術館のボクの絵が展示されているスペースでは、参加者の男の子が思いっきりくつろぐ姿。

「美術館でくつろぐ」
こんな風景に出会えるのもまた、震災と原発事故を受け「人間にとって必要なことはなんだろう?」と考え続けた福島の人たちの知恵の姿なんだと思います。

障がいを持つ人の表現に対してのリスペクトを、人間同士の当たり前に更新させている場所で、ボクは障がいを持つ作家さんと対等にみなされ、この場所に絵を展示し豊かな時間を得た。

2011年3月11日の夜の暗闇の中でぼんやり思い描いた風景が、ここで実現している。

初めて会津に来たのが2016年3月。
まだまだ緊迫した気持ちのままでいたボクは、凍てつくようにそこに立つ磐梯山を見て、凍てつくような色で描いた。

あれから10年、ボクは優しい色彩の磐梯山を見ることが出来ている。

次の日ははじまりの美術館の学芸員さんに案内していただき田んぼ見学。


農業法人を起こしたグループが、猪苗代一帯の田植え代行を行っていました。

ともかく広い田んぼに対し、大型の田植え機でテキパキと植えられる苗。
超高齢化の米作りの現実に対し、若い人たちの発想と行動力、なにより米に対する思いに出会えたこと。
これは絵でお返してしてゆかねばです。

そして帰りがけに見た猪苗代湖の穏やかな水面。

人はどう生きるべきなのか。
山を見て、水を見て、雪に覆われた冬に熟考し、雪溶けと共に動き出す。
そんな会津の知恵に触れた時間でした。

はじまりの美術館での「コトコトジャーニー」は8月31日まで。
会期中もう一度なにか出来たらいいな。

5月31日には、青山のSHOZO COFFEE TOKYO で絵の部活が、
「美しいってなんだろう?」というテーマの元始まりました。


始まったと言いつつ、実は応募者がちょっと多くて、2部に分けた簡易版の体験会。

なんだけど、人の表現に向き合うことを2セット連続でやると、ドカンと疲れ…
家に戻ったら寝倒れました。

にしても、土曜か日曜の朝9時からのセッション。
新鮮だったなあ〜。


この日もまったく写真を撮影する余裕なく、、
しかし、コーヒーの香りのする美しく整った場所での小さなセッションの可能性はとても大きく。

まずは半年間、向き合う1人ひとりに対するリスペクトを基本に、できる限りオープンな会話の元、美しいとはどんなことか?
「美しい」に関しては、ひとつSHOZOが答えを出してくれているので、では1人ひとりの創造の矢印をどこに向け、何を見て、何を捉え、どんなアウトプットするのか。
みんなと探ってゆけたらです。

6月6日は群馬の前橋の敷島の新しい場所。JINS PARK で、県内の福祉施設が集まったマルシェで「なにかやって」と。
会場にフィットするワークショップとして「ぬり絵似顔絵」をやりました。

ボクが似顔絵を描き、描かれた人が自分で色を塗るワークショップ。

だけど、希望される方はボクが色を塗っちゃいます。

で、何十人描いただろうか。
この日はほぼ写真を撮れたのだけど、一部ご紹介。

自分んで色を塗った子どもたち、
やはり群馬らしい色彩を持っていると実感しました。

この「その土地らしさ」は、AIの時代に生きる上でとても重要な資質になると考えます。

こうやって心の蓋を開けるお手伝いをする限り、子どもたちは素晴らしい表現を見せてくれる。

ただ、
ボクの故郷群馬、「それ」をあとちょっとだけ更新させたら、子どもたちの可能性をもっと広げられるはず。
という「それ」の課題も感じたセッションでした。


「それ」を今ここで言語化して伝えても何も変わらず。
今後前橋市で重ねてゆく子どもたちとのアートプロジェクトで、まずは目に見えるものを作り、共感を広げた上でl、確かな言語化に繋げるようやってみます。

だって、この子どもたちの色を見せられたら、大人だって我慢できないぜ!

ところで、
JINS PARKでは、2月14日に道の駅まえばし赤城のQuで開催したワークショップで生まれた10メートルの絵を展示してもらいました。(6月15日くらいまで展示予定)


自分のワークショップ史上最高にHipな絵。

群馬の可能性、これ見たら実感出来るはず。

ということで、秋には国際芸術祭が投下される前橋で、自分の役割は地面から生えてくるようなものをしっかりと育ててゆくことだぜ。

で、6月7日は現在の地元、渋谷区富ヶ谷上原エリアの子どもたちを対象としてスケッチ教室。
渋谷区の組織である青少年対策上原地区委員会(物々しい名称だけど、地域の子供好きのおっちゃんおばちゃんの組織だね)主催で、やはり渋谷区が進めているフランスのパリの「隣人祭」を真似たイベント「おとなりサンデー」の時間を使って、地域の学校や町会も連携し開催しました。

スケッチ会の募集はA4白黒のフライヤーを学校で配布。
定員40名が秒でいっぱいになる、このエリアならではのコンテンツに育っています。

2時間のセッションでキラキラした絵が150点くらい生まれ、その中から選んだ絵をデーター化し、最近では子どもたちのプライバシーを守ろうというバナーに落とし込んだりして、地域に還元する仕組みを構築しています。

「〇〇禁止!」と叫ぶでなく「〇〇を愛そう」というメッセージを、子どもたちと発信する感じ。

それにしたって、このエリアの子どもたちのアウトプットするものの素晴らしさ!


多様な職種の方が暮らすエリアで、子どもたちは小さな時から美しいものに触れている。

だけだと、こうしたアウトプットにはつながらない。


日常の親子での会話はもちろん、学校や地域でどんな言葉が交わされているか。
それがちゃんと子どもファーストの上で、責任ある言葉の交換になっているか。


子どもたちが絵を描く姿を俯瞰的に見ていると、
子どもたちが表現することに対し、親御さんや地域の人みなさんとても良い立ち位置を選んで見守っているのがわかる。


「子どもたちの幸せ」ということを考えると、ひとつ理想的な風景が自分の暮らす街にはあるなあと。

それがどういうことかも、ここで急いで語ってしまわずにおくけれど、
それは地政学的違いだったり経済的な格差などに関わらず実現できることなので、
まずは前橋で実践できるよう、確かな仲間を見つけ、力を合わせ実現させてゆこうと思います。

その実現に近道は無いので、ともかく地道に。
震災から15年で福島が出来たこと、自分が暮らす街で時間をかけて醸成させたもの、先例はボクの体に染み込んでいるので、なんとか。

最後にちょっと。

新学年が始まった4月から、朝のちょっとした時間、不登校を選んでいる子どもたちが学校内で一旦いられる部屋に行って、小さなセッションを行なっています。

これもまた丁寧な積み重ねの上で言語化しなければなんだけど、絵を描く者として、ものすごく学びの多い時間になってるんよ。

人の弱さ儚さを愛でるような語り合い、
安易な映えの対極にある静かな時。

絵を描くことを生業としてきた自分が、これからどんな表現をするべきなのか、
目的は子どもたちの幸せであるけれど、自分も一緒に成長してゆけたらいいなと願っています。

前橋市アートコミュニケーションディレクター

2026 年 4 月 29 日 水曜日


今年度より前橋市副業型地域活性化企業人(アートコミュニケーションディレクター)として、まずは1年間の契約を交わし、主に子どもたちとのアートプロジェクトを企画運営し、子どもたちが願う街の姿をビジュアル化したり、子どもたちが自己肯定感を持ち探求的な学びを進められるような活動を行います。

4月28日は前橋市役所でアートコミュニケーションディレクターとしての委嘱式。

委嘱状を託してくれた小川市長に、市長が思う市の課題をうかがうと、「市から流出してしまう女性が多い」だからこそ「子育てによい前橋にしたい」とのこと。

これは自分が渋谷区で重ねてきた活動の経験やスキルを投下出来ることだぜ。

ただ、何か良きものを天から降らすようなことではなく、地面から生えてくるものを地道に育てるような活動にしてゆかなくちゃと、昨年からタッグを組む広報ブランド戦略課の優秀すぎるスタッフと共に、主語は「子どもたち」で、前橋で生きる幸せを良いものに更新させるため、絵やデザインやアートやアミイゴをハードワークさせようぜ!というチーム再編成。

まずは5月16日「敷島。本の森」でスケッチワークショップを個人企画として開催。
自分が目指す活動の姿を知ってもらい、ちょっとでも仲間が増えるような場にします。


そんなこんなの作戦をボ〜ッと考えながら、この日は朝から前橋フィールドワーク4時間。

チャリで20kmくらい走り、学校や子どものための施設など確認。その環境や高低差など体に刻んで、ちょいと日焼けもしました。

これまでやって来たことを手掛かりに前橋のリアルに出会い、しかし、これまでやってきたことを一旦忘れ、子どもたちと向き合い、子どもたちと語り、考え、なんなら子どもたちから学べるようなプロジェクトを作ってゆきますね。

ところで、

前橋市の移植式と同時刻、自分が企画制作に関わった絵本「みんなで見た こどものえ」が部門最高賞を受賞したiF Design Award のベルリンでの授賞式の様子が届きました。

著作&デザインののしほさん、アートによる地道な救援活動を重ねているミツキさん、おめでとう!
俺は前橋でふたりと同じく、子どもたちの幸せを考えていたよ〜〜

ぐんま愛「LOVE まえばし」

2025 年 11 月 26 日 水曜日


2025年11月26日発行の上毛新聞に掲載の「ぐんま愛」
群馬県内の自治体がシティープロモーションを行うページで、前橋市の今を伝えるべく、取材、編集、イラストレーション、デザインを担当しました。

前橋市ビジョン「めぶく。前橋市」策定から10年目というタイミングで(「めぶく。」の発案は前橋市出身の糸井重里さん)、今回は市の未来創造部・広報ブランド戦略課のスタッフが前橋の今を現す4つのテーマ、「まちなか」「移住」「インクルーシブ」「農業」それぞれのテーマに適任と思われる方をピックアップ。ひとテーマ2組の方が対談を行う形でのインタビューとして、ボクにオファーがありました。

この時点でこのページで何をやるべきなのか答えは出ていたはずですが、ボクも加わった後も丁寧なミーティングを重ねてくれたことで、「今のまえばし」を伝えるには、前橋に暮らす人の生きた言葉にスポットを当てたらいいだろうと直感しました。

そうして行った4度のインタビューは、自然とトークセッションのようなスタイルとなり、「さびれた」と言われた10年前の前橋と、「面白そうだね」と言われ始めている今の前橋とを繋ぎ、10年後の前橋を想像させてくれる「言葉」に出会うことが出来ました。

というわけで、暑すぎた夏の終わりの4つのセッションを、製作ノート的に振り返ってみますね。

その前に自分について。


群馬県旧勢多郡粕川村に生まれ育ったボクは、子どもの頃に前橋の街に行くのがとても好きな子どもでした。でまあ色々あって、高校は桐生の方へ。そして大学進学のため群馬を出ます。
その後大学は中退し、長澤 節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学び始めた自分にとって、前橋は変わらず「綺麗な街だなあ〜」と恋心を抱き続けた存在でした。
しかし、バブル期の前橋の変化に疑問を持ち(これは前橋に限らず、日本のスベテの場所に対してだけど)1990年代後半以降、前橋の「まちなか」が寂れてゆく姿に喪失感を抱くようになります。
ふと気がつけば、故郷の粕川も前橋市に組み込まれ、見慣れた前橋市の独楽のような形も、赤城山大沼からこぼれ落ちるデッカいナミダのような形に変わっていて…

そんな喪失感は、その後ボクが日本各地の街を歩いたり、なんならその土地の方と協働でイベントを創ったり、理想の街のあり方を求め障害者施設とのコラボをしてみたり、震災後は東北を歩いたり、何よりローカルに暮らす多くの愛しき人々と出会うモチベーションになったのであろうと、今になって気がついています。(ちなみに、まだ行けていない都道府県は高知県だけ…)

長年見失っていたような前橋ですが、2018年春に父が亡くなる前後で足繁く通ったことで、前橋の再発見が始まります。
近年のまちなかでの動きは魅力的なものであり、そんな流れがあったからこそ、2023年にはまちなかで閉店した陶器屋さんで個展開催。街作りに関わる多くの人と出会います。今年5~6月には”前橋サバービア”敷島のフリッツアートセンターで展覧会を開催するため、前橋を歩き倒し、99枚のスケッチ作品を描き『ボクの知らない前橋』を体に刻み込むようなことをしました。

そんな経験を通し、今回の取材は「ボクは今の前橋を知らない」という前提で行っています。。

session 1_9月9日「インクルーシブ」
SHOP CAFÉ Qu 千木良真弓さん × 障害福祉サービス事業所「麦わら屋」 小野介也さん
道の駅まえばし赤城 SHOP CAFÉ Qu にて。

千木良さん、2024年の能登半島地震発災後、ボクが製作した復興支援用のポストカード利用を希望された方だったんだ。
というわけで、「心の2度めまして」のご挨拶をした千木良さん、ボクは勝手に男性と思っていたんよ。。
やっぱ人には会わねばならないね〜。

で、麦わら屋を運営される小野さんも、千木良さんとは前橋の街のあちこちですれ違っているはずなんだが、こうしてお話をするのは初めて?

障害者福祉の現場では、お互いどんな言葉を使うのか気にするところから会話が始まったりするんだけど、その部分を自分が先回りすることなく、なんなら訂正してもらうくらいの方がリアルに人が感じられるだろうと。ボケボケと質問を繰り返す自分に、お二人がとても真摯に答えてくれたことで、徐々に会話に熱が帯びて行きました。

そんなセッションの中で溢れた言葉、小野さんが理想と思う施設を運営する上で「前橋の”小ささ”に救われた」ということと、福祉ショップ立ち上げの店長に大抜擢された千木良さんの「当時は街を歩く人が”少なくて”、しかし、だからこそ多くの方とじっくり話すことができ、前橋の面白さに気がつけた」という言葉。

「小さい」「少ない」というネガティブに響く言葉を『若い人の軽やかなマインドでポジティブなものに変えられた10年』というものに、今の前橋の面白さが濃縮されているように思いました。

お二人とのお話は興味深いものばかりで1時間以上続きましたが、新聞紙上では600~700文字ほどに纏めなければなりません。紙面で伝えきらなかった部分で特に面白かったのは、お二人それぞれが福祉の世界に入ってゆく発火点の部分。
大学の専攻はそれぞれ福祉に関係無いものだったけど、それぞれ期せずして起きた障害のある方と触れ合いを、ポジティブに、もうちょっと言えば「当たり前のこと」と思えたことで、その人なりの人生が生まれたこと。
その発火点を語る姿に気負いは感じられず、実に軽やか。もうちょっと言っちゃえばオシャレ。時代が違えばロックスターになっていた?そんなことをボクに思わせてくれるボクより若い二人の存在が嬉しくってね。

『こんなマインドを持つ人が育つ土壌が前橋には ある』そう自信を持って言える日が来ることを想像しつつ、この企画で表現するべきことは『人こそ前橋の希望だ!』ということなんだろうと。取材の軸が見つけられたありがたい時間となりました。

そして、
この取材がきっかけとなり、来年2月14日にQu でインクルーシブなアートワークショップを開催することになりましたよ〜!

session 2_9月11日 17:00~「まちなか」
レストラン・モモヤ 森田和子さん × 高校一年のHさん
パーラーレストラン・モモヤにて。


「あ、写真は出さないでください」
「あと名前も」
前橋市内の高校一年生、16歳女子から対談を前に伝えられたお願いに一瞬フリーズ。
しかし秒で「わかったよ〜」「うちの息子も同い年、高一だからね、そういうのわかる。」「うん、なんとかなる、なんとか。」と切り返す。

10年前、小学一年生のHさんは、お父さんの仕事の関係で東京の世田谷から前橋に移住。
この日の対談相手、レストラン・モモヤの森田和子さん(現在78歳)と過去の(2017年)上毛新聞のこの企画ページに登場。
当時小学2年生だったHさんのことを「元気でよく喋る子だったよね〜」と嬉しそうに語り、対談スタート。

自分は心の中で「紙面のビジュアルどうしよう??」と考えつつも、Hさんの10年の変化こそ、この企画に確かな言葉を与えてくれるんだと確信し、相変わらずボケボケと質問をしてゆきました。

そうすると、これは本紙でも書いていますが、学校帰りで疲れた16歳を労るように、和子さんが優しく語り続けた「わたしの前橋」クロニクルが沁みるんだ…
ボクの生まれ育った世界的な養蚕地帯の郡部から、仕事を頑張った人たちが上毛電鉄に乗って前橋の街へ。そこで1人ひとりの幸せを謳歌していた『人の湧き立つ1970年代の前橋まちなか』。嗚呼、これこそが自分の愛した前橋。
なんだが、今は未来方向を向かねばだよね。

そんなボクの危惧を吹き飛ばすHさんの言葉。
(この10年)「わたしは変わっていないけど、この辺はにぎやかになった」からの、
Hさんにとってこの10年の前橋は「東京じゃこの経験は出来なかった」と。
これは親御さん、和子さん始め地域の方々、学校や友人との良好な関係だったり、前橋が人に与えてくれる余白があってこその「経験」なんだろうと。

それをさらに裏付けてくれたのが和子さんの「前橋は温かく 優しい街です。」

自分は前橋の表層的な部分を見て「さびれた」とか「盛り上がっている」と語ってしまってはいないか?
前橋の街で人が生きるために空気を送り血をめぐらせているものがなんであるのか、この企画でボクが答えを出すわけにはいかず。しかし、この紙面に出会った人が考えてくれることが、前橋の未来を創るんだと確信した対談。

この紙面のデザインラフを見せた段階で、Hさんはお名前だけ解禁OKとなりました。
その辺は本紙で確かめてよ〜〜

session 3_9月16日 09:30~「農業」
いちご直売オヘロパパ 佐藤日向さん × バラ農家 大谷伸二さん*前橋バラ組合
いちご直売オヘロパパのビニールハウスにて。

28歳の若さで立派ないちご栽培農園を営む佐藤さんと、前橋を象徴する花「薔薇」の栽培で高い評価を得ている大谷さんの対談。
ですが、ほんとごめんなさい。
ボクは佐藤さんのイチゴを食べたことも、大谷さんの薔薇に触れたことも無い、そんな失礼な状態でお話をうかがわねばなりません。(新聞記事がリリースされる対談から2ヶ月ちょっと後も、イチゴが実る季節にあらず…)
これまでやってきた仕事では、食べた実感を持たぬ表現は避けてきた自分です。過去に渡辺麻里奈さんと雑誌Hanakoで食の連載をしていた4年間では、麻里奈さんかお店紹介の原稿が届いたら、締め切りまでの5日の中で実際に食べに行って、絵を描いていたんよね。(ギャラはすべて胃袋の中に消えました)

しょうがない、ほーんと「何も知らぬよそ者」としての自分で臨むしかなかった対談。

お二人とも職人気質の農家さんで、多くを語るより、本質的なことをズバ、ズバッと口にされる感じ。そんな興味深いワードに出会うたび、会話をスタートラインに戻しその意味を探る「もっさり」したボクの仕切りに、我慢強く付き合ってくださったのは、やはり日々植物と向き合うことを生業とされているからなんだろう。

対談の冒頭「なぜこの仕事を選んだのか?」に対し、佐藤さんは「東京で学ぶ選択肢もあったが、東京で働く人たちの姿を見て、自分がやるべき仕事では無い」と判断したとのこと。実際はもうちょっと辛辣な言葉で、東京もんの自分はうなだれつつも、これだけで前橋で農業を営む優位性が感じられるわけで、心の中で「よっし」とガッツポーズ。
そうした強い言葉に対し、大谷さんが「バラ生産者の仲間がボソッとくれるアドバイスに助けられる」と、やはりボソッと語ってくれたことに、そうだ、群馬の生産者は「ボソッと」良い話をされる方が多いイメージだったなあ〜と。子供の頃を思い出した自分です。

そんなアドバイスをくれる仲間がいちご生産の世界にはいるのか?佐藤さんに尋ねると、イチゴの仕事の繁忙期が重なるため、仲間同士で研鑽を高める場を作ることは難しく、そもそも同じ作り方をしても同じものは作れず。「自分はこの土地の気温差や風の吹き方などが武器になっている」と佐藤さん。
佐藤さん!この言葉頂きます。と前のめりになる自分。

そこに佐藤さんのパートナー、じゅんさんが現れて、この対談をニコニコして聞いてくれたので、お二人のなれそめを伺ってみると、終始「イチゴ色」に染まった甘酸っぱい話でね…
栃木から嫁いできたじゅんさんが、地域のみなさんに助けられていること。
さらに「(日向さんは)近所のおばあちゃんたちに守られているんです」って。

ああ、早くここのイチゴを食べたい!大谷さんが育てたバラを愛でたい!!
ボクのこんな気持ちが伝わる記事にしなくちゃって、1時間半もお時間を頂いたちゃった楽しい話を、500~700文字にまとめなければならないプレッシャーを感じた、美味しい対談でありました。

session 4_9月16日 13:30~「移住」
ラトリエブロカント 石井トニーさん・レイコさん × 株式会社望心(もこ) 望月 誠さん・藍さん。

L’atelier Brocanteのアトリエにて。

はじめまして、望月 誠さん、で、パートナーは「藍さん」ですね…
「えっ、愛と誠 じゃないですか!」などという軽口から始めた対談。

いや、「はじめまして」の場所、トニーさんとレイコさんが運営するフランスのアンティークを扱うアトリエ、ラトリエブロカントの美意識に溢れた空間に気後れしてるのは望月さんご夫婦だけでなく、ボクもだったんだよ〜

さらに「はじめまして」の2組のご夫婦の対談。お互いオープンに語ってもらうには?ということを考え続けた時間。

「移住」を決意する際、なんらかのネガティブな事象を乗り越えたこともあるでしょう。
4名の「人となり」を掴むために、細心の注意を働かせながら話を進めようとする自分ですが、そうするために過度な自分語りを繰り返してしまってるなと、ちょっと焦りながら会話を進めてました。
ただ、自分を語ることで、インタビューは5名のセッションに変わったなあと。

この企画の目論見は「移住から今に至る生活」を聞き出すということだと思いますが、それ以上のこと、「これから前橋がどういう姿であってもらいたいか」「わたしは前橋でどう生きたいのか」そんな1人ひとりのビジョンを共有するような時間になったのではと思います。

フランス生まれのトニーさんと前橋出身のレイコさんがイギリスで出会い、栃木の益子を拠点としたフランスアンティークを扱う仕事を行うも、東日本大震災を機にパリへ。その後家族のことを一番に考えた移住先が前橋であったこと。

埼玉の医療機関で長野出身の誠さんは藍さんと出会い、意気投合し、「お互いの生きやすさ」を尊重し移住相談会を経て前橋へ移住。お子さんを授かる。さらに家族のことを考えた誠さんは、在宅で仕事の可能なネット通販事業を始める。

そんな「移住クロニクル」な対談を通しひとつ気がついたのは、ネットでものを買うことが当たり前になったところで、群馬県の前橋市で仕事をして暮らすことの優位性が高まったのではということ。東京まで1時間半。赤城山はじめ群馬の豊かな自然へのアクセスが便利な前橋。海は無いけど、大きな自然災害のリスクは低い。家賃も東京から比べたら…(心で泣く自分です)

藍さんの「前橋の自然の中で無邪気な姿を見せる、昭和の夏休みのような風景に子育ての可能性を感じる」って言葉に、誠さんが「うん、うん」とうなずく風景が、前橋にとって可能性だなあ〜

レイコさんは「私たちが移住してしばらくすると、男性が前橋に戻ってくるようになった」と。
このまま使うと誤解を生むのではと、本紙ではニュアンスを変えています。
レイコさんが語ったことの本質は、「めぶく。」という前橋市ビジョンが策定された10年前辺りから、JINSの田中 仁さんを中心とした民間での街作りが活発になった前橋。それを面白く感じた人たちが、前橋の可能性に惹かれてUターンすることが増えた。それにより街のクリエイティブのクオリティが高まり、トニーさんとレイコさんが前橋を拠点にする意味も高めている。ということでしょう。(実際にボクも前橋に惹かれてこの対談を行なっている)

ただこれは始まったばかりのことだよね。

トニーさんに前橋ってどんな場所ですか?と尋ねると「まだまだ磨くべき場所」だって。
いいね〜!希望が無ければ語れない言葉。

日本で暮らす中、前橋が選択肢となること。こんな記事を通してでも多くの人に伝わるといいな。


この取材は、9月の3連休の前後で行いました。

それは同じく広報ブランド戦略課のスタッフが中心となり結成された「まえばし名刺プロジェクト」の取材を挟んだスケジュールで行いました。

前橋で暮らす人の「わたしのまえばし」を探り、取材し、260枚のスケッチを用意し、市役所職員による投票で100枚を選び、100枚の名刺の裏に100種類の「まえばしスケッチ」を施すというプロジェクト。

この取材に至るまで、市の職員と何度もセッションを重ね、「前橋とはなんであるのか?」を探求してきました。

この2のプロジェクトが交差したことで気がつくのは、前橋が有する「やさしい余白」に、前橋で暮らす人たちの幸せが息づいているんだろうなということ。

こうしてスケッチによるイラストレーション制作、編集、デザインを進めて行く上で、絶えず「やさしい余白」というものを意識。実際仕上がったものはなかなかの文字量ではありますが、 でも開いて出会う新聞紙面からは前橋らしい「やさしい余白」を感じてもらえるはずです。きっと。

そんなものを一緒に作り上げてくれた前橋市と上毛新聞のスタッフ、
そしてボクに真摯な話を聞かせてくださったみなさんに感謝いたします。

今はこのプロジェクトが手から離れて、ちょっと寂しいじゃねえか…

以上、
3ヶ月ほど費やして書いたラブレターのようなものを振り返ってみました。。

2025
1126
アミイゴ
PEACE!!

前橋市役所セッション

2025 年 7 月 19 日 土曜日


7月14日群馬の前橋市役所の職員とのセッション。

6月29日まで前橋の敷島のフリッツアートセンターで開催していた展覧会「まえばしスケッチ」で、ボクからの『この絵を前橋市のシティプロモーションに使ってみませんか』という偉そうな提案を、市のスタッフがキャッチしてくれ意見交換。

そもそもこんなプロジェクトが実現可能なのか?
『コアグループになる得る人を募って探ってみよう!』というセッション One

集まってくださったのは15名。
まだ実現可能か分からない案件のため、就業時間外、仕事の終わった直後の1時間をいただき、ボクも経費含めギャラは辞退し、フラットな関係で膝突き合わせました。


前橋で一番高いビルは県庁の建物で、前橋市役所の庁舎はそれに続く高さです。
都内まで100km、関越道と東北道とのアクセスはスムースですが、上越新幹線の駅は隣の高崎市にあります。
北に赤城山を仰ぎ、西は榛名山、その間に轟々と利根川が流れ、人々の足元から南に向かって関東平野が広がる前橋市。
海はありませんが、”まちなか”を流れる広瀬川や、桃の木川などなどの河川も多く、「水と緑の街」をアイデンティにしています。郊外では米や野菜作り、養豚などが盛んです。

過去日本の一大養蚕地帯であった群馬に在って、前橋は生糸の集積地として栄えましたが、1945年8月5日の空襲により市街地のほとんどが灰燼に帰した過去を過去を持ちます。
戦後復興を果たし商都として発展するも、日本の社会構造の変化と、国内有数の車社会の影響、そもそも失われた30年の波を受け、1990年以降”まちなか”は衰退。
しかし、”めぶく“を合言葉に、ここ数年起きている「新たなまちづくり」の動きが、全国的に注目を浴びていたます。

人の気質は、「荒っぽい」と言われる群馬の中では穏やかな方で、文化的な嗜好を持つ方が多い印象でいます。

ボクがザクっと認識している前橋はこんな。

ちなみに、平成の大合併でボクが生まれ育った勢多郡粕川村も前橋市粕川町になりました。
それによって、自分も「前橋出身」と語られることになるのですが、今だに慣れません、、

その魅力はなんだろうか?
まずは対面で1人ひとりに聞いてみました。

すると、ほぼ自分の認識と重なった回答がありました。

ならば紙とペンを配って、
「ともかく思いつくだけの前橋の魅力を書いてみて〜」とブレインストーミング。

以下、

田んぼ
金色の稲
赤城
おいしい水
山、山、山、平地!!
ぜいたくな広さの駐車場

雷、そして ひょう
グリーンドームの道から見る花火大会
誰もいない児童館
工科大でやるトランポリン大会
るなぱあく の木馬
前橋公園の夜桜
すきま がある
朔太郎がいた
夕焼けがきれい
朝日もきれい
夜景もきれい
雷が多くて停電にドキッ
広瀬川は用水路 でもきれい
義理人情
ネコがいる街
人なつっこい
自転車で遊べる
おいしいものが多い
赤城山には龍がいる
景色が四季折々で楽しめる
自然とたわむれる街
るなぱあく の親子
雪に埋もれた小沼周り
敷島公園沿いの桜並木を写真撮影している人たち
敷島公園で野生化した猫の大群
馬場川通りの若者
焼きまんじゅう(原嶋屋)
中央児童公園
ばら園
赤城の旧料金所
中央通りの入り口
敷島公園のボート
利根川の河川敷
中央病院
広瀬川の柳
赤城山
上電
田園風景
臨江閣
豚が名産
るなぱあく
利根川
広瀬川
白井屋ホテル
ブルーボトルコーヒー
敷島公演(バラ)
GRASSA
自然豊か
医療機関が充実
野菜がもらえる
木馬
八幡山 たか
空気、水が美味しい
暑い
風が強い
女子高生 立ち漕ぎ
人情
るなぱあく
かけっこ
おばちゃんトーク
赤城山からの風
北を探す時は赤城山
いちご
「なっから」という言葉が好き

欅並木の緑
るなぱあく の木馬
原嶋屋の焼きまんじゅう
空っ風に自転車で向かう女子高生
裾野が長い赤城山
まちなかがしゃれてる
めしがうまい
ほどよく田舎
晴れが多い
自然がいっぱい
温泉が多い
夏の広瀬川
夕方の県立図書館
田植えの後の田んぼ(湖みたい)
カエルの鳴き声(大合唱)
新緑の柳(広瀬川)
おせっかい(良い意味で)
空っ風
かかあ天下(働き者)
県庁からの眺め
おいしい野菜
前橋ウイッチチーズ
職員は真面目
まちなかと山エリアの差
スローシティ
赤城山
広瀬川
アート
古い街並みと新しさ
空っ風
ウエルカム感
人の近さ
太陽の光を感じる
色の豊かさ(茶色)
欅並木

「前」と「橋」という陽時ティブな漢字
海に憧れてるのは共通
利根川の「ゴー」という音
利根川の石の大きさ
平野パノラマ
水田
水田のカエルの声

以上。

これをテキストマイニングすると。

 

面白いなあ〜

ここに上がったワードは、全部絵にしてみますよ!

が、
ボクが風景を描く際に大切にしているのは『そこに人の気配を感じられるか?』

ある土地を訪れて、素晴らしい風景に出会っても、その記録は写真でいいじゃん。
なんだけど、
だれかひとりでもいい、「愛しきひとり」に出会うことで、風景はボクにとって描くべき意味を持ちます。

今回のフリッツアートセンターでの展覧会も、
当初オーナーの小見さんと出会うことで、描くモチベーションをいただくも、
展覧会を通して出会った1人ひとりへの愛しい気持ちが、また自分に前橋を描かせ、
それまで描いたものを超えた愛しい絵が生まれ、展覧会を成長させました。

市の職員がボクをキャッチしてくれたのも、そこを感じてくれたからのはず。

なのであと一歩、今回の参加者に近づいてみるワークショップ。
「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋を教えてください」

これはずっと続けてきた一本の線を描くワークショップの形式で行いました。

以下。

次男の子守りで”さちの池”に遊びに行った時。
子どもの顔と景色が今でも鮮明に思い起こすことができ、幸せな時間だった。


仕事が終わった後に同級生と集まって、マックでMサイズのドリンクとポテトをつまみながら、
今日あった事やこれからなにをしたいか話して、夜の11時ぐらいに帰宅する。


私は中学生の時に、田んぼの道を部活の友達と赤い車に追いかけられながら走ったことが、
苦しくて楽しかった。


私は赤城山へ友達と登山に行きました。山の頂上から見た大沼と緑色の山々が本当にきれいでした。
沼から吹き上がる涼しい風が、登山後の汗をかいた体に心地よかったです。


私は、入職した年に初めてみこしに参加した時が楽しかった。


私は県外出身で、大学生の頃から前橋に住んでいますが、最近まで赤城山に登ったことがありませんでした。
職場の仲間5〜6人で初めて登山してみた景色。道中のコーヒー、滝のようにかいた汗が忘れられず、
その後登山の楽しさに触れ、色々な山に行くきっかけになりました。

私は、小学校の時に学校のマラソン大会で田んぼに落ちたけど、巻き返して一位を取れて嬉しかったです。

私は前橋市民文化会館で宝塚の公演をみて、客席降りてハイタッチしてもらって幸せでした。


小学生の頃、地域のまつり(子ども会)でのお祭り(太鼓の練習を3ヶ月前くらいからして山車に乗る)や、
上毛かるた大会に出場するため必死に練習したり、幼馴染みと過ごしたのが良い思い出です。


小学校の頃、先生に促されるまで放課後友達と校庭であそんだ帰り道、友達と用水路の葉っぱレースを初めて、
石爆弾を葉っぱに投げ合って、水の流れに沿って走っていたとき楽しかった!


雪の降り積もる中、「カーン」と竹の割れる音を布団の中で母と姉とじっとして聞く。
次はいつ割れるのであろうか?耳を澄まして待っている時。

部活の帰りに上り坂しかない道を「やいのやいの」他愛もないことを話しながら、
夕陽を浴びて歩いていた時。自然とだれかと過ごした時。


4月末ごろ近所を散歩していた時に、何も知らずに入ったら美味しくて、
お気に入りの居酒屋を発見した時。


同期と飲みに行ってふざけてる瞬間


子供の頃、自分の部屋から見える赤城山の、それはそれは深い緑の雄大な姿を、今でも強く思い出します。
その赤城山の色が、どんどん開発され、変化してしまったことを寂しく想います。


高校生の時の真冬、友人と2人で赤城山に向かって自転車をこいでいたら、
友人が風に煽られて田んぼに落ちた。


私が小学生の頃、前橋七夕まつりで七夕飾りをかきわけながら進んだこと。
妹と「キャーキャー」言いながら笑ったこと。


小さな頃に父と母と手をつないで夜の中央通り商店街を歩いた時、
人混みの中で何度もジャンプさせてもらい、街の灯りが揺れて見えたのが楽しかった。
(これはボクの思い出)

以上。

面白いね〜!
そして美しい。
色が紛れもなく前橋!

なにより、
市の職員15名から「楽しかった思い出」を聞いたら、
2人が「田んぼに落ちたこと」が楽しかったって!

このセッションの前日、
ボクは眼鏡のJINSを興した田中 仁さんからのお誘いを受け、
JINSの前橋サテライトオフィスに施設されたオブジェ「ばばっかわ男」のお披露目式に参加しました。

田中 仁さんは私財を投じ、民間主導で(もちろん官民連携で)アートによる前橋の再興を進めていて、
今回のオブジェをどのように考え製作設置したのか、作者の尾花賢一さんのお話と共に聞けることは、
とても貴重と思いました。

そんなお話の中で気になったのは、
「ばばっかわ男」に対し「気持ち悪い」という意見が少なからずあるとのこと。

自分から見ると、このオブジェは街の絶妙なポイントに置かれていて、
街に「気持ち良い不協和音」を与えてくれるなと。(JAZZ的な快感!)
そもそも造形自体「きもちわるカワイイ」(今の東アジア圏に通底する何か!)

スクエアに整備されがちな街に、山から転げ落ちてきた岩のような造形が加わることで、
街を歩く人が間接視野で捉える街が優しい印象に変わる効果があるだろうなと。
この作品とこの設置方法をポジティブに捉えました。

自分はビジュアルアートや音楽に関わってきたので、こうした捉え方の出来るアート脳が育っているから、
こうした捉え方が出来るんだろうと思います。

なので、前橋の街を利用する人が、こうした感覚を持てれば、街はもっとポジティブに発展するんだろう。
しかし、放っておいたら多くの人を取りこぼしてしまうのが「アートを使った〇〇」のようなプロジェクトだなと。

さて、どうしたらいいのか?なんて考え始めた次の日、この市役所のセッション。

集まったみなさんから掘り起こされた「楽しさ」と「ばばっかわ男の」造形が、
ボクの中では思いっきり重なったんよね。

ということは、
実は前橋に暮らす人の中に答えは埋まっているんだろうということ。

うん、もっと多くの「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋」に出会ってみたい。

それを元に、必要なら取材して、絵にしたら、
それは今の前橋の、そして前橋に暮らす人の合わせ鏡のようなものになってくれるはず。

そこからボトムアップ的動きで、じゃあ何を誇りに思い、何を改善し、何を創造したらいいのか。
そんなエクスキューズを多くの人にシェアしやすい簡潔でリアル言葉で語ることが出来るんじゃないかと。

ちょっと壮大な話ではあるけれど、引き続き市のスタッフのコアグループの話し合い、
次にやるべきをことを導き出せたらいいなと考えています。

ところで、今回たくさん吐き出された言葉の中で、
「立ちこぎ」というワードに、何か前橋らしさを感じている自分です。

「まえばしスケッチ」謝辞

2025 年 7 月 2 日 水曜日


小池アミイゴ・イラストレーション展「まえばしスケッチ」
群馬の前橋の敷島のフリッツ_アートセンターでの5月10日から6月29日まで、50日間の会期を終えました。

まず、設営の際にお手伝い下さった群馬在住のイラストレーター丸山一葉さんと、今回のご縁の元となった2年前の前橋”まちなか”の陶器店「石渡」での展覧会を実現させてくれた石渡さんに感謝申し上げます。

アップした絵は、99枚のスケッチの中で唯一左手で描いた水仙の花の絵。

思い入れ深い前橋を描くことは、気になる風景に出会っては立ち止まり、自分を見つめるような作業。
ファイル名に「50」とある水仙の絵は、制作の折り返しで自分が抱えている「何か」を下すような作業だったかもしれません。

80年前の空襲で失われ、今は「平和町」と呼ばれる場所の、主を失った家の前で咲いていた水仙の花は、自分がこれから向かうべき方を向いてくれていたように思います。

あとの2枚は、
最後から4番目に描いた「県庁前でひとつ咲いていたコスモスの花」

そして最後に描いた「帰りの両毛線の中から見た前橋の街」

どちらも「あ、描きたい絵が描けた!」と思えた2枚です。

「こんな儚さが自分の前橋なのか」という発見と、
「この余白こそボクの愛する前橋なんだ」という確信を得られたことは、これから動き出す前橋での仕事に生かしてゆかねばです。

今回の展覧会では25点の絵がどなた様かの元に旅立ちました。
が、ここにアップした3枚は手元に残っています。

この価値観の余白を埋めるのか、色付けるのか、さらに広げるのか?
答えを急ぐことなく、さらに描く先で答えに出会えたらいいなと思っています。

思いがけず多くの方と出会え、多くの会話が生まれた展覧会。
久しぶりに会うことが出来た友人からは「小池は物静かだった」とか「何を考えているかわからなかった」とか「だいじょうぶかな?と心配していた」とか『あの頃の自』を教えてもらえて、19歳で後ろ足で砂をかけるようにして群馬を離れ、何者でも無い自分を振り回して生きた自分が、何者なのかちょっと確認出来たように思います。(てか、昔の友人が来てくれるんだ〜!)

などという展覧会。
この場と多くの出会いを与えてくださり、お互いの美意識のすり合わせから熱を起こしてくれた、フリッツ_アートセンターの小見さん、ならびにスタッフの皆さんに感謝申し上げます。

自分にとってフリッツでの展覧会は、展覧会というより、みんなで創ったLIVE。
本の森、baobab、エリ・リャオ&ファルコン、水と青、ドロップス、公園のおはなし会などなど、
ご一緒出来て、うれしかったぜ!

そのLIVEのアイをオーに変え LOVEへと育てて下さった、ここで出会ったすべてのみなさん。
愛してます。
ありがとう。

これは始まりの挨拶です。

20250510
20250629
アミイゴPEACE!!

171ヶ月め_前橋のこと

2025 年 6 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,206日
743週5日
14年3ヶ月
171回目の11日です。

アップした絵は、
現在群馬の前橋のフリッツアートセンターで開催中の展覧会「まえばしスケッチ」に追加展示した絵。

展覧会が始まって1週間後の5月17日、フリッツアートセンターでbaobabのコンサート
「かぜつちうた」を開催しました。

過去に何度かやってきたように音響を自分が担当し、
baobabが積み重ねてきたたことを大切に、お互い尊重し合いアイデアを出し合い、
この場所にアジャストさせたことで、フリッツという場所ならではのコンサートを目指します。

本番前には土砂降りだったの雨も上がり、リハーサルで高まった心の熱をちょっと冷ましておこうと、
マジックアワーの光に包まれた敷島を歩いてみました。

ああ、綺麗だなあ〜

池に浮かぶ白鳥ボートの可愛らしさ。
水道タンクとヒマラヤ杉が生む光と影の構図。
松林に斜めに差し込む光の帯の鮮烈さ。

人と志を共にし、ひとつの現場を創る作業は、
ボクに「美しいものをただ美しい」と思わせてくれる目を与えてくれるようです。

積もった松葉を踏んで歩く時の体が浮くような優しい感覚。
自分は今前橋を描いた展覧会を開催しているが、
その目の前に広がる風景を何一つとして描けていないと思う刹那。

直後に始まったbaobabのコンサートは、
やはりこの日この場所でしか生まれ得ぬ作品へと昇華しました。

あとは東京に戻り見たものを描くだけです。

baobabとは2008年に東京の渋谷で出会いました。

彼らの暮らしのある大分から車で移動しながらコンサートを続け、
最後に渋谷で開催していたボクのイベントに出てくれた。

その音楽に「若い兄妹が生きてきた時間だけがきっちり鳴っている」と直感し、
1ヶ月後に彼らの暮らす大分県、現在の杵築市山香という町まで足を運び、
森の中の古民家で半農の生活と、楽器作りや音楽活動を両立させる彼らの生き方に出会いました。

今振り返ると、その後に起きた東日本大震災に対しわずかでも正気を保ち向かってゆけたのは、
そんな彼らの暮らしに出会っていたことで、人間に対する希望を窒息させずにいられたからなんだと思います。

あの日から14年めの初夏、baobabと前橋でひとつの作品を創るような作業を出来て、
何かひとつ前進させることが出来たのではと思っています。


「まえばしスケッチ」という展覧会は5月10日から始まり6月29日が最終日で、
ちょうど1ヶ月が経ったところです。

baobabのコンサート以外でも在廊を繰り返し、来場される方と言葉を交わすことで、
自分のやっていることの意味がわかってきます。(自分はコンセプトを立てる前に体が動いてしまう)

より明快になったことは、
自分は前橋という街を喪失した心の痛みに対し、セルフケアのような作品制作をしている。
ということです。

子どもの頃に憧れたキラキラした街前橋は、バブル経済が弾けた頃から急速に寂れてゆく。
日本一の車社会と言われる群馬にあって前橋の市街地は、求心力を持つ観光スポットを持たず、
またその周辺に郊外型の大規模商業施設が出来たことや、人々の画一的な消費行動が進んだことで、
2000年代初頭には学校の教科書に「典型的なシャッター商店街」として掲載されるほどに凋落してしまう。

こうしたことは日本の各地で同時進行的に起きたことだけど、
それでも前橋の風景は、東京に出て「よそ者」となった自分でも心に傷のつくほどの凋落です。

これはボクの勝手な印象でしかないのですが、
『前橋という街は経済の津波にさらされ大切なものを流されてしまった』と。
実際、東日本で津波被害に遭った場所に立って「前橋みたいだ」と思ってしまったこともあります。

それでも「いつかボクの前橋を描かねば」と考え続けてきて、今回。

数年前より前橋をアートの力で更新させてゆこうという動きが生まれ、
多くの人が前橋に力を注ぐようになりました。
薄汚れて見えてた場所にやわらかな光が当たって見えるようにもなっています。

方や前橋の郊外である敷島では、
フリッツアートセンターという場所がオーナーの小見さんの美意識を保つ形で40年、
「敷島らしい」空気を模索しながらも醸成を続けています。

自分はそのふたつのエリア、前橋駅から街中を抜け広瀬川沿いに敷島までの5kmを歩いて、
目に止まるものを描くことで展覧会を作ってみようと考えました。

その5kmの途中に「平和町」と名付けられた街があります。
それは日本各地で、特に空襲による被害を受けた場所に対し与えられている町名です。

前橋では、現在の中心地の周辺部、街の賑わいの途切れたのどかな住宅街エリアが「平和町」です。

子どもの頃父から何度か前橋空襲の話は聞いていましたが、
こんなのんびりした場所まで爆弾を落とされたのか?という疑問から、
空襲被害に遭ったエリアを調べてみました。

ちょっと古い資料なので、
Googleマップに消失エリアを被せてみると、

なんと!
自分がボケ〜っと歩いている場所の半分は火の海だったのか、、

1945年8月5日の夜から6日の朝にかけて、
535名の命が失われ、6万人以上の人が焼き出された。
(その数時間後には広島で原爆が投下され、9日後には無条件降伏が国民に知らされる…)

自分が子どもの頃に憧れたあのキラキラした前橋は、
完全な焦土の上に再建された街だったんだと、あらためて…

わかっていたつもりだったけど、
自分は今回あらためてこの街を歩き、この街を自分の身体に刻み込むことで、
この街に暮らす人の視線に寄り添い、この街の何か美しきものを見つけようとしているんだろう。
それは自分の喪失感を癒す作業でもあるわけです。


人は焼け野原にボクが憧れたキラキラした街を造り、
焼け出されてしまったあるエリアを「平和町」と名付けた。

そんな街も経済の大津波に晒され、
ボク個人の感覚では喪失してしまった。

それでも視線をちょっと振ると、
どなたかの家の塀の脇に刈られずに残された小さな花と目があったりする。

そんなふうにして描いてきた絵を間に置いて、展覧会に来られた方と言葉を交わすと、
色々と気がつくことがあります。

まず、人が穏やかで優しいなあ〜ということ。
これは東京に出る前までに感じていたガラッパチさと随分印象が違います。
それはどうしたことか、さらに会話を重ねてみて、自分なりに考察してみました。

前橋は全国亭に有名で求心力のある観光スポットを持たない街、それも県庁所在地です。

過去には養蚕業から製糸業の核として、日本の経済を牽引する街でしたが、
昭和に入るあたりで失速し、戦争で街ごと焼かれてしまいます。

そんな歴史を振り返ってみると、
今回のスケッチは空襲に耐えて遺ったものを自然と街の象徴として描いてることに気づきます。

ともかく前橋は「何も無い」状態から、
ボクのような子どもが憧れるキラキラの街を再建させた。

そうした街を造るには、とてつもないパワーが必要とされるんだけど、
でも自分が憧れたキラキラ前橋はパワフルなだけでなく、優しかったように思い出されるんよね。

その優しさとは?
ともかく街を歩き続け、疲れた身体が気がついてくれたのは「余白」

過去の前橋には「誰でも居て良いと思わせる余白」あ、物理的にも心の領域にもあった。

メインの商店街を歩くと誰かと肩が触れちゃうくらいの人出でも、余白があった。

「誰でも」なので、ある意味清濁呑み込む街の懐の深さがあり、それは場合によっては危険も含むのだが、、

あれはもしかしたら、戦争で焼かれた街の人の心に宿り続けた刹那なる思いが、
他者に対しても「居ても良い場所」を与えていたのではなかっただろうか?

また、戦争による喪失は、街に暮らす人たちに文化に対する強い憧憬を生んだはず。
言葉に出来ぬ理不尽な出来事に無力を叩きつけられた人は、文学や芸術からその回答を得ようとします。

それはとてもパーソナルで静かな行いであり、そうしたものが徐々に束になってひとつの運動のように育っても、
大声で何か訴えるようなことでは無く、やはり静かに粘り強く続けられるようなものです。

ただ、ボクはそこから漂うほのかな香りのようなものに気がつき、
そこはかとない文化的に香りこそ前橋の魅力であると、幼いながらに気がついていたはずです。

父に連れて行かれたクラシックのコンサートや、母に連れられていった演劇などなど、
今振り返ればなんて凄い表現者たちを前橋は呼んでいたんだと思う。

 

そうしたものを高度経済成長期の最後の方にキャッチし、良きものと捉えるも、
世の中のほとんどの人が「中流」を意識し始めた80年代、
バブル前夜の前橋がどんどんと漂白され、表向きオシャレな装いを見せ始めたのには違和感を感じ、
ふと気づくと自分の居て良い場所が見えづらくなっていなかっただろうか。

古く使い勝手が悪いから「しょうがない」取り壊された前橋駅の駅舎のことを、
自分は事あるごとに個人的喪失として思い出したりしています。

もちろん「誰も」が住みやすい街づくりに、自分の憐憫の情など関係無いのだと思うのだけどね。
でもそも「誰も」がなんだか生きづらさを感じているのはなんでだろう?

そうして前述するように個人的な喪失を感じるほど衰退してしまった前橋の街ですが、
ここ数年で新たな魅力的な顔を見せるようになっています。

そこには、たとえば成功を収めたJINSの田中仁さんのような民間の力が投下したお金や発想、
そこに集う人の力、そこから育つ人の力、そして行政との噛み合わせの妙があります。

では、それはなぜ実現出来たのか考えてみると、
極論だけど前橋にお城が無かったことではないかななんて思うんよ。

立派なお城がある街の人は、その力を活かそうとする街づくりをするんだけど、
前橋には城が無い。

力強くアイデンテティとして語れる産業も、そもそも街そのものを空襲やバブルで失っている。

遺されたものは「危機意識」だけってくらいなんだけど、
しかし、お城のようなもの、極論すれば富士山のような象徴が無い分、
前橋の人は危機意識をエネルギーに、あとは何物にも囚われぬ軽やかな発想とマインドで、
新しい街作りに取り組めたんじゃないかな。

新しい街の姿がちょっとでも見えてきたら、
もともとの人の優しさが「あなたの居て良い場所」を可視化させる力を発揮させてくれる。

あれ?
もしかして前橋は「軽い」という言葉を今の日本に必要なポジティブなものに更新させ、
なんなら社会の価値観も良い方に変えてしまう力を持っているんじゃないか?
なんて思い始めています。


求心力のある観光スポットは持たぬが、街が余白だけになりかけてしまったが、
人の気持ちに覆い被さる余計なことは、街を流れる利根川や広瀬川の豊かな水が、
そして上州名物赤城降ろしの空っ風がどこかに流してすっ飛ばしてくれる軽やかな街。

それが魅力だと思うと、
前橋には希望しか感じられないぜ!と思うのはボクだけだろうか。

ところでこの感じ、
ボクは福島県の福島市の街中で起きていることと似ているかも。

震災と原発事故を経験した福島。
それはある意味「何も無い」というくらいの場所まで人のマインドを落とし込むも、
その危機感があるからこそ、人は考え続け、人と人のつながり大切に育て、
人と人の間に生まれる発想を生かして、今。
「誰でも居て良い場所」があちこちに感じられる優しい街に変わってるイメージ。

これからの前橋が、東京を頂点とする中央の価値観に追従するとは考えられず、
しかし、福島の街の人たちと繋がることには、価値を感じるなあ〜。
もしくは、大分の山間の町baobabの暮らす山香とかね。

そんなことを思えるのは、日本の社会が画一的に漂白されてゆく時代に争い、
人の弱さを慈しみ美しく生きることを良しとし、ツッパらかって本屋なども営み40年、
前橋の優しい文化の生命維持装置のような敷島のフリッツアートセンターという場所が、
前橋の過去と今をパラレルに見せてくれるからなんだろう。

フリッツアートセンターでの展覧会「まえばしスケッチ」はあと2週間ちょっと、
6月29日が最終日です。

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

ボクの在廊予定は
6月15日(日)、16日(月)
6月27日(金)、28日(土)、29日(日)

最終日イヴの28日には、エリリャオとファルコンをお呼びして、
架空の絵本の世界を唄で表現する試みを行います。

ライブ + ワークショップ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
フリッツ・アートセンター


15日午後と29日午後にはそれぞれお話会が行われ、
15日はガザと渋谷の子どもたちを絵で繋いで作った絵本「みんなで見た こどものえ」で、
ボクが子どもたちに行ったセッションを再現して体験してもらえます。

などなど、
もはや終わってしまうことの喪失感が込み上げてくる展覧会に育っています。

 

 

170ヶ月め

2025 年 5 月 11 日 日曜日


今日は2011年3月11日から5,175日
739週と2日
14年と2ヶ月
170回目の11日です。

今日5月10日から、群馬の前橋の敷島にあるフリッツ・アートセンターでの個展「まえばしスケッチ」が始まりました。
https://yakuin-records.com/amigos/?p=16456

初日は敷島薔薇園と敷島本の森のお客様が重なり、地方での展覧会にこんなにも人が来てくれるんだ〜!という驚きの1日。
テーマが地元前橋を描いた作品群なので、老若男女多くの方が絵の前で立ち止まり語り合い、さらにはボクに前橋愛を伝えてくれました。

夕方には地元新聞の取材が入ったのですが、
記者とボクとで話が弾み、自分がやっていることはどんなことなのか?を探る会話が4時間。。

それだけ語り合えるだけ、今の前橋は新しく生まれ変わろうとしている。
しかしその前は個人的に「喪失」を感じるほどに寂れてしまっていました。

インタビューの中で、自分が東日本大震災発災直後に東北に弾き飛ばされるようにして向かった理由の中には、前橋という美しき憧憬の街の喪失と東北の太平洋沿岸部の喪失とで何が同じで何が違うのか?そんな探究心もあったのだろうと気がつきました。

震災後の東北を歩いて育った目で、今あらためて見る前橋の街。

そこから生まれた絵に向き合って下さったみなさん1人ひとりが、それぞれの前橋を語ってくれた。

こんなアウトプットがあって、はじめて「より好ましい街」についてのアイデアが生まれるんじゃないかなと。
今回シャカリキになって前橋を描いた意味にあらためて気がついた展覧会初日でした。

「まえばしスケッチ」は6月29日まで。
この期間で前橋に対し貢献出来るとこと探り実践できるよう、
この展覧会をさらなるコミュニケーション場へと育ててゆこうと考えています。

という自分の思惑や理屈は関係なく、
みなさんがこの展覧会を楽しんで頂けることを願っております。

4月17日は能登でのフィールドワーク。

2年前の夏に「なんて見事な田んぼだ!」と感激し、田んぼ仕事してたおじさんにその理由を尋ねた場所は、川になってしまってた。

昨年元旦の地震で土地の隆起と陥没が重なり、川の流れが変わってしまい、田んぼだったところに川が入ってしまったとのこと。

2年前のことはこちらに綴ってあります。
しかし、おじさんが大切に育てた田んぼの土が流された今、田んぼの復活は可能なのだろうか?

この日はこの近所に暮らしている別のおじさんと立ち話。

震災後、一旦はここを離れたが、やっぱり生まれ育ったここがいいから帰ってきた。

「ここはね、きれいなところなんだよ」
「ここ歩いて花を見て、今は飛行機雲が見えてるけど『あれは晴れてるから見えてるんだ』と思うのがね、いいんだよ」
「気持ちが沈んだ時は、ここから海岸線グルっと回ってくると、気持ちが晴れてな」
なんて語ってくれるもんだから、ついハグしちまったぜ。
「でも自然というオバケがきちゃったんだ」
「こんなことは考えたこともなかった」と。
そうか、、
「また元気で会いましょう!」と声かけあって別れました。
その後チャリティ企画のお手伝いをした輪島塗の田谷木地店のたくじさんと合流し、
能登を巡りながら輪島塗の今を伺いました。

農業も輪島塗も自然との共生と人の絆で育まれ保たれてきたこと。
しかし今まさに危機に瀕していることの確認。
それでも希望を感じさせる人の存在があること。
引き続き応援は続けるのは当然として、
じゃあ自分は何を描けば良いのか?
想像力のケツを蹴り上げつつ、 大切なのは理解じゃなくて、まずは認知。
まずは人として当たり前の目を持つこと。
では当たり前とは?
ともかく続けます!

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展

2025 年 4 月 2 日 水曜日


『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

後 援_群馬県・群馬県教育委員会・前橋市・前橋市教育委員会・各報道機関


群馬県前橋市の開放的だけどどこか懐かしく美しい場所「敷島」にあるフリッツ・アートセンターで展覧会を開催します。
名付けて「まえばしスケッチ」

ボクが子どもの頃に憧れであった良き人々が沸き立つように集う美しい前橋への憧憬と、新たな風に吹かれ再生しようとしている今の前橋への恋心みたいなものを、シンプルな絵やスケッチにして展示する予定です。

「人は美しさで生きられるのか?」「ほんとうの幸せってどんなことだろう?」「子どもたちの未来はどんな姿が好ましいのか?」などなど、みなさんと語りえる余白のある展示を目指しますので、ぜひ足を運ばれてくださいませ。

以下フリッツのオーナー小見さんの言葉。

前橋に生まれた 小池アミイゴさん。少年のころ、町へ行くのが楽しみで、駅を降りて小走りで向かった風景は忘れていないと言う。50年経ち、そんな風景にもう一度出会いたくて、同じ道を歩きます。今度はスケッチブックを持って、敷島公園まで ….。

この展覧会では、この春に前橋で描かれたものを中心に、知床、能登、福島、台湾と、今まで各地で描かれたスケッチや絵本の一場面も。また「敷島。本の森」開催の、オープニングでは敷島公園周辺を描いて展示を仕上げます。

5/17 には、大分から兄妹のユニット “baobab” を招いた待望のライブ。そして会期の最後には、台湾出身の歌い手 “Eri Liao” さんとのコラボライブ。架空の絵本を仕上げて、未来につなげます。

以上、
うわ〜〜、てんこ盛りだ、、
頑張らねば。

イベント

◉ opening sketch『敷島。本の森』
5月10日(土)・11日(日) 11:00-16:00あたり
・2011年から始められた『敷島。本の森』。たくさんの本屋とコーヒー店が公園の松林に並びます。
小池アミイゴさんは公園内でスケッチを行い、その作品もギャラリーに並べます。


◉ ライブ

『baobab』~かぜつちうた
5月17日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
チケット販売開始 : 4月17日(木) 10:00
料金 : 前売り_4,000円 当日_4,500円

大分県 山香にあるカテリーナの森を本拠地に
多彩なアコースティックサウンドを奏でつづける兄妹ユニット baobab の
待ちにまった フリッツ・アートセンター公演の実現です。


◉ ワークショップライブ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
チケット販売開始 : 4月17日(木) 10:00
料金 : 前売り_3,000円 当日_3.500円

誰でも描ける簡単な絵のワークショップとライブ。
画材等すべてこちらで用意します。

小池アミイゴが「日本で一番すごい唄うたい」と推すエリ・リャオと盟友のギタリストファルコンを迎え、
唄にまつわる架空の絵本「うたうーさん」の世界を旅します。

小池アミイゴ
1962年 前橋市出身。イラストレーター・画家。一般社団法人東京イラストレーターズ・ソサエティ前理事長。長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンなど音楽家との仕事も多数手がける。2000年以降は日本各地を巡り、地方発信のLIVEイベントや絵のワークショップを重ね、近年では、台湾など海外まで活動の場を広げる。
絵本に『とうだい』(斉藤倫 文 / 福音館書店)、『水曜日郵便局 うーこのてがみ』(KADOKAWA)、児童書の挿絵に、『小さな赤いめんどり』(アリソン・アトリー 作 / こぐま社)、『こぐまと星のハーモニカ』(赤羽根じゅんこ 作 / フレーベル館)などがある。
2022年、『はるのひ』(徳間書店)で第27回日本絵本賞を受賞した。


baobab
Maika : Vocal / Fiddle
Mirai Matsumoto : Vocal / Guitar etc…
https://www.baobab-csf.com

サポートメンバー
田辺玄/guitar
和田尚也/bass

2004年結成。Maika (歌 / fiddle) 、古楽器製作家でもある松本未來を中心としたアコースティックサウンドを奏でる兄妹ユニット。結成当初より大分県山香町を活動の拠点とし、小さな場から発信する音楽表現、ものづくりや土に根ざした生活の中から生まれる音づくりを続け、二人の音楽的ルーツであるトラッド、古楽、フォークを自由なアレンジとスタイルで生み出している。

2007年のニュージーランド全20公演の海外ツアーを経て4枚のアルバムをリリース。自主制作でつくられたアルバムはインディーシーンでロングセラーを記録。CM、映画への楽曲制作も行う。これまでに数多くのミュージシャンとも共演を重ねる。カテリーナの森で、森全体を自らデザインし、自然環境と人、音楽やアートと暮らしの融合をテーマにした音楽祭”Sing Bird Concert”を14年間主催してきた。その活動は多くの共感者を集め、地域からの表現発信の核となっている。
写真家・川内倫子とともに映像作品を制作。
2019年 baobab+haruka nakamura名義で「カナタ」を発表。
2022年5月、スコットランドツアーを敢行。
2024年 baobab 20周年の節目に土着をテーマにした待望のフルアルバム『かぜつちうた』を発表した。

◎ エリ・リャオ

https://eriliao.jimdofree.com

台湾・台北生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院から、コロンビア大学大学院芸術学科に編入。ルーツである台湾・タイヤル族についての研究をやめて、ずっと一番好きだった、歌をうたうことを人生のメインにと中退。
歌うのは、生まれ育った台湾の歌、日本の歌。新しい歌、古い歌。ジャズ、ポップス、ボサノバ、外国民謡、ニューヨークで習ったジャズ、沖縄・日本の民謡。自分のうた、友人のうた、すごいうた、言葉のないただの声 …. 好きな “うた” たち全部。



◎ ファルコン
(ハルカストリングス)
https://falconguitar.jimdofree.com

ボーダレスな分野で活躍するギタリストファルコン。
彼がコンボーズしエリ・リャオが歌う「ハルカストリング」は、ヴァイオリニストのマレー飛鳥主催の飛鳥ストリングス3名を迎え結成。エリ・リャオによる多言語の歌唱と多様な弦楽器が織りなすフォークロアな世界観を表現する室内楽編成のユニットとして、その演奏に出会ったすべての人に異次元の感動を与えています。2023年1st.アルバム『風の中の夢』を発表。