2024年10月11日は
2011年3月11日から
4,963日
709週
13年7ヶ月
163回目の11日です。
この日は富山の美術館のセレモニーに出席。
次の日、10月12日は輪島の門前町鹿磯を目指しました。
富山から朝一の新幹線で20分ちょっとで金沢まで。
7時50分穴水行きのバスで移動。
いや、
ダイヤが変更されこの時間のバスは無し??
震災と豪雨被害の混乱はこんな場所にも現れて見えます。
しょうがない、1時間後の特急で七尾まで、
そこからさらに穴水まで。
途中途中でブルーシートを被った家が見られ、
まだまだ「あの日から9ヶ月ちょっとの能登」です。
乗り換えの七尾は、3月11日に行った時から比べると、
息を潜めた感じが若干和らいだ印象もありますが、
地震で歪んだ街並みは変わらずでした。
ただ三月は土砂降りだったのに対し、
この日は気持ちの良い秋晴れ。
能登に疎い自分にとっては、この天候の違いを体験出来たのは大きい。
そしてあらためての能登は美しい場所だと思うばかりの風景を抜けて穴水へ。
震災後の東北でのフィールドワークでも考えた「人はなぜここで生きようとしたのか?」
それはすれ違う風景の中に大きな答えが詰まっていました。
併せて、東北の太平洋沿岸で津波がさらってしまった風景を想像もした、
やはり能登に来てよかったと思える鉄道移動。
(もちろん能登でも津波被害は甚大であることを認識した上でね)
ボランティアは無理という人でも、能登こんな風景に出会ったらいいと思います。
穴水から輪島子門前町鹿磯までは能登半島を横断する形で20km弱。
東北のフィールドワークでは歩いたり走ったりして向かった距離だけど、
今回はバスで、
いや、バスの本数少ないなあ〜、、
しょうがないタクシーで、
門前町の核となる總持寺まで30分ほど6000円で向かいました。
途中、所々で道路の補修工事が行われていて、
何ヶ所かは土砂崩れのリスクを感じる風景にも出会いました。
ただこのルートに関しては現在「分断」はされておらず、
スムースに總持寺に到着。
タクシーを降りると寺街には賑やかな民謡が流れていて、
観光で訪れた方の姿も見られ、
その向こうからは復興作業の重機の音が聞こえてきます。
ここから鹿磯までは4~5キロの距離。
通り雨に降られたり、強い日差しに煽られたり、
能登自然の多様性を感じながら歩きます。
能登色彩、もしくは光は、
やはり能登だからこそのものなんだろう。
日本の他のエリアで感じたことの無い独特の美しさがあります。
ああ、これなら「私はここで生きよう」と人間は思うよな。
しかし、その自然は人を苦しめ、大切なものを奪ってゆくものでもある。
自分はこれまで「被災」を切り取った写真をシェアすることをなるべく避けてきました。
それは、元々その土地に暮らす人を知らずに足を運んでいたからで、
「簡単に痛みを分ったような振る舞いをしてはならない」という考えからだったでしょうか。
しかし、今回は昨年能登で出会った愛しき人たちの存在があり、
これまでとは痛みの想像の仕方が違うなと。
能登で誠実に美しく生きる人たちが、
これまで大切にしてきた生活の風景が歪んだまま置かれていることは、
どれだけこころを苦しめることだろうか?そんな想像もしながら歩いていました。
(もっとたくさんの痛ましい写真も撮影しましたが、まずはこの歪み感をシェア)
歪んだ先にはギシッと並べられた仮設住宅。
その前の海は地震による隆起でとても遠くに行ってしまったように見えます。
今後はさらに「復旧」と「復興」と「再生」と「新生」の考えが交差した、
正解のわからぬ議論が多く交わされるでしょう。
ただ「ここは美しい場所だ」と知っている外者の存在も心の片隅に置いて頂き、
建設的な会話を重ねていって頂けたらいいなと思います。
そして目的地、食堂「杣径」に到着。
オーナーで輪島塗の塗師 赤木明登さんのご依頼で、
この店の広告を制作した自分です。
しかし、9月3日のオープンが1週間ほど遅れたり、
開店後すぐに豪雨被害が能登を襲ったりで、
ともかく現場を一度見てから自分の仕事を振り返りたいと考えたこの日です。
ランチは2000円のコースのみ。
だけど、シェフの北崎さんのご飯が2000円は、安い!!
「杣径」のことに関してあらためて言葉を盛ってしまわぬよう、
その時のSNSのポストをそのまま掲載します。
直島まで行ったら能登に行かない理由は無く、美味い昼メシ食って東京に帰ろうと、
輪島の門前町鹿磯の食堂「杣径」へ。
ああ、この空間。
1年3ヶ月前はここでイーウェンさんのトマトの卵炒めをご馳走になったんだ。
そして今日、「杣径」の北崎さんの料理をただただ楽しんでる。
地震に豪雨被害と色々大変。
自分の様な者が思考停止になる風景にも出会う。
しかし、「被災」とは潰れた家屋の写真じゃ無いぜと。
これは東日本で確信したことなんだけど、
自分は何か美しく人の気配を感じるものへの視線を大切にしてゆくのだ。
その視線をさらに確かにしてくれる北崎さんの料理。
肌があうなあ〜
3月に金沢での仮営業の「杣径」で食事をした際、
能登と金沢での水の違いがすごく良く分かった北崎さんの料理。
昨年7月以来の能登での食事は、やっぱ「ああ、能登の水だあ〜」って、
それくらい繊細で、実は大胆。
ああ美味しい。いや楽しい!
こりゃ日本酒呑まないわけいかねーじゃん。
食事を終え外へ。
「家と家の間からキラキラ光ってみえる海が、いいんですよ〜」と語る北崎さんこそ、
この場所でピカピカ光る灯台のようだと思ったよ。
能登、またね!
応援する以上に、愛してます。
以上。
「杣径」は夜の営業も予約を受け付けていて、
いろんな場所から人が駆けつけてくれているみたい。
大震災を目の前に多くの日本人が無力感に襲われ、
なんなら潰されてしまうことはあります。
大震災の復興に対して無力なひとりであっても、
その土地にひとりでも友人を得ることは、
後々その土地や人の大きな力になることは、
自分が東日本で実感してきたことです。
美しきものからちょっと目を転じるだけど、
絶望的な風景が目に入る現状に変わりの無い今。
しかし、美しさを頼りに創り上げるべきものは必ずあって、
それに関して誰もが恐れることなく前に進めばいいし、
もしそれで迷いそうになっても、
たとえば能登には「杣径」が灯台のようにして導いてくれるのだと思いました。
今日から2日間群馬の前橋でコーヒーマーケットが開際されます。
ボクは10月20日に能登チャリティ似顔絵自分塗りワークショップを開催します。
1,000の参加費で、自分が似顔絵を描き、色は自分で塗る楽しい企画です。
チャリティのドネーション先は赤木明登さんが手がける
「小さな木地屋さん再生プロジェクト」に充てます。
能登地震と豪雨被害で輪島塗はかなり厳しい現実を突きつけられています。
たくさんの職人が力を出し合い完成させる輪島塗は、
構造的に高齢者の職人さんに守られてきました。
そこに今年の大災害。
重篤な被害に遭われたことで、仕事の継続を諦めてしまう現実があります。
その現実に対し、素早く行動を始めた赤木さんの活動を支援することは、
輪島の小さな灯火をみんなで守るようなことだろうなと。
しかし、この小さな灯火はとてつもなく熱い。
というわけで、
ボクは10月20日に群馬の前橋で輪島の灯台を務めるわけです。