136ヶ月め


今日は2011年3月11日から4,140日
591週3日
11年4ヶ月
136回めの11日です。

昨日は第26回参議院議員通常選挙がありました。

1947年4月2日に第一回の選挙が行われて26回め。

それが多いのか少ないのか?個人的には「まだ26回なんだ」という印象と共に、日本はまだ民主主義の試行錯誤の途上なんだろうなと思っています。

その選挙運動期間の後半で安倍元首相を暗殺されるという「あってはならないこと」の先で、投票日を迎えたわけですが、自分は引き続き「震災復興」と「行政改革」を目指す候補者を選ぼうと考えていました。

ボクにとって「震災復興」とは、人が生きやすい社会を考え続けることで達成するもので、まだ明快な答えは手に出来ていません。「共に考え続けよう」と語りかけてくれる候補者を探すことが自分の選挙行動だと言えます。
たとえば、1945年の夏に太平洋戦争が終結したとして、1956年の夏は、まだ日本の社会には戦争の硝煙が匂ってはいなかったでしょうか。
震災と戦争を同列に語るには無理もあります。しかし、多くの人が犠牲になった日からまだ11年しか経っていないんだという驚きが自分の中には確かにあるのです。

「行政改革」に関しては、『いかに民間が元気になるか、行政判断をシンプルにスムースに行うことで後押する』そんな願いも込めて考えています。
「民間」とは「人に良かれと思う志を持った人が、人を助けるものを作る」本来日本が得意としていた”ものづくり”の復活の願いがあり、”ものづくり”には音楽やデザインやアートなど、クリエイティブな行為を含み考えています。

もしくは、息子が通っていた小学校の正門前の壁にヒドイ落書きをされました。
コロナでお互いの顔が見えぬ今、全国の学校に少女誘拐を仄めかす予告が届くという、子どもたちを不安に陥れる事が起きているのに、この勝手に描かれた落書きを消すためには、いくつもの手続きを行う必要がある。
勝手に描かれた落書きを勝手に消すと「けしからん」と言われてしまう。

しかもこの壁、半年前にも落書きされたのを、行政がペンキで塗ったばかりなんよね。

この壁の反対側、学校を囲む塀はに子どもたちとペイントしたのは去年の秋。

薄暗かった坂道が明るくなって、落書きもされず。

問題はシンプルで、落書きを消すこと。

方やついでに子どもたちの絵が描かれ街が明るくなった。

方や行政が納得する結果を正当なプロセスで行うことが、目的になっていないか?

ということを、参議院議員選挙選挙でも考えてしまうんです。

しかし、ウクライナ戦争、中国や北朝鮮の脅威、物価高騰、エネルギー問題が目の前の脅威として語られた今回。その先の未来を明快に言葉で語った候補者がいたのかどうか。

「政治的」という言葉があって、
「一般人が政治的な発言をするのはけしからん」とか「アーティストこそ政治的な発言をすつべき!」などなどの強い言葉に出会うことがありますが。
その「的」ってなんだろう?

ボクには「政治のことは政治のプロに任せておけ」「その他発言は所詮政治的なものでしか無く、耳を傾けるに値しない」そんな考えの「プロ」なオジサン政治家さんの姿を想像してしまうんよね。

が、生活、仕事。子育てや介護、平和とか夢でもいいや、そして何より自分のことより息子たち世代の未来!そうしたものには政治がコミットしていて当たり前で、そうしたものを大切にしたいと願う自分の1票は、政治へのコミットであるわけで、それを「的」とかの言葉でぼやかしてはいけないと思っているのです。

そうした課題解決のために求められるのは、旧来のイデオロギー対立などぶっちぎって、建設的でオープンな会話が出来る場所創りなんだろう。ということを、この11年「被災地」と呼ばれる土地で感じて取ってきて、今は「オープンなアイデアの共有と大まかな合意」で社会を動かして行ける資質の人を探すのが、選挙と呼ばれる現場でのボクの社会参加なんだがな〜〜、、

なかなか難しい第26回参議院議員通常選挙でありました。

「妊娠、出産、子育て支援」などというワードがオジサンの口で語られるようになったのは、半歩くらいの世の中の前進を感じたりもするのだけど、それにしたって女性候補が少な過ぎて気持ち悪い。

あらためて、人の命が不当に奪われて良いはずが無く、
安倍さんのご冥福を祈ると共に、ひとりの政治家への想像力を働かせている自分です。

それと同時に、
41歳の男性が自暴自棄に追い詰められてしまった社会について、
そこに分断があるのだとしたら、その原因について考え倒さなければと考えています。

社会に分断があるとして、
ならばすぐにでもやらなければならないのは人の居場所作り。

2011年3月11日からの大きなテーマで、自分が描く1枚の絵だって、だれかがこさえる小さな唄ひとつだって、そんな居場所のひとつに出来ないかと考え続けているのです。

コメント / トラックバック 1 件

  1. NAOKO より:

    宗教問題なんて、相談しても引かれるだけ。オウムの事件以降特に声をあげられない。親が熱心だと宗教の自由も奪われちゃう。家族の問題は、誰かに相談する発想すらわかない。面倒臭くて親戚すら逃げていくから。
    ニュース速報をみて戦慄するも
    震えながら部屋にいるしかなかった。
    24時間で消えるSNSに怖いとだけかいた。
    取り残されている人って黙っているから存在に気づかれない。数多ある分断のはざまに佇んでいるイメージです。

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