SPUMA

6月29日は渋谷SPUMAで最後の時
『OurSongs KOとmashの写真展』
その“いつものspuma、closing party”
主催はKO&mash、サポートのミノルくんでしたが、
集まって下さったみなさん、
これまで支えて下さったみなさん、
ありがとうございました。
いつも影であってくれたKOさんとmashちゃん、
この日はいつものボクのポジションからパチリ。

1ヶ月の会期中、
あしげくSPUMAに足を運び、
写真展の新鮮さを保ち続けてくれたKOさん。
2人にとって初めての展覧会ですが、
人に作品を伝えるのに何が必要であるのか、
深いイマジネーションのもと創り上げてくれた時、
ボクは誇りに思います。
そして、

最後だと言っても、
mashはいつも通り、
奥ゆかしくもエレガントな立ち振る舞いで撮影していました。
展覧会は終わりSPUMAは無くなり、
SPUMAでのOurSongsは亡くなりましたが、
ここから始まることばかりだ!
そう信じて6年半もつきあってきた場所です。

Tさんから引き継ぎこの場所を守って来たUさん。
その顔つきにもコトバにも「次」が感じられたのがウレシかったです。
あらためて、SPUMAスタッフのみなさん、
ありがとうございました。
SPUMAのOurSongsの最後の最後で出会えた素晴らしい表現者です。
叙情的なルンヒャンの唄だけでなく、
官能的な世界観も築き上げつつある2人。
ピアソラの“リベルタンゴ”、熱かったです!
今が「素晴らしい」以上に、
これからの可能性がさらに素晴らしいであろう、
そんな予感のお2人です。

作曲者だったルンヒャンにとって、
3年前に出演したSPUMAが初ライブだったそうで、
OurSongsに対して、SPUMAに対して、出会った人や唄に対して、
それぞれの感情が交差したコトバの中に、
次の唄が聴こえたように思いました。
そして、群馬の桐生にある高校を卒業したボクにとって、
染みる1曲「わたらせ」
ボクの時代は国鉄の“足尾線”
現在の“わたらせ渓谷鉄道”を美しく切なく唄った曲
あらためてジックリ染み込ませようと思いました。
そしてeli

彼女の唄う「rita」は“OurSongs”です。
彼女がここで唄った3年間に対してボクが唯一言えることです。
そして、

この3年間の唯一の成果は、
SPUMAを足場にして
今年の5月15日に渋谷plugでやったPukiRevoのLIVE。
それはSPUMAにとって大きな皮肉を含むことかもしれませんが、
しかし、
渋谷にあってオシャレでステキなことばかりじゃない、
痛みも、怒りも、悲しみも、憤りも、なんもかもぶちまけられ、
それでもなおヒトリヒトリのアートで語り合った、
こんな時を生んだ店他にあるのか?

ボクは無力を認めます。
しかし、関わったみんなには20090515plugであったこと、
その足場をみんなして固めたた場所がどこだったか、
心の隅っこに刻んでおいてもらいたい、
もしくは、誇りに思ってもらいたいです。
そして、この場所で多くを伝え続け、
エンターテーメントし続けたeliの創ったもの、
それを生きたものにするのは、
この場所で彼女の唄に出会ったスベテの人の責任であり、
それ以上に楽しみであると思うけど、どうだろう?
で、

こうしてeliさんの唄を聴いている間にも
PukiRevoの次が楽しみ。
そういう場所でした、SPUMA。

この日は、ライブで大活躍のパーカッションのミノルくんが
総合プロデュース。
BGMはmashの、これはマジで最高の選曲のmix CD。
で、
なんか居場所が今ひとつ掴めなかったオレです。
ショウガねえ、
いつものDJブースの位置からSPUMAを見渡してました。
人が創る景色は当然のように生き物で、
ボクは1歩退いた場所で
SPUMAに足を踏み込む瞬間の人の顔つきや、
“この1曲”にヒトリヒトリが何を感じているのかとか、
ならば今この瞬間ヴォリュームを半メモリ上げるべきだとか、
フードやドリンクのオーダーのさばけ具合や、
ヒトリヒトリの皿の上に何が乗っているのかとか、
今空調は適切なのか?とか、
あと何秒後にライブを始める声を上げるのかとか、
そんなこんなをDJしていたようです。
そもそもLIVEをやるには難しい場所だよね、SPUMA
でもって、スベテ納得した上で唄とだけ会話。
スゲー面倒臭せー野郎です、オレ。
だからお客さんと談笑なんてこと出来ねえです。
なので、
この日も我慢出来ずに予定には無かった子供漫才を投入。

みんな笑ってくれてよかったね!
そして最後にこの2人を背中から。

baby tears
この場所で生まれて、愛されて、傷ついて、
頑張ったり、起こったり、泣いたり、
スッ転んだり、立ち上がったら頭をナニかに打ち付けたり、
しかし、必ずSPUMAに戻ってきてくれたよな。

ボクがやったことは、
「baby tears スゲー!」と信じてただこの場所に居たこと。
あと、鍵盤サポートにyou-taちゃんを紹介したこと!

そして、
彼女たちがここで唄いはじめてくれたから、
復活したeliちゃんを迎え入れることが出来たと思います。
SPUMAハネた後の居酒屋でbaby tears(当時はGB) のみっちゃんが
「eliちゃんが居たから唄い始めた」
なんてこと聴いて、
「よっしゃ!」と思ったんだった。
SPUMAのOurSongsとは、
こんな群像のゆりかごであり、
ヒトリヒトリの次への足場であればいいと思ったよ。

baby tears は音楽家として本格的に次に踏み出す直前に
SPUMAが無くなってしまったけはず。
しかし、「sunshine」は“OurSongs”であり、
この日、最後に唄われた唄は次への足場となり得るヒトツ。
終わりは始まりだよー!
がんばれよ〜!
てか、
これだけボクと密に関わってきて、
これだけ地方に届けられていない唄ってないぜ、、
東京以外のみなさん。
babytears を知らないでボクやOurSongsを知ったふりしちゃダメだぜ!
悔しかった呼んでやってよー、babytears!
そんなこんなで、
SPUMAを語ろうとして、
やっぱヒトリヒトリを語ってしまうなあ、、
で、LIVEも終わり、
オレにナニか語れってか、、
KOとmashの写真展だからな、、
もういいよ、オレなんか。
と!
てっちゃん、ギター持ってきてんじゃん!

いい空気なんかぶっ壊して笑かしてくれよ。
そして、
これから色んな道を歩いてゆかなきゃならないみんなに
ボクのかわりに唄ってくれい「ヨイトマケの唄」

こうやってオッペケペで終るのがお似合いです。
渋谷SPUMAのOurSongs
2002にOJASという店の閉店でイベントが最終回になった時、
出演してた唄うたいみんなが泣いていたけど、
今はそんな時代じゃねーよね。
生きてるみんなが泣き出したくなるような時代に、
ちょっとでも笑顔の花を咲かせられるように、
歯をくいしばり次へ。

カッコいいコトはなにヒトツ出来なかったけど、
人間臭いナニかはドロリと掴んだ時間。
この間、地方で色んなことさせてもらうようになったけど、
SPUMAのOurSongsはドコでもコピー不可能でした。
だから、
ココに触れた人が良かったかどうかはわからんが、
ココに触れてくれた人は
ボクにとっては特別な人であるように感じます。
それもこれも、
これからのボクの表現に関わってくるであろうけど、
まずはオツカレサマ、SPUMA

関わって下さったみなさん
出会ってくれたみなさん
あらためて
KOさん、mash、そしてミノルくん、オツカレサマ。
もう次だよ、次!
でもって撤収。
思えば、
「OurSongsがSPUMAで一番楽しい時間です」
そう言ってくれたことが継続のエネルギーに変わったのであった!
どうじゃ!
こんなコトバはダウンロード出来まい。
オッペケペだったけど、
確かにここには唄があったんじゃい!





すがすがしいほどカラっぽになったので、心も体を軽いです。
すこしづつではありますが、また次の何かを始められそうな気がしています。
Ojas Lounge ~ SPUMA お疲れさまでした。最後の1ヶ月はKOさんとmashさんのOurSongs写真展にエネルギーをもらったと思いますよ。
私も2日間頂いた日にちに創ったイベントの時に、ひしひしと感じました。
そして、1日目のイベントの時はアミイゴはいなかったけど写真達に励まされました。これは本当の話です。OurSongsが生きていた様ですよ。
いろいろと12年間、ありがとうございました!そして、とりあえず茅ヶ崎TOIYAA CAFEですが、次もよろしくお願いします。
>KOさん。
終わりましたね〜!
始まりますねーー!!
おつかれさん
また明日!
>土屋さん。
SPUMA出来たての頃と比べて、
KO&mashの写真展のSPUMAはまったく別物になっていた印象です。
あの頃はボッサな“雰囲気”がカフェ、そんな勘違いが蔓延してたけど、
結局残ったのは“真摯な表現の唄”。
それを人も求めてあの写真として昇華したんだと思います。
個人的な目的である、
日常のエンターテーメントは完成させられる場所ではなかったけど、
しっかり足場になってくれた場所です。
ありがとうございました。
でもって、引き続きよろしくね〜!