15年

1995の3月19日は朝から冷たい雨だったけど
ラブタンバリンズの渋谷公会堂でのLIVEが終わる頃には雨も上がり
都内での家を失っていたボクは
腐った渋谷で腐ったカラオケやって友人の部屋で腐った時を過ごして
明けて
朝
1995の320で変わってしまったものは
2001の911で変わってしまったものと
比べるべくも無く
ただ心に抱えた時限爆弾のようにして
今もカチコチと時を刻んでいるなあ
そしてボクらが立ち返らなければならぬのは
もしくは
イマジネーションの置き所として永遠であるべきことは
地下鉄サリンのずっと以前に殺されてしまった坂本弁護士ご一家の
坂本都子さんがお母様に送られた手紙
http://www005.upp.so-net.ne.jp/satoko-kikin/tegami.html
(以前にも紹介したことあるけれど是非読まれてください)
こんな中にあるのだと思う
松本某の貧困なイマジネーションが
なんでもない市井の人の豊かなイマジネーションを
消し去ってしまったグロテスクさ
ボクの絵と生き方の師である長沢節が
ポンと置かれていた麻原彰晃が表紙の週刊朝日をみつけ
「そんな下品な顔したもの、ボクに見せないで!」と怒っていた姿が
可笑しく思い出されます
そして
本質ってそんなことだよな〜ってね
結局マスコミだって朝原の顔使って視聴率稼いでいたわけで
「そんなもの見たく無い」と一瞥した長沢節という美意識を
1999に失ってしまった後の世界にボクは生きている
そんな中で
1984に立ち返った村上春樹さん
その視線に創造する人としての信頼を感じます
つぶやいてばかりの2010は
オウムがうごめき出した1984に似ているなあ
そんな話でもあります
忌まわしい事件の被害にあわれた方や
(テレビをつけていただけでも立派な被害者!)
そのご家族はじめ愛すべき人々の明日が
わずかで心やすらかなものでありますよう
ボクらは当たり前のイマジネーションが生きてゆける世界を
守り育んでゆかねばだ

前日は虎ノ門で姉の結婚式があり、明けて翌日あの事件
一日ちがえば事件に巻き込まれていたことを思い、紙一重の中で生活を
していることを深く感じたとき
その年は阪神大震災もあり今までにない大きなことが重なり、当時仕事を
していなかったこともあってしばらく外出もできなくなり、ひきこもり気味の
生活を過ごした記憶が今も残っています
今週も連休明けから東横線の人身事故に遭遇し、やっとの思いでタクシーで帰宅
ことばにならないモヤモヤ感は日々いろんなところで感じつつ
それでも小さなたのしみを見つけていきたいとおもいます
>migさん。
オウムや阪神淡路の1995
ボクは被害にあわれた方に対して
どれだけのイマジネーション置いて考えることが出来るのか
その至らなさ加減を日々の生活の中で
ちょっとづつだけどもいいからを積み重ねてゆこうと思います
「あんな事件に負けてたまるか」みたいな気持だし
事件を風化させてなるものか!だし
なによりも
今でも苦しんでいる人がいる社会であるという
リアリズムの中で生きていたいと思うのです