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ぐんま愛「LOVE まえばし」

2025 年 11 月 26 日 水曜日


2025年11月26日発行の上毛新聞に掲載の「ぐんま愛」
群馬県内の自治体がシティープロモーションを行うページで、前橋市の今を伝えるべく、取材、編集、イラストレーション、デザインを担当しました。

前橋市ビジョン「めぶく。前橋市」策定から10年目というタイミングで(「めぶく。」の発案は前橋市出身の糸井重里さん)、今回は市の未来創造部・広報ブランド戦略課のスタッフが前橋の今を現す4つのテーマ、「まちなか」「移住」「インクルーシブ」「農業」それぞれのテーマに適任と思われる方をピックアップ。ひとテーマ2組の方が対談を行う形でのインタビューとして、ボクにオファーがありました。

この時点でこのページで何をやるべきなのか答えは出ていたはずですが、ボクも加わった後も丁寧なミーティングを重ねてくれたことで、「今のまえばし」を伝えるには、前橋に暮らす人の生きた言葉にスポットを当てたらいいだろうと直感しました。

そうして行った4度のインタビューは、自然とトークセッションのようなスタイルとなり、「さびれた」と言われた10年前の前橋と、「面白そうだね」と言われ始めている今の前橋とを繋ぎ、10年後の前橋を想像させてくれる「言葉」に出会うことが出来ました。

というわけで、暑すぎた夏の終わりの4つのセッションを、製作ノート的に振り返ってみますね。

その前に自分について。


群馬県旧勢多郡粕川村に生まれ育ったボクは、子どもの頃に前橋の街に行くのがとても好きな子どもでした。でまあ色々あって、高校は桐生の方へ。そして大学進学のため群馬を出ます。
その後大学は中退し、長澤 節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学び始めた自分にとって、前橋は変わらず「綺麗な街だなあ〜」と恋心を抱き続けた存在でした。
しかし、バブル期の前橋の変化に疑問を持ち(これは前橋に限らず、日本のスベテの場所に対してだけど)1990年代後半以降、前橋の「まちなか」が寂れてゆく姿に喪失感を抱くようになります。
ふと気がつけば、故郷の粕川も前橋市に組み込まれ、見慣れた前橋市の独楽のような形も、赤城山大沼からこぼれ落ちるデッカいナミダのような形に変わっていて…

そんな喪失感は、その後ボクが日本各地の街を歩いたり、なんならその土地の方と協働でイベントを創ったり、理想の街のあり方を求め障害者施設とのコラボをしてみたり、震災後は東北を歩いたり、何よりローカルに暮らす多くの愛しき人々と出会うモチベーションになったのであろうと、今になって気がついています。(ちなみに、まだ行けていない都道府県は高知県だけ…)

長年見失っていたような前橋ですが、2018年春に父が亡くなる前後で足繁く通ったことで、前橋の再発見が始まります。
近年のまちなかでの動きは魅力的なものであり、そんな流れがあったからこそ、2023年にはまちなかで閉店した陶器屋さんで個展開催。街作りに関わる多くの人と出会います。今年5~6月には”前橋サバービア”敷島のフリッツアートセンターで展覧会を開催するため、前橋を歩き倒し、99枚のスケッチ作品を描き『ボクの知らない前橋』を体に刻み込むようなことをしました。

そんな経験を通し、今回の取材は「ボクは今の前橋を知らない」という前提で行っています。。

session 1_9月9日「インクルーシブ」
SHOP CAFÉ Qu 千木良真弓さん × 障害福祉サービス事業所「麦わら屋」 小野介也さん
道の駅まえばし赤城 SHOP CAFÉ Qu にて。

千木良さん、2024年の能登半島地震発災後、ボクが製作した復興支援用のポストカード利用を希望された方だったんだ。
というわけで、「心の2度めまして」のご挨拶をした千木良さん、ボクは勝手に男性と思っていたんよ。。
やっぱ人には会わねばならないね〜。

で、麦わら屋を運営される小野さんも、千木良さんとは前橋の街のあちこちですれ違っているはずなんだが、こうしてお話をするのは初めて?

障害者福祉の現場では、お互いどんな言葉を使うのか気にするところから会話が始まったりするんだけど、その部分を自分が先回りすることなく、なんなら訂正してもらうくらいの方がリアルに人が感じられるだろうと。ボケボケと質問を繰り返す自分に、お二人がとても真摯に答えてくれたことで、徐々に会話に熱が帯びて行きました。

そんなセッションの中で溢れた言葉、小野さんが理想と思う施設を運営する上で「前橋の”小ささ”に救われた」ということと、福祉ショップ立ち上げの店長に大抜擢された千木良さんの「当時は街を歩く人が”少なくて”、しかし、だからこそ多くの方とじっくり話すことができ、前橋の面白さに気がつけた」という言葉。

「小さい」「少ない」というネガティブに響く言葉を『若い人の軽やかなマインドでポジティブなものに変えられた10年』というものに、今の前橋の面白さが濃縮されているように思いました。

お二人とのお話は興味深いものばかりで1時間以上続きましたが、新聞紙上では600~700文字ほどに纏めなければなりません。紙面で伝えきらなかった部分で特に面白かったのは、お二人それぞれが福祉の世界に入ってゆく発火点の部分。
大学の専攻はそれぞれ福祉に関係無いものだったけど、それぞれ期せずして起きた障害のある方と触れ合いを、ポジティブに、もうちょっと言えば「当たり前のこと」と思えたことで、その人なりの人生が生まれたこと。
その発火点を語る姿に気負いは感じられず、実に軽やか。もうちょっと言っちゃえばオシャレ。時代が違えばロックスターになっていた?そんなことをボクに思わせてくれるボクより若い二人の存在が嬉しくってね。

『こんなマインドを持つ人が育つ土壌が前橋には ある』そう自信を持って言える日が来ることを想像しつつ、この企画で表現するべきことは『人こそ前橋の希望だ!』ということなんだろうと。取材の軸が見つけられたありがたい時間となりました。

そして、
この取材がきっかけとなり、来年2月14日にQu でインクルーシブなアートワークショップを開催することになりましたよ〜!

session 2_9月11日 17:00~「まちなか」
レストラン・モモヤ 森田和子さん × 高校一年のHさん
パーラーレストラン・モモヤにて。


「あ、写真は出さないでください」
「あと名前も」
前橋市内の高校一年生、16歳女子から対談を前に伝えられたお願いに一瞬フリーズ。
しかし秒で「わかったよ〜」「うちの息子も同い年、高一だからね、そういうのわかる。」「うん、なんとかなる、なんとか。」と切り返す。

10年前、小学一年生のHさんは、お父さんの仕事の関係で東京の世田谷から前橋に移住。
この日の対談相手、レストラン・モモヤの森田和子さん(現在78歳)と過去の(2017年)上毛新聞のこの企画ページに登場。
当時小学2年生だったHさんのことを「元気でよく喋る子だったよね〜」と嬉しそうに語り、対談スタート。

自分は心の中で「紙面のビジュアルどうしよう??」と考えつつも、Hさんの10年の変化こそ、この企画に確かな言葉を与えてくれるんだと確信し、相変わらずボケボケと質問をしてゆきました。

そうすると、これは本紙でも書いていますが、学校帰りで疲れた16歳を労るように、和子さんが優しく語り続けた「わたしの前橋」クロニクルが沁みるんだ…
ボクの生まれ育った世界的な養蚕地帯の郡部から、仕事を頑張った人たちが上毛電鉄に乗って前橋の街へ。そこで1人ひとりの幸せを謳歌していた『人の湧き立つ1970年代の前橋まちなか』。嗚呼、これこそが自分の愛した前橋。
なんだが、今は未来方向を向かねばだよね。

そんなボクの危惧を吹き飛ばすHさんの言葉。
(この10年)「わたしは変わっていないけど、この辺はにぎやかになった」からの、
Hさんにとってこの10年の前橋は「東京じゃこの経験は出来なかった」と。
これは親御さん、和子さん始め地域の方々、学校や友人との良好な関係だったり、前橋が人に与えてくれる余白があってこその「経験」なんだろうと。

それをさらに裏付けてくれたのが和子さんの「前橋は温かく 優しい街です。」

自分は前橋の表層的な部分を見て「さびれた」とか「盛り上がっている」と語ってしまってはいないか?
前橋の街で人が生きるために空気を送り血をめぐらせているものがなんであるのか、この企画でボクが答えを出すわけにはいかず。しかし、この紙面に出会った人が考えてくれることが、前橋の未来を創るんだと確信した対談。

この紙面のデザインラフを見せた段階で、Hさんはお名前だけ解禁OKとなりました。
その辺は本紙で確かめてよ〜〜

session 3_9月16日 09:30~「農業」
いちご直売オヘロパパ 佐藤日向さん × バラ農家 大谷伸二さん*前橋バラ組合
いちご直売オヘロパパのビニールハウスにて。

28歳の若さで立派ないちご栽培農園を営む佐藤さんと、前橋を象徴する花「薔薇」の栽培で高い評価を得ている大谷さんの対談。
ですが、ほんとごめんなさい。
ボクは佐藤さんのイチゴを食べたことも、大谷さんの薔薇に触れたことも無い、そんな失礼な状態でお話をうかがわねばなりません。(新聞記事がリリースされる対談から2ヶ月ちょっと後も、イチゴが実る季節にあらず…)
これまでやってきた仕事では、食べた実感を持たぬ表現は避けてきた自分です。過去に渡辺麻里奈さんと雑誌Hanakoで食の連載をしていた4年間では、麻里奈さんかお店紹介の原稿が届いたら、締め切りまでの5日の中で実際に食べに行って、絵を描いていたんよね。(ギャラはすべて胃袋の中に消えました)

しょうがない、ほーんと「何も知らぬよそ者」としての自分で臨むしかなかった対談。

お二人とも職人気質の農家さんで、多くを語るより、本質的なことをズバ、ズバッと口にされる感じ。そんな興味深いワードに出会うたび、会話をスタートラインに戻しその意味を探る「もっさり」したボクの仕切りに、我慢強く付き合ってくださったのは、やはり日々植物と向き合うことを生業とされているからなんだろう。

対談の冒頭「なぜこの仕事を選んだのか?」に対し、佐藤さんは「東京で学ぶ選択肢もあったが、東京で働く人たちの姿を見て、自分がやるべき仕事では無い」と判断したとのこと。実際はもうちょっと辛辣な言葉で、東京もんの自分はうなだれつつも、これだけで前橋で農業を営む優位性が感じられるわけで、心の中で「よっし」とガッツポーズ。
そうした強い言葉に対し、大谷さんが「バラ生産者の仲間がボソッとくれるアドバイスに助けられる」と、やはりボソッと語ってくれたことに、そうだ、群馬の生産者は「ボソッと」良い話をされる方が多いイメージだったなあ〜と。子供の頃を思い出した自分です。

そんなアドバイスをくれる仲間がいちご生産の世界にはいるのか?佐藤さんに尋ねると、イチゴの仕事の繁忙期が重なるため、仲間同士で研鑽を高める場を作ることは難しく、そもそも同じ作り方をしても同じものは作れず。「自分はこの土地の気温差や風の吹き方などが武器になっている」と佐藤さん。
佐藤さん!この言葉頂きます。と前のめりになる自分。

そこに佐藤さんのパートナー、じゅんさんが現れて、この対談をニコニコして聞いてくれたので、お二人のなれそめを伺ってみると、終始「イチゴ色」に染まった甘酸っぱい話でね…
栃木から嫁いできたじゅんさんが、地域のみなさんに助けられていること。
さらに「(日向さんは)近所のおばあちゃんたちに守られているんです」って。

ああ、早くここのイチゴを食べたい!大谷さんが育てたバラを愛でたい!!
ボクのこんな気持ちが伝わる記事にしなくちゃって、1時間半もお時間を頂いたちゃった楽しい話を、500~700文字にまとめなければならないプレッシャーを感じた、美味しい対談でありました。

session 4_9月16日 13:30~「移住」
ラトリエブロカント 石井トニーさん・レイコさん × 株式会社望心(もこ) 望月 誠さん・藍さん。

L’atelier Brocanteのアトリエにて。

はじめまして、望月 誠さん、で、パートナーは「藍さん」ですね…
「えっ、愛と誠 じゃないですか!」などという軽口から始めた対談。

いや、「はじめまして」の場所、トニーさんとレイコさんが運営するフランスのアンティークを扱うアトリエ、ラトリエブロカントの美意識に溢れた空間に気後れしてるのは望月さんご夫婦だけでなく、ボクもだったんだよ〜

さらに「はじめまして」の2組のご夫婦の対談。お互いオープンに語ってもらうには?ということを考え続けた時間。

「移住」を決意する際、なんらかのネガティブな事象を乗り越えたこともあるでしょう。
4名の「人となり」を掴むために、細心の注意を働かせながら話を進めようとする自分ですが、そうするために過度な自分語りを繰り返してしまってるなと、ちょっと焦りながら会話を進めてました。
ただ、自分を語ることで、インタビューは5名のセッションに変わったなあと。

この企画の目論見は「移住から今に至る生活」を聞き出すということだと思いますが、それ以上のこと、「これから前橋がどういう姿であってもらいたいか」「わたしは前橋でどう生きたいのか」そんな1人ひとりのビジョンを共有するような時間になったのではと思います。

フランス生まれのトニーさんと前橋出身のレイコさんがイギリスで出会い、栃木の益子を拠点としたフランスアンティークを扱う仕事を行うも、東日本大震災を機にパリへ。その後家族のことを一番に考えた移住先が前橋であったこと。

埼玉の医療機関で長野出身の誠さんは藍さんと出会い、意気投合し、「お互いの生きやすさ」を尊重し移住相談会を経て前橋へ移住。お子さんを授かる。さらに家族のことを考えた誠さんは、在宅で仕事の可能なネット通販事業を始める。

そんな「移住クロニクル」な対談を通しひとつ気がついたのは、ネットでものを買うことが当たり前になったところで、群馬県の前橋市で仕事をして暮らすことの優位性が高まったのではということ。東京まで1時間半。赤城山はじめ群馬の豊かな自然へのアクセスが便利な前橋。海は無いけど、大きな自然災害のリスクは低い。家賃も東京から比べたら…(心で泣く自分です)

藍さんの「前橋の自然の中で無邪気な姿を見せる、昭和の夏休みのような風景に子育ての可能性を感じる」って言葉に、誠さんが「うん、うん」とうなずく風景が、前橋にとって可能性だなあ〜

レイコさんは「私たちが移住してしばらくすると、男性が前橋に戻ってくるようになった」と。
このまま使うと誤解を生むのではと、本紙ではニュアンスを変えています。
レイコさんが語ったことの本質は、「めぶく。」という前橋市ビジョンが策定された10年前辺りから、JINSの田中 仁さんを中心とした民間での街作りが活発になった前橋。それを面白く感じた人たちが、前橋の可能性に惹かれてUターンすることが増えた。それにより街のクリエイティブのクオリティが高まり、トニーさんとレイコさんが前橋を拠点にする意味も高めている。ということでしょう。(実際にボクも前橋に惹かれてこの対談を行なっている)

ただこれは始まったばかりのことだよね。

トニーさんに前橋ってどんな場所ですか?と尋ねると「まだまだ磨くべき場所」だって。
いいね〜!希望が無ければ語れない言葉。

日本で暮らす中、前橋が選択肢となること。こんな記事を通してでも多くの人に伝わるといいな。


この取材は、9月の3連休の前後で行いました。

それは同じく広報ブランド戦略課のスタッフが中心となり結成された「まえばし名刺プロジェクト」の取材を挟んだスケジュールで行いました。

前橋で暮らす人の「わたしのまえばし」を探り、取材し、260枚のスケッチを用意し、市役所職員による投票で100枚を選び、100枚の名刺の裏に100種類の「まえばしスケッチ」を施すというプロジェクト。

この取材に至るまで、市の職員と何度もセッションを重ね、「前橋とはなんであるのか?」を探求してきました。

この2のプロジェクトが交差したことで気がつくのは、前橋が有する「やさしい余白」に、前橋で暮らす人たちの幸せが息づいているんだろうなということ。

こうしてスケッチによるイラストレーション制作、編集、デザインを進めて行く上で、絶えず「やさしい余白」というものを意識。実際仕上がったものはなかなかの文字量ではありますが、 でも開いて出会う新聞紙面からは前橋らしい「やさしい余白」を感じてもらえるはずです。きっと。

そんなものを一緒に作り上げてくれた前橋市と上毛新聞のスタッフ、
そしてボクに真摯な話を聞かせてくださったみなさんに感謝いたします。

今はこのプロジェクトが手から離れて、ちょっと寂しいじゃねえか…

以上、
3ヶ月ほど費やして書いたラブレターのようなものを振り返ってみました。。

2025
1126
アミイゴ
PEACE!!

まえばしセッション3

2025 年 9 月 21 日 日曜日


群馬県前橋市のシティープロモーションにまつわるプロジェクトのためのセッション。
前回のセッション2から間をおかず、9月13~15日の連休を使い前橋市全域を取材。

「連休を使い」ということは、引き続き市のコアスタッフもボクも手弁当で活動です。

アップした写真は取材最終日、スタッフとの別れ際のスナップ。

自分が関わるものでこんな笑顔の風景が生まれるんだ〜!と気づいた、
そんの取材ができたんだと思います。

この取材を通してキャッチ出来た群馬県前橋市の魅力は「やさしい余白」

19歳の自分が後ろ脚で砂かけるようにして出た群馬。

それでも当時の前橋は美しく活気に満ちた街でした。
それが経済の波に呑まれ、この街のすべての美しさが失われてしまったような、
そんな喪失感ばかりを感じてしまっていた前橋。

でもそこに暮らす人たちと丁寧に向き合うと、
笑顔のスナップと共に、自分が居ても良いと思えるやさしい余白が見えてきた。

ボクはこれからそれを絵にしてゆくんだけど、
先回りして1枚描いてみました。

取材を共にしてきた人たちとのコミュニケーションが見せてくれる風景。

引き続き大切に描いてゆきます。

取材3DAYsの次の日は別件で2つの取材。

その後、あらためて前橋市のスタッフと振り返り。

そして
セッション3

多様性を抱える前橋の風景、自然や街や人から感じる色というものがありますが、
もっと踏み込んだパーソナルな色に出会いたく、

「忘れられない前橋のたべもの」というテーマでワークショップ。

9名の体に刻まれた色の記憶をお楽しみください。

亡くなった祖母が作ったきんぴらごぼうが忘れられない味です。辛めの味付けと、ごぼうがやわらかくなるまで煮てあったのを覚えています。再現しようと自分でも作ってみましたが、なかなかうまくいきません。
(注_おばあちゃんのキンピラが手の届かないところに行ってしまっているのを表現したそうです)

子供の頃地域のかるた大会や祭りに行くと、必ず登利平のお弁当が出てきて、あの味を食べるたびに懐かしい思い出を感じることができる。魂にきざみ込まれたお弁当です。

「焼肉」=「カルビ」だった若い頃、先輩に連れられて入ったホルモン焼屋で食べたホルモンが、衝撃的だった。

義母の作ったお赤飯が忘れられません。義母はとても料理が上手で、手ぎわ良く、たくさんの種類のご飯を作ってくれました。特に赤飯は実の母もべたぼめするほど!レシピを聞くと「てきとうだから」と言っていました。ですので作り方は不明です。亡くなった今はどう作ったのかもわかりませんが、また食べたいなあと、ふと義母を懐かしく思い出す時があります。義母の笑顔と、ほっこりふんわりもっちり赤飯。美味しい香り、楽しい食卓。

子どもの頃ばあちゃんが、おやつににぎってくれた塩むすび。
米を炊く水の味の記憶。

なかやで食べた「かつむすび・かつ丼」。食べる前はどんな味だか想像できなかったが、食べるとめちゃくちゃおいしかった。

オリオン通りの裏通りにあった小さなやきそば屋。おばあちゃんの焼くこうばしいソースににおい。季節に関係なく出される温かいおばん茶。柱時計の音。テレビもラジオもなく、ただおばあちゃんのやきそばを焼くヘラと鉄板の音だけ、空間も味も最高のごちそうだった。

シノザキの冷やしラーメン。混むから仕事を早く切り上げていく。寡黙なご主人と愛想の良い奥さん。店主の気分で「暑い」と思うと始まる。「涼しくなった」と思うと終わり。6年間で2年間は行った前日に終わっていた。異動しても食べたくなり、行ってみると看板がおろされていた。ネットで検索すると、バイク好きの店主が北海道のツーリング中に交通事故で亡くなっていた。もう2度と味わえない生姜入りの冷やしラーメン。

幼い頃、おばあちゃんが手打ちで打ったうどんが忘れられない味です。生地を踏むのを手伝ったり、機械に入れて麺にしたりする工程も良い思い出です。汁の味はけんちん汁です。

なんか鼻の奥の方がツンとする物語。
そして美味しそうな色した余白がキレイな絵だね〜。

そんなこんなの経験が見せてくれた風景をもうひとつ先回りシェア。

取材を終えた次の日の朝、ボクの前を駆け抜けた学生は自転車を思いっきり立ち漕ぎしていました。

上り坂でもなく向かい風もない街を、自転車立ち漕ぎ。

これは前橋でよく見かける風景です。(他の街ではあまり見かけないってことですね。)

思うに、
前橋の人たちの心にはいつも空っ風が吹いていて、それに向かって「エイ」と立ち漕ぐのだろうかね〜。

++

そんなこんなの言葉や絵のやり取りをしていたら、
取材を共にしたくれた前橋市役所スタッフ(名刺プロジェクトチーム)から
『俺様にも語らせてくれー!まえばし』が届けられたので、
自分が撮影した写真を返歌として添え、ここに掲載してみます。

しゃかりきM.K.さん
市内の取材を通じ、改めて前橋の歴史や景色、魅力を再発見することができました。
職員のみなさんの「とっておきの前橋」エピソードにはどれもその人オンリーの物語があり、あったかい気持ちになりました。アミイゴさんは単に絵を描くのではなく、人やモノの背景を大切に描いているのがわかりました。
より多くの人に伝わるといいなと思っています。

T.O.さん
前橋ってやっぱりおもしろい!というのが率直な感想です。それぞれの思いを感じながらの散策も非常に刺激的なものでした。この土地を離れて過ごしたこともあり、赤城山の雄大さに慰められたことを思い出して、愛おしい気持ちが更に強くなりました。みなさんも*ブラ・ミンゴしませんか?

*ブラ・ミンゴ_高低差好きのアミイゴの取材中の発言が”ブラタモリ的”であったことによる、空想TVプログラム。
Y.F.さん
今回の取材では、久しぶりに赤城山を訪れました。
市役所から見える「いつもの赤城山」も素敵ですが、実際に足を運び、いつもとは違う場所や視点から眺める赤城山、そして前橋の風景には、また違った魅力があることを改めて実感しました。
M.I.さん
2日間、取材に同行させていただきありがとうございました!
アミイゴさんとメンバーの皆さんとご一緒することで新しい発見がたくさんあり、今後の展開がますます楽しみになりました。
FBに載せていただいたねぎ畑の向こうに写る我が家の写真も美し過ぎて息を飲みました。
普段から見慣れた風景ですが、「これぞ故郷!」といった感じでとても新鮮でした。
今回の素敵な御縁に感謝しています。
M.H.さん
前橋の魅力とは何だろうと改めて考えさせられました。
普段の生活すぎて気にも止めていなかった前橋の風景が、
アミイゴさんの画角から見るとこんなにも素敵な場所だったのかと思う体験をさせていただきました。
I.I.さん
今回の取材で、生まれてから結婚するまでずっと前橋で暮らしていても、知らなかった前橋があること、新しい前橋ができていることが感じられてとても嬉しかったです。
特にマチナカは私のイメージと変わっていました。取材途中で出会ったカフェや商店の方々からは、この場所が「大好き」という気持ちが伝わってきて、明るい気持ちになりました。どんなイラストが出来上がるのか本当に楽しみです!

M.K.さん
今回の前橋探しで気づいたのは、探しきれないということ。車から降りて歩いてみるとどんどん新しい顔を見せてくれる。
微動だにしない静けさ、くたびれたような素朴な無表情、飛び跳ねるような躍動。
掴みきれない気まぐれさが、言葉わかんないけどなんだか深い。前橋の楽しみ方を、とうとう知ってしまいました。
M.H.さん
プロジェクトに参加したことで、こどものころからの前橋での思い出が走馬灯のように溢れてきて、特別な感情を味わうことができました。アミイゴさんと食べた「珍さん館」での味わいも一生忘れません!住んでいる高崎も好きだけど、子どものころから訪れている前橋も好きよ。
A.H.さん
この度ふとしたキッカケでプロジェクトに参加してみましたが、まず驚いたのはアミイゴさんのきさくなお人柄でした♪
初回から妙な親近感を覚え、みんなが一気にリラックスして楽しい雰囲気になったのを覚えています。
みんなの思い出の風景を巡るツアーでは、アミイゴさんの繊細な感性にも触れることが出来ました。
この体験から創作される一人ひとりに響く作品になることでしょう。今から完成が待ち遠しいです。

T.Y.さん
アミイゴさんと訪れた各所は懐かしくもありつつ、今の姿を見せてくれました。
よく通る道をほんの少し入るだけで、こんな姿が見れたんだと感心。
アミイゴさんの視点で語られる言葉・みんなから発する言葉と過ごしたその場は楽しかったです。
三日間参加したかったと思ったほど。

今まで見られなかった、見てこなかった景色を見ることができました。

絶対的に誇れるのが自然の多さ、空気の良さ。
高校を卒業して2度と戻らないと誓って上京した時もそれは誇れる好きなところでした。

結局は三年数ヶ月離れただけで、人生の半分以上をどっぷりつかっている前橋。

距離感が絶妙だなと。
人と人、自然と人、繁華街と住環境とか。
東京に行くと疲れてしまう。
適度な距離感、余白があるのだ。
余白はのりしろで伸びしろでもあるかと。
お互いののりしろを繋ぎ合わせて
広がっていける。

そんな余白があるのが前橋かと。
ふっと緩められる余裕があるのがここの良さかと。

それに気付かせてくださったアミイゴさんに感謝です。
私の名刺はあと7枚。
次はアミイゴさんの名刺を使う気満々です!完成を楽しみにしております!!

イケおじT.Y.さん

9月半ばの三連休。
前橋のすみずみを歩き、語り、見つめ続けた三日間は、あまりに濃く、あまりに深く、ひとつの小さな旅のようでした。
いや、旅というより、まるで日本中を巡ったかのような広がりを感じたのです。

生まれ育ち、暮らし続けてきたこの町が、角度を変えればこれほどまでに違う表情を魅せるとは。
その発見は、アミイゴさんと共に歩んでくれた仲間の声や笑顔の積み重ねによるもの。
そのひとつひとつに心から感謝しています。
前橋の「らしさ」に触れられたのは、まさに皆さんのおかげでした。

そして耳に残るのは、《まえばしプレイリスト by 小池ソウル》。
その旋律は、この三日間の記憶をやさしく呼び覚まし、未来の自分へと届けてくれるでしょう――。

なんだよ、みんな、、
俺を泣かせたって世界はちっともよくならんぜ…
この優しく温かな言葉たち、前橋のみなさんに届けてゆこう!

最後に、
この取材を通して「ふと聞きたくなった曲」
Apple Musicで「まえばしプレイリスト」としてシェアしています。

「夏なんです」はっぴいえんど

「生まれた街で」荒井由美

「花」藤井 風

「大空で抱きしめて」宇多田ヒカル

「So In Love」カーティス・メイフィールド

「ジェシカ」オールマン・ブラザース・バンド

「Two of Us」ビートルズ

「レット・イット・ブリード」ザ・ローリングストーンズ

「桜の時」aiko

「坂道」折坂悠太

「空も飛べるはず」スピッツ

「硝子の林檎」松田聖子

「愛し愛されて生きるのさ」小沢健二

「甘い運命」UA

「For What It’s Worth」バッファロー・スプリングフィールド

「My Little Town」ポール・サイモン(with アート・ガーファンクル)

「Snow」レッド・ホット・チリペッパーズ

「Sun It Rise」Fleet Foxes

「荒野」baobab

「River」ジョニ・ミッチェル

「365日の紙飛行機」AKB48

「The Final View」Nujabes

「夏の影」Mrs. Green Apple

「Sunday Morning」マルーン5

「オワリのはじまり」かりゆし58

「Summer」久石 譲

2025、暑い夏だったぜ…
そしてボクのハートは熱々のままだ。

などと遠くを見つめてる場合では無く、
ともかく作画、作画、作画っ!
引き続き尽力してまいります。

2025
アミイゴ
Peace!!!

 

前橋市役所セッション

2025 年 7 月 19 日 土曜日


7月14日群馬の前橋市役所の職員とのセッション。

6月29日まで前橋の敷島のフリッツアートセンターで開催していた展覧会「まえばしスケッチ」で、ボクからの『この絵を前橋市のシティプロモーションに使ってみませんか』という偉そうな提案を、市のスタッフがキャッチしてくれ意見交換。

そもそもこんなプロジェクトが実現可能なのか?
『コアグループになる得る人を募って探ってみよう!』というセッション One

集まってくださったのは15名。
まだ実現可能か分からない案件のため、就業時間外、仕事の終わった直後の1時間をいただき、ボクも経費含めギャラは辞退し、フラットな関係で膝突き合わせました。


前橋で一番高いビルは県庁の建物で、前橋市役所の庁舎はそれに続く高さです。
都内まで100km、関越道と東北道とのアクセスはスムースですが、上越新幹線の駅は隣の高崎市にあります。
北に赤城山を仰ぎ、西は榛名山、その間に轟々と利根川が流れ、人々の足元から南に向かって関東平野が広がる前橋市。
海はありませんが、”まちなか”を流れる広瀬川や、桃の木川などなどの河川も多く、「水と緑の街」をアイデンティにしています。郊外では米や野菜作り、養豚などが盛んです。

過去日本の一大養蚕地帯であった群馬に在って、前橋は生糸の集積地として栄えましたが、1945年8月5日の空襲により市街地のほとんどが灰燼に帰した過去を過去を持ちます。
戦後復興を果たし商都として発展するも、日本の社会構造の変化と、国内有数の車社会の影響、そもそも失われた30年の波を受け、1990年以降”まちなか”は衰退。
しかし、”めぶく“を合言葉に、ここ数年起きている「新たなまちづくり」の動きが、全国的に注目を浴びていたます。

人の気質は、「荒っぽい」と言われる群馬の中では穏やかな方で、文化的な嗜好を持つ方が多い印象でいます。

ボクがザクっと認識している前橋はこんな。

ちなみに、平成の大合併でボクが生まれ育った勢多郡粕川村も前橋市粕川町になりました。
それによって、自分も「前橋出身」と語られることになるのですが、今だに慣れません、、

その魅力はなんだろうか?
まずは対面で1人ひとりに聞いてみました。

すると、ほぼ自分の認識と重なった回答がありました。

ならば紙とペンを配って、
「ともかく思いつくだけの前橋の魅力を書いてみて〜」とブレインストーミング。

以下、

田んぼ
金色の稲
赤城
おいしい水
山、山、山、平地!!
ぜいたくな広さの駐車場

雷、そして ひょう
グリーンドームの道から見る花火大会
誰もいない児童館
工科大でやるトランポリン大会
るなぱあく の木馬
前橋公園の夜桜
すきま がある
朔太郎がいた
夕焼けがきれい
朝日もきれい
夜景もきれい
雷が多くて停電にドキッ
広瀬川は用水路 でもきれい
義理人情
ネコがいる街
人なつっこい
自転車で遊べる
おいしいものが多い
赤城山には龍がいる
景色が四季折々で楽しめる
自然とたわむれる街
るなぱあく の親子
雪に埋もれた小沼周り
敷島公園沿いの桜並木を写真撮影している人たち
敷島公園で野生化した猫の大群
馬場川通りの若者
焼きまんじゅう(原嶋屋)
中央児童公園
ばら園
赤城の旧料金所
中央通りの入り口
敷島公園のボート
利根川の河川敷
中央病院
広瀬川の柳
赤城山
上電
田園風景
臨江閣
豚が名産
るなぱあく
利根川
広瀬川
白井屋ホテル
ブルーボトルコーヒー
敷島公演(バラ)
GRASSA
自然豊か
医療機関が充実
野菜がもらえる
木馬
八幡山 たか
空気、水が美味しい
暑い
風が強い
女子高生 立ち漕ぎ
人情
るなぱあく
かけっこ
おばちゃんトーク
赤城山からの風
北を探す時は赤城山
いちご
「なっから」という言葉が好き

欅並木の緑
るなぱあく の木馬
原嶋屋の焼きまんじゅう
空っ風に自転車で向かう女子高生
裾野が長い赤城山
まちなかがしゃれてる
めしがうまい
ほどよく田舎
晴れが多い
自然がいっぱい
温泉が多い
夏の広瀬川
夕方の県立図書館
田植えの後の田んぼ(湖みたい)
カエルの鳴き声(大合唱)
新緑の柳(広瀬川)
おせっかい(良い意味で)
空っ風
かかあ天下(働き者)
県庁からの眺め
おいしい野菜
前橋ウイッチチーズ
職員は真面目
まちなかと山エリアの差
スローシティ
赤城山
広瀬川
アート
古い街並みと新しさ
空っ風
ウエルカム感
人の近さ
太陽の光を感じる
色の豊かさ(茶色)
欅並木

「前」と「橋」という陽時ティブな漢字
海に憧れてるのは共通
利根川の「ゴー」という音
利根川の石の大きさ
平野パノラマ
水田
水田のカエルの声

以上。

これをテキストマイニングすると。

 

面白いなあ〜

ここに上がったワードは、全部絵にしてみますよ!

が、
ボクが風景を描く際に大切にしているのは『そこに人の気配を感じられるか?』

ある土地を訪れて、素晴らしい風景に出会っても、その記録は写真でいいじゃん。
なんだけど、
だれかひとりでもいい、「愛しきひとり」に出会うことで、風景はボクにとって描くべき意味を持ちます。

今回のフリッツアートセンターでの展覧会も、
当初オーナーの小見さんと出会うことで、描くモチベーションをいただくも、
展覧会を通して出会った1人ひとりへの愛しい気持ちが、また自分に前橋を描かせ、
それまで描いたものを超えた愛しい絵が生まれ、展覧会を成長させました。

市の職員がボクをキャッチしてくれたのも、そこを感じてくれたからのはず。

なのであと一歩、今回の参加者に近づいてみるワークショップ。
「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋を教えてください」

これはずっと続けてきた一本の線を描くワークショップの形式で行いました。

以下。

次男の子守りで”さちの池”に遊びに行った時。
子どもの顔と景色が今でも鮮明に思い起こすことができ、幸せな時間だった。


仕事が終わった後に同級生と集まって、マックでMサイズのドリンクとポテトをつまみながら、
今日あった事やこれからなにをしたいか話して、夜の11時ぐらいに帰宅する。


私は中学生の時に、田んぼの道を部活の友達と赤い車に追いかけられながら走ったことが、
苦しくて楽しかった。


私は赤城山へ友達と登山に行きました。山の頂上から見た大沼と緑色の山々が本当にきれいでした。
沼から吹き上がる涼しい風が、登山後の汗をかいた体に心地よかったです。


私は、入職した年に初めてみこしに参加した時が楽しかった。


私は県外出身で、大学生の頃から前橋に住んでいますが、最近まで赤城山に登ったことがありませんでした。
職場の仲間5〜6人で初めて登山してみた景色。道中のコーヒー、滝のようにかいた汗が忘れられず、
その後登山の楽しさに触れ、色々な山に行くきっかけになりました。

私は、小学校の時に学校のマラソン大会で田んぼに落ちたけど、巻き返して一位を取れて嬉しかったです。

私は前橋市民文化会館で宝塚の公演をみて、客席降りてハイタッチしてもらって幸せでした。


小学生の頃、地域のまつり(子ども会)でのお祭り(太鼓の練習を3ヶ月前くらいからして山車に乗る)や、
上毛かるた大会に出場するため必死に練習したり、幼馴染みと過ごしたのが良い思い出です。


小学校の頃、先生に促されるまで放課後友達と校庭であそんだ帰り道、友達と用水路の葉っぱレースを初めて、
石爆弾を葉っぱに投げ合って、水の流れに沿って走っていたとき楽しかった!


雪の降り積もる中、「カーン」と竹の割れる音を布団の中で母と姉とじっとして聞く。
次はいつ割れるのであろうか?耳を澄まして待っている時。

部活の帰りに上り坂しかない道を「やいのやいの」他愛もないことを話しながら、
夕陽を浴びて歩いていた時。自然とだれかと過ごした時。


4月末ごろ近所を散歩していた時に、何も知らずに入ったら美味しくて、
お気に入りの居酒屋を発見した時。


同期と飲みに行ってふざけてる瞬間


子供の頃、自分の部屋から見える赤城山の、それはそれは深い緑の雄大な姿を、今でも強く思い出します。
その赤城山の色が、どんどん開発され、変化してしまったことを寂しく想います。


高校生の時の真冬、友人と2人で赤城山に向かって自転車をこいでいたら、
友人が風に煽られて田んぼに落ちた。


私が小学生の頃、前橋七夕まつりで七夕飾りをかきわけながら進んだこと。
妹と「キャーキャー」言いながら笑ったこと。


小さな頃に父と母と手をつないで夜の中央通り商店街を歩いた時、
人混みの中で何度もジャンプさせてもらい、街の灯りが揺れて見えたのが楽しかった。
(これはボクの思い出)

以上。

面白いね〜!
そして美しい。
色が紛れもなく前橋!

なにより、
市の職員15名から「楽しかった思い出」を聞いたら、
2人が「田んぼに落ちたこと」が楽しかったって!

このセッションの前日、
ボクは眼鏡のJINSを興した田中 仁さんからのお誘いを受け、
JINSの前橋サテライトオフィスに施設されたオブジェ「ばばっかわ男」のお披露目式に参加しました。

田中 仁さんは私財を投じ、民間主導で(もちろん官民連携で)アートによる前橋の再興を進めていて、
今回のオブジェをどのように考え製作設置したのか、作者の尾花賢一さんのお話と共に聞けることは、
とても貴重と思いました。

そんなお話の中で気になったのは、
「ばばっかわ男」に対し「気持ち悪い」という意見が少なからずあるとのこと。

自分から見ると、このオブジェは街の絶妙なポイントに置かれていて、
街に「気持ち良い不協和音」を与えてくれるなと。(JAZZ的な快感!)
そもそも造形自体「きもちわるカワイイ」(今の東アジア圏に通底する何か!)

スクエアに整備されがちな街に、山から転げ落ちてきた岩のような造形が加わることで、
街を歩く人が間接視野で捉える街が優しい印象に変わる効果があるだろうなと。
この作品とこの設置方法をポジティブに捉えました。

自分はビジュアルアートや音楽に関わってきたので、こうした捉え方の出来るアート脳が育っているから、
こうした捉え方が出来るんだろうと思います。

なので、前橋の街を利用する人が、こうした感覚を持てれば、街はもっとポジティブに発展するんだろう。
しかし、放っておいたら多くの人を取りこぼしてしまうのが「アートを使った〇〇」のようなプロジェクトだなと。

さて、どうしたらいいのか?なんて考え始めた次の日、この市役所のセッション。

集まったみなさんから掘り起こされた「楽しさ」と「ばばっかわ男の」造形が、
ボクの中では思いっきり重なったんよね。

ということは、
実は前橋に暮らす人の中に答えは埋まっているんだろうということ。

うん、もっと多くの「わたしが今まで一番楽しいと思った前橋」に出会ってみたい。

それを元に、必要なら取材して、絵にしたら、
それは今の前橋の、そして前橋に暮らす人の合わせ鏡のようなものになってくれるはず。

そこからボトムアップ的動きで、じゃあ何を誇りに思い、何を改善し、何を創造したらいいのか。
そんなエクスキューズを多くの人にシェアしやすい簡潔でリアル言葉で語ることが出来るんじゃないかと。

ちょっと壮大な話ではあるけれど、引き続き市のスタッフのコアグループの話し合い、
次にやるべきをことを導き出せたらいいなと考えています。

ところで、今回たくさん吐き出された言葉の中で、
「立ちこぎ」というワードに、何か前橋らしさを感じている自分です。

「まえばしスケッチ」謝辞

2025 年 7 月 2 日 水曜日


小池アミイゴ・イラストレーション展「まえばしスケッチ」
群馬の前橋の敷島のフリッツ_アートセンターでの5月10日から6月29日まで、50日間の会期を終えました。

まず、設営の際にお手伝い下さった群馬在住のイラストレーター丸山一葉さんと、今回のご縁の元となった2年前の前橋”まちなか”の陶器店「石渡」での展覧会を実現させてくれた石渡さんに感謝申し上げます。

アップした絵は、99枚のスケッチの中で唯一左手で描いた水仙の花の絵。

思い入れ深い前橋を描くことは、気になる風景に出会っては立ち止まり、自分を見つめるような作業。
ファイル名に「50」とある水仙の絵は、制作の折り返しで自分が抱えている「何か」を下すような作業だったかもしれません。

80年前の空襲で失われ、今は「平和町」と呼ばれる場所の、主を失った家の前で咲いていた水仙の花は、自分がこれから向かうべき方を向いてくれていたように思います。

あとの2枚は、
最後から4番目に描いた「県庁前でひとつ咲いていたコスモスの花」

そして最後に描いた「帰りの両毛線の中から見た前橋の街」

どちらも「あ、描きたい絵が描けた!」と思えた2枚です。

「こんな儚さが自分の前橋なのか」という発見と、
「この余白こそボクの愛する前橋なんだ」という確信を得られたことは、これから動き出す前橋での仕事に生かしてゆかねばです。

今回の展覧会では25点の絵がどなた様かの元に旅立ちました。
が、ここにアップした3枚は手元に残っています。

この価値観の余白を埋めるのか、色付けるのか、さらに広げるのか?
答えを急ぐことなく、さらに描く先で答えに出会えたらいいなと思っています。

思いがけず多くの方と出会え、多くの会話が生まれた展覧会。
久しぶりに会うことが出来た友人からは「小池は物静かだった」とか「何を考えているかわからなかった」とか「だいじょうぶかな?と心配していた」とか『あの頃の自』を教えてもらえて、19歳で後ろ足で砂をかけるようにして群馬を離れ、何者でも無い自分を振り回して生きた自分が、何者なのかちょっと確認出来たように思います。(てか、昔の友人が来てくれるんだ〜!)

などという展覧会。
この場と多くの出会いを与えてくださり、お互いの美意識のすり合わせから熱を起こしてくれた、フリッツ_アートセンターの小見さん、ならびにスタッフの皆さんに感謝申し上げます。

自分にとってフリッツでの展覧会は、展覧会というより、みんなで創ったLIVE。
本の森、baobab、エリ・リャオ&ファルコン、水と青、ドロップス、公園のおはなし会などなど、
ご一緒出来て、うれしかったぜ!

そのLIVEのアイをオーに変え LOVEへと育てて下さった、ここで出会ったすべてのみなさん。
愛してます。
ありがとう。

これは始まりの挨拶です。

20250510
20250629
アミイゴPEACE!!

171ヶ月め_前橋のこと

2025 年 6 月 11 日 水曜日


今日は2011年3月11日から5,206日
743週5日
14年3ヶ月
171回目の11日です。

アップした絵は、
現在群馬の前橋のフリッツアートセンターで開催中の展覧会「まえばしスケッチ」に追加展示した絵。

展覧会が始まって1週間後の5月17日、フリッツアートセンターでbaobabのコンサート
「かぜつちうた」を開催しました。

過去に何度かやってきたように音響を自分が担当し、
baobabが積み重ねてきたたことを大切に、お互い尊重し合いアイデアを出し合い、
この場所にアジャストさせたことで、フリッツという場所ならではのコンサートを目指します。

本番前には土砂降りだったの雨も上がり、リハーサルで高まった心の熱をちょっと冷ましておこうと、
マジックアワーの光に包まれた敷島を歩いてみました。

ああ、綺麗だなあ〜

池に浮かぶ白鳥ボートの可愛らしさ。
水道タンクとヒマラヤ杉が生む光と影の構図。
松林に斜めに差し込む光の帯の鮮烈さ。

人と志を共にし、ひとつの現場を創る作業は、
ボクに「美しいものをただ美しい」と思わせてくれる目を与えてくれるようです。

積もった松葉を踏んで歩く時の体が浮くような優しい感覚。
自分は今前橋を描いた展覧会を開催しているが、
その目の前に広がる風景を何一つとして描けていないと思う刹那。

直後に始まったbaobabのコンサートは、
やはりこの日この場所でしか生まれ得ぬ作品へと昇華しました。

あとは東京に戻り見たものを描くだけです。

baobabとは2008年に東京の渋谷で出会いました。

彼らの暮らしのある大分から車で移動しながらコンサートを続け、
最後に渋谷で開催していたボクのイベントに出てくれた。

その音楽に「若い兄妹が生きてきた時間だけがきっちり鳴っている」と直感し、
1ヶ月後に彼らの暮らす大分県、現在の杵築市山香という町まで足を運び、
森の中の古民家で半農の生活と、楽器作りや音楽活動を両立させる彼らの生き方に出会いました。

今振り返ると、その後に起きた東日本大震災に対しわずかでも正気を保ち向かってゆけたのは、
そんな彼らの暮らしに出会っていたことで、人間に対する希望を窒息させずにいられたからなんだと思います。

あの日から14年めの初夏、baobabと前橋でひとつの作品を創るような作業を出来て、
何かひとつ前進させることが出来たのではと思っています。


「まえばしスケッチ」という展覧会は5月10日から始まり6月29日が最終日で、
ちょうど1ヶ月が経ったところです。

baobabのコンサート以外でも在廊を繰り返し、来場される方と言葉を交わすことで、
自分のやっていることの意味がわかってきます。(自分はコンセプトを立てる前に体が動いてしまう)

より明快になったことは、
自分は前橋という街を喪失した心の痛みに対し、セルフケアのような作品制作をしている。
ということです。

子どもの頃に憧れたキラキラした街前橋は、バブル経済が弾けた頃から急速に寂れてゆく。
日本一の車社会と言われる群馬にあって前橋の市街地は、求心力を持つ観光スポットを持たず、
またその周辺に郊外型の大規模商業施設が出来たことや、人々の画一的な消費行動が進んだことで、
2000年代初頭には学校の教科書に「典型的なシャッター商店街」として掲載されるほどに凋落してしまう。

こうしたことは日本の各地で同時進行的に起きたことだけど、
それでも前橋の風景は、東京に出て「よそ者」となった自分でも心に傷のつくほどの凋落です。

これはボクの勝手な印象でしかないのですが、
『前橋という街は経済の津波にさらされ大切なものを流されてしまった』と。
実際、東日本で津波被害に遭った場所に立って「前橋みたいだ」と思ってしまったこともあります。

それでも「いつかボクの前橋を描かねば」と考え続けてきて、今回。

数年前より前橋をアートの力で更新させてゆこうという動きが生まれ、
多くの人が前橋に力を注ぐようになりました。
薄汚れて見えてた場所にやわらかな光が当たって見えるようにもなっています。

方や前橋の郊外である敷島では、
フリッツアートセンターという場所がオーナーの小見さんの美意識を保つ形で40年、
「敷島らしい」空気を模索しながらも醸成を続けています。

自分はそのふたつのエリア、前橋駅から街中を抜け広瀬川沿いに敷島までの5kmを歩いて、
目に止まるものを描くことで展覧会を作ってみようと考えました。

その5kmの途中に「平和町」と名付けられた街があります。
それは日本各地で、特に空襲による被害を受けた場所に対し与えられている町名です。

前橋では、現在の中心地の周辺部、街の賑わいの途切れたのどかな住宅街エリアが「平和町」です。

子どもの頃父から何度か前橋空襲の話は聞いていましたが、
こんなのんびりした場所まで爆弾を落とされたのか?という疑問から、
空襲被害に遭ったエリアを調べてみました。

ちょっと古い資料なので、
Googleマップに消失エリアを被せてみると、

なんと!
自分がボケ〜っと歩いている場所の半分は火の海だったのか、、

1945年8月5日の夜から6日の朝にかけて、
535名の命が失われ、6万人以上の人が焼き出された。
(その数時間後には広島で原爆が投下され、9日後には無条件降伏が国民に知らされる…)

自分が子どもの頃に憧れたあのキラキラした前橋は、
完全な焦土の上に再建された街だったんだと、あらためて…

わかっていたつもりだったけど、
自分は今回あらためてこの街を歩き、この街を自分の身体に刻み込むことで、
この街に暮らす人の視線に寄り添い、この街の何か美しきものを見つけようとしているんだろう。
それは自分の喪失感を癒す作業でもあるわけです。


人は焼け野原にボクが憧れたキラキラした街を造り、
焼け出されてしまったあるエリアを「平和町」と名付けた。

そんな街も経済の大津波に晒され、
ボク個人の感覚では喪失してしまった。

それでも視線をちょっと振ると、
どなたかの家の塀の脇に刈られずに残された小さな花と目があったりする。

そんなふうにして描いてきた絵を間に置いて、展覧会に来られた方と言葉を交わすと、
色々と気がつくことがあります。

まず、人が穏やかで優しいなあ〜ということ。
これは東京に出る前までに感じていたガラッパチさと随分印象が違います。
それはどうしたことか、さらに会話を重ねてみて、自分なりに考察してみました。

前橋は全国亭に有名で求心力のある観光スポットを持たない街、それも県庁所在地です。

過去には養蚕業から製糸業の核として、日本の経済を牽引する街でしたが、
昭和に入るあたりで失速し、戦争で街ごと焼かれてしまいます。

そんな歴史を振り返ってみると、
今回のスケッチは空襲に耐えて遺ったものを自然と街の象徴として描いてることに気づきます。

ともかく前橋は「何も無い」状態から、
ボクのような子どもが憧れるキラキラの街を再建させた。

そうした街を造るには、とてつもないパワーが必要とされるんだけど、
でも自分が憧れたキラキラ前橋はパワフルなだけでなく、優しかったように思い出されるんよね。

その優しさとは?
ともかく街を歩き続け、疲れた身体が気がついてくれたのは「余白」

過去の前橋には「誰でも居て良いと思わせる余白」あ、物理的にも心の領域にもあった。

メインの商店街を歩くと誰かと肩が触れちゃうくらいの人出でも、余白があった。

「誰でも」なので、ある意味清濁呑み込む街の懐の深さがあり、それは場合によっては危険も含むのだが、、

あれはもしかしたら、戦争で焼かれた街の人の心に宿り続けた刹那なる思いが、
他者に対しても「居ても良い場所」を与えていたのではなかっただろうか?

また、戦争による喪失は、街に暮らす人たちに文化に対する強い憧憬を生んだはず。
言葉に出来ぬ理不尽な出来事に無力を叩きつけられた人は、文学や芸術からその回答を得ようとします。

それはとてもパーソナルで静かな行いであり、そうしたものが徐々に束になってひとつの運動のように育っても、
大声で何か訴えるようなことでは無く、やはり静かに粘り強く続けられるようなものです。

ただ、ボクはそこから漂うほのかな香りのようなものに気がつき、
そこはかとない文化的に香りこそ前橋の魅力であると、幼いながらに気がついていたはずです。

父に連れて行かれたクラシックのコンサートや、母に連れられていった演劇などなど、
今振り返ればなんて凄い表現者たちを前橋は呼んでいたんだと思う。

 

そうしたものを高度経済成長期の最後の方にキャッチし、良きものと捉えるも、
世の中のほとんどの人が「中流」を意識し始めた80年代、
バブル前夜の前橋がどんどんと漂白され、表向きオシャレな装いを見せ始めたのには違和感を感じ、
ふと気づくと自分の居て良い場所が見えづらくなっていなかっただろうか。

古く使い勝手が悪いから「しょうがない」取り壊された前橋駅の駅舎のことを、
自分は事あるごとに個人的喪失として思い出したりしています。

もちろん「誰も」が住みやすい街づくりに、自分の憐憫の情など関係無いのだと思うのだけどね。
でもそも「誰も」がなんだか生きづらさを感じているのはなんでだろう?

そうして前述するように個人的な喪失を感じるほど衰退してしまった前橋の街ですが、
ここ数年で新たな魅力的な顔を見せるようになっています。

そこには、たとえば成功を収めたJINSの田中仁さんのような民間の力が投下したお金や発想、
そこに集う人の力、そこから育つ人の力、そして行政との噛み合わせの妙があります。

では、それはなぜ実現出来たのか考えてみると、
極論だけど前橋にお城が無かったことではないかななんて思うんよ。

立派なお城がある街の人は、その力を活かそうとする街づくりをするんだけど、
前橋には城が無い。

力強くアイデンテティとして語れる産業も、そもそも街そのものを空襲やバブルで失っている。

遺されたものは「危機意識」だけってくらいなんだけど、
しかし、お城のようなもの、極論すれば富士山のような象徴が無い分、
前橋の人は危機意識をエネルギーに、あとは何物にも囚われぬ軽やかな発想とマインドで、
新しい街作りに取り組めたんじゃないかな。

新しい街の姿がちょっとでも見えてきたら、
もともとの人の優しさが「あなたの居て良い場所」を可視化させる力を発揮させてくれる。

あれ?
もしかして前橋は「軽い」という言葉を今の日本に必要なポジティブなものに更新させ、
なんなら社会の価値観も良い方に変えてしまう力を持っているんじゃないか?
なんて思い始めています。


求心力のある観光スポットは持たぬが、街が余白だけになりかけてしまったが、
人の気持ちに覆い被さる余計なことは、街を流れる利根川や広瀬川の豊かな水が、
そして上州名物赤城降ろしの空っ風がどこかに流してすっ飛ばしてくれる軽やかな街。

それが魅力だと思うと、
前橋には希望しか感じられないぜ!と思うのはボクだけだろうか。

ところでこの感じ、
ボクは福島県の福島市の街中で起きていることと似ているかも。

震災と原発事故を経験した福島。
それはある意味「何も無い」というくらいの場所まで人のマインドを落とし込むも、
その危機感があるからこそ、人は考え続け、人と人のつながり大切に育て、
人と人の間に生まれる発想を生かして、今。
「誰でも居て良い場所」があちこちに感じられる優しい街に変わってるイメージ。

これからの前橋が、東京を頂点とする中央の価値観に追従するとは考えられず、
しかし、福島の街の人たちと繋がることには、価値を感じるなあ〜。
もしくは、大分の山間の町baobabの暮らす山香とかね。

そんなことを思えるのは、日本の社会が画一的に漂白されてゆく時代に争い、
人の弱さを慈しみ美しく生きることを良しとし、ツッパらかって本屋なども営み40年、
前橋の優しい文化の生命維持装置のような敷島のフリッツアートセンターという場所が、
前橋の過去と今をパラレルに見せてくれるからなんだろう。

フリッツアートセンターでの展覧会「まえばしスケッチ」はあと2週間ちょっと、
6月29日が最終日です。

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

ボクの在廊予定は
6月15日(日)、16日(月)
6月27日(金)、28日(土)、29日(日)

最終日イヴの28日には、エリリャオとファルコンをお呼びして、
架空の絵本の世界を唄で表現する試みを行います。

ライブ + ワークショップ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
フリッツ・アートセンター


15日午後と29日午後にはそれぞれお話会が行われ、
15日はガザと渋谷の子どもたちを絵で繋いで作った絵本「みんなで見た こどものえ」で、
ボクが子どもたちに行ったセッションを再現して体験してもらえます。

などなど、
もはや終わってしまうことの喪失感が込み上げてくる展覧会に育っています。

 

 

『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展

2025 年 4 月 2 日 水曜日


『まえばしスケッチ』小池アミイゴ イラストレーション展
フリッツ・アートセンター / ギャラリー
 2025年5月10日(土) – 6月29日(月・祝)
11:00-18:00
入館料 _無料
休館日 ‖ 火曜日(祭日の時ははその翌日)

〒371-0036  前橋市敷島町240-28
Tel. 027-235-8989
web. theplace1985.com
mail. info@theplace1985.com

後 援_群馬県・群馬県教育委員会・前橋市・前橋市教育委員会・各報道機関


群馬県前橋市の開放的だけどどこか懐かしく美しい場所「敷島」にあるフリッツ・アートセンターで展覧会を開催します。
名付けて「まえばしスケッチ」

ボクが子どもの頃に憧れであった良き人々が沸き立つように集う美しい前橋への憧憬と、新たな風に吹かれ再生しようとしている今の前橋への恋心みたいなものを、シンプルな絵やスケッチにして展示する予定です。

「人は美しさで生きられるのか?」「ほんとうの幸せってどんなことだろう?」「子どもたちの未来はどんな姿が好ましいのか?」などなど、みなさんと語りえる余白のある展示を目指しますので、ぜひ足を運ばれてくださいませ。

以下フリッツのオーナー小見さんの言葉。

前橋に生まれた 小池アミイゴさん。少年のころ、町へ行くのが楽しみで、駅を降りて小走りで向かった風景は忘れていないと言う。50年経ち、そんな風景にもう一度出会いたくて、同じ道を歩きます。今度はスケッチブックを持って、敷島公園まで ….。

この展覧会では、この春に前橋で描かれたものを中心に、知床、能登、福島、台湾と、今まで各地で描かれたスケッチや絵本の一場面も。また「敷島。本の森」開催の、オープニングでは敷島公園周辺を描いて展示を仕上げます。

5/17 には、大分から兄妹のユニット “baobab” を招いた待望のライブ。そして会期の最後には、台湾出身の歌い手 “Eri Liao” さんとのコラボライブ。架空の絵本を仕上げて、未来につなげます。

以上、
うわ〜〜、てんこ盛りだ、、
頑張らねば。

イベント

◉ opening sketch『敷島。本の森』
5月10日(土)・11日(日) 11:00-16:00あたり
・2011年から始められた『敷島。本の森』。たくさんの本屋とコーヒー店が公園の松林に並びます。
小池アミイゴさんは公園内でスケッチを行い、その作品もギャラリーに並べます。


◉ ライブ

『baobab』~かぜつちうた
5月17日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
チケット販売開始 : 4月17日(木) 10:00
料金 : 前売り_4,000円 当日_4,500円

大分県 山香にあるカテリーナの森を本拠地に
多彩なアコースティックサウンドを奏でつづける兄妹ユニット baobab の
待ちにまった フリッツ・アートセンター公演の実現です。


◉ ワークショップライブ
エリ・リャオ + ファルコン c/w 小池アミイゴ
6月28日(土) 18:30 開演(開場 18:00)
チケット販売開始 : 4月17日(木) 10:00
料金 : 前売り_3,000円 当日_3.500円

誰でも描ける簡単な絵のワークショップとライブ。
画材等すべてこちらで用意します。

小池アミイゴが「日本で一番すごい唄うたい」と推すエリ・リャオと盟友のギタリストファルコンを迎え、
唄にまつわる架空の絵本「うたうーさん」の世界を旅します。

小池アミイゴ
1962年 前橋市出身。イラストレーター・画家。一般社団法人東京イラストレーターズ・ソサエティ前理事長。長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンなど音楽家との仕事も多数手がける。2000年以降は日本各地を巡り、地方発信のLIVEイベントや絵のワークショップを重ね、近年では、台湾など海外まで活動の場を広げる。
絵本に『とうだい』(斉藤倫 文 / 福音館書店)、『水曜日郵便局 うーこのてがみ』(KADOKAWA)、児童書の挿絵に、『小さな赤いめんどり』(アリソン・アトリー 作 / こぐま社)、『こぐまと星のハーモニカ』(赤羽根じゅんこ 作 / フレーベル館)などがある。
2022年、『はるのひ』(徳間書店)で第27回日本絵本賞を受賞した。


baobab
Maika : Vocal / Fiddle
Mirai Matsumoto : Vocal / Guitar etc…
https://www.baobab-csf.com

サポートメンバー
田辺玄/guitar
和田尚也/bass

2004年結成。Maika (歌 / fiddle) 、古楽器製作家でもある松本未來を中心としたアコースティックサウンドを奏でる兄妹ユニット。結成当初より大分県山香町を活動の拠点とし、小さな場から発信する音楽表現、ものづくりや土に根ざした生活の中から生まれる音づくりを続け、二人の音楽的ルーツであるトラッド、古楽、フォークを自由なアレンジとスタイルで生み出している。

2007年のニュージーランド全20公演の海外ツアーを経て4枚のアルバムをリリース。自主制作でつくられたアルバムはインディーシーンでロングセラーを記録。CM、映画への楽曲制作も行う。これまでに数多くのミュージシャンとも共演を重ねる。カテリーナの森で、森全体を自らデザインし、自然環境と人、音楽やアートと暮らしの融合をテーマにした音楽祭”Sing Bird Concert”を14年間主催してきた。その活動は多くの共感者を集め、地域からの表現発信の核となっている。
写真家・川内倫子とともに映像作品を制作。
2019年 baobab+haruka nakamura名義で「カナタ」を発表。
2022年5月、スコットランドツアーを敢行。
2024年 baobab 20周年の節目に土着をテーマにした待望のフルアルバム『かぜつちうた』を発表した。

◎ エリ・リャオ

https://eriliao.jimdofree.com

台湾・台北生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院から、コロンビア大学大学院芸術学科に編入。ルーツである台湾・タイヤル族についての研究をやめて、ずっと一番好きだった、歌をうたうことを人生のメインにと中退。
歌うのは、生まれ育った台湾の歌、日本の歌。新しい歌、古い歌。ジャズ、ポップス、ボサノバ、外国民謡、ニューヨークで習ったジャズ、沖縄・日本の民謡。自分のうた、友人のうた、すごいうた、言葉のないただの声 …. 好きな “うた” たち全部。



◎ ファルコン
(ハルカストリングス)
https://falconguitar.jimdofree.com

ボーダレスな分野で活躍するギタリストファルコン。
彼がコンボーズしエリ・リャオが歌う「ハルカストリング」は、ヴァイオリニストのマレー飛鳥主催の飛鳥ストリングス3名を迎え結成。エリ・リャオによる多言語の歌唱と多様な弦楽器が織りなすフォークロアな世界観を表現する室内楽編成のユニットとして、その演奏に出会ったすべての人に異次元の感動を与えています。2023年1st.アルバム『風の中の夢』を発表。

「前橋コーヒーマーケット」と「上毛芸術線」参加

2023 年 10 月 19 日 木曜日

10月21日から11月12日まで開催の、
群馬県の前橋と桐生を結ぶ鉄道”上毛電鉄”を舞台とする芸術祭
「上毛芸術線」
企画詳細 >https://jogei.jp
ご縁をいただき中央前橋駅と粕川駅の駅舎やホームに作品を展示します。
ボクのコンセプトは

「公共施設に美意識無く無造作に貼られているポスターやフライヤーにボクの絵を混ぜ込んで再レイアウトし、美しく愛に溢れたものにする作戦」

 

粕川駅は自分の地元ってこともあり、風景と花の絵を投下。
(掲載した風景画は、上毛電鉄の樋越駅近くから望んだ赤城山)

中央前橋駅では、
22日に前橋で開催される”前橋コーヒーマーケット2023″で開催のワークショップで生まれた絵と自分の絵を混ぜこぜにして投下してみます。
まずは21日に基本となる自分の作品を設営に向かいますので、

自分の作品完成は22日のWS後、23日のお昼頃になりますが、みなさんぜひ途中下車&HAPPYをよろしくです。

そして「前橋コーヒーマーケット」


初開催となるイベントのキービジュアルを担当。
絵を描くワークショップも開催します。

~ where good coffee grow ~
前橋コーヒーマーケット
⽇時:2023年10⽉22⽇(⽇) 10:00-16:00 ⼊場無料
場所:前橋中央イベント広場
住所:群馬県前橋市千代田町2-8-21

詳細は 前橋コーヒーマーケットのインスタ で〜

小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ

【オトナ向け】11時~12時「一本の線を引けたら、今日からイラストレーター編」¥800

【子ども向け】13時~15時「まえばしの、ちょっといいとこ教えて編」¥800


【オトナ向け】15時~ゆるゆる「絵の具遊びフリースタイル編」¥800

参加申し込みは以下のリンクの↓フォームよりお願いします。

*汚れてもOKなおしゃれで参加ください。
*ワークショップで生まれた作品は上記の「上毛芸術線」中央前橋駅会場に展示します。

群馬の前橋で「はるのひの展覧会」

2023 年 1 月 18 日 水曜日

小池アミイゴ×陶舗石渡「はるのひの展覧会」
2023.1.27(金)・28(土)・29(日)
12:00-18:00 *フルタイム在廊します。
@陶舗 石渡(弁天通り)
〒371-0022 群馬県前橋市千代田町3-4-7
詳細>  https://harunohi.info/

群馬県前橋市の弁天通りで75年の営業を終えた陶器屋「陶舗石渡」さんの店舗をお借りし、
絵本の原画とイラストレーションの展覧会と絵本の販売を3日限定で開催します。
これは前橋の街の再生を図るムーブメントと呼応したもので、
「何かできる?」のお声かけに「出来る!」と答え、ほぼほぼ持ち出しで行う、
ものすごく自分らしいアクションだと考えています。
群馬を出て生活し随分経ってしまいましたが、
群馬の皆様に喜んでもらえるかもしれぬものも、
少しは作れるようになれたのかなと。
皆様におかれましては冷やかしで結構でございますので、
ぜひ足を運ばれますよう心よりお願い申し上げます。
小池は3日間共在廊予定。
絵本の販売は「はるのひ」と「とうだい」の2冊。
自著「台湾客家スケッチブック」も置く予定でいます。

前橋へのラブレターみたいなもの

上毛電鉄の一毛町駅を過ぎると気持ちはそわそわ、次は終点中央前橋駅だ。
ボクは座席を立つと、進行方向左側のドアの前に立ち、車窓から広瀬川が見えるのを待つ。
ボクはまだ子どものと呼ばれる年齢だけど、広瀬川沿って柳の木の並ぶ色っぽい風景が、
自分をちょっと大人にしてくれるように思えるのだ。

列車が中央前橋駅に滑り込むと、その柳の枝がフワッと揺れ水面にユラユラした影を落とし、
キラキラした午後の光とダンスを踊っているように見える。

振り返ると駅舎一杯に貼られた映画のポスター。
ああ、ボクは前橋に来たんだ。

ドアが開き切る前にホームに飛び出し、改札を駆け抜ける。
車の排気ガスとトンカツが揚げられる匂いが混ざった空気がうれしい。

人生で初めて渡った歩道橋を、今日も駆け上がり、道の向こうへ駆け降りる。
広瀬川にかかる橋から身を乗り出し「今日も緑色した水がたっぷりと流れていること」を確認。
フランスパンは帰りに寄ることにする。

街の引力に逆らわず歩き、坂本書店の誘惑を振り切ると、銀座通りは今日も賑やかだ。
いつもそこにあるからい「いつか行こう」と思ってまだ行けてない100円ラーメン。
ジーパン屋の店頭の「欲しいジージャン」はまだ誰にも買われていない。
みやま会館では「007」の旧作をリバイバル上映していて、1階の「レストランみやま」は、
父親からフォークとナイフの使い方をしつこく教わったのがトラウマとなり、しばらく避けている。

千代田通りとの交差点で立ち止まると、お茶を焙煎するムワッとした香りに包まれる。
それはボクが一番前橋を感じる匂いだ。

ニチイやスズランの大きな建物が見えると、ボクは自然と駆け足になる。
行き交う人をひょいひょいと交わし、スポーツ用品店のウインドウに飾られた新作のスニーカーをサッと見渡し、
レコード屋から流れてくるヒット曲に頷いたりしてると、中央通りのアーケード街に入るT字路。

「こんなデカい屋根、誰が造ったんだろう?」
そんな想像を巡らしていると、なぜか自分自身が誇らしく思えてきて、
さらにオトナになった気分で商店街を一歩一歩。

老舗の呉服屋や陶器店。
鰻というものを初めて食べた店。
初めてクリームソーダを飲んだ洋食屋。
いつも焼きそばを食べる団子屋。
一切れのパイナップルを買ってもらった果物屋。
戦車のプラモデルが積み重ねられたホビーショップ。

強い陽の光から守られた場所で、店先に誇らしげに掲げられた看板は美しくシャープに、
人々の働き甲斐に溢れた表情は優しい輪郭でボクの目に映る。

そうしたものスベテを「ボクがオトナになっても美しいと語れるであろうもの」として、心に刻む。

右目に陽の光が飛び込んできたら、その先に大量の湯気が立っている。
片原饅頭のドシッとした建屋。

ここは前橋の街の中心であり、前橋はこの饅頭屋を軸に動いているんだと信じているボクは、
軒先で立ち止まり、柏手こそ打たないが、神社をお参りするようにして、店で働く人たちを拝む。

前橋の軸から30歩で前三百貨店。
そのガラスドアは魔法の扉で、丸いドアノブに手をかけた途端、館内は身体が吸い込まれてしまう。
3階がおもちゃ売り場で、そこは最近までボクの聖地だったのだが、今は向かいの電気屋が聖地となり、
今日もショーウインドウに飾られたSONYのピッカピカのラジオを眺め、ただため息をつく。

ボクはそれだけのために前橋に行く。