16年

今年の1月17日に思い立って
なぜかmixiにだけ書いた「16年」というタイトルの日記
2011年3月11日を経験して
2011年4月10日も経験して
2011年4月11日にちょっと加筆して
こちらにアップしてみます
・2011年1月17日
「16年」
たとえば今から21年前
1990年から16年前の1974年を思うと
それははるか昔のことの様に思えていたけど
2011年から1995年の1月17日を思うと
それはつい5年とか3年とか前の出来事のように思われるのだなあ
それは単にボクが歳をとっただけのことなのだろう
だろうけど
ちょっとシャクに思い
先日ボクより10才とか15才年下の人たちと話した時
ためしに1995年辺りの記憶の話をしてもらったら
みんながみんな「つい最近のようだ」と
では「それはなんでだろう?」て話になり
「あーだ」「こーだ」と
で、
思いついたのは
『接する情報が莫大に増えたこと』
「情報」って言っても
単に文字数や画像の枚数だけじゃなくて
画質の向上した写真や映像から読み取る情報量が
昔のものとは比べようも無いほど大量のものだったり
携帯やメール、ネットなどパーソナルな情報が
ゼロから無限大に近いイメージで増えたり
1つの情報でもコピーペースを繰り返され
拡散拡大で1人では手に負えないモンスターに成長
ボクたちはそんな1つヒトツを消化出来ないどころか
次から次へと押し寄せる情報の波に押し流されているだけだったり
出会った1コ1コにケリをつけ過去に葬り
それを土台にして次を創造してゆけたらいいのだけど
スベテが無責任に投げ出されたまま
日常のあちこちに漂い
「なんとなく」の方に向かって流されてる感じ
たとえばチャート上位にランクされる音楽
大量のコトバや音が圧縮されてる割に
作り手の“匂い”や“熱”や“手触り”が感じられないものばかり
そんなのを消費さえするヒマも無いまま
生活の現場のあちこちで押し付けられる
ひとつの唄に「懐かしい」なんて感情を持つ前に
コマーシャルに乗って繰り替えされたり
カラオケでギャンギャン唄われてしまったり
ボクらの16年の記憶も
気がつかぬまま圧縮されてしまって
結果
「懐かしい」という感覚を失ってしまったのかもしれないね
もう少し言ってしまうと
「1人の個性」だって
圧縮されたキャラのコピーペーストでしかなかったり
しかし
2011にあっても
1人の個性が普通に持ち合わせているはずの
ちょっとした勇気を持って
その辺に漂う情報に手を突っ込んでみれば、
そこに“匂い”や“熱”や“手触り”やなんやかんや感じられるはずだと
ボクは思うのだな
阪神淡路であったこと
テレビやPCのディスプレーでは見えてこないもの
決定的に足りない便所に溢れる排泄物の匂いとか
風呂に入れぬ人の体臭だったり
実はケミカルな匂いが胸を突く焼け落ちた民家だったり
後片付けで指に刺さった小さなトゲの痛みだったり
色んなものが先回りして説明してくれちゃうから
ディスプレーのこちら側で見落としてしまうけど
1995年の1月17日に“その場所”にいた人の“時”は
今も止まったまま
人としての臭いを放ち続けているんだ
しかし
ボクたちはそんな情報を『いつでも選択して手に出来る』という
勘違いをしたまま
圧縮された情報の口当たりの良さだけを消費してゆくのか
自分に置き換え考えてみるために
情報の激流の中で立ち止まり踏ん張ってみるのか
少なくとも
1人ヒトリ違って当たり前の時の流れが
つまらぬ価値観でせき止められ
澱んだ沼に押し込まれてしまうのは嫌だ
そう思った
・2010年4月11日加筆修正
+++
どうにも混乱したままで綴った文で
困ったものだけど
今はその正体のシッポくらいは掴んでいるんだと思う
311から1ヶ月めの朝だ!
*ちょっと提案
http://bit.ly/hOWuUD
*自由に使ってください
http://bit.ly/dIdRhg
