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131ヶ月め。花とラブレター、その後

2022 年 2 月 11 日 金曜日


今日は2011年3月11日から3,990日
570週
10年11ヶ月
131回めの11日です。

1月末で神宮前のギャラリー装丁夜話での展覧会「花のラブレター」を終え、
12月に吉祥寺にじ画廊で開催した花の絵の展覧会「花とラブレター」から続いて、
絵を介してのコミュニケーションの現場作りが一息。

今は、ご購入いただいた絵の発送を進めているところです。

*「花のラブレター」に展示した56点の作品は、全作品一律10,000円で、
ギャラリー装丁夜話のONLINE SHOにて 2月27日まで販売しております。
装丁夜話 ONLINE SHOP 小池アミイゴ作品リンク
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58669064
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58670687
https://souteiyawa.theshop.jp/items/58670814

「ラブレター」などと名付けたものを売るのは、気分的にはばかれたりするのですが、
志を持って運営されているギャラリーの力にちょっとでもなれば幸いであります。

装丁夜話での展覧会は、にじ画廊で集めた「花の絵に対するラブレター」に対し、
絵でお返事するというもの。

いつもは仕事としてご依頼頂いた絵のオーダーに対し、
ご依頼主から届く言葉を精査し、絵に換えるという作業をしています。

「イラストレーション」は”illustration”
その “tion” の部分が好きで続けている仕事です。

“tion” は「アクション」”action” や 「コミュニケーション」 “communication” にもついていますので、
なにが好きなのか想像していただけたらです。

今、コミュニケーションのツールは、
インターネットやPCやスマホのアプリなど多岐に渡り、
使い勝手もとても良くなっています。

ただ、その使い勝手というものが、つい言葉数の多さを増長させていないかと。

たとえば、小学生の息子の学校から届くお知らせなど、
A4の紙に詰め込めるだけ詰め込んだ言葉に負けて、
本当に共有すべき情報を見逃しそうになることばかり。

東日本大震災後の被災地を歩き、
人々の望む「復興」の姿がなかなか像を結ばないことに出会ってきました。

そんな状況を知り、では身の回りを見回すと、
やはりなにかを決めてゆく、実行に移す、そうしたことが上手くいっていないことが多いなと気づきます。

「わたしたちはどんな目的に向かって今話し合っているのか」

そうした現場で欠けていることは、関わるみんなで共有しておくべきビジョンであることが多いように思います。

ターゲットを定めぬまま、なにか良きことをしたいという思いのみで、
プロセスだったり、システム構築の話に終始してしまう。

大きな目的を定められていないので、つい相手を言い負かすような形で正論を積み重ねてしまう。

正論の壁が本来みんなに見えるようにしておくべき目的を、さらに見えづらくさせてしまう。

ボクが絵にしていることは、
たくさんの言葉で語られれていることの中から、
今目の前の人と共有すべき最低限の言葉の代わりとしての絵。
そんなことだと思います。

今ボクたちは喜びや笑顔を目指して話しているのか。

もしくは、誰かの痛みを取り去るための話をしているのか。

などなど、

たとえば、丸をひとつ描いて、その中に点々と一本の棒を描くと、
笑顔とか、苦虫噛んだ顔とか、悲しい顔とか描けちゃいます。

それだけのことで、ものすごい多くの情報を仲間と共有出来る。

そういうことを原点に、
イラストレーションというものを、社会の中で生かしてゆきたい。

そんな絵は、とびきりシンプルなのがいいな。

相手の言葉に真摯に向き合い、
今共有すべき喜びとか、痛みとか、美しさとか、醜さなんてものさえ、
共有すべきもの以外すべて削り取って、
確信を持ったひと筆で、心も体も気持ち良いままスッと描き、
相手に差し出す。

そうした作業な中から、
ボクたちが目指すべきものが明快になったら、
みんなに見えるものとしての絵にする。

現在、日本の地方と呼ばれる場所の仕事をしていますが、
そうした場所でこそ、みなさんがどこを目指しているのかをコミュニケーションを持って掴み、
目指すべき風景を共有出来る絵、イラストレーションというものを制作し、
共に荒野を歩いてゆくようなことをしています。

それらは小さな仕事と言われるかもしれませんが、
ボクを確かに生かしてくれる大切な仕事であります。