マザーアート/ファーザーちんこ
岡山の美作(みまさか)の湯郷と上山地区を結び
今年から開催されるマザー・アート・フェスティバル
そのオープニングイベントで絵を描くワークショップで参加しました。
声をかけてくれたのは
10年前まで東京でボクのイベントを手伝ってくれてたトビくん。
34歳になった彼の目論みはきっと、
ワークショップだけでなかったはず。
家族の事情でイベント前日に現地入り、
10月5日の本番後最終の新幹線で帰ってくるという、
せわしない参加になってしまいましたが、
想像を超えて得るものが大きかった2日間となりました。
美作へは新幹線で岡山まで
そこから山陽本線で30分戻る感じで和気駅まで。
東京から博多まで新幹線移動する際
ボクの私感では1番のんびりとした風景が続く辺り。
そこから吉井川に沿ってさらに内陸へ。
以前うかがった岡山市が
そもそものんびりした良いところだったからな〜
こんな土地で人がどんな営みをしてきたのか
ちょっとでも感じられたらだね。
和気にはアートフェスの主催者で
会場の一部となる上山地区の大芦高原雲海という温泉施設の
リニューアル改修に取り組んでいるきゃしゅれさんが迎えに来てくれたので、
会場までの道のり、標高500メートルの現地まで質問攻め。
棚田で有名な上山地区だけど
そこに水を供給するため池は古墳時代に造られていたとのこと。
日本を旅すると、都市生活社から見て「厳しい土地」で暮らす人々に出会い、
「なぜ人はこんな土地で暮らそうとしたんだろう」て疑問が
畏敬の念と共にわき上がることがあるけれど、
その中でも、山間の土地に棚田をこさえていった人のことを想像するのは、
棚田をこさえた人は「米を食いたかったんだろうな〜」とか、
もしくは、この土地を選ばざるを得なかった言葉にならぬ事情とか、
単純にその想像を超えた労力に目眩を憶えたり、
人間の魅力や業の芯に触れらることばかり。
現地に着いたらさっそく山道を5kmほど走ってみたけれど、
今ボクが観ている風景は、
そのままここを切り開いた人々が見た風景と一緒なんだな〜
ボクは今古墳時代に立っているんだ!という感慨。
東日本大震災後、被災した土地に戻ろうとする人たちに対して、
ボクたちは実に簡単に「なぜそんな場所に戻るんだろう?」
という疑問を投げかけてしまうのだけど、
そこにはもちろん行政や経済といったタフな問題もあるのだけれど、
その土地で生きなければ手に出来ない美しさが、
人を土地に執着させるモチベーションにもなるよな〜なんてこと、
夕暮れ色に染まってゆく中国山地のなだらかな山々の稜線を眺め、
気づき、確信しました。
マザーアートフェスティバルは初回ということもあり、
手探りの部分も多いはずですが、
11月4日の会期終了までユックリ育ってゆくものなんだと思いました。
そもそものテーマが「里山資本主義」だったり「小規模循環型社会の創造」だったり。
この土地の持っている力や豊かさ、
そこで暮らす人たちに穏やかな気質や、
子供たちの元気さなんてものに触れることこそ、
今必要とされるアートなんじゃないかな〜と。
この2日間で口にしたもののほとんどが、
この土地で採れた(獲れた)ものばかり。
そこに人の真っ当な技術が施され、
ほんと美味しく仕上げてありました。
本来この土地が持っていた力を
あらためて確認して復興させてゆく
アートが目的なのではなく
手段のひとつなんだよね。
そのための「マザー」
オープニングイベントを企画したトビくんたちのチームも、
地元出身の人と地方から入ってきた人のバランスが絶妙に良くて、
そんな彼らが企画したライブも『地産地消の音楽』と言えるもの。
ライブなんてもんが
事前に情報を得てそれを確認する現場になってしまっている今
久々想像もしなかった表現にボコボコ出会えたブッキングでした。
あれこれ突っ込みどころもあるけれど、
しかし、東京ではゼッタに手に入らないもの。
トビの野郎、オレにこんなこと言わせるために呼んだか?
いやいや、そんな思いも寄らぬ表現の数々が
破綻することなく並べられていったのは、
トビくんはじめみんなのLOVEだったよね。
表現者だけでなく、
それをささえるみんなの力があるから、
ボクにも伝わった。
そんな中
奇跡のように響いたのが
ボクが今回唯一紹介した東京からの参加者 mueの音楽。
雨が降って野外での開催が急遽体育館に変更。
そんなわけでお客様も残念ながら少なかったはず。
それでも、一日を通して表現された土地の音楽の先で、
東京から来たmueという人の音楽が実にシンプルに鳴り、
実に複雑に土地や人と共鳴した。
ひとつ前のブログで「ハナレグミ最高」な感じで書いたけど、
ギター一本で唄うmueから受けた音楽は、
なにかと比較することを超越して圧巻だった。
(ヒトリでU2のメンバー3人分くらいの世界感を表現してた)
うん、
トビくん、よくぞボクに声をかけてくれ、
mueを受け入れてくれたね!
思惑通りにゆかないことばかりだったろうけど、
しかし、可能性は無限のように感じた彼らの試み。
ただ、無限の輪に東京的な価値観が含まれたり、
TPPがどう関わってくるのかとか、
イッコイッコ向き合い検証してゆかねばだろうし、
たとえば、
和気からこの土地に至るまでの道のり、
立派な温泉施設が待っているわりに、
今ひとつ「来てもらいたい」という気持ちの伝わらない
沿道の空気感とかの不思議さの正体、
そんなものとも闘ってゆかねばならないだろう。
それでも目指すのは「この土地ならでは」だよね。
地方でたびたび耳にした「東京並みの豊かさ」
目指すのはそっちなのか?
豊かさの正体を確認するためにも
この日ボクみたいなよそ者を必要としたのかもね。
イベント前夜の飲み会で
ボランティアで参加していた東大に通う聡明なにいちゃんと話していたら、
「今の日本の社会はレイヤーのようになっていて、人は自分の所属するレイヤーに含まれ生きざるを得ない」
みたいなイメージを持っているようで、
それがとてもオモシロかった。
そのレイヤー構造の社会の善し悪しが問題ではなく、
ハタチそこそこのにいちゃんがそう認識して生きていること、
それに気がつけたことがデカい。
彼は大学を休学して、里山資本主義を造る実験村みたいなとこに
「レイヤーをまたいで」参加するとのこと。
なるほど、ではイラストレーションは?とか、
音楽や唄は?とか、
一気に考えが巡って上手く話がまとめられなかったんだけど、
(酒も相当血管を巡っていた、、)
自分の価値観を「イラストレーター」や「デザイン」
もしくは「都市型の経済原理」「東京並みの豊かさ」というレイヤーの折り重なりに置くのか、
いやいや、足場をいくつものレイヤーに求め、
違う価値観のレイヤーを超えて、人と人とを接着させるような作品のあり方を模索してゆくのか、
オレはきっとこうだろうなあ〜
そんなことを考えた夜
そんな考えにふける余地を与えてくれた
美作の若き人々の群像は
まだまだ磨いて光らせる価値のあるものだと思ったぜ
そんなわけで
これからもよろしくね〜!
あ、
ボクのワークショップのことを書き忘れている、、
岡山の子供たちはとても元気だけどとてもシャイ。
しかし、絵を描き始めたら、ともかく元気!
絵を描くその表情は日本中共通なんだね〜。
ほんと、最初の一歩のきっかけ次第で、
笑顔の花が咲くんだよね。
その一歩を作るのは、
マザーではなく「とーちゃん」かもだな〜。
「ちんこ」「しっこ」「うん○」が好きのコドモたち。
そんな人の揺らぎみたいなところに
もっと無責任に人間をさらして良いのではないかな?
日本のファーザー
その辺がひとつの結論
よーし、
みんなー、また会おう!
また思いっきり絵を描こーぜー!!
で、そうそう、
往復の新幹線では、春に買ったまま読む暇のなかった
村上春樹さんの「色彩を持たない多先つくると、彼の巡礼の年」を
や〜〜っとこ読むことができた。
ありがとー!美作