130ヶ月め
今日は2011年3月11日から3,959日、
565週4日
10年10ヶ月
130回めの11日です。
昨年末、吉祥寺のにじ画廊で開催した花の絵の展覧会「花とラブレター」
12月28日の最終日から2週間が経ち、
お客様やお力添えくださった皆さんからコロナ感染の報告は無く、
まずは無事に終えたことを有り難く感じております。
2階にあるギャラリーの換気のために、1階の雑貨店スペースのドアを開けっ放しにして、
寒さに耐えながらも現場を美しく守り続けてくれたスタッフの3人。ありがとね〜!
ほんと多くの方に足を運んでいただけたことに心より感謝します。それでも、
1日の中でフとお客様が途切れる時間があります。
2008年に仕事のあり方を変えてしまわねばと考え、
いくつかの今に繋がる出会いをきっかけに描き始めた花の絵。
12月に生まれた息子の成長と共に育ててきた花の絵。
2011年3月11日には青森のコノハト茶葉店の夜の暗さの中で咲き、
4月に吉祥寺にじ画廊にたどり着いた花の絵は、
「人は絵というものを必要としているのだ」ということをボクに教えてくれ、
震災を目の前にしても、心をフリーズさせることなく絵を描く必然を与えてくれ、
ボクを東北方面に弾き飛ばす力にもなりました。
何より、今暮らしている渋谷区の街の地べたに向ける視線が生まれ、
コロナの世界でも描くべきものを失うことない自分を育ててくれ、
10年後の吉祥寺にたどり着いた花の絵でした。
振り返ればつい先日のことのように、今も自分の中で息づいていることです。
もともと売るために描いているわけでは無い花の絵ですが、
にじ画廊でご縁をいただき旅立つことには、
ご購入いただく方と花の絵とで確かな物語があるように感じました。
店長のHさんも「カツブシのような絵」をひとつ。
彼女が現場に注いでくれた愛のおかげで生まれた「花の絵と人の物語」というものが、
確かにありました。そんな花の絵をめぐる物語は、やはりボクの明日を生きる力になるはずだし、
そうしてゆかねばならないとも思います。
今自分が作ることの出来る最も美しいものを創れた実感がありますが、
これもまた懐かしむことなく、次に繋げてゆきますね。。
Hさん、これからもこの展覧会に注いでくれたように、
Hさんらしい仕事を重ねていってくださいね〜
それで救われる人は、少なからずいますね。
以下、2008年7月9日に書いたブログ。
大阪の喫茶ロカリテの店主さんに連れられ、初めて那須のSHOZO COFFEE に行った直後に書きました。
花の絵の発火点をあらためて発見し、あの時の新鮮な気持ちが今も変わらずあることを嬉しく思いました。
イラストレーターとしての仕事のあり方、
思いっきり見直さなきゃならない時代であるな~と思っています。
これは音楽業界などに起こっていることと同じなんだけど、
それに比べたらあまりにも市場規模が小さいからね、
うかうかしてたらプイッと吹き飛ばされて終わりです。
絵を描くことのホトンドの仕事は「見る」って作業であると、
ボクは思うのですね。
そんなわけで日々見てます。
身体がついて行く限りは歩いたりもしてね。
街や人の間に在ってボクの創るものがどんな役割を果たせるのか?
興味はつきないですね。
中野
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=680245
沼津
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=682007
那須
http://amigos.yakuin-records.com/?eid=682769
12月27日はキャンドルナイトでした。
震災直後の暗闇で考えたことを忘れずにいたいと思い、
大切な友人で、最近ソロアルバムを発表し、音楽の現場に帰ってきたチェルさんをお呼びし、
静かな時を共にし、これから生きるのに必要なものを想像した時間です。
それはこの10年で最も自分らしい行為のように感じました。
以下は震災から数日後に「灯」とタイトルをつけて書いたブログです。
東京は相変わらず余震が続き
しかし
いつもと変わらぬ日々が続いています
昨日は井の頭通りでハナミズキが咲いているのを見ました
甚大な被害を受けた土地にも春は来るね
被災地で闘っているみなさん
今日からしばらく続く寒さに凍えませんよう
痛みや悲しみがちょっとでも癒されますよう
被災地から離れたミンナからは
「なにか出来ないか」という多くの声が届けられます
そのたびにボクは
「いま在る場所の灯りであるように」と伝えています
被災地から遠く離れ
震災の直接的な被害に遭わなくても
心を痛める人がたくさんいます
メデイアやネットからは
それこそ津波のようにしてショッキングな情報が押し寄せ
無責任な“つぶやき”とか蛮勇きわまりない言葉に呑み込まれたり
もしくはポジティブで力強い言葉に対してさえ
「ワタシハナニモデキナイ」てね
気持ちを押しつぶしてしまう
心の二次災害に巻き込まれているように感じています
身近な方で
わけもわからずナミダを流してしまっている人はいないだろうか?
生きる気力を削がれそうになってしまう人はいないだろうか?
そんなヒトリに出会った時
「ともかくボクらは頑張らなければ!」なんて言葉と共に
被災者と比べてしまったりしないだろうか?
PTSDの判断を素人がするのは危険なのかもしれないけれど
それでも
恐怖にナミダすのは
生き物として当たり前の防衛反応だよね
ナミダは決してネガティブなモノじゃないぜってね
ただただ話を聞いてあげたり
温かな食べものや飲み物を一緒にとったり
みなさんが今生活されている場所で
小さな温もりを手渡たしてこうよ
優し過ぎてチッポケで傷つきやすいヒトリだからこそ
気がつきやれることはあるんだ
無理せず1コ1コ
そんな
地震との闘い方もあるように感じています
1人ヒトリが今在る場所の灯でありますよう
今まで生きて来た中で最大の優しさでもって
身近な愛しい人に小さな熱を手渡してゆこう
やれやれ
すごく遠い道のりだけど
しかし
それが廻り廻って被災地にも日本にも世界にも
希望の灯りをともしてゆくことだと信じています
今元気な人
一緒に闘おう!
今心が折れてしまっている人
その辺に春が近づいてきてるぜ
ゆっくり
小さな温もりを絶やさぬよう育ててゆこうぜ
アミイゴ
2011
PEACE!!
そして、
震災の直後の吉祥寺にじ画廊で開催した花の絵の展覧会「その辺でさいていた花」
最終日直後に書いたブログ。
吉祥寺にじ画廊でのボクの個展
「その辺に咲いていた花」
そして
ワークショップ&LIVE「灯」
昨日の20時まで咲き続き
静かに終わりました
想像をはるかに越えたお客様に足を運んで頂き
さらに想像を越えたウレシいお言葉を預けて頂き
次に進む力を得たと共に
これから何を描きどう生きてゆくのか
ハッキリとした手応えとして掴むことが出来ました
ありがとうございました
お1人おひとりへのお礼は
ちょっと時間をかけて必ず
今は頂いた身に余るLOVEを
東北の地に注ぐことを考えています
展覧会期間を通して感じ考えたこと
後ほどコトバにしてみます
東京から遠くに住まわれる多くの方と
懇意にさせてもらっていますが
ほとんどの方が来れなかった時間であります
こういったことを東京で開催することで
お気持ちに格差を作らぬこと
これはイラストレーターとしての使命として
これからも取組んでゆこうとも思います
そして
今まで以上に気持ちの敷居を感じさせない場所と作品を創り
その辺で生きてゆこうと思います
コロナ感染がひと息ついたような瞬間での開催となった展覧会は、
喧騒の吉祥寺の街と壁ひとつ隔て、
心の静けさを求める人たちと静かに語り合える場所として機能出来たはずだし、
ボクが作ろうと思うものは、そうした人たちがひと息つき、
なにか大切なことを語り合うことの出来る、なんちゃーなく美しいものなんだと、
あらためて確認することが出来ました。
被災した故郷岩手県大船渡の力になりたいとUターンするSさん。
彼女からうかがった被災の記憶は、
いくつかの花の絵を生み、
これからさらに花の絵を生み続けるはずです。
そう出来るよう、お互い元気でいようぜ!
この空間に含まれたすべての人が、
この展覧会の作品のようであったと思えた時。
そしてすべての花の絵が、
これまで出会ってきた愛しき人の姿と重なった愛しき時。